【願い事、ひとつ】






 青い空に白い雲。
 背中に感じるのは、コンクリートの硬い感触。
 寝ていたようだ。
(今、何時だ?)
 手探りで制服のポケットから携帯を取り出して。


 取り出して


 取り……。



「あぁ?!」
 飛び起きた。なんで、ガラケー。おかしいだろ。と、青峰は慌てて辺りを見回した。変哲もないコンクリートの屋上だ。だが、はっきりとした違和感がある。見たことは、あった。見慣れても、いる。だが、それは過去の話であって現在進行形で見慣れてたり、寝転がってまして昼寝などしているはずがない場所だった。ここは、楽しかったことと悲しかったこと、辛かったこと、幸せなことが全て詰まった場所だった。
 二度と行くこともない場所だろうけれど、見間違えるはずもなかった。この場所から見える景色、寝転がっていたこの建物の様子。忘れたくても忘れる事ができない青峰の思い出の場所だった。
「嘘、だろ」
 何で。頭に浮かぶのはこの言葉だけであった。次に思ったのは、夢の中で目覚めたのだろうということだ。だって、おかしい。現在高校一年生の青峰が、中学の制服を着て屋上で寝転がり、そのことがおかしいと認識しているのだから。
 そう、か。これは、夢だ。
 青峰は幾分ほっとして再び寝転んだ。
(夢なら、夢らしくテツぐらい用意しろよ)
 幸せな思い出は、常に彼とともにあった。夢の中でだけでも彼が相棒に戻ってくれたっていいではないか。青峰くん。と、あの声で呼ばれたい。青峰くん、バスケしましょう。と、陰りのない声音で言って欲しかった。全て、青峰が奪ってしまったものだったけれど、聞きたかった。
(なぁ、テツ。もしやり直しができるなら俺は)
 考えても無意味なことを何度も考えている。過ぎ去った過去を巻き戻すことはできない。それでも、もし叶うならと考えてしまうのだ。


 あの時。
 少しでも、周りを見る事ができれば未来は違ったのかもしれない、と。


 バカな考えである。しかし、何故夢だというのにこんなことを鬱々と考えねばならないのだ。青峰は、早く目覚めようと眠りに落ちることに専念することにした。夢のなかで眠るのも、おかしな話ではあるが、たぶん意識を失えば起きるだろうと思うのだ。この夢は嫌だ。青峰は眉を顰めた。まだ。中学校生活を思い出すには痛みを伴いすぎるのだ。だから、早く……。






「……ね君。……君」
「……んだよ、煩ぇなぁ、テツ……」
 まだ眠くて、青峰は自分を揺さぶる手を払う。せっかく気持ちよく眠っているのに、部活に行こうと誘う黒子が煩い。そこで、青峰は一気に覚醒した。
(テツ?)
 ぱちり。と、青峰は目を開いた。慌てて飛び起きて、起こした相手を凝視した。
「どうしたんですか。顔が、いつにも増して凶悪ですよ」
「……テツなのか?」
「はい?」
 青峰の問いに対して、黒子は呆れた目で青峰を見る。紛れもなく、黒子だった。ただし、彼は中学の頃の黒子だった。
「青峰君。遂に君はボクの顔を忘れるほど、頭が弱くなったんですか?」
「いや、覚えてる。悪ぃ、寝ぼけてた」
 まったく君は。風邪引かないとかいって、こんなところで寝ているのが悪いんですよ。などと、話す黒子の言葉は耳に入ってはいなかった。
 おかしい。なんだ、これ。
 体が震えそうになるのを青峰は必死で抑え込む。
 黒子と肩を並べて歩きながら、青峰はひたすら混乱していた。夢にしてはリアルすぎる。夢の中で寝起きを二度もするのもおかしいし、あまりにも感覚がはっきりしすぎている。だが夢ではないとすれば、普通では起こり得ないことが起きていることになるわけで、それはそれで納得できる代物ではない。
(俺の背も、縮んでんだよな)
 隣を歩く黒子も記憶に新しい彼とは違う。出会った頃ぐらいの大きさだし、髪型も昔の物だ。
 意外と喋る黒子に相槌をうちながら、流石の青峰もこれは夢ではないと理解するようになっていた。
 では、これは現実なのか。と、言われると頷き難かった。なぜならば、現実に起きるはずがないと思うのが普通だろうから。それなのに、青峰は今現在進行形でその有り得ない体験をしている。混乱するなという方が無理な話である。
 上の空のまま返事をしていたら、黒子が呆れてしまっていた。またグラビアですか。などと言われ、やれやれという態度で仕方がないですね。今日はボク一人で自主練するので早く本屋へ行ったらいいとまで言われてしまう。
「ちげぇよ。ただ、夢が……」
 教室まであと少し。青峰の返答に黒子が首を傾げた。
「どんな? 悪い夢は誰かに話してすまうとよいそうです」
「……くだらねぇ夢だ。テツ、お前が俺の前からいなくなっちまう夢だよ」
「ボクですか?」
 それは有り得ません。なんですか、それ。と、笑う黒子にそうだよな。と、曖昧に返事をしながら、頭の中では別のことを思う。本当は、夢ではない。かなり近い未来に起きる現実の話だ。その現実が訪れるその瞬間まで、考えもしなかったことだった。





