*このお話は、バッドエンドではありません。安心してお読みください
いつの日か。 この季節、この場所で。 必ずや 再会を―――。 冬が終わり春が来てまもなく梅雨が来る。そんな合間の季節が政宗はは嫌いではなかった。 心地のよい気温についつい瞼が閉じてゆく。こんな気持ちのよい午後を紙に埋もれて終わってしまうなど、もったいないと思ってしまう。かといって、面倒とはいえ目の前のこれを片付けない訳にはいかなかった。 政宗は筆をぷらぷらと揺らしながら文机に広げた書簡に目を落とした。それから横に積まれた紙の山に顔が引き攣った。 あぁ、面倒くせぇな。 民のために必要なことだとわかっているし、上に立つものの義務であり責任であることもわかっているが、思ってしまう。何故こうも仕事が多いのか。他国も皆そうなのか。この量は政宗を城に縛り付けておきたい小十郎の策略ではないのか。策略ならば、いますぐ脱出を試みるべきではないのか。そうだ、そうに違いない。 「よし…!」 なにがよしなのか。政宗にもよくわからなかったが、とにかく逃げよう。そう、決めた。と、なれば脱出先である。あれもいい、これもいい。と、計画を練っている政宗の目に文箱が目に入った。文箱にしまわれるものを思いだし、彼は顔を緩ませた。その目は彼の常日頃から想像もできぬほどに柔らかだ。 「決めた」 政宗は素早くあたりを伺い、部屋の前に控える護衛を素早く縛り上げると小十郎がもはや神憑り的勘で政宗の脱走を悟る前にと慌てて城を飛び出した。 **** 「まだあった・・・」 政宗がこの場所に前に来たのは数年前である。見事な山桜を見つけたのがどちらが先だったか。そんなことで軽い争いもした。政宗は優しい目で今は緑一色になってしまった桜の大木の幹に触れた。 (感傷的なのはガラじゃねぇな) だが、それもたまには悪くないかもしれない。小さく笑って政宗はそこへ腰を下ろす。穏やかな風が政宗の髪を揺らし、その心地よさに目を閉じた。 ここは、特別な場所だった。大事な相手とここを見つけたのは本当にただの偶然で。二人して、この場所がいっぺんに気に入り。それ以来。二人だけの秘密の場所となった。 彼と過ごした決して沢山あったとはいえ無い時間は、政宗にとってどれも掛替えのないものだった。細やかなことまで、今でも鮮やかに思い出すことができた。自分のようにサボリ癖があるわけではなく、逆に生真面目でまっすぐで正直者で。 しかし、頑固で。一度決めたことは絶対に曲げない意志の強さを持っていた。 そんな彼は、ひどく素直でかわいく。そして、綺麗だった。 だからこそ、なのだろう。 政宗はぼんやりとあたりを見回し、ガシガシと頭を掻いた。 満開の桜の下で誓ったことは今となっては、幻のようだった。 戦国の世。浮き世は、騙し騙されの修羅の世界。その世界に異質な一輪の華。彼は誓いを違えるつもりなど毛頭なかっただろう。政宗はそれがどれほど難しいことか、知った上で黙っていた。 自分がそれをきっと守れないことも。 彼が、それを真田幸村という武将であるからこそ守れないだろうことも黙っていた。 信じたかったのだ。 叶わぬことだと知っていながらも、僅かな希望を捨てたくはなかった。 ずっと共にありたい。 そんなあたり前の小さな幸福すらこの手からは簡単に零れ落ちてゆく。だからこそ、誓いを立てた。 生き急がぬように。 決して、忘れぬように。 生きるとは。 決して一人で完結できるものでは無いのだということを。 誰にではなく、自分に言い聞かせるために。 そうすることで、自分も相手も縛れるようにと。 だが。政宗は、彼が真田幸村であるがゆえに彼がどんな状況になろうとも、手を差し出したりはしなかった。彼が望まないことを一切しなかった。たとえ、それが最愛の人間を失うことになろうともだ。 でも、それでも。 どんな形でも。失いたくはないというのもまた本音で。 せめて、心だけは留めておきたいと思ったのもそのためだ。 ここは、幸村が心を残した場所。 政宗と幸村だけの秘密の場所。 再会を約束したのは、まさにこの場所。 春が過ぎて夏になり。秋がやってきて冬が来る。何度もそれを繰り返す。春になるといつも思い出す。だが、政宗は春だけはここへ出かけなかった。友であり恋人であった幸村と約束した季節には一度も。 行ってしまえば、彼が来ないことが現実となる。 あの日。必ずや会いましょうぞ。と、笑った笑顔はどこにもない。確かめたくはなかった。 ずっと逃げていた。この伊達政宗が、だ。 笑ってしまう。政宗は自嘲気味に歪んだ笑みを浮べた。 天下統一。 その夢は思わぬ形でこの国も政宗も未来を変えた。政宗はこの乱世を生き残り、泰平の世でただ生きている。 彼が正しかったのか、間違っているのか。政宗にはよくわからない。 「なぁ、幸村。俺は、アンタとまた会いたい」 会って。勝負するもよし、馬鹿やるのもよし。なんだったら、幸村の好きな甘味を飽くほど作ってやってもいい。 だから。もう一度だけ。 名を。読んで欲しい。 (女々しいな) 情け無い。 やっぱり来るべきではなかったか。政宗は苦笑いをした。ここにくると、政宗は弱くなる。 (小十郎のやつ。今頃、ヤクザ者も真っ青の形相で俺を探してるな) そろそろ戻らないと、一晩中お説教とかいうこの年齢ではありえないだろう拷問に処せられる可能性がある。政宗は立ち上がった。 土ぼこりを払い、顔を上げた。 その顔は、すぐに驚愕に変わった。 ゆっくりと登ってくるのは、記憶よりも大人びた姿。 旅装束に身を包んだ男は、今も鮮やかに思い出す男と同じ髪の色だった。 彼は被っている傘を持ち上げた。そうして、にっこりと笑う。まったく同じ笑顔だった。 「アンタの春っていうのは、ずいぶんと遅いな」 「政宗殿こそ」 政宗も歩き出す。はじめは互いにゆっくりとそして、だんだんと早くなっていって。 「桜は散ってしまったが、誓いを守りにやってきたでござるよ」 「あぁ。アンタはそういう男だったな」 ニヤリと笑うと、幸村も笑う。 互いに手を伸ばし互いの体を引き寄せた。 しっかりと抱き合って、顔を寄せ合って笑いあう。額をくっつけて政宗は口を開いた。 「覚えてるか? あの時。誓いのあとに俺が言ったことを」 「お、覚えているでござるよ」 幸村が赤くなる。政宗は、赤い幸村の頬に軽く唇を押し付けた。 「 」 再び。あの日告げたことを囁いて、政宗は幸村の唇に己のそれを押し付けた。 終
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