10





春がやってきた。
奥州の山には、まだ春の気配はないが、麓は雪解けが進み、街道をゆくのに差しさわりがないほどに、冬の気配は遠のいた。
武田の忍が書状を持ってやってきたのは、うららかな春の陽気が漂う昼下がりのことであった。
書状は甲斐の虎、武田信玄から。
内容は、見なくてもわかる。真田幸村の帰還に関するものである。
政宗は、それを受け取り。自室でそれを開いた。
やはり内容は、今までの真田幸村滞在の礼とその真田幸村の帰還を願うもの。


(なにを期待した?)
政宗は自嘲気味に笑った。
政宗と幸村の関係を信玄が知るはずもないし、知ったところで有力武将の真田幸村を手放すはずもない。
それに、始めからこういう約定だった。幸村が帰ることは決定事項で、それを自分もよく承知していたはずだ。
だが、ほんの少しだけ。幸村に期待しなかった。と、いったら嘘になる。
だが、それは政宗の叶うことのない妄想であり、事実として起こりうるものではないこともわかってはいた。
(早いほうがいいな)
幸村を早い段階で解放してやらねばならない。元々、捕らえられていたわけではないのだから、堂々と幸村が帰りたい時期に勝手に帰還すればいいのだが、あの男の性格上、そうはならないだろう。
送り出さねばならない。
政宗は、小十郎を呼び必要な準備を命じ、下がらせた。小十郎はなにか言いたそうな顔をしていたが、政宗がそれを許さなかった。


冬中滞在した米沢城を幸村は、まもなくあとにする。
政宗は一人、鍛錬場へきていた。
あの日。体を求め合ったことに、後悔はなかった。そのあとに訪れた蜜月にも満足すれこそ、後悔などはなかった。
ただ、雪解けと共にそれは終焉を迎え。幸村は、政宗のもとを去る。寂しくないはずは、ない。
(だが、俺もあいつも進むべき道がある)
政宗が絶対に捨てられないように、幸村もまた捨てられない。
それが、政宗であり、幸村でもある。





わかってはいた。
理解もしている。





でも、心が理解も理性も超えたところで苦しくなるのは仕方がないことだった。
こんなにも誰かを求めたことが初めてで、正直政宗は今でも戸惑いを隠せないでいる。
(幸村)
触れた肌。唇。すべてを覚えている。だが、これからは二度とそれに触れることはかなわなくなる。
好きとも、愛しているとも、言っていない。
政宗と違って、それは幸村を苦しめると思ったからだ。
だが、一日たりともその気持ちを持たなかったことはなかった。
きっとこれからもそうだろう。
忘れることは、ない。
政宗は、天下を目指す。そのことに迷いはない。
そのために、真田幸村と近い将来対決し、それを破らねばならぬことになったとしても、迷いはない。
だが、それでも。
(離れたくねぇと思うのは、俺が女々しいからか)
気持ちよく送り出してやりたい。だから、ここで心を封じなければ。


政宗は、大きく息を吐いた。
腰からさげた刀を抜く。




ザンッ――――



何もない空間を切り裂く。


ゆっくりとした動作で刀をおさめた。



目を閉じ、再び息を吐く。
それから、目を開いた。


「迷わねぇ」

その声は、もう揺らいではいなかった。











二日後。幸村は、忍につれられて上田へと帰っていった。あっさりとしたものだった。儀礼通りの挨拶を交わし、幸村が残していったものといったら、政宗の手に残る幸村の感触だけ。
(これでいい)
政宗は、なおもなにか言いたそうな小十郎を無視し続けている。言いたいことの想像はついている。だが、政宗はそれを求める気はない。
好きだからといって、互いに好いているからといって。
相手を束縛してはいけない。
ありのままの真田幸村がいい。
束縛してしまっては、真田幸村が真田幸村ではなくなるのだ。
心は、それを求めたとしても。



「・・・俺も、な」
束縛されてはいけない。
大望を前に逃げ出すわけにもいかない。逃げるつもりもない。
政宗は顔をあげた。その顔に迷いはない。
「さて、今年はまずは・・・どこだ」
地図を広げて、扇子でトントン。と、地図を叩く。
手が、甲斐の国で止まった。
その時であった。



「筆頭! 甲斐の虎の使者が来ました!!」
甲斐から。
政宗は一瞬動きを止めて、ゆらりと立ち上がった。
「あの野郎」
右腕の強面の男を思い浮かべ、政宗は苦笑いを浮かべた。
小十郎の、考えそうなことではある。おそらく、政宗に無断で甲斐と連絡をとり、同盟の約定を取り付けているに違いない。
小十郎の独断は許されるべきことではないかもしれないが、政宗も考えていたことではある。同盟を組んでも、悪くない相手ではある。
「会う。待たせておけ」
「はっ」



政宗は、ゆっくりと歩き出す。
自室を出て、廊下を歩き、謁見の間へと足を進ませる。使者の予想はついている。他に適任者はいないはずだ。
ガラリ。と、襖を開けた。



「お久しゅうござります。政宗殿」
「元気そうだな」
「はい」


そこには、真田幸村。行儀よく正座した姿に目を細める。
一ヶ月ぶりの再会。手がぴく。と、動く。それを誤魔化すように政宗は、腰を下ろした。
「用件は」
「お館さまの書状を持参いたした」
「・・・・」
政宗はそれを受け取って、その場で開く。
内容は、開戦の意思か同盟か。それとも・・・。



政宗の左目が驚愕に見開かれ、ククク。と、笑い出す。
「虎のオッサンもやってくれるぜ」
そう言って大笑いをする。
いいだけ笑ってから、政宗は幸村を振り返った。



「アンタ、この書状の内容は知っているか?」
「無論」
その顔が少し赤いのは、政宗の気のせいではないだろう。
政宗は、しゃがみこんで信玄からの書状を幸村の前に落とした。
その書状にはこう書いてある。


甲斐は、同盟を望む。甲斐の国が同盟に足るか、真田幸村を差し向けるゆえ、存分に吟味されよ、と。



「吟味ねぇ・・・存分にしていいらしいな?」
顔をのぞきこむようにしていえば、幸村の頬が今度は明らかに赤くなった。
「・・・・そ、某はその」
モジモジとしだした幸村に微笑を誘われる。政宗は思うがままにふるまうことにした。顎を掴んで引き寄せる。
「んっ・・」
幸村の唇の感触を味わって、離れる。
幸村が、きっ。と、睨んでくる。だが、その目は熱っぽく潤んでいて政宗を喜ばすだけだった。
「吟味。していいんだろう?」
「・・・・・」




赤くなりつつも、しっかりと頷いた幸村に、政宗は再び手を伸ばした。










20.11.14.
これにて完結です。最後が強引ですが。なまぬるくみてやっていただけたらありがたいです。
このサイトを始めたときからの連載でした。長々とやってしまいましたが、終われて満足です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!


※ブラウザを閉じてお戻りくださいね。