(…何言っているの…この人…)

ポカンと口を開けたまま数十秒。目を丸くしたままミーアは、目の前で優雅に微笑む紳士を見つめていた。

何故自分の望みを知っているのだろう…いえ、その前に、まるで道端の小石を拾うがごとく、いとも簡単にあのアレックスの名前を口にした。しかも彼が自分の意のままに動くとでもいうかのように、軽々と…

唖然の次は疑念が湧き出してくる。

そんな夢みたいな話が、シンデレラのかぼちゃの馬車のように、目の前に突然現れるなんてありえない。

ミーアの疑いに気づいたのか、またも紳士はオーバー過ぎるリアクションで両手を広げて見せ、そのまま手を<パチン>と合わせる。

「あぁ、驚かれるのも無理はない話ですね。いけない、いけない。私は思ったことをつい先に口にしてしまう癖がありまして。申し訳ありません。…で、改めまして、私はこういうものです。」

スーツの内ポケットにあった本革のカードケースから取り出したのは一枚の名刺。それを恭しくミーアに差し出した。

「…『ドミニオンレコード』、代表取締役…『ムルタ・アズラエル』…?…―――!って、あの!?」

ミーアの表情がみるみる驚きへと変わる。

(『ドミニオンレコード』って、『I.F.』のレコード会社じゃない!)

I.F.』に嵌ってから次の日、直ぐに買い漁ったCDの数々。無論所属レコード会社の名前だってすぐに暗記した。『ドミニオンレコード』…忘れるはずもない。

あんな大手レコード会社の社長といえば、相当年季の入った人だと思っていたが、まさか、こんなに若い人だったなんて…

だが身なりやその一挙手一投足を見る限り、代表取締役、というのも頷ける。

その地位にあるくらいだからこそ、アレックスの名前が簡単に口から出るのも合点がいく。

でも―――

「そ、そんな偉い方が、なんで所属事務所もレコード会社も違う私のこと、知っているんですか?」

事務所の社長・バルトフェルドと対面した時さえ緊張しなかったミーアの口調が震える。アレックスと繋がりがある者と思うだけで、目の前に彼がいるようで、緊張と心臓のバクバクが止められない。

そんなガチガチに固まったミーアの右手をとり、英国紳士よろしくアズラエルはミーアを楽屋の中へと導く。

「まぁまぁ、そこにお掛けください。私は貴方を昨年のアレックス・ディノ氏の誕生パーティでお見掛けしまして―――」

(あ!)とミーアは驚きに大きく開いた口を慌てて両手で塞ぐ。

そういえば見かけた。まだ若い人だったから、特に凄い人でもないだろうと思い込んで、ロクに挨拶もしなかった。それよりアレックスの方ばかり見ていたから…

ミーアの表情を読んで、アズラエルは更に続けた。

「貴女の歌声は私も非常に感銘を受けておりまして。デビュー直後から「こんな素敵な歌を歌える美少女がいたとは!」と気になって仕方がなかったんですよ。まさかディノ氏の誕生パーティーでばったりお会いできるとは思わず、感激の極みでした、あの日は。そして貴女がディノ氏と一緒にいるところをお見掛けした時に、フツフツと湧いてきたんですよ!「この二人に組ませてみたら、歌謡史上、最高の楽曲になるのではないか」と!」

アズラエルの瞳の奥からミーアへの尊敬の念と情熱が溢れ、ミーアをあっという間に虜んでいく。

ミーアも頬の上気が止まらない。

(あの、すごいレコード会社の社長さんが、こんなに私のこと認めてくれるなんて!し、しかも、自ら言ったのよ、今!「アレックスと私を組ませれば、最強だ」って!!)

