(一体、何がどうなってんだよ!?)
つい先ほどまで普通に会話をしていたはずのルナマリアの変貌に、シンの頭はパニック状態だった。
「シン、ルナマリアはお前に任せる!」
その声にようやく我に返るシン。
「って、ちょっと待って、レ―――」
だがシンは言葉を飲み込んだ。レイが向かった先には、街中に轟く悲鳴と奇声の中、ルナマリアと同じように呻き、暴れだす者達がシンの視界に入りきらない程、溢れかえっている。
(どうすりゃいいんだよ!?ルナ一人だってこの様なのに??)
だが刑事たるもの、この状況を見過ごすわけにはいかない。先ずはルナマリアに正気を取り戻してもらわないと―――
「ルナ!しっかりしろよルナ!!」
「ウァアアアアーーーーー!」
何とか羽交い絞めしようとするシンの腕を、恐ろしいほどの力で振り払う。
「お前、いつからこんなに筋肉鍛えていたんだよ!?」
そう文句を言っても、本人の耳にはまるで入っていない。シンを振り払ったルナマリアは、先ほどまでシンが椅子代わりにしていたガードレールを蹴りだす―――一瞬でそれは熱せられた鉄のようにグニャリと曲る。あの力で自分に向かってきたら、シン一人で太刀打ちできる自信がない。
こんなことだったら、もっと柔道の鍛錬きちんとやっておけばよかった、と思っても後の祭りである。
(こうなったら…)
「ルナ、ごめん!」
名を呼ばれて一瞬無防備に振り向いたルナマリアのみぞおちに、シンが拳を食らわせる。
みぞおちの位置に腹腔大動脈が走っている。一瞬その流れをせき止めることでショック状態、つまりは失神させることができるはず、だが
「―――っ痛ぇーーー!」
まるで分厚い鉄板のようなルナマリアの腹筋に、シンの拳は全く持って歯が立たない。
それどころか
「グァアアアアーーーーーッ!」
ルナマリアに押し倒され、そのまま首を締めあげられそうになる。
「一体…どうしたんだよ…ルナ…」
無意識にレイの助けを乞おうとするが、赤い瞳には必死に暴動から一般市民を安全な場所に誘導しようとする彼の姿が映る。彼の行動が正しいことはすぐに理解できた。これでは助けは呼べない。
(何だよ…俺、こんなところでルナに殺されるのかよ…)
ギリギリとルナマリアの細い手が、シンの首に食い込む。
万事休す―――と思われた瞬間
「ウゥゥーーー……ぁ……」
首にかかっていた力が抜ける。するとルナマリアがシンの上に崩れ落ちた。
「え…ルナ…?」
恐る恐るシンはルナマリアの頬に触れるがビクともしない。ゆっくり起き上がってみれば、ルナマリアは意識を失っている。
「どういうことだ…?―――って、レイ!」
「大丈夫だ。人的被害は最小限に食い止めた。」
どうやら噛みつかれたのか、引っかかれたのか、レイの手先から血が滲んで滴り落ちている。
まだ騒ぎの余韻の治まらぬ中、街中は暴動者たちによって荒らされた看板や品物が道に散乱しており、そこにはルナマリアと同じく意識を失った者たちが、バタバタと倒れ込んでいる。さらにまだパニックが治まらず逃げ惑う者や、物好きが現場の動画を捉えている。酷い惨状だ。
「とにかく救急車だ。お前は本部に連絡しろ。」
「あ、うん、わかった!」
レイの冷静な指示に、シンは慌てて携帯を掴んだ。
「一体どういうことだ!?暴動を抑えに行ったにもかかわらず、自分が暴走した、だと!?!?」
緊急に本庁に報告に戻ったシンは、ルナマリア並みにイザークに首根っこを掴まれガクガクと揺すられる。
「おいおい、お前が暴走してどうするんだよ?落ち着けって!」
「落ち着いてください、イザーク!まずは状況整理からですよ!」
後ろからディアッカに羽交い絞めされ、前からはニコルに押さえつけられ、ようやくシンが解放される。
「ゲホッ、ゴホッ、すいません、俺も全く何でこんなことになったのか、さっぱりわからなくって…」
ルナマリアを助けることができなかった後悔だろうか。落ち込むシンをディアッカがとりなす。
「まぁ、そりゃ、まさかあのホーク姉が巻き込まれるどころか巻き込む側になるなんて、思いもしないわな。…で、今ホーク姉は?」
「病院に運ばれて手当てを受けています。妹が今、そちらに向かいました。」
シンに代わって答えたのは、医務室で手当てを受けて戻ってきたレイ。手には包帯が巻かれている。
「レイ!大丈夫か?」
「あぁ、少し引っかかれただけだ。もう血も止まっているし問題はない。」
二人の様子を見、イザークは自分のディスクにドカッと座ると、二人に交互に視線を走らせて言った。
