細雪                                 目次へ
 大学の時の、ある印象深い女性を書いてをこうと思う。私は出来ることなら家に一番近いところにある医学部に入りたかった。しかしこの大学は、けっこう偏差値が高く、私の学力ではギリギリだった。受験したがダメだった。国公立は二校、受験できたので、もう一校はどこにしようか、たいへん迷った。私は、できることなら、関東の大学に入りたかったので、第二志望は関東で、できるだけ偏差値の低い、私の実力では入れる可能性のあるところを受けたかった。偏差値だけでいうなら、群馬大学の医学部は、可能性があった。しかし、二次試験が、なぜか、英、数、国、と、小論文だった。ふつう、医学部の二次試験は、英、数、理、である。二次試験に小論文を入れるのは、わかるが、理科がなく、国語というのには、首をかしげた。別に、大学入試の方針は、大学にまかされているのだから、国語の能力が大切だ、と考える大学の方針に、こちらがケチをつける筋合いはない。だが、これは、私個人にとっては、大変な問題だった。私は、子供の頃から、内向的、超観念的、な、性格だったため、理数系の科目は、好きで、実力も平均以上にあった。しかし、世間に対する幅広い関心という、普通の人間なら、誰でももっているものがなかったため、社会や国語は、全然ダメだった。ほとんどの人間はこれと逆である。人間にせよ、動物にせよ、生き物、というものは、絶えず、外界に関心が向き、世間のことは何でも知っているのが当然、というのが、健康な自然の人間である。外界に関心が向きにくい、というのは、どこか病んでいる人間である。外界に関心が向かないという欠陥があると、社会や小論文は悲惨なことになる。たとえ偏差値で可能性が十分あっても試験はカケであり、落ちたのでは話にならない。それで、私は悩んだ末、結局、安全策をとり、第二志望は二次試験が、英、数、理、で、小論文のない、関西の公立大学を受けた。そして何とか無事合格できた。それで関西へいくことになった。さびしいイナカの大学である。もっとも、日本の観光地であり、外国人が日本に来たなら、まず、必ず来るところである。日本文化の発祥の地である。から、歴史的遺跡がある。しかし、京都は、おもむき、も、にぎやかさ、もあるが、あそこは、観光地として行くのはいい地であっても、住むのはいい地とは思えない。ひたすらさびしい。一応、デパートの売り子のねーちゃんはきれいだが。胃病をもっていたため、激しい医学のつめこみ勉強をやり通せるか、心配で、さかんに誘ってくれた部活にも入らなかった。スポーツは、嫌いではなく、いろいろできるスポーツもあったが、試合に勝ったからといって何になるんだといった、ナナメな見方をする感性でもあった。そもそも、人とガヤガヤ話すのが、慰めにならず、苦痛になる性格なのだから、部活など入っても何にもならない。土、日、は、必ず県庁のある市へ行って図書館で勉強した。市は、イナカといっても、にぎやかさの点で、ずっとマシだった。自分は雑踏の中にコドクを感じる感性ではなく、むしろ、雑踏の中に安心感を感じる感性だった。友人などというものは自分にはつくれない。話題がすぐ尽きて、すぐに、冷や汗を流しながら、ない話題をムリして探す、というのも、つかれるだけで、また相手にそういう無理をしているなと、気づかれるのも、みじめで、つらかった。結局、自分の住家は、コドクにしかないのだとあきらめた。しかし、人とうまく、なじめない性格の持ち主は、私一人だけではなく、百人のクラス中、五人くらいはいた。奇しくもその五人は、百人中、一人も出ない、授業に出る、という共通の性格をもっていた。やはり、みな、人とワイワイできない自分の性格にひけめを感じていた。また、勉強熱心、という性格も共通していた。私は文系科目がニガ手だったので文系の学問に飢えていた。むさぼるように、勉強して、学問を身につけてやろうと思った。点取り競争とも、社会的出世、とも違う。純粋な知識欲である。卒後、レベルの高い別の大学の医局に入るため、成績をよくしようと考える人は、基礎、臨床、の三年からの成績はがんばるが、成績表に関係のない、教養課程、には、手を抜く、という合理主義者である。しかし、三年からは、ひたすら無味乾燥な医学一辺倒であり、私が学びたかったのは、教養課程でやる、幅広い学問である。人と打ち解けにくい性格の他の四人も、それぞれどこかのクラブに入り(ほとんど静か系のクラブ)、クラブの中で友達をつくっていった。