すっかり表情を崩してアズラエルの話に聞き入るミーア。だが、そんな彼女の耳に、彼女の興奮を優しく諫めるようなあの声が、モニターから聞こえてきた。

 

♪あぁ悲しみに染まらない白さで

オレンジの花びら、静かに揺れるだけ…

 

(…カガリ…)

そう―――『I.F.』のボーカリスト。『カガリ・ユラ』。

彼女がいる限り、アレックスは果たしてこの話を承諾するのだろうか…?

「確かに、『I.F.』には、彼の最強のパートナー、カガリ・ユラがいます。」

ミーアの心を読んだかのように、アズラエルは彼女の不安を煽り立てた。

ミーアが胸を抑える。

(この人はレコード会社の社長。…だったら、これだけヒットを飛ばしている『I.F.』のカガリの存在は重要なはず。なのに、あっさりとカガリを捨てて、私がアレックスのパートナーになっていい、なんて。でも、それってもしかして―――)

ミーアの脳裏に光が宿る。

(カガリより、私の方が実力も、魅力も、勝っているから…とか? だったら―――!)

「だったら…」

絶対的存在の誰かから、自分を認める発言が得られることは何よりの自信に繋がる。特に新人や若手にはその一言が大きな影響力を持つ。

ミーアもその一人だ。だからこそあえて答えを欲して疑問をぶつけた。

「なんで、事務所もレコード会社も違う私をアレックスのボーカルにって思ったんですか?」

するとアズラエルは「ふーむ…」と、いかにも「考えています」というかのように、顎を触りながら視線を僅か逸らして呟いた。

「そうですね…しいて言えば『テコ入れ』でしょうか?」

「『テコ入れ』?」

「そうです。確かに『I.F.』の楽曲は素晴らしい。でもずっと同じパートナーで、彼女に会う曲だけ作っていては、折角の作曲家としてのディノ氏の能力はそれ以上開花できない、と危惧しているのですよ。そこでです!」

アズラエルは今度はまっすぐミーアを見た。

「貴女に合わせた楽曲を作り、貴女に歌ってもらえば、彼の才能が更に成長する!音楽史上まれにみる作品と彼の名声の高まり!―――そんな彼の能力を開花させるお手伝いができるのは、『ミーア・キャンベル』、貴女を置いて他にいません!!」

「私が、アレックスの力になれるの…」

(凄い!これってすごいことじゃない!カガリじゃできないことを私ができるのよ!アレックスの本当の力を引き出せるのは、この私しかいないの!!そうしたら、アレックスもすごく私に感謝して…そして―――!)

アレックスの心を射止めることができるという『夢』。まだ一ファンだった頃の、ただの妄想が目の前の現実として手に届くところにある。そう思った瞬間、ミーアの興奮が最高潮に達する。

すっかり表情を崩していたミーアに、更に笑みを湛えながらアズラエルが囁く。

「それに、もう一つ。この企画にはメリットがあります。」

「メリット?」

「そう、貴女自身にですよ、ミーアさん。」

「私に?」

(アレックスのこと以外にも良いことなんて!一体何かしら!?)

テンションが上がりっぱなしのミーアに対し、アズラエルはやや表情を引き締め、声を低くした。

「はい。貴女は今『アイドル』としては絶大な人気を誇っていらっしゃる。でもですね。そこには一つの大きな落とし穴があるのです。」

「…それって何ですか?」

「アイドルという存在の条件は、無論「愛らしさ」「美しさ」が主な比率を示すのですが、ここにもう一つ、大きなファクターがあります。…『年齢』です。」

「……」

ミーアの表情がこわばる。尚もアズラエルは続ける。

「貴女は今18歳。アイドルとして重要な容姿と若さも十分あります。でも、これが2年後、3年後…どうなりますか?」

「…」

(そうよ、確かにアイドルと呼ばれる子たちはみんな10代。たまに20代のアイドルもいたけれど、若々しさや初々しさを偶像に求める人たちから自然と忘れられて行ってしまっていたわ…)

