「…お願い…今夜は…もう…」
「…駄目。まだ足りない…」
そうやって力なく払いのけようとする細い手首を押さえつけ、組み伏す。
敏感な白いうなじに唇を這わせれば、たちどころに<ビクン>と細い全身がのけぞる。
今夜はこれで幾度目だろうか。
だが俺の渇きは一向に満たされない。
啼かせても啼かせても、今一度触れれば、まるで初めての時のような初々しい仕草を見せる彼女に飽きるどころか余計に俺の中の欲が彼女を求めて止まない。
「カガリ…」
その名を口にするだけで、背筋に強い電流が走った様な甘美な感覚が俺の四肢を支配する。
細く滑らかな金糸を、頭ごと胸の中に閉じ込めて愛撫する。と―――
「―――っ。」
鎖骨のあたりにわずかに走る甘い痛み。
見れば彼女が俺の首筋に口づけるようにして可愛い八重歯を突き立てている。
「警告」――――
(―――「これ以上やったら、承知しないからな!」)
俺の欲を止めるようとする言葉は既に尽きた。
故に彼女が体で示す、細やかな「最後の抵抗」
だが、こんな甘噛みでは、かえって男には逆効果だ。
抗えば余計にそれをねじ伏せたくなる、「男の欲望」。
だから、その痛みを楽しみながら、俺はクスリと笑ってまた彼女の体に火をつける。
(全く…どっちが「化け物」なんだか。)
俺の方が襲ってばかり。それこそ「狼男」そのものだ。
彼女が本気を出せば、「ただの人間」の俺など、簡単に殺すことさえできるというのに。
その八重歯がスルスルと伸びて、そのまま首に噛り付けば、あっという間に頸動脈から深紅のバラの花の色をした鮮血が迸り、彼女の飢えを満たすはず。
そう―――彼女は「吸血鬼」
しかも、ただの吸血鬼ではなく、彼らの上に君臨する「王家」の姫君という存在。
だが、彼女はある難を逃れ、その意味を知らぬ幼子の間に人間界で俺と出会った。
日の暮れた公演で、漆黒の空を仰ぎながら無邪気に遊ぶ。その金色の髪と瞳がまるで月明りのようで、その美しさにあっという間に俺は堕ちた。
いや、月ではないな。
名門ザラ家に生まれたが故に、ひたすら家を継ぐための英才教育を施され、挙句自由のなかった俺にとって唯一自分の時間は夜だけだ。昼の明るさは俺の自由を奪う時間。俺の時間を容赦なく蝕んでいく太陽…そして自分の名が『アスラン』=『暁』を示すこの名を与えた父を恨んでいた。
昼の闇の中で苦しみもがく俺を救い出したのはカガリだ。
だから、日の落ちた宵闇に美しく舞う彼女こそ、俺の本当の太陽だ。
カガリと共に生きることを決意し、今はこうして二人で『インフィニット・ジャスティス』というバンドを組み、彼女の輝きを世界に知らしめている。
活き活きと飛び跳ねるカガリは、たちまち世間をも虜にした。
でも、彼女はあくまで「俺だけのもの」だ。
こうして生活においても、仕事においても、常に彼女と共に生きることは、俺にとって至福の人生。
吸血鬼という体質が故に、「仕事は夕方から朝日が昇る前」まで。
そしてもう一つ、彼女の食事である「血液」とそこに含まれる人間の「欲」を得るための「獲物を探す仕事」。
普通の人間ではおいそれと真似できないこの日々は、俺の大事な生きる証だ。
そんな今日、事務所の社長であるマリュー・ラミアスから声をかけられた。
「え…『パーティー』ですか…?」
「そうよ、しかも貴方の『バースディ・パーティ』。」
マリューがその優しげな瞳を向けて笑顔で告げた。
「もうすぐ貴方の誕生日でしょ。いつも仕事仕事で貴方たちには無理をさせっぱなしだから、是非、私たちにお祝いさせてくれないかしら?」
「……」
大手事務所の社長自らが、一介の個人の誕生日を祝ってくれるなど、普通にはあり得ないし、瞬時にありがたいと受け入れるところだろう。
しかし、パーティーというからには、大勢人が集まるはず。俺はこうした人の集まるところは苦手だ。なるべくなら断りたいと思った矢先、マリューは「最後の切り札」を差し出した。
「これは、カガリさんからの提案でもあるの。」
「カガリが、ですか?」
カガリ以外にあまり感情を見せない俺の表情が、珍しく驚きを見せたことで、マリューも興味深かったのか、更に告げた。