「さて、バレルが戻ってきたところで、丁度いいタイミングだ。先ほどの一部始終を話してもらおうか。」
シンとレイは顔を見合わせると、イザークに向かって大きく頷いた。
二人が語ったのは
・情報提供のあった現場に時間前に向かい、待機していたところ、13時の時報と共に、急にルナマリアが豹変したこと。
・それまでルナマリアは何も変わった様子はなく、体調の悪さなどの訴えはなかったこと。
・豹変したルナマリアは、とても女性のものとは思えない力で、シンとレイの二人がかりでも抑え込むことができなかったこと。
・彼女と全く同時に、同じように豹変した者たちが、一斉に暴れだし、その後4,5分して同じく一斉に意識を失ったこと。
報告を聞き、イザークが頷く。
「ご苦労だった。…実はこの本庁管轄以外の地域でも、ほぼ同時刻に同じような事件が多発した、と先ほど報告が刑事部長より報告があった。お前たちのおかげで我が管轄での人的被害は最小限に食い止められた。感謝する。」
ホッと胸をなでおろすシンとレイ。
「それにしても昼に一斉に、って…腹が減りすぎておかしくなった、ってのは、ないよな…」
「ディアッカ。貴方じゃないんですから。」
苦笑するニコル。そしてしばらく考え込むと、ニコルは二人に問いかけた。
「貴方方とルナマリアさんで、何か違う行動をした、なんてことはありませんか?」
「『違う行動』…でありますか? 別に、朝からずっとチームで動いていて、しいて言えば出かける前に、トイレに行っていました。流石に俺たちは女子トイレには入らなかったですけれど。」
「それは当たり前だ、シン。」
レイが窘める。ニコルはさらに追及した。
「いえ、一緒に居ても、違うことをしたってことはありませんか? 例えば…飲み物を途中で飲んだ、とか。」
「いえ、張り込み前はトイレに行かないようになるべく、飲水は控えますが…」
レイが俯き、記憶を反芻する。その時シンがふと呟いた。
「…そういえば、アイツ、結構イライラしてたよな。」
「何だ?機嫌が悪かっただと?」
イザークが食いつく。
「はい。あの、ルナの好きな『I.F.』のアレックスってやつが、最近アイドル歌手と噂になっていて悔しい、って言いながら、怒りをガムにぶつけていて―――」
「『ガム』ですか?」
ニコルの耳がぴんとそばだつ。シンが続ける。
「なんか、試供品をその辺で配っていたのをもらったって。「不味い」って言ってましたけど。…そういや、ルナが暴れだしたのって、丁度その時、街中のテレビがCMジャックされて、ミーア・キャンベルの歌が流れ出した時だった気が…」
「ミーア・キャンベル?何者だ?」
「あぁ、イザークはそういうの興味ないからな。今人気絶頂のアイドルだよ。すげぇナイスバディのv」
「ディアッカ。不謹慎ですよ。」
ニコルが諫める。
レイがさらに情報を咥えた。
「確かに、暴れだしたのはミーア・キャンベルのPVが始まった時だったな。そしてPV終わったときだ、暴れていた者たちが一斉に気を失って倒れたのは。」
「…ひっかかるな、その『ミーア・キャンベル』…」
イザークが無意識に爪を噛む。
ディアッカが思い出したようにシンに尋ねた。
「そういやさ、お前らが以前、夜に張り込みした時も、歌番組が流れていた、とか言っていなかったか?」
「はい、あのでかい胸で、覚えてます。ルナが怒りだしたんで。」
「…いい記憶力してるよ、お前…」
ディアッカが苦笑する。相変わらず難しい顔をしていたニコルが顔を上げた。
「でも、歌を聴いたぐらいで暴れだす、というのはあまり信憑性はありませんね。」
「でも歌だけじゃないんだろ?PVってことは、映像付きだ。映像に「サブリミナル効果」みたいなのが入っていたんじゃないか?」
ディアッカが推理するが、シンがそれを否定する。
「でもそれなら、あそこで俺もPV見ましたけれど、暴れなかったっすよ?」
それについてニコルが解説した。
「サブリミナルは受け手側の感受性の問題がありますから、個人差はありますよ。あともう一つ、僕が気になるのは、「ガム」ですね。ルナマリアさんが噛んでいた、という。」
「でもニコル。今日持ってきたお前の鑑識結果だと、薬物は検出されなかったはずじゃないのか?」
「確かに。でも、異常な力を発揮した、ということといい、もしかしたら即効性の吸収・分解性のあるものだとしたら、取り調べの際にはもう排出されてしまっている可能性があります。その現物であると思われるガム…残っていれば成分分析して、何か薬物混入が無いかを見極められるんですが…」
