Vamp! 〜第七楽章〜

 

 

アスランが待ち焦がれたその日、アスランの浮き立つ気持ちとは裏腹に、朝から太陽がご機嫌をそこねた空模様だった。

アスランが夕方の公園に駆け込んだ時、既にカガリは公園の藤棚の下にある備え付けの木製テーブルに腰掛け、足をブラブラと揺らしながら時間を持て余していた。

「遅いぞ、アスラン。」

「ごめん。ちょっと出てくるのに手間取って。」

がんじがらめの生活であっても遊びの時間はある。ただ日曜日に出かけるということは当然ながら父母の目にとまるわけで、万人の子どももそうであるように「外に行く」といえば「どこへ行くの?」と聞かれるのは当然のことだ。

まさか「公園で知り合った名前以外何も知らない子のところ」等と答えたら、それこそ当たり前のように外出を止められるだろう。

そこで「ニコルのところ」と挙げた名前は同じ塾の友人だった。ニコルは名を知られた名門アマルフィー家の子で、彼の家柄は父母も良く知っている。前もってニコルに口裏を合わせてもらえるよう頼んでいたのだ。

「行ってらっしゃい。」と母の笑顔に見送られ、無事に外出できた事にほっとしながら時計を見たら既に約束の刻限ギリギリだった。普段が車で移動していただけに、自転車では時間がかかると思って余裕を見ていたが、結果はカガリのご機嫌を少し損ねたようだった。だがカガリはそんなことを引きずるような子ではない。すぐ笑顔になって、

「ほらここ座れよ。」

同じく木製の古びた椅子の上に積もっていた砂を払いのけ、自分のすぐ隣の席を勧めた。

「あ、うん・・・///」

変だ・・・塾でも学校でも隣の席が女の子になることは当たり前にあるが、何故かカガリの、しかも触れ合うくらい近くだと思ったら、急に顔が火照って心臓の音がすごく大きい。

ちょっと遠慮しながら座ってみたが、カガリはそんなアスランの様子に気付きもせずに、すぐにノートを開いた。

「ここ。この文章問題がどうしてもわからなくって・・・」

カガリが本当に困った時には意志の強そうな眉が下がる。よく見て欲しいと言わんばかりにアスランの前にノートを差し出しながら、ぴったりとくっついてくる。よほど何度も書き直したのか、下敷きを挟まなかったノートにテーブルに使われている木の年輪のボコボコが、そのまま鉛筆書きの文字に添って浮いていた。だが、くっつかれたアスランは、そんな事はどうでもいいほどドキドキする音が高鳴る。思えばこんなに誰かと触れ合った事なんてあっただろうか。

「だ、だからここは・・・」

「うんうん!」

やや緊張気味の説明も、カガリは真剣に聞き取ってノートに書き込んでいく。

と―――

<ポツ・・・ポツポツ>

落ちてきた雫がノートに滲んだ。

「あー降ってきちゃった。」

カガリが恨めしそうに空を見上げた。天気予報から見てギリギリ空も我慢してくれていたようだがついに耐え切れなくなったらしい。

「これじゃ続きはできないな・・・」

カガリを宥めようと思ったアスランだが、折角の楽しい時間にまさしく「水を差されて」むしろカガリより恨めしそうな声をあげてしまった。

だがその時、

「だったらウチで続きをしないか?」

カガリからの思わぬ提案に、アスランはポカンと口を開いて驚く。「カガリ」という名前以外、名字も彼女の家がどこにあるのかもさっぱり知らない。今更だが彼女がいてくれるだけでよかったのだが、こうして彼女自ら彼女自身を教えてくれると思うと、嬉しさと緊張が、今まで経験した事がないほど高鳴った。

「いいの?」

「うん!アスランの家はここから少し遠いって聞いていたけど、私の家はすぐそこだから。こっちだ!」

言うが早いかノートと筆箱をさっさと鞄にしまいこむと、カガリは鞄を傘代わりにして走り出した。

「あ、待って!」

アスランも傍に停めていた自転車を引っ張りながら後を追った。

カガリはアスランがいつも入ってくる表通りに面した正面入口ではなく、反対側のドウダンツツジの茂った裏口へ走っていく。いつも正面口しか通った事がなかったから今まで気にしなかったが、カガリの向った公園の裏口の先は鬱蒼とした森だった。

