健康診断                           目次へ
 今日、健康診断のバイトをはじめてやった。ある会社の従業員の健康診断である。小説書いてて、リストラされ、内科が十分できない、はぐれ一匹精神科医となった医者にできるバイトといえば、コンタクト眼科と健康診断くらいしかない。健康診断のバイトなんてカンタンだ、と思っていた。じっさい、学生の時、実習で二日、県のはずれの村へ行って、健康診断をした経験がある。農家のおばさん相手にきまった質問事項を聞くカンタンなものだった。ただ、その時は血圧は測れなかったので、血圧測定は手こずった。今度もそんなもんだろうと思っていた。ただ朝が7時半に行ってなければならないのが、朝がニガ手な私には、つらかった。それで、前日、近くのカプセルホテルにとまった。しかし、じっさいは、かなり予想とちがった。午前中は、男の患者(オット患者じゃなかったんだ。健康者のスクリーニングだった。)ではなく職員が多かった。結膜で貧血をみて、顎下リンパ節を触れて、甲状腺をふれて、さいごに胸部聴診だった。フン、フン、フン、とながしてやっていた。しかし、である。カーテン一枚へだてたとなり、で女のドクターもやってて、診察の声がきこえる。キャリアのある内科医である。患者の質問には全部正しくテキパキ答えてる。知識が多い。きらいなコトバだが、一人前である。私は小説を書きたいため時間にゆとりのもてる精神科をえらんだ。二年もやったので精神医学のことは、ある程度わかる。もちろん、精神科医も内科的シッカンをもっている患者をみなくてはならないので、内科的能力がゼロではない。しかし、糖尿病と脳卒中と水虫とターミナルケアの全身管理とイレウス、くらいである。しかし、おどろいたことに甲状腺シッカンが、少しある。頸肩腕障害や子宮筋腫の人、もおり、内科的質問をされる。となりの内科医は、的確な返答をしている。もちろん私とはくらべものにならないほど内科の知識がある。しかし私だって二年の臨床経験のある医師だ。ライバル意識がおこる。しかし私は精神科にいても、内科シッカン患者がいると、症例経験がふえるので、興味をもってとりくんだ。といっても経過観察くらいだけだったが。あとは国家試験の内科知識である。国家試験の知識があれば、それで内科は、ちっとは何とかなると、思っていた。もちろん国家試験はコトバの知識にすぎないが。しかし、考えがあまかった。実際に内科を研修し内科患者をみていないと、患者の質問に正確に答えられない。内科もやはり経験が全てだ。実戦経験がなく、本の知識で、答えているから、かなりトンチンカンになった。実戦経験の前には、本の知識ではたちうちできない。しかし私は喘息で胃病もち、なので必然、内科に関心は向いていた。さらに、健康な内科医をみると、そらぞらしくみえ、内科患者の本当の苦しみなどわからないだろうとつい思ってしまうこともあった。
山奥の健康診断の時とちがうことが二つあった。それは都心の会社の検診では、悩ましいOLもみなくてはならないかったのである。考えてみれば、当然のことだが、念頭になかった。しかもである。胸部聴診をしなくてはならなかった。今まで、長期入院の老人患者ばかりみていた。ひきさきたい欲求に悩まされているOLの聴診なんて、したことがない。内科医なら、女の体をみることになれてて、何ともないのだろうが。
検診のバイトを紹介してくれたのは、ある医師だったが、「女の胸の聴診は気をつけろよ。さわっただ、何だって、うっせーからよ。」と言った。「では、どうすればいいんですか。」と私がきくと、「聴診しますから、少し上着をあげて下さい。」って言う。「それで胸の下のできるだけ下の方をササッとあてる。ほとんど腹部聴診みたいになるけど、それでいいから。形だけ、やったふりをすればいいんだよ。男の場合は、バッと上着をあげさせて、ちゃんとやらなきゃだめだよ。」私はどうも神経質で、医学的責任感はあるので、というか、融通がきかない、というか、すばやい機転がきかない、というか、「女性は、うしろを向いてもらって背中で聴診してはどうですか。」といったら、「そんな時間ない。」と言った。じっさい、短時間にたいへんな数をこなさなければならず、確かにそんな時間はなかった。しかし胸部聴診といって、腹に聴診器をあてて、きくのも変なものだと思った。それに、かりにも医師が健康診断で、胸部聴診したからって、さわった、スケベだ、なんて女は言うもんだろうか、と思った。今はもう4月の中旬でポカポカあたたかく、うすいブラウスやTシャツの女なら服の上から上肺野をきけばいいや、と思った。薄い服でない人は先生に言われたようにブラジャーの下をササッとやろうと思った。
