誰よりも早く飛び出したダコスタに、背後からディアッカが拡声器張りの大声で叫んだ。

「あー!そっちじゃなくて、今度はこっちこっち!」

「何でですか!?早く病院に行かないと―――」

その場駆け足状態で言い返すダコスタに、ディアッカは苦笑して立てた親指を、その逆の方向に向けた。

「そのまま直進して正面突破してみるか? 寧ろそっちの方が病院にいつたどり着けるか分からないぜ。」

 

ディアッカの行く先は、正面ではなく地下駐車場だった。

わざとヘッドライトを落とし、静かに車が進み出てみれば、警察署正面にはいつの間にか人だかりができていた。

「あれは…」

「『マスコミ』ってやつだな。」

後部座席からバルトフェルドが盛大にため息をついた。

それを背で聴きながら、ディアッカは淡々と説明する。

「もう既に事件は知れてるからな。警察付きの記者ってのがいるから、そっから一気にその道の業界関係には知れ渡る。…あ、そうそう。病院にも当然ハイエナが集っているから、通用口の方から行くからそのつもりで。」

「通用口、ですか…」

ダコスタが慌てて両手を合わせて念仏を唱えだす。

病院の通用口、といえば夜間に関係者の出入り、あるいは亡くなった患者の搬出に使われるため、確かにいい印象はない。

「…そういえば、あの偉そうだったもう一人の刑事さんは来ないんですね。」

「イザークのことか? あいつはこれから「お偉いさんのお仕事」しなきゃなんねーから。」

「『お偉いさんのお仕事』ですか?」

「…『記者会見』か…」

「ピンポ〜ン♪ 流石はアレックスさん。ご名答v」

ディアッカは軽く言っているが、確かに大きな暴動に加え、有名アイドルの傷害事件だ。マスコミにも大きく取り上げられているだろう。

だからこそ、アスランをはじめとした関係者に急ぎ任意で同行させ、マスコミに提供できる情報を精査したわけだ。

「どこもお偉いさんは大変だねぇ〜」

バルトフェルドが軽口を叩く頃には、既に車は病院通用口に横付けされていた。

 

「キャンベル、大丈夫か?」

バルトフェルドの後ろからアスランが室内を伺うと、病室の雰囲気は変わっていた。

アイシャのほか、医師と看護師数人が半坐位のミーアを囲んでいる。さながら『白雪姫と7人の小人』のようだ。

だが、その中心にいる姫は目だけをぽっかりと開き、表情もなく、青白い肌はそのまま潤いも張りも失われていた。

「ミーアちゃん。」

溜まらずダコスタが駆け寄る。が、ミーアは輝きを失ったままの瞳でぼんやりと後から来た3人を眺めると、ぽつりと呟いた。

 

「…貴方たち…誰…?」

 

「「!?」」

瞬時言葉を失うバルトフェルドとダコスタ。

「や、嫌だな〜ミーアちゃん。そんな冗談をこんな時に〜。それとも部屋が暗くてわからなかった? 僕ですよ、マネージャーの―――」

「…誰…?」

「…ミーア…ちゃん…冗談でしょ…?」

笑顔が固まったダコスタ。バルトフェルドは付き添っていたアイシャに視線を送る、と、彼女は静かに首を横に振った。

ダコスタが震えだす。

「う、嘘でしょう!?じゃ、じゃぁ彼ならわかるでしょ!?ほら、ミーアちゃんのこと心配して来てくれたんだよ!」

そう言ってダコスタがアスランの腕を取って、ミーアに近づかせる。

「…キャンベルさん…」

アスランは寂しい目でミーアを見つめた。

 

アスランにはわかっている。

彼女と同じ―――カガリの吸血を受けた人の眼を

 

(もう、彼女はきっと…)

 