何度も自分自身見てきた。でもすっかり忘れていた。

―――自分の足元が実は薄氷の上にある―――ということに。

アイドルとしてどんな時でも笑顔を絶やさない。不安も悲しみも隠し続けることができる「真のアイドル」ミーア・キャンベル。だが、今、アズラエルを目の前にして隠しているつもりが、不安が表情に出てしまった。

そこを逃すような経営者ではTOPは務まらない。アズラエルは核心に迫ってきた。

「そう、今、貴女のステージも見させていただきましたが、確かに凄いのに…貴女はご自身のファンの反応に気づかれましたか?」

「え…」

ミーアは思い起こす。ショッキングピンクのサイリウム。自分の動きに合わせて締まりのない表情で声援を送ってくる男たち。

「それは…みんな喜んでくれて…」

「えぇ。それはそれでいいのでしょう。『今は』ね。 でもご覧なさい。」

そういってアズラエルは顎でしゃくりながらミーアの視線をモニターに向かわせる。

そこに映っていたのは、カガリの歌に黙って聞き入る会場中の観覧者。年齢を性別をも問わず、皆がカガリの歌声に聞き入っている。無論、最前列でミーアの名を張り付けた団扇を振っていた彼らでさえも―――

「―――っ!」

(みんな…みんな、私の歌を聴いてたんじゃなかったの!?)

だれもミーアの歌を聴いてくれていなかった。みんなその瑞々しい肉体を、容姿を愛でているだけ…歌を賛辞してくれてはいなかったのだ。

ミーアの漠然とした不安が撃ち抜かれる。

先ほどまで熱かったのに、手先が悴む。身体まで震えが止まらない。

「絶望」―――先ほどまでの高揚から一気に奈落へと突き落とされた。

ステージの上では大輪の花を咲かせていた彼女が、今はまるで追い詰められた小動物そのもののように身を竦ませている。

アズラエルの口角が上がった。

「ですからね、こうして貴女を才能ごと飼い殺しにするような今の事務所やレコード会社にいるよりも、ディノ氏と貴女が組めば、貴女も「偶像」なんかではなく、「真のアーティスト」となれるのですよ!落ちぶれてからでは誰も注目しない。今がチャンスなんです。…そこのところ、お判りいただけましたでしょうか?」

「……」

顔面蒼白なミーアが力なくうなだれる。

アズラエルは言い切った。

 

「このままでは、貴女は『カガリ・ユラ』に一生勝てませんよ。歌でも…無論、「恋」でもね。」

 

「―――っ!」

<ガタッ!>

ミーアが勢い良く立ち上がり、安物のパイプ椅子が後方に音を立てて倒れた。

「ち、違うわ…アレックスは凄い人だもの…私の実力だって、カガリ以上だって、きっと分かってくれ―――」

「そうでしょうか? 無論、こうしてたまに局で会うこともあるでしょうが、事務所も違うし音楽性も違う。しかも彼も事務所所属の「飼い犬」です。自由はない。こうして貴女が「アイドル」である以上、「アーティスト」である彼との接点は少ない。そして月日が経つほど移ろいやすいアイドルの人気は下降して、仕事も減る。やがて彼どころか、周囲の人間からも忘れられ―――」

「やめてっ!!聴きたくないっ!!」

ミーアが両手で両耳を塞ぎ、頭を振りながら床に座り込む。

涙が溢れる彼女を座ったまま見下ろして、アズラエルは咳ばらいをして落ち着いた声で続けた。

「私は確かにレコード会社の人間です。しかし、現在の音楽業界は実に面白くない!型通りのアイドルやバンド、そして代わり映えのしない音楽にはいささか飽き飽きしていたのですよ。そこで私自ら芸能レーベルを作りまして…そうそう、貴女の1組前のバンド、聴いていただけましたか?彼らは私が初のプロデュースをした、私の音楽事務所の所属アーティストなんですよ。」

放心状態のミーアだったが、アズラエルの問いに、思考が僅かに回転を取り戻す。

(そういえば、いたわ…なんか凄くシャウトしているロックバンド…確か…)

