官能作家弟子入り奇譚            もどる

(1)
由美子が彩子を誘って本格的作家になりたいといったのは由美子の方からであった。由美子は大学を出て、ある宗教団体の雑誌の編集部に入った。が、そこでは由美子は、もっぱら編集の仕事ばかりで、たまに書かせてもらえることといっても教団賛美のことばかりで、もっと自由に自分の思いを書きたいと思ったからである。彩子も由美子と同期で、この雑誌の編集部にいたが、やはり由美子と同じ思いだった。二人はそのことを編集長に話した。作家として世に出るにはいくつかの方法がある。一番いいのは何かの文学新人賞に応募して当選し名が知られることである。が、由美子は、それまで、小説らしい小説を書いたことはなかった。編集の仕事をしているうちに、だんだん自分も書いてみたいと思うようになったのである。情熱はあっても方法を知らない。そこで何とか、どうしたら作家になれるか、編集長に忌憚なく話してみた。すると、編集長は、「よし、わかった」と言った。
「作家になるには並大抵のことではできない。何かの文学賞をとるのが一番の早道なのだが、おまえたちはまだその段階ではない。作家になるもう一つの道に名のある大家の弟子になる、という方法がある。売れてる作家は超多忙だから、傘下に入って、取材や、対談の記録などを書けば、確実におまえたちの文が大手の雑誌にのり、名前を売ることができる。それをきっかけに文筆の道へ入るという方法だ。どうだ。やってみるか」
と、言うので、二人は、にべもなく、
「はい」
と答えた。
「よし。俺の知人で大家がいるから、紹介してやろう」
二人は、
「あ、あの。何という名前の先生なのですか?」
と聞くと、編集長は、ニヤリと口元をくずし、
「団鬼五先生さ」
と言う。
「えっ。団、鬼五?」
二人は顔を見合わせて、キョトンとした。知らなかったのである。
「あ、あの。どのようなものをお書きになる先生なのですか?」
由美子が、不安を感じて聞くと、編集長はニヤリと笑い、
「ふむ。まあ、あれは、何と言ったらいいのかな。まあ、ミステリーロマン、とでも言うべきかな。最近は将棋関係のものも書いているようだが」
二人は、ミステリーロマン、と聞いて、ほころんだ。大家と言っても、自分たちには、ハードボイルドや時代物は、ちょっとむかない。ロマンスがあってリアリズムのある現代小説なら、自分たちの傾向にもピッタリである。氏のアシスタントをするかたわら、ミステリーロマン小説の書き方の秘訣、なども教えてもらえれば、これに勝る喜びはない。二人は、
「よろしくお願いします」
と編集長に言った。編集長は、鬼五に電話で連絡をとり、二人は鬼五の家への地図を渡された。二人は肩を組んで、
「わーい。やったねー」
と無邪気に喜んでいる。
加えて嬉しかったのはイヤな編集長の伸と別れられることである。自分の気に入った若い女にはやたら絡みつく様に言い寄って食事に誘う。断わると仕事で難クセをつけてくる。由美子も彩子もその標的になり、いいかげんに嫌気がさしていた。気の強い由美子は、一度、伸に対し決然とした態度をとったため、伸は由美子にだけは手が出せなくなった。その伸と別れられるのである。
二人は子供のように肩を組んで無邪気に喜んでいる。
そんな二人を伸は薄ら笑いを口元につくりながら冷ややかに眺めていた。

   ☆   ☆   ☆

翌日、二人は地図を頼りに、鬼五の家へ行った。ミステリーロマンを書くような人だから、いったいどんな人なのかしら、想像の翼を伸ばして、奔放なことを大きなスケールで、書く人は、本人は、おとなしい、静かな、やさしい人、という傾向があることを二人は、語り合って、キャッキャッ、と修学旅行の女子中学生のように、はしゃぎあった。
(さあ。これから、はじまるんだわ。私たちの人生が。すばらしい青春が・・・)
