「ごめん…受け取れない。」
目の前に恭しく差し出されていたファンシーな花柄の付いた封筒を、そっと押し返すようにして、彼は困ったように言った。
「どうしてですか!?せめて、読んでくれるだけでも―――」
「ごめん、その…」
必死に食い下がるポニーテールの少女に、彼は視線を逸らした後、頬を幾分か赤らめながら答えた。

「―――好きな人が、いるんだ…」

***

「だから、それだけじゃ理由にならないって言っているでしょ?」
5限目の体育の後、グランドから引き揚げる途中、幼馴染兼友人のキラが、げた箱から半ば放り投げるように上履きを出しながら小言を言う。
「そうか?立派な理由だと思うが…」
上記記載通り、わかりやすいほどの「ラブレター」を渡された張本人:アスランは、キラとは対照的に、そっと上履きを三和土に揃えて履き替える。
この仕草からもわかる通り、アスランは上流階級の、いわゆる「お坊ちゃん」である。更に定期テストの学年TOPから落ちたことはない上、スポーツ万能に加え、見ての通りの美男子である。
これで並みいる女子学生からの熱い視線を受けないわけがない。ラブレターなど日常茶飯事の事だ。
なので、毎回失礼ながら、相手につき返すことになる。
いい加減、「アスラン・ザラには好きな人がいる。ラブレターは受け取らない」という噂(というか本当)がたって、いい加減諦めるはずなのに、何故か数が減らないのだ。本人は不思議そうだが、むしろアタック数は右肩上がり…とキラは踏んでいる。
「だからさぁ〜」
廊下を歩く足取りも重く、ハァーとキラは大きく肩でため息をついた。
「それが「上等文句」になっているんでしょ? 「好きな人がいる」っていったところで、現実に君の隣に立っている彼女がいないんだもの。「好きな人がいるなんて実は嘘」って思っているよ。終いにはみんな、アスランがまだ「その気にならない」だけで、そうしたら「圧せばもしかしたらあるいは―――!?」って、余計に情熱燃え上がらせているかもしれないじゃない。」
「でも、本当の事だ―――」
「アスランさ、」
懸命に説明するその必死の翡翠の眼前に、人差し指をびしっと向けて、その口をピシャ!と止めさせた。
「カガリには告白したんでしょ?だったらカガリに君の隣に立ってもらえば、毎回毎回その無駄な説明要らないじゃない。」

『カガリ』―――キラの双子の妹にして、無論アスランとも幼馴染。しかも同じ高校に入学している、「ある意味」スーパースターな少女。
活発で明るく、しっかりと自分の意志を持って、曲がったことがあれば例え相手が教師であっても義を貫く。アスランとは真逆の性格の持ち主。
ルックスもいわゆる「宝塚系女子」であり、それがスポーツ万能ということも相まって、アスランとは違った意味で女子からの人気が非常に高い。これは今に始まったことではなく、小学生はおろか、幼稚園の頃からキラより受け取ったバレンタインのチョコレートの数を圧倒している。
それだけだったらアスランも安心できるのだが、高校に入学したあたりから、急にボーイッシュさの中に女性らしさが見え隠れしてきた。そうなると気になるのは・・・男子生徒の視線。
カガリは全く気がついていない。というか、中学の頃までほぼ男子も女子も「人間、皆兄弟だ!」と区別なく対応していたが、高校に入っても精神的にはそのレベルから脱していない。あれだけ異性から注がれる熱い視線に、こちらは気が張ってばかりだというのに。
彼女の思春期は、一体今どこら辺にいるのだろう・・・とアスランは常々思い、溜息をつく。
そして、更に募る思いと裏腹に、どうにも彼女は告白しても尚、自分を「キラと同レベル」という認識しか持っていないようだ。
こちらの想いは水かさを増し、もはや表面張力でギリギリ保っている理性でさえ、零れ落ちそうだというのに・・・出るはため息ばかりなり。

