Vamp! 〜第12楽章〜
夜も深まり、帰宅ラッシュも一段落した乗り継ぎ電車の中、カガリはドア脇にもたれるようにして、ネオン瞬く景色の流れをぼんやりと見ながら先ほどを振り返る。
―――『一直線に並んだ靴底の傷』
(あれって、もしかしてあの床の溝に落ちたガラスの欠片を踏んだあとじゃないか・・・?)
カガリなりに推理する。アスランが考え込むとき、いつも自然と右手親指で軽く顎を支えるポーズをとっている。常に傍にいるからか、今はカガリも考え込む時、無意識にその仕草を真似るようになっている。
(でも―――)
足痕にあった一直線になった傷は、確かに一箇所だった。もし床を始終歩き回っていたら、一箇所ではなく複数跡が残ってもおかしくない。それにあの写真の靴底の傷は、刃物のような鋭利なあとには見えなくもない。
(『タチバナさん』って言ったっけ。あんなに音楽を大切にする人が、あんな事件を起こすように見えないけど・・・)
アスランとカガリの思考では、どうしてもカガリが不利になる。情が厚いのだ。つい好感を持てる相手だと、庇ってしまう。そうすると何故かアスランがムッとするのだが、間違えているならそう言えばいいのに、どうしてかアスランは理由を話してくれない。
(ん〜〜〜ともかく、あと二件の当たりが先だな。それから考えよう。)
<まもなく、『ベイクリフト』。お出口は左側―――>
停車駅を告げる案内に、カガリは自分の両頬を軽く叩いて気合を入れなおすと、颯爽とプラットホームに降り立った。
二軒目となるライブハウス『APL』は、二階建ての小さなホールだった。先程の『シルバーファング』よりは外観はやや広そうだが、ひび割れた壁や吸音材となるグラスウールがはみ出たままのドアを見ると、やはりどこか古ぼけた印象が深い。人気のない古びた建物は、なんとなくお化け屋敷を想像させる。
「ここを探らなきゃいけないのか・・・」
ちょっと足がすくむ。我が身ながら、お化けのたぐいはまるっきり苦手なのだ。
まだプロでなかった頃、アスランが「遊びに行こう」と誘ってくれたのは、何故か遊園地が多かった。昼間は出歩かないため、夜に遊べる場所というと確かに限られているが、それでもよく「日が当たらないところへ行こう、カガリ。」と、確かに真っ暗な『お化け屋敷』に半ば強引に引っ張られた。舐められては困る!と頑張って一人で先に進もうとするが、気がつけばいつの間にかアスランにしがみついている。こっちとしては癪に障るのだが、何故かアスランはカガリに気持ちに反比例するようにご機嫌だ。なんとか外に出た時は、カガリは恐怖でドキドキと心拍が爆発するのではないか、と思うのだが、アスランも頬が赤らんだまま引き寄せられている胸から聞こえる鼓動がドキドキと早いので、なんのかんの言ってアスランだって怖いの我慢しているんだ!
ただ、今回アスランはいない・・・
(でも、やらなきゃいけないんだ!でないと折角アスランが調べてくれた苦労が水の泡だ!)
「よし!」
気合を入れ直して、カガリはドアノブに手をかける。シャッターが降りていないところを見ると、誰かスタジオにいるのかと思うが、人気を全く感じない。
「お邪魔します・・・」
ゆっくりとドアを開けてみれば、ドアの向こうは薄暗い。だが、小さな物音が聞こえる。
<チャッ、チャチャッ、チャッ、チャチャッ・・・>
プラスチックで硬いものを梳くような音。カガリの足を進めれば、それが段々リズムを持った、規則的な流れ=一つの音楽となって耳に届く。昔、聴いたことがある。確かこの曲は―――
「・・・『死刑台のエレベーター』・・・」
カガリのつぶやきに<ピタ>と音がやんだ。
「誰だ!?」
低く鋭い怒鳴り声に、カガリは思わず<ドキッ!>とホールドアップした状態で上半身が固まった。
「あ、あの・・・すまない!その・・・音が聴こえてきたから、営業中かと思って・・・」
ソロソロと足を進めれば、薄明かりが溢れていたホールに到着する。そこにはドラムセットが1台きり。天井からライトアップされた中心に、30代後半から40代前半くらいの、やはり身長170cmくらいの男が照らし出されていた。
「・・・ドラムの音しかしないんだ。ライブ営業なんてしているわけないだろう。」
ぶっきらぼうに低い声で答える男。体格といい、雰囲気はどこか父の秘書の一人のキサカに似てる感じがする。そう思うとなんか急に親近感が湧いて、カガリは物怖じせずに答えた。
「でも、もしかしたら『バズセッション(※ドラムとベースの、いわゆるリズム隊だけでのセッション。日本でいうところの太鼓と大太鼓、鼓の合同演奏みたいなもの)』かな?って思って。『ブラシスティック(※ドラムを叩くスティックの先がブラシになっているもの。ジャズなんかで多用される)』の音だったから、ジャズかな?って。さっきのリズム、『死刑台のエレベーター』の曲だろ?
