過敏性腸症候群 戻る
「主よ。今からあなたのご用のためにあなたと共に、またあなたにおいて役立てる以外には、私が健康や長寿をいたずらに願うことがありませんように。 あなたお一人が私にとって、何が最善であるかをご存知です。ですからあなたがご覧になって最も良いと思われることをなさってください。
私の意思をあなたのご意思に従わせてください。そして、へりくだった全き従順の思いをもって清らかな信仰を保ち続け、あなたの永遠の摂理によるご命令を受け取ることができますように。
そしてまたあなたから与えられる全てのものを賛美することができますように」(パスカルの祈り)
「主よ。与えたまえ。変えられるものは、それを変えていく勇気を。変えられないものは、それを受け入れる素直さを。そして、変えられるものと変えられないものとを見分ける聡しさを」(ラインホルト・ニーバーの祈り)
「・・・そして本当の幸せをつかむためには、一度は死のうと思ったことがなくてはならなのだ」
(モンテ・クリスト伯)
過敏性腸症候群について書いておこう。私は医学部に入学する前に過敏性腸症候群が発症した。以来、今日に至るまで、ずっと苦しい人生を送ってきている。つまずきにつまずいた人生である。何度ビルの屋上に上り、死を考えたことか。
発病した最初は、消化器にくわしい近くのクリニックに行った。バリウムの検査もした。幸い、その先生は優秀で、親切で、こちらが長々と訴える悩みを親身に聞いて一緒に考えてくれた。
「腸が過敏になっている」
と言った。先生は、
「何か精神的に悩んでいる事はないか」
と、さかんに聞いた。しかし私には精神的な悩みは思い当たらなかった。本屋へ行き、「過敏性腸症候群」の本を何冊も買って読んだ。わりと直ぐに自分が過敏性腸症候群であることを納得できた。最初にかかった医者がきれる医者であったことは、私にとって、とても幸運なことだった。私は先生に一生、感謝せねばならない。過敏性腸症候群は患者にそれを納得させるまでが、一苦労なのである。胃腸の具合が悪くなったら、精神科だの心療内科へ行くのではなく、まず消化器科へ行くべきだ。精神科へ行ったのでは、患者は、いつまでも病気を納得できず、長い期間、苦しみ続けることになる可能性がある。
さて、地方の医学部へ入学したが過敏性腸症候群のため、クラスには馴染めなかった。一人でいる私をかわいそうに思ってくれて、
「ねえ。よかったら、こっちにこない」
と私に声を掛けてくれた人がいた。おかげで何とか、3〜4人の友達が出来た。彼にも私は本当に感謝している。しかし、やはりスムーズな会話は出来なかった。チクチク針で刺すような、耐え難い痛みが一日中つづき、腹を押さえながら授業を聞いていた。ともかく、近くでのかかりつりの医者を探した。医者は、すべてその大学出身者である。いくつも回って、やっと切れる医者に出会えた。いい医者とは、患者の訴えを親身になって聞いてくれる医者である。
しかし、もちろん個人クリニックでは限界がある。私は過敏性腸症候群の専門医にかかりたかった。
本の好きな私に、「池見酉(ゆう)次郎」先生を知るのは、わけもなかった。
ここで「池見酉次郎」先生を少し、紹介しておこう。
今ならインターネットで、「池見酉次郎」で、検索すれば、直ぐ出てくるだろう。
池見先生は、自身、若い頃から過敏性腸症候群で悩んで、医者になった人である。性格は内向的で、過敏。九州大学医学部に入り、卒業して医師になった。それまで日本に無かった「心療内科」を九州大学医学部につくり、心療内科の初代教授になった。日本の心療内科の創始者である。九州大学心療内科は日本の心療内科の発祥の地であり、心療内科のメッカである。池見先生は心療内科の釈迦のようなものである。今では、池見先生の弟子、孫弟子が全国で活躍している。言わば、池見先生は心療内科の神様である。池見先生は、天才、超秀才である上、自身、一生、過敏性腸症候群に苦しんだ患者であるだけあって、その研究業績は膨大である。過敏性腸症候群に限らず、心療内科の病気は、すべて知悉しつくしている。
また、池見先生は、アカデミックな研究だけでなく、一般の人にわかりやすく書いた心療内科の本を多数、書いている。どんなに時代が進んでも、池見先生の本が絶版になる事は絶対ありえない。
池見先生は文章の達人であり、極めて、わかりやすく、読みやすく、文章が輝いているのである。高度で難解な事も、池見先生の手にかかると極めてわかりやすい文章になってしまう。また、文章のわかりやすさ、だけではなく、内容も実に深く、広い。