入学式の翌日、親睦会として、観光地を数カ所、まわり、昼食の時、一人ずつ、自己紹介をしていった。斜め左の、少し離れたところにいる女の人に目が行った。物静かで、口数少なく、ものすごく、魅力的で、きれいな人だった。スポーツなど当然ニガ手だろう。(一目みれば、印象で、その人の性格は、かなり、推測できるものである)ワイワイ、ガヤガヤした所で、ゲラゲラ笑う、ことなどとても出来る性格ではない。コドクさ、を持っており人と話す時は、一言はなしては、顔を赤らめそうな感じだった。馬力がなく、多くの人とガヤガヤした所にいると、つかれてしまうだろう。静かな人と一対一で話すぶんには、話題に困ることはなさそうな性格である。内気であるというのを人にさとられるのを恐れていそうで、コドクに徹する強さなどはなく、静か系のクラブに入った。その人のすべてが私には魅力にみえた。その人の属性が、すべて、私には魅力にみえた。現役ではなく、一浪で入った、という学力のレベルから、名前、から、果ては、その人の出身地、までか、魅力的に思えてきた。私は思わず、食事の箸を止め、その人を見ずにはいられなかった。伏せ目がちで、顔を赤らめ、緊張している。その人が、家に帰った時の様子までが想像される。机に向かって、一人で、サラサラと静かに勉強している様子が想像される。もちろん勉強というのは、そういう風にするものが、普通だが、友達とゲタゲタ雑談しながら勉強して、やがて雑談の方がメインになって、壊れていくという情景は想像できない。また、女でも、一人なら、リラックスするだろうから、胡座をかいたり、ベッドにねころんで勉強するということもあるだろうが、あの人には、そういう姿はイメージされない。棋士が対局している姿は、まさに、ロダンの「考える人」だが、あの人が、静かに一人、勉強している姿を写真家がとって、「勉強する人」というタイトルをつけて、応募したら、入選しそうな感じである。そして、現役ではなく、一浪した、という学力も、なぜか魅力に見えてくる。だいたい、真面目で、控えめな性格の人といいうのは、クラスのトップには、ならないものである。試験情報集めに血眼になるということもないから、皆が知ってる情報を知らずにワリを食う、ということも十分ある。でも、大学入試、には、全総力をあげて、かかっただろうが、現役でなく、一浪で入った。もちろん、阪大、京大医学部、は、まず学力的にムリだろう。阪大、や、京大、は、よほど、先天的な秀才、か、あるいは、徳田虎雄氏のように、異常な執念家、でないとムリである。人をけおとしてまで、自分がわりこむ、とか、あるいは(人をけおとす、ことを美徳、と、思っている人もいる)そういう性格、がないから、である。コツコツ一人で自分の目標に向かって、努力するタイプである。物事に対する過剰な執着心(何が何でも、という性格)が、ないから、現役、で、自分の番号がなくても、
「ザンネン。来年がんばろう。」
と、タンタンとした気持ち、なのである。家に帰ると、母親に、
「どうだった?」
と、聞かれて、それに対して、
「ダメだった。何とかがんばって来年入る。」
と、あっさりした会話、で、用意されていた、おかしらつきの鯛と赤飯は、ザンネン会、と、名が変わって、ささやかに食べられる。そして、その後、テレビドラマ、をみて、数日、読書、(か何か知らないが、好きなことをして)再び机に黙々と向かうのである。合格者名に、自分の名前、が無かった時、メラメラと燃え上がるような、怒り、で、拳を握りしめ、
「お、おのれ。よくも、あれだけ勉強したのに、落とすとは…。このウラミはらさでおくべきか。」