 彼。黒子テツヤは出会いも突然だったが、別れも突然だった。居なくなって気づくたくさんのこと。友達だった。唯一無二の友人だった。あの頃は、消えた黒子に抱いた感情は失望と怒りの両方だった。黒子だけは変わらないと思っていた。どんなに青峰が酷い態度をしたとしても彼だけは隣にいるもんだと思い込んでいた。コート上で彼が誰にも必要とされずただ居るだけの存在となっていたことも知っていたが、黙殺した。黒子が、何か言いたげに青峰を見ていることを知っていても知らないふりをした。彼が、青峰に向かって拳を突き出していることも知っていて見なかったことにした。黒子に対して、とても残酷なことばかりしていたのに、青峰は欠片も疑ってはいなかったのだ。だが、その身勝手な残酷さに気が付いたのは、彼が消えてからのことだった。黒子がバスケ部員全員と一切の関係を断ったどころか、姿さえ見せなくなったことが黒子が負った傷を物語っていた。だが、それでもなお青峰は気付けなかった。消えた黒子に怒りそして、諦めたのだ。
 今にして思えば、青峰はずいぶんと黒子に甘えていたのだと思う。それゆえに、黒子が消えたという事実に誰よりも打ちのめされたのは青峰自身だった。打ちのめされて、いじけて。黒子だけは変わらないと思ったのに、彼は諦めた。青峰はますます失望で埋め尽くし、自分の殻に閉じこもっていった。
 まだ思い出すには、生々しい過去だった。
(また体験するとか冗談じゃねぇ)
 自分のあの状況は、不運も重なったことも今ではわかっている。自分を本来導いてくれるはずの監督が去った。学校の理事たちの思惑が青峰を追い詰めた。自分たちキセキを叱り導いてくれるいい先輩が引退した。他にも色々あっただろう。何よりも青峰自身が純粋すぎたことも要因ではあった。何か一つが悪かったわけではない。様々なことが重なって青峰はああなった。生憎とあまり頭がよくないから、どうしてなったとか。そうすればよかったとかは正直わからない。ただ、わかることはひとつあった。
 二度と繰り返してはならない。と、いうことだ。
 このまま、手をこまねいていたら青峰は開花し、世界は色褪せる。失敗を知っている見だとしても、あの状態にある可能性はあった。では、どうするか。高校まで我慢し続けるほど、青峰の精神は強固ではない。情けないが、元より強ければあんなことにはならなかったはずだ。どこかに捌け口をみつけなければ、遅かれ早かれまた同じことになる。
 ならば、やれることはひとつである。
(部活は諦めるしかねぇ。試合も諦めるしかねぇ。テツは怒るかもしんねぇけど、それなりにやるしかない。相手に全力のプレイを求めれば求めるほど、俺が耐えられねぇんだから、仕方ねぇし。だが、テツは手放しちゃならねぇ。それから火神だ。あいつを探す必要がある。確か中二でこっちに来たとか言ってたな。奴を、探す)
 何となく、あの男とは黒子の取り合いになるような気がするが、火神自身を青峰は気に入っていた。奴は、日本に来てやる気のないバスケ部員に嫌気がさしたらしいから、奴を誘って部活外でバスケを楽しめばいい。あれの性格はよく知っている。強い相手を当たれば燃えるタイプだ。その点、青峰と火神は似ている。青峰が世界に失望しない唯一の方法、それが現時点では火神だった。今は、どうやら二年の夏の大会の前らしい。開花したあの練習試合はどうやらまだのようであった。探すなら今だと思った。どこの中学か知らないし、二年のどの時点でこっちに来たのかも知らないけれど。
(ま、見つかるだろ)
 どうせ、ストバスでちょろちょろしてたら目立つだろうし。青峰は気軽に考えることにした。幸い、彼が住むマンションを知っているからその近所から探せばいい。
 決まれば、あとは動くだけだ。と、思っていたのだが。青峰のない頭で考えた計画は、脆くも崩れ去ることになった。誰が予想しようか。



