既に昇降口は斜陽が差し込み、細長い影を映し出す。
その影の先にいる人物に気がつき、靴を履き替えながらカガリは声をかけた。
「アスラン!今帰りか?」
「あ、あぁ・・・丁度帰るところだ。」
―――無論違う。キラから「今日は僕は外すから、カガリと一緒に帰るんだよ。あ、さっきの取説は間違えないようにやってね。」と発破をかけられた故。
ともすれば「もう直ぐ日が暮れる暗い中を、カガリ一人で歩かせるなんて危険だから」と言えばいいのに、この期に及んで妙な緊張が先走り、口が上手く回らない。
だがクリンとした大きな金眼は疑うことを知らない。たちまち笑顔でこう言った。
「そうか。私も部活の県大会が近くって、居残り練習していたらこんな時間になっちゃったんだ。同じ方向だし、たまには二人で帰ろうか。」
「あぁ。」
自分が何年がかりでも言えないことをサラリと言ってのける。彼女の性格が羨ましくあり、そこが惹かれるポイントの一つでもある。
伸びた二つの影が、いつの間にか身長を越えている、夕やみ迫る駅までの帰り道。
カガリは屈託なく、今日の出来事を報告する。
それでいて決してアスランを聞き役に徹しさせるわけではない。
ふとした時、彼の奥ゆかしい性格を自然と受け入れ、彼が困らないような話を投げかける。
口下手な彼がカガリ(とキラ)の前だけでは、素直に自分をさらけ出し、思ったことを自然と口にできるのは、まさしく彼女のおかげだ。
幼い頃からずっと、カガリ以外、こうして自分を引き出してくれる人と出会ったことはない。きっとこれからもいない、運命の相手だという確信がある。
だからこそ、カガリに認められる恋人になりたいのだが―――いざ彼女を目の前に、少しでも触れようとすると、緊張が走ってそれどころではなくなる。
足元に伸びる二つの影でさえも重ならない。せめて影でも触れることはないのだろうか。
少しの勇気―――並んで歩いている間にも、そっと手を伸ばそうとする―――のだが、
「そういえばさ―――」
金眼がこちらを見た瞬間、伸ばしかけた、触れかけた指が、スッと引き戻されてしまう。
「ん?どうした?」
「いや、何でもない///」
「ふ〜ん・・・ま、いいや!それでさ!」
たわいもない、少しハスキーな声のBGM。耳をくすぐられるだけで、心がさざ波のように穏やかに沸き立って行く・・・
「お!今日は空いてる。好きな席に座り放題だ!」
最寄り駅は各駅停車しか止まらない。そのせいか、急ぎ帰宅する者たちは急行に乗り換えるため、鈍行への乗車が少なく、7人掛けの長い椅子は3割程度しか埋まっていなかった。
「よっと。アスランもこっち!」
カガリが隣の席をポンポンと叩く。
促されるままに座ろうとした―――が、キラの言葉を思い出す。
(―――「進行方向にカガリを坐らせて」)
「あれ?そっちでいいのか?」
カガリの視線が進行方向から、アスランを追って後方に移る。
「今日はこっちで。」
「うん。」
カタンと発車の振動が伝わる。
暫くして、アスランはおもむろに英単語帳を取り出す。キラやカガリと3人で帰るときは、車内で勉強はほとんどしないが、今日はしなければならない理由がある。
(―――「3分待って。」)
何のための3分かは未だに分からない。だが黙する理由づけに単語帳を取り出したアスランに、邪魔はいけないとすぐ理解して、カガリも現代文の教科書を取り出した。
<カタン、カタン>
電車の振動音だけが二人を包む。
一駅停車し、再び動き出す。
その時だった
<・・・コツン。>
アスランの左肩に、ふと重みがかかった。そして、ふわりと柔らかい金糸がアスランの頬を撫ぜる。
(え?)
何が起きたかと、アスランが左を振り向いたその瞬間だった。
<チュ>
「っ!?!?」
振り向いた瞬間、唇に何かが当たった。
「何か」ではない。
そこにあったのは、転寝して自分にもたれ掛かっている想い人の額。
「―――っ!!//////」
(今・・・俺は、カガリの額に―――「キス」・・・)
気づいた瞬間から、唇がじんじんと熱くなって仕方がない。
それだけではなく
鼻をくすぐる彼女の・・・デオドラントに混じる微かな彼女の甘い香り
少し首を傾げれば、肩と頬に伝わってくる体温
安らかな寝息が耳に届いて
自分でもわかるくらい頬が熱くなっている。
そして、唇がまた熱を帯びて痺れてくる
彼女の肌に触れたくて
(そうか・・・だから3分)
カガリは難しい本を読めば寝落ちする。しかも部活に熱を入れる夏の大会前、疲れと心地よい電車の揺れに、あっという間に誘われたのだろう。
キラは其れを見越していったのだ。
電車の加速で、アスランの方にカガリが自然と凭れ、触れることができるタイミングを。
しかも周りの乗客は至って「自然の成り行き」で生じたこの様子に気を止める者はいない。
(アイツ・・・)
思い返す友人の自信ありげな表情
(―――「いい?アスラン。カガリってね―――」)
キラは言い切った。
(―――「ああ見えて、心を許している人の前でしか、眠ったりしないから。」)
アスランから自然と笑みが零れる。
心地よく眠る姫君に気づかれないように。
そして…もう一度、揺れたふりして、その額に口づけを落とした。
・・・Fin.