と、のろって、夜、赤門にションベンをかけに行くタイプではない。ましてや、火をつけたり、手榴弾を放り込みたくなるような感性ではない。徳田虎雄氏のように、橋の上から川をみて、一瞬ひきこまれそうになった、というようなドラマ的な感情の人でもない。図々しさ、や、自我主張の欲、というものがないのである。当然合格をみた時、跳び上がって、はしゃぎまわることもしない。ただ電話で、
「お母さん。あったよ。」
という。
「よかったね。早く帰っておいで。お祝いするから。」
「うん。」
…である。
何と、ささやかで、人間的魅力があることか。当然医者になっても、博士号をとることに血眼になることもしない。教授の御機嫌をとったり、教授の草履を冬の日にフトコロの中に入れて、あたためて、教授にホロリと涙を流させてやろう、という、見え透いた、わざとらしい芝居をする性格ではない。
そもそも、あの人は存在自体が、詩、のような人だった。あの人が、白樺林の中を一人、切り株に座っている。すると、もうそれだけで、詩、なのである。リスがちょこっと、出てくる。すると、あの人が、リスに微笑して、話しかける。そんな自然と一つになれる感性を持っていた。これを写真家がとって、「森の中の少女」と、タイトルをつければ、入選しそうである。自分は美しい、という自意識をもっていると、ダメ、である。どんなに無邪気にリスと話しても、ナルシシズムの存在は、自然の中で異物となる。口数多く、人と話しをしていないと、生きていない、と思う感性の人もダメである。木は話をしない。鳥は多くを語らない。それと同じように、なにもしないで、黙って座っていることに、それだけに、安心感とよろこびを感じられるような感性でないとダメである。森の一部とはならない。そもそも、あの人は体力がない。疲れやすそうである。自然が彼女をいざなうのである。
「人と話していても、つかれちゃうだろ。つかれたら、いつでも来なよ。僕達が静かになぐさめてあげる。」
と、森がいざなうのである。
しかし、やがて、あの人は森を出て行く。社会に入ったら人は友達をつくらねばならない。社会の中で、まわりが、みんな友達をつくって、ガヤガヤしているのに、一人きりでいるコドクさに耐えるのは、神経の弱い人間には、耐えられるものではない。また、私は集団帰属本能が、ゼロ、だから、ある社会に入れられると、コドクさに耐えられない、ために、仕方なく、冷や汗タラタラ流して、ネタが尽きるのを恐れながらでも友達をつくらねば、と思うことはあっても、その必要がなければ、私は何の集団にも帰属したい、と思わない。人と話をしても全然面白くなく、バカバカしいと思うだけである。つかれるだけである。あそこのアイスクリーム屋の味はどうだの、北海道のタラバガニ、は、どうだの、と、無限に問われても、答えようがない。話しを合わすため、近所のアイスクリーム屋に行くくらいなら、まだいいが、タラバガニの取材に北海道へ行くほどの時間はない。それでも、せめて、話題が、近所のアイスクリーム屋と北海道のタラバガニ、だけにとどまってくれるのなら、タラバガニ取材旅行に北海道に一度くらいは、行ってもいい。しかし、彼らの話題は、北海道のタラバガニの次は、一足飛びに沖縄に移り、その次はヨーロッパである。これでは身がいくつあっても足りない。しかも、実際に北海道に行ってタラバガニを食っていなくてはならないのである。冷や汗タラタラ流しながら、相槌うつだけのロボットに話しかけても相手もあまり面白くあるまい。私の友達づきあい、は、ほんの少しの人との、コドクの寂しさに耐えられない、ための、義理のものだった。いやいや、人と話し、一人で自分のやりたいことをやっている時が、一番楽しい。しかし、人間というものは、人とタラバガニ論争をするのが一番楽しいらしい。
しかし、あの人はタラバガニにも関心を持っているのだ。沖縄もヨーロッパも同様である。世界の事象のどこをつついても、一見識、自分の意見を持っている。だから、あの人は、お義理で友達をつくろうとしているのではなく、人と話をすることに、楽しさを感じられる人なのである。ただ、あまり、極左テロ的発言はしない。中傷に花をさかすこともしない。静かな言葉のキャチボールが楽しいのだ。あの人が、人と話しているところを写真家がとって、「会話を楽しむ女」とタイトルをつけて出品したら入選しそうである。ただ、カラオケは、きっとニガ手だろう。