屋敷につくと、大柄な男が庭を掃除している。表札には確かに「団鬼五」と書いてあるから、間違いなく、自分たちのこれから師事する作家の家であるはずだ。しかし、屋敷は、新築の大邸宅であるが、周りは、樵の大木が鬱蒼と茂っていて、何か、妖気が漂っているといった感じである。由美子が、おずおずと、その巨漢男に問いかけた。
「あ、あのー。ここは、ミステリー作家の団鬼五先生のお宅でしょうか?」
と言い、自分たちは作家志望で、鬼五先生を紹介されて、やってきたいきさつを語った。この時、二人は、何か予期せぬ恐ろしさに顔を見合わせて不安を感じ出していた。男は女達をギロリと観察するように、しばし無言で眺めていたが、重い声で、
「先生は奥だ」
と言った。男に案内されて、大座敷の中を見た二人は、はじめて鬼五をみた。中背で太っ腹に浴衣を着て、黒ぶちの眼鏡をかけ、ムスッと黙っている。ロマン作家というよりは、現実を見据えた実業家、というようなカンロクがある。あるいはヤクザ社会の黒幕。さらには単なるシガラキ焼のタヌキ。巨匠の作家の家というからには、さぞかし著作や蔵書の山というバクゼンとしたイメージをもっていたのだが、戸棚には将棋の駒の模型に、床の間には、何やら値のありそうな日本刀が厳かに飾られている。
「先生。作家志望の女性をお連れしました」
と言われると、鬼五は、もどかしそうに敷居の前で並んで立っている二人をよそに、
「おお。大池。ちょうど退屈していたところだ。一局いこう」
と言って、将棋盤に駒をならべはじめた。大池は、弟子志望という重要な用件で来ているのに、声もかけてもらえないで、狼狽している二人に、チラと同情の一瞥を向けたが、親分の言うことにはさからえない。将棋盤を間に対座すると、自陣の駒をならべはじめた。駒がならびおえると、鬼五は意気のいい声で、
「よっしゃ。一局十万でいこう」
と言う。どうやらこれから賭け将棋をするらしい。十万というコトバが効いたのか、大池の全関心は目前の勝負に吸い寄せられ、哀れな二人の女のことは関心の外へ追い出された。ピシャリ、ピシャリ、と勝負の駒が進められていく。
「ふふ。その手でくるか。ならば」
と鬼五が一駒指すと、大池も、
「なかなか、面白いことを考えますね」
と口元をほころばせる。二人は、もう完全に勝負の世界に没入して、将棋のわからない者には、立ち入ることのできぬ、見えざる結界が、二人の周囲にはられている、といったフンイキである。鬼五が煙草を取り出して一服したので、大池も胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。敷居の外では、由美子と彩子が、寄り添うように、うつむいて、困惑した視線を床に落としている。由美子は、自慢の小粋な、かわいい、ハンドバッグを思わずキュッと握った。その中には、今日、読んでもらおうと持参した彼女の自信作の短編が一つ入っていた。由美子は、「これ、私が書いたんです」といって、恥ずかしそうにそれを差し出し、一心に読まれた後、「うん。すばらしい作品じゃないか」と、言われることを期待していた。いや、必ずしも弟子入りがまだ決まっていないので、相手を見てから、見せるか、どうか決めようと思っていた。別に必ずしも、読んでもらえなくてもいい。由美子にとって、この作品は、お守りのようなものであった。それがこんな予想もしないようなことになろうとは。
勝負が中盤戦に入り、さて、これからどう展開するかと、一思案に鬼五が入った時、大池が、
「先生。彼女達、困ってますよ」
と、さりげなく合図した。鬼五は、やっと気がついた、かのように、はじめて彼女らの方へ顔を向けると、
「ボサッと立っててもしようがないだろう。弟子入り、したいというのなら、わしは別にかまわんよ」
と、そっけない口調で言って、再び将棋盤に目を戻した。二人は顔を見合わせた後、積極性の点で勝ってる由美子の方が、