で、実際、行ったら半分は男でやりやすいが、確かに女はやりにくい。学生の時、県のはずれの村に健康診断の実習に二日、行ったことがあったが、高齢の農作業のおばさんばかりで、また聴診はなかった。だが、考えてみると、過疎化で、村では若者は都会に出て行き、村は高齢者だけ、という日本の実情が、実習の時は実感できていなかった、だけにすぎなかった、ということに気がついた。
だが今回は都会の会社の健康診断である。若いOLがいるのは当然ではないか。マニュアル通り、眼瞼結膜で貧血を見、(これは、採血でRBC、Hbをみりゃ、わかるんじないか、と思った。しかし採血しない人もいたのか、よく知らんが、検診はじめてで、若い女の貧血は、ばかにできん、というバクゼンとした理解はもっていた。)頚リンパ、顎下リンパ、の触知、甲状腺の触知、そして胸部聴診だった。尊敬してた小児科の教授の診察と同じである。おどろいたことに女では甲状腺キノー低下症やバセドー病の治療をうけている人がいて、甲状腺疾患は頻度の低いものではない、ということを知ることができた。そういえば、学生の検診の実習の時も甲状腺疾患の人は数人いた。ただ都会の会社では一日中パソコンの画面をみているので、ほとんど全員、目のつかれ、と、肩こりがひどい、腰痛の項目には自分でチェックしていて、目がつかれない人や、肩こり、に、チェックしてない人の方が少なかった。検診は、かなり、現代人のかかえる体の不調の実態を知れるので勉強になる。新聞を読んでても、頭の理解にすぎず、現場の声をきくことによって、はじめて実感できる。あと、高血圧がかなりいた。上が150をこしてる人がけっこういる。のに自覚症状がないから、(高血圧はサイレントキラー)問診しても、運動はあんまりしないし、食事(塩分)にもあまり気をつかっていない。わらいながら、うす味では、どうも食べられなくて、へへへ、などと言っている。検診のかなめはここらへんだと思った。ここで、びしっと、高血圧の人に、運動、食事、夜更かししない、自覚症状がなくても定期的に健康診断を受け、高血圧に気をつけるよう、言うことだと思った。さもないと、高血圧→糖尿病→動脈硬化→破裂→脳卒中ということになる。
さて、きれいなOLがきた。ので、眼瞼からの診察まではよかったが、ブラウスの上にブレザーをきていたので、ブラウスの上から上肺野を聴診しようと思って、「では、ちょっと胸の音きかせて下さい。」と言ったら、ブレザーのボタンをはずしたのはいいが、ブラウスのボタンも下からはずしだしたので、内心「おわわっ。」と、あせって、「ああっ。そこまではしなくてもいいです。」といったら、ニヤッと笑われ、ベテラン内科医でないことがばれた。内科医なら、男も女も聴診してるから、もう、こだわり、などないのだろうが、精神科二年では、女の胸部聴診は経験がなく、わからない。私は小説家としての自覚と責任感はあっても、内科医としての、その能力はない。しかし、人間として、やっていいことと、いけないことのモラルは人後におちない自信はある。悩ましいOLのブラウスの下なんてものは、写真であれ、ビデオであれ、実体であれ、金を払ってみるべきものであり、金をもらってみるべきものではない。
ちなみに自覚症状の欄、で、「肩こりがひどい」「目がつかれる」の項目には、ほとんどの人がチェックしていて、一日中パソコンの画面をみていると、それも無理はない。だろう。病院リストラされて、コンタクト眼科のバイトもはじめたのだが、コンタクト眼科も深い理論があって実に興味深く、一コトでいうと、角膜は生きて、呼吸している細胞で、コンタクトは、いわばヒフ呼吸をシャダンしてしまう危険性がある。角膜が息苦しい状態なのである。その点メガネは安全である。ので酸素を透過しやすいコンタクトレンズを努力して開発しているのだが、コンタクトである以上、100%安全なコンタクトというのは、ない。