「○○、何かうたいなよ。」
といわれたら、あの人は顔を赤くして、
「わ、私。歌だけはちょっとにがてなの。」
と手を振って、断りそうである。まかり間違っても、マイクをひったくって、
「私にもうたわせてよ。」
というタイプではない。
あの人は、内気で勉強家だから、読書家、というようにも、一見したら、見えそうかもしれないが、あの人は読書に凝るタイプではない。読書家であるためには、現実逃避的で、コドク好きと、開き直る性格、でないと無理である。もっとも好きな作家や、作品はあるだろうが…。また、詩、を書いたり、小説を書こうと思ったりするタイプでもない。これも、やはり、完全な現実嫌いでないと、のめりこむ決断をもてない。やはり、読書家や、創作家は、暗い人間でないとムリである。あの人は繊細な感性を持っているが、現実嫌いではないのだ。自分にできる範囲で、現実と関わり、現実をよくし、そして現実を楽しもうと思っている感性なのだ。読書家や、創作家、は、出家した僧、世捨て人、的でないとムリである。加えて、創作家になるには、自分の作品が世間に認められたい、という、強い我執がないとムリである。あの人には、そういう強い我執もない。何事に対しても強い、執着心がなく、あっさりしている。だいたい、医学部に入ったのも、ねじり鉢巻して、「何が何でも医学部」と、自分に言い聞かせたタイプではない。どの科でも、学力が高く、理数系もでき、モギ試験の偏差値で、国公立の医学部に入れる可能性が十分あったから、進路指導の時、先生に、
「君なら十分医学部に入れるよ。どうかね。ひとつ医学部を受けてみては。」
といわれて、
「はい。ではそうします。」
といったような感じである。こういう性格の人は、責任感も強いから、教師の一言も、真に受けて、その期待にこたえなくては、と思ってしまいがちなものである。
彼女は卒業して、小児科に入局した。やはり、母性本能のなせるわざである。女にとって小児科、は、憧れの科なのである。しかし、あこがれつつも、小児科、を、選ばない、女医もいる。小児科、は、内科、で、診断が難しく、責任感が重く、勉強嫌いな人には向かない。彼女は、この決断をするのにさほど、悩みはしなかっただろう。というのは、彼女が、自分の性格的適性を省みて、自分の能力、向学心、が、小児科、に、十分耐える、と判断したのは、主観的にも、客観的にも、その判断に誤り、は、見出せないからである。彼女の担当になった子供こそ、幸せなこと限りない。あんな魅力的な、きれいな女医に、ちやほやしてもらえるのだから。うらやましい、というか、こにくらしい、というか。
「うわー。きれいな先生だー。ラッキー。」
と子供の患者が言うか、は、紙の上で書くのは容易だが、現実には、言わないだろう。それは、子供の気恥ずかしさ、から、というより、彼女はきれいだが、静かで、真面目で、あんまり、患者と友達のようになって、ゲラゲラと大声上げて、ふざけっこするタイプではないからだ。私が子供の患者だったら、胸さわったり、スカートめくったり、いろんなイタズラしたくてウズウズするのだが。彼女には、出世欲がないから、博士号をとることに血眼になることもない。しかし、真面目な向学心もある臨床医だから、日々の診療から、興味をひくテーマがいくつも見つかって、
「よし。このテーマを深く調べてみたら、興味深い、因果関係、が、見つかるかもしれない。」
と思い、教授にそれを聞いてみると、
「うん。それは、なかなかいいところに目をつけたね。ひとつ、それをテーマに論文にまとめてみたらどうかね。」
といわれて、熱心に、丁寧に、論文をまとめ、博士号をとる、ということは、十分ありえるだろう。こういうのが本当の博士号なのだが、本人は、博士号というものに、たいして気にかけていない。誤りのない、的確な、臨床医になる、ということの方に価値を置いている。逆に医学博士という肩書きを求めることに汲々としている勉強嫌いな人間がムリして書いた論文はたいした価値がないことのほうが多い。
