(一体、ここは何処だ?)

気づけば足元も天井ともつかない真っ暗な空間。

アスランは不安に駆られながらも瞬時、警戒し周囲を観察する。

アカデミーを卒業して、クルーゼ隊に配属。ついにヘリオポリスで実戦に参加。そこで同室のラスティが早々に命を落とした。

あの緊張感がこうした夢を見せているのではないだろうか。

咄嗟に状況判断し、自身のメンタリティも含めて理解する。

いや、彼のことだけではない。

(キラ・・・)

唯一無二の友人が、まさか敵の、しかもMSのパイロットとして再会することになってしまうなんて。

どうしていいかわからない、この戸惑いが、こんな暗闇を作り出したのだろう。

そう自分を言い聞かせた時だった。

 

―――「お前はもうすぐ出会うよ。ファム・ファタールに。」―――

 

「誰だっ!?」

背後から急にかけられた声に、アスランはホルスターから神業の如き速さで銃を抜き構える。

迂闊だった。というより、自分が背後を取られるなんて、どれだけ気を抜いていたのか。

だが振り返った瞬間驚いた。

目の前にいるのは全身黒のコートに身を包んだ男―――しかもマスカレードの仮面を付けて、口元以外は表情が全く見えない。両目も仮面のせいか瞳が覗けない。

 

口元がどこかおかしそうに緩む男を見て、アスランは小馬鹿にされたような悔しさに、唇を噛み締め銃口を突き付ける。

だが、仮面の男は銃など目に入らないように、その口元は涼し気だ。

 

―――「そのうち分かる。俺が誰なのか。そして今の言葉の意味も。」―――

 

やがて軽やかに背後へとジャンプするようにして消えていく。

「待て!説明しろ!」

走って男を追うが、消えていく彼のスピードは速い。

自分でこれは夢だと理解したのに、必死に追いつこうとする。

「おい、待て!お―――」

 

 

「―――スラン。アスラン!起きてください!」

「・・・ニコル・・・?」

「はぁ〜ようやく目が覚めたみたいですね。結構うなされていたんでびっくりしましたよ。」

目の前ではニコルが肩で大きく一息ついた後、苦笑した。アスランは慌てて姿勢を正してシートに座り直す。

キラたち足つきと激しい戦闘を繰り返し、そして弁明のためにクルーゼ隊長と一度プラントに戻り、今度は直ぐにイザークたちを追って地球への降下命令だ。身体はともかく、想像以上に精神的な疲労が溜まっていたようだ。

「すまない。今どのあたりだ?」

「現在地球への降下は成功。今シャトルはジブラルタルに向かっています。もう間もなく着きますよ。」

ニコルがアスランから視線を外しながら指をさした先には、今まで見た経験のない、真っ青な空と海が瞳の中に飛び込んできた。

 

 

「全く、”ザラ隊”とはね。」

再会したイザークとディアッカは、今までにも見たことがないほど厳しい視線を向けてきた。

いつもの嫌がらせではない。明らかに死線を潜り抜けてきた凄みがあった。

クルーゼ隊長より、アスランを隊長としてアークエンジェルとストライクを攻撃、破壊を命じられた。

(キラを討たなければいけないのか。しかも隊長として。)

クルーゼ隊長はどういう意図で自分を隊長なんかに任命したのだろう。

あの仮面の下で、彼は何を考えているのか。

 

(仮面・・・?)

