震度:7

マグニチュード:9.0

震源地:イザーク・ジュール

 

朝の捜査一課を襲った激震を例えると、まさにこのような感じだった。

「何ででありますか!?ここまで俺たち飯もろくに食わないで、必死にやってきたのに!」

「そうですよ!私だって被害者なのに!――…アレ?加害者、かな…?」

速攻シンと、語尾は弱いがルナマリアが懸命に訴える。他の署員も大声を上げないまでも、どよめきと不平の入り混じった文句が飛び交うが、イザーク本人は三白眼の形相を変えることはなく、またも余震とも思える大声を張り上げた。

「仕方なかろう!上からのお達しだっ!文句があるなら直接総監に喧嘩売って来い!」

「「そうかん」って…もしかして、『警視総監』…ですか?」

「それ以外『そうかん』というのが付く人物がいるかっ!」

ここに職を置く者なら、誰でも一発で黙らせるその単語の登場に、シンの勢いがたちまち弱まっていく。

「『副総監』がおりますが…」

「どっちも大して変わんないよっ!」

レイのツッコミに半泣きで応えるシン。

最高位にあたる「警視総監」とそれに続く「副総監」は、警察の末端である「巡査」にあたるシンやルナマリア、レイにとっては雲の上の人同然である。一巡査が物言いをつけたところで、道端の小石を蹴るがごとく、一掃されて終わりなのは目に見えている。

「…しかも、総監って、あの『ザラ警視総監』だろ?…一度遠目で見たことあるけど、ものすごい威圧感というか、なんというか…」

「…あんまり顔合わせたくないよね…」

自他ともに厳しいので有名なのは、末端の人間でさえ知っている。それを思い出し、シンとルナマリアは囁き合いながら、総監の隙の無いあの顔と視線を思い出し、自然と身震いが起きる。

そんな二人以外の一課の面々も似たり寄ったりの反応だ。『ザラ警視総監』と聞いただけで、先ほどの激震が嘘のように静まり返っている。

そんな中一人、ディアッカが疑問を口にした。

「しかし、何だってまた総監直々にお達しが下りてくるんだ?組織の端っこだぜ、俺たち。」

大抵大掛かりな組織であれば、途中何段階も官職が存在する。特に捜査課にとって、とりまとめは『刑事部長』が行うのがセオリーだ。査察官や参事も含めれば、全国警察の頂点に立つ警視総監が、こんな末端に直接進言してくるというのは、1万分の一、いや一億分の一をもあり得ない。ディアッカの疑問も当然である。皆顔を見合わせると、一様にイザークに視線が集中する。

だがイザークとて相当予想外だったらしく、首を横に振った。

「わからん。とにかくおっしゃることには「現在捜査中の『集団暴動事件』については「打ち切り」。昨夜の『傷害事件』も、「事故で処理すること」、とのことだ。」

「『傷害事件』…って?」

「あ、そうか。ルナ、いなかったもんな。…昨日の夕方、マンションで傷害事件があって、その被害者が「ミーア・キャンベル」だったって言うんだよ。」

「え!?!?ミーアってあの「ミーア・キャンベル」!?」

うっそー!と目が飛び出そうなほど驚くルナマリア。

シンがさらに情報を加えた。

「うん。なんかマンションで倒れていて、それを発見した「アレックス・ディノ」が救急車呼んだって―――」

「『アレックス』が!?「ミーアを見つけた」!?!?」

「うるさいぞ!ホーク姉!静かにしろっ!」

イザークが大声で叱責するが、一瞬しゅんとして見せたものの、ルナマリアの興奮が止まらない。

「え〜!やっぱりあの熱愛報道は本当だったの〜?? マジならがっかりだけど…あ、じゃぁここにも来たのかな?アレックス…」

キョロキョロと周囲に質問の視線を投げかけるものの、余震を恐れて皆がスルーする中、芸能界に興味も全くないらしいレイが淡々と応えた。

「俺たちは『集団暴動事件』にかかりきりだったからな。エルスマン警部がそっちは当たったらしい。」

「あ〜〜〜〜!やっぱり来てたんだ!悔しい〜〜〜〜!!見たかったな〜アレックス…」

「刑事だったら事件を解決できなかったことの方を悔しがれよ、ルナ…」

「だって…」

(全く、女ってやつはこれだから…)

事件に立ち会えなかったルナマリアと、事件を終結させられたシンが、二人揃って地団太を踏む。

やがて一時静まり返った室内が、さざ波のようにざわめき始めた。

ルナマリアの思惑はともかく、シンをはじめとする一課の署員らが、これで納得するわけがない。

幾ら警視総監とはいえ、あれだけの被害を生じ、必死に追ってきた事件を胸三寸で止められねばならないのか。今までの苦労をすべて水の泡に帰し、黙って見送らなければならないのか。第一国民にどう説明をつけるつもりなのだろう。

そして、今後も暴動が発生した場合、どう対処すればいいのか?

