その夜は全く食欲がわかず、夕食に手を付けなかった私を心配するマーナを宥めつつ、私は早々にベッドに潜り込んだ。

でも、全く眠れない。ううん、むしろ目は冴える一方だ。

「……。」

 

以前もこんなことあったっけ。

オーブが焼け落ちたあの後、宇宙に上がった私たちにアスランが静かに決意を伝えた時だ。

(―――「プラントに行ってくる。」)

ジャスティスという、当時画期的である一方、協定違反の核を利用したMSを拝領したばかりの彼が、軍の命令もなしにオーブについて地球連合軍と戦った。その彼が今プラントに戻ればどんなことになるか、いくら幼かった私でも十分理解できた。

(―――「何で、お前!」)

止めたかった。でも彼には彼の着けるべきケジメがあることも、わかりすぎるくらい分かった。

彼の肩を揺さぶっていた私の手を取って、強く頷き返す彼を止める資格は私にはない。

クサナギに残されたジャスティスを見ながら、私は彼の無事を祈っていた。

そして2年後、議長の下に向かう彼をまた止められず、その時の切なさは最初の時より不安や心配は山ほどだった。

でも、今は更に以前より計り知れないほどの不安と苦しさに息もできないくらいだ!

出会いと別れを繰り返すごとに、私の中のアスランへの想いはどんどん強くなっていく。そして多分アスランも…

辛い思いを重ねる度に、私たちはより強い絆で結ばれていった。

だからこそこうして今、本当の家族という絆を手にして、その証であるこの子を授かった。

けれど…もし、彼の命に何かあれば、どんなに強い絆でも、脆くも解れていってしまう。

 

なぁ、神様。

もう直ぐ誕生日、なんだよな…?

今までよりもっとお祝いするから

どうか、私からアスランを奪わないでくれ

この絆を断ち切らせないでくれよ!

 

ベッドの中でぎゅっと両手を握りしめていたら、廊下を歩く気配を感じた。

(これは―――アスラン!)

お腹が目立ってからはゆっくりとしか動けなかった私が勢いよく起き上がると同時に、ノックと共にアスランがドアの向こうに現れた。

「カガリ、その…大丈―――」

「――――っ!!」

…こういう時こそ「お帰り。」「ご苦労だった。」「大丈夫か?」って声をかけて少しでも心を安らげるように、温かく迎えてやらなきゃいけないのに。

でもその傍らで、心の奥底に押し込めている叫びが爆発しそうで。

二律背反の葛藤で言葉にならず、ただひたすらアスランに抱き着いて、その存在を、温もりを求めた。

私と子供―――二人分の体重を身じろぎせず、全身で受け止めてくれたアスランが、そっと私の頭を自分の胸にしまい込むように抱きしめて、すっかり大きくなったその手で私の髪を撫ぜてくれる。

「カガリ…ごめんな、辛かっただろう…?」

あぁ、どうしてコイツは優しすぎるんだろう。それは私の言うはずのセリフだろ?

それなのに、嗚咽を上げることしかできない私に、アスランは続けて囁いた。

「本当はカガリに伝えることはみんなに反対にされたんだ。でも俺はあえて君に伝えることを選んだ。こんな大事な時に君を不安にしたくなかったけれど、君は俺なんかよりずっと強い女性だ。きっと分かってくれると信じて、伝えたけれど…。いざ君の顔を見たら、君に合わせる顔が見つからなくって…」

