Vamp! ~第五楽章~

 

 

母と子2人きりにしてはやや広すぎるダイニング。レースのカーテンから注ぐ柔らかな日差しと、淡いイエローのクロスのかかったテーブルに添えられた黄色の薔薇が、この空間を温かく演出してくれているおかげで思いのほか会話も弾んだ。

元々物静かな方であるアスランだが、母の手作りである好物のロールキャベツを久しぶりに味わい、母の気遣いに心から感謝していた。

「これ、よかったらカガリちゃんにも持っていってあげて。といってもお店のとは違ってお勧めできるものではないんだけど。」

「いいえ、母上のロールキャベツは絶賛です。きっとカガリも喜びます。」

包みを受け取ったアスランは、母の笑顔に見送られ自宅を後にした。道路まで出て手を振る母。今度はこの笑顔に迎えられる日は何時になるだろう。父と自分の距離と時間を考えると、家族でありながら何故か心寂しく感じる。

 

ハンドルを切りながらアスランはふと子どもの頃を思い出す―――

 

物心ついたときアスランの人生は既に父パトリックの手の中だった。

この館の高い鉄柵と大きな門扉に閉ざされた中だけが、アスランの知る世界だった。

同じ年頃の子ども達が遊びに夢中になっている時間、アスランといえば語学・数学・体育などの英才教育を施され人生が約束された難関大学附属の幼稚舎に入園していた。

無論幼稚舎と家との往復は運転手が送迎し、門から門の移動で外の空気も音も知らず、帰宅後も、日が暮れ辺りが暗くなってからも運転手の付き添いの元塾通いの日々が続いた。

最初はそれでよかった。テストで100点を取ったとしても成績順で一位をキープしても父は「当たり前」のように無表情であったが、母は毎回アスランの頭を撫ぜ喜んでくれた。

「母のために」―――それがアスランの生きる理由だった。

しかし年齢が両手の指を使って数えなければならない頃になると、何か心の中にモヤモヤしたものが現れた。

幼稚舎でも学習塾でも話す事のできる仲間はいたが、一皮向けば皆ライバルばかりだ。特に常に学年トップを独走するアスランに対しては、幼い分だけ素直に敵意も剥き出しだった。

心を埋め合える存在が無いまま、アスランは苦悶の日々を漫然と過ごしていた。

 

―――そんなある時だった。

 

既に日は落ちた夕間暮れ。いつものように塾へ向う車の中から何気なく窓の外を眺めていた時だった。

(―――?)

子どもの姿などとうに消えたはずのその暗い公園に、さっと淡い金の光が走るのがアスランの翡翠に映った。

(―――なんだろう・・・今の・・・)

まるでいつかの絵本で見た深海を泳ぐ一匹の金の魚のようだ。

いつもならわき目も振らず余計な事は考えないようにと父から叱責されているアスランだったが、何故かこの光が気になって仕方がなくなった。

暗黒にきらめく宝石。それはまるで毎日色のない日々を過ごしている自分の世界に差し込んだ光のようで、不思議なほどドキドキと鼓動が高鳴り、その日の晩アスランは全く眠ることができなかった。

そしてアスランは毎日車窓からこの光を追い求め始めた。

 

この光を捕まえたら・・・もしかしたら自分の世界もまぶしく照らしてくれるのでははいだろうか。

 

そんなある日、ついにアスランはその公園に光を見つけると運転手に言った。

「ごめんなさい。ちょっと気分悪くなったから降ろしてください。」

「え!?ぼっちゃま大丈夫ですか!?」

アスランにもし何かあったらまるで自分の首が切られるとばかりに運転手が素っ頓狂な声をあげたが、アスランは口を押さえる振りをしながら運転手に言った。

「大丈夫。ちょっと公園で休んでいく。塾はもう目の前だから帰っていいよ。」

「し、しかし、ぼっちゃんに万が一のことがあったら、私は旦那様に何と説明したらいいか・・・」

「僕の言う事が信じられないの?アデス」

アデスは一瞬ひるむ。流石はザラ警視の息子だ。こんな幼くして発言に有無を言わせない鋭い威圧感がある。溜まらずアデスは言った。

「ともかく怪しい方がきたらお手持ちのブザーを鳴らしてください。そして携帯のGPSも。くれぐれもお気をつけ下さい。」

「ありがとうアデス。」

そういってアスランは走り去る車を見送ると、鞄を引っつかんで勢い良く走り出した。

(会いたい―――金の光!)

ハァハァと息が切れる。それでもアスランは走りをやめず、暗い水底のような公園に滑り込んだ。

 

フワ・・・

 

(ハァハァ―――!?)

