―――それは、奇跡だった―――
多くの人の命を手にかけ、それでも「戦争を終わらせる」という大義名分の元、罪を重ねた俺には償いが必要だった。
父の仕掛けたジェネシス。それを止めなければ、更に罪もない人々の命が奪われてしまう。
撃てば地球はもう、ナチュラル、いや、生命は暮らしていけないだろう。
そして、コーディネーターもまた、種を残せない、この先にあるものは滅亡だけ。
母を失い、今また亡骸となった父…俺にはもう家族もいない、誰もいない。
だったら、この命はせめて今生きる人たちの命を繋ぐ為に使おう。
だから、惜しいとも思わなかった。
いや、キラを撃とうとした時点で、俺は既に自分が壊れかけていた。この壊れかけの心の一端、少しでも人間らしい心を維持していたからこそ、今ここまで、ジェネシスの心臓部までやってくることができた。
まだ心のどこかに燻ぶる想い…彼女の、笑顔。
あの笑顔を守ってやりたい。彼女の愛する国を守れば、きっとまた彼女は笑うことができる日がくる。
その傍らで、見たかった。一番近くで見つめていたかった。
懺悔と後悔。
戦い抜いて、それで結局この手には何も残らなかった。
一体何のための戦いだったのか。そして俺の人生もまた…
哀れな俺を悼んだのだろうか。
神が一つだけ、奇跡をくれた。
―――「アスラン!ダメだ、お前、逃げるな!」
これが「死んじゃダメだ」というありきたりな言葉だったら、俺の心には何も響かなかったかもしれない。
だが神が遣わした女神は、俺の心の脆さなど見抜いていた。死神に差し出していた俺の手を、無理やりつかんで引きずり出した。
―――「生きる方が、戦いだ!」
「…ぁ…」
瞼に薄っすらと感じた光に目をゆっくりと開けば、そこには見慣れた白天井。
何処からともなく小鳥たちの忙しない囀り以外、何も聞こえない。
あの砲火は夢だったのか。
久しぶりだな、あの時を夢に見る、なんて。
あれからもう10年以上の時が過ぎたというのに、まだこうして夢に見るというのは、何かの啓示だろうか。
ベッドから抜け出し、着替えて両開きの窓を全開にする。
何処までも青い空と一面に広がる静かな海。
天の女神と地の女神―――プラントではラクス、そして地球は、ここオーブの代表たるカガリが中心となって、今はあの頃が嘘のように穏やかな世界が続いている。
一度オーブを抜けた俺に、この国に居場所はあるだろうか…もはや身の置き所にすら困っている俺を、ここオーブは受け入れてくれた。
―――「何を遠慮なんかしているんだ。お前はネオジェネシスの脅威から、この国を救ってくれたんだぞ。もっと堂々としろよ!」
あの時から随分と大人びた笑顔で、彼女は変わらず俺に笑顔と居場所を与えてくれた。
その彼女の力になりたい。プラントに戻らず所縁の無いこの地に来て、彼女のためにこの命を捧げる。あの時の願いが叶ったのだが、人間とは強欲だ。それ以上の願いが欲しくなった。
―――「カガリ、俺と結婚してください。」
彼女を独占したい。なんて欲望だ。到底許される事ではないだろう。
だが、緊張でビクつく俺に、彼女はそっとその両手で俺の頬を包んで言った。
―――「ようやく、素直になれたな。」
そうしてニッコリと笑う。その眼尻には光るもの。そして
―――「私を、お前の家族にしてくれないか?」
―――「カガリ…」
生きる意味を失っていた俺に、守るべきものを与えてくれた。
この時ほど、神に感謝したことはない。
なぁ、聞こえるか?あの時命を断とうとしていた俺…
辛い最中を生き抜けばきっと、大きな幸せがお前に待っている―――
「はー…」
風の音が心地いい。
ひとしきり夢の中の自分に思いをはせた後、ダイニングに向かえば、現実世界にようやく引き戻される。
「あー、アスラン…おはよー…」
ダイニングのテーブルでは、カガリが突っ伏していた顔を上げて、力なく俺に手を振っている。
「どうしたんだ、カガリ?具合でも悪いのか?」
「んー、具合は悪くないぞ。ただ…眠い、というか…だるい…」
慌てて彼女の顔を引き上げ、額を付ける。
「ちょ///アスラン、朝からいきなり―――」
「今更驚くことないだろう?夫婦なんだし。…とりあえず熱はなさそうだな。でも…」
見るからに顔色が悪い。いつもだったらしっかりとボリュームのある朝食を摂るのに、今朝は100%のオレンジジュースとヨーグルト、軽いものしか口にしていないようだ。
