Vamp!V 〜第3楽章〜
<ブロロロ…>
やたらと大きなエンジン音の車は社長の愛車。だが自ら運転することはなく、運転手はお抱え秘書兼マネージャーのダコスタの役目だ。当の社長であるバルドフェルドは、エンジン音も気にせず助手席で既にいびきをかいている。
ネオンが瞬く繁華街の大通りを、スモークガラスの内側から、キラはぼんやりと外の景色を眺めていた。
「…先程は、何故、あのようなことを…?」
並んで座る後部座席。隣に座っていたラクスが真っ直ぐ正面を見据えた姿勢を崩すことなく、やや事務的な声で問うた。
「あれ?気が付いていたの?」
キラが視線をラクスに向ければ、相変わらず彼女は表情も変えず、真っ直ぐ前を向いたままだ。
「流石は『ラクス』だね。…あ、でも周りの『人』には気づかれてなかったでしょ?」
やや得意気に言ってのけたキラだが、一瞬眉をひそめる。
(いや…ただ一人、気づいた『人』がいた)
驚愕に揺れるあの翡翠の瞳の持ち主。そういえば最初に出会った時から、あの射るような視線を自分に向けていたのは彼だけだったな。特にカガリのこととなると、あのポーカーフェイスとはまるで正反対な大きな感情を表す瞳。自分に対し、こうもはっきりと敵意を向ける者は今までいなかった。
それが妙に面白かったが、あの一瞬を見逃さなかった―――ということは、からかうよりむしろ警戒対象にした方がよいだろうか。
ま…いずれにせよ、大した脅威にはならないだろう…
視線を再び窓の外に向け、キラはポツリとつぶやいた。
「…ねぇ、ラクス…」
ラクスが無言のまま、初めてキラの方を向くと、それに気づいてか、キラが続けた。
「…僕、お腹減っちゃった。」
***
一方こちらも終始無言だった。
時折カガリが言葉をかけたり、視線を向けるが、アスランはひとつもそれに応えようとはしなかった。
いや―――応えられなかった。
もし、今、カガリを見たら、自分の気持ちが爆発することは自分自身でもよくわかっていた。
仕事が終わり、自宅のマンションの表玄関を入った瞬間、カガリの細い腕を強い力でつかみかかった。
「アスラン…?」
カガリが不安気に声をかける。だが次にはアスランが強引にカガリの腕をつかんだまま、半ば引きずるようにして廊下を進む。
―――早く、自室へ…でないと、間に合わない―――!
「アスラン、痛いっ!痛いよ!」
カガリが悲鳴にも似た声を上げる。だがあえてその声を無視し、アスランは急く様にして自宅へ向かう。
ドアを閉めた瞬間、アスランの耐えに耐えていたそれが一気にあふれ出た。
「うわっ!」
突き飛ばすようにカガリを押し込んだ。
「アスラン、どうしたんだよ。お前おかしいぞ!?」
倒れこんだ廊下は人気がなかった分冷え切っている。だが今はそれ以上に凍りついたようなアスランの様子に、カガリもその場に座り込んだまま、叫びながら混乱していた。
こんなアスランは今まで見たことがない。いつも優しくって、穏やかで、私が視線を向ければにっこりと笑ってくれて…
その彼が、今はまるで修羅の様に恐ろしく感じる。
アスランはドアを背にしたまま、深くうなだれていて表情が見えない。それが余計にカガリの不安を掻きたてる。
「アスラン!!」
カガリの悲痛な声に、アスランがようやく言葉を発した。
「何故、あんなことを…」
「え…?」
不安と疑問が入り混じったカガリの反応。そこに顔を上げたアスランの怒りの炎を露わにした翡翠の眼光がカガリに向かって突き刺さる。
「キラに何をされていたんだ!?」
「―――!?」
カガリの目が見開く。
対談が終わって、椅子から立ち上がった瞬間、キラがすぐ傍にいて、気が付いた時には、頬に温かなものが触れていて…
(チュ…)
自分がキラにキスされたと気が付いたのは、暫くたってからだった。
頬とはいえキスされたこと―――それに対してアスランが怒っているのだ。
「いや…その…それが一瞬のことで、私も訳が分からなくって…」
カガリもあたふたと説明する。
「でも君は普通より反射神経がいいはずだ。かわすことだってできたはずだ。」
厳しい口調のアスラン。
確かに自分は吸血鬼だ。人間以上の身体能力を持っているからこそ、『Vamp』として活動することもできる。でも、まさかキラがあんなことをするなんて、思いもしていない、つまり「不意打ち」だ。それを咎められるなんて、流石のカガリもムッとする。
「無理だ!最初から警戒していたんならまだしも、あれだけ人のいるところで、いきなりあんなことするとは普通思わないだろ!?」
解っている…そんなこと十二分に解っている。