コンタクトは手入れが多少メンドーで、手入れしなかったり、また、長く使っていたりすると、よごれてきて、異物がついて、それが抗原になってアレルギー性結膜炎になったりする。そのため、最近は一日使い捨て(ディスポ)や二週間つかいきり、が、主流になってきている。コンタクトの本の中で、瞬目のことがかかれてあったが、涙は角膜をカンソーから守るものであるが、人は一分に何回瞬目するか、意識していない。が、パソコン画面をみている時、人は瞬目回数がぐっと減る。のであるが、そのことは自覚できていない。一日中パソコンと向き合う仕事である以上、目のつかれ、や、肩こり、は、仕事による生理的な疲れである。だからといって、みんな病名をつけて有病者にしてしまっては、これも変である。健康診断というのは、基本的に大多数は健康である、という確認と証明をするものであり、そして、少数の有病者をみつけ出すのが、本来的であり、検診した結果、全員、有病者なんて診断したら、医者の頭を疑われかねない。ので、これには困った。それで「つかれが、翌日までもちこされ、蓄積されていくか。」「整形外科に通院するほどひどい肩こりか。」というように質問し、それにひっかかるほど重症だったら、有病者としようと思った。さもないと全員、有病者になる。有病者の基準を高くすると、さすがにそこまでひっかかる人はぐっと減った。だが、ある人(お客さまセンター)が、ニコニコして、「肩凝りのため整形外科に通院している。つかれが翌日まで持ち越す。」と訴えた。これなら、あてはまると思ったはいいが、精神科という医療の中でも異質的な、専門に、どっぷりつかっていたため、内科は、かなり忘れている。「頸肩腕症候群」と書こうと思ったが、でてこない。しかし、時間をかければ、思い出せる自信もあった。まさか医者にしてこんな基本的な漢字も知らないとあっては、ヤブ医者どころかニセ医者と思われかねない。内心あせりながらも、
「エート。頚肩腕。はっはは。ちょっと、ど忘れしちゃったな。」
といって、カンロクをつくって、時間をかせいでいるうちに思い出そうとしたが、でてこない。むこうも医者に医学用語をおしえることは、はばかられている。しかし、どうしても出てこない。ので、とうとう、相手に、
「頚椎の頚ですよ。」
といわれて、第一語を知れた。第一語がわかれば、連想で全部思い出せると思ったが、第二語も出てこない。
「エーと、けん、は月へんに健康の健だったかなー」
とひとり言のようにいったら、
「肩ですよ。」
といわれ、赤っ恥をかいた。第三語の「わん」もでてこない。
(わん?わん、なんて犬みたいに、どんな字だっけ)
と思っていてたら、
「腕ですよ。」
といわれた。
「はっはは。ど忘れすることもたまにあるんだよなー。」
なんて言ってつくろった。ちなみにこのお客さまセンターの女性は、三浦あや子がいうところの原罪をもっていない人である。






   東松山の健康診断
 ある時の健康診断のことをかいておこう。私は朝は弱いが、何ごとにつけ、緊張してしまうため、責任ある大事の前日は、はやく寝て、当日は目ざまし、なし、でも一時間くらい前におきてしまう。が、アパートからだと3時間かかる所だったので、検診場所近くのビジネスホテルにとまった。翌日、検診するところへ行った。スカイラーク、の工場の社員の検診だった。検診の代行をしている人に会った。何才かは、わからないが、会社なら、重役クラスの年齢である。
「近くの病院の、工場の産業医の人もくるから。」
気をぬかないように、というようなことを言った。二日、その工場で、検診した。医師は私だけだったので、当然、責任感がおこった。私のところには、聴診と、かかれた。検診は、かなりの猛スピードで、こなしていかなければならず、成人病は血圧、肥満度、コレステロール価、血糖、尿糖、の有無でスクリーニングできるが、前回(一年前)の検査の時、要注意の人には問診もした。検診は7回くらい、やったので、ある程度自信がついてきた。