「それで…この後、我々はどうしたらいいのでしょうか?」

レイがイザークに尋ねる。イザークはデスクに両手をつき、俯いたまま答えた。

「ともかく捜査本部は解散だ。そして今後暴動を取り押さえた時は、明らかに原因が分からないものに関しては、単発の暴動として他の事件と関連づけずに処理する。」

「そんな!」

「何の解決にもならないじゃないですか!」

不満が声となって、一気に溢れかえる。

それを<ドン!>という机を叩く大きな音で制したのはディアッカ。

「静かにしろっ! 誰が一番悔しい思いをしているのか、お前らには見えないのか!?」

話し声がピタッと止み、恐る恐る皆がイザークを見やる。

彼の両手が小刻みに震えていた。いや、肩まで震わせている。

無欠勤で早朝から深夜まですべて一人で張り切って陣頭指揮を執っていた彼が、頭ごなしに職務を手放すよう言い渡されたのだ。どんなに正当性のある理屈を並べても、「権威」の二文字でいとも簡単に抹消されてしまう。

イザークがどれだけ必死に食らいついたか、その場に居合わせないまでも、普段自信に溢れかえっている彼の今の姿が、如実にそれを体現していた。

ディアッカがため息をつく。

「…ともかく、本部は解散。表の看板は外しておけ。後は通常勤務だ。いいな。」

「「「……」」」

その声に誰も逆らえるものはいなかった。

皆が各々のデスクに戻り、事務作業、あるいは電話かけと、通常の風景に戻っていく。

 

「…大人になれ、ってことか…」

ディアッカがイザークの肩に触れる。

長い物には巻かれろ―――どこの業界でもありうることだが、「正義」を重んじるイザークにとってはどれだけのダメージだったか。

「…大人は大人らしく、今夜はたまには付き合えよ。な?」

イザークからの返事はなかった。だが彼は嫌な時は徹底的に否定する。つまりは「肯定」だ。

ディアッカは苦笑して、彼の肩をポンポンと二度、力強く叩いた。

 

 

***

 

 

残業がないというのは、心持ち落ち着かないこともある。

いや、警察に残業がない、ということはそれだけ「平和」ということなのだろうが、どんな小さな仕事にも全力を向けていた彼らにとっては、残業の無いこの時間が実に不安で空虚と感じる。

熱帯魚が涼しげに泳ぐ水槽に囲まれたバーは、下っ端の刑事には立ち入ることを躊躇させる高級感がある。

無論、懐具合で近づけない、ということもあるが、それをいいことに、いわゆる「重役会議」と「部下には見せられない上司の愚痴を吐く」場所として持って来いだった。

そのボックス席に、男三人が静かに頭を寄せ合っている。

「僕も今日の話は不満だらけです!」

酒の勢いも手伝ってか、普段品行方正を胸としているニコルが珍しく語気を強めて訴えている。

「僕もイザークと一緒に呼び出されて、まさか総監がいるとは思いませんでしたよ!それだけでも驚きで口が回らないのに、いきなり「捜査は中止だ」ですもん。必死に今の捜査がどれだけ必要か、訴えたんですけどね…あーーーーーーもうっ!」

「ほらほら、少しペース早いぜ、ニコル。こっちも口にしときな。」

そう言ってディアッカが差し出す水を、ニコルはコップ一杯一気に飲み干した。

「折角証拠になるものを必死にかき集めて、みんな徹夜で作業にとりかかているのに…ディアッカには僕たちの悔しさがわかりますか!?」

「おーおー。わかるわかる。」

ウィスキーの氷を足すついでに、少し加水してニコルに手渡す。彼が悪酔いすることは見たことがない。それだけ二人の無念が伝わってくる。

イザークがナポレオンの注がれたグラッパグラスをくゆらせながら、ようやく落ち着いた口調で話し出した。

「…しかし、全く持って総監の意図がわからん。あれだけ市井を巻き込んで大事件に発展しているのに、だ。かえって国民の評判をがた落ちさせることになることくらい、わかるだろうが。」

「…つまりそれ以上に「公にしたくない」ってことができたんだろう?」

今夜はイザークの口を聞く役を買って出たために、酔いを抑えるべく、ちびちびとヘネシーを味わっているディアッカがため息をつく。…と同時にあることに気づき、眉をひそめた。