「『Bursted Men』。よく略して『BM』とも呼ばれていますが、いかがでしたか?」

自身たっぷりに問われても、正直あまり自分好みの音楽ではない。でも…

「貴女好みではないでしょうが、それでも観客の中には、熱狂的に彼らの音楽を支持している方々がいたことに、気が付いていただけていたなら嬉しいです。」

居た…気はする。なんかものすごく頭を振って…ヘッドバンキングっていうんだっけ…

「彼らの音楽は確かに、全員に受け入れられるものではありません。けれど大事なのは、「彼らの音楽を認めてくれている人が、次第に増えてきている、ということなのですよ。CDの売り上げも徐々に伸びつつあります。つまりは「音楽性」を認められている。「容姿」や「若さ」は関係ないのですよ。」

「……」

ミーアが体に張り付いたままの衣装の裾を握る。シルク生地に似せた化学繊維…これも見掛け倒しの偶像だ。まるで自分も「それを証明している」ことをアピールしているかのように。

 

「さて、と。」

アズラエルは崩れ落ちたまま震えるミーアを一瞥して立ち上がった。

「お返事は急ぎません。もし、「お気が向きましたら」そちらの名刺の番号にご連絡ください。あ、なるべくメールじゃなくって、直に声をお聞きできればと思いますので。では。」

そういって、紳士ムルタ・アズラエルは音もなく楽屋から姿を消した。

 

 

<シン…>と静まり返った楽屋。一人取り残されたミーアは唇に流れ込む涙も拭わず、同じ姿勢のまま呟いた。

「なによ…」

絶望の後に湧き出してきたのは―――「怒り」

あの男、アズラエルは「アイドル」を簡単に「使い捨て」かのように言い切った。

その「アイドル」になるために、どれだけの努力と苦労を重ねたのか、それを想うだけで悔しくて仕方がない。

それに…

(今のままじゃ、アレックスは私に振り向かないなんて!アレックスならきっと分かってくれているはず!私の歌が凄いことも、ルックスだってカガリなんかよりずっと女の子らしくって可愛いって!だってテレビのインタビューでも「可愛い私みたいな人が好き」って言ってたもん!)

ミーアはゆるゆると立ち上がった。化粧台のティッシュで顔を拭い、鏡を見る。

そこに映っているのは白雪姫ではない。明るく、可愛い、プロポーションも見事な男の憧れを形にしたような才能ある美少女。

彼女は鏡に向かって言った。

「見てなさいよ。私一人でもアイドルの力でアレックスにアプローチして見せるから。」

 

 

***

 

 

舞台が終わった。

「ふー…みんな、今日はサンキューな!」

カガリが会場に向かって叫ぶと、みるみるステージ全体から波のように歓声が押し寄せてきた。

いつも通り舞台から一礼して袖に引く。

その時

「ぁ…」

カガリの目の前がうっすらと暗転する。

「カガリ!」

彼女の細い体を支えるのは、アレックス・ディノ…ではなく、その深い緑は彼女を心から心配する「アスラン・ザラ」のもの。

「あ、ごめん、アレックス。ちょっと躓いちゃって。このステージ、急に足元暗くなるからさ。」

バックヤードに入れば眩しいライトがなくなる影響で、視界がブラックアウトする。それはステージを何百回とこなしているカガリにはわかり切ったこと。ごまかしていることはアスランには誰よりもよくわかっている。

そして、この人も…

「どうした、カガリ。貧血か?」

「ごめん、ナタル。ちょっとお腹すいちゃって…」

えへへと笑って見せても、こちらも百戦錬磨の有能マネージャー、ナタル・バジルールの眼はごまかせない。

「全く。先ほど楽屋に飲み物とケータリングを用意してあっただろう? ステージ前に摂らなかったのか?」

「うん。出入りのアーティストさんたちが多くってさ。つい話し込んじゃって。」

力なく笑顔を向けるカガリ。

そして、アスランはそんな彼女を見て唇をかんでいた。

(まずいな…最近事件らしい事件がない所為で、血液が足りていない…)

