床をカツカツと世話しなく靴底で叩く音が、暗い庁内に響きわたる。
「イザーク、落ち着けよ。」
そういって窘めるディアッカに、イザークは食って掛かった。
「貴様は落ち着きすぎだっ!…一体何時になったら令状が届くんだ!?」
「そうはいってももうこんな時間だからな…いくら裁判所は24時間コンビニ営業とはいえ、俺たちと一緒で夜勤職員以外はもうとっくに帰宅時間だ。」
既に20時を過ぎている腕時計と、腕組みしたままイラついているイザークの横顔を交互に眺めながら、ディアッカは「やれやれ…」と軽く息を吐いた。
イザークの気持ちはわからなくもない。こうしている一秒一秒で、犯人は証拠隠滅やもしくは逃亡手段を図っている可能性も高いのだ。
それに…
(もし、アスランに万が一のことがあれば…)
どんなに友人であり警視総監の息子、とはいえ、彼はあくまで一般人だ。彼を巻き込んだとなれば、世間の誹謗中傷は免れない。
だが、今回のイザークは名誉棄損などどこ吹く風だ。何故なら誇り高いイザークが、アスランの意見を聞こうとした時点で、その意識はなくなっているはず。
今回も、上司に立てついてまで証拠をぶつけ、裁判所に逮捕令状の申請に走ったくらいだ。
(結局、コイツは名誉以上に「友情」の二文字には弱いんだよな。なんのかんのいって。でも…)
ディアッカはクスリと笑った。
「そういうとこが、付き合っていて、いいところだけどな。」
「何か言ったか?ディアッカ。」
ディアッカは慌てて両手を振る。
「いやいや、別に…って、どうやら戻ってきたみたいだぜ。」
照明の殆ど落ちた廊下の奥から、イザークとは別の足音が響いてくる。しかも、かなりの勢いで。
「お待たせしました、イザーク!おりましたよ、逮捕令状が!」
封書を振り回してきたのは、ニコルだった。
それを見たイザークが声を上げた。
「よし!今から『ドミニオン・レコード』社、「ムルタ・アズラエル」と、『青浄党』党首、「ロード・ジブリール」、並びに『ジェネシス製薬』、「ギルバート・デュランダル」の逮捕に向かう!」
***
「…ここか…」
カガリは携帯に残されていた、マップの位置を確認する。
都会の外れ―――灯り一つない、真っ暗な荒れ地だ。誰かの所有だったのだろう、周囲に崩れたブロック塀がある。奥には廃工場のような建物が幾つか建っているようだが、人気は全くない。
(この建物の、どこかでアスランが…)
無意識に胸に手を当て、そこをぎゅっと握る。
(アスラン、勇気を私に―――)
自然と目を閉じ、そう願うと、カガリはともすれば見分けもつかないそっくりの、いくつか廃屋の立ち並ぶその中に進み出でる。
(全部、真っ暗だ…)
チープなドラマにも登場しそうなほど、人を拉致監禁するにはもってこいの場所だ。
キョロキョロと辺りを慎重に見まわすカガリ。
すると、その中の一つが<ギギギ…>と錆びた音を立て、鉄製のドアが自動的に開いた。
「…この中に来い、ってことだよな。よし!」
カガリは一歩その中に入る、と
<パッ!>
「わっ!」
突然の眩しさに一瞬目を細める。カガリがゆっくりと目を開くと―――寂れた外見とは一転して、その中には磨かれた鋼鉄の厚い壁と、分厚い耐熱ガラスによる窓、入り口にはいくつもの照合と暗証番号の揃ったセキュリティー。
まさに「最新技術を駆使した」という一言が具現化したような施設が現れた。
「すごい…見かけはボロボロだったのに。―――って、違う違う!」
感心している場合ではない。だが、こんなに整った施設なら、部外者の自分は入ることはできないはず。と思った瞬間、
<ピー>
目の前のセキュリティのゲートが勝手に赤から緑にライトが点滅し、ロックを解除して開いていく。
完全に罠だということは、流石のカガリでもわかる。だが、立ち止まるわけにはいかない。
「…『虎穴に入らずんば虎子を得ず』!だ」
カガリは開いていくドアに導かれ、その先へ、先へと進む。その最奥は不自然なほどクラシカルだった。
点滅する蛍光灯の下に浮かび上がるのは、今度は急に手すりの錆びたような階段。それが暗い沼の底の様な地下へと降りている。
「……」
ためらいを覚えつつ、一歩ずつ階段を周囲を伺いながら降りていくカガリ。
やがて地下特有の、湿ったカビの匂いの籠る空気がまとわりつく。
階段を降り切った目の前には、分厚そうな扉があった。
<ギギギ…>
力任せにそれを開くと、隙間から漏れ出す光が次第に広がっていく。
そして、カガリの目の前には
「―――っ!アスラン!!」
歓喜と悲鳴が綯交ぜになった声で、カガリは叫ぶ。
部屋の一番奥には、会いたくて会いたくて、ずっと焦がれ続けた人がいる!
