Vamp! 〜第8楽章〜

 

 

ユウナは苛ついていた。無意識に右手の親指の爪を噛み、うろうろと廊下を歩き回る。

(くそっ!何なんだアイツは!只の一般人のクセにこの僕に・・・セイラン家、いや、ゆくゆくはこの家の全てを引き継ぐ男だぞ! 多少カガリに気に入られたところで、僕が一言命じれば、あんなヤツあっという間にこの街から・・・いや、この国からだって追い出す事ができるんだ。でも―――)

ふと思い当たって立ち止まる。たまたまカガリの歳に釣り合う者として白羽の矢が自分にたっただけで、もしカガリが他の男と結婚する事になりでもしたら・・・

ユウナがブルッと悪寒に震える。

(あの男は・・・カガリの父親は血族に拘らない。もし、あの生意気な男がこのままカガリの友人から恋人・伴侶へと育っていったら―――)

「っ!!」

暑くもないのに汗が吹き出る。あのアスランとかいう男・・・まだホンの子どものくせに、大人にも負けないような鋭く冴えた瞳で自分を見下した。カガリを傷つけるものを決して許しはしないといわんばかりのあの冷徹な鋭い瞳が、語らずとも自分を圧倒したのだ。このままでは何とか保持している今の立場さえ、簡単に崩れかねない。

「ちっ、どうすれば・・・」

震える体を両腕で抱えたその時、ふっとユウナの頭に何かがよぎった。

「そうか・・・この手を使えば・・・」

満足そうに口角を上げ、ユウナは気配を消すかのように静かにある場所へと歩き出した。

 

***

 

「『けいばつ』っていうんだって。」

「『けいばつ』?・・・あぁ『閨閥』か。」

大きな会社経営者が自分たちの子どもを婚姻させて、より強固な結びつきにすることで会社を発展させていく―――戦国時代、小さな豪族や武将達が姫を人質として相手に差し出し、より家同士の結びつきをすることで生き残りを図ったというあれに似ている。

シャワーを借りたあと、マーナに案内されてきたのは広々とした豪奢な応接間。およそ歓迎ムードでないのにこんな広間に通され、所在なげにソファーの端っこに座っていたところ、髪をタオルでゴシゴシ拭きながらカガリが入ってきた。メイド達が慌ててカガリの後ろからドライヤーやタオルを持って付いてきたところを見ると、普段はメイド達がカガリの身なりを整えているようだ。だがそんな事お構いなしにアスランの元へ駆け寄ったカガリに、アスランは開口一番ユウナとの関係を尋ねたのだった。

「でもお父様は「それがカガリの望みだったらいいけれど、嫌ならそんな事をしなくて良い。カガリは自分で自分が進もうと思った道を進めば良い」って言われたから、全然ユウナのこと気にしてなかったけど。」

メイド達がカガリの身支度を終えたらしく、一礼して引き上げる。その乾いた金髪をサラリと手櫛で流しながらカガリは淡々と答えた。

カガリは気にせずとも、あのユウナという男は明らかにアスランに対して敵意を露にした。カガリを想っているのは自分の方が遥かに上、だからカガリと自分のの関係は、「お前などもはや入る隙もない」ということを必死にアピールしていたのだ。だが今のカガリの話だと、あのユウナがカガリに近づくのは好意だけではない、何か嫌な因子をはらんでいる気がする。ユウナのあのねちっこい視線を思い出しただけで嫌悪が走る。だがそれと同時に閨閥などという関係を結ばされそうになるなんて、カガリの家は一体どんな家柄なのだろう。家の立派さに驚くばかりですっかり忘れていた。

「カガリ」

「うん?」

「君の名前、そういえばちゃんと聞いていなかったけど、本当の名前はなんていうんだ?」

「だから『カガリ』だ。」

「いや、もっとちゃんと名字まで。」

キョトンとしていたカガリだったが「う〜ん・・・」と小首をかしげてしばし考え込むと、思い切ったように言い出した。

「あんまりお父様から「名前を聞かれても名字は答えるな」って言われていたんだけど、まぁ家まで連れてきたんだもんな。ちゃんと言わないといけないよな。じゃあいうぞ。私は『カガリ・ユラ・アスハ』というんだ。」

「!『アスハ』ってあの『アスハ』!?」

アスランが目を丸くして驚く。

無理もない。小さい子どもであっても知っているし、社会科の教科書にだって載っている。世界の工学・化学工業のトップを常に独走し、銀行や経済に大きく影響を及ぼす『オーブ財閥』―――そのトップに立つのが『アスハ家』だ。だったらこんな屋敷に住んでいるのも、迂闊に名を名乗って誘拐などに巻き込まれたりしないような配慮や、『閨閥』という聞きなれない言葉が出てくるのも判る気がする。

