Scheherazadevol.3~

 

 

 

夕餉の食卓に並べられた、ご馳走を『国王』―――アスランと共にする。

シェラザードは黙々と、食事を口に運ぶ。

その仕草は、とても下賎の者と思えぬほど、優雅だった。

その仕草に目を見張るようにして、食事をとりながら、デュランダルは言う。

「そうだ、陛下。…シェラザードを『陛下』直々のメイドにしては…?」

その言葉に、(―――ついに来た!)とばかりに、シェラザードは持っていたフォークを落とさないよう、力を入れる。

「…そうだな。シエル…頼む。」

静かに、落ち着いた声で言葉を返すと、アスランはシェラザードを見て、微笑んだ。

 

 

*     *      *

 

 

―――そして、その夜…

とてもただのメイドとは思えぬ待遇に、シェラザードは驚いた。

湯浴みには、複数のメイド達が付き添い、身体を洗い、用意された服も、上等な絹の物だった。

そして、メイドに連れられ、シェラザードは、『王の寝室』へと、案内された。

「…陛下。失礼します。シェラザードをお連れしました…。」

「あぁ…」

ドアの奥から、静かな返事が聞こえる…。

シェラザードは肩で大きく息をすると、まるで臨戦態勢のような表情で、部屋に踏み入った。

 

立派な天蓋つきのベッド。大きなソファー。あちこちに飾られた調度品―――

そして、大きな窓に寄り添うようにして、濃紺の髪の男は外を眺めていた。

やがてゆっくりとシェラザードに振り向くと、まるでシェラザードの緊張を解すかの様に、優しい笑みを浮べ、近づき、声をかける。

「まさか、こんなところでまた君に会えるなんて…。」

「…どういう茶番だ? これは!?」

アスランの声など聞かなかったように、シェラザードは詰問した。

「…まさかとは思うが…聞くぞ。…お前は『アレックス・ディノ』か?」

腕を組みながら、ドアにもたれかかるようにして、シェラザードは尋ねた。

アスランは、少し困った表情を見せながら、答え出した。

「…確かに君と砂漠で出会った時、俺は『アレックス』と名乗った。…でも、一国の主がお付きもなく、一人であんな風に出歩いたら…誰だって不信に思うだろう?」

「…まぁ…確かにそうだが…」

警戒するようにシェラザードはアスランに尋ねた。

「じゃぁ、お前が『月に一度』、街の『女の子』呼んでは、夜の相手をさせて、その次の朝には『殺す』のか?」

顔色を変えて、慌てるように、アスランは答える。

「―――っ! それをどこから―――」

「『ジブリール』のお屋敷のメイド達が、噂してた。」

シェラザードは、表情のない声で、淡々と喋った後、まるで裏切られたように、金の瞳に涙を

浮べ、更に声を荒げ、話し続けた。

「お前、見損なったぞ! 砂漠で私のこと2度も助けてくれたお前が、『国王』というだけで、

罪のない女の子達を殺すなんて――!」

シェラザードの言葉に、視線を逸らしながら、アスランは叫んだ。

「俺じゃない!」

「じゃぁ、誰がそんな酷い事してるって言うんだよ!」

シェラザードは今にも泣き出しそうに、金の瞳を潤ませて、アスランに詰め寄った。

アスランは、苦しげな表情を浮べ、呟いた。

「…今の俺には、そんな権限も力もないさ…。あればとっくに止めさせている…。」

「だってお前、『国王』なんだろ!? だったら―――。」

その時、シェラザードは初めて此処に来たときのことを思い出した。

 

―――普通、城の中のことは、執事が取り仕切る物だ…だけど、わざわざ玄関まで、女一人を出迎えるなんて…。

 

「…そう…摂政だ…。」

アスランは苦しげな顔つきで答える。

「俺の父――『旧国王』は俺が幼い時に亡くなった。それで、父上の後を俺は継いだ…。だが、幼い俺に、一人国を守る力などない…。そこで摂政のデュランダルに、補佐をしてもらった…。だが、今では、国の政治はおろか、軍までデュランダルの思いのままだ…。

