Vamp! V 〜第13楽章〜
カガリの目に映ったそれは、まるでどこかの映画のワンシーンの様だった。
どんなに主人公に感情移入しようとも、所詮は物語の中の出来事、創作でしかない。だからどんなに残酷な場面でも、それはそれ、と飲み込むことができる。
この今、眼前で起きている出来事も、きっと映画なんだ…そう思えばいいのに、思えない。
だって、この物語の登場人物は、自分が一番よく知っている、一番身近な人だから。
アスランが、スローモーションのように、ガクリと膝を折るようにして倒れ込む。倒れたそこから、鮮やかな赤が広がっていく。
「…アス…ラン…?」
冗談に決まっている。いいや、夢かもしれない。ここのところずっと徹夜でクルーゼを追っていたから、寝ぼけているんだ。
早く起きなきゃ。起きてアスランを起こさなきゃ。
そう思っているのに、体が動かない。
その代り、嫌というほど慣れ親しんだ、鉄の匂いが嗅覚を刺激する。
その刺激が訴える―――「今は『現実』なのだ」と…
「おい…アスラン…冗談だろ…? なぁ…」
屈んで彼の体を揺り動かす。だが、彼はあの透き通った翡翠を見せることはなかった。
多分心臓に一撃。
キラの持っているナイフに、その血痕がしっかりと残っている。
「アスラン…アスラン!アスラァァァーーーンッ!!」
カガリの悲鳴が夕闇に轟く。アスランの体にすがって泣き叫ぶ。
その様子をぼんやりと捕える虚ろな目から、涙を零しながら、キラが話し出した。
「ごめんね…でもラクスを助けるには、まず君の命を奪うように言われたんだ…クルーゼから…そして、今度は君だよ、カガリ…君を連れて行けば、ラクスは助かるんだ…だから…」
キラがカガリにそろそろと手を伸ばす。途端カガリが牙をむき、涙に塗れた金眼に怒りをほとばしらせ、キラに襲い掛かった。
「キラァァァーーーーッ!!」
だが虚ろと思われたキラが、途端に緊迫した空気を纏わせ、カガリの感情任せの攻撃を軽くかわす。
「もう二度目だから。君の攻撃はわかるよ。君は僕には敵わない。諦めてよ、カガリ…」
「うるさいっ!!よくもアスランを!」
後方に攻撃をかわされたカガリは反転し、またもキラに襲い掛かる。が、
「―――ぐっ!」
キラの拳がカガリよりも早く、彼女の鳩尾に食い込んだ。途端
<ドサッ>
カガリの体もアスランと並ぶように床に崩れ落ちた。
その様子をどこか傍観的に眺めるキラ。そして、彼の胸元から覗く、小さなファインダーがあった。
「ふん…思った以上にあっさりと片が付いたな。」
片手で顎をさすりながら、ラウがモニター越しにつぶやく。
キラのファインダーの送信先は、ラウの潜伏先のPCだった。リアルタイムで送信されてくるシステムになっている。
キラの携帯に連絡を入れ、アレックス・ディノの始末と、カガリを殺して遺体が灰になる様をリアルタイムでラウに見せること、そして指示した場所にキラ一人でやってくること―――それがラウの出したラクス返還の条件だった。
カガリが王家の力に目覚めた以上、双子の双方無事では済まないと思っていたため、その場合は無事な方をよこせばいいだけのこと。そして、あれだけ用心深く入念だったアレックス・ディノも、まさか自宅までキラが自分を殺しにくるなど、微塵も思っていなかったのか、簡単に始末された。
思いのほか拍子抜けする結末だったが、まぁこれで邪魔者は片付き、必要なものは手に入った。
「『キラ』、カガリもさっさと始末しろ。」
ラウがキラに、さも自分が首を取ったかのように命令する。だがスピーカーから
<…どうせラクスと引き換えに僕を殺すんだろう?だったらカガリ一人くらい助けたっていいじゃないか…>
