―桜―
「はぁ〜…ようやく終わった…」
執務室の机にカガリが出来たての草案を撒き散らし、うつ伏せる。
「お疲れ様…カガリ…」
コーヒーカップを手渡しながら、アスランが微笑んで、カガリに言った。
「…ん…ありがと。」
コーヒーを受け取り、カガリは一口コクリと音を立てて飲んだ。
時計はもうとっくに23時を回っている。テラスから見える春の夜空は綺麗に晴れわたり、星が零れ落ちてきそうなほどだった。
「あぁ〜あ…外に行きたいなぁ…」
…無理も無い…
ここのところ内閣府の懸案事項で、カガリはその草案作りにかかりっきりで、朝から晩まで一日中執務室か、内閣府にい続けていたのだから。
こんな籠の鳥のような生活は、見ていて痛々しい…カガリにはもっと自由に羽ばたける翼が似合う。
…そう、外を、自由に飛びまわさせてやりたい…
「か、カガリ…その…」
「なんだ?」
キョトンと見開かれる大きな金の瞳―――
「今度の公休日…その…外へ一緒に行かないか?」
頬を染め上げながら、視線を上向きに逸らし、アスランが意を決したように言った。
はっきり言って、女の子をデートに誘った事など、アスランには一度も無い。
ラクスが婚約者のときでさえ、義務的に彼女の家を尋ねた位で…。
『愛し合っている』―――少なくとも自分はそう思っている。
だが、デートの誘いとなると、好きな相手でもやはり緊張する。
もっと気のきいた台詞が浮べばいいのに…
こんなとき、不器用な自分の性格が疎ましく思える。
カガリの反応をうかがい、アスランは、コッソリと、翡翠の瞳をカガリに向けた。
カガリはたちまち顔をパァっと明るくさせて、コーヒーカップを置くと、立ち上がり、アスランに飛びついた。
「行く行く! 絶対行ってやるから!!」
「カガリ…」
嬉しそうに、アスランに縋るカガリ。
その自分より一回り小さい、柔らかな身体を抱きしめたくなる。
アスランはそっとカガリの背に手をまわしながら、高鳴る自分の鼓動を押さえるのに必死だった。
* * *
「じゃぁ、行ってくるからな! マーナ。」
赤のTシャツに、ジーンズというラフな格好のカガリが手を振る。
「はい。くれぐれもお気をつけて。姫様。アレックス様も。」
マーナから手渡されたバスケットの籠を、車のトランクにしまうと、アスランはカガリに声をかけた。
「行くぞ、カガリ。」
「うん!」
そういって、終始笑顔の女神は、アスランの車の助手席に飛び乗った。
快晴の天気の中、車は海岸線を走っていく。
気持ち良さそうに海風に髪をなびかせるカガリを、時折隣で見ながら、アスランは誘ってよかった、という安堵と、眩しいカガリの笑顔に、心が躍った。
「なぁ…これからどこに行くんだ?」
カガリがアスランの横顔に問う。
「秘密。」
アスランもカガリにつられて、笑顔を零しながら答える。
「ケチ!」
ちょっと横を向き、膨れっ面の姫君の機嫌を損ねないよう、アスランは慌てて取り繕った。
「…いいところだよ。…カガリなら、きっと気に入ってくれると思う。」
そういいながら、アスランは車のアクセルに力を込めた。
「…うわぁ…凄い…」
止まった車から、カガリが身を乗り出すと、そこは一面の緑の芝に、大きな桜が何本も咲き誇った、場所だった。
時折風に揺られて、花弁が雪のように舞い散る―――
「綺麗…」
うわごとのように、カガリが呟いた。
「アスラン、何時こんなところ見つけたんだ?」
興奮しながら、カガリがアスランに尋ねると、アスランは車のトランクからバスケットを出しながら、微笑んで答えた。
「この前、アスハ家の直轄領を仕事で調べていた時に見つけたんだ…ここなら誰も来ないし、きっとカガリなら喜ぶと思って…」
車から降り立ったカガリは遠目にうつる桜を、眩しそうに見やる。
