Scheherazade vol.2

 

 

 

「私はここでいいから。」

そういって、ラクダからとびおりるシェラザード。

「でも! せめて屋敷の前くらいまでは―――」

 

急に彼女と離れる気が惜しくなって、アレックスは言った。

だが、シェラザードは首を振り、満面の笑みで答えた。

「命を助けてくれて、ありがとう。お前と友達になれて、嬉しかった!」

「…『友達』…?」

「あぁ! こうして知り合えたんだから! お前と私はもう『友達』だ!」

「……。」

尚も寂しそうな視線を送るアレックスに、シェラザードは真っ直ぐで…優しい金の瞳を向けて言った。

「この街でまた巡りあえるかもしれないし。…そんな顔するな! …じゃぁな!」

 

そのまま背を向け、走り去るシェラザードの姿を、アレックスは見えなくなるまで見送った。

 

 

*     *     *

 

 

シェラザードが『ジブリール』邸に付いたのは、夜も押し迫った頃だった。

「ごめんください。」

ドアをノックし続けると、中から一人の女性が顔を出した。

「はい?」

「あ、私、メイド募集の案内を聞いて、先日お手紙を出した『シェラザード』というものです。」

そうすると、玄関のドアがゆっくり開く。

中から現れたのは、中年くらいの女性。

「まぁまぁ! こんなところまで遠くから! 私は『女中頭』の『マーナ』です。」

「シェラザードです。よろしくお願いします!」

キビキビと、シェラザードは頭を下げた。

 

そのままシェラザードは、簡単にメイドの仕事や、物の置き場の説明を受けた。

そして、住み込みの女中部屋へと案内されると、そのままあてがわれたベッドと、作りつけの棚に、荷物を置いた。

「ふぅ〜…砂でザラザラだな……あのー…」

シェラザードは同じ部屋に居た、栗色の髪の女性に声をかけた。

「はい?」

「シャワーとか…貸してもらえるんですか?」

栗色の髪の女性は微笑んで、答えた。

「もちろんよ。…それでなくても此処のお屋敷の御当主様は、綺麗好きだから…」

バスルームに案内されながら、シェラザードに女性は言った。

「私は『エリカ』よ。『エリカ・シモンズ』。何でもわからないことがあったら聞いて頂戴。」

「ありがとうございます。」

シェラザードは深々と礼をとった。

 

 

*     *     *

 

 

「うわぁ〜〜!! 生き返るなぁー!」

シャワーを浴び、部屋に戻ったシェラザードを迎えたのは、数人のメイドたちだった。

「…?…あの…なんでこんな時間に―――」

言いかけたシェラザードの口に、エリカが手をあてながら、引き摺るように、メイドたちの輪の中に引きずり込んだ。

 

「…あなた…失礼だけど…『男性経験』はあるの?」

「…はぁ?」

言われている意味も判らず、シェラザードはキョトンと金の瞳をパチクリさせる。

「…その様子じゃ、『男性経験』どころか、『恋』もした事がなさそうね…」

エリカが、溜息をついた。

もう一人のメイド―――『マリュー』がシェラザードに声をかけた。

「いずれにしても…あなた、明日、御当主様に面会するのだから、これだけは言っておくわ…」

「〜〜〜〜???」

なんのことだかわからず、ますます頭を混乱させるシェラザードに、エリカが言葉を添える。

「いい? あなたジブリール様に『恋人』とか『男性経験』の事とか聞かれたら、嘘でも『あります』って言うのよ。」

シェラザードはたちまち顔を赤らめ、言い返す。

「な、何で、そんな嘘つかなきゃなんないんだよ!」

エリカが答える。

「…あなた…全く『この国の事』知らないで、来た訳じゃないでしょう?」

「…『この国の事』…?」

尚もキョトンとするシェラザードに、黙っていた女中頭のマーナが語りだす。

「…『この国の王様』はね。月に一度、満月の夜に、生娘を所望するのですよ。…そして、王の夜伽を一夜お使えし、朝には…」

「『朝には』?」

覗き込むシェラザードに、世にも恐ろしい表情で、マーナが答える。

 

「…『殺される』のですよ!」

 

「――――っ!!」

 

流石のシェラザードの顔もこわばる。だが、負けずに聞き返す。

「だ、だってそんなお達しが来るなら、逃げればいいじゃないか! 『嫌だ』って言って断れば―――」

「…此処は四方を砂漠に囲まれた国よ…逃げられると思って?」

エリカの言葉にシェラザードもゴクリと唾を飲み込む。

今日の昼間、砂漠で経験したばかりの『渇き』の苦しみを思い出して…。

「とにかく、この街の生娘は片っ端から『夜伽』の命が下されるわ…あなたみたいな綺麗な娘が、此処の御当主さまに『生娘』なんて言って御覧なさい! それこそ真っ先に連れて行かれるわ!」

エリカの言葉に、シェラザードは首を縦に何度も振った。

 

 

 

その夜―――慣れない固いベッドに眠れず、シェラザードは考える。

 

(―――この屋敷の主が、一発で生娘を『夜伽』に差し出すなんて…オマケに『遠い国』にまで、わざわざ法外な給金を出す事で、娘たちを集めようとするなんて…。…つまりは…王家と『何か』で『繋がっている』…?)

思いを巡らせながら、シェラザードは眠りについた。

 

 

*      *      *

 

 

翌朝―――

シェラザードはメイド服を着ると、マーナに連れられ、当主の部屋を訪れた。

「ジブリール様。この度新しくメイドに入りました、『シェラザード』でございます。」

マーナが深々と頭を下げると、シェラザードも慌てて頭を下げる。

「これはこれは…わざわざ済まなかったな。」

膝に黒猫を抱きながら、薄紫の髪と唇の色をもった、20代後半――と言った所の男性が椅子ごと振り返る。

 

(…この人が…『ジブリール』…)

 

シェラザードは上目遣いにジブリールを見ると、ジブリールは立ち上がり、シェラザードの傍に寄ると、その顎をつかんで、上に向けた。

 

(――――っ!)

