アスランは走った。ひたすら走った。

 

普段からストイックを押して知るべしの彼が、「緊急時以外、廊下を走るな」の規則もこの非常時にあったものではないとばかりに息を切らして。

彼の耳に届く遠くから響く「グォングォン」という駆動音。もちろん聞き慣れたMSが発しているものだ。

対するは噴射音も静かなこちらも良く知る機体。オーブの物ではないその青のラインが入った白の機体が空中で旋回を繰り返している。

息を切らせて駆け付けた先は軍港の突端。翡翠に映ったのはそこから1qは離れているだろうか海上で、大剣を振り回す紅の機体と、それをギリギリでかわす白の機体。

彼には一目でわかった―――明らかにこれは「怒っている」と。

<逃げるなっ!>

不機嫌極まりないハスキーボイスが外部スピーカーから漏れ聞こえてくる。すると

<だから、僕のせいじゃないじゃない!>

白のMSがヒラリとその剣をよけながら、こちらもよく知る声が、若干悲壮気味に懸命に弁明している。
<こんなになっちゃったのはお前のせいだろう!?開き直るな!>

<開き直ってなんかないよ!>

挙句

<避けるな!>

<避けるよ!当たったら機体が傷つくし、それに僕も痛いもん!>

「…」

一体あの二人は何をやっているんだと、呆れて声もあげられないアスランに、気づけば並んで既に二人の戦い(?)を見守っていた男が苦笑交じりに代弁した。

「まぁ気にするな。ちょっとした姉弟喧嘩ってやつだな。」

そういうキサカ一佐はまるで慌てた様子はない。

だがオーブ軍を預かる身としては、アスランはこの状況を静観できるわけがない。

「姉弟喧嘩って…なんでMSで戦うまでになってしまっているんですか!?」

「大丈夫よ。銃弾及びライフル無し。アサルトソードだけっていう条件でやっているんだから。」

アスランの糾弾にのんびりと答えるのは、同じくその模様をキサカと一緒に見守っていたエリカ・シモンズ部門長。

この状況を既に知っているような二人に、何も知らされていないアスランは、厳しい視線と共に少し苛立ち声を荒げる。

「演習なんて、私は聞いていませんよ!?」

「えぇ。だって演習じゃないもの。」

ケロリと答えるエリカ。

「じゃ、実戦ってことですか!?」

幾ら双子とはいえ、仮にも一国の代表と、方やZAFTの准将が、MSで戦っているとあっては国際問題に発展するのではないか。

それでなくとも友人であるキラ・ヤマトは自分と同等の力を持つパイロットだ。それが弟とは言えど、代表―――いや、個人的感情で掌中の珠ともいえるカガリに手を上げるのであれば、自分が彼を止めるしかない。

 

元々何故ここにストライクフリーダムがいるのかは、カガリの一言から始まったのだ。

―――「私、この日は行きたいところがあるんだ。」

そう指さすカレンダーの先には、アスランが自分の事以上によく覚えている大事な日。

―――「どこへ行くんだ?俺の予定には護衛の話は何も入っていないが…」

代表が国内外に出かけるとあっては、必ずSPをつけることが必須だ。既にSPの職に無いアスランだが、それでもカガリが外出するときは自分の予定が無ければ、緊急時以外は自分がカガリの護衛をする、と決めている。あえて宣言せずとも、既にオーブ内閣府や軍上層部も納得するよう身をもって知らしめてきたため、最早公然の必須となっている。