アスランが思わず息を飲む。

緩やかな金の光がアスランの存在に気がついたかのように、こちらに向ってくる。だがアスランに不思議と恐怖感はわかなかった。

(―――っ)

フワリと柔らかな光とともに現れたのは、アスランと同じ歳くらいの子ども。その見事な金髪が月の光を受けてサラサラと靡く。アスランの見ていた光はこの子どもの髪だったのだ。

「お前誰だ?」

髪と同じ色の瞳が興味深げにアスランを覗き込む。

「え?あ、その・・・」

こんな時間に光も差さないような公園に子どもがいるとは夢にも思わず、アスランがたじろぐ。一瞬幽霊かとも思ったが、着ている短パンにもTシャツにも泥んこと枯葉があちこちについている幽霊なんていないだろう。しかもこんなにストレートに顔を見られたのも質問されたのも初めての経験だった。その緊張が思わぬ形で現れた。

「き、きみこそこんな遅くに公園なんかで遊んでいていいの?お父さんに怒られない?いくら男の子だって暗いところでいつまでも遊んでいたら悪い人に掴まっちゃうよ!―――あ・・・」

言ってしまってから口を塞ぐ。両親にいつもされているお説教を初めて会った子どもに言ってしまった。初対面の挨拶は大事とも両親からきつく言われていたのに、まさか名前を言う前にお説教したら、この子もさぞ気分が悪いだろう。

案の定ワナワナと目の前の子が震えだした。するとやや涙混じりになった金の瞳がキッと強い視線でアスランを見上げて怒鳴った。

「私は『女の子』だっ!」

「え!?」

またもアスランは驚く。どう見たって近所のガキ大将(?)的なルックス。というかアスランの周りにいる女の子といえば、おっとりとして清楚、ちょっとヒールの高いエナメルの靴を履いた、レースたっぷりのドレスやワンピースを着ている。そのイメージの女の子と目の前にいるやんちゃなそうな子が、どう見ても同じ属性に繋がらない。

「いい加減にしろよな、お前ら!」

「『お前ら』・・・?」

複数形になっている辺り、たぶん今までにも何度かこうして勘違いされた事があるのだろう。自分だけじゃなかったということと、何故かこの子の前では正直でいてもよい、という安心感が根拠もなく生まれ、アスランは思わず笑った。

「あははは。」

「何だよ!何が可笑しいんだよ!?」

「いやごめん。あまり経験がなくってね。」

「全く・・・変なヤツだなお前。」

そういって金髪の少女はアスランを背にすると、幾つも連なっている遊具のタイヤの上をポンポンと軽やかに飛び始めた。

むしろアスランにとっては少女の方が変なヤツに見えるのだが。しかし笑いかけて先ほどいきなりお説教始めた事にハッと気がつく。さぞかし気を悪くした事だろう。

「その・・・怒っていないのか。」

「何が?」

恐る恐る尋ねるアスランに、あっけらかんとその少女は言った。

「その・・・いきなり注意したりして・・・気分悪くしたかなって・・・」

「別に怒っていないぞ。むしろ嬉しいくらいだ?」

「は?」

全く想像していなかった返答に、またもやアスランは驚く。だが少女は殊更何もないように軽やかに言った。

「だってそれって「私のため」を思って注意してくれたんだろう?相手のことを思ってしてくれたことはうれしい事であって、なんで怒らなくちゃいけないんだ?」

「あ・・・・・・」

何だろう・・・何か深い胸のつかえが急に流れ出し、それが瞳から溢れ出した。

(―――自分の言葉を喜んでくれる人がいた―――)

今までそんな事を言ってくれた人は、母以外何人いただろう。

初めて出会ったばかりの少女。彼女はあっという間に自分の存在意義を認めてくれた。

(―――僕がいることは・・・無意味じゃなかったんだ―――)

「どうしたんだよ、お前。急に泣き出して。私、何か悪いこと言ったか?」

慌ててタイヤから飛び降り、アスランにハンカチを差し出した少女。アスランは何度も顔を横に振った。

「違う・・・僕も・・・嬉しいんだ。」

「そっか。」

少女が元気よく頷く。アスランの言葉の意味をどこまで察したのかは理解できない。でもこの少女がアスランにとって何者にも変えがたい存在になった瞬間だった。

アスランが手で何度も涙を拭い、ようやく少女と真っ直ぐ視線を重ねられた時、少女が笑顔で右手を差し出した。

躊躇するアスランに少女は言った。

「『カガリ』だ。お前は?」

「・・・『アスラン』。」

アスランが同じように右手を差し出し、しっかりと握手する。

 

 

これがアスランとカガリとの運命の出会いだった。

 

 

・・・to be Continued.