「そうよ。「いつもアイツを私の我儘につき合わせて申し訳ない。折角の誕生日もできたらみんなで祝ってあげたいんだ」って。本当に貴方を喜ばせようと思っているのね。企画書まで上げてきたのよ。」
そういって笑うマリュー。
カガリがわざわざ俺のために、働きかけてくれた。それを聞いて拒否できる恋人がどこにいるだろうか。
「それにね…」
マリューが少し表情を改めて語る。
「普段お世話になっている関係者にも、お礼をしたいって。確かに「打ち上げ」だけじゃ略式だとは私も思っていたんだけれど。丁度カガリさんが言い出してくれたから、渡りに船とばかりに私もすぐOK出したのよ。」
流石はカガリ。人付き合いが苦手な俺では気が付かないことだ。レコーディングスタッフやライブの運営・音響会社をはじめ、時間の制約もある俺たちに付き合ってくれる各社への配慮…これも人間関係を円滑に運ぶためには必要なことだろう。
カガリはいつもこういう。
―――「悪いな、アスラン。いつも私につき合わせて。」
いいや、カガリ。
君のおかげで、俺はどれだけ救われているか―――
「わかりました。謹んでお受けいたします。」
「ありがとう。貴方ならきっとそう言ってくれると思っていたわ。」
ありがとう、を言うのはむしろこちらのはずなのに、マリューは深々と頭を下げた。
***
「アレックスくん、お誕生日おめでとう!」
マリューの第一声で始まったパーティーは、俺の想像通りだった。
事務所の連中だけでなく、イベントスタッフやバックアップ企業など、多種多様にわたる人間が集まっている。
(―――「お前が主役のパーティなんだから、今日はちゃんと真ん中にいろよ!」)
パーティ会場に着くや否や、カガリが速攻俺に説教を開始した。
(―――「はいはい。」)
(―――「はい、は一回!」)
(―――「…はい。」)
苦笑しながらカガリの言いつけを守ろうとしたが、やはりどうにもカガリが傍にいないと落ち着かない。
(…そういえば、カガリはどこに行ったのだろう?)
会場のどこを見ても姿が見えない。さして広くもない会場なのに、彼女を見失うなんて、俺としたことが飛んだ失敗だ。
仕方なく細いシャンパングラスを一つ取り、壁の花を決め込もうとする俺に、近づいてくる影があった。
「アレックス〜〜〜〜〜vv」
その声を聴いただけで、俺は「はぁ…」と心の中で深いため息をつく。
『ミーア・キャンベル』―――最近エターナルプロダクションが売り出し中の新進気鋭のアイドルだ。
エターナルプロダクションはいわば俺たちのライバル事務所であり、つい最近まで、カガリの双子の兄:キラと、その従者であるラクスが組んだバンド『ストライク・フリーダム』という事務所の看板スターを抱えていた。しかし、キラとラクスが自分たちの世界に帰ったことで、記憶を改ざんしていたとはいえ、急にいなくなってしまったことでかなりのダメージを受けているはず。
そのラクスの面影を受け継いでいるようなミーアは、エターナルにとっては貴重な戦力ということもあって、こうして各所に顔を積極的に出させて売り込んでいる。
音楽番組で偶然オファーが重なったときも、ラクスと似ても似つかない耳にキンキン響く声で俺の名を遠くから叫んでひんしゅくを買って、マネージャーのダコスタに叱られていたがそれでもめげる様子はない。
そしてまた今も花束を俺に押し付け、空色の瞳の中に☆が見えるくらい輝かせて俺を見上げる。
「今日はお誕生日おめでとう!嬉しいっ!私、ずっとあなたのファンだったのvv」
「あ、いや、ありがとう。」
「そんな端っこにいないで、こっちで一緒にお話ししましょう!そうそうアレックスは何が食べたい?とってきてあげるvv」
そういってその自己主張の激しい胸に俺の肘をくっつけようと引っ張る彼女に辟易した時、会場が薄暗くなって、皆が騒然とした。
すると―――
<ギィ…>
両開きのドアが開いて、銀のワゴンが一つ運ばれてくる。
そのワゴンを押してきたのは
「…カガリ…」
俺は目を疑った。