この検診の代行をしている人はかなりアカぬけていて、昼食は、工場の社員食堂で、産業医の人二人と食べたのだが、ここはスカイラークの工場なので話が肉の話題になったら、秋葉原の焼肉屋の「万世」の肉の肉質が、どーの、こーの、と、よー知ってて、よーしゃべる。どんな話題になっても、現在の事情通である。私も秋葉原にある、「万世」という焼肉屋は知っていたが、さすがに肉質と流通ルートまでは全然知らない。かえり、は、自動車で川越のビシネスホテルまで、おくるといった。検診にきてたナース二人つれて。キザな外車である。一年で3万(だったか)のって、ミッションオイル、日本のを使ったらあわなくて、こわれて、ミッションとりかえた、とか、タイヤ換えたばかりだから、よく走るんだよねー、とか、高速の料金所で、バイクの後はイヤなんだよね、バイクは金出すのに時間かかるから、とか、高速でブレーキふむなよ、とか、車好き、である。テキパキしてて、カリカリしてて現代っ子、私のような荷風的な気質とは相容れない。私も車ウンテンするのは好きだが、車はファッションとしてではなく、生活の手段として車種を選んだ。事故がおこらぬよう、できたらアルトにしたかった。のだが、当直の仕事で高速とばさねばならなかったので、また、駐車や接触がおこらぬよう小型で車幅がせまいもの、だが、高速も走れる馬力のあるもの、となると、だいたい見当はつかれよう。街でもっとも多くでまわっている車種である。故障してもパーツがすぐ手に入るだろうし、めだたないし。車をファッションにして、でっかい外車、日本のせまいキツキツの道路走るの、私の感覚では閉口である。川越の繁華街の場所、おしえてくれた。たしかにホテルから距離的にはそう遠くない。未知の町は仕事ついでの旅行である。しかし余人は知らず、私は、遊ぶことが人生の第一義と思っている人とは違う。せっかくホテルにとまれるのなら、小説を書こうと思った。ホテルだと静かで、おちついて筆が走るのである。小説家を旅館にカンづめにするのは、あながち、にがさないため、だけではなかろう。旅館の方が、静かで書きやすいのである。しかし、資料を必要とする作品では、資料はどうするんであろうか。旅館にもちこむ、のだろうか。私も、いつか、筆一本で、カンヅメになるような生き方になりたい、ものだ。だが、つい、その日は、川越の繁華街を見てみたいという誘惑に負けて街を見に行った。わりと大きな繁華街だったので、街をみて歩いた。ホテルに帰って机に向かい、小説を書こうと思って筆を握ったが、その日は何も書けなかった。夕食代千円くれたが、懐石されると、領収書もらっても少し困るんだけどねー、などと言ったが、私は、食べることと、しゃべることと、遊ぶこと、が、人生の意味だと思っているお方とは違う。私にとっては、書くこと、創作的なこと、だけが、私の生きがい、である。翌日の検診も問題なく終わった。その翌日も午前中だけの検診があった。予約してくれた東松山のビシネスホテルの地図をわたしてくれたが、「東松山は、やきとり」といったが、たしかに小さい町のわりにはヤキとり屋ばっかりで、いったいどのような歴史で、このようなやき鳥のまちになったのか。戦後からか、江戸時代からか。江戸時代の大名がヤキとりが好きで、ヤキとりを町の産業として推奨したのが発祥の源、ということはまずないだろう。その夕方、ヤキとり屋をみてたら、やきとりが食べたくなって、でも酒はのめない、ので、屋台の焼き鳥を5本かって、コーラをかって、電灯の下で食べた。翌日は、有機溶剤とじん肺の工場の検診だった。有機溶剤中毒は、国家試験の時はオボエたが、さっぱり思い出せない。ので、書店に行って、家庭の医学で調べた。有機溶剤のチェックポイントは肺センイ症と精神症状である。その夜、あしたでもう検診おわり、(しかも午前だけ)だと思うと、気持ちがリラックスして、あるインスピレーションがひらめいて、小説の原案をかいていた。






   ××宗の女の子
 以前こんなことがあった。今は、そのことを書ける気持ちがあるから書いてみよう。小説にせよ、エッセイにせよ、時間が作品を発酵させてくれるということはあるものだ。私は、医者になる試験のため、ファーストフードショップで勉強していた。血液のところだった。二つはなれた席の女の人が声をかけてきた。
「難しい本を読んでいるんですね。」
離れて、おしゃべりしている人もいた。私はあわてて、本を気まずくカバンにしまった。人に干渉されるのはイヤだった。回りの人も、多少さりげなく、興味をもったが、人間社会のマナーで、直視はしない。普通、見ず知らずの人間にいきなり声をかけるというとは、普通の人はしない。こういう場面はやりにくい。彼女はそこに、自然そうにしている。カバンに本をしまって、なにもしないでいるのも気まずいし、さりとて、あわてて去るのも気まずい。困っていると、彼女は、かるい微笑とともに、
「ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって。おどろかしてしまって。難しそうな本を読んでいるので、つい何かな、と思って声をかけてしまいました。」
という。私は、ちょっと彼女の人格というか、性格にギモンをもった。で、興味をもった。ふつう、女は男にきやすく、声などかけない。男が、見ず知らずの女に声をかけることは、あろうが。彼女は、小さなイヤリングは、していたが、比較的じみなファッションである。こってりしたファッションではない。彼女は、とびぬけた美人、という形容詞は、当てはまらないが、少なくとも、間違いなく、きれいな顔立ちだった。ちょっと十%くらい、ボーイッシュな感じも含んでいて、髪型、顔の感じ、は、手塚治虫の、リボンの騎士的なカンジである。毛がちょっと天然パーマでカールしている。私が困っていると、
「ごめんなさい。どうぞ。いいですよ。気にしないで下さい。じゃましちゃってすみません。」
という。気にしないで、といわれて、気にしなくできれば、神経質な人間は苦労しない。同時に私は、別の、ある興味を彼女に対して起こって、私は彼女のとなりに移動して、
「医療関係の人ですか?」
と聞いた。それなら、つじつまが合うからだ。ナースか、検査技士か、医療関係の人なら、血液疾患の勉強も、医師国家試験受験生、ほどではないが、かなり、少なくとも、素人よりは、ずっと勉強しなくては、ならず、同じ方面の勉強をしている同志との親しみの感情がおこって、話しかけてもおかしくはない。それも、最も、見ず知らずの人にいきなり話しかけるのは、不自然だが。私は医学部を卒業したが、友達がいないため、みなが知ってる勉強法を知らなかったため、地獄の国家試験浪人生だった。私は医学知識は膨大にあるのに、医者になれないくやしさ、みじめさ、から、人に話してみせることで自分に自信をもちたかった。それで、当時話題になっていた医療問題を医学的見地から説明した。彼女は、おどろいたことに、医療とは、全く無関係の人だった。話しているうちに、彼女は何かの宗教の熱心な信者であることがわかってきた。だか宗教なら、私だって自信がある。私の宗教視点は、キリスト教が、ベースで、他に仏教諸派、も、少しは読んでいた。内向性、は、哲学や宗教、など、観念的、目に見えないことに関心が向いてしまうのである。キリスト教は十分読んで、ほとんど知っていた。仏教の勉強も本格的にしたかったが、地獄の国家試験受験生にとっては、あけても、くれても、医学、医学、である。いつのまにか、宗教論に話が変わっていたが、私には宗教論を戦わす自信が、あったので、彼女と話していた。いつしか彼女は、自分の宗教の道場に来るよう、強く催促していた。彼女は、宗教者が、そうであるように、自分の宗派こそは絶対というゆるぎない自信をもっていた。もちろん私は哲学者だから、すべてを疑い、いかなるものをも信じきるということができない。私は、宗教者ではなく、無神論者、である。無神論者でありながら、宗教に関心をもっているのは、哲学というナイフで、宗教の原理を解明したい、という欲求が起こるからである。
彼女は、私に、彼女の信じる宗教のご本尊のあるところへ連れて行こうとした。私は、ことわりたかったが、何事においても、ゴーインな勧誘にビシッとことわることができず、つい、彼女についていくことになった。ごみごみこみいった路地を、どこをどう回ったか、覚えてないが、彼女に、ついて行った。途中、ドキンとしたことがあったのだが、それは、ラブホテルのネオンがこうこうと、ともった下を通った。これは、彼女の意図的な、ためし、ではないかとも思った。私もつい、彼女を誘いたい誘惑が起こった。が、ことわられて、軽蔑の目でみられるのがイヤだったので、劣情をガマンした。彼女は、こってりしたファッションではないが、ジーパンがフィットしてて、女としての魅力があった。
「ここです。」