「よく知っているな、その年齢で。」
男が感心したように声を上げた。だが、先ほどといい、やはり子供扱いされた感じは嫌目ない。アスランは「そのままでいい」というが、やはりもうちょっと大人っぽい服装をしたほうがいいのだろうか。
「うん。お父様・・・いや、父さんが昔フランス映画が好きで、よく休みの日にDVD借りてきてたんだ。私も一緒にとなりで見てたから。」
「そうか。この曲がこのライブハウスの名前だ。『APL』、正式には『Ascenseur pour l'echafaud』フランス語で『死刑台のエレベーター』。長くてお客が思えられないといけないから略して表記した。」
「なるほど。」
カガリが思わず腕を組んで感心する。その様子を見た男が急に「アハハ」と笑い出した。
「な、なんだよ!私、何か変なこと言ったか!?」
「いやいや。さっきまで固まっていた子が、こんなに簡単に気を許すなんて、って思ってな。」
「・・・悪かったな。」
カガリがむくれる。だがこの人懐っこさが、実はカガリの最大の武器なのだ。こうして何故か距離のある者や壁を作っている者に対し、スルリとその心に入り込んでしまう。人見知りなアスランには得難い、カガリだけの持つ能力だ。だが、そんなことに彼女は全く気がついていないのだが・・・
「いや、このライブハウスは客がほとんど入らなくってね。ドラムセットだけ貸出で置いてあるんだが、誰も叩いてくれず、寂しい思いをしていたから、時々叩いてやっていたんだ・・・」
そう言いながら愛しげにドラムを撫ぜるその手―――ずっとドラムをやっていたのだろう。親指の付け根が両手とも固く分厚い。
「そういう君は、何か音楽をやっているのか? 『バズセッション』なんて言葉は、よほど好きな者でもない限り使わない単語だ。」
するとカガリの目は生き生きと輝き出す。
「うん!バンドやっているんだ。私はボーカルだけだけど。ピアノは習っていたんだが・・・その・・・どうにも適性がなくって・・・鍵盤叩き壊すからやめろって言われたことあって・・・」
「あははは!」
「〜〜〜っ!!そんなに笑うなっ!///」
慌ててカガリが必死に怒るが、かえって相手は気を良くしたらしい。
「失礼。お嬢さん相手に笑いもんじゃないな。でもお嬢さんの低い声はボーカルとしてなかなか魅力的だ。」
「ホントか!?」
先ほどのむくれが瞬時に好転する。
男はそれに笑いつつもうなづいた。
「あぁ。ジャズも知っているならわかるだろ? ジャズ特にセッションで歌うボーカリストは、アルト系の深みのある声だ。君はそれに向いてるよ。」
「そ、そうか??///」
頭を掻きながら頬を赤らめるカガリ。男は笑んで頷いた。
「折角だから、小さなセッションでもいかがでしょうか?お嬢さん?」
「うん!」
カガリがマイクを取り、アンプの電源を入れる。ベースドラムの重厚な音に加わるブラシの軽快なリズム音。
もちろん曲はマイルス・ディビスだった。
***
「ここも違う、かなぁ・・・」
ライブハウス『Ascenseur pour l'echafaud』を出て、外観を再度見上げる。外も然ることながら、ステージもやはり古びていた。音響版や照明も『シルバーファング』と似たりよったりだ。
「でも・・・」
男は最後に言った。
「私は『タジマ』というんだ。君は?」
「え・・・えと、『ジュリ』。」
まさか本名は言えず、ヒョイと浮かんだ知人の名前をカガリは答えた。
「じゃぁ『ジュリ』。もし、また歌いたくなったらこのスタジオに来てくれないか?もちろん、友情助賛
で無料にしておくよ。」
「いいのか?見たところ、経営難に見えるぞ?―――あ・・・」
本音を言ってしまったがもう遅い。慌てて口を両手で塞ぐカガリに、タジマは笑っていった。
「確かにな。このスタジオはもう客は取れる状態じゃない。でも君のように音楽が好きな子のために、なんとか残してあげたいんだ。あのドラムももう一度光を当ててやりたい。」
あの表情を見ると、どうしても先ほどのタチバナ同様、疑う気になれないのだが・・・