「アスラ―――」
「カガリ!来るなっ!」
咄嗟にアスランがカガリを制する。と、走り出していたカガリの足にブレーキがかかる。
「おやまぁ、本当によく躾ができているようですね。そうです、ちょっと今はこちらには来ないでください。カガリさん。…あ!私としたことが、また思ったことを先に言ってしまいました。改めまして「ようこそ、お出で下さいました。カガリ・ユラ・アスハ様」。」
招かれても嬉しくもなんともない。自分はともかく、縛られたまま、幾つもの傷を負っているアスランの顔を見た瞬間、アズラエルに対し沸き起こる怒りで、頭も腸も煮えくり返りそうだ。
「最初から私が目的だったんだろ?だったらアスランは関係ない!今すぐアスランを離せ!」
「おやおや、勢いのいい。…つい3週間前は顔色悪くて倒れそうだったのに…。いえ、でもそこまで元気が出たのなら、実験のしがいもあります。検体が弱っていてすぐ死んでしまったら、なんの役にも立たず、ただの無駄骨ですからねぇ〜」
カガリは牙を伸ばす。
今自分が飛び掛かって、アズラエルの血と欲望さえ吸い出せば、アスランを助け出すことができる。
そう判断しかけたカガリ。だが、それを止めたのは、またしてもアスランだった。
「ダメだ、カガリ!こいつらを見ろ!」
アスランの叫びにカガリが目を見開く。
見れば、男たちがアスランを抑え込み、アスランの首に鋭く尖った爪を立てている。
(この男たち、どこかで見たような…)
そうだ、歌番組に出演していた男たちだ! 出演時間が離れていたから、あまり良く見ていなかったけど…
「こいつらは、『人狼』だ。」
「『じん・・・ろう』…?」
アスランの言葉によくよく彼らを見直してみれば、眼の鋭さ、爪、そして見え隠れする牙…明らかに人間の物じゃない。
カガリの戸惑いを見切ったアズラエルは、フフンと機嫌よく鼻を鳴らすと、オルガとクロトに命を出した。
「さて、アスラン君。君は見事に囮の役目を果たしてくれました。大変感謝しますよvそしてカガリさん、私が欲しいのは貴女だけです。ですが、貴女がここで暴れたり、私に危害を加えようとすれば、どういうことになるか…分かりますね?」
そういってアズラエルはアスランの前髪を掴んで顔を上げさせる。そこにはシャニの爪の先端がアスランの首に食い込んでいる。その先がプクリと赤く膨らみかけていた。
「やめろ!私は手を出さない!お前の言うとおりにするから、アスランだけは傷つけないでっ!」
「ダメだ、カガリ!君は逃げろ!コイツはどの道、俺たちを無事に返すつもりはないはずだ。君だけでも無事に―――!」
「いやだっ! もう離れ離れになるのは嫌だっ! 今度は私がお前に手を差し出す番だ! 一緒に行くって!」
「カガリ…」
「おやおや、愛のなせる業、でしょうか。泣かせますねぇ〜。こんなことならこのシーン、次のPV用に撮っておくべきでしたね。でも―――」
アズラエルが人差し指を<ピン!>と立てる。それを合図に。
<ドン!>
「っ!」
「カガリ!」
カガリが瞬時に背後に回ったオルガとクロトに抑え込まれる。床にねじ伏せられたカガリは、痛みに顔をゆがませながらも、顔を上げてアズラエルに向かって叫んだ。
「これでもういいだろう?アスランは離せ!」
アズラエルは満足気に笑みを湛えた。そして
「シャニ、アスラン君から離れなさい。」
「え〜、良いのかよ、おっさん。」
「いいから、離れなさい。私の言うことが聞けませんか?」
「……フン。」
シャニが不満足そうにアスランの傍から離れる。
瞬間、アスランに嫌な予感が走った。
(アズラエルがそう簡単に俺を自由にするはずがない。何を考えて…)
顔を上げたアスランの眼に、とんでもないものが写った。
(―――注射器!?)
