(…危機的状況だ…)
広いリビングに設けられているL字型ソファーの一角で、カガリはクッションを抱え、蹲っていた。
目の前の48型ワイドテレビは、賑やかにレポーターが「今日のグルメ」と称して街角の隠れ家レストランを紹介している。
正直、吸血鬼であるカガリは、こうした見聞きで食欲をそそられる、いわゆる『飯テロ』番組を見ても食欲をそそられることは特にない。
だが―――今は正直、胃袋の末期的状態だった。
テレビを凝視する振りをして、視線をこっそり斜め向かいで新聞を読んでいる彼に注いてみる。
アスランは毎日何社分の新聞購読を欠かさない。
無論世情を知り、それが少しでも『I.F.』の音楽活動に反映させる、という目的もあるが、殆どの理由は『Vamp』の活動、つまり「カガリの食事」の獲物の情報収集の為を占めている。
(―――「『Vamp』はやめないよ。」)
彼はそう言ってくれた。
カガリの狩りには特殊な条件が発生してしまう。
単純に血を吸うだけなら、失血に至らない程度に留めることは幾らでもできるのだが、思わぬ副作用―――「欲望を吸い出す」―――というものがある。
故に、社会に害をもたらすような欲望を抱えている、しかも警察も追っているであろう犯罪者をターゲットに絞り、その欲を吸いだす。そうすればカガリは空腹を満たし、更に未解決事件は無事の御用となって、win-winの関係を築ける。
そのため、アスランは毎日こうして情報を欠かさず集め、カガリはアスランの指示に従って、獲物を狩る仕組み―――つまりはコードネーム『Vamp』ができ上がった。
これまで何度か危機的状況に追い込まれることもあったが、無事にVampは敵を掻い潜ってきた。
だが、つい最近、彼らにとって新たな状況が発生した。
カガリだけではなく、吸血鬼の吸血作用によって、人間は意思を失い、いわゆる傀儡として吸血鬼が使役する力を持っているのだが、この力が全く通用しない人間がいることが判明した。
それは「ナイトレイド」と呼ばれる。
カガリの預け先だったアスハ家のように、血族で脈々と受け継がれることもあるが、その多くは偶発的に誕生していたらしい。
吸血鬼に勝るとも劣らぬ知力や耐久力を持ち、夜目が利くといった、まさに「夜の魔を狩る者」。実はアスランにその能力が濃く表れていることが判明した。
悠久の敵でありながら、それを知らず惹かれ合った二人は、それでも今の生活を永久に続けることを決めた。
そんな中、敵対者であると同時に分かった一つの救いとしては、アスランはカガリに吸血されても、カガリの支配の力も欲望を吸い取られる事もない、つまり何らかの諸事情でカガリが狩りができなくなった場合は、アスランの血液を吸うことで賄えるということだった。
ただ、カガリとしてはなるべくアスランを傷つけたり、命に係わる行為はさせたくない。
故に、こうして今も食事の情報が出てくることを待っているのだが…
「ん?何だ?」
盗み見ていたつもりが、いつの間にか凝視していたらしい。
視線に気づいたアスランが、微笑みながらカガリに尋ねた。
「あ、いや、ううん、なんでもないっ!」
慌ててテーブルの上に放り投げてあったテレビのリモコンを取って、ボリュームを上げた。
そしてテレビに夢中になっているふりをしながら、クッションを抱え直す。
(マズい…)
不自然に思われなかっただろうか。
誤魔化しがてらテレビのボリュームを上げたが、その目的は別のところにあった。
(お腹が…)
暫く狩りをしていない。そのため食事は「お預け」。よって空腹のため、お腹が鳴りそうなのだ。
素直に「食事の用意できそうか?」と尋ねればよいのだが、何故か危険な直感がカガリを襲っている。
これを聞くと、何か非常に不味いことが起きそうなのだ。
しかも
「……」
また視線だけチラリと彼の方に走らせる。
この寒い冬、いくら暖房が聞いている室内とはいえ、ローゲージのバトーネックのニットを着た彼は、これ見よがしに首筋を露わにしている。
それこそ現在カガリの目の前で絶賛報道中の番組のように、人間が食事に対し、香りや照りなどの色合いで食欲が増すのと同じく、吸血鬼にとって脈打つ血管の浮き出た首筋は、まさに食欲をそそられるのだ。それこそリアル『飯テロ』だ。まるでそれを知っていて、「噛みついてくださいv」とでも言っているかのような彼のその姿に、本能が反応しつつも、危険を訴える理性がカガリの中でせめぎ合っている。
彼は気づいていないような素振りだが、こうなると二通りの人種がいる。
一つは「全く純粋に気づいていない」者。もう一つは「知っていながら気づかないそぶりをして、実はターゲットが罠にかかるのを、手ぐすね引いて待っている」というパターンだ。
アスランは絶対に後者だ。何しろ片手で足りる年齢の頃からの付き合いだ。その位流石にカガリでもわかる。
相手は澄ました顔で新聞を読みふけっている。癪に障るが相手の手に乗ってはいけない。
こうなったらひたすら「辛抱」の2文字を徹底するしかない。
そう、カガリが心に決めた時だった
「…さて、食事の準備でもするか。」
新聞紙を几帳面に折り畳んで、アスランがソファーから立ち上がった。
(―――「食事の…準備」!!)