だから、俺は、俺自身で国を助けたい為、あちこちの国を渡り、俺に力を貸してくれる国をもとめて、歩いていたんだ…。」

「そっか…それで、あんな砂漠にいたんだ…。」

ようやくアスランが、偽名まで使い、砂漠にいたことに、シェラザードは納得した。

「…それで…援軍をしてくれそうな国は、見つかったのか?」

シェラザードの質問に、力なく首を振り、アスランはその翡翠の瞳に、悔しさを隠しきれない涙を湛えて答えた。

「何処の国も同じさ…普通なら使者が出向いて、国王に書状を届けるのが当りまえなのに、まさか国王自ら一人出向いてくるなんて、信じてもらえるはずがない。…

…ただ―――」

アスランは、僅かな希望の火を消さないように、呟く。

「あの『大国―――『オーブ』だけは、俺の書状を受け取ってくれた…そして、城門に執事が降りてきて、一言、言った―――『約束は守る』と…。」

その言葉に、シェラザードは微笑みを浮かべると、嬉しそうに言った。

「よかったじゃないか!」

「…シエル…?」

「お前が自分で国を救おうと、がんばったから、たった一国でも、お前の話、聞いてくれたんだろ!? だったら、諦めるなよ!」

 

まるで太陽のような笑顔―――

 

そして、アスランの苦しみを、懸命に聞き、そして励ましてくれる―――少女。

シェラザードは、悔しさに僅かに涙を滲ませた翡翠の瞳を大きく見開き、驚いたままの表情のアスランに抱きつくようにして、背中に手を回しながら、その背を優しく撫ぜた。

 

「…よしよし…大丈夫…大丈夫だから…」

 

その温かい手に、アスランは、一瞬苦しみから解き放たれたような、安らかさを覚えた。

 

ふと、気付いたように、シェラザードは慌てて手を離す。

「べ、別に変な意味じゃないからな! ただ泣いている子は放って置いちゃいけない、っていうから―――。」

自分のしたことに、慌てて真っ赤な顔をして言い訳する彼女に、アスランは、可笑しそうに笑った。

「〜〜〜///何、笑ってるんだよ!」

「いや…失礼…でも泣きそうだったのは、シエルの方だぞ。」

シェラザードは慌てて、目の端を拭う。

 

アスランは、その姿に、ふと温かい何かが芽生えてくるのを感じた。

 

 

*     *     *

 

 

翌朝―――

 

アスランは、シェラザードと共に、朝食の席についた。

まるで、一夜で仲を深めたかの様に、アスランの顔から笑みが零れている。

その様子を見たデュランダルは、付き人のレイを呼んだ。

「…王は『手をつけられた』様か?」

レイは小声で答える。

「…いえ、先程メイドに確かめた所、『それらしき形跡』はなかった―――と。」

「そうか…いや、すまなかった。」

「…いえ…」

デュランダルはアスランの席に近づくと、アスランに囁いた。

「陛下…公務もございますし、シェラザードにも、早くこの王宮の仕事を覚えていただきたいので、そろそろ―――」

言いかけたデュランダルを一瞥すると、アスランは冷徹な瞳を向け、ハッキリと言い放った。

「シエルは『俺付き』のメイドだ。シエルは俺の傍に置いておく。」

「しかし、陛下―――」

尚も言い縋るデュランダルに、アスランは、黙って翡翠の瞳を向ける。…その圧迫感にデュランダルは怯んだ。

 

(…何故だ…たった一日で、こうも様変わりするものか…?)

