Vamp! 〜最終楽章〜
11月2日午後18時過ぎ―――
日が沈み、闇の時間が訪れようとも眠ることのないこの街に、色とりどりのネオンが瞬き始める。
そこに更にどぎつい赤のランプが幾つも、ぐるぐると周囲を照らしながら特定の場所に集まり始めた。
その中の一つ、セダンの車から意気揚々とプラチナブロンドの髪をなびかせ、イザークが陣頭を仕切り始めた。
「よーし、配備はわかっているな! ネズミ…いや、アリの子一匹見逃すなよ!!」
「…アリの子って、確か幼虫で歩けないはずじゃ―――」
「シィーーーッ!こういう時の警視正は地獄耳だって、あれほど―――」
言うが早いか鋭い視線がこちらを向き、銀髪がとてつもないオーラでふわふわ揺れている。
「し、『シン・アスカ巡査長』、並びに『ルナマリア・ホーク巡査長』、指定の配備につきます!」
ルナマリアが必死に笑顔を作ってイザークに敬礼すると、ぶつくさ文句ばかりつぶやいていたシンの首根っこを掴んで、イザークの雷が落ちる前に避難を早々開始した。
「って、ルナは平気なのかよ!? もうこれでかれこれ3週間連続で土日の夜勤付きだぜ。いい加減交代制にしろっての!」
警報ランプよりもさらに濃い、強気の赤い瞳が不満をはらんでいる。素直なのはいいが、シンの目は心中の不満や怒りをそのまま映し出すので、フォローするルナマリアも大変だ。まぁわかりやすい分、扱いやすいといえなくもないが。
「はぁ」と一つため息をついて、ルナマリアも正直な気持ちを吐露する。
「確かにね。『ライブ』っていえば、大方土日の夜開催のところが多いもの。それに開催している数だって警視庁一課だけで抑えられる範囲超えてるし。応援頼んでようやく全体をフォローできてる状況なんだから、交代する人数なんて割けないわよ。」
「んじゃ、この状況を打開するんだったら―――」
「「『犯人を捕まえる』。」」
顔を見合わせた二人の意見が一致したところで、そろってまた「「はぁ…」」と深いため息をついた。
「んでもさ、こんなに堂々と「警備してますよ」って犯人に教えているような配置で、本当に捕まえられんのかよ。犯人だってバカじゃないんだから、こうなっていたら普通逃げるか犯行止めるだろ?捕まえるタイミングないじゃん。」
確かにシンの言わんとしていることはわかる。ただ、先日の会議でイザークが出した結論はこうだった。
―――「まだ犯人と思しき人物像が浮かばない分、令状を取って個人を逮捕することはできない。確たる証拠集めが先決だ。そのために、証拠を集める班と、張り込みで現行犯逮捕にあたる班を設定したい。これから各自の配置を配る。当日までに各班入念な打ち合わせを忘れぬように。以上だ。」
ルナマリアがその言葉を反芻する。
「まあね。『私服(警官)で固めて、事件現場を押さえる』方法が一番効率いいんだと思うけど、犯人は段々行動がエスカレートしてきて、被害者の身体にまで傷害を負わせているようになってきたから、もし私服が追いかけだしたときに被害者を人質に取られたり、命に係わったら、それこそ『こちらの捜査に問題があった』ってことでしょ。先ずは『安全考慮』ってことで、『こうして警察が来ているから犯行はやめなさい』って案に示しているわけよ。」
(所詮は公務員よね…)とルナマリアも思う。
「なんだよ。やっぱりルナも不満なんじゃないか。顔に出てるぞ。」
シンが珍しく悪戯っぽくルナに突っ込みを入れた。
「え!?そんなわけないでしょ、シンじゃないんだから!」
「あー、やっぱり相当怒ってるー♪」
「もう、シンったら!早く待機場所に行くわよ!」
そう言うが早いか、ルナがまたもシンを引っ張って先を進む。
まぁでもいいか。シンと二人きりの配置場所。仕事中の小さなデートだと思えば。配置を考慮してくれた警視正にはちょっとだけ感謝、かな…
「わかりました。はい。…警視正、全員配置についたようです。」