「はぁ?!」



 見間違えるはずのないその長身。燃えるような赤髪。みつけなければと思った人間が、帝光の制服を着て立っていた。制服が意外と似合っている。とか感想を抱いている場合ではない。何故、いる。何故、ここにお前がいる。
「青峰君、お知り合いですか?」
 黒子が問うが答える余裕もない。絶対にいなかったはずだ。いるはずがない。と、呆然と見詰めていると、相手も驚いたように目を一瞬大きくしてから、嬉しそうに笑った。
「よう、青峰」
 ニッ。と、笑った。少なくても、中学時代にこいつに出会った記憶はない。訝しがる青峰に、さらにニカッ。と、笑いかけてくる。
(こいつ……まさか)
 同類なのか。確かめる意味で、黒子に視線を移すと、彼も黒子をみて懐かしそうに目を細めた。さっきの質問から、黒子はこいつを知らない。と、いうことはやはりそうなのか。
 仲間が、いたのか。その事実に青峰は少しだけほっとした。
「お前、何でいるんだ」
「あ? あぁ、帰国したら何故か転校先がここでよ。俺もどうやって編入試験をパスしたかわかんねぇんだけど」
 今回の俺、実は頭よかったのか。だとしたら、たぶん一気に悪くなったぜ。何しろ授業が全くわからねぇ。と、ずれた心配事を口にした。
「今更だろ。勉強できるお前なんて、気持ち悪ぃ。ところで、火神」
「なんだ」
「バスケは」
 バスケ部に入ってくれたら嬉しいが。青峰の問いに、火神は、んー。と、少しだけ困った顔をしながら、黒子を一瞥し口を開く。
「俺さ、帝光のバスケのせーしんってやつ? 好きじゃねぇんだわ」
 楽しそうに見えねぇからな。と、続けた。
「そうか」
「だが、お前とはバスケしてぇ。ストバス行こうぜ。部活のあとでいいからよ……。えーと、黒子だったよな? お前もどうだ?」
「え」
 青峰の隣で、黒子がびっくりして顔をあげた。声をかけられたことに驚いたようであった。普段ならば、黒子の存在に気づくものはいない。黒子の方から声をかけて、相手は初めて彼を認識するのである。だが、火神は前の世界で黒子の相棒である。黒子を見失うことなど殆どない。
 だが、そんなことを黒子が知るわけもなく、ただただ目を丸くしていた。かわいいじゃねぇか。と、青峰は思った。