だいたい、彼女の家族構成を私は知らない。母親と、静かに会話しているくらい、だけがイメージされる。母親も静かそうな性格に思われる。
「おかみさん。いきのいい鯵が入ったよ。どうかね。」
「もう百円まけてくれたら、買うけどねー。」
なんて魚屋との駆け引き、は、しそうもない。お手伝いさんまではいないだろうが、静かなスーパーで静かに買い物するのだろう。やはりメンデルの遺伝の法則で、彼女の静かな性格は、母親の静かな性格の遺伝なのだろう。彼女の父親は、どうもイメージされてこない。つい、彼女は、母親だけの母子家庭、に、イメージされてしまう。しかし、考えてみれば、父親も当然いるはずだ。やはりバナナのたたき売りをしているとは思えない。中堅事務職だろう。彼女に兄弟は、いるのか、わからないが、箱入りの一人っ子、のような気もするが、いるとしたら姉妹の女兄弟ではなく、兄か弟の男兄弟だろう。女兄弟がいると、外向的になりやすい。
彼女は大変魅力あったが、(だからこうして書いているのだが)性欲的欲求は彼女に対して起こらなかった。彼女は食も細そうで、少しやせ気味で、おとなしすぎる。何か厳粛な高貴性が漂っていて、不徳な精神は、はじき返されてしまい。不徳なものとは無関係な人間、という感じである。






   池の周り一周
 今となっては昔の話だが、小学校五年生の春のことである。私は祖父の家で一時期を過ごした。一時期、といってもほんの二、三ヶ月である。
 ある時、厳しい祖父がめずらしくも車で広い公園に花見に連れて行ってくれた。二人の親戚が一緒で、私はオマケみたいなものだった。あらかじめ連絡をとっていたらしく、公園には車で祖父の親戚の人が数人きていた。遠い親戚なので私にとってどのような関係なのかもまったくわからなかった。ふだんはなかなか会える機会をもてないので花見が久闊を叙すよい理由となった。私はオマケのようなものである。公園には遠方が見えないくらいの大きな池があった。親戚と祖父は何か大人の話があるらしく、私は何をするともなくポツンとしていた。すると、向こうから来た人達の中の一人の女性が、
「ねえ。池を一周してこない」
と言ってくれた。私はこの誘いに、わが耳を疑うほどのうれしさを感じた。女と話しながら歩く、という経験など一度もしたことがなかった。引っ込み思案で友達付き合いといえば、少数の、自分と同じような内気な男の友達、数人くらいだった。
 彼女は私の肩に手をかけて、ピッタリ寄り添うように歩き出した。彼女のあたたかい手の感触に私は夢心地のような気分だった。彼女の顔をまともに見ることも恥ずかしくて、私は何か申し訳なさ、さえ、感じていた。私は彼女が、たのまれたので、お義理で子供の相手をしているのだろうと思った。どう考えても、私は自分が女に相手にされる要素など何一つない、ということには子供ながら、絶対の確信を持っていた。器量に引け目を感じていたし、性格も内気で暗かった。性格が、神経質で、人の言葉を単純に信じるということは絶対出来ず、人の言葉の真偽を絶えず揣摩憶測する習慣が自然についていた。
彼女は私の手を握ったり、後ろから抱きかかえるようにしてみたり、さかんにスキンシップする。女の柔らかい体の感触を背に感じ、私はボーとした気分だった。彼女は自分の方からは、話さず、私に話題を求めてきた。私は彼女がどうしてこんなに親切にしてくれるのか、不思議で仕方がなかった。彼女の温かい言葉やスキンシップが、どう考えてもお義理のものとは感じられなかった。いったい、なぜ、彼女が私にこんなに親しくしてくれるのか不思議で仕方がなかった。もしかすると彼女は、保母さんのような、子供を相手にする仕事を希望していて、子供をうまく相手にする技術の練習のために私に親切にしてくれているのでは、とも考えた。ほかに考えようがない。私が何か言うと、
「フーン。すごいねー」
と相槌をうってくれる。理解できない人間の心理というものは気味が悪いものだ。私は何か、分不相応に感じ、どうでもいい子供ためにこんなに時間を割いてくれる彼女に申し訳ない気持ちさえ起こって、
「時間だいじょうぶですか?」
と、おそるおそる聞いたが、彼女は、