するとレイが反芻する。
「でしたら、ルナマリアは噛み終わったガムを、後で捨てるつもりで紙に包んでカバンに入れていた気が…」
「でかした!」
レイが言い終わらないうちに、イザークが机をたたいて立ち上がる。
「ニコル、すまんがルナマリアの噛んでいた試供品のガムとやらを徹底的に洗ってくれ。そしてお前らはその「ミーア・キャンベル」のPVを押収しろ。サブリミナルが入っていないか直ぐ調べるんだ!」
「「「はい!」」」
彼らは一斉に敬礼すると、颯爽と動き出した。
***
一方、こちらはまだ混乱状態だった。
「はぁ!?そりゃうちも初耳ですよ!今さっき、飛び込んできた情報で、こちらも驚いているところでして。…ですから、うちはレセップスレコードとの契約ですが、そちらからも「そんな企画はしていない」と言っていますし、第一するんだったらまずウチに話が来ますって!…はい、今本人と連絡を取っている状況ですが、つながらないんですよ!こちらも困っているんです!…はい、そのPVとやらはこちらにはありません。ですからとにかく判明次第、何かしらの形で報告はしますので―――」
「大丈夫か、ダコスタ。」
「もう社長…勘弁してくださいよ〜。一体何時迄この電話攻撃続くんですか〜??」
「さぁな。やっこさんたちが飽きるまでは続くだろうよ。」
そういって応接室のテレビを乱暴に消して、バルトフェルドはソファーに仰け反るようにして、大きく肩で息を吐いた。
最初に連絡を受けた時は「まさか」の3文字しか思い浮かばなかった。
何しろ事務所で一番売れっ子アイドルが、数日前にはスキャンダルを巻き起こし、その熱がまだ冷め切っていない今日、いきなりバルトフェルドも知らないところで新ユニットの新曲を謳っているという。テレビをチェックしていなかったバルトフェルドと、ミーアの付き人ダコスタが、いきなり事務所に一斉に鳴り響いた電話の話から、初めて知った事実だった。まさに寝耳に水。
慌ててミーア本人に連絡を取ってみたものの、全くの応答なし。
挙句
「アンディ!これ一体どういうことよ!?」
<ドンッ!>と社長室のドアを蹴り開けて突入してきたのは、アイシャ。レセップスレコード社長にして、バルトフェルドの奥方である。
「私、こんな話聞いてないよ!ウチのアイドルを勝手によそのレコード会社に渡すってあり得ないわ!」
「まぁまぁ、アイシャさん、落ち着いて―――」
「落ち着いてたら、こんなとこまで走ってこないわよ!」
仲裁に入ったダコスタの耳の鼓膜が破れんがごとく、烈火のごとき貴婦人アイシャが詰め寄った。
ちなみに「ハイヒールで踵落とし」が必殺技の彼女には、流石のバルトフェルドも太刀打ちできない。ダコスタがその生贄になりかけたところ―――
「まぁ落ち着けって。俺も今さっき知ったところだ。キャンベルの方に連絡しているが、案の定繋がらない…自宅ももぬけの殻、だそうだ。」
普段飄々としたバルトフェルドの真剣な表情を見て、アイシャもようやく落ち着きを取り戻した。
「そう…ということは、あの子が勝手にどこかのレコード会社と契約したってことよね。」
「そのPVについて、今こっちもどこのレコード会社なのか探している最中だが、名義は全く不明。それどころか各局「電波ジャックされた」とこっちに苦情が来る始末だ。やってないことの証明をすること程、難しいもんはないからな。」
バルトフェルドが深く肩でため息をつく。
「うちはちゃんとPV流すにしても、正規の手続きをとるしね。…それにしても…」
アイシャが窓の向こうを見やる。よく晴れていた空に、次第に黒い雲が覆い始めていた。
まるで今ここに居る皆の不安を写したかのように。
アイシャは小さく呟いた。
「…どこにいっちゃったのよ…ミーア…」
***
<カターン…>
コロコロと足元に転がるグラスを見ることもせず、カガリは硬直していた。
ナタルから「アレックスの行方が分からない」と連絡が入ってから数日。以来、待ち続けるカガリにアスランからの連絡は全く入らなかった。
あのスキャンダル―――アスランの腰にしがみついているミーアの幸せそうな顔のスクープショット。自分以外の女性がアスランと共にいる…それだけでカガリの心が凍り付くほどの衝撃を受けた。
(なに驚いているんだよ、カガリ・ユラ・アスハ! いつか…いつか、こうなることくらい、頭に入れていただろう!?)