「あー……。用事あるならいいんだ。いきなり誘って悪かったな。でも予定がないならどうだ? 楽しいぞ? な?」
 火神は、あの人好きのする笑顔を浮かべたまま、ガシガシと黒子の頭を撫でた。黒子は、びっくりして固まっていたが、嬉しいのと恥ずかしいので少しだけ耳が赤くなった。青峰の知る限り、黒子がこんな扱いをされるのは、彼が高校に進学し火神と出会うまではなかったように思う。青峰が黒子の頭をわしゃわしゃとやるのと、火神のそれは違う。なんとなく、火神のほうが黒子を甘やかしたいという空気に溢れているように思う。だから、黒子は怒らないどころか照れている。こいつは、毎日黒子のこんな顔をみていたのかと思うと少しだけ腹立たしかった。
「痛いです。あ、あの。ボクもいいんですか」
 ボク下手ですよ。と、続けた。パス以外は。と、いうことを会えて黒子は言わなかったが、そんなことは承知の上だ。高校で黒子は成長したがこの時点では黒子が自分で言う通りだ。それは、火神もよくわかっている。だから、怯むはずもない。
「なんだ、そんなことか。だったら、これから上手くなればいいだけだろ」
「!」
 黒子が大きな目を更に大きく見開いた。唇が僅かに震えている。火神は優しく笑った。
「だから、行こうぜ。んで、青峰を一緒にぶちのめそうぜ」
「テメェ、テツは俺の相棒だぞ」
「あの、ボク。火神君のお役に立てますか」
「ああ。だが、役に立つじゃねぇよ。一緒にバスケを楽しむんだよ」
 黒子は更に驚いたようだ。だが、嬉しいようで白い顔を赤くしている。正直、面白くなかった。反面嬉しくも思う。
 青峰がいなくなったあと、間違いなく黒子は火神という存在に救われているのがわかったからだ。新しい光であるだけではない。火神は本当にバスケ馬鹿で、バスケが好きでそして。友達である黒子が好きなのだ。黒子にとって、火神という存在はバスケだけではない光だったろう。そう思うと胸が苦しくなるが、仕方がないのだ。黒子を去らせたのは青峰自身だったのだから。だが、今はまだ違う。だから、青峰は主張する。
「おい、テツは」
「わぁってるって。帝光バスケ部の相棒は青峰なんだろ?」
「はい、あの、どうして君はボクの名前や青峰君の相棒だということを知っているのですか?」
 黒子の素朴な疑問に、火神は凍りついた。
「そりゃ、お前。こ、こいつがな。俺のテツが。テツが。と、煩くて。あー!!! ヤベ。スーパーのタイムセールが始まっちまう。青峰、部活終わったら俺んち来いよ。前と同じだからよ。黒子。お前も来いよな! 飯作って待ってるからよ」
 じゃぁな。と、火神は逃げるように去って行った。残された青峰は黒子に追求されるのかとドキドキしながら黒子を見た。黒子は、いつもの表情のない顔をしている。だが、少しだけ口許が綻んでいるから機嫌がいいのだろう。
「青峰君、彼は火神なんという名前なんですか」
「タイガ」
 字は忘れた。と、言った青峰の隣で黒子は小さな声で火神タイガ君と呟いた。








 部活をやってわかったことがひとつ。中学のこの頃はどんなだったかを考えながらプレーしようとして気づいた。どうやら、青峰は開花どころか逆行する前のままらしい。いや、これはいらなかった。と、思わず舌打ちしたくなる。これでは、今のキセキですら役不足であった。だいたいが、本能でバスケをしているような青峰が、中学時代の自分の実力に合わせようなどとしている時点で、フラストレーションがたまる。しかも、この時期の自分ができるプレーとできないプレーを見極めるなど面倒くさい。
(我慢、我慢だ)
 全ては黒子のためと青峰のためと言い聞かす。
 我慢は苦手であった。だが、今回は出来そうな気がしていた。なぜなら、青峰には発散の場があったからだ。火神である。奴も逆行ならば状況が同じはずだから、相手に不足はないはずだ。たぶん火神は大歓迎だろうし。
 しかし、火神が逆行した挙句帝光か。一体何がどうなっているのか。わかることは、火神が黒子の今後を心配していることだった。バスケ部に入らないのは、たぶん黒子の逃げ場所を作ってやるつもりなのだろう。黒子からではなく青峰が緑間から当時の話を聞いた火神は激怒した。何故、あいつの手を話したんだと怒鳴った。あいつは、今でも特別を作るのを怖がっている。理由は、わかるな。と、火神ははっきりと言っていた。正直、火神の言葉は心に刺さった。緑間だって同じだろう。当時は、何とも思わなかった。いや、思ったのかもしれない。だが、見ないふりをして蓋をした。取り返しのつかないことをしたのは、よくわかっている。青峰自身、周囲の思惑や、一人突出して成長してしまったが為に起きたもろもろの事でいっぱいいっぱいで他人をみるなんてことができなかったのは本当だ。苦しかった。辛かった。大好きだったバスケがあんなにも苦しいものだとは思わなかったぐらいにキツかった。でも、黒子という友達をないがしろにしていいわけではなかった。バスケ以外は全く合わない。だが、青峰にとってバスケは青峰を形成する大部分なわけで、バスケが好きでたまらない黒子との日々は本当に幸せで大切でかけがえのないものだったはずだ。それを何故放置できたのだろうと思う。おそらく、悩み苦しむ弱い青峰を黒子にみられたくなったのかもしれない。彼のまっすぐなバスケが苦しかった。一緒にバスケをすればもっと一方的になるのも嫌だった。誰か俺を負かせてくれとも思ったぐらいだ。一個ではないのだ。複数が絡み合って、青峰は黒子から手を離したのである。