「じゃ、じゃぁ、あのユウナも・・・」

マーナが紅茶を持ってきて二人の前に置く。ティーサーバーの中のオレンジペコがゆっくりと揺れ芳醇な香りを広間に届けてくれる。

公園で泥まみれになるまで遊んでいた子と同一人物とは思えぬ程の優雅な手つきでウエッジウッドのティーカップを口元に運びながら、カガリはため息混じりに言った。

「ユウナはオーブ財閥の5大家の1つ『セイラン家』の一人息子。私には良くわからないのだが、セイランは外部と交渉が上手くいかなかったっていって、今、結構大変らしいんだ。」

そういえば父が書斎で話していたのを思い出す。大きな財閥の一角が闇カルテルで取締りを受けた、といっていた。経済破綻を起こしたという名前が確かセイランだったような・・・。ではあのユウナという男がカガリを狙う目的は―――

アスランがふと考え込んだ時、外で「キィッ」というブレーキ音が聞こえた。

「あ!お父様だ!」

カガリがパァと顔を輝かせて応接間から飛び出していく。我に返ったアスランも慌ててカガリの後ろを追っていくと、玄関ホールに豊かな顎鬚を蓄えた男性が一人笑顔でカガリの頭を撫でていた。

「ただいま。カガリ。いい子にして待っていたか?」

「うん!」

満面の笑顔のカガリがその男に抱き上げられると、ふと男はアスランに気がつきそっちを見やる。

アスランに緊張が走る。

そうだ何度もテレビで見たことがある。財閥の長であり、政界にも通じているカリスマ的存在―――

「こんにちは。君が『アスラン君』だね?」

「は、はい。」

緊張して口が上手く回らない。そんなアスランに笑顔で近づくと、その男は手を差し出した。

「初めまして。私がカガリの父『ウズミ・ナラ・アスハ』だ。」

 

***

 

 

「そうか。随分とカガリがお世話になったようだね。」

大きな大理石のテーブルに食台の火が温かく灯る。上座にウズミ。右にカガリ。その向かいにアスランが座り夕食をともにしていた。

すぐに帰るつもりだったが、ウズミが「カガリの家庭教師代だ」と笑って夕食を共に摂る事を勧めてくれた。アスランが親に内緒でここにきていることを言いよどんでいたところも、ウズミは察したように「そのニコル君の所から帰宅する途中雨が降ってきたので、帰る途中にあった友達の家に雨宿りさせてもらった、と言えばよいだろう。ちゃんとお家に送り届けるから大丈夫だよ」と言ってくれた。アスラン同様、難しい家柄だからわかってくれたというだけでなく、ウズミはちゃんと子どもの心を汲み取ってくれる。カガリが温かい性格に育ったのもそのためだろう。

「そう!アスランってすごいんだ!勉強も良くできるし、運動だって私とかけっこしたって同じくらい早いんだ!」

カガリがまるで自分の事のように興奮しながらウズミに伝える。ウズミは一言一言に頷きながら笑む。

そういえば自分は父にこんな風に話したことはあっただろうか。

「どうしたんだね?アスラン。」

ウズミがワイングラスをそっと置きながらアスランを見やった。憧れのカガリが褒め称えてくれる照れくささと緊張が重なって、アスランはオレンジジュースの入ったグラスを両手で包みながらぼそぼそと答えた。

「いえ、僕は大したことなんてないです。父に褒められた事だってないし・・・」

「そんな事はないよ。アスラン。君の父上『ザラ警視』は君の事をとても褒めていらっしゃった。」

「え?」

意外とも取れるウズミの言葉に、アスランは思わず顔を上げウズミを見ると、ウズミは頷きながらアスランに語った。

「数年前になるかな・・・あるパーティーで君の父上にお会いした時、君の事を嬉しそうに話してくれたよ。「息子は大人しいが頭がよく、思いやりがあって、人のためにできる事を真剣に考えられる子だ。私以上にあの子はこの仕事に向いている。後を継いでくれればこんなにうれしい事はない」とね。」

「父が・・・ですか・・・」

知らなかった。何時だって厳しくって褒められた事がなかった。自分は父の望みにかなう子ではなかったのでは、といつも不安でいっぱいだった。その父が褒めてくれたなんて・・・