レイがいつもと変わらぬ抑揚のない声で淡々と報告した。
「わかった。バレル巡査長は本部で待機。現場からの報告が入り次第、すぐに動けるように各員を待機させろ。」
「了解しました。」
レイがサッと敬礼し、下がっていく。
「来るかね〜こんなにウジャウジャお巡りさんがいて。」
胸ポケットから取り出した煙草に火をつけながら、ディアッカがイザークの隣で呟く。イザークは視線を忙しく駆け回る本部に向けたまま言った。
「奴は今までだって俺たちの裏をかいて犯行を続けてきたんだ。『どこからでも見える場所』に制服(警官)を見せびらかせておけば、自然と『制服のいない場所』へ犯行現場を移すだろう。そこが狙い目だ。優秀な私服を配置させたから、今回でケリをつけてやる。」
「ふ〜ん…要は、「あの表情は文句だらけだけど、やるときはやってくれる、『若手刑事たち』に活躍の場を用意してやろう」って腹か。案外優しいよな、お前って。」
意味ありげなディアッカのウィンクにイザークがたちまち頬を赤くし、慌てて早口になる。
「な…いや、関係ないっ!!こちらとしては早く犯人を上げたいだけだ!出ないとまた『アイツら』に先を越されるかもしれないからな!」
「『アイツら』…? って、あー『アイツら』ね。お前まだ『アイツら』と張り合う気なの?」
「う、うるさいっ!当たり前だ!! お前こそ何をやっている! 今は勤務中だ。煙草は勤務時間外にしろ!それにここは禁煙区域だ。「禁煙区域での喫煙は2000円の罰金」だぞ!」
「おーおー。骨の髄まで立派な警察官なことで。」
苦笑いをしながら、ディアッカはシガレットケースに煙草を押し付けた。
「あはは。『アイツら』か。私たちと『張り合う気』だって。ライバルにされてるぞ?」
とあるビルの屋上。ネオン輝く巨大な看板の下に片膝を立てて座っていた、漆黒のフードを羽織った人物が、まるで天使のごとく下界の動きを眺めながら楽しそうに笑った。
<相手にするな。それよりもうすぐ21時だ。『所定の場所』に移動してくれ。>
インカムから聞こえてくるのは、涼やかな落ち着いた声。
「わかった。了解!」
ハスキーな声で答えると、黒フードの人物は瞬間<フワリ>と舞い上がると、その場から煙のように消えた。
***
21時、ライブハウス『ニブルヘイム』。
地下のライブハウスから、観客たちがあふれ出し、最寄の駅に向かって行列が流れ出していた。
だが数十名の女性客らは、感極まったのか、その場で<キャーキャーv>と黄色い声を上げて、大声で感想を話したりと、ライブの余韻が冷めやらない。
その中から、数人の女性が抜け出した。
「ちょっと、フレイ、本当に行くの?」
後ろから茶色のショートヘアの少女が、前を歩く緋色の髪の少女に話しかけている。
「もち、よ! あんなぽっと出のファンと私とは違うんだから!いいからこっちよ、ミリアリア。こっちが通用口。出演者は出待ちしているファンの目につかない表通りを避けるの。だから、こっちのすごく狭い人通りのないほうから出てくるから、そこで待機してサインもらえるように交渉しましょ?」
自信満々でフレイはミリアリアを先導する。人一人がやっと通れるくらいの細い裏通りはライブハウスの裏手に続いている。そのすぐ先の駐車場には楽器車が置いてあり、そこまでの道のりに出演者が来ることは確実である、と踏んでいるのだ。だが―――
「え…?」
フレイの足が止まる。
「どうしたの、フレイ?」
後ろを歩いていたミリアリアが、フレイの肩越しに前を覗き込む。
そこには170p程の身長。目深にかぶった帽子の人影―――体つきからいって男が立ちふさがっていた。
「あの、そこ通してほしいんですけど。」
フレイが鬱陶しげに言い放った。そのときだった
<ドン!>
男が急にフレイを押し倒し、持っていたバッグを奪い去ろうとする。
「フレイ!」
