Vamp!V 〜第5楽章〜
夜の闇に黒衣のマントがひらめく。
屋根伝いに軽々と舞うその姿は、まさに黒揚羽の様。
時折フードの影からちらりとのぞく金髪が、燦然と夜空に輝く昴の様に瞬いて見える。
と…その黒揚羽、カガリがふと羽を休めるようにして、ビル街の屋上に舞い降りた。
「よいしょっと。」
そっと懐から取り出した紙には地図―――アスランがあらかじめ調べておいてくれた、『カガリの食事』の情報…つまり、欲望を抱えた人間の出現予測地点だ。
いつもなら、インカムでアスランから送られてくる情報をリアルタイムで聞き取り、その現場に駆けつけるのだが…
今日は…アスランは、いない…
あの日以来、アスランとは仕事以外は全くと言っていいほどすれ違いの日々を送っている。仕事上でも必要最小限でしか、言葉が交わせなくなっている。こんなこと、幼い日に初めて出会ってから一度もなかった。
Vampとしては、初めてのカガリの単独行動だった。
いつもの癖で、無意識にインカムをつけてきてしまったが、考えてみればアスランがフォローしてくれているわけではないのだから、いらないといえばいらなかったのに…
(なんか…心細いな…)
あの落ち着いた、優しい声が聞こえてこないイヤフォン
それでも、何故かふと聞こえてくるような気がして、そっと耳を澄ます。
(ううん、これが終わって帰ったら、アスランがきっと起きてくる。そうしたらちゃんと話そう。)
―――私の、想いを―――
吸血鬼が十字架(お守り)を持つなんてありえない
それでも、離れたところからでも彼の声を届けてくれるインカムが、お守りのような気がして、そっとそれに触れる。
(無事に、アスランのところへ、戻れますように…)
再びカガリは地図をしまうと、再び宙に舞い上がった。
「ここか…」
数分ののちその地に到着したカガリが屋上のネオンサインの真下で、膝をつくようにして屈んであたりの様子をうかがう。
いつもならアスランの確実な情報の元、「取引現場」であったり、「予測のつく犯行現場」に降り立つため、こうして犯人と目される人間を待ち構えていればいいのだが、今回は何故か非常に雰囲気が違う。
何しろ「犯人の目星が全くついていない」からだ。しかも「犯行の動機」さえ見えない。
書き記された情報には『薬物中毒(?)』と思われる人物の、物理的犯罪(殺人や物損)の詳細があるだけで、その『薬物』を氾濫させている、いわゆる『カガリの食事』に値する犯人像が全くと言っていいほど浮かび上がってこない。ただ狙うとすれば、『薬物による衝動』=『欲望の活発化』で犯人が暴行を加えるなら、その欲望を吸い取る―――そうすることによって犯人を落ち着かせ、誰からその薬物(?あるいはそれに代わる物質)を聞き出せる。聴取は警察に任せればいいことだが、もし警察より先に情報を聞き出して、主犯を捕らえられれば、警察がたどりつく間の被害者を減らすことも可能だ。
「でも…」
本当に犯人は、アスランのこの予測地点にやってくるのだろうか。
地図を見る限り、今までのこれに類似した犯行現場が『ある一点』を基準として、渦巻き状に次第に広がっている。その距離と間隔から、次の候補として挙げられたのが『株式会社 モルゲンレーテ』付近、半径500mの範囲だ。
カガリは『モルゲンレーテ』の社屋から周囲をうかがう。
辺りはオフィス街ということもあり、人気はほとんどなく、静かだった。
そこに―――
「うわぁぁぁ!」
カガリの耳に飛び込んできたのは男性の悲鳴。
瞬時にその場所を察知して、カガリが屋上のフェンスから身を乗り出す。
そこには何か棒のようなもので、頭を殴られたらしい男性と、彼に向かって殴りかかろうとする大柄な人の姿。
(あれが、暴行犯―――!)
カガリは飛び出し、犯人に上空からのとび蹴りをお見舞いする。
「グオォッ!」
蹴り倒された衝撃で、犯人はビルの壁まですっ飛ばされる。
「う…ぁ…!?」
何が起きたのか全く分からない被害者の男性は、額を押さえたままパニックに陥っている。先ほど殴られたときに額を切ったのだろう。血の匂いがカガリの鼻を突く。だが、出血量はさほどではなさそうだ。
「早く逃げろ!」
「は、は、はいっ!」
カガリが背後の男性に叫ぶと、彼は慌てたように走り去った。
「…ゥ…ウゥ…オマエ…」
カガリが暴行犯の方に振り向けば、犯人は頭を抱えながらもスッと立ち上がっていた。
(うそだろ!?)