「まさか、また貫徹で仕事していたのか?」
俺は呆れる。カガリは一度「こう!」と決めたら、最後まで何が何でもやりきる性質だ。難易度の高い仕事がくると、摂るものも摂らず朝まで一人机に向かいきり、ということもざらではない。
「全く、君は…無理はしないでくれ。」
「でも―――」
「国のことも大事だが、俺には…俺にはもう、カガリしかいないんだ。」
「アスラン…」
俺の両手にそっと彼女が上から手を添えてくれる。温かい…今大事な人が生きてくれている、その証拠だ。
「お前は心配性だな。」
クスリと微笑む彼女が、ようやくしっかりと居住まいを正した。
「私は今から登庁するが、お前はしっかり朝食摂れよ。」
「俺は元気だからしっかりいただいていくよ。」
そういう矢先に、マーナさんが俺の目の前に紅茶を入れて置いてくれた。
「カガリ、気を付けて。無理はするなよ。体調悪かったら、侍従医に見てもらって―――」
「はいはい、准将は心配性だな。オーブ海域に不審者が近づいたって表情一つ変えないくせに。」
カガリは苦笑するが、俺はいたって真剣だ。その手の輩なら、俺がインジャスでさっさと退けられるが、カガリの身体のことは俺には何もしてやれない。だからこそ余計に心配で、こうしてつい口に出してしまう。
そんな俺を知り前に、
「―――あ、そうそう。お前、今日帰りは通常か?」
思いついたように振り向きざまに問う彼女。俺は頷く。
「あぁ、今日は特に演習や艦隊勤務はないから、内勤だけの予定だ。それが何か?」
「いや、その/// ちょっとした事があってな。」
「「ちょっとした事」?」
「帰ってきてから話す!じゃぁ、お前も気を付けて行けよ!」
表情は明るいものの、まだ肌に生気が戻らないまま、カガリは迎えの車に乗り込んでいった。
***
今日も特にエマージェンシーは無し。
おかげで軍司令本部も静かなものだ。
ま、宇宙にはキラとストライクフリーダムにZAFTがいるし、ここには俺とインフィニットジャスティスはじめ、オーブ軍精鋭部隊がいる。そう簡単に戦闘を仕掛けてくるような輩は、現在この地にはいないだろう。ブルーコスモスでさえ、盟主アズラエルと当主ジブリールを失ってからはもはや実態は無いに等しい。
いつも通り退勤しようとして思い返す。
「そういえば、ちょっとした事って何だろう…?」
いつも以上に早く帰ってカガリの顔が見たい。彼女の謎かけが何なのか、楽しみで仕方がない。
さっさと荷物を鞄に詰め込んでいると
「あの、ザラ准将。」
下士官の女性と男性が二人並んでやってきた。
「何か?不測の事態でもあったのか?」
「いえ、そうではなく…」
二人揃って両手を振る、そして
「本日のことは、ご存じですよね?」
「…は?」
俺は記憶を懸命に振り返る。
何か予定を見落としていただろうか?真剣に悩む俺に、二人は顔を見合わせると、笑って言った。
「お誕生日、おめでとうございます!」
そう言って差し出された花束に、これはビンテージのシャルドネ。
「え…?あ…」
「まさか、ご自身の誕生日、忘れられたわけじゃないですよね?」
女性士官に覗き込まれて、一瞬ひるむ。
「…忘れてた…」
「え〜〜!?」
「まさか、准将が物忘れするなんて…」
そう言われても、もはや誕生日パーティーをしてもらうような立場でもないし、プレゼントを期待する年齢でもない。なのでしっかりと自分の記憶からデリートされていた。
あ、無論カガリの誕生日は覚えている。
「いや、その…ありがとう…」
カガリ以外で祝ってくれる人がいるなど、思いもよらなかったため、困惑しつつ、それでも薫り高い花束を受け取った。
すると男性士官がこう口添えた。
「意外でしたが…なんか嬉しいです。」
「嬉しいのは俺だよ。ありがとう二人とも。」
「いえ、嬉しかったのは、准将がその…なんというか、「普通の人」に感じて…」
「俺は普通の人間だが…」
「そうじゃないです。一度戦場を駆ければ無敵のエースパイロット。そして知略に通じたわがオーブ軍の知将と名高い准将に、俺達みたいな凡人には隙なんか見せないと思っていたんですが、なんか、こう身近に感じられて…――ってすいません!」
そうか、そんな風に見られていたのか。
いや、そうではないな。
俺自身が距離をとっていたんだ。
