<ギュォオオオオ!>
ドシン!という振動とともに、けたたましい鳴き声が各所から聞こえる。
大きなオノゴロの港町は、あのアププリウス同様、海風によって瘴気の侵入を防げる場所以外、魔物の巣食う地と果てていた。
私は手下どもに結界の魔力を練り込んだ護符を持たせた。これはラクスから教わった魔術だ。これを持てば、私の魔力による結界が張れて、弱い瘴気や魔物の攻撃に少しばかりは対抗できる。
もちろん、私の魔力が切れたら一発で終わりだが、数日にわたる修行でラクスからはお墨付きをもらっている。
その自信を糧に、私たちは船を降りた。すると
「あれは!?」
「まさか、クサナギが戻ってきた!?」
「カガリ様ぁああ!」
国民が駆け寄ってくる。まだ私を王女と思ってくれているんだ。思わず目の奥が熱くなる。
「皆、助けが遅くなってすまない。いいか、このままクサナギに向かうんだ。救出部隊がお前たちを安全な場所に輸送する。」
「姫様は?」
「私はお父様の敵を討つ。そして、この国を取り戻して見せる!」
精一杯力強く、応えて見せる。上に立つ者が不安な顔をしてはいけない。皆に動揺が広がってしまう。
しかし…正直不安は大きい。まだ見ぬ敵、クルーゼがどういうやつかもわからないし、ウナトとユウナはどう私に牙を剥いてくるのかもわからない。でも
「行こう、カガリ。」
私の背をそっと押してくれる、その手。
初めて見たときは、モフモフしていて癒し系にしか見えなかったけど、今の私にとっては、何よりも頼りになる手だ。
「うん!」
大きくうなずいて、私はサーベルを抜くと、一気に走り出した。
クサナギの砲撃音が遠ざかっていく。かなり市街地の中を進んできたらしい。
「こっちだ!」
案内のキサカの先導に、攻撃部隊は王城へつながる大通りへとたどり着いた。
オノゴロの街の石畳の坂道を駆け上ると、そこに陣取り行く手を阻む魔獣:ワームを切り捨てていく。
更にその先にでは<ヒュン!>と勢いよく触手を繰り出してくるスキュラ。私を捉えたと思ったのだろう。触手の刺さった先に、私はおらずスキュラが「!?」とひるんだ隙に、<スパン!>と一気に急所を切り裂く。あれぐらいのスピードなら、キラの方が全然早い。
一方で背後からマンティコアが恐ろしい爪で、私めがけて切り裂いて来ようものなら、
<ギャァアアァーーー>
アスランの素早い爪が、マンティコアの目に突き立て、そのまま頭部を捻り倒す。
「随分と強くなったな。おまけに息までぴったりとは、恐れ入った。」
こんな時にも関わらず、キサカが愉快そうに剣を振るう。
「だろう?このまま一気に城まで向かうぞ!」
勢いに乗っている今が大事だ。するとアスランが囁いた。
「カガリ…気づいているか?」
「無論だ。」
魔物が確実に私たちの行く先に集まりだしている。倒した魔物からは無論、あの愚者の石の欠片が落ちてきた。欠片を拾いあげ、私は眼前に聳え立つ石造りの堅牢な城を見上げる。
「確実にクルーゼが操っているとしか思えない。」
「あぁ。」
私たちに集めさせた欠片以外に、奴は魔物を操れる術…おそらくある程度の大きさとなる愚者の石の欠片も持っているのだろう。
胸の小瓶に集めた愚者の石の欠片は、アスランの付けている賢者の石の大きさよりも満たない。
力が拮抗するというなら、同じくらいの大きさになるはずだ。
瘴気が魔力を持たない者にも可視化できるようになってきたその前に、大きな鉄柵のついた門が待ち構えていた。
「ここが王城だ。」
キサカの説明に私はその先を見上げていく。
街がこれだけ魔物に襲われているというのに、王城からは兵士も出てくることなく、寧ろひっそりと静まり返っている。
でもラクスとの修行で私にも見えてきた―――王城内から噴き出してくる、どす黒い瘴気の渦が。
(あそこに…クルーゼが!)