キラの動きは確かに人と思えぬほど早く、アスランが知る限りカガリと同等、あるいはカガリの不意を突けるということは、それ以上かもしれない。それにカガリが警戒しない、というのもわかっている…
自分が傍にいるからだ。
自分が騎士(ナイト)の様に傍にいてカガリを守っているからこそ、カガリは安心して神経を尖らせなくてもいいのだ。
それが何よりの自分の誇りだった。
だが―――キラは二回も自分の隙を突いた。
そして―――まるで自分の目の前から、カガリを奪い取るような行為
カガリの傍で彼女を守り通す、という立場と思いが脅かされている、そして彼女が自分の手から奪われてしまうのではないか…その恐怖にアスラン自身が揺れている。その揺らぎによる苛立ちを、不当にカガリに押しつけている。そんな無茶苦茶なことをしているということが、自分でも解りきっているがゆえに、苦しいのだ。
「それでも…俺は…許せない」
アスランが震えるこぶしを更に握りしめる。全身が怒りと恐怖に打ち震えるその様子に、カガリが立ち上がって、ふっとアスランの頬に手を伸ばそうとする―――
その瞬間
<ダン!>
カガリがアスランに両手首を奪われ、壁に押し付けられる。すぐ目の前にアスランの顔があった。
そして
「―――っ!!」
カガリの唇が塞がれる。
一瞬のことにカガリが慌てて身をよじろうとするが、今までにないほどの強さで押さえつけられ、動くことができない。
まるで噛みつくようなキス
「―――んっ!!」
唇が無理やり割られ、歯列にアスランの舌先が触れ、なぞられるような感覚。
やがて、その舌先が尖った先端に触れた。それは人間のものより、明らかに大きく、カガリが人間でないことを証明している。だが、それすらもアスランにとっては愛おしい。
尖ったその先を舌で愛撫する。
瞬時、カガリの目が見開く―――と同時に今度はアスランが強い力で突き飛ばされた。
「うっ!」
反対側の壁に背を打ったアスラン、彼がカガリを見る。すると
「ヒック…ヒック…」
カガリが大粒の涙をぽろぽろと零しながら、泣きじゃくっている。
その姿に目を見開いたアスランが、ようやく冷静に己のしてしまったことの重大さに気が付く。
(俺は、なんてことを―――!)
「カガリ…」
そっとカガリに手を伸ばそうとする、だが
「っ!」
その手を振り切って、カガリは両手で涙をぬぐいながら、小走りに自分の部屋へ駆け込み、そして<バタン!>と勢いよくドアを閉める。
その音が自分のしてしまったことを責め立てていた。
「カガリ…ごめん…俺は…」
その場に座り込み、アスランは天を見上げる。
その頬に、一筋の涙が流れ落ちた。
***
その頃―――
<ファン、ファン、ファン>
幾重のサイレンと赤いテールランプが残光の筋を残して、夜更けの街を疾走していた。
「アマルフィ課長。主犯は既に捕えました!現在数人が裏口から逃走中。一課が追ってくれています。」
「わかりました。では引き続き、現場検証を入念にお願いします。」
「はい!」
伝令の巡査にそう告げると、ニコルは無線をつないだ。
「2:15、薬物押収、並びに主犯確保。」
<了解>
無線の向こうから事務的な女性の返答があった。すると
「こちらも確保しました。」
ルナマリアが進んでニコルに敬礼をする。ニコルがその背の向こうをヒョイと覗けば「痛ぇな!この野郎!」など暴言を吐きながら、シンによってパトカーに突っ込まれる数人の犯人の姿がある。
「ご苦労様です。一課の皆さんは仕事が早くて助かります。」
優しく笑んでくれるニコルを見て、ルナマリアもようやく犯人確保の緊張の糸がほどけて笑顔を返す。本当に、どこぞの上司とえらい違いだ。
「でも、検挙時の反応を見る限り、「例の薬物(?)」を使った犯人の犯行ではなさそうですね。」
ルナマリアが言うと、ニコルも頷く。
「そうですね。少なくとも特徴的な心神喪失状態も見られませんし。僕たちとしては万々歳なのですが、また一課の皆さんには取り越し苦労させてしまいましたね。」
申し訳なさそうに答えるニコルに、ルナマリアは慌てて「いえいえ!」と首と両手を振る。
全く…同じ『課長』なのに、なんでこうも対応が違うのだろう。片や『強引』。片方は『謙虚』。でもウチのボスだってもうちょっとアマルフィ―課長みたいに謙虚だったらやりやすいのに…
あー、四課に異動したい…
最後の一声は出さずにルナマリアが心の中で呟くと、無線が入った。
<おい!そこにいるな、『シン・アスカ』、『ホーク姉』!>
今しがた、心の中で呟いた愚痴の主の声だった。
(心の中で呟いただけなのに…いったいどれだけ地獄耳!?)