その横顔は、政界で大人に負けまいと、必死になる固い表情から解放された、素直で無邪気で明るい18歳の少女―――
その横顔に、アスランは魅入った。
「ようし! あそこの桜の木まで競争だ!」
自由になった小鳥はたちまち奔放に羽ばたき、はしゃぐような声で先に走り出した。
「おい、待てって、カガリ―――」
バスケットを抱え、アスランが走り出したカガリの後を追う―――
アスランは、あっという間にカガリを追い抜き、桜の木の下に立つと、バスケットを置き、息を切らせてあとから走ってきたカガリを、そっと抱きとめた。
「ず、ずるいぞ、お前―――」
「ずるいのはそっちだろう。俺に荷物まで持たせて置きながら…。」
そういいながら、笑うアスラン。
抱きとめた、手に感じるカガリの体温。
激しく上下する胸。
柔らかな風になびく金髪の髪から、ほのかに鼻をくすぐるカガリの匂い―――
そのまま抱きしめたくなる感情を、辛うじて飲み込む。
「アスラン、この木の下にしようか?」
満開の桜が、ハラハラと風に揺られ、花弁を落としていく。
「そうだな…」
そういってアスランは、シートを敷き、カガリはバスケットの中を開けた。
「『サンドイッチ』に『チキンバスケット』、『サラダ』に『果物』そして『ペリエ』か。マーナ、いっぱい用意してくれたなー。」
2人が並んでシートに座ると、カガリはペリエのビンを開け、グラスに注いだ。
「お前、こういうところだったら、シャンパンとかの方がよかったんじゃないのか? コーディネーターだったら、もう、お酒飲んでもいいんだろ?」
「俺が酒飲んだら、運転できなくなるだろう?」
「そのときは、私が運転する!」
「お前、運転免許、持っていたっけ?」
「…もってない。けど! 『スカイグラスパー』だって、『ストライクルージュ』だって、操縦できるんだから、やろうと思えばできる!」
そんなカガリにアスランは噴出しそうになりながら、答える。
「俺の車はマニュアルだぞ、オートマチックじゃないからな。」
「へ? 『マニュアル』?…『オートマ』??」
真剣に答えていたかと思えば、今度はキョトンとして金の瞳をクルクルさせる。
そのコロコロ変わる表情が、愛しくて…自然と笑みが零れる。
―――何で、カガリといると、飽きないんだろう…
桜の下で、2人きりのランチ―――
思えば、こんな雰囲気で、リラックスしていられるのは何故だろう…
いつも、誰か一緒でも、元来人見知りな自分は、一歩下がっていたような気がする。
誰かと仲良く食事、なんてしたことがなかった。
一人きりでいたことのほうが多かった気がする。
仲がいい…といっても、何か一枚ヴェールで包まれたような感じで…
不思議と、カガリと2人きりだと、そういう感覚が無い。
なんでも自然と…自分を曝け出せる。
「何考えてるんだ? アスラン?」
金の瞳が覗き込んできた。
「あ…いゃ…別に何も…」
慌てて取り繕う。
傍に誰かがいて…安心して…考え事なんて…したことなかった。
「それよりもカガリ、唇の端に、卵サンドの欠片がついてるぞ。」
「あ…」
そういってカガリは唇を拭おうとするが、その手首をアスランが押さえた。
「アスラン…?」
キョトンとしたままのカガリの唇の端を、アスランはそのままペロっと舐めとった。
「あ、アスランっ!!///」
そう告げるほのかな桜色の唇が、急に欲しくなる。
「大丈夫だよ…誰も見ていないから。」
そういうと、アスランの舌は、そのままカガリの唇の端から、中央へと移る。
―――公務の時も片時も離れず、傍にいる
でも、現実のカガリには触れることさえ出来ない
誰も見ていないところで…2人きりにならなければ…
…もう、自分の気持ちに…嘘はつけない…!