と言って、彼女は、あるビルの2階をさした。入ってしまったら、しつこく、つきまとわれる、と思ったので、ことわろうとしたが、彼女は新聞の押し売りなみにしつこい。何としても××上人の教えに従って折伏しようとする。何が何でも自分の信じる宗教の正当性を主張してやまない。予言があたっただの、何だの。それは、それで正しいことは、みとめます、××上人は、立派な人格者だったんでしょう。尊敬しますが、私には私の考えがありますので、と言っても彼女はガンとして聞かない。ご本尊を毎日、おがみ、経を毎日、繰り返して唱えると、救われる、ありがたい教えなのです。という。自分がいくら価値を認めているからって、自分の価値観こそ、すべて、というのは、どうかと思ったが、そもそも、それが宗教というものでもあろうが。ついに私は、話し途中で、振り切って歩き出した。しかし、彼女はダニのようについてくる。三回ふりきったが、ついてくる。ガンとして私を説き伏せようとする。こんなことなら、関わらなけりゃよかった、と思った。私は、さっきのラブホテルの下を通ったことを思い出して、
「あなた。男はみんなおおかみですよ。私はジェントルマンだからいいですけど。」
といった。彼女は、
「それをきいて、ますます気にいりました。」
なんていう。普通の男なら、彼女をナンパするだろう。わざわざ、自分の方から網にかかってきた獲物を逃がす漁師はいない。なぜ私が、ナンパしないか、というと、私の偏屈なプライドからである。人間なら、当てはまるであろうはずの法則も私にだけは、当てはまらない、という絶対の自信があるからである。人間性に対する強い反発が私にはある。感情の赴くまま、生きている人間は、感情の奴隷であり、感情の赴くままに生きない人間というのが、カント哲学で言う、自由な人間なのである。そして、ストイシズムの代償として、目に見えない硬派の紋章が、燦然と胸に輝くのである。また、宗教者は、真面目で、あり、そこにつけこんではならない、という気持ちもあった。彼女は、私との縁をきりたくないらしく、携帯電話、をカバンから取り出して、彼女の電話番号を、紙に書いて、私のポケットにいれた。携帯電話の電話番号を教えることは、かなり、勇気がいる。彼女もちょっとためらった。電話番号を教えたら、しつこくかけて、つきまとわれる可能性がでてくる。よほど私を人格的に信じてくれた、ようだが、私は、道徳心が、強いわけではなく、人間性にさからっている、ヘンクツな人間であるに過ぎない。私は電話番号の紙を捨ててしまったが、流行歌、に、
「ポケベルが、ならなくて、…。」
というのが、あったが、少しかわいそうなことをしてしまったと思い、一度くらいは電話してあげたほうがよかったと後悔した。






   外科医オーベン
 さて、私はあと一週間でリストラされるので、ちょっと、かきたいオーベンがあるので、書いておきたい。三人目のオーベンである。元、外科ということだったが、今は、外科でも専門化が強いので、専門は何なのか、と思っていたが、あまり個人を詮索するのもはばかられ、きかなかったが、会話の中から、どうやら脳外科らしい。二週に一度は、母校の付属病院の脳神経外科で、外来診療しているので、脳外科が専門だと思っていた。だが、婦長さんと話している、ちょっとした会話の中で、どうやら外科は全科をローテイトして、どの科でも出来るらしい。胆石とり、は、何回もやった、とか、整形外科もできて、指がきれた患者が来てもつなげられるし、何回もそれをしてきた、という。指がきれる患者はやはりヤクザが多いとのことだった。そもそも救急科を何年もやっていた、ということだから、救急科は、何がくるか、わからない。逆にいえば何がきてもできなくてはならない。何か万能、ブラックジャック的に思える。又、大は小をかねる。外科は内科もできるが、内科は外科はできない。何年か前に心筋コーソクをおこして、体力に無理をかけられなくなって精神科に転科したという経歴だった。もちろん、精神科指定医の資格(精神科で三年の経験が必要)も、もっているから、まぎれもない精神科医でもある。はじめは、元、外科の先生ときいていたが、どうして精神科に転科したのか、と思っていたが、研修医のブンザイで、さしでがましく聞くのもはばかられたので、きかなかったが、さほど深い理由もなく、体力や何となく、の、なりゆきで、と思っていた。また私は、何となくのなりゆきで人生を生きてきた人を多く見ていた。だが事実はちがった。