「ギャァ、ギャァー!」
<バササササ>
暗い森の中から、厳めしい鳴き声と羽音を立てて襲い掛かってくるのは妖鳥『ベンヌ』。
翼を広げれば3mはある大物だ。
「こっちだ!」
私が声を上げて銃をとる。
<パンパン!>
引き金を引くが、ハヤブサ並みに俊敏なベンヌにはなかなか当たらない。だが、確実に私に狙いを付けている。
必死に逃げる私に、ベンヌが尚も追いかけてくる。そしてその毒のある足の爪で私を一掴みしようとしたその時だった。
「ざーんねん♪」
得意に微笑む私の背後から、ベンヌに襲い掛かる鋭い爪と牙。
<ザクッ!>
「ギャアアァァ…」
致命傷を負わされたベンヌは地上に落ちて見悶えた後、灰となって消えた。
「カガリ、怪我はないか?」
「大丈夫だって。お前が倒してくれると思っていたし。」
「え…」
口癖のように「大丈夫か?」「怪我はないか?」と繰り返すアスランに、いつもなら「五月蠅い!」か「しつこい!」ばかり言い返していたのだが、初めてこういう言葉を返してやったのが余程意外だったのか。パチクリしながら面食らっていたアスランが暫くしたら、また俯いてしまった。
でも
<ヒュンヒュンヒュンヒュン!>
うわー…しっぽが風切った音を出すくらい高速で振ってる…
褒められるとどれだけ嬉しがるんだよ、コイツは。
でも、不思議と二人だけの旅路になってから、表情が出てきた気がする。
まだ真正面から褒めれば俯いて赤面(というかよく見えない代わりに、しっぽがビュンビュン)するけど、会話していると時折俯かずにニッコリ笑うようになった。無論、私がちょっと無茶するとキサカ並みに説教を始めるけど、必死な様相は伝わってくるので、なるべく素直に聞くようにしている。まぁ、ちょっとムカッと来るときもあるけどさ。
最初は二人きりで、となったとき、色々不安はあった。
―――「瘴気が濃いところに行くし、ハウメアの護り石の加護は半径2mがやっとみたいなんだ。だから多人数で向かうのは厳しそうなんだ。」
―――「そうか、わかった。」
想像を覆して、キサカはあっさりと認めた。
―――「いいのか?アイツと二人きりになるんだぞ?」
―――「今までは男ども多数と一緒にいて、今更何を気にする?」
―――「べっ!///そ、そういう心配じゃ―――アイツ、仮にも狼なんだぞ?」
―――「アスランなら大丈夫だろう。」
―――「…なんでそんなに全幅の信頼を寄せているんだよ。」
―――「賢いからな。お前を食って腹を壊すような真似はしないだろう。」
そう言い切って大笑いするキサカ。
(そういう意味じゃないんだってば!!)
「はぁ〜…」
「何だ?」
「なんでも…」
私のため息が気になったのか、アスランは度々私の様子を伺ってくる。まさしく飼い犬が散歩に出かけたときに、飼い主をチラ見するアレに似ている。
そう思えば可愛いのだが
「?俺の顔に何か?」
「な、何でもないっ!///」
(どうしてコイツ、半妖なのに、こんな綺麗な顔立ちしているんだよ…)
前にも思ったが、所作は人間の王子様みたいだし。
(―――って、いかんいかん!何を意識しているんだ、私は。)
一昼夜歩き通しだが、まだ館の気配すら感じない。通り掛けに幾つか街の跡を通った。
魔族にやられたのか、立派な建物だったであろうそれは無残に崩れ去り、ところに見かける風化の跡が、過ぎ去った年月の長さを思い知る。
こういう場所を見るのは辛い。オーブもこうなってしまってはいないだろうか。不安に目を伏せると、アスランもまた悲し気で辛そうな面持ちだった。半妖でも感じる気持ちは同じらしい。
街を抜け、人家跡が疎らになっていく頃、木立の枯れた森の中に入った。
ベンヌをはじめゴブリンなど、いくつかの魔物と遭遇したが、気づけば陸での戦いに慣れてきた。というか…妙にアスランとの息が合うようになった。言わなくてもコイツなら、こうやってくれるだろう、という考えを見事に読んでくれる。さっきのベンヌの時もそうだが、なるべく距離は離れず、チームプレイで短時間で決着がつけられるようになってきた。