どうにかしてこの門を開かなきゃ!と思案し始めたところ
<ギギギギ…>
城門が勝手に開き始めた。
「…要は「ここまで来い」ってことか。」
あれだけ大きな招待状をよこしてくれたんだ。だったらまさかの城門前で帰ります、というわけにもいかない。
「キサカ、皆、大丈夫か?」
「まさか、カガリに心配される日がくるとはな。俺も元・近衛騎士の端くれ。お前の護符のお陰で、ある程度なら城内に巣食う連中を往なすことはできただろうが…その前に招待されていないお客さんが大勢駆けつけてくるようだ。」
キサカが向けた剣の先には、人の匂いを嗅ぎつけた魔物が集まりだしていた。
「俺たちはここで魔物の進行を食い止める。お前たちは先に行け。」
キサカは振り返り、刃を迫りくる魔物の群れに向ける。
私はその背に一言、
「死ぬなよ。」
「無論だ。」
キサカが指を立てる。彼がこうした時は、どんな難局でもちゃんと乗り越えて帰ってきてくれた。
「任せてください、お頭。」
「なぁに、海の怪物に比べりゃ、こいつらなんて虫みたいなもんです!それこそ、大船に乗ったつもりで任せてください!」
手下たちもキサカに負けじと親指を立て、笑顔を見せる。
だったら安心だ。
「行くぞ、アスラン!」
「あぁ!」
私たちは意を決して先へと足を進める。
王宮の玄関までは、魔物も人の気配も何もない。しかし開いた重厚なドアの向こうは、息をするにも厳しい瘴気が漂っていた。
「想像以上に酷いな…」
アスランが珍しく顔を歪ませ、鼻と口を手で押さえる。
鼻のいい彼には、瘴気の濃さが嗅覚からも分かるみたいだ。だがそれ故か立ち込める瘴気の元、つまりはクルーゼの居場所がわかるらしい。
アププリウスの議会場と同じくひっそりとしていて、人気がない。
いや、人気というより…空気も含めてすべてが死んでいる。瘴気は魔物たちにとっての酸素みたいなものだが、人間も酸素が濃すぎると生きていけない。これだけの濃い瘴気は魔物でも生きていけない、ということだ。
大階段を上り、広い廊下を進めば進むほど、更に空気は黒さを増していく。
(こんなところに、本当にクルーゼはいるのか?それに…)
「カガリ。」
アスランが私の前で腕を伸ばし、私の歩みを制する。謁見の間に続く廊下、その手前の部屋で<キィキィ…>と錆びたドアの蝶番の音。その向こうから気配がした。
「おぉ、姫様。よくぞご無事で。」
そうか、ここは宰相の控室。つまりあそこに立っている頭の禿げた中年の男は
「…『ウナト』…?」
「そうです!よく覚えておいでくださいました。ささ、お早くこちらへ!その魔獣は私どもで片付けます故―――」
「魔獣?アスランのことか?」
「当り前じゃないか、カガリィ〜」
アスランを魔獣呼ばわりされたことで不快さを表情に出した私に対し、随分と軽い口調で答えたのは
「…まさか、『ユウナ』?」
「そうだよ〜幼い頃に離れ離れになったとはいえ、婚約者の顔を忘れるなんてさぁ〜僕の方が傷つくよ〜」
ウナトの背後で「やれやれ」とゼスチャーして見せる20代くらいの男。そういえば小さい頃の遊び相手だった気がしたが…そうか、婚約者だったのか。
「カガリに手を出すな。」
今度はアスランが不快さを露にしてユウナを睨む。
ユウナは上から見下げるようにして、アスランを侮蔑する。
「君こそカガリの何だい? そんな中途半端な魔獣なんて、弱弱しい奴がカガリの傍に居るなんて不愉快極まりないね。…まぁ、ここから文字通り「尻尾巻いて逃げていく」んだったら見逃してあげるよ♪ でも立てつくつもりなら…わかるね?」
口角を上げて醜く笑うユウナ。
だがアスランは怯みはしない。寧ろ憐れむようにユウナを見やる。無言の男の戦いは既に火花を散らし始めている。
「一つだけ聞きたい。」
私はアスランの前に一歩進み出でて、ウナトに問う。
「どうしてあの時、お父様を助けなかった?お前が国家転覆を企てて、魔族の出現を利用してお父様を見捨てた、と聞いた。その真意はいかに!?」
私がずっと疑念という心の重しとして抱えてきたものを一気に吐き出す。するとウナトも「やれやれ」と首を横に振った。
「それは…貴女の御父君が悪いのです。」
「何だと…?」
「今や魔族がこの地上の支配者となるのは必然。私はそれを御父君に何度もお伝えしました。ハウメア神とて「魔族と人間が共に生きる世界」を目指していたのです。私の言っていることは至極当然?神の啓示と同じなのです!なのに御父君は、魔族の進行を許さず。故に、神の御使いたる者の指示で、私は魔族を招き、王に神罰を下したまでのこと!」