都会のど真ん中にこんな大きな森があるのも信じられなかったが、その森の奥に続くほの暗い小道を迷いもせず、カガリはどんどん先に走っていく。雨模様の薄暗さに加えてこの深い森。アスランは一体今どの位走っているのか見当がつかないが、カガリはまるで夜目が聞いているかのように進んでいく。逸れないように必死に後を追っていく。すると

「ここが私の家だ。」

足を止めたカガリ。その指さした先を見上げてアスランはまたもポカンと口を開けたまま驚愕した。

自分の身長の軽く3倍はあろうかと思う鉄格子の門。そしてその先には広々とした芝の庭があり、その奥にどこかのテーマパークにあった「西洋のお化け屋敷」みたいな大きくて重厚な屋敷が聳え立っていた。

カガリが「えい!」とばかりにジャンプし呼び鈴を鳴らすと、<「お帰りなさいませ」>とどこからか声が聞こえた。鉄格子の門の横を見れば、カメラがこちらを見つめている。やがて<ギギ・・・>という重そうな音とともに門が自動的に開いた。

「こっちだ、アスラン。」

自転車をその場におき、アスランはキョロキョロと周囲を見渡しながらカガリの後ろを付いていくと、益々屋敷の大きさが実感できる。アスランの家も近所のなかでは一番大きな家だがまるで次元が違う。「お化け屋敷」と想像してしまったが、いつぞや見た童話の「眠り姫」のお城と形容した方がいいだろうか。

「お帰りなさいませ。」

玄関の前ではメイド達が一列に並んでいた。心持ちふくよかな年配の女性が先頭にたって一礼すると、並んだメイド服の女性たちも、ワンクッションおいて綺麗に深深と頭を下げた。だが年配の女性は頭を上げたとたん、カガリに向けた笑顔とはまるで逆にアスランに厳しい視線を向けた。他のメイド達も訝しげな表情を遠慮もなくアスランに向ける。

まるでお姫様を守る女性騎士のように。

「姫様そちらの方は・・・」

控えめな声で女性が尋ねると、カガリは屈託もなく笑顔で女性に言った。

「ただいまマーナ!こいつが「アスラン」だ。いつも話しているだろ?私の大事な友達だ!」

だが「マーナ」と呼ばれた女性は、明らかに困ったような表情で「あらあらまぁまぁ」と小首をかしげる。

「姫様いつもお話しておりますでしょう。こちらにはどなたもお連れしてはならないと。」

歓迎ムードではないこの状況に、アスランはすぐに自身が迷惑な存在と悟った。こういう雰囲気は何度も経験している。父に連れられ大きな何かのパーティーに出かけたとき、イザークやディアッカ達同じ学友の親に挨拶する時だ。自分の方が明らかにエリートという印象を植え付け、他の子と我が子を比較し合う。常にトップの成績から落ちた事のないアスランは、相手の親が褒めちぎったとしても、その言葉の裏にある心がいつも垣間見えてしまう。

―――(あなたさえいなければ私の子が一番なのに・・・)

アスランが俯きながらキュッと唇をかむ。だがその時

「嫌だ!」

その力強い声にアスランが顔を上げてみれば、カガリがワナワナと全身を震わせ、真っ赤になりながら必死にマーナに訴えていた。

「アスランは私の大事な友達だ!私がお父様がいなくって、いつも淋しい時に一緒に遊んでくれたんだ!勉強もだけど外に出られない私に、私の知らない世界をアスランがみんな教えてくれたんだ!アスランは私の恩人なんだ!そんな大事な人を傷つけること言うなんて、私が許さない!」

カガリの大きな金の瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。それを見てアスランも何故か涙が溢れ出した。

がんじがらめで牢獄に繋がれたような生活をしているのは自分だけだと思っていた。でも本当はカガリのほうがよほど自由のない生活を強いられてきたのだ。それなのにそんな苦しさをおくびにも見せずに、励まし、傍にいてくれたのだ。

 

―――何て彼女は心が広いのだろう・・・

 

涙を零す2人に、マーナもついに折れたのか、ため息とともにドアを開いた。

「わかりました。お二方とも随分お前に濡れたご様子ですから、風邪を引かないように、今、タオルと着替えをお持ちいたします。但し―――」

マーナは急にアスランに向って厳しい視線を投げた。

「私がご案内するお部屋以外は、絶対お入りになられませんように。よろしいですね。」

穏やかに聞こえるも、どこか厳しい語意にアスランは強く頷くしかなかった。

 

 