ミリアリアが瞬時の判断で、フレイの腕をつかむと、今来た道を戻って逃げようとする。だが
「ちょっと!離して!!」
フレイがバッグを手放そうとしないため、連れて逃げようにも逃げられない。押し問答の末、男が何やら取り出した。裏通りに映えないネオンの光…いや、ネオンではなく、刃物の持つ鈍い光。それがフレイめがけて振り下ろされる―――
「キャァァーーーッ!」
フレイとミリアリアが目をぎゅっと瞑る。その時だった―――
<パキーン>
「っ!?」
金属が割れるような高音。そして男とフレイとミリアリアの間に<ふわり>と舞い降りる大きな黒い影。
男の動きが止まる。フレイとミリアリアも恐る恐る目を開く。そこに立っていたのは、全身黒い衣装に身を包んで、まるで夜の一部に溶け込み、頭部を深く覆ったフードで表情も見えない。ただ時折闇夜にキラキラと風に戯れる金の糸、そしてさくらんぼのような小さな赤い唇。
その唇がやや口角を上げ、<コツ、コツ>と靴音を立てながらゆっくりと男に迫っていく。
「っ!!」
男がひるむ。何故だろう。身長も背格好からしても自分よりずっと小さい。なのに訳もわからない恐怖感が、そのフードの奥からとてつもない圧力で襲ってくる。
(ニゲロ!)
「―――っ!」
本能的に察したのだろう。今度は男が慌ててその場を後ろ向きに立ち去る。何故かたどたどしい逃げ方で、これでは大人だったら直ぐに追いつかれる速さだ。だが黒フードはすぐには後を追ってこない。
男はやがて『ニブルヘイム』の裏口に忍び込み、楽器の置いてある倉庫の一角から、靴を取り出す。そしてそれに履き替えるとようやく息を整え、裏口ドアに戻ると、恐る恐る辺りを見回した。
どうやら人の気配はない。あの黒フードは先ほどの少女たちを助けただけだろう。だったら大丈夫だ。今日は失敗したが、それでもあの少女たちに十分恐怖を植え付けただろう。これでもうここには近づくまい。
裏通りから表通りに出て、いつものように普段通りに帰ればいいだけのこと。そうやって一歩を踏み出した時だった。
「へ〜そうやって事件現場にサイズの合う靴を隠していたんだ。」
「っ!?」
どこからともなく聞こえてくるハスキーな声。あわてて辺りを見回せば、周囲に人影などない。
(どこから!?)とキョロキョロと忙しなく視線を泳がせていたその時、<バサリ>と目の前に降り立った黒フード。
上だ。真上から飛び降りてきたのだ。しかも風を味方につけたかのように、ふわりと軽やかに。
「あ…あぁ…」
恐怖と驚きで腰を抜かしたらしいその男に、黒フードは言った。
「今までの事件で、沢山の靴跡を残していったけど、みんなサイズが違うことから「複数犯」って見込ませたかったみたいだな。でもサイズの違う靴は逃げる時に脱げたり転倒したりしやすい。だからすぐ近くの隠せる場所にあらかじめ置いておいたんだ。自分もライブハウス持っているから、ライブが終演したら、楽器車のある駐車場に運び込むために、通用門のカギを数分間開ける。配送員の振りをすればその数分で身支度を変えられる。それで関係者に紛れて出れば、だれにも怪しまれない。こうした裏方の流れと、どのあたりに通用口と楽器倉庫があるか、構造上わかっているからこそ、できた訳だ。」
男の肩がピクリと揺れる。ハスキーな声が苦しげに告げた。インカムの向こう側の声がそれに重なる。
「<そうだろ?『A.P.L.』のマスター。『タジマ』さん。>」
「っ!!」
黒フードがゆっくりとその衣装を取る。金の髪、印象的な金の瞳…そう、この子は確か―――
「『ジュリ』ちゃん、だったな。」
タジマも帽子を取って、ゆっくりとカガリと視線を合わせた。
「何故、犯行が『私』と気づいた?」
「<…先ずは『靴の裏の筋』>」
「『靴の裏の…筋』?」
インカムの向こうで、アスランが説明する。