アスランが苦悶に耐える。

アスランを見返すミーア。やがてシーツをぎゅっと握る手が小刻みに震えだした。

「…わからない…貴方…誰?…わかんない…―――わからないの!!」

ミーアが頭を抱え、呻き、叫ぶ。慌てて看護師たちがその体を抑えにかかった。

「ミーア、落ち着いて。大丈夫よ。今は眠るだけでいいから。何もしなくていいのよ…」

溜まらずアイシャがミーアを抱きかかえると、ミーアは震えながらその胸に蹲って震えている。

「…おい…」

バルトフェルドが視線でアスランとダコスタ、ディアッカを病室の外へと促した。

それを悟って医者も病室を後にし、すぐ隣にあるカンファレンス室へと彼らを招いた。

「どういうことですか?先生。」

説明を求めてバルトフェルドが坐りしな質問すると、医師は落ち着き払った声で答えた。

「『健忘症』…言い換えれば『記憶喪失』というものですね。」

「『記憶喪失』…」

ダコスタが医師の言葉を反復する。

「何で…なんでミーアちゃんが記憶喪失だなんて!」

半狂乱のダコスタを片手で制し、バルトフェルドが務めて冷静に状況を把握しようとした。

「原因は、失血ですか?」

「確かに脳の中でも記憶を司る『海馬』という部分が、一時的に血を失うことで起きることもあります。『一過性健忘症』というものですが。ただ…」

「『ただ』?」

「彼女は自分の氏名・年齢・出身・過去の出来事などは事細かく覚えているんです。実家の住所や電話番号なんかも。果ては自分のSNSのアドレスなんかも口にできました。覚えていないのは、ご自身の「仕事」に関するもの、そしてその関係者なんです。」

「そんな…」

「なんで…」

二人が絶句する。

 

「……」

アスランは目を伏せた。

 

カガリは血液のほかに『欲望』を吸い出す。

概ね『Vamp』として吸血しているときは、犯人の欲望――「犯罪への執着」も吸いだす。

特に犯行直後はその欲望に駆られているが故に、吸血しても「それだけ」が吸いだされるため、記憶に大きな影響はもたらさない。

 

だが―――今回彼女は空腹に耐えかねていた。

そして、ミーアの『何か』を見て、多分発作的に吸血行動に走ってしまったのだろう。

その結果、多分カガリが吸いだしたのは―――『歌』。

ミーアがどれだけ歌を愛していたかはわかる。あのレコーディングでも必死に食らいついていた様子から、歌手であることにも誇りを持っていた。

しかし、その歌への欲をカガリに強く吸い出されたことで、彼女の歌に関わってきた人物やその仕事の記憶さえも失ったに違いない。

 

(―――「君はどう思う?『欲望』というと聞こえが悪い。それがそれが吸い取られれば善人になるような気がするが、それがもしその者にとっての『生きていくための希望』であったら? 『欲望』と『夢・希望・情熱』というのは表裏一体なのだよ。それを生きがいに生きている者からそれを取り上げたら…彼らの生きていこうとする気力はどうなってしまうだろうか?」)


かつて初めてカガリの吸血行動を見てしまったアスランに、ウズミが言って聞かせた「カガリの吸血の危険」。


今、まさにそれを目の当たりにしているのだ。




医師の話は続いた。

「記憶障害には『部分的記憶欠損』というものがあります。虐待を受けたり、ショッキングな出来事を見てしまったりすることで、それから逃げ出したい!という反動で、その部分だけ記憶が封じられる、ある意味「自己防衛」なのですが。あるいは彼女はそれに適応するかもしれません。」

「じゃ、じゃぁ、いつかミーアちゃんの記憶が元に戻る可能性もあるんですよね!?」

「…それは今の段階では何とも。とにかく、今奈十分な静養が必要と思われますので、しばらく入院加療となります。」

同席していたディアッカも、一部始終を聞いて頭を掻いた。

「こりゃ暫くは、取り調べできないな。…というか、思い出せたら、の話になるが。」

そのディアッカとバルトフェルドが視線を合わせる。

今後のミーアへの聞き取りと、事務所の判断とのすり合わせが必要、ということだ。

「…わかりました。よろしくお願いします。」

バルトフェルドに続いて、慌ててダコスタも医師に頭を下げる。




アスランは顔を伏したまま唇を噛みしめている。

おそらく、ミーアはもう元には戻らないだろう。

彼女の生きる糧を奪ったのは、カガリ―――ではない、「自分」だ。


もっと早くから自分の血液を彼女に与えていたら

もっと情報を集められていたら

 