「日が暮れて下手に動き回るのは危険だ。ここで野宿だな、今夜は。」
立ち枯れの森だが濃い瘴気で日の光は入らない。でもアスランには狼の感か、時間間隔が分かるようだった。
アスランは大きな岩陰を見つけ、そこで集めた枯れ木に器用に火をつけていた。爪の先を研ぐように激しく研磨したところに妖気を注ぐと火が付くようだ。
せっせと動く彼をぼんやり見つめながら、私は気が重くなってきた。
陸での生活、いや、自衛経験が無いから、何も手伝えないのが悔しい…というのではない。
オーブ奪還という大事な戦を前にして、コイツを巻き込みたくない、という気持ちが顔を覗かせてくる。確かに戦力としては抜群だ。しかし、オーブ国民でもないアスランを巻き込むのはどうにも忍びない。
あのキレた時の彼の表情―――瞳は魔のものである証の金色に変色しながらも、とても悲しそうだった。本当はこんなことはしたくない、そう叫んでいるように見えたんだ。
炎が高く上がったところで彼は私を手招いた。
「火があれば獣は寄ってこない。魔獣もしかり。だから一晩中灯を絶やさなければ大丈夫だ。」
「温かいな…」
私は頭に浮かんだ悩みを今は打ち消し、火を囲んで手をかざす。
「カガリ、寒いのか?」
「あ、いや、そこまでではないんだが…」
「そんなあちこちむき出しの服なんか着ているから…」
「オーブはいつも温暖だから、この位で十分なんだ。」
「そうかもしれないが、その…///」
「?なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言えよ。」
この前の戦い以降、忠言は素直に聞くことに決めた。どんな手下であっても。それが飼い犬であったとしても。
だけどやはりコイツに対して、なんだかちょっと変な感覚が時折生まれてくる。
いつの間にか「船長」じゃなく「カガリ」って呼び捨てになっているし。
それに敵に止めを刺す役もほぼコイツだ。瘴気のせいで私はあまり激しく動けないから仕方がないと言えばそれまでなんだが。
でも、以前の「癪に障る」感じとは…なんだかちょっと違ってきた。
名前で呼ばれても、戦いの主役を取られても、心の中のモヤモヤが重くて不快だったはずなのに、今はなんだかフワフワした感じになっている。
戦っているときだけじゃない。コイツが笑ったり、不安そうにしているときも、妙にざわつく。今までは手下が相手していたから、いきなり飼い主自ら直接対峙するようになったので、そう感じているのかもしれないけど。
オマケに、今みたいに何も言えずに俯いてちょっと顔を赤らめている時、今までは全然気にも留めなかったけど、何故かコイツに釣られて私まで頬っぺたが熱くなってくる。
と―――
「クシュン!」
頬っぺたは熱いのに、体が冷えてきたのか、くしゃみまで出た。
「カガリ、だからそんな恰好をしているから…」
「しょうがないだろ?私は殆ど南海の上で生活しているから、森の夜の寒さには不慣れなんだよ。」
諫言は聞くことにしたけれど、やはりこう諭されるように言われるのはキサカだけで十分だ。なんでコイツまで私の兄ちゃんみたいに甲斐甲斐しく面倒見ようとするのか。でも
「クシュン!」
やっぱりくしゃみが止まらない。魔女のところにたどり着くまでに風邪ひいたらどうしよう。と思っていたら
「カガリ、その…こっちに来て。」
アスランが枯葉を集めて火の傍でフワフワと掻きまわしていた。
「?」
よくわからないがとりあえずそこに行ってみると、アスランが器用に肉球で枯葉をまとめて置いてくれる。そこに座ると
「わぁ…温かい…枯葉のベッドみたいだ。」
驚く私に、彼はニッコリと笑んだ。
「枯葉を火の前で攪拌すると、温かい空気が含まれるから冷えが防げるんだ。」
「へ〜お前、よくこんなこと知ってたな。」
そう言って褒めたつもりで顔を見上げたら、隣で彼は寂しそうに俯いた。