 

―――「お前はもうすぐ出会うよ。」―――

 

マスカレードの仮面をつけた男の言葉を、形のよい唇が紡ぐ。

「―――ファム・ファタールに。」

「?何かいいましたか?アスラン。」

ニコルが振り向く。すると無意識のつぶやきを聞かれていたのか、ディアッカがどこか馬鹿にするように口角を上げていた。

だが、ディアッカのことなど眼中に入らず、アスランは隣にいたニコルに問うた。

「なぁニコル。”ファム・ファタール”って何だ?」

するとニコルはいきなり目を白黒させていた。こんな表情をするニコルなど見たことが無かったので、アスランは驚き、失言したのかと不安を覚える。

「何か悪いことでも言ったのか?俺は。」

「え、いいえ、違いますよ。まさかアスランの口からそんな女性の話が出るなんて、と思いまして。」

「女性の名前なのか?聞いたことないが。」

真面目に問われて、ニコルが少しばかりの苦笑を混ぜつつ説明してくれる。

「違いますよ。”ファム・ファタール”というのは「運命の女」という意味です。」

「運命の・・・女?」

自分で口にしながら、アスランは訝しむ。

何しろ自分の運命の女性はラクスだ。生まれながらに婚姻統制で決められた許嫁。それでも普通に彼女を受け入れている以上、彼女が運命の女であることに変わりはないのだが。

すると、可笑しそうにニコルの背の向こうでディアッカが腹を抱えて笑い出した。

それを見て、今度はアスラン以上に不快感を示したニコルが珍しくディアッカを睨みつけている。

「何がおかしいんです、ディアッカ。人の話を立ち聞きした挙句笑うなんて失礼ですよ。」

一つ年下ながら、ニコルはきちっと儀礼は重んじる。だがディアッカはまだどこか悪笑を貼りつけながら言った。

「だってよ。あの天下のラクス様が婚約者のアスランに「運命の女がいる」、なんてさ。両親ともプラント評議会のご大家だっていうのに、そんな女が現れたら面白いことになるじゃん?」

「ディアッカ!」

ニコルが立ち上がり怒ってくれるが、アスラン自身はキョトンとして答える。

「だから、運命の女性とはラクスのことだろう?」

だがディアッカは更に面白がるように上から言ってのけた。

「お前、本当に知らないのな。ファム・ファタールっていうのは、「運命を狂わせる悪女」っていう意味もあるんだぜ。」

それを聞いた瞬間、サッとアスランの表情が変わる。

幼い頃からずっと、両親に迷惑をかけたくない―――だからこそ、常に学校でもアカデミーでも首席をキープし、ラクスのこともそれなりに大事にしてきた。彼女のつかみどころのなさに自信が持てない時もあったが、それでも彼女は何時も喜んでハロを受け取ってくれた。

(そんな安定した未来の構図を、現れた悪女が狂わせる、だと・・・?)

アスランは直ぐに口を開いた。

「安心してくれ。俺は人の人生を狂わせるような悪意を持った女に近づくことも、受け入れることもない。」

立ち上がってキッパリと一睨みディアッカに投げつけると、彼はまだ下卑た笑いを含めながら退散した。きっとイザークに伝え、二人で馬鹿にする話のネタにでもするつもりなのだろう。

彼の背を侮蔑の視線で見送っていると、ニコルが横からとりなした。

「大丈夫ですよ。アスランはしっかりされていますし、それに、こういっては失礼ですが、そこまで色ごとに興味はなさそうですし。ラクス様を悲しませることはしないと信じていますから。」

「ありがとう、ニコル。」

ようやく心を落ち着けた瞬間、待機室に内線が入った。

<すまない。イージスの輸送機だけエンジントラブルが起きて、現在調査中だ。カーペンタリアへの輸送は君だけ遅れることになりそうだが。>

「大丈夫です。他の三人だけ、先に輸送をお願いします。」

そう言ってスイッチを切ると、ニコルがすまなそうに

「良いんですか?でしたら僕が残りますよ?」

「いや、隊の皆を無事に送り届けるのも隊長の役目だ。そのくらいさせてくれ。」

「了解しました。ではお先に。」

そう言ってニコルは軽い敬礼をし、搭乗口へと急ぐ。

 

そして、運命はそんな俺をあざ笑う。

 