遂にこの時が来た!
カガリは喜び勇んで立ち上がった。
「食事の用意ができたのか!?何時だ!?何時決行する???もうお腹減っちゃってさ!」
まるで飼い猫が「ご飯」の言葉に反応して、キラキラと目を輝かせて足元にじゃれつくかのように、カガリがアスランを見上げた。
だが、それに対する翡翠は微塵も揺らめく気配はなかった。そして一言。
「…『食事』って、「俺の食事を準備する」ってことだったんだけど…」
「え…」
カガリの動きが一瞬で固まった。
そして、この絶妙なチャンスを逃すほど、この男は甘くはなかった。
「ふ〜ん…カガリ、そんなに「お腹が減っていた」のか。…だったら我慢しないで言えばいいのに。」
にっこりと柔らかく笑って見せるアスラン。
『I.F.』のファンの女性たちだったら、一瞬で全員の心臓と息が止まるであろう、その微笑み。
だが、その笑顔の裏の「危険」をカガリは瞬時に悟った
(しまった―――!!)
まさか、こんな簡単に罠にはまってしまうとは。
アスランにとっては、カガリの「そんなところ」が可愛くて仕方ないのだが、カガリはその分心の中で地団駄を踏みまくっている。
絶望的に口元が歪んだまま固まるカガリの隣に遠慮なく座り、ただでさえ男にしては白く、細く、色気に満ちた首筋を見せつけるがごとく、濃紺の髪をかき上げる。
「ほら、好きなだけ吸っていいよ。」
<ゴクリ>
つばを飲み込むカガリだが、理性が見事なまでに半鐘を鳴らしまくっている。
「い、いや、お前が新聞熱心に読んでいたから、狩りにちょうどいい事件があったのかな、って思ってさ。ただそれだけ―――」
「お腹減っているんだろ? さっきお腹が鳴っていたじゃないか。」
(〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!コイツはぁーーーっ!!)