「あ、あのー。おじゃましてもよろしいでしょうか」
と、おそるおそる聞いた。鬼五は、振り向きもせず、うるさいハエを払うような口調で、
「そんなこと考えんともわかるやろ」
と、つっけんどんに言った。二人は、おずおずと敷居をまたいで、部屋に入ったが、「あ、あの、座ってもよろしいでしょうか」と聞きたくも思ったが、何か言うと、しかられそうな気がして、こわくて、はやくも目に涙を浮かべて立っていると、
「ボサッと立っとらんで座ったらどうや」
と、いらついた口調で鬼五に言われ、二人は、おそるおそる膝を折って座りこんだ。並んで正座しながらも、二人は、わっと泣き伏したいような不安に何とか耐え、由美子は、お守りの入っているバックをすがるようにギュッと握った。由美子は艶のあるストレートで、彩子は、多少のナチュラルカールがあるがストレートの髪型で、二人とも上下そろいのスーツだった。由美子が、おそるおそる、
「あ、あの。お茶をお入れいたしましょうか」
と、言葉をかけると、鬼五は、うるさそうに、
「いらんわ。よけいな気を使わんでよろし」
と、ピシャリと跳ね返す。形勢不利のため虫のいどころが悪いのか、わからないが、ともかく、もう何を言うのも怖くなってしまって、俯いている二人の目からは、はやくも涙がポタリと、おちはじめていた。二人には将棋は全くわからなかった。ただバクゼンとした印象で、頭の回転がものすごく早く、鋭く切れる頭脳を持った男が、日常で使いきってる頭脳でも、まだ有り余った分を余裕で投入している将棋指し、というものが何か、とてつもなく、小説を書き上げることに四苦八苦している自分たちを、言わず威圧してくるような感覚をもたらすのであった。それはプロとして認められるようになれる作家になれるかどうか、と悩んでいる彼女達にとって、世間という壁のようにも見えた。だが、どうやら勝負が見えはじめてきたようで、大池が口元をゆがませて、
「へっへへ。先生。どうやら、決まりですな」
と言うと、鬼五は、それに答えて、
「チッ。大池。おまえは、中盤までは、勝てそうな気を起こさせることもあるのに、詰めは絶対やぶれない。お前には麻薬性がある。お前とやるとストレスがたまる一方だ」
と言って、財布から十万出し、大池に手渡した。そして「あーあ」といって、大あくびした。大池は、いかにもつまらなさそうに背もたれに寄りかかっている鬼五をみて、やっと勝負が終わって、鬼五の秘書的役割でもある自分を取り戻すと、あわてて二人の来客を紹介しようと、どなるような大きな声で鬼五に向かって言った。
「先生。さっきからお客さんが待ちくたびれていますよ。作家志望で、先生に師事したいと、わざわざ遠方から来られた方ですよ。友、遠方より来るアリ。又楽しからず哉。と、孔子も言っているじゃありませんか」
「わしは孔子は好かん。わしは西鶴が好きなんじゃ」
「先生。西鶴は哲学者ではありませんよ」
「おお。大池。お前も理屈っぽいことを言うようになったのう」
そう言って鬼五は豪放に笑った。
大池に促されて、ふいと視線を横へ向けると、そこには憔悴した表情の女が二人、さびしそうにうつむいて端然と並んで正座している。鬼五は、やっと気づいたかのように、そっけない口調で、
「ああ。あんたらのことは電話で聞いている。わしは別にかまわんよ。たいしたことはしてやれないけど、それでいいならね」
と言った。はじめて声をかけてもらったうれしさから、かなし涙が、うれし涙にかわるほどの思いだった。
「あ、ありがとうございます。未熟者ですが、何卒宜しくお願い致します」
由美子は、両手を前にそろえて、深く床にこすりつけんばかりにお礼の頭を下げた。気の弱い彩子は、由美子の後ろに隠れるようにして、同様にお辞儀した。
「君達。何で僕なんかの弟子になりたいと思ったの?」
この忌憚ない質問の言葉は彼女達の心の緊張を解き、リラックスさせた。由美子は陽気にしゃべり始めた。