「…まさかと思うが、「アスラン」…じゃないよな。」

「それはない。」

ディアッカの不安をイザークはあっさりとかき消した。

「それは俺も追随した。」

 

―――「総監…まさか、今回の事件から手を引く理由は…「ご子息」が絡んでいるからでは―――?」

   普段から威圧感のあるパトリック・ザラだが、決して冷静さを失うことはない。

   感情を露わにするような人間では、とても警視総監は務まるものではない。

   だが、今回は烈火のごとく怒り出した。

―――「その名をもう一度口にしてみろ!私の息子は死んだのだ!」

 

「…ま、そうだろうな。私情を挟むような人じゃないのは分かっているけれど…」

「でも、きな臭いです。」

眼が坐っているニコルが話し出した。

「何よりも対面を重んじる人だと、ずっと僕は父から聞かされてきました。どんなに「縁を切った」と言い切っても、周囲はそう簡単に認めるとは思いません!むしろ警視総監の弱点を突いて成り上りたい官僚はごまんといるはずです!」

「まぁそうだろうな…」

ディアッカもそれには頷く。

ニコルは更に続けた。

「それにですね、この事件は既に一般民にも広く伝わっています。処理としては「一過性の暴動」で、僕のところには「異臭によって混乱した民衆がパニックになった」なんて結果を書かせようと、報告決済が回ってきました。僕はサインしたくなかったですよ。でも、しなかったら、部下たちがどんなお咎めを受けるか心配で…」

カットグラスをテーブルに叩きつけるようにして置くなり、今度は泣き上戸になったのか、ニコルはハラハラと涙を流し始めた。

「あ〜〜〜わかったわかった!お前はよくやってるよ、本当に部下思いで優しいよな。」

「…ほんとにそう思ってますか?」

「思う思う♪」

イザークの機嫌を取るつもりで来たが、まさかニコルのお守りをすることになるとは。

苦笑しつつディアッカは、それでも二人に核心を突く問いを投げかけた。

「でもよ、あの警視総監のプライドを突くには「アスラン」は格好の材料になるのは確かだ。二人の関係を知っているごく一部の人間以外で、それを握っているんだったら相当の情報通だぜ? 部下だったら簡単に黙らせるくらい、あの総監はやるだろうが、それができない相手…しかも、ここまで詐称させて事件の核心をももみ消そうとするんだ…「あっち」の方からの圧力ってことはないよな?」

「いや…十分あり得る。」

イザークが静かにグラスを置いた。

「警察に圧力をかけてくるなんぞ、概ね議員の先生…しかも相当な上の人物からの圧力としか考えられん。」

「それが一体『誰』なのか…そして何のために、こんな暴動を起こしてしまったのか…?」

「…そして…それに対し、「俺たちは、どうするか?」だ…」

 

アルコールが脈拍を早くし、身体を熱くする。

そして、3人の心に燻ぶっているものに、仄かに火をつけた。

 

 

***

 

 

一体あれから何日たったのだろう。

ろくに食事もとっていない。最も食欲など一つもわかないまま、ただ虚ろに日々だけが過ぎていく。

アスランは思考の止まった頭と気怠い身体を、ただカガリの部屋で投げ出したまま過ごしていた。

今が昼なのか夜なのか、分厚いカーテンで分からない。

もう何もしたくない。する気も起きないのに、やけに喉の渇きだけ気になって、ヨロヨロと立ち上がり、コップになみなみと水道水を注いで飲み干した。

辺りを見渡せば、まだカガリの残した跡があちこちにあるのに、気配だけがない。

(俺が戻れなかった間、カガリもこんな不安をずっと抱いていたのだろうか…)

いや、彼女は逞しい。アスランが思いもよらないようなことを、あっさりとやってのけた。

アスランの考える「常識」をはるかに超えた考え方で、いつも行き詰まってはそこに立ち止まってしまう、アスランの手を引き、眩しい世界へと連れ出してくれた。

幼少期、あの暗い屋敷の中で、ずっと外に出ることも許されずに過ごした彼女は、一体どこでそんな考え方を身に着けたのだろう。

否、身に着けたんじゃない。天性のとらえ方だ。

俺がザラ家にいた頃は、一言も誰にも肯定されたことがなかった。

あるのは「もっと頑張れ」「誰にも負けるな」「これしかできないのか」…

常にだれかの顔色を伺うのが、当り前に思っていた。そして機嫌を損ねないように、細心の注意を払って…

だが初めて会ったカガリは、あっさりと俺に言った。

(―――「「だってお前が注意してくれたのは、「私のため」を想って注意してくれたんだろ? 相手のことを思ってしてくれたことはありがたいことであって、なんで怒らなくちゃいけないんだ?」)