だが、今回は違う―――そこに通信の横やりが入ってきたのだ。

―――<あ、その必要はないよ、アスラン。僕がちゃーんとカガリを守るから。>
――――
「っ!?キラ!?」

カガリの向こうには、笑顔で手を振る唯一無二の友の笑顔。

―――「いや、しかし、オーブ代表がZAFT軍に護衛されるなんて、そんな理屈の通らない話があるわけ―――」

―――<だって、僕ら『双子』だよ?それ以上に何の理由が必要なのさ。『この日』の事なのに。>

―――「…。」

『この日』の事を持ち出されると、頭脳明晰のアスランでさえ二の句を継げない。

―――<じゃぁ、前の日に迎えに行くから、よろしくねー♪>

そう言ってブツリと切れた通信。「ということだ。」とカガリは言うが、何しろMS戦ならともかく、白兵戦となると、銃も体術も訓練を受けて来ていないキラは素人同然だ。

―――「やはり俺が付きそう。心配だ。」

というアスランを、カガリは胸を張って一言。

―――「心配するなアスラン。任せろ!お前の友人は必ず私が守る!ミα(Д゚ )マカセロ!!

――「……」

こうなると何も言えない…何しろアスランも認めるカガリの銃と体術の腕前は、キラをはるかにしのぐ。でなければアカデミーで誰一人傷つけられることも無かった自分に、2か所も傷を付けるなどできはしない。

 

そうして昨日キラがオーブに到着した。公式外交ではないせいか、二人は「よ♪」「やぁ♪」と軽い挨拶をかわしていた。この時まで二人の関係は何ら問題なかったはず。その後「あ、私用だから誰も入らないでね♪もちろん、アスランもだよ!」と言い残したキラがカガリの部屋に入ったっきり、なかなか出て来なかった。寧ろあの時の気分としては、今のカガリの代わりに自分がインフィニットジャスティスでストライクフリーダム目掛けてシュペールラケルタを振り下ろしたいくらいだ。

それでもひとえに我慢したのは『この日』の為。

この日だけは、どうしてもあの二人に介入してはいけない雰囲気がある。それはラクスも同じらしく、キラに何も口を挟まないらしい。

ラクスも我慢しているのなら自分も大人にならなければそうは思っているのだが、どうにも心が浮足立って何も手につけなくなる。

何とか気を紛らわそうと、キラに以前から「プレセントとしてくれたら嬉しいな♪きっとカガリも喜ぶと思うよ。」と言われていた“あるもの”の最終調整をし、続けていたらそのまま明け方になってしまった。

当然ながら普通に出勤しなければならず、本部に足を運んでいたらこの騒ぎに気付いた―――というところだ。

 

「実戦ね。フフフ、実戦といえば実戦よね。」

妙に楽しそうなエリカにアスランは尚も食って掛かる。

「どうして止めさせないんですか!?もしカガリに怪我でもあったら―――」

「心配するな。ザラ准将。」

そう言ってアスランの肩を軽く叩いてくるキサカ。

「今、あの子らは、時間を取り戻しているところだ。」

「え?」

キサカの意図が分からず彼の顔を見やるアスランに、エリカも空を見上げたまま微笑んで見せる。

「きっと見たかったと思うわよ。あの子たちのご両親も。よく言うでしょ?「喧嘩するほど仲がいい」って。親だったら見てみたかったと思うわ。二人が仲良く遊ぶだけじゃなく元気に喧嘩する姿も。それから、仲直りする姿も。ね?」

「シモンズ部長…」

仕事中とは一変し、母親の顔をのぞかせるエリカにそう言われると、アスランも先ほどまで爪痕が付くくらい握りしめていた拳が、次第に緩んでいく。

 

キラとカガリ―――二人の出生の秘密はウズミ亡き今、二人が知る限りキラの母、実際には養母であるカリダが把握している情報だけだった。

(―――「貴方たちは優秀な医師だったユーレン・ヒビキと、私の姉、ヴィアの子よ。ただ出生届を出す前にブルーコスモスの襲撃で、貴方たちの本当の両親が行方不明になってしまったので、キラは私たちの実子として届け出たから、戸籍は実子扱いなの。もちろんカガリ様もね。」)

二人がコーディネーターの研究をしていたL4コロニーメンデルで出生したこと、そしてキラはコーディネーターとして人工子宮で育ったこと。そして実の両親が行方不明となり、二人がそれぞれ別親の元へ引き取られたということ。そこまではアスランも間接的に教えてもらった事実だった。