「ごめん…なんかつらい事、思い出させちゃったか?」
「いや、そんなことないよ。」
そう言うけど、横顔が凄く寂しそうだ。私は何の気なしに彼にもたれるように、頭を預けた。
「ハウメアをどこで手に入れたのかも気になるけど、それよりお前って、何処から来たんだ?乗っていた船が座礁したのは聞いたけど。」
「…正直、俺にもよく思い出せないんだ。」
薪をくべながら、彼は語る。
「最初の記憶は一生懸命逃げまどっているところ、だったかな。親を殺されて、一人生き抜いていくしかなかった。」
そうか。半妖ということは、お父様かお母様が人間だったのだろう。彼も私と同じく親を目の前で失っていたのか。
「どうにか食べられるものを口にして、泥水を啜って、なんで俺はそれでも生きているんだろうって、自問していた。ある時、救いの手を差し伸べてもらうまでは。」
「誰か助けてくれたのか?」
「あぁ…俺にはそれが、とっても嬉しかった。生きる糧になったんだ。たった数日だけだったけど。」
ということは、きっと拾った子犬が狼と気づいて、また捨てられてしまったのかもしれない。
「だから、どうしても生きたかった。もう一度あの温もりに触れたくって。でも、追われて、狩られそうになって、生きるために知恵を付けた。そういうのが、こうして今役立っているのかもしれない。」
「そうか…」
<パチン!>
焚火の火が弾ける。普通動物は炎を怖がるものだけど、アスランは生きる糧として知恵を身に着けたのか。
私は国から逃避してもキサカやトダカをはじめ、頼りになる仲間がいてくれた。でもアスランは誰に頼ることもできず、必死に一人で生き抜いて…
「えらいな、お前は。」
何でだろう。自分でもよくわからない。疲れて眠いせいなのかもしれない。体が勝手に動いて、いつの間にか、アスランを―――ギュッとしていた。
「カガリ!?///」
アスラン、きっと驚いているだろうな。また頬っぺた真っ赤にして。
でも寂しいときは、私はいつもお父様にこうしてもらっていた。
(―――「君を・・・抱き寄せることができるのに…」)
夢の中で聞こえた言葉は、彼が本当に発したものかはわからない。
それでもいい。お前が抱き寄せられないなら、私がこうして抱き寄せてやる。
1人で頑張った子に、ご褒美だ。頭を胸の上に導いてギュッとしてやる。
「よしよし、偉いなお前は。もう一人じゃないぞ。だから、大丈夫だ。」
「……」
アスランは何も言わない。だけど、しっぽが、大人しく今まで見たことのない優しい揺れ方をしている。少し見やれば表情も穏やかで…目を閉じてされるがままになっている。
「よしよし。大丈夫、大丈夫だから…」
暫くそうして背を撫ぜてやっていたら、ふとアスランが起き上がった。そして真っすぐに私の目を見つめてくる。
何だろう、あの透き通るようなエメラルドが、ちょっと熱を帯びているみたいに潤んでいる。
そうしたら
<フワ…>
「あの…アス…ラン…?///」
今度は私がモフモフにくるまれた。
アスランの胸の中は、温かくって、あの教会のベッドの中みたいに安心できた。
「こうすると寒くないだろう?」
「…うん。」
「今度は俺がカガリを温めるから。」
「いや、私のさっきのは温めてないと思うぞ?全然。」
「いや、凄く温かくなった。俺の心の中が。」
「…そうか。」
「…そうだ。」
そう言って、モフモフ…いや、アスランの手が私の背を撫ぜてくれる。
変だな。ここは魔物も住む森の中、油断一つが命取りになりかねない場所なのに、なんで私はこんなに温かくって、安らげるんだろう…
ちょっと見上げたら、綺麗な翡翠が声に出さずに語ってくれる。
―――おやすみ、カガリ―――
私は自然と促されるまま、眼を閉じていった。
***
翌朝から目覚めれば、私はずっと温かいままで、ここから起きたくないな、と一瞬脳裏を過ったが、必死に首を振った。
気持ちを新たに進軍開始だ。
でも不思議だ、凄く足取りが軽く感じる。
