空の境界について、あれこれ








ビジュアル・ノベルの文体を、そのまま小説に

いや
紙の上にのせるな。




媒体が紙とモニターでは、書き方を変えなければならない事ぐらい判らないのか?





紙の上の文字と、モニターの文字では
大いに感覚が違うものだ。

実際 私が原稿用紙に文字を連ねる時の文体は
今見て頂いている文体とかなり違う。


これは、「モニターで文字を見る」という事について考えて捻り出した
私なりのHP用の文体だ。







行間が違う、句読点が違う、使用字句が違う、表現が違う







当たり前だと思う。

が、その当たり前のことを、この作者はしていない。
「月姫」の脚本家の作品でなければ、読むのを止めていただろう。
それが正直な感想だ。


そう言われて、もしも今後この方面での努力をしないのであれば
2度と小説など書かないで欲しい。

適当に素人が踏み込んでいい場所じゃない。






昔、坂本竜馬が貧乏していた時に、嫁を貰えと云われて
 答えて曰く


「嫁どんの干物サ つくるだけですキニ」



これを標準語に直すと

「お嫁さんの干物を つくるだけですから」



国語的には合っているし、文章的にも間違いはない。
しかし、文に於いて最も大事なものが消し飛んでいる。

紙とモニターと云う媒体の違いは
方言と標準語の違いよりも大きい、と 私は考えている。

その違いを埋めない者に、与える評価などない。





きっと私の文章も、なんの考えもなく
紙に書いていた頃のままでHPに載せていたら
誰にも振り向いて貰えなかったに違いない。






内容は良いのに 残念だ。
ビジュアル・ノベルにでもすればよかった。
より適した形態であったことは間違いないと思う。




繰り返す

内容が良ければそれでいい、というのであれば
小説という形態をとる意味など無い。

わざわざ小説という形態をとったのならば
その形態に敬意を払わなければならない。


それが出来ないような作家は、心底軽蔑する。















最後に

私はワープロを校正や編集に便利だから、ついつい使っている。
ちなみに入力方法は、いつも「かな」変換だ。
ローマ字でも打てるしその方が得意だったが、あえて修正した。

何故か


文字を書く時の感覚が、ローマ字入力だと違うからだ。


こう言うと、知り合いからは 「はぁ?」 、と言われた。
「んなわけないやろ」 、と。

別に理由なく、そんな不自由な真似はしない。
理由があるから、そうしている。




今日の書評の最後に、これを記して終わりにします。
何故ここに記したのか、それがわからない人は
きっと私とは違う人間です。