どうなる?主婦年金!
トップへ戻る

ボーブオワールは、著書(『老い』一九七〇年、朝吹三吉訳、人文書院)のなかで、

「社会は大多数の高齢者にじつに惨めな生活水準を課すので、゛老いて貧しい゛という表現はほとんど冗語法(老いているだけで貧しいと言うことは自明の理)といえるほどである」と書いている。

戦後日本は、公的年金制度の拡充発展をまず始めた。国民の全てが、年金に加入するという国民皆年金の悲願が達成されたのは、昭和33年である。この政策は私達から、深刻な老いによる貧困への不安を取り去ってくれた。 現在、高齢者世帯の60%は、年金収入のみで生計を営んでいる。この年金の仕組みが、大きな転換期を迎えている。二〇〇〇年、年金法の改正が行われた。さらに、大きな制度上の変更が予測されている。

 1985年朝日新聞紙上で、2人の女性の論争が展開された。働く女性と専業主婦の立場の女性との考え方が率直に示されている。1985年は、前回の年金法改正の年であり、主婦の無拠出年金が開始された年である。

自立心惑わす新年金制度」石川昭子(税理士)

 これまで任意加入であったサラリーマンの妻は、強制加入となるが、保険料は支払わなくてもよいことになる。年金加入者全員で専業主婦の分を負担するのである。夫に扶養される妻が保険料を負担せずに年金を受け取れると言うことは、女性にとって果たして歓迎すべきことなのか。 (一九八五年十二月三一日)

「専業主婦にも社会的役割」

 専業主婦はPTAの役員、コミュニテイ活動を支えている。仕事にも収入を伴うものと報酬は無いが必要な仕事がある。専業主婦の無償の仕事にもっと尊敬を払う風潮が強まってもいいのではないか。無拠出の年金は、反発の対象なのか。」(一九八六年一月三一日)

( 末包 房子 専業主婦が消える 同友館。より抜粋)

日本でもようやく、男女雇用機会均等法が成立したのは、翌年一九八六年。しかし、この法律は、企業への罰則規定がなく、法の実施効果が、期待できないという批判があった。主婦無供出年金、翌年の男女雇用機会均等法の成立過程を見るとき、女が家庭内にいることに関しては優遇措置が取られ、職業を得ることに関しての法整備には障壁があったという現実が見て取れる。

 主婦無拠出年金にはいくつかの問題点が指摘されている。今回の年金法改正に、この問題は審議の対象とはなったが、改正には至らなかった。この根拠として厚生省は、アンケート調査による結果、国民の現行制度評価の高さを上げている。

しかし,30歳代の若い主婦は現行制度維持を支持していることに反し、自分の子供が保険料を負担し始め、また,年金制度維持への欲求の高まる40代以降の主婦には、公平な保険料徴収への賛同意見が多くなっている。年金制度維持にはなにが必要かを中年以降は認識している。

 二〇〇〇年、九月二十六日、首相の詰問機関である男女共同参画審議会(会長・岩男寿美子)は、「二十一世紀の最重要課題」の一つとして、年金の個人単位化を答申した。税、年金保険料も夫婦単位、所帯単位ではなく個別に公平に支払ってゆこうとする仕組みである。

ともに協力し合っていた夫婦も、離婚すると、妻には年金受給権が無くなる。医療保険の権利も喪失する。現行所帯単位制はこういった深刻な矛盾も含んでいる。

 個人単位化をすでに実施したスエーデンでは、女性の社会進出の拡大がはかられ、主に、社会福祉事業への女性達の進出が進んでいる。それがきめ細かな、社会サービスの充実を生んでいる。

今、年金保険料の徴収の仕組みを含め、年金そのものの根幹が変わろうとしている。

    高崎女性懇話会会報 青炎 に寄稿

参考、引用

       政府広報 時の動き

       末房 房子 専業主婦が消える。他

 

★眉間にシワ寄せる子どもたち

「ベビーホテルには、なぜか、おもちゃが少ない。すべり台やブランコといった巨大玩具だけのところもある。そして、赤ちゃんたちは、おしなべて、大人のように眉間にシワを寄せている。」

 堂本暁子さんのレポートである。

これは彼女が製作しテレビ放映され、話題となった番組でもある。

 堂本さんはテレビ局のデイレクターから国会議員になった女性である。消費生活の波におされ、職業を持つ母親が多くなった。仕事を持つ女性達が増えることは必要なことだ。しかし、同時に、家庭、特にもの言えない小さな命に負担のかかる構造になりやすいことも現実であると思う。

 無認可保育所、ベビーホテルの問題は福祉の谷間としてなかなかその実態がつかめなかった。

「寂しさを訴える術を知らない彼らは、眉間のシワに不安や孤独をにじませながら、ひたすら親の迎えを待つ」衝撃を感じた親は多いと思う。女性ならではの、そして、テレビ局という職場にいる人間ならではの、貴重なレポートであると思う。

    高崎女性懇話会会報 青炎 に寄稿