「まさかとは思うけど、君さ―――」
そんな彼の様子をいぶかしげに見ていたキラが、低い声で囁いた。
「カガリと『キス』くらいはもう経験しているんでしょ?」
「ゲホッ!!///」
『キス』の言葉に思いっきりせき込むアスラン。
「・・・君って―――キスの一つもしていないの?」
「//////」
翡翠の視線が逸れ、解りやすいほど頬がみるみる赤くなっていくのは、咳の所為ではないことくらい、キラだってわかる。思わず大きく息を吸って叫んだ。
「何やってるのさ!?幼稚園の時から君がカガリのこと好きなのは知っていたけど、全然カガリの態度が君と僕とで変わらないから、なんかおかしいと思っていたけれどさ!」
「わかっている!大きな声を出すな!」 
「わかってないのは君だよ!あれかれこれ10年以上だよ!?高校生だよ!?おかしいでしょ!?普通だったらもうキスの一つや二つ、していたっておかしくないよ!?というか、うちの父さんも母さんもその位やってるって思ってるよ!?」
(―――「キス」―――///)
この単語の連続発射で、クールで眉目秀麗の言葉を欲しいままにしている人間と同一人物とは思えない程、動揺が顔を覆った。
「親公認でもマズいだろう!結婚もしていない女の子に触れるなんて!そんな破廉恥な―――」
「ちょっと待って。・・・『破廉恥』どころか『触れる』って・・・まさか最悪、手ぐらい繋いだりしているよね!?」
「・・・・・・・。」
「え!?何?聴こえないんだけど??」
キラが耳介に手を当てて、アスランの口元まで寄せれば、真っ赤になってうつむいたままの彼の口から聞こえたのは、蚊の鳴くような声で
<小>「・・・・・・してない。」</小>
この一言で、キラは心底呆れた。
「はー、何やってるのさ!もはや「壁ドン」も「恋人繋ぎ」も時代遅れになりかかっているこの昨今、ウブどころか100年前の化石みたいだよ、君の恋愛観は。」
「そう・・・だろうか・・・」
真剣に悩みだした彼に、キラは頭を抱えて深いため息をつく。
全く異性を意識しないカガリと、カビどころかもはや重要文化財並みに今時貴重な倫理観で鉄壁の理性を通そうとするアスラン。
この二人が自然と結ばれるのは、100年経ってもあり得ない気がする。
「アスラン・・・」
荒げた声をようやく落ち着かせて、キラは言った。
「一応頭のいい君だから判っているとは思うけど、君からリードしなきゃ、カガリはずっとあのまんまだと思うよ?」
「お前に言われなくても判っている。」
なにしろずっと彼女しか視界に入っていないのだ。カガリの性格や思考は大体読める。そして恋愛に関して人並み以上に鈍いことも、重々理解している。
何故かそこだけは自信をもって堂々と応える親友に対し、キラは言った。
「だったらせめて手ぐらい繋いで帰ればいいじゃない。そうすれば、流石のカガリだって、きちんと「君が恋人」だと認識するだろうし、君は恋人がいることを証明できるし、晴れて公認のカップルになれて一石二鳥だよ?」
「あぁ、だけど・・・」
「『だけど』?何さ?」
教室のドアの手前でアスランがふと立ち止まる。キラがそっとその表情を見やれば、彼は朴訥と答えた。
「触れてしまったら・・・自分の中の何かが、止められなくなるような気がして・・・。カガリを傷つけはしないかと思うと、どうしても、な・・・」
「―――。」
キラは初めて友人に目を見張る。
何時も優しいその翡翠の奥に、自分以上の情熱を滾らせ熱を帯びている。
四角四面の優等生かと思いきや、内に秘めた想いはこれほどだったとは。
思わず「よかった」と口に出るところだった。一応彼はそれなりに「思春期の男子」が正常に作動しているらしい。
かといって、思わぬところで妹の貞操が危機に陥ることは許しがたい。流石に。
いつも自分を抑え込んでいるアスランが一気に暴走したらどうなるか、それはキラでも恐れるところだ。
「じゃあさ」
改めて親友の眼前に立ち塞がり、キラは言った。
「カガリとお近づきになれる「いい方法」教えてあげるよ。もちろん、君が「狼」にならない方法でね。」
「―――!」
今度はアスランが目を見張った。そしてキラの両肩を掴みかからん勢いで迫ってくる。
「どうすればいい!?」
「わかった!わかったから、教えてあげるから落ち着いて!」
あらためて「コホン」と咳払いし、キラがそっと耳打ちする。
「帰りにさ、電車乗るでしょ?椅子に座るとき、カガリを進行方向の方に座らせて。で、黙って3分待つ。」
「?『黙って3分』??」
まるでカップ麺の作り方のようだが、キラは念を押した。
「そう「3分」だよ。待ちきれなくて食べちゃダメだからね!」
(「食べる」って…俺は野獣か何かか…)
些か腑に落ちないアスランの眼前で、「チッチ」と指を振るキラ。
「それにね―――」
キラは更に続けた。
「君はカガリの事、一つだけ解っていないよ。」
「俺が?俺が彼女の事で知らない事なんて―――」
「いい?アスラン。」
キラが再びアスランに正面から言い切った。
「カガリってね―――」