<現場に残していた靴跡。それにはどれも一本の筋が残されていた。土踏まずの胸部に一本だけ。また鋭利な角度が踏込についていた。これは両足ではなく右足のみ。あなたは『ドラム』をやっていましたね。この筋と鋭利な角度は『ベースドラム』を叩く、ペダルを踏むのが習慣化している者の痕だ。ベースドラムはただペダルを踏んで音を出す、というだけじゃない。足の指先で大きさを調節する必要がある。とすると、指先を軽く反るために、指の付け根から土踏まずの上あたりの筋肉で調節するから、そこのゴム部分だけ引き伸ばされる。一本筋が入ったのは、ゴム底がそこだけ引き伸ばされやすいから、割れてきたんだろう。>
タジマが息をのむ。カガリのインカムを通して、アスランもその場の空気を感じる。だが、淡々と続けた。
<そしてもう一つ。被害者のスケジュール帳にこう記されていた。『Ev』・『リンゴ』・『オチモノ』。これらが消されて、別のライブハウスに会場が映っていた。『Ev』と『オチモノ』、これは二つとも『エレベーター』を示すものだ。そして『リンゴ』…これは『A.P.L.』つまり『Ascenseur pour l'echafaud』の長い名前が読めず、この略語をそのまま読んで『あ。ぷ。る』から『アップル』、『りんご』と呼んだ訳だ。あとは事件の起きた日にちと会場を付け合せたら、今日、この『ニブルヘイム』で起こり得ることは想定できた。以上だが、間違いはあるか?>
アスランが告げる突き詰められた真実に、すでに反論の余地はなかかった。タジマは静かにうなだれる。
「そうか…まさか、こんな簡単に見破られるとはね…」
乾いた笑いをするタジマに、カガリは悲しげな声で叫んだ。
「なんでこんなことしたんだよ!? あんなに楽しそうにジャズの話して、演奏していたのに、なんでこんな悲しいことしたんだよ!?」
<「自分の店を見下した報復」、といったところか。>
インカムの向こうのアスランの声がため息をつく。カガリが「え?」とアスランに疑問を向ければ、その答えはタジマが語った。
「今、君も言っただろう? 今日演奏したバンドも他のバンドも、みんな最初はうちを選んでくれた。大喜びでいたのもつかの間、「もっといいライブハウスが見つかったからキャンセルする」って。ロクに客も集まらないバンドにとっては、うちの店は良心的に安い。なのに「やっぱり演奏するんだったら、こんな汚い所より、新品の機材が揃っているところがいいよな」と、キャンセルしたうえ罵った! 挙句「自分らは、会場費は親が払ってくれるから、だったらこんなところじゃ勿体ない、いいところにしないとな」とまで!私は金が目的じゃない!見てくれだけで音楽をする、奴らに報復したかっただけだ!!」
タジマの両目から大粒の涙が落ちる。地面を引きちぎらんばかりの勢いで両手を握りしめながら、心の内をさらけ出した。
カガリは悲しかった。あんなに楽しそうに演奏していた人が、あんなドラムを大事にしていた人が何故!?
「でも…それって襲った女の子たちは何の関係もないだろ!? 迷惑かけるやり方じゃなくって、見返すやり方って選べなかったのかよ!? いい音楽をしていれば、みんな楽しくなって集まってくるのに。なんで音楽を嫌いにするやり方しか選べなかったんだよ!?」
タジマがその声に顔を見上げると、カガリが大きな金の瞳からぽろぽろと涙を溢れさせていた。
「そうか…いい音楽で人を集める…そんな方法、すっかり忘れていたな…」
タジマは今度は地面にどっかりと座ると、ただ漆黒の星も見えない宙を見上げ、悲しげに自嘲した。
「音楽よりも金のほうを選ぶようになってしまっていたのか…音楽が好きで始めたのに、いつの間にか、私の欲望は変わり果てて行ったんだな。」
その力の抜けた両肩が淋しい。この人だって元から悪人じゃなかったんだ。ただ方向が間違ってしまったんだ。だからその欲望に苦しんでいたんだ。
―――救ってあげられるだろうか…?