カガリの金眼が見開く。
数十メートルの高さから飛び降りながら蹴りを食らわせたのだ。その衝撃でぶつかったビルの壁には見事な凹があいている。普通の人間だったら軽くても打撲・酷ければ骨折してもおかしくはない。にもかかわらず、この犯人は平然と立ち上がり、痛みも感じないのかケロリとしている。しかもその容貌に人間らしさはない。血走った目に口元から垂れ流れる唾液。荒い息遣い。痙攣する筋肉。
まるで…獣の様だ。
(これは、さっさと血を吸って大人しくさせないと)
カガリは思いっきり犯人の頭に回し蹴りを食らわす。だが
「ウガァァッ!」
犯人はびくともしない。それどころか、
「え!?」
犯人はカガリの細い足を掴んで、そのまま降り飛ばす。
「キャァァーーッ!」
アスファルトに擦れる体。打撲と擦過傷は必須だが、吸血鬼であるカガリの体はあっという間に回復する。
直ぐに体勢を立て直すが、犯人はカガリのことは、道上の小石程度としか認識しなかったのか、先ほど襲った男性を追いかけようと、走り出している。
「このぉぉーーーーっ!」
もう手加減はヤメ!さっさと首筋に噛り付いてやる!
「待てぇぇぇーーーっ!」
走る速度ならカガリに勝てる者はいない。そのままカガリは犯人の背後から飛び掛かると、羽交い絞めするようにして
「えいっ!」
「グァッ!」
犯人の首筋に噛り付いた。
牙を通して、犯人の血液が口の中へ流れ込んでくる。
そう…『欲望』の溢れた血液
これを吸い出せば…
だが
「…?」
犯人は確かに大人しくはなった。
ただし、数十秒間。
「ウ…ウゥ…ウァァァァーーー!」
犯人がカガリをはがし取ろうと再び暴れだす。
(な、なんで!?)
しかしその瞬間、カガリの体にも異変が現れた。
(何これ…気持ち…悪い…)
血を吸い出せば吸い出すほど、腹の底からひっくりかえるような、猛烈な吐き気に襲われ出す。
「う…くはぁっ!」
耐えきれず、カガリが首筋から口を離す。もう欲望を吸うどころか血も吸い出すことなんてできない。
「ウガァァァーー!」
犯人がついにカガリを振りほどいた。
「―――痛っ!」
冷たいアスファルトの上に放り出されたカガリ。
先程はカガリを意識もしていなかったこの男だが、ついに男性よりも先にカガリに牙をむくことを決めたようだ。
「ウワァァァーーーッ!」
先程男性を打ち付けていた鉄棒をカガリに向かって振り下ろす―――
(何…これ…)
カガリの頭の中が真っ白になる
今までこんなことは一度だってなかった
しっかりと欲望を吸い出し、犯人をその場で黙らせる、天下無敵の『Vamp』
何時もアスランの立てた完璧な作戦の元で
危機に陥るようなことは今まで一度だってなかった
窮地に立たされそうになったこともあったかもしれない
でもその時は、このインカムから聞こえてくる声に導かれて
その声の言うがまま行動すれば、どんなピンチだってスルリとかわしてきた
なのに
今日は声が聞こえてこない
―――聞こえないよ…アスラン!―――
「いやぁぁぁーーーっ!」
カガリが悲しみの声を上げる
涙の溢れる金眼に映るのは、自分に振りおろされてくる鉄棒
打ち付けられる瞬間、ぎゅっと目を閉じる
涙が、散った
その瞬間
「グワァァッ!」
カガリが聴いたのは、犯人の悲鳴ともとれるうめき声
そして
<バタ…>
大柄な体躯が倒れる衝撃音
そして、静寂
カガリがそっと目を開けると、目の前には
倒れた犯人と、その前に立つ青年の後ろ姿
どこかで…見たことがある、その背格好
そして
「大丈夫?カガリ」
自分の名を呼んだ、その声に、カガリは目を見開く
そこに立っていたのは―――『キラ・ヤマト』
「な、なんでお前が…」
座り込んだままのカガリに、キラは片膝を突きながら、屈みこんで、微笑みながらカガリの涙にぬれた頬をその手でそっと包み込む。
「ごめんね。カガリに手を出さないように躾たはずなんだけど、言うこときかなかったから、お仕置きしたんだよ。」
「え…」