黒いイブニングドレスに肘より高い黒のレースのロンググローブ。
細い足にぴったりとはまったエナメルの黒いハイヒール。
そして、軽く結い上げた髪は夜空にちりばめた星のように、金の光を優しく放つ。
普段カガリは全くブランドとは無縁の生活を送っている。
その辺にあるワゴンセールで買えるようなTシャツと短パンがお決まりで、ライブの衣装も動きやすいユニセックスな衣装ばかりだ。
しかし、普段着慣れぬドレスやハイヒールを瞬時に着こなし、優雅な気品に満ちた振る舞いはまるで古城の女王のようだ。
名門:アスハ家の令嬢でもある彼女の生育がそうさせているのか、それとも、高貴な吸血鬼の姫君である血筋がそうさせているのか。
俺の視線に気づいたカガリが小さくうなずく。
「あん、ちょっと―――」
これ幸いに縋り付くミーアの腕を振り切って、俺は駆け付けた。
「あ、アレックス。その…誕生日、おめでとう、な/// そ、その…これ…」
「たまにはこうした衣装でアレックスを喜ばせてやれ、と私が着せたんだ。」
ほほを赤らめてモジモジするカガリの介添えのように、傍にいたマネージャーのナタルがカガリの言い訳を見事に代弁した。そして更に
「それからこれはアスハがお前のために作ったんだそうだ。見てやれ。」
ナタルがそっとワゴンに乗った銀ボールの蓋を取り外した。そこには
「…パイ?」
多分、というか見るからに『パンプキン・パイ』だ。するとカガリは
「そ、そのな。本当はおっきなバースデーケーキ作って、真ん中にどん!て飾りたかったんだけど…上手くいかなくって、それでこっちに…」
もぞもぞ口ごもってうつむくカガリ。
「でもパイって焼くの難しいだろ?頑張ったな。」
彼女は人間の食物を必要としない。故にあまり人間の食事には精通していない。そんなカガリが人の口に合うように、必死で作ってくれている姿を思うだけで、熱いものがこみ上げてくる。
「そうなんだ!でもこれも結構失敗して、上手くいかなかったんだけど、こっちは結構いっぱいあったんだ。材料が。その…お買い得だったから…」
「…プ…」
「何がおかしいんだよっ!!///」
カガリが真っ赤になって怒鳴る。
だって「可愛い」から。そして「変わっていないこと」が嬉しくて、普段下がりっぱなしの口元が緩んでしまう。
売れない時代に、親からの支援で生活することを良しとしないカガリと、父と絶縁状態の俺にとって生活費の切り詰めは必需だった。
そのために一番取り掛かりやすい手段は「食費の制限」だ。しかしカガリは食事を要しない。でも俺のために深夜営業のスーパーや、廃棄寸前の食べられる食材を探してきてくれた。(ついでにその店のオーナーや農家と仲良くなって、楽器車代わりに運搬の手伝いをしてもらったことがある)
その頃と全然変わっていない。変わっていないのが嬉しくて
嬉しくて…
少し、寂しい…
「ありがとう。大事に頂くよ。」
そういって、その華奢な肩にそっと手を当てると、カガリが満面の笑みを向けてくれた。
「本当におめでとう!アレックス。―――って、大変だ!」
折角の笑顔が急に曇りだす。いくら感情が顔に出やすいとはいえ、俺の方が心配になる。
「どうした、カガリ?何か心配が―――」
「ご、ごめん!アレックス。その…誕生日プレゼントを買うの、忘れてたっ!!」
「は…あはははは!」
「だからそんなに笑うなよっ!///」
「ごめんごめん、大丈夫だ。あとで欲しいものをきっちりもらうから。」
「あと、って…もうお店しまっちゃう時間だぞ?今言ってくれれば買いに行けるし―――」
大丈夫。欲しいものは今すぐ手に入る。
俺の目の前に、それはあるのだから。
この幸せな時間を楽しみたい。…だが、それが俺の運命といわんばかりに、そこに暗雲が立ち込めた。
「いや〜カガリさんがこんなに美しい女性だったとは。見間違えるほどでしたよ。」
「アズラエルさん。」
ナタルの声に俺が視線を向ければ、レコード会社の社長である、ムルタ・アズラエル氏がさりげなくカガリの隣に立った。
俺は瞬時に気分を害し、鋭い視線をアズラエルに向ける。
―――そこは…俺の居場所だ!