あのマスカレードの男が言ったことは、現実となった。

インド洋上にて突然現れた敵戦闘機。

輸送機の被弾によりパージされ、不時着した島に現れたのは、一人の少女。

最初は敵と思い刃を向け、しかし連合軍所属でもないのに兵士の真似事をして、変な奴だと呆れる一方、持論を戦い合わせ、そこで戦争というものに、疑念という名の波紋が広がった。

呆れるほど無邪気で、勝ち気で、明るい少女。

何時しか自分のペースは見事に崩されている。

 

「カガリだ!お前は?」

「・・・アスラン。」

 

最後に教え合った互いの名。

 

カガリ―――彼女との出会いが、俺の人生を大きく変えていった。

 

 

紆余曲折を経て、アークエンジェル、クサナギ、エターナルが同じ目的で第三勢力として滅ぼし合う世界を止める。

(何とかして父の愚行を止めなければ。)

一人思い悩み続ける。この命に代えても成さねばならないと思っていた。

孤独の戦い―――ザフトでキラとの戦いを迷っていたあの頃以上に自身を追い込む一方で、何故か自分の心が潰れていないことに気づく。

キラを殺したと思った時の、あの崩壊し砂塵の如く吹き飛ばされそうだった俺を、かき集めるようにして守り、叱責してくれた彼女。

両親のためにも婚約者のためにも優秀であれ・・・そう取り繕っていた偽りの心の殻を割り、その中に暖かくも強い意志を注いでくれた。

この時はもう、俺の心の中にはカガリの存在が無自覚に大きくなっていた。

彼女の姿を見、声を聴き、そしてあの金眼に捕らえられた時の心の高鳴りが抑えられない。

しかし、それでも不器用な俺は、父を亡くして悲しむ彼女を支えてあげたいのに、どうしていいのかわからない。

(いつの間に、俺はこんな男になってしまったのか)

ラクスにでさえ、儀礼的ながらも愛情を向けていた。だが、カガリは違う。心の底から彼女の一挙手一投足、その表情、その言葉に救われ、安心し、時には不安で心が?き立てられてしまう。

そんな時、ふとAAでバスターの調整をしていたディアッカと遭遇した。

「しかしお前も凄く変わったな。」

心の底から感心したように、そういうディアッカには、あの頃のような皮肉屋な様子はない。本当に心から驚いているようだ。

「そうか?俺は変わっていないよ。変わったとしたら、自分がこの先をどうしたいのか、自分で考えて選んだということくらいかな。」

親に心配をかけたくなく、寂しい心を奥底に押し込んで、成績優秀、親が喜ぶであろう道を進んできた俺が、自ら用意されていたレールから離れたのだ。それだけでもディアッカには大きな違いに見えたのだろうか。それを言うならディアッカも相当変わったと思うが。

だがディアッカはまた笑いを張り付かせた。だがあの時とは違う、何処か、本当に友人として喜んでいるような笑みだ。

「いやいや。お前さん、本当に変わったぜ。やっぱりあの姫さんのお陰だろうな。それこそ“ファム・ファタール”だな。」

一人そう言ってウンウンと頷く彼。

「カガリが?」

俺はたちまち怒りに火が付く。気づけば目を吊り上げ、あの時以上に大声で彼を非難した。

「彼女は悪女なんかじゃない!俺の幾度となく潰れそうになった心を、彼女は支えてくれたんだ!」

自分でも信じられないほど憤慨する。ここまで声を荒げることなど、キラやニコルのこと以外で無かったのに。

するとディアッカは両手を上げ、慌てて真剣に言ってきた。

「違うって!悪女、じゃなくてさ。“運命を狂わせる女”って前に言ったことあっただろ?・・・つまりさ。お前が今までザフトで親のいいなりになって戦ってきたことが、もし悪い運命だったとしたら、それを狂わせた―――つまり、逆にいい方向に導いてくれた女ってことにならないか?」

「あ・・・」

自然と目が見開く。

 

(―――「殺されたから殺して、殺したから殺されて。それで最後は本当に平和になるのかよ!?」)

(―――「お前、頭ハツカネズミになっていないか?」)