 

シェラザードの背中に走る、嫌悪感―――

ジブリールはシェラザードの金の髪に手を通し、囁くように言った。

「…なかなか綺麗じゃないか…君は…君ほどに美しければ、男性も放って置かないだろうな…。」

そう言ってジブリールは、シェラザードの頬に唇を寄せる。

「―――っ! 嫌だっ!」

 

慌てて、ジブリールの身体を突き飛ばす。

そこにマーナが驚き、悲しげな視線をシェラザードに送る。

 

(っ! しまった!)

 

シェラザードは慌てるが、もう遅かった。

男性に頬に唇を寄せられるだけで、嫌悪するなんて、自分が『男性経験』がないことを、いっているようなものだ。

 

「フッ…」

ジブリールは薄く笑うと、シェラザードに向かって言った。

「それでは今日からよろしく頼むよ…シェラザード君…」

 

 

*     *     *

 

 

シェラザードは懸命に働いた。

台所の片づけから、洗濯まで。

外に洗濯物を干しながら、柔らかな音でハミングする…。

そこにつられるように集まる小鳥たちも、競うように、歌声を囀る。

 

 

―――風に靡く金の柔らかな髪

  白く、きめ細かな肌。

  軽く染まった頬は、柔らかな果実のよう――

 

 

シェラザードはその姿が、誰よりも眩しく映っていることに、全く意識はない。

 

そして―――

窓の向こうでは、ジブリールがその姿を舐めるように眺めていた。

 

 

*      *     *

 

 

あと一日で満月―――という夜。

ジブリールの元へ、王家から、一通の書状が届いた。

ジブリールに呼び出されたシェラザードは、当主の間に赴いた。

「シェラザード。光栄なことだ。『国王』が君を召抱えたいとの手紙だ。」

 

(―――ついに来た!)

 

「国王陛下の下なら、この屋敷の給金なんて、目ではない! 何せ給金以上に、豪華な部屋も、食事にもありつける。これは喜ばしいことだと思わんかね!?」

「…でも、わたし…いや、わたくしには、荷が重過ぎるのでは―――」

シェラザードの言葉など聞かなかったように、ジブリールは続けた。

「明日の午後には迎えの馬車が来る。身の回りの物はこちらで全て用意するから、君はしっかり湯浴みをし、用意した着物に着替えるのだ。いいな。」

シェラザードは何も言わず、頭を下げると、ジブリールの部屋を後にした。

 

 

 

 

 

「…こんな事になるなんて…」

エリカが悲しげに呟く。

だが、シェラザードは明るい笑顔で、メイドの仲間を見渡した。

「ううん。短い間だったけど、凄く楽しかった。…皆も身体に気をつけてな!」

 

(…「気をつけて」…か。…彼女には、もう、明日なんてないのに…)

 

涙ぐむマーナ。

憂いた顔のエリカ。

涙を零すマリュー。

そしてメイド達。

 

一人一人に笑顔を向けると、シェラザードは、迎えの馬車に乗った。

 

 

*      *      *

 

 

王宮のホールに通されたシェラザードは、この荒れた砂漠に似つかわしくない、豪奢なつくりのホールを見渡した。

 

(―――すごいな…)

 

と、そこへ、涼しげな声―――

 

「良くきてくれたね。シェラザード。私はこの国の摂政をしている『デュランダル』という者だ。」

シェラザードが声をした方に視線を向けると、背中まで伸びた黒髪を、無造作に流しながら、温和そうな笑顔を湛えた男性が、歩み寄ってきた。

 

(…この国の…摂政…?)

 

デュランダルの顔を見ると、シェラザードは深々と一礼した。

「そんなに固くならなくてもいいのだよ。疲れただろう。もう直ぐ夕食の時間だ。君も同席したまえ。」

「で、でも私のような、下賎な者が―――」

「かまわんよ。さぁ、こちらにきたまえ。」

デュランダルに促されるまま、ホールから広間へのドアをくぐろうとした時―――

 

「…随分と賑やかだな…。」

 

階段の上から冷静な声がする。

 

―――そう、聞き覚えのある、優しい声―――

 

「これは『国王陛下』―――」

 

シェラザードが声のした方を向くと、そこには濃紺の髪と翡翠の瞳を持った青年の姿。

「あーーーっ! お前―――!!」

シェラザードが指をさし、驚いたように叫ぶ。

その一方で、『国王陛下』と呼ばれたその男も、驚いたように目を見開く。

「君は―――!」

「おや? お2人共、お知り合いで…?」

デュランダルは、2人の顔を見ながら尋ねる。

「…いや…ちょっとした縁があってな…。」

「ほぉ〜…。」

『国王陛下』と呼ばれた男が、デュランダルから視線を逸らし、答えると、デュランダルは珍しい物でも見たかのように、目を一瞬見開く。

「…それでは、あらためて『国王陛下』にご報告申し上げます。今度、城につかえることになりました、『シェラザード』です。」

デュランダルがうやうやしく、お辞儀をすると、訳の判らないまま、慌ててシェラザードもお辞儀をする。

「シェラザード君。この方が我ら『ザフト王国』国王にして、この城の主『アスラン・ザラ』様だ。」

「…『アスラン・ザラ』…」

シェラザードは小さく復唱する。

その姿は、着ている服装こそ立派だが、立ち振る舞い、そして何よりその顔も、声も『アレックス・ディノ』そのものだった。

 

 

・・・to be Continued.