だがアズラエルは俺の視線を軽くいなして、あっという間にカガリの細い腰に手を回す。
「あ、あ、あの…」
流石の女王も、こうした男の捌き方までは学習しなかった。戸惑い恥じらう姿が、男どもの視線をくぎ付けにし、あっという間にカガリを取り囲む。
「いいじゃないですか♪ 貴女方とは契約している以上、もっと親密になる機会が欲しかったんですよ。でも貴女方は常に私と時間が合わない仕事ばかり。このような機会を設けてくれたのは貴重です。いっつも貴女方は「夜の住人」ですからね〜…どうですか?もし、お付き合いしている男性がいなければ、私と是非。」
「え!?あ、は!?」
「そうすれば、昼の仕事をたっぷりご紹介できますよ。相方の彼だって、太陽の下で仕事ができるし、理想的じゃないですか。」
「あ、いや、それは…」
既にパニックになりかけている姫君を救わなければ、と伸ばす俺の腕を、またしてもミーアがつかんだ。
「もう、アレックス。いつもカガリさんとは一緒にいるからいいでしょ、今日くらい私たちに付き合ったって。」
むくれるミーアをしり目にカガリを追えば、あっという間に男たちに囲まれて、その姿が遠くなった。
***
「ちょっと、待てよ!何を怒って―――」
「怒ってなんかいない。」
ぶっきらぼうに言い放った。そういいながら腸は既に煮えくり返っている。
パーティーがお開きとなったとたん、俺はカガリを連れて自宅に直行した。
そして軽々と彼女を抱き上げて、ベッドに沈める。
両手の自由を奪ってカガリの服を引きはがせば、あの裸の白い肌と華奢な肩が青白く浮かび上がる。
カガリは俺だけのものだ。
誰一人触れることなんて許さない。
それが、どんなに理不尽な要求だということの自覚はある。
でも…今日この日、今夜に限って俺以外の男の肌に触れさせるなんて、自分の不甲斐なさに腹が立って仕方がない。
いや…すでにカガリへの欲はあった。
あの女王たる美しい彼女を見た瞬間から、自制が利かなくなっている。
「カガリ、誕生日のプレゼントが欲しい。」
「え…?」
涙に潤んだ金眼がほの白く俺を映している。柔らかなほほにそっと零れ落ちかけていたそれをそっとぬぐって、彼女に囁いた。
「君が―――欲しい。」
早々と唇を奪い、抵抗が薄くなったカガリに、俺は思う存分喰らいついた。
***
「…お願い…今夜は…もう…」
「…駄目。まだ足りない…」
彼女が見せたささやかな抵抗も気に留めず、俺はまたカガリをむさぼる。
その体を愛撫しながら、自嘲する。
なぁ、カガリ
俺は自分の誕生日が来るたびに怖いんだ。
ずっと君だけを愛してきた俺だからわかる。
吸血鬼は、ある一定の時期になると歳を取らない。
老化が止まって、望めば永遠にも近い寿命を保つ。
シミ一つない君の柔らかな頬に、身体に触れるたび、君の時間がそろそろ止まっている気がする。
なのに俺は確実に歳を重ねる。
そして…君を置いて、俺はこの世から消えるときがくる。
死ぬのが怖いんじゃない
君と別れるのが怖いんだ。
だから、誕生日がくるのが、歳が重なるのが嫌でたまらない。
そして、俺がいなくなった後、君は一人になって…
そして、もし―――君の隣に新しい誰かが立つのかと思うと、今も胸が張り裂けて、真っ赤な血が噴き出しそうなほどの苦しみが溢れてくる。
―――「従者になれば…」
キラはそう言った。
従者になれば、吸血鬼ほどではないにしろ、病気やケガへの抵抗は強くなって、寿命もやや延びるのだと。
だからラクスを従者にして、ともに時を過ごしているのだと。
俺も何度も願った。
君の従者にしてほしい、と。
でもそれはあってはならない
従者になるにはその者の血を吸わねばならない。
だけど君の糧となる吸血は『欲望』を吸い出す。
つまり、俺の血を吸えば、俺は俺の欲望―――『カガリへの想い』を失ってしまうんだ。
そんなことは死ぬより俺にはつらい現実
なぁ、どうしたらいい?
どうしたら、俺は永遠に君を失わずにいられる?
―――「カガリ―――っ!!」
「はぁ、はぁ…」
欲を吐き出し、カガリを抱いたまま息を整える。
ふとそっと体を離せば、愛しい姫君は既に果てて、こと切れたように眠りの中に落ちていた。
愛らしい寝顔は何度見ても飽き足りはしない。
俺は指の背を、何度もそのふっくらとした柔らかい頬に滑らせ、そっと零す。
「誕生日のプレゼント、ちゃんと貰いたかったな…」
そうして俺はサイドテーブルに手を伸ばす。
そこには小さな包みが一つ。
本当は君にこの包みのリボンを解いてもらいたかった。
そして、箱を開けて…君がどんな顔をするのか見たかった。
そして―――
小箱の中からそれを取り出し、彼女の細い薬指にそっとそれを通す。
カーテンから漏れ入る暁の白い光が、指輪を、金糸を柔らかく包む。
でも、この光はいらない。
俺には既にこの腕に中に、俺の世界でただ一つの太陽があるから。
他の陽など沢山だ。
「カガリ…俺の欲しいものは、君だ。」
強く、優しく抱きしめて、その甘い香りの金糸に顔をうずめる。
そして乞う。たった一つの君への願いを。
「君の一生を…俺に下さい。」
・・・Fin.