10月29日―――
その日は朝からよく晴れて、風は心地よく、どこか潮の混じった香りがしていた。
あの無人島で、初めて知った「地球の風」の香り。
そう、あれとよく似た、懐かしい香り。
「準備ができました。どうぞこちらへ。」
恭しく礼服の案内人が先頭を切って歩く。その後に続くと、両脇にはオーブ軍礼服の一同がそろって敬礼をした。
その花道を進むと、そこには大きなリムジンが一台。
中には
白い花びらの様なレースに包まれた美しい女神が一人、厳かに座っていた。
レースの向こうに見える笑顔は優しく、それでいてその美しさに、思わず緊張が走る。
マズい…顔を直視できない。
「その…晴れてよかったな///」
普通だったら「幸せにするよ」とか「今日は一段と綺麗だ」とか、もっと気の利いた言葉を言えればいいのに。
こういう時はどうしても緊張が先立って、言葉に詰まる。つくづく面白みのない男だと自分でも思う。が、隣の彼女はそんなことを微塵も思っていないようだ。
「あぁ。いい天気だな。お前の誕生日に最高のロケーションだ。」
そういって沿道に詰めかける人々に笑顔で手を振るカガリ。
そうだ
カガリは、俺のそんなところ、最初から受け入れてくれている
だから俺も素でいられる。
自然の自分をすべて受け止め合って
だから今、こうして二人でここに並んでいる。
「今日はさ、どこかの国の王女様も結婚式らしいぞ。」
「そうなのか?」
「うん、だからきっと世界的に今日はすごくいい日なんだ。」
リムジンが止まる。
歓声の先に俺は降り立ち、そして彼女の手を取る。
柔らかなレースのウエディングドレスが風になびき、手渡されたブーケが淡い香りを放った。
ハウメア神殿への階段を一歩、また一歩と登る。
ふと、カガリが囁いた。
「アスラン、昨日言えなかったことの続き…」
「うん?」
(―――「アスラン…私な、お前に―――」)
そういえば、途中で途切れてしまったが、何だったのだろう。
「アスラン、私な、お前に言いたかったんだ。」
カガリは一歩ずつ進むと、一言ずつ囁いた。
「アスラン、「生まれて来てくれてありがとう」」
「アスラン、「私と出会ってくれてありがとう」」
「アスラン、「生きるのを諦めないでくれて、ありがとう」」
「アスラン、「私と一緒に生きてくれて、ありがとう」」
そして―――
神殿の最上階で、彼女と向かい合う。
ベールをそっと上げると、零れそうな涙を抑えながら、嫋やかな笑顔で彼女は言った。
「…「おかえり」、アスラン。」
(――――っ!!)
「カガリっ!」
***
<もう、すごい事になってるよ!ほら、全宇宙SNSで第1位!しかも前代未聞の数字、刻んでるよ!>
「わかったから…もうやめてくれないか、キラ…」
頭を抱えて深くふさぎ込んでいる俺に、通信回線のキラが上から畳みかけてきた。
<何言ってるのさ!「品行方正」「眉目秀麗」のオーブ軍准将:アスラン・ザラが、在ろうことか、結婚式でしかも神父様の前で、まだ宣誓も何もしていないのに、いきなりカガリを抱きしめてキスするなんてさ。そりゃもうみんな「口あんぐり」だよ!>
判ってる…十二分に判っている。
全世界注目のオーブ代表首長の結婚式で、あれだけリハーサルまで積んで、厳かに誓い合うはずだったのに…
だが、愛する彼女に、あんなことを言われ、あんな顔をされたら、止められようにも感情が止まらなかった。
<君ってさ、普段大人しい癖に、やるときはいきなりやらかすからねー。大戦の時だって、最後にカガリが一人一人送り出してくれるときに、いきなり抱き着くんだもん。大体ねー、君はカガリを見ると、抱きしめるわ、キスするわ、止まらない―――>
「わかった!俺が悪いっ!」
自分でも情けなさに、落ち込んでいるというのに。だがキラはあっさりといった。
<誰が「悪い」なんていったのさ。>
「…は?」
思わず顔を上げると、キラはキョトンとした顔をしている。
<むしろ凄い好感度、上がっているんだけど。特に若い女の子たちから「あんな情熱的に愛されたいっ!☆」って騒がれてるよ。年齢層が高い方も人でも「砕けた感じでいい」って。特にカガリの表情見たら、誰もがみんな「お幸せにv」ってつけたくなるもん。ほら。>