オーブに弓を引くZAFTに復隊したこともある。カガリたちに銃口を向けた元ZAFT上がりの俺に、ここに居場所はあるのだろうか、とずっと引け目を感じていたこともある。極力見せないようにしていたつもりだが…どうやらカガリだけでなく、皆に見抜かれていたらしい。
「それにですね、実はこれ―――」
男性士官がシャルドネの瓶を差し出した。
「准将の奥様…つまり代表からの差し入れなんです。「アスランの誕生日をみんなも祝ってやってくれないか?」って。」
「カガリが…?」
「はい、「軍たるもの、信頼関係が大事だからって、アイツに教えてやってくれ」、と言われまして。」
また君か。
どうして君はこう、簡単に俺の見えない壁を取り払ってくれるのだろう。
「さぁ、准将こちらへ。みんな待っていますよ。」
「え?「みんな」??」
そう言って手を引かれるまま、会議室に入れば
<パーン!パパーン!>
「「「ザラ准将、お誕生日おめでとうございます!」」」
クラッカーの紙吹雪が、遅れて頭に降りかかる。
「今日、非番の連中で用意したんですが、いかがですか?」
「まぁ、ちょっと殺風景ではありますけれど、気合だけは入れましたので。」
見れば簡単だがオードブルに、ケーキまできちんと用意されている。
「…まさかと思うが、勤務時間内に準備していたわけじゃないだろうな?」
淡々と言って見渡せば、あっという間に全員の顔色が蒼くなってしまった。
どうにも俺は規律に厳しい、と言う噂が流れているようだ。
「ぷ、あははは。」
あまりの正直な反応に、思わず笑ってしまう。
「ザ、ザラ准将が…」
「笑ってる…」
今度は全員あんぐりと口を開けっぱなしのままになってしまった。
俺はおどけて見せつつ口角を上げる。
「冗談だ。…まさか、こんな風に祝ってくれる人がいてくれるなんて、嬉しいよ。」
「本当ですか?よかった〜!」
「みんな本当はもっとお近づきになりたいんですよ。だって「オーブを救った英雄」なんですから、私たち鼻が高いです!」
「そんな、「英雄」なんて、大げさな―――」
「大げさじゃないです!」
女性下士官がビシッと言ってのけた。
「カガリ様は私たちにいつも家族のように接してくださいます。国民はみんな私の家族だと、口癖のように…こうして共に家族を守ってくださる准将も、私たちの大事な家族です。」
そう言って、先ほどのシャルドネを傾けてくれる。
家族…
そうか、もうずっと「失ったもの」だと思い込んでいた。
カガリはもちろん、アスハ家の皆も大事な家族だが、「血の繋がり」はない。
でも、そんなもの、必要ないことを、カガリは何度も何度も俺に伝えてくれていた。
温かい場所―――
形はどうであれ、これが今の俺の大事な場所なんだ。
いつもだったら軍令部でアルコールを見つけたら、速攻始末書提出を言いつけるところだが、ささやかでも、こうして誕生日を祝い、囲んでくれるのは一体何時ぶりだろう。
ようやく認められた気がして、俺は自然と微笑んで、グラスを受け取った。
「ありがとう、皆。」
***
「しまった、もうこんな時間か…」
パーティーから数時間後。程よい酔いの中で、俺は家路を急ぐ。
コーディネーター故、アルコールにはそれなりに強い。一応遠慮しつつ口にしていたのだが、俺に何とか飲ませようと、かえって皆が躍起になって飲みだすので、気が付けば、
(―――「じゅ〜んひょ〜、もういっぱい、いきまひょ〜♪」)
(―――「ぜんぜんよってないらないれすか〜。わらひもいけますよ〜♪」)
と周囲が完全に酔っ払い、主賓の俺が前後不覚者を官舎に連れて帰る羽目になってしまった。
おかげですっかり時間は遅くなっている。
「ただいま戻りました。」
「お帰りなさいませ、アスラン様。」
マーナさんが恭しく頭を下げる。
「あの、カガリは?」
「はい、もうお戻りになられていらっしゃいますよ。今は自室で横になられていらっしゃいます。」
「横に…」
今朝の彼女を思い出す。元気はあるものの、随分と眠そうで食欲はなかった。
「体調は!?急に具合が悪くなったりとかはしていませんでしたか!?」
「あ、はい。侍従医にも見ていただきましたが、特に問題はない、と。」
マーナさんまでケロっとした様子なのを見る限り、病気ではなさそうだ。
(―――「いや、その/// ちょっとした事があってな。」)
今朝、彼女は何やら俺に言いたいことがありそうだった。
もしかして…徹夜で誕生日のプレゼントを用意していた、とか?