「その伝承は間違っている!」
私はこの世界の理を知った。今ならわかる。
「魔族の暴挙から人を守るため、神は力を与えてくれた。その力を使って魔族を倒そうとして、お父様は―――神罰なんかじゃない!魔族に利用されたお前たちに殺されたんだ!」
これが10年前の事件の真相―――お父様はハウメア、いや賢者の石の力を使う前に、ウナトたちに殺されてしまったんだ。
悔しい…悲しさと悔しさで、叫びたくなる心を懸命に抑える。
だが、そんな私にウナトは頭を抱えて
「あぁあぁ…お労しい、姫様。城から連れ出され、嘘を教えられ、利用されるなど。…この国を治めるに値する力はなさそうですな。」
「っ!」
悔しさに、唇を噛む私。今すぐにも剣を抜き、飛び掛かりそうになる。が、
「お前たちにも治める力は微塵もなさそうだがな。」
そんな私の心を諫めたのは―――アスラン。
「魔族、いや、クルーゼの口車に見事に騙された上に、国を滅ぼしかけて。…見たことあるか?君たちは城下の街を。もはや国と呼ぶにはほど遠い。」
「君は黙っていろ!ここはオーブ王族の問題だ!」
ユウナが忌々し気に割って入るが、アスランは構わず続ける。
「魔族が支配する世界で、お前たちは本当に生きていけると思っているのか? 奴らの世界はシンプルだ。「食うか食われるか」―――金や地位に全く意味はない。ただ強者に食われていくだけの世界だ。許す許されるもない、理性など通じないしその頭も無いからな。金と欲が生きがいそうなお前たち親子が生きていけると思うか?真っ先に食われて終わり、だな。」
「貴様…」
ユウナが憎々し気に顔を歪ませる。
…いや、歪んでいるのは表情だけじゃない―――口がみるみる裂けて、頭に二本の角が現れ、手足が伸びて、長い尾が生えた先は蛇の頭。
「残念です、姫様。生まれ変わったオーブで、是非ユウナとともにこの国を治めていただこうと願っておりましたのに。我らが傀儡でいてくださいましたら、このような苦痛を味わうこともなかったでしょうに。どうやら貴女は時世を読めない上に頭も悪い。そんな王は必要ございません。いても邪魔なだけ。ならば、消えていただくしかございませんな。先王同様に。」
台詞を吐くだけ吐き終わると、ウナトもその身体が変わっていく。口から牙が現れ、炎を吐き出し、手には鋭い爪。しかもユウナの変化に合わせて、二人の身体が繋がる。
《グォオオオオオオオオオ!》
獅子と山羊の双頭と尾の蛇。体躯は4,5mあろうか。
「『キマイラ』だ。」
アスランが悲しそうにその巨体を見上げる。
「彼らは既に死んでいたんだ。多分、アスハ王が倒された時と同じ時に。クルーゼにそそのかされ、城に招いた時に、彼らの命運は尽きていたんだ。」
「そんな…」
《コロス…クイコロス!》
獅子頭が一気に炎を吐き出す。私とアスランは瞬時に部屋の両端に身をひるがえし、炎をかわした。
すかさず大きな爪が私に向かって襲い掛かる。
「―――っ!」
間一髪、避け切れた。キラに教わった素早い動きの魔族に対するかわし方。よかった、修行を受けてきて。
一方山羊頭は執拗にアスランに蹄を伸ばして、叩き殺そうとする。
「―――くっ!」
プリスターを切り裂くほどの力を持つアスランだ。ユウナ、いや山羊頭ごときの攻撃は聞かないだろうと思っていたが、
「大丈夫か?アスラン。」
「大丈夫―――と言いたいところだが、プリスターの様に動きが緩慢ではない分、捕えづらい。」
アスランの爪も、私の剣も近接戦闘向きだ。しかし炎を吐くキマイラに近づくのは難しい。私は腰につけていた銃を取り出し、
<パンパーン!>
でかい図体な分だけ的はデカいが、効いている様子がない。
「アスラン!キマイラの急所って知っているか!?」
「わからない。何しろ双頭だ。一方だけ倒してももう一方が生きていたら、やがて倒された方も蘇生する可能性がある。加えて火に対抗しても今度はあの蛇頭だ。あっちは氷を吐き出す。あの尻尾の再生能力は双頭に比べて低いが、それでも時間がかかっては難しい。」
「なら、どうすりゃいいんだよ!?」
《グォオオオオオオオオ!!》
形成有利と見たのか、キマイラが私に向かってきた。
「くそっ!」
私の方が弱いと見切ったのだろう。二人いては鬱陶しいから、一人ずつ倒していくつもりのようだ。
(悔しい!)