キラが悲しげに訴える。
(生まれて久しく会えなかった妹に、命乞いの情けとは…)
「流石は『兄妹愛』というところか?感傷だな。しかし、王家の血筋を残すことは、この私が許さない。消せ。」
冷酷に放つ一言。キラはしばし二人が倒れている場所から向きを変え、必死に考えているようだ。
その哀れな姿が、ラウの喜びを刺激する。
(ククク…これが最強を誇る王家のなれの果て、か。あれだけ恐れられた王家が、私の手のひらの上で、こうも簡単に意のままに転がせるとは…)
唇の端に笑いを残したまま、ラウは冷酷に言った。
「聞こえなかったのか、キラ。『消せ』。」
キラはまたしばし黙っていたが。
「…わかったよ。」
胸懐から取り出したのは、杭。そしてカガリの体を仰向けにさせると、両手で構えた杭を、思いきり打ち込んだ―――
<ザー…>
「ん?」
ラウの見ている画面が砂嵐のように鈍った。しかしそれもつかの間、直ぐに持ち直した画面には、アレックスの遺体と、その隣で衣服を残したまま、砂の山と消えたカガリ。
「フフフ…あはははははは!」
―――『勝った!』
先日の失態からの逆転劇。しかも自分に傷をつけた、あの忌々しい人間・アレックスも同時に消してやった。キラは所詮、自分の傀儡。あとはこの山荘に呼び寄せ、繋がれたままのラクスの前でキラの自由を完璧に奪い、そこでラクスは用済み。キラは実験材料として、自分の命を永遠とさせるための糧となるのだ!
手元のワイングラスをやや興奮気味にあおりながら、ラウは立ち尽くしたままのキラに言う。
「さて、キラ。これで準備は整った。これから指示する場所をお前の携帯に入れる。一人で来い。必ず一人で、だ。さもなくば…わかるな?」
ラウは、先ほど切り落とした、ラクスのピンクの髪をひと房、指で弄びながら笑った。
***
日も暮れた官庁街に、煌々と昼間のように明るく照らされた一室。
シンは走った。ひたすら息を切らしても、転びそうになっても姿勢を立て直し、片手に握りしめた用紙をリレーのバトンのように握りしめながら走った。
そして、そのゴールには白いゴールテープ…ではなく、プラチナブロンドの上司が待ち構えていた。
「シ、シ、シン・アスカッ!ただいま報告に伺いましたっ!」
息を切らして敬礼すれば、ゴールの向こうから手荒い上司の歓迎が待ち構えていた。
「よくやった!で、結果は出たか!?」
両肩をグイと爪が食い込むほど強くつかみ、ガタガタとシンの体を揺さぶるイザークを、慌ててディアッカが脇を抱えるようにして止めに入る。
「ばか!そんだけ揺らしたら、報告の前に目が回っちまうだろ!? で、どうだ!?」
クラクラと、漫画で言えば目から星が出そうなシンが、最後のバトン、という名の鑑識報告書を差し出した。
「い、い、一致しましたっ!」
またも無意識に敬礼するシンを、またもイザークがガクガクと揺さぶる。
「でかしたっ!よくやったぞ!!」
それを聞いた捜査本部の一同から、歓声が湧き上がる。
「で、どういう物証が取れた?」
ディアッカがイザークの持つ鑑識結果を横から覗けば、イザークが喜びに声を震わせながら室内全員に轟く声で言った。
「5か所の暴行事件現場周辺200m範囲内で取れたすべての下足痕の中から、5か所すべてから検出された同じ型と、ジェネシス製薬会社の社員ロッカー及び研究施設の中で取れた下足痕が一致したものがあった。その持ち主を調べ上げたところ、その下足は『アニダ・フラガ』のロッカーに残されていた下足を置いた場所のものと一致した!」
「じゃぁ、これで裁判所から家宅捜査の許可は下りるな。」