 

I.F.』―――彼らのもう一つの顔は『Vamp

 

警視庁一課、あのイザーク・ジュールが目の敵にしている、難事件の解決者。

といっても実のところ、彼らが事件を追うのは、警察を出し抜くためでも手柄を求めるためでもない。

カガリの「吸血」、つまりは「食事」の為である。

カガリの吸血はただ血を吸うだけでなく、その者が持つ「欲望」も吸いだされてしまう。そのため一般人から血を吸うことをカガリは拒否している。「欲望」と「希望」は紙一重。むしろ同じといっても過言ではない。彼らの希望を奪っては生きることに情念を失い、あるいは心神喪失から死への一路をたどる可能性もあるからだ。

そこでアスランが考え出したのが、罪を犯した人間―――特に犯行直後はその欲望が一番発揮されているため、未解決事件の情報を集めては、カガリに吸血させる。犯罪者は一番の欲望を抜かれ、気力を低下させ、警察からの逃走意欲も無くす。そして欲望が再燃しない限り、二度と再犯は侵さない。(※同じ欲望の元に出会って再燃する可能性はあり。『第U話・ルナマリア』を参照)

社会的にもカガリの為にも一番手っ取り早く、カガリの罪悪感も生まないベストな方法だった。

が、最近事件の情報を収集しても、これといった有益な情報が一つも入ってこない。

あまり時間が開くと、カガリの体力が落ちてしまう。なのでアスランも小さな事件でもいいからと、片っ端から調べていくのだが、連日届く情報は新聞の本庁捜査一課の目覚ましい活躍を湛え記事ばかり。

(イザーク…張り切り過ぎだ。少しは遠慮してくれればいいのに…)

思わず爪を噛む。

アスラン自身にも焦りが募っていた。事件の情報は得られず、それでいて『I.F.』の仕事は増える一方。これではカガリの衰弱が激しくなるばかりだ。食事はある程度摂れるが、彼女のエネルギーには足りえない。

一度採血した自分の血を飲ませようとしたこともある。だがカガリは首を横に振った。

―――「お前に身を削るような思いはさせたくないんだ。」

彼女は幼少時、彼女の愛する屋敷の者たちが、彼女のために自分の血を提供していることを知った。無論頻回に及べば体に負担がかかる。大切な人たちが彼女に命を捧げていることを知って、その悲しみはどれほどのものだっただろう。