 ため息が出る。後悔なんてものではない。高校へ行った。黒子のいないバスケ部になんでいないだろうと思ったけれど、自業自得だと思った。黒子が誠凛という高校で新しい相棒と一緒にバスケをしていると聞いた。苦しかった。あいつは俺を忘れたのかとさえ思い、そんな黒子に腹を立てた。そして、見た。黒子と火神が一緒に戦う姿を。むかついた。あんな弱い奴じゃ、黒子の実力を引き出せない。と、思って腹が立った。そんな権利はどこにもなかったのに。そして、その弱いと思った相手に青峰は負けた。憑きものが落ちた気分だった。改めて二人を眺めて青峰は思い知った。もう、黒子は自分の相棒にはなりえないのだと。ただ、寂しかった。そして、そこで気が付いたのだ。何もかもが遅かった。どうしようもない恋心。本当に気が付かなければよかった。青峰は小さく笑った。そうして、何かを振りはらうように首を振る。
(火神がテツを気にしないはずはねぇ)
 おそらくこのままで行くと、チームの崩壊が始まる。キセキたちが、開花してゆくからだ。黒子は孤立する。青峰は黒子を孤立させるつもりなど毛頭ないが、他は違うのだ。必ず、そうなる。そうなったとき、黒子は部活が辛くてたまらなくなるだろう。青峰がいたって、たぶんそうなる。そんなとき、火神はあの笑顔で楽しくバスケしようぜと手を差し出すのだろう。黒子は……おそらく火神の手を取るだろう。ここでも、黒子は火神の手を取るのか。諦めに似た感情が湧きあがる。だが、それでもいいじゃないかと青峰は思った。
 黒子を一人占めしたい。大好きだから。けれど、彼が幸せになれないならそうじゃなくてもいいのだ。実に、複雑な感情である。
 中学時代、青峰自身も傷ついた。だが、黒子が味わったそれはたぶん青峰を上回る。黒子は青峰を含めたキセキ全員に振り回された揚句、捨てられたも同然だった。こんな酷い話があるのかと思う。さんざん利用して、不要だからと切り捨てる。ただコートにいる気持ちはどんなだったのだろう。最後の辺りは青峰は黒子と話した記憶が殆どない。バスケから遠ざかりたい一心の青峰には、黒子という存在はバスケそのもの過ぎて避けたいものになっていたからだ。
 消えた、黒子。誰にも告げずに退部した、黒子。それが全てを物語っている。
 淡々と話す赤司をただ青峰は眺めていたように思う。何も考えられなかった。そして、何も考えなくていいとも思った。けれど、それはどうでもよかったわけではなく、一種の防衛本能だったのかもしれない。何も感じなければ、傷つくことはない。だが、黒子はどうだったのだろう。どんな気持ちで一人で去ったのだろうか。それを思うと、今すぐ黒子の元に走って行って抱きしめてやりたい衝動に駆られる。ごめんなさいもうしない。傍にいるからと言いたくてたまらなくなる。でも、それを言うべき黒子はここにはいない。
 やり直したかった。それは高校に上がって、火神と黒子に負けてからずっと思っていたことだった。
(たぶん、テツは火神を好きになる)
 わかっている。それでも、青峰は黒子が好きなままだろう。黒子は知らなくていい。黒子は幸せに笑ってくれたらそれでいいんだ。
 そう、いい。胸が苦しくなるけれど、青峰ができることはそれだけなのだ。だから。



(テツの手を離すな)
 どんなことがあっても。部活で例え赤司に逆らうことになってもだ。
 今度は、間違えない。間違えたくない。火神が一緒に逆行したのはそのために違いないのだ。願うことは一つだけ。




 青峰は、基礎練で死にそうになっている黒子を眺めながら決心した。
(テツ。俺は、いいんだ。これからどうなっても、お前は余計な心配をすんな)
 だから、傍にいさせてくれ。幸せになってくれ。ただ、それだけを願って、青峰は目を閉じた。