とにかく今度は三軒目。『Yggdrasil』は、『APL』から歩いて15分の距離にあった。
居酒屋のチェーン店の地下にあった。
店の入口には、やたら蛍光色の強調されたライトが「入口はここ!」とひたすらアピールするがごとく、店先の歩道にまでクルクルと光を回してらしている。
「・・・さっきの2軒とは随分趣味が違うな〜・・・」
ライトに負けないように、額に手を当てひさし替わりにしながら、カガリがまず外装を確かめる。すると派手な衣装に身を包んだ女性が二人近寄ってきた。
「お客さん!そこのお客さん!!さ、入ってはいって!!」
「・・・は? っておい!―――」
気がついたときはもう遅い。女性陣にカガリは半ば無理やり引きずり込まれた。
「いやっしゃ〜いv ささっ、坐って♪」
何故かちょっとオネエ言葉の男性がカウンターの中から声をかけた。やたら愛想がいいが、無理やり引き込むなんて、犯罪じゃないか――・・・まぁどのみち入らなければいけないのだが・・・。
「何がいい?」
「『フランボワーズ』。」
「はいはい♪」
思わず頼んでしまった。丁度ステージでは女性ボーカリストが『ルナ・ロッサ(赤いお月様)』というカンツォーネを歌っていたからだ。ステージ照明まで真っ赤だったから、思わず赤い色のお酒を頼んでしまった。
吸血鬼が飲むお酒だったら、やっぱり『ブラディーマリー(※トマトジュースベースのお酒)』の方がよかったかなぁ・・・
「どうぞv」
そう言ってグラスを差し出した手は、指輪が幾つもはめられていた。だがオネエ様なお兄さんは指輪に似合わず爪は綺麗に切り揃えられていて、ネイルは施されていなかった。
「なぁ、折角だったら爪もきれいにしたほうがいいんじゃないか?」
「あら、言うわね〜この子。でもダメなのよ。一応飲食も扱っているし、それに私こう見えてもピアニストなのよ。だからつけ爪もしていないの。」
確かに。指は節くれだっていて、どの指も太い。両手とも同じなところを見ると、『シルバーファング』のタチバナさんはギターの弦を抑える左手だけだったので、全然違う。
「一応ワタシ、ここのマスターだし、私が引っかかったら営業に関わるでしょ? ここも正直あんまりお客来ないんで、出演は身内とか仲良い人に紹介してもらって、出演者集めてなんとか営業してるってわけ。」
175cmくらいのやせ型のマスターが、ハァ、とため息をつく。カガリは言った。
「だからって、あの強引な客引きはまずいんじゃないか? 警察に訴えられたらそっちのほうが営業停止どころか監獄行きだぞ?」
「まぁまぁ。でもあの子達もプロになるためには、必死にお客呼んで、自分をPRしなきゃならないから。ちょっと今回は大目に見てやって。」
「ね?」と片目でウィンクするマスター。そういう気持ちはわかる。アスランと私もそうだった。でもライブハウスなんて借りるお金がなかったから、駅前の公園や広場で歌った。プロになる意識は全くなかったから、マリューに見つけてもらったのは本当に幸運だと思う。
ステージでは『ルナ・ロッサ』が終わり、ボーカルが深々とお辞儀をする。わずかながらの客から起こる<パチパチ>という拍手。あの小さな拍手一つ一つが集まって、ドームでは大きなうねりとなる。自分は思いもしないうちにそのステージに立ってしまったが、このボーカル達は、必死に今の自分をアピールしている。私たちのような、ステージに立つために・・・
「あら?泣いてるの?美味しくなかった?」
「いや、なんでもない。ただ・・・」
「「ただ」?」
「皆の努力が実って、大きなステージに立てたら幸せだろうな。私も高校の時、文化祭で体育館にお客呼ぶのに、必死になったもん。ステージ飾り付けたり、照明のあて方考えたり・・・」
「もちろん、勧誘もね!」
「そうそう!」
マスターがまたもウィンクし、思わず頷いてしまった。でもみんなステージに立ちたい気持ちは同じなんだ。
「アナタ、今も音楽やってるの?だったら名刺渡しとくから、ワタシの店、使って!」