「その欲望、忘れたくはないか?」
カガリの言葉に、タジマが「え?」とカガリを見る。
金の瞳にはすべてを受け止めてくれるような、柔らかな慈愛の光であふれていた。
そうだ、あの時マイルス・ディビスを実に楽しそうに歌い上げていた、明るい光。
あんな風に、音楽を始めたころの自分に戻れるだろうか…
「忘れたいな。昔の自分に戻れるんならな。もう無理だと思うが。」
「ううん。やり直せるさ。あのきれいなドラミング。また聞かせてくれ。」
そういってカガリはタジマの傍にしゃがみ込むと、次の瞬間、とがった牙がタジマの首筋に刺さった。
「早く!こっちよ、こっち!」
フレイとミリアリアが必死に手招きをしながら先導する。
「ちょ、ちょっとまてって!」
タジマと遭遇した二人が悲鳴を上げたとき、一番近くにいたのがシンとルナマリアだった。慌てて現場に駆けつけると、そこでは二人の少女が泣きそうな顔で必死にシンとルナの腕を引っ張って、事の次第を話し出した。
「それで、助けてくれた人って?」
「なんか黒いフードをしていましたけど、すごく身が軽くって、いきなり3階くらい上から、ふわって飛び降りてきて、怪しい男を追いかける時もすごい速さで…まるで鳥が飛んでいくみたいに…」
シンとルナマリアは同時に顔を見合わせた。
「「それって―――」」
必死に二人の後を追い、裏口近くに差し掛かった時、彼らが目にしたものは
「…やぱり…」
そこには焦点の合わない目でうつろに見上げたまま、ブツブツと何かを呟いている男が一人。そしてお決まりの一枚のカードが置かれていた。
***
帰ってきたカガリは泣きそうな顔をしていた。小さな唇の端にまだ赤黒い跡が残っている。大きな金の瞳は潤み、きらめく真珠が零れ落ちそうだった。
「おいで。」
アスランが淡く微笑で、両手を広げると、カガリは迷わずその中に飛び込んだ。
「ヒック…ぁああーーーー」
たちまち大粒の雨がアスランの胸を濡らす。
「ちょっと悲しい事件だったな。」
その小さな背と頭を撫ぜながら、アスランがカガリを慰める。喘ぐようにカガリが涙をぬぐいながら答える。
「うん…でもあの人もこれで少し心が休まってくれたらいいんだけど。音楽が嫌いになっていなければいいな。」
「じゃぁ、そこはちょっと打診してみようか?」
「え?」
泣きはらして見上げたカガリの目の中には、笑顔のアスランが映っていた。
***
「現場検証、ですか。」
タジマが抑揚のない声で話した。
「そうだ。事件現場だけじゃなく、お前の生活全般も検証しなければならん。お前のライブハウスとやらに行くぞ。」
そういってイザークが先導し、車を走らせる。
すると―――
ライブハウス『Ascenseur pour l'echafaud』の前に、大きな人だかりがあった。もはや人数入れ替え制でも追いつかないような人の波。
「これは…いったい…」
表情のなかったタジマの顔に驚きが浮かぶ。
「行くぞ。裏口とやらを案内しろ。」
イザークが淡々とタジマを促す。やがて裏口からステージ裏へ進むと、そこには
「みんなぁーーーっ!盛り上がってるか!?」
「「「キャァァァーーーーッ!!」」」
ホールの天井に向けて突き上げられた手に、観客が黄色い悲鳴を上げる。
小さなステージ。スポットライトも一か所だけ。しかしそのステージにはスポットライト以上に輝いている少女がいた。シルクのような輝きを持つ柔らかな金の髪。意志の強そうな金の瞳。
「あの子は…?」