「もうちょっと、こうして行こうよ」
と言って、二人だけの時間を出来るだけ長くしようと、歩を遅くしている。

子供の頃はイヤな思い出ばかりで、あの時の見知らぬ女性との、池の周りの一周が、ひときわうれしい思い出として残っている。

大人になった今、考えればなんのことなくわかる。女が性的快感を得るためには男の存在が必要なだけだ。私に、かわいさ、を感じてはいなかっただろう。しかし私は子供の頃から過度に神経質で、疑い深く、現実と食い違うほど低く自分を自己採点していたことに気づかされた経験も何度もあった。彼女が私をどう思っていたかは、わからない。しかし、ただ一つ彼女も私に魅力を感じた点もあったのだろう。それは、私が内気で無口で、この子になら何をしても、何を言っても、心の中にしまいこんでしまうだろうから、何をしても安全だろう、と思ったに違いない。実際、私は、人間のおしゃべり、というものを嫌っていて自分の心にしまいこんでしまう性格である。






   夜の保母
 ある思いで深い女性を書いておこう。できればもっと時間をかけて物語的に構想も練って書きたいのだが。ともかく、書こう、と思った時に書いてしまわないと一生かけないことになる。小学校五年の時である。私は小児ゼンソク治療のため親から離れて、寮が隣についた小さな学校へ入った。ここで小学校卒業までの一年半を過ごした。誰にとってもそうだろうが、子供の頃の一年という期間は大人になってしまって、もはや何の新たな感動もない、同じことの繰り返しの一年の十倍くらいの量を持っている。思い出は尽きない。もちろん、嫌な思い出も、目一杯たくさんあるが、それはあまり書きたくない。やはり、楽しい思い出を書きたい。
寮には保母さんがいた。若いきれいな保母さんも多かった。転入して、ある部屋に入れられた。ここの施設は小一から小六までだった。私が入れられた部屋は四年から六年までの、六人の部屋である。入所している子はゼンソク7〜8割、腎疾患2割、あとよくわからない難病の子もいた。腎疾患の子はステロイドをのんでいるため、特有のステロイド顔貌になる、のでわかる。医者になった今、思い返してみると、ああ、あの子は、あの病気だったんだなと分る。大学の臨床実習の時、小児科をまわった時、何とも昔の自分を見ているような、懐かしさを感じた。
別に少年鑑別所でもないし、転校生への洗礼、というのは、中学ならあるかもしれないが、小学校ではさすがにない。それでも腕力が一番強いやつがやはりボス的存在となり、力による、親分子分的関係はあった。が、それも無邪気で面白いとも思った。共和制はあまり面白くない。先天的に、ふざけ、が好きな性格だったので別にモンダイなくすんなりと部屋のヤツともなじめた。夜はよく眠れた。私はちょっとや、そっとの物音でおきてしまうような体質ではなかった。が、ある夜中、あまりにペチャクチャする話し声に起こされた。うるさいなー。ねむれねーじゃねーか。と、おこった経験はあの時がはじめてで、その後はない。一年下(四年)の腕白で元気なヤツが夜間の見回りにきた保母さんとペチャクチャしゃべっていたのだ。もう数人、起きて、その話しに参加していた。私は寝たふりをして、その会話に聞き耳を立てた。その子は、見回りのきれいな保母さんに、
「おい。脱げよ。」
と、さかんに要求している。昼間は友達のような関係の保母さんに、夜中であることをいいことにストリップを要求している。なんちゅーヤツだと思った。男は心の中じゃみんなそういう男として当然の願望は持っている。しかし、それを行動に移す勇気を持っているヤツなどありえない、と思っていた。女がそれを受け入れるはずもないだろうし、以後、スケベと見られ、ケーベツの目で見られることがこわくないのだろうか。私を含め平均的な男はそこまでの蛮勇は持ってないのが普通だ。第一、女がそんな要求に応じるはずがないではないか。直情径行とはこういう性格をいうのだろう。しかし、全世界の男の願望を、照れることも、恐れることもなく代弁したこの少年に最大の敬意を払わずにはおれない気持ちだった。勇気の徳の勲章を与えても別におかしくはないと思った。それに保母さんにそんな事をいったら、その保母さんが他の人に言わないという保障はないではないか。判断は保母さんの胸中一つであり、その気まぐれにひねもすおびえて暮らさなくてはならないではないか。もし、他の保母さんに話して、バーとうわさが広がって、あの子は夜の見回りで、「脱げ。脱げ。」なんて言うのよ。なんてことがモンダイになって軍法会議で銃殺刑、ということになったらどうするというのだ。しかし彼は、ためらいなく、呼び捨てにして、