最も私だけでなく、アスランもみたいだが、顔を見やると今度は目を背けて顔を真っ赤にするようになってしまった。
でも大丈夫。しっぽがやっぱり高速回転しているから、機嫌がいいのだろう。
そう思っていると、アスランの耳がピクンと動き、尾が下がる。気配が一気に緊張した。
「アスラン?」
「しっ」
伸ばした爪で唇を抑えるアスラン。すると
「グルルル…」
地響きのような唸り声が聞こえてきた。
狼か?いや、違う。
<ドシン、ドシン>という足音のような地響きまで伝わってきた。
「しまった。まさかこんなやつまでいたなんて…」
アスランの表情がこわばる。初めて見た緊張度だ。
「こんなやつって?」
するとバキバキと、枝、いや、幹ごと押し倒すような激しい音とともに、巨体が影を落とした。アスランの声が一気に緊張する。
「まさか…『ベヒーモス』!?」
巨大なサイみたいな魔獣だ。最も海にはいない魔獣なので、本の中でしか見たことが無いが。体長は見ただけで優に5mを超えている。
「走るぞ、カガリ!」
「え?」と私が答える間もなく、アスランは私を抱えて走り出した。
「ちょ、アスラ―――」
「しゃべるな!舌を噛むぞ!」
そういえば走っているアスランを見たことが無かった。海上じゃ走れないからな。狼のスピードがこんなに早いなんて想像もしていなかった。
「――――っ!!」
しがみついているのがやっと。それでもベヒーモスは私たちを餌と認識したのか、あの巨体で木々をなぎ倒しながら真っすぐ襲い掛かってくる!
アスランなら多分、ベヒーモスと互角以上に戦える力は持っているはずだ。だってあのプリスターを圧倒したくらいだから。
それでも戦わずに逃げるのは―――私のせいだ。
アスランと離れれば、ハウメアの護り石の力は及ばない。そうなれば私の肺は瞬く間に腐れ落ちる。かといってアスランが私との距離を維持しながら戦えるほど弱い相手ではない。
どうしよう…私はこんな時に何もできない。海の上であんなに大威張りしていた自分を今になって恥ずかしく思う。世界にとって私はこんなにちっぽけな存在だったなんて。
「ハァッ、ハァッ!」
アスランも息が切れてきている。二人分の荷重だ、無理もない。このままの状態では、遅かれ早かれベヒーモスに追いつかれる。
アスランを…アスランだけでも助けたいのに、今は私の方がお荷物だ。
「アスランっ!私を離せ。そうすればお前一人なら逃げられる―――」
「君を死なせるなんてできるか!だったら俺が先に逝く!」
「そんなこと言うなよ!」
「だったら黙っていろ!」
駄目だ。話すだけでも更にスピードが落ちる。
幾度となく体験した絶体絶命のピンチ。今の私にできるのは、本当に文字通り「祈るだけ」。
(神様!ハウメアよ、いるというなら、どうか彼を助けてやってくれ!)
すると
<キィーーーーーーン>
私の瞼の上が明るくなっていく。
「…ハウメアの護り石…?」
赤く輝く石が、まばゆい光を発した途端
「グォオオオオオオオッ!」
ベヒーモスが悶えた。まるで見えない壁にでもぶつかったかのように、先に進めず我武者羅に暴れている。
「この隙に!」
私が発するまでもなく、アスランはそのまま走り抜けた。すると
「ハァハァハァ…」
「大丈夫だ、アスラン。下ろしてくれ。」
彼が腕を緩めてくれたので、私はようやく地に降り立つ。
彼が立ち止まったのは、ベヒーモスから逃げられたから―――だけではない。
今、私たちの目の前には、蔦の絡まる白亜の建物が聳え立っていたからだ。
「お城だ。」
まるで絵本の中から飛び出てきたような城。見上げれば高い天蓋は濃い霧に阻まれ先が見えない。
ただ、不思議な気配が―――森の中にあれだけいた魔物の鳴き声も全く聞こえず、寧ろこの空間に入るのを拒まれるような異質な感覚が城を包み込んでいた。
「ひょっとして、これが…」
私はそれを見上げたまま、呟いた。
「『彼岸の魔女』の館…」
・・・to be Continued.