状況が読み込めないカガリ。キラはどこか申し訳なさそうに、でもどこか妖しげな表情でカガリに言って聞かせる。
「でも、カガリも悪いよ…先に僕が飲んだのに、手を付けようとするから。知らなかったの?一度血を飲まれて眷属になった人間からは、もう血は吸えない。だってもう「人間じゃなくなった」んだもの。その血は吸えば拒絶反応を起こすんだから。」
紫紺の瞳が怪しい光を放つ。それは人間のそれではない。
「お前…まさか…」
その時
「ウァ…ァアアアーーー!」
先ほどまで倒れていた犯人が、背後からキラを襲う
「危ないっ!」
思わず叫ぶカガリ。だが
「…煩い。もう君は黙ってよ…」
振り向きざま、鋭い視線を犯人に向けるキラ。そして
<ガシッ!>
―――バタン…
一瞬のうちに倒されると、犯人はもう二度と立ち上がることはなかった。
カガリはペタンと座り込む。
立ち上がれなかった。
先ほどまでとは違った、絶望的な恐怖。それは本能的に、キラと自分の力の圧倒的な差と、そして彼の正体を知った衝撃。
キラはカガリに向き直ると、笑みを見せながら言った。
「そう、ぼくは『吸血鬼』。君と同じようにね。『カガリ・ユラ・アスハ』―――僕の『大事な妹』…そして」
次に紡がれた言葉に、カガリの周りの世界が、瞬時に凍った。
「僕の、『愛する花嫁』…」
何…?何言っているんだ、キラは…
まだ混乱する頭で、カガリは必死に問う
「『妹』?…『花嫁』って…何言っているんだ、お前、おかしい―――」
「おかしくなんかないよ。だって事実だもの。」
キラがあの無邪気な笑顔で答える。
カガリが頭を抱え、何度も振りかぶる。
(そんな…何言っているんだ、キラは!)
「…ともかく、カガリはこんなところにいちゃいけない。今日は君を迎えに来たんだから。」
そっとカガリの手を取って、見上げたカガリの顔を覗き込む。
「もうカガリには怖い思いをさせないから。僕がずっとずっと大事にするから。ね!一緒にうちに帰ろう!」
家…?
違う…違う!
私が帰るところは―――
キッと見上げたカガリの顔。真っ向からキラに言い放った。
「私が帰るところは、私の家だ。アスランが待っているところが私の家だ!お前とは一緒に行かない!!」
その凛とした表情と真っ直ぐな瞳。
キラの眉がひそむ。
「ダメだよ…カガリが帰るところは僕のところなんだから。」
手を強く握るキラ。カガリは必死にその手を振りほどこうとする。
「嫌だ!手を離せよ!」
「カガリ!」
暴れるカガリを無理矢理抱き上げ、キラが押さえつける。
「嫌っ!離せっ!下ろせってば!!」
「黙っていないと舌噛むよ。」
そのままキラが軽々とジャンプする。あっという間にビルの谷間を駆け上がる。
「嫌ぁぁっ!アスラン!アスラァァーーーーーン!!」
<カチッ>
ホンの少しの小さな音
泣きじゃくるカガリにもカガリを抱くキラにも、気にも留められなかったその音が、たった一人の耳元に、彼女の危機を伝えた。
「……?」
暗い部屋の中で、ふと翡翠の瞳が開かれる。
どうやらモニターは消したものの、本体の電源はつけっぱなしのまま眠ってしまったPCが、スピーカーからその音を必死に彼に伝えていた。
(何かのスイッチが入った音か…)
ぼんやりと覚醒するその頭に、悲しい叫びが痛烈に突き刺さる。
<嫌ぁぁっ!アスラン!アスラァァァーーーーン!>
「―――っ!!カガリっ!」
慌ててPCのモニターの電源を付け、インカムを付けて呼応する。
だが
<カタン!ザーー……プツ……>
イヤホンの音が切れる。
壊れたのか電源が切られたのか判断がつかない。だがモニターに一瞬その場所を示すGPSの反応を映したかと思うと、それも消えた。
全身の血が一気に凍りついたような感覚。
キラがカガリの頬に口づけた、あの瞬間以上の絶望がアスランを襲う。
カガリに何かあった
自分の目の届かないところで窮地に陥った彼女
「カガリィィーーーッ!!」
とるものもとりあえず、アスランは深夜の街へと飛び出していった。
・・・to be
Continued.