 

何事もなかったかのように向き直ると、シェラザードに微笑みを向け、彼女の無邪気な笑顔を眩しそうに、柔らかく見つめるアスラン―――。

 

デュランダルの表情に、一瞬雲がかかった。

 

 

*     *     *

 

 

公務の時間も、アスランはシェラザードを傍に置いた。

不思議な事に、シェラザードは時折だが、アスランが考え込むと、軽い助言をくれ、合い間を見ては、お茶を出す心遣いをくれる。

 

(…何時以来だろう…こんなに心が落ち着くのは…)

 

アスランが振り向けば、そこにはいつも明るい笑顔のシェラザードがいた。

 

 

 

その日の夕食後、アスランはまたもシェラザードを部屋に招いた。

こうしておけば、シエルを殺す事など出来ないだろう、という思いもあったが、それ以上に彼女が傍にいるだけで安らぎを感じた。

驚いたり、喜んだり、泣き出しそうになったり…

素直な感情を表す、シェラザードに、アスランは心を開き、そしてそれ以上の感情が芽生え、大きくなっていくのを、自覚した。

 

「今夜は、何話そうか?」

シェラザードの言葉に、アスランは胸を躍らせた。

「そうだな…シエルの生まれたところとか、どんな生活をしていたのか、とか…。」

「…そんなの聞きたいのか? …面白くないぞ…?」

「…いいんだ。」

「はぁ?」

不思議顔のシェラザードに、アスランは僅かに頬を染め、やさしい翡翠の瞳を向けていった。

 

 

「…君の事…もっと知りたいから…」

 

 

*     *     *

 

 

次の日も、そのまた次の日も、アスランはシェラザードを離さなかった。

デュランダルは落ち着き払った表情の裏、内心焦りを感じていた。

「…ギル…」

レイが声をかける。

「…やはり、国王は手を出してはいないようです…。」

デュランダルは、安心したように微笑むと、一言呟いた。

「やれやれ…我が国王陛下は『奥手』で助かる…。」

 

 

 

 

 

朝食後、アスランが私室に戻ると、シェラザードが窓辺で、鳥の足に紙を結びつけ、飛び立たせたのを見た。

「何してるんだ?」

アスランの声に、ふと振り向くと、微笑んでシェラザードは答えた。

「…まぁ…定期連絡便…ってトコかな?…頼むぞ、『ルージュ』」

『ルージュ』と呼ばれた鳥は、一声鳴くと、飛び立った。

きっと家族にでも、今の近況を伝えているのだろう。

アスランはシェラザードの横に並ぶと、一緒に鳥の行方を目で追った。

「そうだ。」

アスランは気付いたように、シェラザードに一つの短剣を差し出した。

「これって…『タッシル』でサソリを殺した時の…」

「もし、俺がいない間に、身の危険があったら…それ使って。」

シェラザードは一瞬躊躇うが、微笑みながらそれを受け取った。

 

アスランは願った。

 

―――シエルに何かあったときは…俺の代わりに、守ってくれ…

 

 

*     *     *

 

 

その夜もまた、シェラザードはアスランと共にいた。

 

「…ふぁ…」

緊張の糸が切れたように、シェラザードがあくびをする。

その様子を、アスランは微笑んで見つめた。

「あ、ご、ゴメン!」

慌てるシェラザードに、アスランは言った。

「もう夜もふけたし…寝ようか?」

「うん。…じゃあ、私はいつものように、ソファー借りるから―――」

言いかけたシェラザードの手を、アスランは黙ってつかんだ。

「…?…アスラン?」

そのままアスランは、シェラザードの手を引くと、抱きしめるように、ベッドに仰向けに横たえた。

「…アスラン!?…お前、何やって―――」

そういいかけた唇を、アスランは塞ぐように口づける。

 

(―――っ!!)