深くため息をつき、マイクを取る。
「こちら『ルナマリア・ホーク』。無事犯人検挙しました。」
<いいか、今からナビに示す現場に緊急に向かってくれ>
「はい?犯人なら、全員検挙しましたが―――」
<違う!そっちじゃない!>
ルナマリアの言葉を遮り、イザークが告げる。
<どうやら「例の薬」とやらの症状と、同じ反応を示している被疑者がマンションのオートロックを壊して侵入。付近住民を巻き込んで傷害事件を起こしているとの通報だ。急行しろ!>
シンとルナマリアが駆け付けたとき、現場は既に人だかりができていた。
高級マンションらしいそのガラス張りの扉は壊され、犯人と格闘したらしい警備員が傷を負って座り込んでいる。
「今、救急車が来ますので…」
ルナマリアが怪我人の保護に立ち会っていると、先にマンション内に飛び込んで行ったシンと、先に現場に来ていた一課の面々が既に犯人を確保し、玄関ホールに姿を見せた。
その時、ルナマリアは初めて犯人の様子を見た。
身体のいたるところに突き刺さっているガラス片。
破れた衣服。
5人の刑事によって拘束されているも、まだ暴れようとし、身を震わせている。
ダラダラと口元から流れ出る唾液。
そして…血走った眼は刑事たちではなく、ずっと一点だけを追い、凝視している。
確かに…尋常ではない姿だ。
「すまないな、ルナマリア。ここまで出向いてもらって。何とか確保したが、うかつに近づかない方がいい。」
先に来ていたらしいレイが視線を犯人に向けたまま、ルナマリアの傍らに立った。
「ううん、元々私たちの役目だし。…あれが「例の薬(?)」の中毒者?」
「まだこの時点では断定できないが、アマルフィ―課長にも立ち会ってもらって、これから署内で検証だな。」
犯人を乗せたパトカーが発進する。それを見送っていた二人の元に、シンがやってきた。
「まったくまいったぜ。あの分厚いガラスの玄関、一人で叩き割ったんだって?」
「え!?だって、あんな重厚なもの、相当重い鉄球かなんかで打ち付けるとかしないと、人間の力でぶち壊せるわけないでしょ!?」
「でも、近所の目撃者からの情報によると、本当に何度も蹴倒したり体当たりしたりして、一人で割ったらしいぜ。」
「それに、だ…」
シンとルナマリアのやり取りに、レイが加わる。
「奴の目を見たか?」
二人は瞬時に頷く。
「ただ薬物で幻覚を見たにしては、襲う目的の相手がただ一人に絞られていた。他の住民には目もくれず、同じ部屋に向かって何度も襲いかかろうとしていたらしい。怪我をした警備員は止めに入ろうとして、掴みかかったとき、突き飛ばされ、散ったガラスの破片で傷を負ったらしい。」
ルナマリアも先ほどの特徴を思い出す。
ずっと一点だけを凝視している血走った眼…あれは、仮に薬物での幻覚を負ったとはいえ、人間のそれではない。
まるで―――
ルナマリアは呟いた。
「『狂犬』みたい…」
・・・to be
Continued.