アズラエルは笑っていた。懐からジュラルミンで出来た注射ケースを取り出している。シリンジの中には、既に毒々しい紫色の液体が詰まっていた。
「さて、折角ですから、先ほどの話の続きと大正解を教えて差し上げます。…貴方があの偽PVを流していた頃、私がただ逃げ隠れしていただけ、とか思っていましたか? はい、ざーんねん☆これで貴方は59点。大学ならば赤点です。そう、全ての答えは「これ」ですよ。」
アズラエルがシリンジを押すと、注射針の先から、1,2滴と、紫色の雫が滴り落ちた。
「ミーアさんの歌声で、薬の活性はせいぜい2,30%と話しましたね。それを限りなーく100%の近づけたのが「これ」です。そう!これを身体に入れさえすれば、どこの誰もが、お手軽に「人狼」になれます。つまり既に脆弱性は回避し、ほぼ理想に近い、完璧な薬が完成していたのです!そ・し・て…」
アズラエルはアスランの眼前に注射器を近づけて囁いた。
「記念すべき、第1回被験者は―――そう、『君』です。『アスラン・ザラ』君。」
「―――っ!!」
(しまった!もう完成していたのか!)
読みが甘かった。まさかたった数日で、もうここまで完成させていたとは。
「折角ですから、君が必死で止めようとしていた「これ」、自分自身で味わってみてくださいv」
「やめろっ!アスランに手を出すなぁぁぁぁーーーーっ!」
カガリが泣きながら悲鳴を上げる。
アズラエルは必死に抵抗するアスランと、泣き叫ぶカガリの二人を交互に見やる。
まるで正反対の場所に生きながら、自分にないそれを互いに見出し、今、この瞬間でさえも、尽きることなく渇望し続け合う二人。
故に、二人は決して離れない。
離れて生きることができない。
だから―――
「だからこそ、引き裂きし甲斐があるというものです!」
二人を引き裂いて、絶望し、屈服した時、それがまさに吸血鬼にも、人狼にも勝利した最強の人類となった瞬間です!
アズラエルは構うことなく、アスランの右肩を剥いだ。
「君が散々止めようとしていた薬が、その実君の力で完成に至りました。なんていう皮肉でしょうね!栄誉なことですよ!この歴史的瞬間の第一歩を踏めたのですから。君が人狼になって、そうですね…こいつらと先ず戦ってもらって、どのくらい戦闘力が上がったかデータを取らせてください。死んでもらっても結構ですよ。代わりはまた用意しますんで。あぁ、無論、この薬が認可されましたら、君の名前を刻んでおいてあげますからね。さぁ、結果を見せてください!」
その注射針がアスランの肩に突き立てられ、そしてアズラエルの指に力がかかる。
液体は、アスランの身体へと吸い込まれていく。
「っ!」
「アスラァァァーーーーーーンっ!」
苦痛に耐えるアスランを見て瞬時、カガリの様子が変わった。
「おい、コイツ―――うわっ!」
「何しやが―――!」
背後の物音にアズラエルが振り向く。その目が驚きに見開いた。
怯んだのはオルガとクロトの方だった。彼らを倒し、猛然とカガリが向かってくる。
(まさか!人狼2人分の力を、あんな簡単に!?)
思うより早く、アズラエルの身体に痛みが走る。どこをどうされたのか、気が付いたときはコンクリートの壁面まで吹き飛ばされた後だった。アズラエルの全身に激痛が走り、身動きが取れなくなった。
だがカガリは構うことなく、アスランの腕と足に巻かれていた戒めを爪で引き裂き、彼の上半身を抱きかかえる。
「アスラン!アスラン、しっかり!」
「カ…ガリ…」
彼の身体を抱いてカガリが涙する。
抱えたその肩は、既に色が青紫に腫れ上がっている。
「どうすれば…そうだ!解毒剤は―――」
「無理だ…あのケースの中には、このシリンジしか入っていなかった。あったとしても、どの道、吸収が早ければ…探している時間では、もう間に合わない…」
「何言っているんだよ!お前は一度も諦めたことないだろ!私の時だって、私の手を掴んでくれたのは、お前じゃないか!!」
涙がとめどなくアスランの顔に降り注ぐ。
その暖かな雨を降らす、豪雨の空――カガリの頬に、そっと手を伸ばす。
「カガリ…頼む…」
「何だ!?何でもするぞ!」
「俺を…」
アスランが一言呟いた。
「…殺して、くれ…」
「―――っ!!」
カガリの金眼が悲壮に揺らめく。
そして思い出してしまう…以前見た、自分がアスランの血を吸い、彼を殺してしまう、あの夢を。
カガリは全身で否定する。
「嫌だっ!」
だがアスランは振り絞るように言った。
「このまま、俺が人狼になったら、きっと…理性はなくなる。そうし…たら…君にも…襲い掛かって…しまうだろう。その前に…」
「嫌だよ!他に何か方法は…―――!そうだ!毒を吸い出せば―――」
カガリが咄嗟にアスランの肩に牙を立てようとする。だが
「―――あ…」
その寸前に気づいた。
もし、アスランの毒を吸い出すと同時に、欲望を吸い出してしまったら…
「そう…だ…君が毒を吸い出せば…俺は、君…の…こと…忘れ…」
「そんな…」
カガリが絶望に顔をクシャクシャにする。
ようやく、ようやく彼を取り戻したのに!