にっこり笑って彼女はそう返してくれた。

そして当たり前のように、「お前、強いな!」「うわ〜頭いいな!」…

俺の中の可能性をすぐに見つけて、褒めて、認めてくれた。

そういいながら、間違ったこと、失敗したことも認めてくれた。

(―――「やっぱりバカはバカだ。」)

そう言って笑ってくれる。

否定されたはずの言葉なのに、何故嬉しかったんだろう。

 

いや―――それも「俺」だったんだ。

 

それも「俺」でいいんだ、と教えてくれた。

いいところも悪いところも、全部ひっくるめて「アスラン・ザラ」という人間を好きだと言ってくれた。

「彼女の言葉一言一言」が―――俺の「生きる糧」だった。

 

なのに

 

 

今、君は―――いない

 

 

一体どこに行ってしまったんだ…?

 

俺を…「捨てて」…?

 

そう思うたびに心に深くとげが刺さる。いや、ナイフでえぐり取られるような痛みだ。

 

それに耐えかねたのか、アスランはノロノロと外に出た。

カガリの姿を求めて…

カガリとよく通う店、歩いた道、お気に入りのカフェ、楽器店…彷徨ってみたが、彼女の姿を見つけることはできない。すると―――

「あれ?アレックスさん、どうしたんですか?」

馴染みの楽器店の店員が顔をのぞかせた。

「いや…カガリが来ていないかな、と思って…」

「カガリちゃん?来ていませんけど…って、顔色悪いですけれど、大丈夫ですか?」

「あ、あぁ…カガリの姿を見つければ、元気も出るんだろうけど…それだけで十分なんだがな。」

すると店員は笑い出した。

「いや〜そっくりですね、お二人。」

「…「そっくり」?」

顔が似ていると言われたことはないが。

すると店員は笑いながら言った。

「先日もカガリちゃんが歩いていたんですよ。「どうしたの?」って聞いたら、「アレックスを探しているんだ!来ていないか?」って、心配そうに。大分フラフラしていたんで、体調悪いのかと思って「大丈夫?」って聞いたんですけど。「大丈夫!でもアレックスの顔を見たら、もっと元気になれるんだけどな。それだけで十分なのに。」って。」

「―――っ!」

(カガリ―――!)

眼の奥が熱くなる。

血液が足りない中、カガリはそれでも必死にアスランの姿を探していた。

何よりも…自分の姿を求めて。

 

カガリが居てくれるだけで十分だ!

 

他に何もいらない!

 

何より―――カガリも同じ気持ちでいてくれたのに

 

俺は…彼女の手を…取れなかった…

 

何かで気持ちが爆発しそうになるのを必死にこらえてアスランは走った。

ただ闇雲に。

以前カガリに「もっと計画的に」等、偉そうに説教した自分が情けない。

でもきっとカガリなら言ってくれるのだろうか。

 

―――「そんなアスランでも、私は大好きだ」…と―――

 

「カガリ…カガリィィーーーっ!」

走り続けた息が上がって、立ち止まる。

どんよりとしていた空から、いつの間にか大粒の雨が降り出してきた。

だが、濡れる感覚もなく、濃紺の髪から重そうに雫を滴らせながら、アスランはトボトボと彷徨う。

意味もなく、足を進めて。

 

いや、

 

自然と足は「そこ」に向いていた。

 

今となっては膝の高さしかないシーソーや、タイヤ

藤棚の下の木のテーブルとイス

それがある公園を抜け、なお暗い裏道を進んでいくと

 

そこにはツタの貼り廻ったレンガ造りの高い壁に囲まれた―――子供の頃、『眠り姫』の城と思った、あの「大きな洋館」

 

アスランは高い鉄柵の門前で、洋館の2階の窓を見上げる

かつて、そこにいた彼女を見つけるように

 

すると

 

<ギギギ…>

 

鉄柵は金属の鈍い音を立てて、自然と開いていく。まるで招かれているかのように。

「……」

意を決してアスランは進み出でた。

両開きの大きな木製のドアが目の前で開く。と、そこには幾人の執事とメイドたち。そして―――「彼」が立っていた。

 

「久しぶりだね、アスラン君。」

 

アスランはようやく顔を上げ、「彼」を見た。

 

「…ウズミ…様…」

 

 

 

・・・to be Continued.