Vamp! V 〜序章〜

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ―――」

男はひたすら走っていた。

とっぷりと日の落ちた倉庫街。既に周囲に人影はなく、気配すら感じられない。

いや…「気配」ならある。「たった一つ」―――

しかし人間の「それ」ではない。寧ろ人間という領域を超えた、何かとてつもない圧倒的な強さと存在感を放っているような。

そう…そいつは男5人が集められた取引場所に、何の音もなくスラリと入ってきたかと思ったら、あっという間に4人を行動不能に陥らせた。

翻ったマントから覗いたのは、華奢な躯体と真っ赤なサクランボのような唇だけ。

その唇が、まるであでやかな花でも見つけたかのように、口元からほろりと笑みが零れ落ちる―――だが、それは美しいと同時に、それ以上の恐怖をその男に押し付けた。

唯一自分だけが幸運だと思ったのは、そいつとはやや距離があったため、こうしてその場から逃げられたということだ。

しかし、男が与えられた幸運は儚いものだったという現実が、直ぐに男にはわかった。

必死に逃げる男の後を、まるで獲物を追い詰める獅子のように、あっという間に追い詰めてくる。

その様子はまるで「狩り」を楽しんでいるかのように…

 

<ボー…>

どこかの港の汽船が午後8時の汽笛を上げた。

一人逃走する男を倉庫の屋根伝いにひょいひょいと軽く身を躍らせながら追い詰めていく、そのマントの人物の耳にはインカム。そのインカムとマイクを通して、汽笛の音が遠く離れたあるテレビ局の楽屋にいる男の耳にも届いた。

据え付けの化粧台のランプだけがほんのりと、男の濃紺の髪を照らし、彼が向かっているラップトップのパソコン画面が思慮深い翡翠の瞳を印象的に浮かび上がらせている。

モニターには倉庫街の地図が映し出され、縦横無尽に赤い点がそこを動いている。

彼はふと、彼の口元に伸びているインカムに小さなため息とともに語りだした。

「お楽しみはいい加減にしておけ。さっさと済まさないと、そのまま先ほどの場所から離れすぎたら、生中継の俺たちの出番までに戻ってこられないぞ。」

たしなめるようなその口調。だが決して嫌味な雰囲気はない。寧ろその相手を大事に労わっているような優しさを含んでいる。

すると

<わかった。出番は9時半だったよな。それまでには絶対そっちに戻るから!…それにしても、すごい上手い具合にスタジオの近くに奴らを集めて、追い詰めたよなー。情報操作で相手を見事に操作するなんて、流石はアスランだ!>

彼のインカムからはややハスキーな、元気な声が聞こえてくる。

おだてでも社交辞令でもなく、彼女は心から素直に人を尊敬し、褒め称える。ましてやそれが自分に対してだと思うと、彼女と出会ってからもう何年と経つのに、普段そうそうのことで心が動くことのない冷静な自分とは思えないほど心が躍る。

その為か、ついお説教の言葉も甘くなってしまう。

「ともかく、そいつを次の角で左に回して追い詰めるんだ。そうすると先ほどの会合場所…振出しの場所に戻るから。そして早く戻っておいで。」

<うん!>

元気な返事の答えとばかりに、ラップトップの画面の赤い点の動きが早くなる。これならもうチェックメイトは確実だ。

インカムを置きながら彼―――アスランはそっとモニターの向こうの彼女に向かって囁く。

先ほどの続きを、熱をもって。

「早く帰っておいで…俺の元に…」

 

「ひぃー!」

走り続けていた男がいよいよ追いつめられて、悲鳴にも似た声を上げる。

そう、追いかけてきているのは後ろからじゃない、なんと上空を屋根伝いに追いかけてきているのだ。

上からのプレッシャーに耐えきれず、男は上を見上げる。

男の目に映ったのは―――マントを脱ぎ捨て、夜空にさらされた華奢な少女。

月明かりを受けたその金髪は、まるで涼やかな夜風を表しているかのように軽くなびき、鮮やかな金の瞳は月そのもののよう。

軽々と夜空を舞うその姿は、まるで天使のようにも見える、が、それを打ち消すのは真っ赤な愛らしい唇にみえる、ふと小さく覗かせる二本の牙。

圧倒的な美しさと対極の恐怖が男をついに追い詰めた。

気が付けば、倉庫街を一周し、眼前には先ほど倒された仲間たちの姿。

「た、た、助けてくれぇぇぇーーー!!」

恐怖に怯えた声で叫ぶが、己が声の後には静まり返った倉庫に響く、ゆったりとした足音。

諤々と男が振り返る。

そこには淡く可憐な微笑みを湛えた金の少女。だが次の瞬間、首筋への痛みとともに、男は意識を失った…

 

<ファン、ファン、ファン>

警察車両の赤い回転灯が倉庫街を駆け巡る。

こちらもインカムから怒鳴り声が聞こえてきた。

<いいかっ!さっさと捕まえて来い!今回もしくじったらただじゃ済まさん!>

思わず両手で耳を塞ぐルナマリアだったが、塞いでも響いてくる上司の声は一体どれだけ大きいのか。守秘事項でもこれだけの大きさだったら、いい加減情報漏えいになっても不思議じゃない。