池見先生について書き出すときりが無くなるので、この位にしておこう。
私は池見先生の本を全部買って、それは私の枕頭の書となった。池見先生は私にとって、医学の神様である。
私はたいして医者になりたいと思って医学部に入ったのではなく、医学部に入りたいと思って医学部に入った。しかし私は医学に全く興味が無くはなかったわけではない。子供の頃から喘息があって自律神経系が弱く、何より、後天的に発症した過敏性腸症候群を何とか、その原因を知り、治りたいと思っていた。喘息は、それほどムキになる気はなかった。病気は先天的なものはself(自分自身)なものであり、自分自身のidentityであり、さらには大切な自分の友達ですらある。しかし過敏性腸症候群は後天的に発病したものだった。そのため、基礎医学になってからは、過敏性腸症候群とは何かを知りたいという強い目的意識が常にあった。いわば一つの目的を持って入学したようなものである。ちょうど本田宗一郎がピストンリングに関する知識をしっかり知りたいと思って浜松高等工業学校に入ったのと似ている点がある。本田宗一郎にとってピストンリング以外の事はどうでもよかったのである。
さて、本田宗一郎について書き出すときりが無くなるのでこれ位にしておこう。
この腹の痛みの原因は、いったい何なのか。生理学でdenervation hypersensitibity(除神経過敏)を聞いた時には、ああ、なるほどと思った。組織学で腸管のアウエルバッハ神経層、マイスナーの神経叢、を知った時は、大変興味があった。一番、私が疑問に思いつづけた事は、この痛みの原因は中枢によるものなのか、末梢によるものなのか、という事だった。中枢説と末梢説で私は悩みつづけた。学生時代の時は、最後までわからなかった。
腹痛はいっこうに、おさまらない。こんな状態で、はたして国家試験に通れるものか、仮に通ったとしても医師の仕事をちゃんと出来るものか、という将来に対する不安に悩まされつづけた。精神安定剤も睡眠薬も、もはや、それ無しには生きていけなくなっていた。授業中も座っていると、あまりの腹痛に耐えられず、立って講義を聞くこともあった。
冬は冷え性がひどく、思考が回らず、うつ状態になってしまう。頭に雑念が起こって止まらない。もはや医者は無理ではないか、と思うようになりだした。加えて、友達がさそってくれて、入っていた文芸部で創作の喜びを知って、医学に対する興味は無くなっていった。しかし、一度入った以上ちゃんと卒業はしようと思っていたので医学の勉強はおろそかにしなかった。
針、灸、食事療法、運動、精神科めぐり、など、ありとあらゆる事を試したが駄目だった。
とうとう四年の時、うつ病がひどくなって、矢折れ力尽き、休学することになった。しかし親は、うつ病に理解がなく、「死ぬ気でがんばれ」、と叱るばかり。私は死のうと思った。ビルの屋上に何回ものぼった。近くの精神科クリニックに通っても、精神科医に何を訴えても、「それは精神のせいですよ」と言うだけで、抗うつ薬を出すだけ。こんな医者にかかっていたら殺されると思った。当然、一回で見切りをつけた。ともかく、自分で名医を探すしかない、と思った。
書店で、心療内科の名医のガイドブックがあったので、それを買った。どの医者がいいのかわからないので、ともかく通えるところに決めた。だめだったら、別の医者にかかればいい。それで、ある××大学病院の心療内科へ行き、教授の診察を受けた。出来れば九州大学の心療内科にかかりたかったのだか、そこまでの行動力は無かった。入院治療をすすめられても困るし・・・。
××大学病院の心療内科の××教授は、心療内科の権威で医療雑誌にもよく出ていた。私は集団療法(共感療法)を受けたいと思っていたので、そう言ったら、それをやっている病院を紹介してくれた。あまり期待していなかったが、わらをもすがる思いで行った。そこは精神科と心療内科をちゃんと分けていて、心療内科はみな東邦大学の先生だった。心療内科は、関東では東邦大学が一番である。自分の病気は一生治らない、と、あきらめていたので、期待はしていなかった。しかし診察室に入って先生に会って吃驚した。涙が出て止まらなくなった。同時に治るはずがないと諦めていた腹痛がスーと消え出した。その先生はたいへん重症の吃りだった。ひとこと話すのにたいへん顔を真っ赤にして、てこずっている。話しベタなんてレベルではない。それは間違いなく日常生活や職業に支障をきたしている不治の病だった。ひとこと話す度に苦しみ、動悸を起こしている。その先生が今まで歩んできた苦しみの人生が瞬時に想像された。ひとこと言う度に血圧が上がっている。まさに自分の身を犠牲にして生きている。先生の吃りも、心身相関の心身症である。間違いなく、先生は自分が苦しんだ経験を役立てることが自分のミッションだと思って心療内科を選んだのだ。先生は医者の能力は特別優れているというわけではなく、普通だか、先生は確実に人を癒している。能力ではなく、その存在が、人を癒しているのである。私は大変な力を与えられた。