「わぁ・・・」

玄関ホールにたたずんだアスランは、天井を見上げ驚きの声を上げた。

玄関ホールは3階まで見通せる吹き抜け。赤い絨毯はホールのみに限らず、そこから続く階段や廊下まで敷き詰められている。

ホールを照らすシャンデリアは、まるでオペラ座の怪人にでも出てくるような豪奢なものだった。

「本当にお姫様だったんだ・・・」

多くの召使にかしずかれ、豪華な屋敷に住む彼女。悪者に狙われないように屋敷の奥深くで育てられているカガリはまさしく「お姫様」だ。といっても・・・

「おーいアスラン。お前もシャワー使えよ!マーナが案内してくれるからさ。」

階段の踊り場から乗り出して叫ぶ彼女は、泥んこが跳ねた靴下に、Tシャツと短パンといういでたち。「お姫様」とは全く180度真逆でしかないが。やはり「眠りの森の姫」より「眠りの森の王子」・・・というかやっぱり「ガキ大将」だ。

「あはは。」

「何だよ。さっきは神妙な顔してたのに、今度は笑って。」

カガリがむくれながらアスランの元へ駆け寄った。

「ごめん。でも良かったのかい?無理に言ってお邪魔して。」

「大丈夫だ。お父様だったらきっと許してくれるさ!」

カガリも笑顔を取り戻して2人で笑いあう。

だがそんな2人の和やかな空気を、一人の男の声が引き裂いた。

「カガリ〜♪ ようやく帰ってきたのかい?待ち焦がれたよぉ〜v

2人して声のした方を見れば、2階からやたら派手なスーツに身を包んだ紫色の長髪の・・・アスランとカガリから4・5歳ほど年上だろうか、という優男が、まるで優雅に舞台に降りる男優がごとく、長い前髪をかき上げながらゆっくりと降りてきた。

「何だよユウナ。来てたのか。」

カガリが感情の欠片もなく、寧ろ呆れるような声で言うと、「ユウナ」というその男は、アスランなど眼中にない、とでも言わんばかりに、更にカガリの傍によりアスランとの間に割って入った。

この男がカガリが以前言っていた「それっぽい」遊び相手だろうか。安物の香水のニオイがぷんぷんする。

「決まっているだろ〜?だって君は僕の婚約者なんだから。毎日だって会いたいさv

―――『婚約者』!?

アスランが愕然とする。それと同時に心の中に釘でも打ち付けられたような激しい痛みを感じる。

「やめろよユウナ。そんなこといっても別に私のことなんか好きでもないだろ。ただお前のお父様から私の相手をするように言われているだけじゃないか。」

「何言っているんだよカガリ〜。僕は本当に君の事を好きで、自分を犠牲にしても守りたいと思っているんだよ〜。そう・・・こんなヤツからね。」

そう言うがユウナが斜め上から敵意剥き出しの視線でアスランを見下ろし、カガリの肩を抱き自分に引き寄せようとする―――

「やめろ!」

自分でもわからない衝動だった。年上のものに対し礼儀をわきまえる様、何時だって両親に教えられてきたのに、このときのアスランは一瞬のうちに火がついたように、カガリを自分の背後にしてユウナの前に立ち塞がった。

「な、何するんだ!このガキ―――」

ユウナがアスランに拳を振るう。だがアスランはユウナの拳を軽くいなすとその手首を掴んだ。

「くっ!この―――」

ユウナがアスランの顔を睨みつけるが

「―――っ!」

ユウナは怯んだ。自分より年下の只の子どもだ。なのに何だ、この瞳は・・・鋭い翡翠がユウナの敵意を貫く。冷徹な瞳と子どもとは思えぬ力にユウナは恐れをなした。

「と、ともかく君は部外者だ!さっさと帰るんだな!」

捨て台詞を吐くと、恐れをなした犬のように、ユウナは踵を返してさっさと階段を上っていった。

「アスラン大丈夫か!?」

「あぁ大丈夫だ。」

正直自分でも驚いている。あそこまで感情的になる自分がいたことにアスランは初めて気がついた。

「でもあんなに強く握って痛かっただろ?」

そういいながらカガリが小さな柔らかい手でアスランの手を包み、フーフーと息をかけて摩ってくれる。

するとアスランは、ユウナと対峙したときとは別に、心臓がまたも高鳴る。

この今まで感じたことのない高鳴りは、カガリに対してだけ起こることを確信したとき、アスランははっきりと自覚した。

 

 

自分が、カガリに「恋をしている」ということを―――



・・・to be Continued.