彼女の悲しそうな顔。潤んだ大きな金の瞳からはポロポロと涙がこぼれている。

カガリのそんな顔は二度と見たくない。

血液成分に近い飲み物を作ってはいるものの、それでも完全にカガリを支え切れているとは言えない。

「くそっ。」

珍しく悪態をつく。苛立ちがピークに達していることも自分でよくわかっている。

「なんだ、アレックス・ディノ。お前もカルシウム不足か。楽屋に今何か持って行くから、番組終了まで二人とも何か口に入れて休んでいろ。」

「すいません…」

ナタルに苛立ちの原因まで追究されてはいけない。ここは疲れからのストレスと思い込ませなければ。

するとカガリがアスランの胸をポンポンと叩く。

「もう大丈夫だ、アレックス。ごめん、私重かっただろ?」

いや、むしろ羽のように軽い。

抱き慣れた愛おしい身体が頼りなく感じるほど不安が募る。

アスランは首を横に振った。

「無理するな、カガリ。君が倒れでもしたら俺は―――」

そう言いかけたアスランの唇に、カガリの人差し指がそっと優しく立てられる。

「もう、心配性だな。ちょっと張り切りすぎてよろけただけだ!心配するな!」

「しかし…」

アスランの不安はぬぐえない。彼女がカラ元気を見せるときは、相当無理をしている時だ。長い付き合いでよくわかる。ずっと彼女だけを見てきたのだから。

「カガリ…」

労わりの視線が柔らかい熱を帯びる。

その時だった―――

「アレックス〜〜〜〜vvv」

楽屋に向かう細い廊下を勢いよく走ってくるのは

「キャンベルさん?」

「よかった〜〜!ずっと会いたかったのよ!私、すごく、すっごく探しちゃったvv」

カガリがいるのもお構いなしに、ミーアは勢いよく奪い取るようにアスランに抱きついた。

「キャンベルさん、ここでは―――」

「も〜〜〜〜、『ミーア』って呼んでvっていつも言ってるでしょ?それよりミーア、アレックスにお願いがあってきたの!」

「『お願い』って…」

アスランはミーアの勢いを抑えながら、エターナルプロダクションのマネージャーの姿を探す。

今はミーアにかまっている暇はない。この現場を見ただけでも正直週刊誌ネタとしては十分だが、かといって他の出演者や関係者もいる手前、厳しく突き放せば、新人アイドルへの意地悪と悪評にもなりかねない。なのでマネージャーに引き取ってもらいたいところだが。

そんなアスランに向かって、ミーアはアイドルとしてのプライドと武器を存分に発揮する。
腕をふくよかな胸元に引き寄せ、甘い視線とねだるような声で囁く。
十中八九、これで落ちない男はいない。ここまで近づけば獲物を捕らえたも同然だ。

「あのね、アレックス。その…ミーア、アレックスに曲を作って欲し―――」

<ガタン!>

だが、ミーアが話しかけたその時、廊下の向こうで大きな音がした。

アスランが耳にしたのはミーアの後ろ、大きな音の原因―――そこには力なく倒れ込むカガリの姿が―――

「どいてくれ!」

「キャッ!」

アスランはミーアの身体を押しのける。

ミーアが勢いに負け、尻もちをつきながら、いささかオーバーに悲鳴を上げてみてもアレックスは振り向かない。

彼は血相を変えてカガリの下により、彼女を抱き上げた。

「アス…」

「いいから黙って。力抜いて俺に任せて。」

そういってアスランはカガリを抱いたまま、ミーアに一瞥することもなくナタルと共に走り去っていった。

 

「アレって、『I.F.』 のカガリでしょ?大丈夫なのかな?」

「なんか急に倒れたみたいだけど。」

「照明のせいかと思っていたんだけど、顔色、あんまりよくなかったみたいだしね。」

「いいなぁ。アレックスにお姫様抱っこされるなんて、ちょっと羨ましいかも。」

ミーアは廊下に尻もちをついた姿勢のまま、ぼんやりとアレックスの後姿を見送っていた。

(私を見なかった…カガリの方が大事なんだ…)

脳の中がかっと熱くなって、涙が滲んでくる。廊下を通り過ぎるスタッフが「ミーアちゃん、大丈夫?」など声をかけてくれているようだが、みんな仕事の忙しさで、彼女のために足を止めることはしない。

屈辱という言葉が、ミーアの中で嵐のように吹き荒れる。

 

「おやまぁ。大変でしたね。でも仕方がないでしょう。一応「今のところ」のパートナーですから。無下にすればそれこそ信用失墜ですからね。」

そういってうなだれるミーアの前に現れた影は―――ムルタ・アズラエル。

ミーアは微動だにしない。

だが、先ほどまで柔らかなアイドルの眼、愛くるしいその瞳は、今はまるで獲物を狩るがごとく燃え盛っている。

「どうすれば…」

ミーアは顔を上げ、アズラエルを見上げた。

「どうすれば、アレックスと一緒にいられるの?」

アズラエルは口角を上げ、黙ってそっと手を差し出す。

ミーアはしばし沈黙の後、その手を取った。

 

 

・・・to be Continued.