「ルナ、聴くなっ!」
言うが早いか、シンが、そして更にその上からレイまでもが、ルナマリアの両耳を慌ててバチン!と塞ぐ。
♪暗い海と空の向こうに
争いのない場所があるのと
教えてくれたのは誰
誰もがたどり着けない
それとも誰かの心の中で
ゆったりと、まるで暖かい海に抱かれているような歌声
少なからずともシンとレイにはそう感じた。
そして
「ちょっと、痛いわよっ!」
ルナマリアが二人の手を振りほどいた。
「ルナ…大丈夫なのか?」
「大丈夫、じゃないわよっ!二人していきなり私の耳押さえつけるんだもの!圧迫の衝撃で鼓膜破れるかと思ったじゃない!」
「いや、そうではなく。」
おかんむりのルナマリアに、レイが再度テレビを指さす。
「…あの声を聴いても、今回は正気を保っていられるのか?」
街頭テレビの映像は、まだ流れ続けている。
明らかに、あの時と同じ曲で、同じ人物が歌っているのに、前回と同じような急に怪物が襲い掛かってくる恐怖感もビジョンもルナマリアには全く無い。
「うん、平気。それにしても…」
ルナマリア、そして彼女に続いてシンとレイも周囲を見渡す。
ルナマリアだけではなく、前回のように突然暴れだす人間は一人も視界に入らない。
「あ、ミーア・キャンベルじゃない?」
「ホントだ。…なんか過労で入院しているって聞いてたけど。」
「復活したのかな?」
往来の人々も一瞬足を止め、映像に見入っている。
いや、見入るだけではなく、前回とは打って変わって、まるでうっとりと聴き入っているかのようだ。
♪水の流れを鎮めて
くれる大地を潤す調べ
今はどこになくても
きっと自分で手に入れるの
いつも、いつか、きっと…
いつの間にか、3人とも聴き入ってしまう。
「そうよ、この前と全然違う。…この歌詞みたいに怒りを鎮めてくれるみたいな、なんか…」
ルナマリアは呟いた。
「何か、女神様に抱かれているみたい…」
***
「一体…一体何なのですっ、これはっ!」
タブレットを鷲掴みして怒鳴るアズラエルに、白衣の研究員が彼の勢いに飲まれつつも必死に答える。
「そ、それがあらゆる動画サイト、それから先日と同じ街頭テレビで一気にこの映像が流れ出しまして…一体どうなっているのか、私たちにも皆目見当が―――」
「配信元は誰なのですっ!? 現物はこちらにあるはずなんですよっ!」
「そ、そのはず、なんですが…な、何故か『ドミニオンレコード』からの配信になっておりまして―――」
「そんなこと、ありえるわけないでしょう!!」
白衣の襟首をひっつかんでガクガクと力任せに揺さぶったせいか、白衣の男は泡を吹いて倒れてしまった。
そこへ
「おっさん、何やってんのさ?」
「早いとこ、俺たちこっから出たいんだけど…」
『Bursted Men』の3人が、気だるげにアズラエルに文句をつけつつ入ってきた。
「ダメです!君たちっ!今ここに入っちゃ!さっさと出て行って―――」
アズラエルは慌ててけん制する。が、
「あん?」
「つったって、こんな狭いとこの他どこに行きゃいいってんだよ?」
アズラエルの慌てぶりとは真逆に、彼らはダラダラと文句を垂れ流す。
まるでいつも通りだ。
(…変化が、無い?)
「ちょっと君たち、待ってください。」
「何だよ…さっきは「入るな」って言っときながら、今度は「待て」って…」
「この曲を聞いても、何も感じませんか?」
アズラエルが3人の眼前に突き付けた画面では、ミーア・キャンベルの曲がまだ流れている、だが、
「別に…つまんねー歌。」
「眠くなるな。」
「これが一体何なんだよ、おっさん。」
オルガ・シャニ・クロトは3人並んで画面を一瞥すると、並んだ順に文句だけを言い残して、勝手に部屋を出ていった。
「…どういう…ことです…?」
あとに残されたまま、アズラエルは愕然とする。
(おかしい…)
そう、確かに今歌っているのは、ミーア・キャンベル。
だとしたら、あの『Bursted Men』の3人が「反応しない」ということは「ありえない」はず。
なのに、全く彼らに変化は起こっていなかった!
アズラエルはもう一度画面を食い入るように見る。
ゆったりと美しい旋律を声で奏でるミーア。
(いや、本当に「ミーア」なのか?)