渡された名刺は角が丸い女性系で、[『Yggdrasil 』 -
SAWATARI]と書かれてあった。
「この店の名前、なんていうんだ?」
「『ユグドラシル』。 『世界樹』ってやつよ。「ここにみんなが集い、ここから巣立っていく」って願いを込めて、ね☆」
右手の人差し指を立てて、アイシャドウの濃い目を三たびウィンクしながら、マスターは言った。
***
カガリがマンションに戻ったのは0時を過ぎていた。既にミキシングを終えたらしいアスランは戻っており、カガリを出迎えた。
「お帰り。疲れていないか?」
「ううん、全然大丈夫だぞ! 色々収穫あったし。」
「こっちも収穫が幾つかあった。」
「ホントか!?」
カガリの驚きもそこそこ、早速ふたり揃ってパソコンのモニターに食い入る。
「データの中に、被害者たちの私物を撮っておいたものがあったんだ。被害者8人のうち、3人がスケジュール帳を持っていて、残り5人はスマホのスケジュールアプリを使っていたんだが、注目するのは帳面を残していたこの3人の方だ。」
アスランが画像をアップする。花柄やら、キャラクターのついた可愛らしい週間ごとに書き込めるタイプのスケジュール帳のカレンダーだった。
「そしてこれが拡大図。」
アスランが画像を拡大すると、カレンダーに『ライブ予定日』の漫画文字。
「これが大きな手がかりだ。」
アスランがカーソルを滑らせる。そこに書かれた文字は
『10/27 Ev ⇒ グランド 』
「・・・打ち消して、別の名前?」
カガリがつぶやくと、アスランは頷く。
「同じように他の2人の持つスケジュール帳からも、幾つか消された場所がある。」
『9/4 『りんご 』から『オーディーン 』へ18:30』
『11/2 『オチモノ』 変更 『ニブルヘイム 』だよ☆』
「スマホアプリのスケジュール帳は書き直しすると前に書き込んだ内容は消される。だが、紙ベースのスケジュール帳にはボールペンか何かで書き込んだらしく、修正液を使う余裕もなかったのか、打ち消してある。」
「これが事件と何か関係あるのか?」
カガリが首をひねると、アスランは苦笑する。
「これだけでは何にも決め手はない。ここで必要なのが−−−」
「私の情報だな!」
胸を張るカガリにアスランは「よろしく」と儀礼的に頭を下げた。
「みんなマスターは男性で、身長も170〜175cm位。体格はちょっと違ってた。最初の『シルバーファング』はタチバナさんってマスターさんが経営してる。でも収益なくってステージも機材も年代物。自分は上の階でバーやってた。そこで気になったのが、一直線の木材で埋められた床の切れ目に一直線に割れたガラスの破片が落ちてた。私は足痕の傷の原因かな、って推理したけど・・・そうそう、以前ギターやっていたって。まぁ割と中肉中背かな。その次は『APL』。タジマさんは結構筋肉質な感じでドラマー。ここもステージはやっぱり寂れてる。最後は『ユグドラシル』のサワタリってマスター。細くってスタイルいいオネエさんだった。元々ピアニストでハウス内のカウンターバーもやっているから、爪伸ばしてないけど、指輪はいっぱいしてた。やっぱりあまり集客なくって、結構強引な客引きだったけど、みんないい人たちばっかりだったな・・・ってこんな感じだけど―――って、アスラン?」
カガリがアスランを覗き込む。アスランの推理が始まっている。顎に右手を添えるいつものポーズ。すると、翡翠の目が見開いた。
「わかったぞ、カガリ。今回の事件の犯人と、彼の『欲望』が」
「え!?だってまだ細かいところいっていないし、大体さっきのスケジュール帳にだって、『グランド』だとか『ニブルヘイム』だとか、なんか魔術の呪文みたいなのしか書いてないのに、それで分かったのか!?」
カガリが金の目を丸くする。そこに自信に満ちた翡翠の光が重なった。
「カガリ、決行は11/2だ。」
アスランは電子ノートを取り出すと、カガリの目の前で11月のカレンダーの2日に赤の二重丸をつけた。
・・・to
be Continued.