外科全科ローテイトした、本職は外科医の先生なのであった。なんとなく、などではなく、ベテランの外科医が心筋梗塞にあって、ハードな外科はできなくなって、やむなく、精神科に転科した、というのが実情だった。外科は理論より、長い年月をかけて技術の習得を身につけなくてはならない、という面が強い。また、そうして外科の技術を身につけた先生は、身につけた外科で、腕をふるいたい、という思いが強く、話していて、それが、ひしひしと伝わってきた。心筋梗塞したと聞かされた後で、みれば、たしかに体力のおとろえ、が感じられる。しかし、外科気質、とでもいおうか、注射にしても、IVH、ルンバール、外科的処置の時、きわめて堂々と、というか、全く自然にやって、不安、とか、緊張心が、全然ないのである。どんな事態になっても冷静に対処できる、という感じ。やはり、外科気質だ。外科が神経質だとノイローゼになって、精神がもたない。師は退職したら、精神科ではなく、外科系で開業しようと思うと、少し不安げにつげていた。もちろん技術の不安ではない。今、開業医の経営は、必ずしも順風ではない。場所は、あるそうだが、MRIやエコー、開店資金、看護婦や事務員の人件費、そもそも患者が十分くるか、設備投資の資金が回収できて、十分な黒字経営ができる、という保障はない。カケである。病院勤務をやめて、開業に踏み切った、ある先生がいて、内科、外科を標榜して開業したはいいが、一日20人くらいの風邪患者しかこず、採算がとれず、開業は失敗だった、と、なげいている医者の話もしてくれて、開業して経営が成り立つか、の、不安は、かなりシンコクにもっていた。ちなみにその医院では、一日40人は患者がきてくれないと、経営は成り立たない、ということだった。毎日、朝夕、ニトログリセリンの舌下錠をのんでいて、月一回は母校のジュンカン器科にかかっているという。(この母校の後輩医師はこの万能のベテラン先輩医師をどう診察しているか、想像するとおもしろい。)
この先生は、何といおうか、何でも質問しやすいフンイキで、又、何でも知っていることは、積極的に教えてくれて、とても勉強になった。前のオーベンはやたらギャースカさわいで、医者の能力よりもギャグを言うことに価値をおいていて困った。指導心など全然なく、聞いてもろくすっぽ答えてくれない。思うに、質問に答える、ということは、自分の知っていることも、知らないことも、さらけ出す、という面があり、又、今は医師国家シケンがむつかしく、国試後まもない研修医はベテラン医の知らない知識、もあるということもあり、恥をかくことをいやがる医者は、あまり教えたがらない。なめられてたまるか、という気持ち、だろうが、こっちは、そんなつまらない気持ちはない。又、自分は不十分な知識だから、他の先生に聞いて、と、すりかわす人もいるのだが、こっちが知りたいのは100%あやまりのない知識ではない。こっちは0%なのだから、60%の知識をもっているのなら、その60%を教えてほしい。不正確な60%の知識があることは、0%の知識とくらべてウンデイの差である。こっちがエパミノンダスで吟味能力がなく、言われたことは鵜呑みに信じ、誤った知識をもつ医者になることをおそれているのだろうか。教える、ということは、自分の有知、無知、自分のありのまま、を、さらけ出す、ということであり、勇気のいることである。恥をかきたくない、とか、なめられてたまるか、とかの妄想の鎧をガッチリきてしまっている人につくと、あまり、どころか、全然のびない。私は3月に、4月からのリストラをきかされて、にわかにあせった。療養型の精神科の二年のストレート研修では、全然医師としての基本能力が身についていない。プログラムにあった3ヶ月の内科病院での研修もしてなかった。しかし私は独学タイプであり、定期検査のケンサ価やレントゲン、エコー所見、心電図、CTから、常に内科的勉強につとめていた。また、腱反射、や、胸部聴打診なども当然身につけた。精神科以外のシッカンの薬もかなりおぼえた。私はいきなり、ハードで責任の重い内科ではなく、のんびりできる精神科で、独学で内科を身につけようとの意図もあった。ので、わかるようになると、パッとわかり、内科医からみれば、私の内科能力など、かけら程度だろうが、かけら程度でもゼロではない。