そういって衛星中継でとらえていたらしいカガリの顔は、泣いて怒って笑っている。
ひとりで一瞬で喜怒哀楽出せる女の子は、そうそういないだろう。
<…ありがとうね、アスラン。>
さっきまで興奮で大声だったキラが、急に落ち着いて話し出した。
「別にお前に感謝されるようなことはしていないが。」
<ううん。してるよ。カガリのこの顔がそうだもん。>
そう言ったキラは、どこか寂し気に思い出していた。
<前の結婚式の時ね、こんな顔していなかったんだ。カガリ>
愛してもいないユウナとの婚姻。幾ら国を背負う覚悟をしたとはいえ、それは苦しい決断だった。自爆を選んだ時の自分、いや、その後の人生が続くことを考えると、それ以上の苦しみだったに違いない。
その苦境をキラは間近で見ていた。
「葬儀みたいな表情だったろうな。」
キラは首を振る。
<ううん、もっと酷かったよ。感情が無かったんだ。>
「……」
<感情を捨てるしかなかったんだろうね。自分を保つために。見ていて僕も痛々しかったよ。その後AAに連れ去っても、カガリの笑顔を取り戻してあげることはできなかった。僕も、ラクスもね。だから―――>
キラは顔を上げた。
<カガリの笑顔を取り戻してくれて、ありがとう!じゃぁね!>
「あれ?いま、キラの声していなかったか?」
ようやくドレスを脱ぐことができたカガリは、シャワーでまだ湿り気の残る髪を無造作にはねた。
「あぁ、「カガリには幸せになって欲しい」ってさ。少し泣いてた。」
「ホントか?」
俺は頷く。最後慌てて通信を切ったキラの眼尻に光るものがあった。たった二人だけの血のつながった兄妹。その妹の苦境を見守ってきた兄としても、嬉しい限りだったのだろう。
カガリは隣にちょこんと座る。
「ダメだなー。まだアイツ泣き虫治って無いのか? ラクスと結婚するときは、もうボロ泣きだろうな。」
「大丈夫だろう。今日のカガリほどじゃないよ。」
「何だよ!お前だっていきなり泣きながら抱き着いてきたから、本当にびっくりしたんだぞ!」
「……」
そこを突かれると勝てる気がしない。
だったら強硬手段だ。
「カガリ…」
「なんだ?」
「昨日、俺からも言いたいことあったんだけど、言えなかったから、今言ってもいいか?」
「うん。どうした?」
「…昨日俺に聞いたよな、俺、それに答えていなかったと思って。」
「昨日?私が聞いたこと?」
「「おかえり!「ご飯」にするか?「お風呂」にするか?それとも…「私」?」って。」
「ふんふん。」
「「ご飯」と「お風呂」はもうしたから、「私」が欲しいんだけど。」
「はぁ。別にいいんだけど。その『私』っていうの、そういえばなんだ?」
…やっぱり意味わかって言っていなかったのか。
「それは、新妻のセリフであって、つまり「君を頂く」ということだ。」
「「いただく」?って…わっ―――!」
手首をつかんで身体ごと押し倒す。
「ちょ、ちょっと、待っ―――……ん…」
唇を塞げば腕にこもっていた力がどんどん弱くなる。
そっと唇を離せば、潤んだ金色の瞳が、もう熱に浮かされていた。
余程つかれていたのだろう、飽きることなく求めているうちに、胸にかかる息の柔らかさにふと見れば、果てると同時に深い眠りについてしまったらしい。
ぷっくりとしたその頬に、まだ飽き足りなくて唇を滑らせると、甘えるように摺り寄せてきた。
その柔らかな金糸を掻き染め、指でほぐせば、サラリと流れて耳朶が覗く。
「カガリ…」
その幸せな眠りを妨げないように…
でも、そっと、小さく囁く
「カガリ…「生まれて来てくれてありがとう」」
「カガリ…「俺と出会ってくれてありがとう」」
「カガリ…「生きる力をくれて、ありがとう」
「俺と一緒に生きてくれて―――「ありがとう」。それから…」
そう、それから、
ずっと言っていなかった。
AAに救出されたときも
最後の大戦から戻ってきたときも
そして昨日も
でも、これから必ず君に言うと約束するよ。
「…「ただいま」。カガリ…」
・・・fin,