「はい。先生はミステリーロマンの巨匠と聞きまして、きっと心温まるヒューマンファンタジー的なものをお書きになっているのだと思い、すばらしいなって思い、私達も雑誌の編集をしているうちに、何か小説を書いてみたいと思うようになったのですが、情熱ばかり嵩じても、いったい自分たちが、どういうものを書けるのかもわからず、ミステリーロマンときいて、一も二もなく押しかけてしまいました」
と言って、口元に小さな微笑をつくった。由美子は、
「ねえ」
と相槌を求めるように振り返って彩子を見た。すると彩子も小さな声で、
「はい」
と微笑して答えた。ミステリーロマンというコトバから彼女らがイメージしたのは、火曜サスペンス劇場で見るような推理もの、だったのである。彼女らの言葉にうそはなかったが、もちろん政府が発表する、あらゆる白書のように、長所はくまなく述べても、失策は絶対かかない、人間の常の法則は当然あって、名のない作家志望者が文壇に認められるようになるのは至難の技であって、たとえ小説を完成させたとしても、それを大手の出版社に持ち込んでも、投稿原稿は、まとめて捨てられる、というのが出版界の現状なのである。ともかく作家の知名度がある、ということが絶対的な前提条件であって、名のある作家について、対談を書いたりして、自分の名を世間に売るというのが、裏口入学的な一つの方法なのである。いったん名が知られて、コンスタントに書けるポジションを手に入れられたら、むさくるしいオッサンなどは、どうでもいい、利用してポイ、という現代の若者が持つしたたかさを微笑の裏に隠していることは、年のいったオッサンには気づかれない演技ができるという十分な自信は持っていた。が、相手は海千山千の、波瀾にとんだ人生を送ってきて、人間の本心など一瞬で見抜いてしまう鋭い眼光の現実家であるということを彼女らは知らない。小説家というのは、自分のロマンの世界に浸っていて、実社会のかけひきには疎い、という傾向がある、と、たかをくくっていた。彼女らの心は、もうすでに、この老練な現実家によって見ぬかれている。後は体である。彼女らにしてみれば、面接官をだまして、内心舌を出している応募者の心であっても、客観的には釈迦の掌上の孫悟空、というか、すでにクモの巣にかかっている蝶なのである。
「君たち、僕の本読んだことあるの?」
と鬼五がとぼけた口調で聞くと、由美子は元気よく、
「はい。何年か前に、先生の御著書を数冊、読んで、失礼なことですが、タイトルは忘れてしまったのですが、読んだ後、感動で胸が一杯になったことは、はっきりと今でも覚えています」
ねえ、と言って、由美子は、隣の彩子に目をやると、彩子もうれしそうにうなづいた。鬼五は口元をニヤリとゆがめた。
「あんたたち、作家になるには、よほどの決意が必要だよ。作家なんてものは、自分をすべてを人にさらすようなもんだからね。ある作家が、言ってたけど、街中を裸で歩けるくらいの神経がないと、恥ずかしいだの、何だの、言ってるようじゃ作家にはなれんよ」
由美子はキッと真剣な表情になり、
「はい。その覚悟は自分なりにしているつもりです。オーバーかもしれませんが、決死の覚悟はできているつもりです。作家になれるのであれば、いかなる難行苦行をもいとわないことを誓います」
と決然とした口調で言った。
「よし。そのコトバ気に入った。弟子にしてやろう。それと、小説家になるには、感動的なことが起こるのを指をくわえて待っているようではダメだ。どんなことでも進んで体験してやろうという積極さ、が、なくてはダメだ。それと、若い時の苦労は買ってでもしろ、というが、あれは作家には特に当てはまる。そういう覚悟はあるか」
鬼五の黒縁の眼鏡の奥からのぞく鋭い視線から少しも目をそらすことなく、由美子は、
「はい」