そう、人間のアスランと吸血鬼のカガリ。
身体も寿命も住む世界も違い過ぎる。
(何時かは、別れる時が来る…)
そういってカガリは何度も自己暗示してきた。
(アスランは人間だ。人間の可愛い女の子と結ばれるのは当然のことだ。なのに、なぜ私はこんなに勝手に傷ついているんだ!?アスランが幸せになることを応援するって、ずっと決めていたのに!!)
この数日、その禅問答ばかりカガリの頭の中を駆け巡っていた。
納得しなければいけないのに、納得できない。
ミーアの事務所側は「スタジオで出会ったときにふざけた一瞬を撮られた」とコメントしていたが、アスランと始終共にいるカガリには、それが「嘘」だということはよくわかる。
カガリの知らないところで、違う女性と会っている…
その心の痛手を何とか抑え込んでいた今日、何気なく見た夕方のワイドショー。
そこで放送されていたのは
<―――ということで、本日発生しました、「多発暴動事件」についてお知らせしました。…さて!16時になりました。本日の芸能ニュースのトップは、何といっても『これ』!突然予告なく各放送局から流された、このPVです!>
女性キャスターが興奮気味に紹介したその画面には、
薄暗い水面に波間に揺らめくように踊る文字
そして現れた女性の影…長い髪に細く長い手足。身に着けているものが逆光で透け通り、申し分ないプロポーションの女性。彼女の細い腕を向かいに立っていた男性らしき影の首に回す。その瞬間、彼女の顔がモニターの方を見た。
だが、カガリが驚いたのはそこではなかった。
<♪〜>
ゆったりとして、奥深いメロディー
心の底まで透き通った水で満たしたようなその曲
カガリの手にしていたグラスが滑り落ちた。
<カターン…>
コロコロと足元に転がるグラスを見ることもせず、カガリは硬直する。
そして駆け寄ってテレビ画面に噛り付く。
「アスランだ…」
まぎれもない、カガリだけが一瞬でわかる。ずっと、ずっと傍で聴いてきた、激しくも優しいその曲は
「アスランの曲だ…」
金眼から涙がとめどなく零れ落ちていく。
作曲者のクレジットはない。それでもカガリには確信できる。アスランの作曲だということが。
「まさか、アスラン…このために、ここからいなくなったのか…?」
確かに自分は倒れて以降、仕事ができる状況ではなかった。その間にアレックス・ディノへの『I.F.』以外の仕事が依頼されることも予想できなくはない。
しかし、このことは、マリューもナタルも知らないはず。知っていたらまずカガリにその話を伝えるだろう。ということは…
「私より…ミーアとユニット組むことを、選んだのか…?」
―――「さよなら、カガリ」
幻聴のはずが酷くリアリティのあるアスランの声で、カガリの耳に囁く。
「嫌っ!」
カガリは両耳に手を当てて、頭を激しく振り、拒絶する。そしてそのまま力なく、床に座り込んだ。
「嫌だ…やだよ、アスラン…」
何も言わずに、さよなら、なんて…
黙って去っていったのが、彼なりの優しさなのだろうか…?
いや、違う…彼は確かに言った。
(―――「俺がずっと傍にいるから、もう安心して寝ていいよ。」)
そういって触れてくれた指先の感覚を、額に感じる彼の唇を、まだ覚えている。
アスランはカガリには絶対に嘘は言わない。
傍にいる、と言ってくれた彼の言葉に、嘘偽りを覚えることがどうしてもできないのだ。
次の瞬間、カガリはまだおぼつかない足取りで立ち上がった。
「…探さなきゃ…」
もし、ミーア・キャンベルとのユニットが本当で、それでI.F.の解散だけでなく、別れを告げられるとしても、アスランの口から直接聞きたい。
そのほうが納得できるから…
夕闇が訪れた空の下、カガリは残された力を振り絞って、走り出した。
・・・to be
Continuid.