「グレイトォ!」とばかりにディアッカが指を<パチン!>鳴らす。
「あぁ、しかも、フラガの潜伏先が判った。奴が使用していた乗用車と同じ車種のものが、先日夜半、都下に向かう高速道路の車両カメラが捉えている。この先にジェネシス製薬の保養所があることがわかっている。」
「じゃ、決まりだな。」
イザークが号令をかけた。
「裁判所から家宅捜査の礼状が届き次第、即刻動く。全員準備をして待っていろ!」
夜の官庁街に、昼のような活気が溢れだした。
***
都心からしばし外れにある丘陵地帯。そこを一台のタクシーが山すそを縫うように登っていく。
「ここで下してください。」
乗客のサングラスをかけた青年のテナーの声に、運転手は車を止めた。
(一瞬どこかで見たことがあるような気がするが…芸能人だっただろうか…)
そんな気がして、運転手は降車後もしばし青年の後ろ姿を見つめていたが、彼が山奥深く入り分け、その背が見えなくなると、結局思い出せずじまいの青年の正体の追及を諦め、タクシーを再発進させて去っていった。
キラはその視線が消えたことを確認し、足を速める。もし彼が興味本位で後をついてきたらどうしようかと思った。まぁ、その時はこの牙で黙らせればいいのだが。
いや、自分の能力は理性を失わせることだったか。とするとやっぱりカガリが居てくれた方がよかったな。
過去を振り返り、今は亡きものを思い出しても仕方がない。
頭を振ってキラはすっかり朽ちて、ペンキも落ち、錆び放題の鉄門を開く。
<ギギギ…>と錆びついた鉄独特の音質を周囲に響かせ、更に整地から年月の立ち過ぎた、コンクリートが崩れ落ちたような階段を上っていく。
<チチチ…ピピピ…>
山鳥の鳴き声が来訪者の到来を告げる呼び鈴替わり。キラが足を止めたのは、洋風の山小屋つくりの大きな山荘だった。敷地は広く建坪も広いため、1階建てでことが賄えるのだろう。天井が高く周囲は木々が生い茂り、いかにも『吸血鬼の館』と言っても過言ではない。
玄関ドアのカギはかかっておらず、いかにも「入ってこい」と言わんばかりになっている。
<ガチャ>
鉄の門扉と違い、こちらは錆の音もなく、静かに開いた。すると
<よく来たな。キラ。さぁ、廊下の奥の階段を下りて、地下室に来い。>
ふと上を見上げれば、スピーカーと監視カメラらしきものが、そこだけやたら近代的な違和感を発しながら据えつけられている。一階の室内も暗いが、奴もやせても半分は吸血鬼だけに、日差しを避けるため、普段は地下室に籠っているのだろう。廊下の奥までほの暗いランプが灯っており、会談のありかを示唆する。
(この先に、ラクスが…)
キラは慎重に足を進めた。階段を一歩一歩、踏みしめるように降りていけば、階段の降りた先、多分大本はワインセラーのような地下室から、明かりが零れている。
「・・・・・!」
キラは勇気を振り絞って室内に一歩を踏み入れた。すると
「キラ!」
悲壮と喜びが綯い交ぜになった、愛しい人の美しく懐かしい声。
「ラクス!」
ラクスは後ろ手にされ、部屋を中ほどまで進んだあたりの右手の壁際の柱に縛り付けられている。
咄嗟にラクスに向かって走り出したキラを、下卑た声が止めた。
「ようこそ。キラ・ヤマト。」
柱の陰から現れたのは、ラウ・ル・クルーゼ。
キラは固くこぶしを握り、ラウに言い放った。
「クルーゼ!こうして僕はここに来た。ラクスを離せ!」
「我が招きに応じてくださり、痛み入ります、王子殿下。」
怒りと焦りのキラをよそに、丁寧に、だがそこに含ませた慇懃無礼の籠った調子でラウは言った。