ミーア・キャンベルについて知っている限り、アズラエルの中では、幼さが目立つただの御しやすいアイドルだった。だが、この画面の中のミーアは、自身の世界感を確立した、まるで一流の歌い手そのものだ。
第一、録画したPVは先日の一本だけのはず。しかし、この今現在流れているPVは全く見覚え
がない。この企画は全てアズラエルの手中で行っている以上、自分が知り得ないもう一本のPVを撮っているということは考えられないのだ。
(一体、誰が、なんのためにこの動画を??)
混乱するアズラエルに、さらに追い打ちがかかる。
「社長!」
「何なんです!騒々しい―――」
「今、『ドミニオン』から電話が鳴りっぱなしでして。「社に「今流れているPVの件」で問い合わせが殺到し、対処しきれない!」と――」
アズラエルの額に汗が浮かぶ。しかしそれを拭く間もないうちに
「アズラエル社長、何とかしてください! 雑誌編集者から「ミーア・キャンベルと貴社の関係について話を聞かせて欲しい」と、もうひっきりなしに電話が―――」
「大変です社長!「入院中のはずのミーア・キャンベルがPVに出演しているのはどういうことか」と―――」
「アズラエル社長―――!」
「社長―――!」
気づけばポケットの中の携帯電話のバイブレーションも止まらない。
(一体…一体これは…―――って、あぁ、もうっ!!)
「いい加減にして下さいっ!!!!」
アズラエルが頭を掻きむしった。
瞬間、着信の音以外静まり返る室内。アズラエルは怒号を浴びせた。
「レコード会社の方には「問い合わせ内容については後日説明します」、とだけ答えるよう伝えなさい!雑誌に関しては「私とキャンベルさんに関しては無関係です」と!後は適当に流してください。」
「「「社長――――!!」」」
追いすがってくる研究員とスタッフをその場に置き去りにして、アズラエルは部屋を出る。
そこへ
<ピリリリリ…>
「あぁーーーーっ!!もうなんですっ!五月蠅いったら!」
耐えきれずに着信をONにした途端、それまで聞いていた悲鳴のような声とは打って変わって、落ち着いた低い声が耳に届いた。
<…五月蠅いのは君の声の方だ。一体どういうことかね?この不始末は。>
その声にアズラエルの顔が青ざめる。
「い、いえ。少々取り込んでおりましてね。えぇ、実験の結果で。無論、もう直ぐいいお返事をお届けできる予定ですよ。」
<……>
できるだけ声を落ち着かせ、動揺を悟られないように気を付けたが。だが電話の向こうの相手は様子をうかがっているのか、終始無言だ。
「は、ははは。いやですよ。たまたまちょっと、こちらの手違いで別に録ってあったPVが流れてしまったようですが、全く問題はありません。はい、取引についても前回と変わらず、予定通りで。では、お互い良い夢が見られますように。」
いつもの余裕たっぷりの慇懃無礼さを言葉に込めて、アズラエルは電話を切った。
その携帯を持つ手が震えている。
「…止まれ…止まりなさいっ!…」
幾ら震える手をもう一方の手で押さえても、震えは止まらない。
そう、何しろそのもう一方の手も震えているのだから。
(…私に…この私にこんな恐怖を受け付けるなんて…!!)
アズラエルから溢れた怒りが、敵意むき出しの表情へと変貌させる。
(一体、誰が私をこんな目に―――)
あのPVは自分が撮ったものではない。無論スタッフも限っていたため、彼らには十分な監視とチェックを怠らなかった。
だからこの内部であんなPVを流出させるような人間はいないはず。
いや、待て。
ミーア・キャンベルは、警察の監視下の元で入院中の状態であることに変わりないはず。
しかも、あのBursted Menの3人がこの歌を聞いて変化しなかったのだ。
ひょっとして、これは「別人」か…?
だが、こんなに姿も声もそっくりな人間がそう簡単に見つかるとは思えない。
「それに、です。」
アズラエルが眉を顰める。
(何故このタイミングで、こんなPVを流したのでしょう…?)