「こんなハンデを持った人が医者をやっている。やれている。なら私も、どんなに苦しくても頑張らねば」
こんな素晴らしい先生にもっと早く会えていれば・・・と、つくづく思った。生きるか死ぬかで悩みつづけていた私が、生きてみようと思えたのはこの先生との出会いのおかけである。
その病院でうけた集団療法も大変な治療になった。みんな生きるか死ぬかで悩んでいて、まさに生き地獄の中で何とか生きようと頑張っている患者ばかりだった。
「うつ病」「親がアル中で暴力をふるい家にいられない」「過食・拒食症」etc
残念ながら過敏性腸症候群の患者はいなかったが、集団療法はたいへんな治療になった。
そして私は復学できた。休学中は、遅れている勉強に全精力をつぎ込んだ。
休学中にしっかり勉強していたため単位は全部とれ、無事、5年(臨床)に進級できた。ただ過敏性腸症候群の腹痛はあいかわらずである。関西でも、あのようないい先生にかかりたいと思った。それで勇気を出して池見酉次郎先生に電話した。私にとって池見先生は医学の神様であるので、話しかけるのは、とても恐れ多く、それまで、できなかったが、失礼を覚悟の上で勇気を出して電話した。
先生は親切に答えてくれた。先生は、
「大阪の豊中にある黒川君にかかったらいいよ。黒川君はね、僕の弟子」
と言ってくれた。さらに、
「過敏性腸症候群は治らない」
「黒川君なら治してくれるよ」
と言った。過敏性腸症候群は治らない、という事は、その頃、私はもう十分、実感していた。医者が患者にズバッと「治らない」と言うのは、あまりよくない事なのだが、池見先生の意図は、自分が過敏性腸症候群で苦しみ、過敏性腸症候群を研究してきた医学者としての立場からである。
過敏性腸症候群にも色々なタイプ、症状の程度など、人さまざまだが。私の場合、過敏性腸症候群はきれいさっぱり治ることは無い。Treatment(完全治癒)は無理である。しかし生活を正し、治療をちゃんと受ける事によってManagement(病気を上手く飼いならす)事は出来るのである。患者が自覚を持って取り組めばQOL(生活のレベル)はかなり上げられるのだ。
さて池見先生が紹介してくれた黒川医院に行ったら、さすが池見先生のお弟子さんだけあって、すごくいい先生だった。先生は和歌山県立医科大学を卒業したあと、九大心療内科に入局した。医院を開業しながら九大心療内科の非常勤講師もしていた。テレビにもけっこう出ていた。
五年に進級できた時は嬉しかった。そもそも医学部では基礎が一番しんどく、臨床は基礎の上であるが、基礎ほどしんどくはない。
どこの医学部でもそうではないかと思うが、医学部では5年の一学期は楽であり、夏休みが終わって、秋の文化祭までは、ほどほどにやって、文化祭で最高に盛り上がって、クラブもオイコンをして、やめ、文化祭が終わってから、いよいよ本格的に国家試験の勉強を始める、というところが多いだろう。
私は休学して、下のクラスに落ちたため、知っているヤツはほとんどいなく、クラスには全く馴染めなかった。5年の一学期は車の免許を取り、80枚の小説を完成させ、ある文学賞に投稿した。(おちた)
5年の秋からポリクリ(臨床実習)が始まった。ポリクリとは、5人で1つの班になって、内科、外科、小児科、産婦人科、整形外科、他、すべての科を大学付属病院で回る勉強である。実際に患者をみて、レポートを書いたりする勉強である。これは大変やりがいがあった。基礎での分厚い医学書を机上でひたすら覚える無味乾燥な勉強とは全く違う。私の班には紅一点ですごくかわいい女の子が一人いた。私は内心、すごく嬉しかったのだが、私は女の子と口がきけないので、その子に何も話せなかった。彼女は私に何故だか好意を持ってくれていた。ともかく、私が話しかけないので、彼女に、私が彼女を嫌っているという変な誤解を与えてしまった。