「ですが、私が何も取引もなしに、この人間を返すとお思いか?」
「取引って…君に言われたとおりにやったじゃないか!カガリも、アレックスも…それ以上、何が望みなんだ!?」
「賢い殿下にはお判りでしょう?少なくとも、私の正体を知った時から、わが望みもご存じのはず。」
マスク越しに伝わる余裕の笑み。キラは怒りの震えを押さえながら言った。
「僕の…命…」
「う〜ん、その回答では60点、いや、70点くらいは差し上げてもいいですが、残りの部分の回答も含めると、満点を取るなら『この体をもって、ラウ・ル・クルーゼ殿への研究への奉仕。もちろん成功の暁にはすでに用済みのため、命は奪われます』とでも回答していただかないと。でなければ私がすぐにあなたを殺すみたいではありませんか。」
「回答は綺麗な言葉にしてやっただけだ。もっと言うなら『利用するだけ利用し、あとは弄り殺す』だろ?」
「すばらしい!その方が簡潔かつ美しい回答だ!」
<パンパン>と手を叩きながらラウが笑う。そしてその笑いを口元に留めながら、先日と同じようにラクスの喉元に注射器を押し付けながら、ラウは言う。
「先にこの女を開放して、貴方がともに逃げ出そうとするとも限らない。私は最後まで油断はしない。…このことを教えてくれた、アレックス・ディノには感謝しないとな。」
「ハハハ」と笑ってラウは続けた。
「まずはそのテーブルに置いてある飲み物を飲んでいただこうか。君専用のウェルカム・ドリンクだ。」
入り口際に備えてあった小さなテーブルの上には、大きめのワイングラスに白濁色の液体が、なみなみと注がれていた。普通の飲料ではない。何やら奴お得意の薬らしきものが溶かしてあることは、一目瞭然だ。
「如何しましたかな?殿下。私はそんなに気が長いほうではありませんので、早くしていただかなければ、苛立ちで、手元が狂ってこの針が女の喉を貫くかもしれませんよ。」
ラクスは苦しげに目を瞑っている。その白い肌に押し付けられた針先から、ぷくりと小さな赤い液体の玉が膨れてきている。
「っ!」
キラは耐えきれずグラスを乱暴につかむと、一気に中の液体をあおった。
「流石は殿下。良い飲みっぷりですな。…それはあなたのために特別に作り出した…まぁ、人間でいうところの『筋弛緩剤』というものです。最も、人間が飲んだら一気に心臓の筋肉が痙攣して即死ですがね。貴方にはこのくらいの量でなければ、私の傍に来ていただいた時、その力を振るわれてはこちらも無事ではありませんので。あくまで『念のため』。用心は重ねるに越したことがありませんからね。」
わざわざ液体にしたのは、吸収を速めるためだろう。暫くすると、キラの足元から力が僅か抜けできているのが判った。
ラウはそれを見届けると、部屋の更に奥の実験台とも思しきベッドの方へ歩き出しながら、キラを誘った。
「さぁ、こっちに来い!キラ・ヤマト。これで貴様を縛り付け、たとえ王家の力を持ってしても解放できない状態にしてやる!」
キラの額に汗がにじむ。
解っている…ラウは例え自分を身動きできなくしても、ラクスを開放するどころか、彼女を亡き者にするだろう。そんなことは百も承知でここまで来たんだ。
(さて、どうする…)
キラの足は止まったままだ。余裕だったラウも、やや苛立たしげに声を荒げた。
「早くしろ!歩くくらいの力は残っているだろう!」
「―――っ!」
覚悟を決め、キラはゆっくりと部屋の奥へ歩み出す。ラクスの前を通り過ぎ、ラウの方へ。
それを見届けたラウは、部屋の奥の実験台の向こう側へ下がった。
その時だった―――
・・・to be Continued.