最初から気づいていた、というよりすでに確信犯。獲物を見つける気はなく、最初から自分の血を飲ませること前提だったのだ。
怒り半分、自分の欲求がバレバレだったのが悔しいのが半分。戦慄いているカガリの前で、アスランは苦笑した後、少し真面目な顔をしていった。
「俺の体質は判った。カガリが「ナイトレイド」の血液を飲んでも、特に体に影響がないのも、アスハ家の人たちの状況から解った。でも、これからずっと二人で一緒に生きていくと決めたんだ。そのためには、まだお互い知らなきゃいけないことが山ほどある。」
「…例えば?」
ムッツリとした目でアスランを睨むが、彼はそれをサラリとかわして話し出した。
「そうだな…例えば「カガリが一度にどれだけナイトレイドの血液を飲んでも影響がないか」とか、「俺自身がどのくらいの頻度で血液を与えても、俺の精神に影響が出ないか」とか。後は「カガリの好みの味の血液にするには、俺は何を食べたらいいか」とか…」
「私の好みの味、なんて知らなくったっていいだろ!」
「いや、食事は味付けが大事だ。折角だからカガリだって、美味しい血液が飲みたいだろ?」
「うん。…じゃなくって! いいか、そもそも私はお前の―――」
「でも大事なことだ。少しずつ時間をかけて解明していかないと。解明までカガリが俺の血を吸わない限り、毎食俺がテーブルの上に座ることになるけど…」
舌戦でアスランに敵う訳がない。常に頭の中で理論武装している人間に、感情一直線のカガリは敵ではない。
「もう、わかった!吸えばいいんだろ、吸えばっ!でも変なことするんじゃないぞ!」
「わかった、わかった。変なことはしないから。」
アスランがそっとカガリに向かって首筋の髪をかき分ける。
「さぁ、どうぞ、姫様。」
「…うん…」
カガリはそっと小さなサクランボの様な唇を近づけた。
<カリ>
「―――っ。」
アスランの首筋の下の方に、僅かに痛みが走った。
本来なら頸動脈を狙うのだろうが、命に係わる故に、少し外れたそこは、酷くアスランを刺激した。
(…たまらない…)
痛みが走ったのは僅かの間、次に待っていたのは<チュ>と吸われる甘美な甘い感覚。
まるでキスマークをつけられているような、やんわりとした甘い刺激が、脊髄を通って下半身にびりびりと伝わってくる。
(なるほど…)
アスランは納得する。
興味はなかったが、最近のゲームやアニメーション、漫画などで「吸血鬼」を扱った作品がバカ売れするという。
最初は何故に、と思うだけだったが、今ならよくわかる。
首筋に口づけられることで湧き出でてくる尽きない性欲
うなじにかかる柔らかくて温かいカガリの吐息
ぴったりと密着してくる華奢な身体
吸血に夢中で、必死に体にしがみついてくるカガリの髪がふわりと頬を撫ぜて
そして―――
夜の世界、窓ガラスに映った二人の姿…特にカガリのうっとりとした恍惚な表情を見れば、もう欲は止められなくなった。
「アスラン、もういいぞ。ありがと―――って、アスラン!?何するんだよ!」
両手首をつかまれ、封じられ、まだ血の味が残る唇を割られ、口内を舌でかき回される。
「ちょ、ヤダッ!やめろ―――やめ…て…」
華奢な首筋に彼の熱い吐息と唇が這う。
空腹が満たされた心地よさと相まって、カガリの抵抗があっという間に弱まっていった…
「…だから変なことするなって、言ったのに…」
まだヒクつく脇腹と足の付け根から溢れてくる熱い体液を持て余し、カガリが気怠そういしながらも、アスランにひと睨み浴びせる。
「ごめん。でも、どうしてもカガリの姿と吸われてる時の感覚を味わったら、自分でも止められなくなって…」
「もう!お前の欲、全部吸い出せればよかった!」
「それは困る。」
アスランが慌てて真顔で哀願すると、カガリはクスリと笑うと、こちらも真顔で言い切った。
「でももう絶対だめだからな。吸っているたびにこんなことされたら、私の身が持たん。お前はあくまで「非常食」だからな!」
「非常食…」
もはや人間扱いですらないとは。だが、そんなことで諦められるわけがない。
「でも、これも一つの実験なんだ。」
「…何だよ、「実験」って…」
訝し気なカガリに、アスランはにっこりと答える。
「それはこれから結婚するんだから。そうなると、子供だって生まれることになる。」
「こ、こ、子供!?///」
カガリの顔が真っ赤に熟れる。
「そうだ。クルーゼの様な半人半吸血鬼は「男が吸血鬼、女が人間」の間に生まれた子だろう?逆の場合は分からない。」
「う…確かに。」
「たから、どうやったら逆の場合でも子供が生まれてくれるか、俺とカガリで試していきたいんだけど。」
「た、た、試しって―――//////」
「無論、何人できても俺は大切にするし嬉しいよ。だから吸血の作用と一緒に暫く、毎晩試してみて―――」
「いい加減にしろっ!だったらキラにでも聞いてこいっ!」
その後、アスランが本当にキラに尋ね、思いっきり怒られたため、結局実践を強いられることになるカガリだった。
・・・Fin.