そして無事、卒業し、国家試験も通った。
過敏性腸症候群について、これは書いておこうと思っていたので、軽い気持ちで書き始めたのだが、何だか、自分の病気史みたいになってしまった。でも、それでも悪くはないとも思う。過敏性腸症候群を持っていても、苦しくはあっても何とか人並みに人生を送れるという証明を書いたようなものだから。
池見先生の本でも、自分の病気史を書いた「心身セルフ・コントロール法」(主婦の友社)が、一番力になる。
過敏性腸症候群についてもう少し書いておこう。
「☆」まず、腹の痛みの原因は末梢か中枢(視床下部)か、という疑問だが、これは両方だ。腸は心臓と同様、それ自身、ペースメーカーを持って独立して動いている生き物だから、中枢より末梢の方が、より痛みの原因となっているだろう。薬理学の実習の時、マウスの腸だけとりだして、の、実験で、取り出された腸だけが生き物のように薬物に反応して動いているのを見て、つくづくそれを実感した。
「☆」当たり前の事だが、ストレスというのは、精神的ストレスだけがストレスなのではなく、気温、気圧、湿度、他、つまり外界の悪い状態もストレスである。
「☆」心身症はすべて悪循環病である。
痛み→精神的不安→自律神経の乱れ→副交感神経が緊張する→腸の蠕動が乱れる→腹痛が起こる、の悪循環である。
「☆」風呂、乾布摩擦、冷水摩擦、日光浴、水泳、全ていい。
乾布摩擦が喘息にいい事は知っている人はけっこういるだろう。私も子供の頃、喘息の施設で毎日、乾布摩擦をやらされた。人体は外部の皮膚が気管や腸管に連続してつながっている。そのため、皮膚を鍛える事は気管支や腸管を丈夫にするのだ。時間がなければ、わざわざプールに水泳に行かなくても、毎日、風呂に入って、体を洗う事を日課にするといい。家に閉じこもりきりの、やわ肌はよくない。
「☆」頭を使う。
過敏性腸症候群は副交感神経(休息)が過敏になっているのだから、交感神経(活動)を優位にした方がいい。どんな勉強でもいい。頭を使えば交感神経が優位になる。精神に気合いが入れば、血行がよくなり、代謝が活発になる。頭を使えば脳がグルコースを要求し、腹が減り、腸が動き出す。
「☆」音楽療法。趣味。など。
体調が悪い、つらい時には、自分の好きな音楽、漫画、など、自分の好きな事をやっているだろう。これは一見、逃避のようにも見えかねないが、無意識の内に自己治療をしている、という事でもある。脳に快刺激が起こると、自律神経を介して体調の悪化が改善されるのである。
「☆」緊張とリラックスの交換が腸にいい。
交感神経優位しっぱなしではよくないし、副交感神経優位しっぱなしでは、もっとよくない。交感神経と副交感神経の切り替えが、腸の運動にいい。
「☆」三年かけて良師をさがせ。
(意味=ヘタな医者に三年かかりつづけるより、三年かけて良い医者を探した方がいい)
私にとっては、吃りの先生がそうだった。ドクターショッピングは、悪い事ではない。相性の合う医者を探す事は、むしろ、しなくてはならない事である。何を訴えても聞く耳を持たず、薬だけ出す医者にかかってても何も改善しない。
「☆」精神科、心療内科へ行くよりも消化器科へ行く。
まず今、ほとんどの精神科クリニックでは、「精神科」とだけ標榜している所は少ないだろう。ほとんど、「精神科、心療内科」と、標榜しているだろう。さらにほとんどの所が、「精神保健指定医」と書いてあるだろう。電話帳を見てみればいい。まず、「精神保健指定医」と、書かれていない方がいい、と言えるかもしれない。
その理由。
過敏性腸症候群は心身症、消化器病、である。だから、専門は心療内科、と、消化器科である。しかし、この「心療内科」というコトバがクセモノなのである。精神科と心療内科は、確かにオーバーラップする疾患はある。うつ病、神経症(ノイローゼ)などである。しかし、基本的には別の科である。精神科は、統合失調症、躁うつ病、認知症、など、病識のない病気が専門である。薬は向精神薬、メジャートランキライザーの知識が専門である。精神科医は体の病気は内科医のように、しっかり診れない。特に開業医はそうである。一方、心療内科は、心身症が専門である。病識のある疾患が専門である。統合失調症のような病識のない疾患はテリトリーではない。ではなぜ、「精神科、心療内科」と標榜してあるか、というと。実は、「精神科、心療内科」と標榜しているクリニックのほとんど全部は、精神科医なのである。