確かに親として、子どもが成長する姿を見るのは何よりの喜びなのだろう。アスランは幼いころから両親が不在がちだったこともあり、甘え下手だと自覚はある。それでも母レノアが自分のことのように一緒に喜んだり悩んだり、怒ったりしてくれた思い出はずっと心の中に今も生きている。

きっとキラとカガリの両親も、二人の成長を間近で見たかったに違いない。

 

「…でも流石にそろそろ止めに入った方がいい頃合いね。」

腕時計を見て、エリカがインカムの通信をオンにした。

「二人とも、いい加減にそこまでになさってください。そろそろ出発の時間が迫ってますよ。これ以上準備が遅れるようですと、メンデルへの直線軌道のタイミングを失いますが、それでも?」

途端二人の慌て声。

<え?もうそんな時間?>

<わ、わかった!すぐ準備に取り掛かる!一時休戦だからな!キラ>

<まだやるの?もういいでしょ、準備できたんだから…>
<いいや、これでは何とか見せられるレベルになっただけだぞ。言い訳は後で聞かせるからな!>

二機の機影がこちらに戻ってくる。

ようやくアスランも胸をなでおろし、マスドライバーに向かうエリカとキサカの後を追ったが、ふと足を止めた。

(…一体アイツらの喧嘩の原因は何だったんだ…?)

 

 

***

 

 

マスドライバーからの打ち上げにより、オーブから最短距離でキラとカガリは無事にメンデルに到着した。

以前の大戦で三隻同盟は潜伏先としてメンデルを利用したおり、キラは実際に中に入ったことはあったが、カガリは初めてとなった。

ストライクフリーダムとストライクルージュが着陸する。途端に渇いた地から黄褐色の砂が、勢い煙のごとく周囲に立ち込めた。

「随分と砂だらけなんだな。」

ステップから降り立ち、足を踏み出す度に舞い上がる砂塵。ヘルメットを取ったカガリの金糸を砂の混じった風が煽る。

レジスタンス「明けの砂漠」に加入していたこともあり、特に埃まみれの地に抵抗はなかったものの、草木一本の影すらない廃墟と化したコロニーの現状は、為政者であるカガリの胸を打った。

「太陽光発電で、未だに電気供給だけは止まっていないんだ。あと空気も窒素・酸素・その他成分に至るまで地球と同じで、人工風も昔のプログラムのまま定期的に起こしているみたい。」

同じくヘルメットを外したキラが周囲を伺う。

「カガリ、こっち。」

「うん。」

先ほどまで喧嘩していたはずなのに、キラが差し出した手をカガリは素直に取る。

何故か、そうしなければいけない雰囲気がここにはあった。

キラが一旦足を止めたのは、大きな施設の跡。二人は並んで無機質な物言わぬそれを見上げた。

「この中だよ。この前も言ったけど、この中には…」

「大丈夫だ。覚悟はしてきた。」

きゅっと無意識に力のこもったキラの手を、カガリもきゅっと握り返す。

無言で二人は同時に歩き出す。

電力供給が生きたままの施設の中、エレベータを上ってドアが開いた最初の風景を目の当たりにし、カガリが反射的に目を見開き、口に手を当て「っ!」と息を飲んだ。

ごくりと生唾を飲み込み、ようやく言葉を発する。

「これが…人工子宮…」

「うん。こうしてこの中でコーディネーターを生み出していたみたい。」

キラのどこか悲しげな声の先で、電気の流れる仄暗いガラスの球体の中に、まだ人の形以前の物、あるいは近い形のまま既に命を閉じた胎児が浮かんだままになっていた。

 