いや、それ以上に

 

―――彼女を…連れ出さなければ―――

 

(―――「…サヨ…ナラ…」)

 

「っ!」

苦痛にアスランの表情が歪む。

ウズミの言った通り、彼女は屋敷にいれば、飢えることもなく、あんな悲しい涙を流させることもなかったかもしれない。

それでも、彼女をあの屋敷から連れ出さなければ、死んでいたのは自分の心の方だ。

彼女が居なければ、とっくに自分は心を殺して父をはじめとする周囲の人々の期待に沿った人生を、なんの面白みもなく人形のような一生を過ごしていったに違いない。

だがそうやってしまったことで、自分の欲望を優先するあまり、カガリと、そしてミーアの人生まで奪ってしまった。

 

(血を吸われるべきは…『俺』だったんだ…)

 

「―――ックス君、おい、アレックス君。」

「―――っ!」

肩を揺すられ、慌てて顔を上げると、バルトフェルドが沈痛な面持ちをしている。

「大丈夫か?」

「…すいません…」

「夕方キャンベルを助けてくれて…いや、その前に、アズラエル氏に囚われていたことから考えれば、君も相当に疲労しているだろう。キャンベルには俺たちが付いているから、君はもう帰りたまえ。ラミアス社長たちが外で待っているはずだ。」

確かに、この状況でアスランが居ても何も改善するわけではない。むしろここに居ることをマスコミにでも見られれば、また下卑た報道が大きくなるだけだ。

「…ありがとうございます…」

まるで両足に鉛でも付けられたかのような重い足取りで、アスランはその場を後にした。

 


通用口の外では、後から追跡したらしいマリューとナタルが、エンジンをかけたまま待ち構えていた。

アスランの姿を見て、慌ててマリューがドアを開けて迎え入れる。

「アレックス君、大丈夫?」

「…はい。本当にご迷惑をおかけしまして―――」

「それはいいわ。ともかく、後日詳細を聞かせてもらうことになるけど、今は十分休養を取って頂戴。」

「…はい。」

スタートした車はすっかり人通りもなくなった通りを、静かに走り抜けた。

暫く無言だった車内に、運転手のナタルが沈黙を破った。

「…ところで、カガリは無事か?」

「――それは…」

咄嗟のことでアスランが言葉に詰まる。

「先ほどの刑事さんのお話だと、ミーアさんに呼び出されたらしいけど、そこにはいなかったって言ってたから。携帯は貴方が持っているし、もしかしたら家に戻っているかもしれないわね。」

「……」

マリューは努めて明るい方へと考えを寄せるが、カガリから別れを告げられ、既に精神的疲労が限界に近いアスランには、とても希望を見出せる余地はない。

俯いたまま唇を固く閉じるアスランに、バックミラー越しにナタルが声をかけた。

「もしいなかったら直ぐに連絡してくれ。場合によってはアズラエル社長に監禁容疑で警察に訴える。」

「そこまではまだ飛躍し過ぎよ、ナタル。一応貴方のことは事務所としては抗議したいと思っているの。カガリさんも何か被害に遭っているとしたら、今日の彼らに捜索をお願いしようと思っているんだけど…」

「…わかりました。何かありましたらすぐ連絡します。」

自宅マンション前に静かに車が停車する。

玄関まで送るというマリューの申し出を断り、アスランは深々と頭を下げ、踵を返した。

 

 

「ただいま…」

ここから出かけた時、きっと当たり前のようにこんな風に言って戻って来れると思っていた。

すると奥から

(―――「お帰り!ったく、黙ってどこに行ってたんだよ!」)

そういって、頬をぷっくり膨らませながら、それでも後でにっこり笑いかけてくれる、あの笑顔が―――今はない。

「――――っ!」

衝動に駆られて、部屋の中を探して回る。

ロビー、ダイニング、居間、そして彼女の部屋。

そこには抜け出した時のままなのだろう、乱れたベッドのシーツと、上掛けが皺くちゃになったまま、主に置き去りにされていた。

力の入らないまま、それでも必死に起きだしたのだろう。

そのシーツと上掛けに、自然と手を触れる。

だが、もうそこに彼女のぬくもりはない。

 

いや…もう二度と、手に届かないのか…?