心療内科の知識は無いか、極めてプアーなのである。では、なぜ、「心療内科」とも書いておくか、というと、「精神科」とだけ書くと、イメージが暗くなるからである。「心療内科」も付けといた方がイメージがよくなるからである。ほかに、心身症、ストレス病の患者を増やす目的もある。「メンタルクリニック」という名称も同じである。しかし精神科医は心療内科を正式に勉強してはいない。「精神保健指定医」と書いてあったら、これは保障つきで精神科医である。では、本当の心療内科を見つけるには、どうしたらいいか。あるいは、精神科クリニックでも、心療内科の知識をしっかりもった医者を見つけるには、どうしたらいいか。これを医者にかかる前に事前に知る方法はない。
関東なら、東邦大学、関西なら九州大学、のように、大学病院の中で、精神科と心療内科の二つがある所は安心である。伊藤克人先生の「過敏性腸症候群はここまで治る」という本の中に心療内科を専門にやっている病院やクリニックが書いてあるが、これは信頼できる。
過敏性腸症候群の患者は体の病気が診れない精神科へ行くより、消化器科へ行った方がずっといい。そもそも精神科医は患者の訴えをうざったそうに聞くだけで、薬だけ出す医者がかなり多い。精神科医が、いばる傾向があるのは、一種の職業病なのだが・・・。精神科医より、内科医の方が、ずっとやさしい傾向がある。
「☆」何事でもトライ。
何事でもトライ。最初の一歩の勇気を。
過敏性腸症候群の本やホームページは、いっぱい出ていて、やった方がいい事はほとんど書いてあるので、くりかえし書く気は無い。食事の事、趣味、音楽、適度な運動、他。どうせだめだろうと、最初から決めつけず、一度なんでも、やってみた方がいい。その事が、そのまま効果がない場合も多いだろう。しかし、何かやってみると、それがキッカケで何かいい拾い物や発見をする事がある。何もしなくて改善する事は、まず無い。
「☆」本に書いてあることを教科書的に守らない。
世の中に同じ顔の人が一人もいないように、全く同じ病気というものは、世の中に無い。医学という立場からカテゴライズしているのであって、すべての病気は、その人、特有のものである。体質も合併症も、生活環境も、仕事も、性格も、趣味も、すべて違う。他人である医者より、自分の方が自分の病気をより正しく知っている主治医である面は当然ある。自分が効果があると感じたら、本や医者の言う事に盲従する必要は全くない。
「☆」集団療法(共感療法)は、非常に有効。
今は、ネットで同病者をみつけ、メールやオフ会で、励まし合う場を見つける事は容易だろう。
「☆」自分の病気について少しは医学を勉強しなくてはならない。
病気に対する不安は、病気がどのようなメカニズムで起こっているのか、わからない不安からも当然、起こっている。ただでさえ、人間は、わからない事に不安を抱く。病気のメカニズムがわかれば、かなり安心感が得られて、不安が軽減される。
おすすめの本
「過敏性腸症候群性腸症候群の診断と治療」(医薬ジャーナル社。三好秋馬編。4000円)
基本的には、医学書だが、一般の人でも十分読める。これは過敏性腸症候群に苦しむ人にぜひ、お勧めの本。読むだけで、かなりの治療効果が得られる。過敏性腸症候群の苦しみは人に理解してもらえない苦しみである。過敏性腸症候群の苦しみの理解者をこの本によって得られる。
「過敏性腸症候群性腸症候群はここまで治る」(主婦と生活社。伊藤克人)
全国の本当の心療内科の病院、クリニックの一覧がのっている。もちろん黒川医院、吃りの先生のいる病院、九州大学心療内科、東邦大学診療内科、がのっているのはもちろんのことである。
池見酉次郎先生の本は、すべていい。
どれが一番いいか、迷うが、まずは、一番読みやすい本。
「心身セルフ・コントロール法」(主婦の友社。池見酉次郎)
先生の闘病史が書かれている。先生の文章の素晴らしさ、読みやすさ、に驚くだろう。確実に治療効果がある。
次は、
「心療内科」「続・心療内科」(中公新書。池見酉次郎)
が、いい。そもそも、これらは一般の人向けに書かれた本である。
うつ病、に関しては、渡辺昌祐先生の本がいい。
私は、男はどんなに苦しくても、弱音を見せるべきではない、と思っているので、これはアップしたくないのだが、過敏性腸症候群の事を書こうとすれば、どうしても、自分の経験を出さずにインパクトのあるものを書くのは、無理である。極めて恥ずかしい。
平成19年5月6日