「僕は、父の喜ぶ事は何一つできていないと思っていました。ううん、父どころか誰の役に立つこともできないのではと・・・」

「いいかい、アスラン。」

ウズミは席を立つと、いつの間にか翡翠からハラハラと涙を溢れさせていたアスランの傍により、膝を突きながらアスランの頭を撫ぜ言った。

「生まれてきたということは、きっと「誰かのためになる」からこそ生まれてきたんだ。その「誰か」は今までに会った人かもしれない。これから出会う人かもしれない。もしかしたら人間ではなく動物や鳥かもしれない。でも、それでも「命の役に立つ命」として生まれてきたんだ。だから決して自分を引け目にしてはいけないよ。」

「はい・・・」

嬉しかった。初めてカガリに出会ったときと同じように、心の中が温かくなった。

「お父様私は!?私も誰かの役に立てる!?」

「もちろんだよ。」

カガリも同じようにしてアスランの傍に駆けより、ウズミの膝をゆすると、ウズミがカガリの頭も撫ぜた。

「さ、席について。折角の食事が冷めてしまうといけないね。コックが腕を振るって用意してくれたのだから。」

「コックさんは「私たちに必要な人」なんだね!」

ウズミの言葉にカガリが聞けば、ウズミは強く頷く。

「じゃぁマーナも私には大切な人!」

「まぁまぁ姫様ったら・・・」

傍で給仕をしていたマーナが思わず目を潤ませる。

「そしてアスランも「私の大事な人」だ!」

「え///」

不意を着かれ思わず顔が赤らむ。ウズミはそんなアスランに向っていってくれた。

「そうだな。カガリにとっての大事な大事な友達だ。アスラン。これからもカガリと仲良くしてあげてくれるかな。」

「はい!」

今までで一番力強い返事ができた。

外の雨は一層激しく窓を叩いているが、この部屋だけは温かく優しい光に包まれていた。

何時の間にか緊張が和らぎアスランも笑顔で会話に加わっていた。だが

「あの・・・そういえばテーブルにもう1つ席が用意されていますが・・・」

ようやく周りが見え始めたアスランがテーブルを見れば、カガリの隣の席にもう1セット、デニッシュの上にたたまれたままのナプキンと、傍らにカトラリーとグラスが伏せて置かれている。

「それはユウナ様の分でございます。」

マーナが恭しく答える。

「ユウナは呼んだのか?」

「はい。ですがアスラン様がご一緒であるなら、自分は遠慮するとおっしゃって・・・」

「またか。あの子もどうにも自分本位で困ったものだ。」

ウズミがため息をついた。セイラン家の不始末は当然ながらオーブ財閥全体への被害に及んだ事だろう。普通であれば顔向けする事など到底できないだろうが、アスハ家にこうして出入りしているところを見ると、カガリ―――ひいてはアスハ家のもつ財産がどうしても必要らしい。

「私が呼んでくる。」

カガリがナプキンを取って椅子から飛び降りた。

「いいえ姫様。私が―――」

「マーナはお客さんがいるんだからダメ! 「アスランをもてなすのに必要な人」なんだから。それに私のほうが階段駆け上がるの早いぞ!」

そういうや否や、カガリはあっという間にダイニングから消えた。

「もう姫様は・・・」

「ははは。流石のマーナもカガリの足には敵うまい。」

ウズミがビロードのような濃い赤紫のワインをマーナに掲げた。

「あの・・・ウズミ様」

「なんだい?アスラン。」

「カガリさんは、その・・・ユウナさん、とは・・・」

「気になるところかね?」

アスランは俯きながらそれでも頷く。

「あの子にも言ったが、カガリには自分で自分の道を決めて欲しいのだ。家を継ぐならそれでも良い。ユウナのことを好いているならそれもあるだろう。だが「これが一番自分に適している」、それこそ「自分が役に立つために生まれてきた意味」を見出せる人生を選んだなら、私はそれを喜んであげたい。君も同じだ。きっと君の父さんもそう思っているはずだよ。同じ父親なのだからね。」

「はい。」

「カガリは訳あってなかなか外に出してやれないし、そうすると外の世界は自分で触れる機会がない。もちろん会える人も限られてくるし、人間的に片輪にならないか非常に心配だった。だが君のようないい友達ができてよかった。カガリをこれからも頼むよ。」

「はい。」

ウズミが満足げに頷く。その時

 

「ガシャーーーン!」

「あぁっ!」

 

何かが砕け散るような物音がアスランの耳に響く。続いて今まで聴いたことなどなかったカガリの悲鳴。

(―――カガリに何かあった!?)

「カガリッ!」

アスランはナプキンを放り投げると、誰よりも早く無我夢中でダイニングを飛び出した。

 

 

 

・・・to be Continued