と力強く答えた。由美子の頭には、中学の時、教科書で読んだ芥川龍之介の杜子春の弟子入り、のところが意識することなく、思い出されていた。鬼五は、しばし弟子入りが許されてニコニコしている彼女たちをじっと観察するように見ていたが、ついと立ちあがって、書棚から数冊、本を取り出して、
「あんたたち、ウソ言っておだててくれんでもいいよ。オレはこういうもんを書いてきた」
と言って、彼女たちの前にドサッと放り投げた。なにやら女の顔が妖しい暗いタッチで描かれている表紙である。それは二人にとって、全く未知の種類の本だった。うろたえている彼女達に、鬼五は、
「みててやるから、よく見てみろ。お前たちには、わからんだろう。オレはこういうものしか書けんし、こういうものなら、誰にも負けん自信がある。おれは、こういうものに価値をみとめていて、美しいと思っている。お前たちがどう思うか知らんが、イヤなら別についてきてくれんでもいいよ」
と言って、傍らに置いて一升瓶の酒をコップに注ぎ、将棋の本を手にして読み出した。二人は、おそるおそる、その未知の雑誌を開いてみた。
「あっ」
彼女達は思わず絶叫した。表紙をめくると、そこには、グラビアの写真として、一糸まとわぬ裸の女が、後ろ手に縛り上げられ、さまざまな奇態な格好に縛られている写真が、彼女達の目の中に飛び込んできたのである。ヌード写真ならわかるが、これはいったい何なのだろう。江戸時代の拷問のようでもあるが、やたら、愛とか美とかいうコトバがちらかっている。薄暗い部屋で、柱を背に、両脇から黒子のような男が、毛筆で女をくすぐっている写真、天井の梁から吊るされている写真、足を大きく広げさせられている写真、女をあらん限りの方法で屈辱の極地におとしめようとしている、のが、この写真の意図ではあるまいか。二人の顔は紅潮し、同時に得体の知れぬ恐ろしさが二人をおびやかしはじめていて、項をめくる手は震え始めた。さらに彼女らをいっそうおどろかせたことがあった。それは、こういう写真をとられに来る女の心の不可解さ、であり、中には、目を閉じ、はっきりと恍惚にうちふるえている表情の女もいることであった。
「ゆ、由美子さん。こわい」
内気な彩子が、耐えきれず、由美子の腕をにぎった。由美子とて同様であった。由美子は、この時、はじめて、「いい先生を紹介してやるよ」といった時の編集長の口元が妙にニヤついていた意味を理解した。
「グフフ。どうだ。感想は。失望したか」
鬼五は、コップ酒を一杯グイと飲み干すと、黒ぶちの眼鏡の奥から、蛇がすくんでうちふるえている獲物を観察するような目で、目前でワナワナ打ち震えている二人に判断を求めた。
「と、とても神秘的で、人間の心の奥に潜む闇の部分を追求した、読者をひきつける魅力ある、すばらしい世界だと思います」
と、由美子は自分の思っていることと正反対のことを自信に満ちた口調で、きっぱり言った。どんなことがあっても、作家になると決意した自分に言い聞かすように。
「お前達は、こういうものを美しいと思うか」
鬼五は、将棋の本をおいて、駒をピシャリと将棋盤に打った。
「は、はい」
由美子は一瞬迷ったが、きっぱり言った。だが、その声は少し震えていた。
「よし」
というと、鬼五は大池にめくばせし、大池は部屋を出て行った。しばしして数人の男女が大池に連れられて入ってきた。
「あっ」
と言って、二人は目をみはった。男たちはどう贔屓目にみても、ジェントルマンとはいいがたい、角刈りや、ポマードをふんだんにつけたオールバックで、ヤクザっぽいジャケットに身をつつんで、くわえタバコという姿で、女は、チューインガムをクチャクチャかんだり、「タバコは二十歳になってから」という標語など、せせら笑うかのような感じで、タバコをふかしてニヤニヤしている。髪を染め、ピアスにマニキュアの大原則はもちろんのことである。
「な、何なのですか。この人たちは?」