「あの人」が圧力をかけたとはいえ、警察出動の大騒ぎになった後だ。まるで挑発しているとしか思えない…
「――!『挑発』…」
そうか…
「ヤツ、ですか…」
アスラエルの手だけでなく、身体が震えあがる。
そう、「アイツ」だ。
一番危険だと思っていた彼だ。
ミーアの声の秘密を知っている、と言わんばかりに、「反応の起こらない」PVを流して見せた。
そして、『ドミニオンレコード』の社章を入れ込んで、世間の目を一気に自分の足元に向けてパニックを起こさせた。
世間の目が向けば、やがて警察だって無視できなくなる。そうなるとどんなに圧力をかけても、今後はその圧力をかけている「あの方」へのメスが入る。
『一網打尽』を狙うために、周囲と自分の足元両方に襲い掛かってきた。
「やはり…やはり君を取り逃がしたことが、一番の誤算でしたね。」
アズラエルは憎々し気に、その名を吐いた。
「…『アスラン・ザラ』…」
***
翡翠に映っているのは、まるで『バビロンの塔』のように、都会の真ん中に聳え立つ高層ビル。
今、その足元に蟻のように集っている人間たちは、概ねマスコミ関係者だろう。
少し離れた場所からその様子を見守るアスランは、無表情だった。
3日前―――
―――「キラ、カガリを預かって欲しい他に2つお願いがあるんだが…」
―――「何?」
―――「『S.F.』を一夜限りで復活させてくれないか?ただし、俺の書いた曲で。」
―――「はぁ!?」
キラは紅茶を吹き出しそうになった。
―――「どういうこと?僕たちはカガリに近づくために、一時的に同じ土俵に立ったけど、それ以外で『S.F.』を復活させる
つもりはないよ。みんなの記憶から僕らを消すの、どれだけ大変だったと思っているの?」
流石にキラは口をへの字に曲げる。
―――「だがそれでも頼みたいんだ。あの男…アズラエルを引っ張り出すために。」
―――「…どういうこと?」
ここまでしてアスランが頼み込むのだ。流石のキラも興味が沸かないとは言えない。
アスランはUSBを取り出し、テーブルの、キラの目の前にそれを置いた。
―――「君も知っている通り、キャンベルさんとラクス嬢はそっくりだ。声も顔も。それを利用してヤツの潜伏先を炙り出したい。」
―――「それと『S.F.』とどう関係があるのさ?」
―――「キャンベルさんの声を奴が必要としていること、そして彼女の声に関する秘密はまだ彼と協力者以外に知られて
いない、と奴は思い込んでいる。そこでラクス嬢の出番だ。」
アスランは紅茶を一口飲み下した。
―――「ラクス嬢が歌っても暴動は起こらない。例え薬物を吸収させていても、だ。声は似ていても別人だからな。
偽のミーア=ラクス嬢の歌に、更にそこに『ドミニオンレコード』=アズラエルの存在を匂わせることで、
世間の目は一気にドミニオンに向く。そして「ミーアが歌っているはずなのに暴動が起こらない」ことで、
「暴動を起こすメカニズムを暴いた」「彼女の歌から暴動を起こさない方法を作り出した」という、一種の
宣戦布告をアズラエルに送りつけるんだ。」
キラはしばらく考え込み、カップを置くと一言尋ねた。
―――「それでラクスの身は大丈夫なの?今度は彼女が狙われるリスクは?」
―――「大丈夫だ、それはない。」
アスランは答えた。
―――「あの関係者の中で、情報を知りながら反目しているのは俺だけだ。奴はターゲットを俺一人に絞ってくる
はずだ。もし、クルーゼから何らかの情報を得ていたとしても、ラクス嬢は従者である以上、クルーゼの
興味対象ではなかったはず。彼女に関する情報はゼロの可能性が大きい。それに―――」
アスランは笑顔で言った。
―――「ラクス嬢には、君がいるだろ?」
―――「…君って、そういうとこ、ずるいよね。」
キラは苦笑した。
―――「わかった。ラクスに聞いてみるよ。従者とはいえ、僕は彼女の人権を尊重している。ラクスが嫌がったら、
その時は理解してほしいな。」
―――「あぁ、分かった。」
―――「ところで…」
キラが上目遣いにアスランを伺う。
―――「…カガリに…会いたくはないの…?」
―――「……」
言葉に詰まる。
無論、今すぐにでも傍に行って、誰がいようが抱きしめたいに決まっている。キラの傍にいると解ってからも、
今まで何度も喉元まで「会いたい」という言葉が出かかった。だが、かろうじて理性がそれを飲み下す。
―――「…いや、俺が迂闊に出入りすれば、万が一足がついていたとしたら、アズラエルが直接カガリを狙ってくる
可能性がある。彼女の居場所がバレるリスクは避けるよ。」
―――「そう。…アスラン、君は…」
―――「何だ?」
―――「ううん、何でもない。じゃあラクスに相談してくるね。」
残りの紅茶を飲み干し、キラは席を立った。
その後、直ぐに二人から連絡があり、ラクスは二つ返事で聞き入れてくれた。
直ぐに彼女に曲と歌詞を聞いてもらい、PVを作成した。
無論、ミーアの時と全くそっくりに作るつもりはない。かえってその方がアズラエルも気づきやすいだろう。
そして、動画にUPした。
週一回、街頭テレビが動画サイトの作品を放送するという企画に願い出て、シークレットで放送してもらった。
その結果が、「これ」だ。
「さて、どうする?アズラエル。 俺ならここに居る。」
アスランは不敵な笑みだけをその場に残し、蟻の群がるバビロンの塔を後にした。
・・・to be
Continued.