(―――「お父さんのことも諦めるな。生きているんだから、また会って話をすれば―――」)

 

心の中にずっと芽生えていた疑問、苦しみ、悲しみ・・・彼女は全部受け入れ、そして一緒に考え、歩んでくれた。

自分たった一人で苦しんでいた世界から、彼女は手を取り、救い出してくれたんだ。

 

俺の運命を変えてくれた。

命を投げ出すのではなく、生きる意志を与えてくれた。

 

そう、俺だけの、ファム・ファタール―――

 

 

 

 

 

「・・・ん…」

翡翠の瞳が月あかりを受け、コバルトの部屋に淡く輝く。

(珍しいな、あのころの夢を見るなんて。)

 

テラスからレースのカーテンを揺らし、囁くような潮の香りの混じる風が舞い込む。

そして、アスランの頬を掠める様に撫ぜる金の糸。

悲しみしかなかった戦場で、唯一見つけた宝石のようなただ一つの大事なもの。

裸の腕を伸ばし、寄り添う彼女をもう一度抱きすくめる。

 

今ならわかる。

あの時のマスカレードの仮面をつけた男は、未来の、つまりは今の俺だったんだ。

未来から、あの時命を投げ出しかねない俺に、希望という名の運命がもうじきやってくることを伝えようとしていたんだ。

 

この、腕の中のファム・ファタールを。

 

「う・・・ん…アスラン?起きてたのか?」

腕の中の彼女がモソモソと顔を上げた。まだどこか重たそうな瞼で見上げてくるそれは、すっかり大人びて美しくなった今でも、どこかあの頃のあどけなさがあって、俺は自然と口角を上げてしまう。そっと彼女の柔らかな後れ毛を指の背で払いながら、そのままその頬を撫ぜる。

「すまない。起こしたか?ちょっと昔の夢を見て、ね。」

「昔の?」

そう言ったカガリの眉尻が下がる。

過去の歴史は俺にとっては苦痛ばかりだ。カガリはそれを知って不安になったのだろう。

「大丈夫だ。凄く良い夢だったから。」

心の底から思う。するとカガリが興味を示したように、金眼で俺を見上げてくる。

「へ〜どんな夢だ?」

「そうだな・・・長くなるから明日聞かせてあげるよ。」

「今だっていいじゃないか。」

「いや、明日は君も俺も朝が早いんだから、今はちゃんと寝ること。いいな?」

そう言ってつい口元を緩めてしまう。彼女から甘えて来られることが嬉しくって、つい甘い声で諭してしまう。すると可愛い頬が不満げに膨らんだ。

「お前、何時から私の保護者になったんだよ・・・」

「保護者じゃないけど…でも保護者だな。」

「どういう意味っていうか、どっちなんだよ!?」

怒って剥れるカガリの頭を撫ぜながら、自分の胸に頭ごと収める。

暫くモゴモゴと暴れてくれるが、この腕の中に閉じ込めてしまえば、もはや彼女に勝ち目はない。

「全く、お前は都合悪くなると、直ぐ誤魔化すんだから・・・」

降参したのか、大人しくなりながらもブツブツ文句を言うカガリ。寝かせるためにはもう一度、激しく求めて啼かせた方がいいだろうか。

数時間前の熱い情交と、彼女のあえかな嬌声を思い出すと、自然と身体が熱くなってくる。

だが油断した。その滑らかな背を撫ぜている間に、彼女はたちまち再び眠りに落ちてしまった。

「・・・残念。」

そういえる自分に思わず苦笑しながら、その柔らかな赤い唇にそっと自分のそれを重ねる。

 

なぁ、あの日の俺。

お前はもうすぐ出会うよ。

お前の価値観も、世界も、全て狂わせ・・・いや、導く、俺だけのファム・ファタールに。

 

 

そう告げに行くために、アスランはもう一度その翡翠の窓をそっと閉じるのだった。

 

 

 

・・・Fin.