官邸で何度も視線を私から逸らしたアスラン。

私は何を一人でグズグズしているんだろう。私以上に苦しんでいるのは彼の方だ。

彼にようやく新しい家族を、温かい場所を作ってあげられたのに、彼はそれを放棄してまで他の誰かを助けなければならない使命を自ら背負った。

地球とプラント。一体どれだけの命が彼の肩にかかっているのか。

少しでも、その重い荷物を肩代わりしてやれたらいいのに。

でも…今の私にはそれができない。歯がゆくて悔しくて、涙が止まらない。

寧ろ彼のお荷物になってしまっているのは私だ。

「ごめん…アスラン…いつもお前ばっかり辛い思いをさせて…」

涙でぐちゃぐちゃなままの顔を上げれば、繊細な絹糸を扱うような優しい触れ方で、そっと涙をぬぐって微笑んでくれる。

なんか…いっつも励ましていたのが私の役目だったはずなのに。すっかり今は逆転しちゃってる。なんかそれがとっても―――

「…悔しい…」

「え?」

「私の方が落ち込んで、お前の方が私のこと慰めるなんて、悔しいって言ったんだ!」

「…ぷっ…あはは!」

「何がおかしいんだよ!?」

こんな状況でよく笑える。いつの間にこいつはこんなに強くなったんだろう?

そうしたらアスランはまだ笑いをかみ殺しながら、私の頭をポンポンと軽く叩いた。

「それは俺だって父親になるんだ。男親が情けない姿なんて、我が子に恥ずかしくて見せられないだろう?」

「だったら、私だって母親だ。「母は強し!」っていうぞ。」

「カガリだったらもう筋金入りの強さだから、これ以上強くなれると、俺が怖いよ。」

顔を上げた私とアスランの視線が交わる。ようやく、空気が少し柔らかくなった。

そのせいか、私の少し気持ちが緩んで、溢れかかっている心の内を、少しだけ零してみる。

「…話を聞いた瞬間、すごく怖かった。確かに何度もこうした修羅場は体験している。目の前でお父様が亡くなられたときも。あの時は絶望から絶対立ち上がれないだろうと思っていたんだ。でも…」

「でも?」

「…アスランが…キラとラクスと、みんながいてくれた。」

多分、あの時、アスランやみんなが傍にいてくれなかったら、私は立ち直ることなんてできなかったと思う。

アスランもふと懐かし気に目を細めて話し出した。

「俺も、父上を目の前で失くした時、きっと一人だったらあの後何もできずに死を待っていたと思う。でも、カガリが…カガリが俺の腕をつかんでくれて、思った。「あぁ、そうだ、俺は彼女を助けなければいけない」って。」

 

そうして、私たちは手に入れた。苦しくても、辛くても、それでも欲しかった「未来」を。

そして、幸せな現在がある。

なのに、今、またお前は行ってしまうのか? あの時みたいに私が腕をつかんでも…

 

譫言の様に口を開きかけた時、アスランの温かくて大きな手が、私の頬を包んでそれを止めた。

「だからカガリなら分かってくれると思った。駐在員一家…彼らにも俺たちときっと何一つ変わらない同じ願いを持っている。だから今でも必死に苦境に耐えてくれていると。君はこうした人たちに、自分の身を犠牲にしても助けようと手を差し出していた。もう出口はないと諦める俺に、いつも壁をぶち壊して道を作ってくれる君ならきっと…」

「アスラン…」

そんな風に、先手を打たれたら、私にはもう彼を引き留めることはできない。

いつの間にか窓から入り込んできた、柔らかい銀色の月の光が、そっとアスランの端正な輪郭をなぞっている。銀色に映し出される翡翠の光は、まぎれもなく澄み切って美しい。

それを見て思う。こんな澄んだ瞳の時はもう、アスランの心は決まっている、と。

私がどんな言葉をかけようと、きっと彼の決意は揺るがない。

そこにそっと手を伸ばして触れてみた。そんな私の手をそれより大きな手がゆっくりと包み込んでくれる。そして、一際強くその手が握られた。

「彼らを見殺しにすれば、きっとカガリも俺も自分を許しはしないだろう。でも、俺が囚われればジェネシスの封印が解かれてしまう。俺が生きれば世界は死んで、俺が死ねば世界は救われる。だから、もしその時は―――」