<今度こそVampの息の根を止めてやれ!…おい!聞いているのか!?>

三白眼の上司の顔を思いだし、ルナマリアはウンザリする。

「あのー、今我々が追っているのは、危険ドラッグの取引現場で犯人を抑えるためであって、Vampの逮捕では…」

<何を言っている!奴らだって似たようなもんだ!>

更に耳をつんざく上司、イザークの声に、隣にいたシンがぼやく

「てゆーか、Vampって寧ろ逮捕に貢献しているっつーか…」

「バカっ!こういう時のジュール警視正は地獄耳だってあれほど―――」

ルナマリアが慌てて人差し指を口に立てるが、インカムの向こうは既に沸騰していた。

<貴様ぁぁぁーーーっ!!いつもいつもVampに手柄を持っていかれて、それでも警察官かぁぁぁーーーっ!!奴らは…そう、『公務執行妨害』で逮捕だ!>

毎度毎度事件のお株をVampに奪われて、お冠の上司の怒鳴り声を聞きながら、現場に到着したシンとルナマリアは、またため息をつく。

既に5人の男たちはまるで小山のように積み重ねて倒れており、その上にはおなじみの警察宛のカードが一枚。

シンとルナマリアは思わず顔を見合わせる。

明日も上司からの説教は必須だ。

 

その頃、楽屋の前をナタル・バジルールはうろうろと落ち着きなく周回していた。

そこに<パタパタ>と元気な走る足音。

「遅くなってごめんなさいっ!」

ナタルの顔を見る前に、金の少女が深々と頭を下げた。

「何をやっていた、カガリ・ユラ!もう本番まで残り5分と45秒前、スタジオ入り時間を4分と15秒過ぎているぞ!」

「すいません!!え〜っと…その…」

カガリがもじもじとしていると、楽屋の中からそっとアスランが現れ、カガリの前に立ちはだかる。

「リハーサルの後、また貧血を起こしたので、俺がかかりつけ医のところで診てもらってくるよう、彼女に言ったんです。」

マネージャーのナタルの気迫に負けないほどの強い真っ直ぐな翡翠が、ナタルを圧倒する。

彼が静かな怒りというか、冷徹さを見せると、いかな社長のマリューやマネージャーの自分が強く言おうとしても、敵わなくなってしまう。

「わ、わかった。それでお前は大丈夫なのか?」

「はい!おかげさまで!」

ナタルに向かってカガリがビシッと敬礼する。

「だったらすぐスタジオに入れ!」

「「はい!」」

二人がスタジオに向かう。その背を見送りながら、ナタルはいつも考える。

カガリのこととなると執念のように必死に守ろうとするアスラン。他のことにはあまり執着を見せない彼が、あそこまで騎士のようにカガリを守ろうとするのは

(…アスランは、カガリのことを真剣に愛して…?)

同じバンドでずっとやってきた二人が恋愛関係になるのは不思議なことではない。ただ時折見せるあのアスランの過熱ぶりが、今後の二人の関係に、重荷になることはないだろうか。

(心配のし過ぎか…)

そう思いながら、ナタルはスタジオの客席に向かった。

 

「大丈夫だったか?カガリ」

「うん、平気。5人分まとめていただいてきたから、今日は絶好調だぞ!」

関係者席でそっと囁き合っていると、司会者が言った。

「今日の『ミュージック・バラエティー』はなんと!現在大人気中の『IF』こと『インフィニット・ジャスティス』のお二人が生演奏に駆けつけてくれました!」

拍手とともにステージへ向かうカガリとアスラン。

物静かなアスランと違って、曲前のインタビューでご機嫌で応対するカガリ。

「それでは準備ができたようですので、歌っていただきましょう!曲は『Precious Rose

スタジオ内の割れんばかりの拍手の中、カガリの歌が始まった。

 

テレビ局の生中継は、とある街頭の大型テレビにも映し出されていた。歓楽街へ向かう人、交差点を渡る人たちが、ふとカガリの歌声に惹かれるように足を止め、上にあるテレビ画面を見上げる。

 

ただ一人、その画面を上から見下げる者がいた。

巨大モニターの向かいにあるビルの屋上から、画面いっぱいに映し出されるカガリを熱を持った瞳で見つめている。

上空のビル風にあおられる茶色の髪、カガリを映す紫水晶。

片膝を抱くようにして座りながら、身動き一つせず、カガリの歌を彼女に合わせてハミングする。

その者の後ろから、一人の女性が近づいてきた。

見事なピンクの長い髪を、風にあおられないよう、そっと抑え、彼に近づき声をかける。

「楽しそうですわね。」

彼女がそういうと、目の前の青年はゆっくりと口角を上げた。

「そりゃ嬉しいよ。だってあれだけ探して、ようやく見つかったんだ。機嫌だってよくなるよ。」

彼は腰を上げた。

そしてモニターの彼女を見つめながら、優しく語りかける。

「やっと見つけたよ…僕の妹.…いや、」

 

そうして、そっと口角を上げ、微笑む。

 

「…僕の大事な『花嫁』。」

 

 

 

・・・to be Continued.