カガリを抱き寄せると、軽いキスを何度も繰り返す。
「…ん…」
カガリは軽く抵抗したが、アスランにとっては、何の意味もなさない抵抗だった。
舌先が、唇を割って入り、狂おしいほど深い口づけに変わる。
そのままアスランは、桜の花弁が舞い散る芝生にカガリを押し倒すと、何度も軽い口づけを繰り返し、やがて、カガリの首筋に赤い痕を残していった。
「だ、ダメだ! アスラン!!こんなところで―――」
「大丈夫。…誰も、見てやしないから…」
「だからって、今は折角のランチタイムだぞ! こんな真昼間っから―――!!」
カガリの首筋から唇を離すと、金の瞳は涙で潤んでいた。
(流石に強引過ぎたか…)
焦る気持ちを押さえつつ、翡翠の瞳は、真っ直ぐカガリを捕らえた。
「…じゃぁ、夜ならいいんだ…?」
悪戯な翡翠の瞳に、金の瞳は明らかに迷っている。
「え、えと…それは…///」
今度は返答に困るカガリに、それ以上自分の感情だけを押し付けるのがすまなくなって、アスランは自分の気持ちを落ち着けると、カガリの腕を解放し、微笑みながら抱き起こし、言った。
「カガリの唇、美味しかったな。」
突拍子も無い言葉に、カガリは頬を染め上げ答える。
「そ、それは『卵』の所為だろ!?」
「違うよ。カガリの唇だから、美味しかったんだよ。」
こともなげにサラリと言ってのけるアスランに、カガリは視線を逸らし、慌ててグラスのペリエを飲み干した。
慌てて飲み込んだ拍子か、むせ返るカガリ―――
アスランは笑いながら、その背を摩った。
桜の花弁が舞い落ちる。
「…なんか勿体無いな。こんなに綺麗なのに…」
カガリがふと、そう呟く。
そのまま、カガリは立ち上がり、舞い散る花弁を手に取ろうと、無邪気な子どものように、必死になって受け止めている。
その様子をアスランは、眩しそうに見つめた。
ふと―――
戻ってきたカガリが、アスランの目の前で、ニッコリと笑うと、集めた花弁を、アスランの頭上に振りまいた。
「こら! カガリ!!」
「あはははっ! お前、髪の色が濃紺だから、よく映えるぞ! うん、いい男に見える。」
アスランは、頭の上の花弁を振り払うと、カガリを手招きした。
「…?」
不思議顔のカガリが近づくと、アスランは持っていた桜の小さな花枝を、カガリの髪に飾る。
「アスラン…?」
「カガリの金の髪にも…淡いピンクが似合うよ。」
「そ、そんなわけ無いだろっ!///」
真っ赤になって否定するカガリ―――
そんなカガリの腕をとると、アスランは、カガリを自分の胸に抱き寄せた。
「あ、アスラン!?」
「今だけ…こうさせてくれないか?」
(…そう、また明日になったら、こんなにゆっくりと、『自分だけのカガリ』を抱きしめることは到底難しい…なら、せめて、今だけでも…)
胸の中のカガリはアスランに甘えるように蹲ると、静かに呟いた。
「…今日はありがとう…アスラン…」
「ここに来た事…喜んでもらえたのなら…光栄だな…」
「それだけじゃない。」
「え?」
舞い落ちてきた花弁を手のひらで受け止めると、カガリはアスランに言った。
「今日ここで…一日、私は『代表首長』の『カガリ・ユラ・アスハ』じゃなく、『只のカガリ』でいさせてくれたんだ…だから、嬉しかった…。」
「カガリ…」
アスランはふと、思い返した。
今日一日カガリと一緒にいて…こんな穏やかで、楽しい気持ちになれたのは…カガリも『アレックス・ディノ』ではなく、只の『アスラン』として見てくれたから…。
カガリの前だと、何も自分を飾らなくていい…
怒ったり、笑ったり、恥らったり…それを彼女は自然と引き出してくれるから…
「俺も、ありがとう、カガリ…今日一日付き合ってくれて…楽しかった…。」
カガリからの返答が無い。
「カガリ?」
ふと、アスランがカガリを覗き込むと、カガリは気持ち良さそうに、安心しきった顔で、アスランの胸の中でうたた寝をしている。
―――自分の腕の中が、『安らげる場所』であってくれる喜び―――
アスランは微笑み、その無防備な顔に近づけると、桜色の唇にそっとキスを落とす。
桜は時を覚えず、相変わらず舞い散っている。
―――このまま、時が止まってくれればいい
この幸せな時のまま
ずっとこのまま、2人きりで…―――
・・・Fin.
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>意味なんてないです。
只、本編の2人があまりにも今辛い状況なので、甘々にしてみたかっただけ。
もっとラブラブなSSが読みたいなぁ…(他力本願)