「なんでそんな考え方するんだよ!」

その手を払いのけて、私は足を踏ん張って声を上げた。

「いいか!絶対人質はみんな救う!そしてお前も無事に帰ってくる!ジェネシスの封印は絶対解かせない!これを守らないと二度と我が家の敷居は跨がせないからなっ!」

一瞬アスランが翡翠を見開いてポカンとしたけれど、たっぷり5秒後にまた大爆笑した。

「だから、何が可笑しいんだよっ!」

「いや、すまない…やっぱり「母にこれ以上強くなられると、俺は住む家もなくなりそうで、本当困ることになるな」って…」

「…貶しているのかよ、それ…」

「十分褒めているつもりだよ。」

軽く首をかしげて真顔で返し、そして笑う彼。

 

以前誰か言っていた。

(―――「アスランは、無口であまり表情を出さない」)

嘘だ。

こんなに笑うじゃないか。こんなに話すじゃないか。

 

こうしている瞬間が凄く愛おしい。

少しでも長く、一分、一秒でもいいから、離れないでいて。

 

だが願いは儚く消えた。

部屋の時計が0時を告げる音は、細やかな願いの代わりに現実を知らせた。

「出立は何時なんだ?」

静かに問えば、彼の表情もそれに答えた。

「今からだ。」

「今から!?」

「そうだ。犯行グループの要求は「明日までに」だ。今から一番早い空輸機を使っても、明日の日没までに間に合うか否かというところだ。しかも奴らは取引現場に先回りされないようにと一定時間ごとに経路を指定しきて、それに沿って進まなければならない。となると現在I・ジャスティスの積み込み作業が終わり次第、すぐに出発する手はずになっている。」

そのわずかの時間、こうして私に会う時間を作ってくれたのだろう。

<ピリリリ…>と小さな呼び出し音が鳴った。

多分アラートだ。出立の準備ができた、ということを告げる…

 

「じゃぁ、カガリ…」

そのままドアに向かおうとするアスラン

「あ―――」

喉元までせりあがったその言葉を無理矢理飲み込む。でも、代わりの言葉が一つも出てこない。

(言わなくっちゃ!何か…何かかけられる言葉は!?)

上手く動かない唇を無理矢理動かす。

「そ、その…絶対怪我とかするなよ。お前いつも傷だらけだから―――」

 

あれ?以前にも、こんなことを言ったような気が…

(―――「いっつも怪我だらけだな。」)

アスランはその時、なんて答えたっけ?

(―――「石が守ってくれたよ」)

そうだ。あの時、アイツはちゃんと守り石を付けてくれていた。

ケガをしても帰ってきてくれた。

でも、今、守り石はない。さっき買い物しようと思って結局、買いそびれちゃったから。

もっと時間があれば、守り石に代わる何かを彼に持たせてやれたのに。

でも…そういえば、あの時もそうだった。

自分がかけていたものを咄嗟に彼に渡した、心がボロボロの彼を少しでも守ってあげたくなって、すがる思いで託したあの石。だったら今はその代りにせめて…

「待て!アスラン、これ―――」

私が咄嗟に手をかけたのは、ペンダント。

いや、出産のときには外しておいたほうがいいと言われて、それでも触れていたくてネックレスにしていたもの。

「これは…」

アスランが驚き、言葉を失う。覚えているだろう、お前だって。そう、

「お前がくれた指輪。これをお前に託す。だから―――」

チェーンをアスランの首にかけてやる。そのまま彼の首に両腕を絡ませて、思いっきり引っ張りながら彼の唇に私のそれを重ねた。

「――――っ!」

 

…あぁ…なんで私って不器用なんだろうな

なんか、勢い余って歯をぶつけた気がする。

キスはいつもアスランからしてくれたから。

無論、私だってしたいときはあったけど、なかなかできない雰囲気を察して、アスランがそれに応えてくれていたから、すっかり甘えてしまっていた。

 

不器用な私からのキス。

でも…すぐにアスランはそっと優しく重ねなおしてくれた。

いつの間にかすっかり形が馴染んでしまった所定の場所。

そう、ここが私の唇の場所。

もう私もお前以外にこの場所は明け渡せない。

 

―――だから、お願い!もう、ど――

 

<ドスッ!>

「―――っ!」

「―――っ!」

願った瞬間、衝撃が走った。私には馴染みのある衝撃なんだが、アスランは…

「カガリ…」

「ん?」

「…今、思いっきりお腹蹴られたんだが…」

「安心しろ。私もだ。」

そういって、私がぽっこりとしたそれを指させば、まるでそれに応えるかのように、もう一度そこがポコっと飛び出た。

二人して顔を見合わせると、今度は二人で大笑いした。

こんな時にも笑い合えるなんて。

この子はちゃんと理解している。父の決意を。そして送り出そうとしている。

母親の私がこんなに惑っているのに。一体誰に似たんだろう?