リストラされるため、テリトリーの当直病院の当直のバイトもできなくなる。精神科病院での当直バイトは、あきがない。内科当直の求人は、あるが、内科当直は、はたして私にできるものか。医療といっても私は、のんびりした、精神科しか知らない。内科や外科の様子が全然わからない。私は、人と話さないため、ものごとを知らないため、ことさらおそれて、最悪の事態を考えて、しりごみしてしまったり、逆に二年の研修から、どんなことでも何とかなる、おびえすぎる自分はまちがっている、とも気づかされた。ただ何人かのDrに私の今の実力で内科病院の当直ができるか、を聞いたところ、できるんじゃないの、といったDrもいたが、いや、できない、といったDrもいた。それで私は、オーベンの先生が、二週に一度、行っている母校の付属病院の外来診療を見学させて下さい、と言った。そこでDrは脳外科の外来を非常勤でしているのだった。別に脳外科に特に興味があるわけではないが、他に医療関係に関して全くコネがない、からだ。脳外科なら体の病気で、内科の様子がわかる手助け、になると思ったからだ。Drに脳外科は、どんな患者がくるんですか、ときいたら、頭痛がほとんど、と言っていた。たしかに一般の人が頭痛がおこったら、何か頭に重大な病気がおこって、脳外科に行かなきゃ、という心理は、わかる。しかし、脳外科にくる頭痛の多くは、ホームドクターでかかるーべき筋緊張性頭痛ということだった。血管性頭痛やズイマク炎、脳腫瘍の頭痛もないことはないが、頻度は低いとのことだった。そこの病院は、さほどキボは大きくはなく、オペは、母校の近くの大きな付属病院に依頼し、オペ後のフォローや、地域医療としての役割的であり、いわば、つなぎ、のような役割だった。百聞は一見に如かず。ともかく一度、みておきたかった。病院を出て約一時間で、ついた。二時から診療で、病院についたのは、一時半だった。病院近くのラーメン屋で昼食をとった。
最寄の駅について、「郵便局に行くから待ってて。」というので待った。キネン切手を、子供がほしがるもんだからね、といってピッチャーの写真の切手をみせた。「沢村栄治ですね。」というと、「よく知ってるじゃない。」私は野球は全然みていなく、野球事情は知らないが、小学生の時は野球漫画が好きで、召集され、手榴弾キャッチボールしたといわれる沢村栄治は知っていた。今年、二人の子供が、中学と高校を受験した、とのことだった。受験をひかえた家庭というのは、分娩前の妊婦のようで、とても緊張してて、家族もたいへんである。という日本の受験教育の現状がひしひしと伝わってくる。いつか、婦長さんに、自分の子供のことを、「口ばっかりたっしゃで。」と、もらしていた。
今思えば、受験のストレスからだろう。二人とも無事、合格できたようで、その時は本当にうれしそうだった。
ラーメン屋で、塩ラーメンを食べながら、
「使わない家なんかもつもんじゃないよ。固定資産税ばかりかかるだけだよ。」
(別荘、ということか)
「維持費はかかるし、使う人はいないし、買い手もつかないし。」
「バブル以前に買ったんですか?」
「そう。そのとおり。」
二時になって、診療がはじまった。聞いていたのとは大違い。全然、脳外科である。CTを前に患者に脳血管造影の説明をしている。脳動脈瘤ハレツ後の術後の患者が多かった。あと多発性微小脳梗塞。脳血管ジュンカン改善薬をだしている。大正生まれ、が、かなりいた。あと、脳梗塞を悪化、発症させないように食生活指導。精神科とは全然様子がちがう。医者っぽい。一人興味深い患者が、眼科から紹介されて、きた。複視がおこったので、患者は、眼科医へ行ったのだが、眼科医は、これは内頚―後交通動脈の部位にできた動脈瘤が、動眼神経を圧迫しているため、ではないか、と考え、脳外科に紹介したのだ。この部位は動脈瘤ができやすく、複視で眼科をおとずれて、動脈瘤疑い、で、脳外科へ紹介、というパターンはけっこうあるのかもしれない。私が一番知りたいことは、どんなシッカンが頻度が多いのか、ということである。上腕で腱反射を調べ、対光反射、指を追視させ、動眼神経マヒの有無を調べている。脳腫瘍の患者もおり、話をきいてても、これは知らないことばかりであり、奥が深く、興味をそそられ、ハードな研修がいやで、のんびりした療養型精神科単科研修をえらんだことを少し後悔した。