このままにすれば、アスランは人格を失ってしまう。かといって自分が毒を吸い出せば、アスランの中からカガリは消える。…いずれにしても、「カガリのアスラン」は死んでしまう―――
「泣く…な…カガ…リ…」
それでも彼はその手を伸ばし、微笑みながらカガリの涙を拭う。
「君…を…忘れて…生きるなんて…俺に…した…ら、死ぬ、より…辛い…だから…グゥッ!」
「アスランっ!」
絞り出すような声が、突然苦しみに代わる。澄み切って美しかったあの碧の瞳は、血でどんどんと濁っていく。
「はぁ…はぁ…自我を保つ…のも…グゥゥゥ――っ…げ、んかい…だ、から…はぁ、はぁ…君を傷つけ…たく…ない―――グァッ―――…から…」
「嫌だ…嫌だよ…」
何度も首を振るカガリ。
あの時見た夢
私がアスランを殺してしまう夢
あの絶望的な夢が、今、現実になってしまう
でも…
「アスラン…」
「ん…?」
名前を呼べば、いつもその優しい顔で振り向いてくれる。
まるでその瞬間が訪れるまで、「愛している」と言ってくれているかのように。
こんな時なのに、苦しくて辛いはずなのに、いつもとまるで変わらない。
私のせいで、こんな目に遭っているのに、お前はどうして私に微笑んでくれるんだよ。
不意に、胸の上で何かが揺れる
アスランがくれた「指輪」
彼の誕生日に、いつの間にか、眠っている間に左手の薬指に通されていた、それ。
永遠の愛を誓う証を、彼はどんな顔で、どんな思いでこの指に通してくれたのだろう。
人間と吸血鬼。生きる時間も世界も違う。
化け物と共に生きて、彼は幸せになれるのだろうか…?
不安でその想いにすぐに答えることもできず、でも指に通しておくこともできず、それでも離せなくて、ペンダントヘッドにしていた。
そして、自分が不安になったとき、胸の上でいつも教えてくれた。
信じることと、愛することを。
「アスラン、これの返事、ずっと答えを言えなくてごめんな…聞こえているか?」
カガリは中から指輪を取り出し、そっとアスランの目の前で揺らす。
「……」
もう彼からの返事はない。
時々苦しそうに開く目は既に赤く染まっている。
注射を打たれた右の腕が、意思とは裏腹に痙攣したようにぴくぴくと動いている。
それでも、口元は笑んだまま。
(そうだ…この微笑みを、無くしたくない)
例え、それが「私に向けられるものじゃなくなった」としても
ミーアさんでも、他の女の子でもいい
普通の人間として、幸せに暮らして欲しい
本当はこれから先の未来を、ずっと二人で決めたかったけど
それでも、今は、希う
アスランの…世界で一番愛する人の、幸せを
カガリがその形の良い唇に、そっと自分のものを重ねる。
何時も求められるばかりで、自分からしたことはなかったけど。
この唇以外、私は触れない。誰にも触れさせない。
聴こえなくても、この想い、お前はこれで分かってくれるだろ?
そこに感じる温もりは、失われ冷たくなってきている。
もう―――時間はない。
「私は永遠にお前だけのものだ。ずっと…ずっと愛してるよ…」
カガリの牙が伸びていく
「さよなら…アスラン…」
カガリは、アスランの首筋に、牙を立てた―――
・・・to be
Continued.