ひすとりぃと機材の変遷
Part.1
ベぇシストあっちいの始まり

 

1.

中学2年のときに、友達とバンドやろうと二光通販のトムソンJAZZ BASS(当時\29,800円)を購入しようとしてたんだけど、人気商品だったらしくて生産が追いつかなくて手にはいらなかったんです。

それを知った親父が気仙沼の楽器店でこれでいいか?って、もう今じゃメーカーも忘れてしまったやはりJAZZ BASSタイプのBASS GUITERを買ってくれました。

ちなみにこのベースはフェンダーだけどこれのコピー版です。

影響うけたグループ

KISS

AEROSMITH

ロッド・スチワート

ROLLING STONES

BOSTON

NSP

かぐや姫

岩崎 宏美

楽譜の見方から勉強しました

2.

親父は俺が生まれる前までギターを弾いてたらしくて、意外と理解があったことがなんか狐につままれたような変な喜びがあったなー。

それに「アンプがないと鳴らないんだろ。」と大船渡の楽器店でYAMAHAのJ−45Bという50wのベースアンプ(\65,000円)を\5,000円づつの月賦で購入してくれたんで。

これはやめられないとベースギターのアイウエオという教則本で毎日練習したもんです。

あの頃はベースにさわって、アンプの電源入れることがたまらなくうれしかった。

KISS ALIVE聞いてぶっとびました。

DEEPPURPLEのマシンヘッドと、ドウビーブラザース練習しましたねー。

ARBのDEEPINSIDEのベースライン カッコエー!

岩崎宏美はおかっぱのロングヘアーと歌のうまいとこのほかに、編曲がかっこよくてね。

 

BASSAMP

YAMAHA

J−45B

3.

このベース・アンプって日本の名機だと思います。ボリューム・トレブル・ミドル・ベースの4つしかつまみがないんだけど200人くらい入るホールでも歪まずにきれいに音出てたし、すなおないい音してたもの。

50Wというスペックは今では普通かもしれないけど、値段に合わせたちっこいボディのアンプとかやたらつまみの多いアンプが多い今でも充分使えると思います。まっいままでもし残ってても、保存状態とかでスピーカーぼろぼろになっちゃってるだろうけど。

NSPの2年目の扉も最高!

基本的に、ベースラインがかっこいい曲はジャンル問わず聞いてます。

GRECO GOBU

4.

高専の2年生のときにバイトした給料でGRECO GOBU 750ナチュラルを購入。

写真のはアンバーだけどこれの木目がはっきり出てる奴でネックは指板ともメイプル。全部裏からみてネックからボディへ続いてる色って感じかな。

うれしかったなー。はじめて自分で買ったベースだもの。Fenderのコピーモデルがほとんどの時代にほとんどのパーツがオリジナルだったし。

NSPの母校一関高専に入学。

NHKFMのクロスオーバー11エアチェックして、ロックからフュージョンまで聞くようになりました。

 

二十二年程使いました

5.

価格は\75,000-で5ピースのスルーネックです。ボリュームとトーンというシンプルな構成のつまみはゴールドでその頃は輸出用というか高級なブランド名のIbanezのロゴ。マイクはシングルで、形の割りにナチュラルな音で5弦ベース購入した後もツェッペリンのコピーバンドのときとか、コピー曲演奏するときは使ってたねー。それとチョッパーするときも楽だったし。

でも難点が1つ。メイプル指板はすべる。とくに一弦を弾いてるとツルッてね。ネックも細くて24フレットでボディが小さいんでヘッドが下がってきます。でも20年くらい使用しました。Werwick買うまでつかってたもの。

ゴダイゴ

6.

GOBU750ってあの頃はやってたゴダイゴのスティーブフォックスが使ってたんです。GOシリーズのベースでGOBです。ゴダイゴのギタリストはGO使ってました。

GOBUはこの後ハイスペックの900がでました。ゴダイゴってその頃銀河鉄道999とか、モンキーマジックとかガンダーラが大ヒットしてて、GOBU買ったらスティーブフォックスの教則本と教則テープそれもカセットテープのがついてきましたよ。 それとGRECOオリジナルTシャツ。このテープと教則本でチョッパー練習しました。中学の頃、チョッパーの弾き方がわからずにプルを小指でやって、さんざん血豆つくったりしたのが、あっそうか、人差し指かときづいたのはこのときでした(#^.^#)

ばんど活動はじまり

 

 

7.

18の頃まで誘われたらベース弾くという感じでブラバンで演奏したこともあります。そんなとき、誘われたのが山口さんというあこがれの先輩。

高専に入学したての1年生のとき、長髪でゆるいパーマかけていかにもハードロッカーっていう雰囲気の先輩。目立ってたんですよ。2つ上だからその頃は3年だったんだ。声掛けられたのが自分が3年のとき、バンドのベースが痔のために脱退ということだったけど、ほんとか?

らいぶでびゅう

8.

練習はダンゴ屋の息子のドラマーの旧家。とはいっても冬。電気はきてるが、暖房なし。冬が厳しい一関の夜は冷え込むー。ウィスキーラッパ飲みで廻しながら練習したもんです。

さて、本番。1曲目は三原順子でお馴染み、セクシーナイト。ボーカルは一つ先輩。もちろん男。右手はレースの手袋。

受けました。花束が来るわ来るわ。でもコミックバンドじゃないんですよ。他はボストンとかパットベネター、それにブラックサバスだもの。