―――「今年のこの日は、メンデルに行きたいんだ。」

カガリがそうキラに告げた時、キラは通信モニターの向こうで表情を曇らせ、視線を逸らせた。

―――<どうして今更…?>
――――
「世界情勢も今は概ね落ち着いてきた。だから今度は自分のケリをつけたくなってな。」

―――<自分の「ケリ」?>

―――「あぁ。私は今でも「ウズミ・ナラ・アスハ」の子だと自負している。でもな、産んでくれた親の事、出生の事も知らないままだと、なんか、こう、モヤモヤするんだ。本当の私を振り返って、そこで踏ん切りをつけたい。そうしたら今度こそ、胸を張ってお父様の子だと言えそうな気がするんだ。」

キラはしばし無言だった。だがふと顔を上げた時、既に笑みを湛えていた。

―――<カガリらしくていいね。>

―――「付き合ってくれるか?」

―――<カガリが行くなら、僕も行くよ。僕だけ本当のことを知ったままなのは、なんかずるい気がするし、それに…>

―――「ん?どうした?」

―――<カガリが一緒なら、乗り越えられそうな気がしてきたから。あ、もしかして…>

キラがふと気づいたように目を見張る。

(…ひょっとして、カガリは今も僕がどこかで出生の蟠りを抱えていることに気づいて…?)

ふとそんな気がした。

双子…だからなのだろうか。彼女は何故か本能的にキラの危機を感じ取ってくれるのだ。

どんなに仲の良い友人だろうと、恋人だろうと、これができるのはカガリしかいない。

ラクスは背中をそっと押してくれて、アスランは共に並んで、そして…カガリはいつも手を引いて引き上げてくれるのだ。キラの苦悶する心を。

だから決めた―――「自分も共にもう一度あそこに行こう」と。

―――「どうした?」

―――<ううん、何でもない。ただ、いきなりだとカガリには苦しすぎる光景だろうか、少し説明させて?>

―――「わかった。」

そして、キラはカガリに包み隠さず話をした。二人きり、カガリの部屋でメンデルと自分に関わる長い話を―――

 

そして、今キラは数年ぶりに、カガリは初めてこの現状を目の当たりにする。

「こんな…みんな、こんな中に置いて行かれたまま…」

カガリの金眼にみるみる涙が浮かび上がる。

「ブルーコスモスの襲撃で、機械も一部破壊されて、施設もこうなっちゃったまま放棄されたみたい。一応メンデルは未知のインフルエンザウイルスのパンデミックで廃棄、ということになっているけど、表向きだったことは僕もここに来て初めて聞いたんだ。」

キラがそっと目を閉じれば、あの日の衝撃が嫌でも瞼に浮かび上がる。

憎々し気に高笑う、ラウ・ル・クルーゼの姿が。

ふと、カガリがキラの手を放そうとする。キラも彼女の意図を悟って、そっと手を離す。

カガリは一番手直にあった人工子宮に手を触れた。

通電しているのに、ガラスの球体は冷たい。

カガリは腕を広げ、抱きしめるようにしてそれを摩る。

「ごめんな…私たちだけ助かっちゃって…もしかしたら友達に、ううん、ひょっとして兄弟になっていたかもしれないのにな…」

彼女はそれを不気味とも、気持ち悪いとも言わず、当たり前のように接した姿を見てキラも目を潤ませる。

自身もこの中で育ったのだ。ほんの少し彼らより早く生まれただけで、自分は温かな人に迎えられ、抱きしめられたのに、彼らは冷たくなったまま、ずっとここで。

「よしよし…何時かちゃんと土に返してあげるから。それまで待っててくれ。な?」

流す涙を拭くこともせず、カガリは愛おしそうに幾つも幾つも並ぶ子宮に触れて回る。

それを見守るキラの目が一瞬捉えた―――戦闘中でもないのにSEEDを開いたあの瞬間のように、何かが見えた―――カガリの目にも冴えた同じ光が宿っている―――二人に向って懸命に幼い手を伸ばす幻影。そして嬉しそうな喃語のような声を…

 

 

・・・to be Continued.