ありえなくはない…ただでさえ彼女が自由に使える時間は少ない。毎日徹夜で何か作っていたとしたら…(しかも特級に不器用だし、時間はかかる。戦闘力は俺から見ても上級なのに、なぜか手先だけはどうにもならない)
でも、それはそれでおかしい。
通常通り彼女も帰宅できたのなら、今宵はアスハ邸で一緒に過ごす、というのが普通の流れだ。なのに彼女は今日、わざわざ軍令部の仲間内に俺との時間をセッティングし、差し入れまでしている。
(どういうことだ…?)
心配が募ったまま、彼女の部屋をノックすれば、気だるげに「どうぞ…」と呼ばれ、俺は慌てて彼女を見舞った。
「大丈夫なのか!?カガリ。」
ベッドに横たわる彼女の傍に駆け付ければ、眠い目をこするようにしてカガリが起き上がる。
「え?大丈夫って、別に何もないけれど…」
キョトンとした表情。だが、普段が普段だけに、彼女の体調が思わしくないのは流石の俺にも分かる。
「本当に?熱は…なさそうだが…」
慌ててまた額をくっつける。ちょっと微熱があるだろうか。彼女を寝かせようと誘うが、カガリは首を振った。
「本当に大丈夫だ。それより、皆とは楽しんでこられたか?」
「あぁ。久しぶりに君の前以外で笑った気がするよ。カガリの差し入れもあって、おかげでみんなの方が先に酔いつぶれたよ。」
「そうか。流石はコーディネーターにつき合わせたら、そりゃナチュラルは深酒になるな。」
そう言って笑うカガリ。
でも―――
「どうせなら、君とも一緒に飲んで祝いたかったな…」
この歳にして我儘を言うなんて。やはり酔ったせいもあるのか、気が大きくなって、ついカガリには甘えたくなる。ベッド端に腰かけ、彼女の髪を、頬を、存分に撫ぜる。
すると、カガリは白磁のようだった顔色が、一気に赤くなって、モジモジと話し出した。
「ん〜…実は、な。その…飲めなくなっちゃったんだ。」
「え?」
やはりどこか具合が悪いのか?
だが、カガリは撫ぜていた俺の手を、そっと取ると―――
彼女の下腹部に、そっと当てた。
「…カガリ?」
「誕生日、おめでとう。アスラン。…私からの誕生日プレゼントは『新しい家族』だ。」
「それって―――」
「2か月に入ったところだってさ。」
そう囁く彼女の表情は、みるみる母親のそれへと変わっていく。
どうしよう、言葉が…でない…
「まさか…」
「お前は二世代目のコーディネーターだろ?正直できるかどうかは、かなり難しいって聞いていて、覚悟はしていたんだけど、その「まさか」が起きたんだ。その、なんていうかさ、」
彼女は俺に満面の笑顔でこういった。
「『奇跡』ってあるんだな!」
「―――カガリ!」
「うわっ!いきなり抱きつくなよ!びっくりするじゃないか。」
そう言って笑いながら俺の背を撫ぜる手が温かくて、愛おしい。
本当だ、奇跡はいくつもやってくる
あの無人島でとった手が、俺の命を救う奇跡
そしてその手が、俺に家族をくれた奇跡
君が―――一番の奇跡だ。
「も〜、男だろ?お父さんがそんなに泣いてちゃこの子が心配するだろう。」
そう言って俺の腕の中の二つの奇跡が笑ってくれる。
なぁ、もう一度だけ言ってやる。
あの時の俺よ
辛い最中を生き抜けばきっと、大きな幸せがお前に待っている
だから―――いま差し出されている、その奇跡を
絶対手放すなよ
・・・Fin.