由美子は、ヤクザに取り囲まれたような不安から、声を震わせて聞いた。男女共に三人で、ねばつくような視線で、ニヤニヤしながら、楽しそうに、おびえる二人を鑑賞するように、眺めている。咄嗟に由美子は、膝を寄せ合わせ、腿に手をのせた。
「何なのですか、だとよ」
と男の一人が言うと皆がどっと笑った。彼らはドッカと腰をおろすと、男の一人が、ささやきかけるように鬼五に言った。
「先生。たいした上玉じゃありませんか。こりゃ、面白い見物になりそうだ」
「上玉。見物」
不吉な言葉に、由美子は想像を超えた恐ろしいことが、自分たちの行く手にあるような気がしてきて、カタカタ体を振るわせはじめた。
(そ、そんな。まさか。自分たちは作家の弟子入りにきたのだ)
由美子は何度も自分にそう言い聞かせたが、不安は募る一方である。彼らは柿のピーナッツやスルメイカをおつまみにコップ酒をあおりだした。
「あんたら、作家になるには、どんな試練にも耐えると言ったな」
と鬼五に言われて、由美子は消え入りそうな小さな声で、
「はい」
と答えた。
「じゃあ、二人とも、その場で着ている物を全部脱いで裸になってもらおうか」
「えっ」
由美子は一瞬、我が耳を疑って声をもらした。
「な、なぜ、私達が裸にならなくてはならないんですか?」
由美子は鬼五に向かって激しく問いかけた。
「作家になるには、裸で街を歩くくらいの覚悟が必要で、それはできている、苦労は買ってでもする、って、あんたらさっき言ったじゃないか。あれはウソだったのかい」
鬼五はとぼけた口調で、眼鏡をふきながら言う。
「そ、それは、精神的な意味の覚悟という意味で言ったつもりです」
「だから精神的な覚悟ができていれば、裸になることは何でもなかろう。裸になれないっていうのは、精神の覚悟ができていないってことじゃないか。そういうハンパな精神から決別するためだ。役者の養成学校では、羞恥心を捨て去るため、入学者には皆、裸踊りをさせるそうだぞ」
由美子は気が動転していた。「いやです」とは言える立場ではなかったし、そう言ったら、もう来なくていいよ、と、門前払いを受けるだけだ。明らかにこれは意図のある取引である。今、いやだ、と言えば恥をかかないですむ。彼らもまさか襲いかかるようなことはしないだろう。
「ゆ、由美子さん」
彩子が不安そうに由美子にすがりつく。これは鬼五がつきつけてきた取引だ。今、自分たちが、彼らの酒肴の供覧にたいするならば、大手にのる文章を書かしてやり、作家への道へのチャンスは、作ってやろう、というかけひき。
しばし迷った末、ついに由美子は覚悟を決めた。確かにこれは作家になるための煉獄であり、自分は、いかなる苦難からも逃げないくらい、自分の情熱は強いのだ、という自負心が膨らんでいき、由美子は決断した。
「わ、わかりました」

(2)
そう言って由美子は上着を脱ぎ、ブラウスのボタンに手をかけた。観客達は思わず生唾を飲み、刺すような視線が由美子のおぼつかない手の動きに集中する。それを感じとって由美子の手はカタカタ震え出した。ブラウスのホックを外し始めた時、
「待った」
と鬼五が大声で制した。垂唾の欲求がまさにかなえられる直前でいきなりさえぎられた欲求不満を訴える視線が、反射的にいっせいに鬼五に向けられた。が、鬼五のいわく有りげなしたたかにゆがんだ口元をみて皆は意を解した。女を辱めることにかけては天才的な鬼五のこと。もっと念の入った方法を思いついたのだろう。
「伊藤君。あんたの、作家になろうという志が本物であるということがようく分った。わしはそれを知りたいためにテストしてみたのだ」
何はともあれ、由美子はほっとして胸をなでおろした。だが一度脱ぎかけた服をあわてて着直す醜態を見られることもはばかられ、手のやり場に困っている。そんな由美子を後にして鬼五の合図で饗宴は散会となり、皆はゾロゾロと引き揚げていった。
「由美子さん。怖かったでしょう。でももう大丈夫よ」