 

シェラザードは訳も判らず、されるがままになっている。

やがて、唇が離れると、翡翠の瞳は真っ直ぐに、金の瞳を見つめ、ゆっくりと言った。

 

「シエル―――俺は、君が―――」

意を決したように、アスランは言った。

 

 

「君が―――『好き』だ……」

 

 

シェラザードはアスランの告白を、ゆっくりと頭の中で復唱する。

 

 

(キミガ…スキダ…)

 

 

その意味を理解すると、たちまちシェラザードは頬を真っ赤に染める。

「ま、まて! い、いきなり、そんな―――!」

「俺じゃ…ダメか…?」

何処までも純粋な翡翠の瞳が尋ねる。

シェラザードは先程のキスだけでも、頭が真っ白だった。

「―――だ、だって! わ、私、『キス』だって…初めてだったのに!―――」

「…君に『キス』したのは2度目だよ…。」

穏やかに笑いながら、アスランは答える。

「えっ!?」

シェラザードは、パニックになった頭を、懸命に整理する。

「そんな! だって、何時!?―――」

「砂漠で君が倒れていた時。」

「―――!!」

 

そう…あの砂漠で倒れていた意識の薄れた自分に、水を口移しで与え、命を救ってくれたのは…

今、目の前にいる、自分を何処までも優しく包み込むような、穏やかな翡翠の眼差しを向けている人―――

 

シェラザードは、自分の心に尋ねる。

溢れてくるのは、胸の中の小鳥達が一斉に羽ばたく様な感覚と、とても温かく、優しく、甘い感情―――

 

金の瞳を自然と潤ませながら、溢れ出す感情に従い、翡翠の瞳を見つめ、ゆっくりと答える。

 

 

「…私も…アスランが…好きだ…。」

 

 

2人は見つめ合うと、再び惹かれるままに唇を重ねる。

アスランがシェラザードの服に手をかけると、シェラザードはその手を握った。

「…怖いか?」

アスランの問いに、シェラザードは首を振る。

「嬉しいけど…今は…ダメなんだ…。」

 

アスランを見つめる、潤んだ金の瞳。

アスランは狂おしい程、焦がれたシェラザードを欲しがった。

だが、それ以上に、シェラザードを傷つけたくはなかった。

 

「…じゃぁ…今夜は、せめて俺の隣りで眠ってくれないか…?」

アスランの言葉に、シェラザードは頬を染め、コクンと頷くと、その広い胸に身体を預け、目を閉じる。

 

アスランは愛しい人のぬくもりと、香りを確かめるように、柔らかく抱きしめ、髪を撫ぜながら、その寝顔を見つめた。

 

 

 

 

その夜―――

ある場所で、2人の男が囁いていた。

「もう、期日は迫っているのだぞ! 先方に言われたとおり4人―――差し出したではないか!」

「まぁ、落ち着きたまえ…。ちょっと『厄介なこと』になってしまってね。」

「『厄介』…だと?」

「君が差し出した、最後の一人―――それをえらく国王が気に入られてね。手放さないのだよ。」

「―――っ! まさか、手を出されたとか―――」

「いや、今のところその形跡はない…だが時間の問題だな…」

「…ならば…『これ』を使って、早急に頼む。」

「…あぁ…判った…。」

 

そうして男は、緑の小瓶を受け取った。

 

 

*     *      *

 

次の日の朝―――

 

「…おはよう。シエル…」

腕の中の彼女は、まだ薄っすらと眠りから覚め切れないでいる。

アスランは微笑むと、その柔らかな唇にキスを落とした。

「わ!? なっ―――!」

慌てて開かれる大きな金の瞳―――

アスランはその様子に、またも可笑しそうに微笑んだ。

「さぁ、朝食に行こうか?」

「うん!」

アスランの言葉に、満面の笑みでシェラザードは答えた。

 

 

 

「おはようございます。陛下。」

ダイニングルームには、デュランダルと従者のレイがいた。

「おはよう。」

返事を返し、席につくアスランと、シェラザード。

それを見計らって、メイドが紅茶を差し出す。

2人がカップに口をつける。

その数秒後―――

 

(…!?…何だ?…目が急に…)

 

ティーカップを取り落とすと、2人はテーブルに伏せるように、意識を失った。

 

 

 

           ・・・to be Continue.