そうだ、私たちは何度も逆境の中を生きてきた。

私たちはきっと強い。そうこの子が励ましてくれている。

アスランがそっと日々大きくなっていくお腹をそっと撫ぜてくれた。

「この子なりのエールだ。だったらそれに応えてやらなきゃ親じゃないよな。だから―――」

アスランは力強く言った。

「必ず帰るよ。君とこの子のところへ。」

「…当たり前だ…」

 

かつての赤服よりもすっかり馴染んだ白と青の制服と礼帽。

どこか照れくさそうに微笑みながら敬礼した彼。

私はその大きく頼もしくなった背中を見送った。

 

 

―――「だから、お願い!もう、どこにも行かないで!」

 

 

その本音を、心の奥に押し込めながら・・・

 

 

***

 

 

眠れぬ一夜を明かした私は、白んでいく空をいつまでも見上げ続けていた。

(アスランは、今どのあたりを飛んでいるんだろう…)

無論、軍令部の方で極秘に行っている任務だから、私には知りようもない。

やっぱりまだわかない食欲に、それでもこの子のためにと思いながら、無理矢理シリアルとオレンジジュースを詰め込んだ。

「姫様、お加減は大丈夫なのですか?お顔の色が優れませんが…」

マーナがそわそわと落ち着かない様子で私の顔色を窺う。

そりゃこの状況で元気満々でいる神経の持ち主だったら、二度とアスランが家に上がってこないような気がするが、流石に私も人の子だ。尽きない不安に体の方も疲れが溜まっている。

「大丈夫だ。少し横になるよ。」

「それがよろしゅうございますね。早速ベッドを整え直してまいります。」

そういってマーナがダイニングのドアを開けた瞬間、表に車の急ブレーキのかかる音がした。

「まぁまぁ、朝からなんと慌ただしい…」

そういって玄関に向かったマーナと反対に、私はゆっくりと立ち上がった。と―――

「う……」

お腹がズクンと重い。少し痛みを感じる。

時々お腹が張ることはあったけど、ちょっとこれは大きいな。

やっぱり横になったほうがいい。今日は1224日だから、クリスマスイブか。予定日まであと1か月ある。それまで大事にしないと…。

だが、ボソボソという立ち話のような人のざわめきと、忙しない妙な空気がダイニングにいる私にまで伝わってくる。

私の代わりはミナがやってくれているから、手抜かりはないはず。

(でも…)

つい気になって、こっそりエントランスホールの間際まで、こっそり隠れながら近づいてみた。すると…

(…ミナ…?)

先ほど思い出したばかりのロンド・ミナ・サハクが何かをマーナに言い伝えている。

(一体何があったんだ…?)

産休中の今だって重要な案件であれば、一応私のところにも報告するようになっている。

聞いていけない話はないだろう。

そう思って二人に近づいたその時だった。

「わかったな。アスハには折を見て私から言う。故にくれぐれも今は他言なきよう。」

ミナの抑揚のない声に対し、マーナは頷いて言った。

「無論です。そのよくわかりませんが、アスラン様がMIAとされた、ということですね。」

 

 

…今、なんて…?

 

 

…アスランが…

 

 

…「MIA」って…

 

 

(―――「戦死」した―――?)

 

 

途端に腹部に強い衝撃が走った。

 

と同時に、目の前から光が消えて、黒く暗転する。

 

<ドサ>

「姫様!? 姫様ぁぁ!!」

 

 

マーナの悲鳴と駆け寄ってくる足音が、意識の遠くにぼんやりと消えていった…

 

 

・・・to be Continued.