温かみのある言葉とともに由美子は背後からジャケットをはおわされた。由美子は、はずしかけたブラウスのボタンをはめ直してから、振り向いて、声をかけてきた少女に軽く会釈した。
「あのおじさん。いっつもあんなイジワルして困ったものね。でもあれは言葉の上のイタズラであって本気じゃないから安心して大丈夫よ。今まで本当に脱がされた人なんて一人もいないわ。でもあなたの本気の覚悟には感心したわ。あれほどの覚悟があるのなら、あなたは間違いなく立派な作家になれるわ。ガンばってね」
少女の温かい言葉に由美子の心は一瞬のうちに希望で満たされた。心を許せる真の友達をみつけたよろこびから、由美子は少女に取りすがって泣きたい気持ちだった。
「あ、ありがとう。無理してやせ我慢してたけど、本当はもう限界だったの。ご恩は一生忘れません。あの、お名前はなんおっしゃるの?」
「銀子よ。恩だなんて大げさだわ」
少女は快活な口調で笑った。そしてポンと由美子の肩をたたき、
「さっ。今日はもう遅いから泊まっていきなさいよ。お部屋に案内するわ。行きましょう」
銀子に促されて由美子はハンドバッグをとって、彩子と一緒に大座敷を出た。弟子入り志願初日に泊まることになるとは思ってもいなかったが彼女の心遣いを無にしたくない気持ちでいっぱいで瑣末なことは頭から抜け出していた。それに今度来た時にこの少女が居てくれるかはわからないし、彼女が居るうちに出来るだけ彼女と親しくなっておくのが得策だと思った。
案内されたのは六畳の畳の客室だった。きれいに敷かれた布団の上には糊の利いた浴衣があり、旅館に泊まりに来たような感じを起こさせた。
由美子のとなりで黙ってモジモジしている彩子をみて、由美子は今日はひとまず帰るよう促した。弱気な彩子には今日の刺激は強すぎた。自分がまずしっかり弟子入りして、彩子の性に合うものかどうかを知った上で誘えばいいと思った。
銀子は由美子の手を取って屋敷の中を一通り案内した。洗面所には「由美子さん用」とマジックで書かれた歯ブラシがあった。ダイニングには夕食が一膳用意されていた。昼から何も食べていなかった食欲が急に出てきて腹の虫がグーとなった。思わず赤面した由美子に銀子はことさらクスッと笑って友達の戯れをかけた。
「お腹へったでしょう。足りなかったら冷蔵庫にいろいろあるから何でも食べていいのよ」
ためらっている由美子の心を慮って銀子は思いやりの語を次いだ。
「私、お風呂に入ってくるわ。食器はそのままにしておいてくれればいいわ。何か分らないことや、困ったことがあったら何でも聞いてね」
「銀子さん。本当に何から何までありがとうございます。本当になんてお礼を言っていいか・・・」
銀子は笑顔を向けて、
「由美子さんてすごく礼儀正しくて真面目なのね。友達の間柄でそんな丁寧な言い方してたら疲れちゃうわ。もっとくつろいでいいのよ。自分の家と思っていいのよ。でも初日だからしかたないのかもしれないわね。でもすぐに慣れるわ」
銀子の姿が見えなくなるや、押さえきれない食欲から用意された夕食をムシャムシャ食べた。膳を流しで洗ってから歯を磨き、客間にもどった。糊の利いた浴衣に着替え布団に入った。銀子の優しい笑顔が何回も瞼の裏に現われてきて、寝つきのいい由美子をてこずらせた。外では庭に潜む蟋蟀が静かに秋を奏でていた。

   ☆   ☆   ☆

翌朝、すがすがしい気分で由美子は目を覚ました。銀子に誘われて、いっしょに食事をしながら、
「あ、あのー。先生は?」
と、申し訳なさそうに聞くと、何か将棋関係の親しい友人に東京に会いに出かけたらしい。
「本当にあの人、将棋か相場のことになると他のことは頭から消えちゃうんだから。由美子さんもテキトーにやっていいのよ。いくらか知らないけど、お金も十分あるらしいし。今は趣味で好きなことをやってる身分なんだから」