知らない子だ。でも、どこかで見たことがある気がする。だが思い出せない。
一瞬見れば、無邪気な少年のようで、しかし時折見せる金の流し目はハスキーな声と相まって、ユニセックスな倒錯的な色気を醸しだし、ファンの心を掴んで離さない。
「カガリーーーっ!」
「カガリ様ぁぁ〜〜〜〜!!」
少女たちの声援を受け、眩しく輝く金の少女が笑顔で手を振る。そしてその傍らに立つ赤のベースを携えたもうひとりに向かって、更に黄色い歓声が華咲く。
「アレックスーーーーっ!」
翡翠の瞳がすっと俯く。答えがわりにサラッと左手で、その艶めいた髪をかきあげれば、それだけで卒倒するファンまでいる。
右手に持ったベース用のピックを、軽く指の間でクルクルと回してみせる姿は、ラストソングの合図だ。
「今夜はこれで最後の曲だ!みんな―――」
ステージ全面に並べられたマーシャルアンプに軽く片足をかけた金の少女が、ウインクしてみせる。
「忘れられない夜にしてやるよ。」
囁くようなハスキーボイスに酔いしれる観客。
やがてはホールの天井を貫かんばかりの声援と拍手が沸き起こっている。
「流石は『Infinite Justice』。いい音を鳴らすもんだ。」
目を閉じて腕を組み、ステージ袖の柱に背をもたれながら、音に聞き入るイザークがつぶやく。
「『Infinite Justice』…では、あの子は…」
あの寂れたステージが、輝いている。
あのカガリという子が持つ、圧倒的な魅力。ステージを輝かせてくれるのは、彼女と、その彼女を支えているあの濃紺の髪の青年。
音楽がこのステージを、ライブハウスを輝かせてくれているのか。
「刑事さん。」
「何だ?」
「戻ってきたら、また音楽やりたいです。」
そういったタジマの横顔は、どこか嬉しそうだった。イザークはふと口元に笑みを浮かべると、愚痴を言った。
「全く、現場検証が「今日だ」と言ったはずなのに。どこのどいつだ。この日にライブを入れた奴は。」
「わかってくれたかな。タジマさん。」
その後、コンサート会場の楽屋。
カガリが不安そうに呟くと、アスランがいつも通りにカガリの頭をポンポンと頭を叩いた。
「大丈夫だ。頼みを聞いてくれたイザークから聞いたが、帰り際「いい表情していた」そうだ。」
「そっか、よかった。」
カガリの顔が和む。だが
「全く!お前たちは自分たちの置かれている立場が解っているか!?」
真上から落ちてきた雷に、カガリが<ビクン!>と跳ね返る。マネージャーのナタルのお説教は、お化け以上に怖いのだ。
「こんなビッグバンドになって、ワンホールでも足りない動員なのに、いきなりあんな狭いライブハウスでライブしたい!なんて!しかも相談もなしに「もうやるから」と勝手に決めて、もう怪我人は出ないかと心配で心配で―――」
「まぁいいじゃないの、ナタル。少しは本人たちの希望もかなえてあげても。」
マリューが苦笑して止めるも、ナタルの怒りは止まらない。
「社長!社長がそのような考えでいらっしゃるから、あの子たちが甘えてきて――」
矛先がマリューに代わって、カガリがそっとアスランに耳打ちする。
「こうなったら、ライブ相当こなさなきゃいけなさそうだな。」
「そうだな。それに「もう一つの仕事」もな。」
囁きあう二人にナタルの怒号が飛ぶ。
「お前たちはぁぁーーーっ!!」
「はい!お仕事行ってきます!」
軽くウインクしてカガリとアスランが立ち上がる。
歓声の待ち受けるまだ暗いステージへ、二つの光は飛び出していった。
・・・Fin.