 

「っ!!」

そのまま上掛けを抱きしめ、崩れ落ちるように蹲る。

「カガリ…」

只、今はわずかに残る彼女の香りだけが、必死にアスランを精神を繋ぎ止めていた。

 

 

***

 

 

一連の事件の記者会見から明けた翌日、警察署にはいつも通りの朝がやってきた。

捜査一課では、昨日の事件の報告書をまとめるべく、シンとレイが頭をつき合わせながら、パソコンのテンプレートの入力作業に没頭していた。すると

「おはようございま〜す。」

「おはよう!大丈夫か?ルナ。」

「『大丈夫』じゃないわよ!これ見なさいよ!」

そう言ってルナマリアは右腕のギプスをシンに押し付ける。

「気が付いたらいつの間にか病院のベッドだし、おまけに何時怪我したのか右腕はこうなっているし、先生からは「腱が切れてるから、暫く室内勤務にしなさい」って言われるし。」

もう散々よ、と吐き捨ててルナマリアはデスクに突っ伏した。

「おはよ〜っす。」

「おはようございます、エルスマン警部。」

「お、もう出てこられたのか、ホーク姉。」

「はい、まぁ内勤だけにしろ、という処方付きですが。」

「ん、それでもこの前の事件のことで、いろいろと参考にできる話もあるだろうから、暫くそっち方面で協力してくれ。参考人がケガで聴取できない状態なんで、お前の話が必要になる。…で、ホーク妹、ちょいと濃いめのコーヒー淹れてくれないか?」

メイリンに代わってシンが様子をうかがう。

「警部、なんか眠そうっすね。」

ディアッカが「やれやれ」と言わんばかりに、疲れですっかり重くなった身体を椅子に擲つようにして応える。

「たりめーだ。昨日何時まで仕事したと思っているんだよ…管理職は残業代付かないんだぜ。…そういや、イザークは?」

「朝一で来ていましたが、なんか上層部から御呼び出しがあって…」

メイリンがコーヒーをディアッカの前に置きながら説明した。

「記者会見のことか?まぁいいことで御呼出し、なんてないから、朝からめっちゃ地獄耳&雷警報発令だな。」

ディアッカが苦笑しているうちに、廊下からその暗雲が漂ってきた。

<ギギ…>

「…うわ…」

「…かなーり積乱雲だわ…」

シンとルナマリアの表情が一気に暗くなる。

いつもの颯爽としたイザークの足取りではない。重く、淀んだ空気を纏い、それでいて俯いた状態で、サラリとした銀髪が表情を隠している分、不気味さがUPしている。

皆がビクビクと体を震わせている。口火を切ってディアッカがイザークのデスクに近づいた。

「おはよ〜っす。どした?珍しくテンション低いじゃねーの。」

そういって、お構いなしにイザークの背をバンバンと叩いて気合注入するディアッカ。

その一発ごとに戦慄を覚えるシン、ルナマリア、メイリン。涼しい顔を押しているが、多分内心レイも。

すると

<カタン…>

静かにイザークが立ち上がった。

極太江戸文字『質実剛健』茶碗が揺れるどころか、水面が波打ちもしない。

顔を伏せたまま、イザークが何かつぶやいている。

「……」

「え?どうした?何があった?」

ディアッカがワザとらしく耳に手を当て聞き寄せる。

「…しだ。」

「は?」

すると

<ドン!>

遂に勢いよく両手でデスクを叩き、その衝撃で『質実剛健』茶碗が落ち派手に<ガチャン!>と割れる。だがそれ以上の衝撃で、イザークが立ち上がり開口、般若のような顔で怒声をぶちまけた。

「今行っている捜査は全部中止だっ!」

「「「「はぁ!?!?」」」」

その瞬間、全員の湯飲みが手から滑り落ち、有無を言わさず『質実剛健』茶碗と運命を共にした。

 

 

 

・・・to be Continued.