「おい。○○。脱げよ。全部脱げ。」
と言いつづける。
「脱げよ。ほんとは脱ぎたいんだろ。」
とまで付け加える。実に計算家でもある。単細胞ではない。事実彼は学科の勉強にはたいして身を入れてなかったがバカではない。小4の性知識は、まだ全然不十分だが、ヌード写真の存在は知っているし、そもそも女の裸というのは奇麗なものであり、女が脱いでいくというプロセスは大変興奮させられるものである。それは男の側の理論であり、見方であるが、女にとっても、恥ずかしくはあるが、男に裸をみられたいという願望もあるのではないか、という想像もやはり男なら誰でもするものである。だがやはり女の心理というものは女でなくては分らないものである。実際、保母さんにも、いろんなタイプがいる。真面目で、「脱げ。」なんていわれたら、本気でおこりそうな人だっている。
しかしこの保母さんはきれいで真面目ではあるが、堅物ではなく、面白みもあった。そもそもこの子の要求に、叱るのではなく、笑いながらいなし、説得している。
「ねー。赤ちゃんはどうやって生まれるか知ってる?」
「赤ちゃんはどうやって生まれるか知りたい?」
というように、彼の要求をその方に、むけようとしていた。彼女も赤ちゃんがどうやって生まれるか、教えたがっているような感じである。小4、小5、の知識では赤ちゃんは性的な行為に関係がある、というバクゼンとした程度の知識である。寝耳で聞いていた私は、赤ちゃんがどうやって生まれるか、なんてキョーミなく、十分なキスをすりゃ、女の体に変調が起こって生まれるんだろ、くらいに思っていた。
私も、ひたすら、彼女が脱ぐことを受け入れることを心待ちにしていたのだから、あまり向学心がある人間とはいえない。場の雰囲気として、本当に彼女が脱ぐ可能性がないとはいいきれない感じだったので非常に緊張感があった。だが結局は彼女は笑ってすりかわした。怒ってないところが彼女の面白さである。小4の子供に性教育をしようといういささかふざけたところも、今思い返せば彼女の面白さである。しかしやはりどう要求してもこの商談は成立しなかったことは間違いない。彼も、「脱げ。脱げ。」の一点張りでなく、彼女のいうように、
「どうして赤ちゃんは生まれるの?」
と素直に聞いていれば、彼女を脱がすことはできなくても、もうちょっと、彼女をとどめておくことはできたろうに。そもそもこういう会話の時間を持てるということだけで十分楽しいではないか。彼女もこのワルガキにつきあって物理的に脱ぎはしなかったが精神的には脱いでいたようなものではないか。たいていの保母さんなら、叱って去るだけである。
結局、「脱げ。脱げ。」の一点張りで、「赤ちゃんの生まれ方」を質問しなかった向学心のなさから彼女は笑いながらも多少の失望と、不満足感をもって逃げるように去ってしまった。夜の美人保母さんのストリップショーは結局ムリだった。もともと彼女の良識的性格から考えてもまずこのカケは無理だろうと思っていたが、ひょっとすると、万が一には、という気持ちはあって、それが大変なエロティシズムを作っていた。だがやはりサンタクロースはケチだった。
翌日になれば、もう昨夜のことなどなかったかのように友達カンカクである。もちろん昼間に、「脱げ。」などとは言わない。昼間、脱ぐなどということはありえない、ことは双方ともにわかっている。夜だから誰にもわからないから女も気を許すのでは、との彼の計算だからである。しかし、昼になれば、昨日の敵は今日の友、というような感じで笑いあっている光景は面白い。こういう面白い子が、つまらない世の中を面白くしているのである。