あれだけ修行を積んできたけど、やはり魔族に比べたら、私の力なんて非力だ。攻撃を加えるどころか、傷一つ付けられやしないなんて。
すると
「カガリ、クサナギの砲台の射程範囲はどのくらいだ!?」
アスランがいきなり質問してきた。
「物によるが、十数キロまでは届くぞ。」
「なら、暫くそいつを頼む!」
「え?え?「頼む」って、お前―――わっ!!」
いきなり何を思ったのか、窓をかち割って、ベランダに飛び出るアスラン。
《ニゲルキカ?アワレダナ》
キマイラがあざ笑う。獅子と山羊ってあんな風に笑うんだ…とか感心している場合ではない!
でも、アスランは、人より何十手先を読む頭脳を供えている。悔しいけれど、クサナギにいる間、戦闘時に散々思い知らされた。だからこそ―――味方になったときは、絶対に頼れるんだ!
「私は逃げない!お前らのうち、一人でも一緒にあの世へ連れて行って、お父様に詫びを入れさせてやるからな!」
《ハッ、コムスメガァアアアア!》
やっぱり笑いながら、私を追いかけてくる。さっきよりキマイラのスピードが落ちているのは、疲れからじゃない。多分私で遊んでいるんだ。まるで無抵抗の虫に位しか思えないんだろう。
(構わない。それならせいぜい蟲らしく、私に釣られて見せろ!)
「こっちだ!」
ワザと奴の腹下に入り込んで銃を打ち込む。それでもやはり毛皮が厚いのか、傷を負った様子はない。
《ドコマデニゲルツモリカナ?》
ゆっくりゆっくり私を追い詰めていくキマイラ。その時、
<チカッ、チカチカ、チカチカ、チカッ>
沖の方から光がキラキラと届く。海の波の反射にも似たそれを、私は直ぐに理解した。
「さぁ、こっちへ来い!」
そう言って、アスランが先ほど穴をあけたベランダに向かって私も走る。
キマイラは猛然と追ってくる。と―――
「今だ!」
アスランが、割れた窓ガラスの破片で僅かな光を集める。すると
<ドン、ドォオオオオオオン!ヒュルルルルルル>
《グオッ!》
二発の砲弾が、キマイラの獅子頭と山羊頭に向かって飛んできた。何が起こったのかわからず、敵に向かう本能で、炎を吐き出そうと大口開けたのが運の尽き。
《モゴッ!ゴホッ!ゴモモッ!!》
双頭のそれぞれの口から喉奥へ、鉛の砲弾が詰まった。
《ゴホッ!グモモッ!》
慌てる二匹には何が起こったのか分かっていない。アスランが壊した窓ガラスの破片を使って、クサナギにいわゆる船舶信号灯を送ったのだ。『この位置に砲弾を二発撃て』、と。
流石はアマギ、百発百中の腕は訛っていないらしい。
「これなら炎を吐き出せないだろう?」
アスランが血の滴る蛇頭を抱えて戻ってきた。しかしキマイラは尾っぽが引きちぎられたことすら気づかないほど慌てている。
終いに
《ゴォオオ…》
大口の奥から僅かに見える灼熱の炎。
「お前たちに二つ、選択肢をやる。一つはこのまま俺たちにその首を落とされるか、そして、もう一つは―――」
そう言いかけたアスランの目の前で、獅子頭が憎々し気に炎を吐く。だがアスランは身動き一つしない。先ほど見せた悲しげな表情を湛えたまま、キマイラを見つめている。
そして
《ゴォオオオオオーーードンッ!ギャァアアアアア……》
喉が塞がれたままの獅子頭は、まるで銃の暴発のように、身体の中で爆発を起こし、山羊頭共々自ら燃え尽きた…。
「…自分で炎に焼かれるか、どちらかを選ばせてやる、って言おうとしたんだが…」
「先に選んじゃったみたいだな。」
灰となった身体は、ベランダから流れ込んでくる海風によって、あっという間に散っていった。紫水晶の、あの愚者の石の欠片を2個残したまま。
跪いて欠片を拾い、私は少し祈る。
どこか朧気に残っている、父と一緒にいた少し太ったおじさんに見守られながら、その泣き虫の息子が私と追いかけっこをしていたあの日…
どうか今度こそ、魂が迷わずハウメアの元に辿り着きますように。
「カガリ…」
「ううん、行こう。」
私は再び立ち上がる。
そして、この安らかな地に災いを齎した根源たるその男の元へ、私とアスランは、最後の一歩を踏み出した。
・・・to be Continued.