作家の弟子入りというものを徒弟的なもののようにイメージしていた由美子は肩にかかっていた緊張感がまた取り除かれた思いがして笑顔を銀子に向けた。
二人は少し談笑していたが、銀子が思い出したように、
「あっ。そうそう。昨日の大座敷に行ってみましょう。ちゃんと片付けてあると思うけど念のため」
銀子に促されて由美子は笑顔で立ち上がった。新築の豪邸はすべて和式で、廊下は美しい光沢をもち、広い庭には筧まである。
だが、銀子に招き入れられて座敷に入った由美子は思わず、
「ああっ。」
と悲鳴に近い声をあげた。確かに昨日のあわやの悪夢の酒宴は跡形もなくきれいに片付いている。しかしそのきれいな座敷の中央に、かなりの大きさのある、頑丈そうな得体の知れない不気味な木製の器具が、どっしりと根を張るように据え置かれていたからである。それは、四本の脚をもった人の背丈ほどもある大きな木馬の形をしていた。木馬、とすぐに連想されたのは、そうイメージされるよう、馬の首から顔までの部分を示す丸太が、それらしく見えるよう取り付けられていたからである。四本の脚は横木でしっかり固定されており、材質も檜と思われるほど凝ったつくりである。
「ぎ、銀子さん。こ、これは一体な、何ですか?」
すがるような口調で由美子は聞いた。が、昨日見せつけられた雑誌の写真から、きっと不吉なものに違いないということは十分想像がついた。銀子はクスクス笑って、
「わからない?これ、拷問用の木馬よ」
「な、何でそんなものがここに置いてあるのですか?」
おびえる由美子の質問をそらすように、銀子は木馬を笑顔でいじりながら、
「そうね。きっと昨日の宴会で、由美子さんが去った後、あの先生が人に持って来させて、小説を執筆してたに違いないわ。あの先生、小説を執筆する時には、こういう責め具を置いといて、いろいろ空想するんだって。そうすると気分がわくからって。責められる女をかく時は、自分がその責められる女になりきるために木馬に跨いでアヘアへ喘いだりするらしいの。全く変態ね」
銀子は木馬のスベスベした背を笑いながら撫でていたが、ふと思いついたように、不安げにおどおどしている由美子に振り向いて快活な口調でいった。
「由美子さんは真面目過ぎるわ。由美子さんの強い意志なら、きっと立派な作家になれると思うわ。でも一つ気になることがあるの。あの先生、公式的マジメ人間を嫌ってて、そういう人には冷たく当たるの。あの先生、SMが人類を救うなんておかしなこと言うほどSMに愛着を持っているの。SMって先天的なものでしょうけど由美子さんにはそれがないでしょ。SMが分らないとか、嫌っているとか思われたら由美子さんに不利だわ。逆に、そういう話題が出た時、笑って相槌を打つとあの先生すごく喜ぶの。単純なのよ。それで今思いついたんだけど、ちょっと二人でSMごっこしてみない。SMなんて子供じみたふざけっこよ。はじめ由美子さんが裸になって木馬に乗るの。そのあと、私が裸になって木馬に乗って由美子さんにいじめられるの。どう。やってみない?」
この突然の突拍子もない提案に由美子はどう答えていいのか分らず、手をモジモジさせながらおそるおそる木馬の頭に手をのせている銀子を見た。笑っている銀子と目が合うと、とたんに恥ずかしくなってうつむいた。「裸になって」という言葉から裸になって木馬を跨いでいる奇矯な自分の姿がイメージされたのだ。だが無下にことわるわけにもいかない。昨夜からさんざん親切を受けている銀子の、自分のためを思ってくれての提案である。SMという未知の世界に対する恐怖は、ひれ伏してしまいそうなほど怖かったが、ことわって銀子の親切を無にすることは出来なかった。それに銀子のいうことももっともだと思った。昨日あれだけの覚悟をしておきながら、一日たったら跡形もなく消え去ってしまっている精神の弱さも恥ずかしいくらい情けなく思えてきた。幸い、自分たち以外には誰もいないし、相手は思いやりこの上ない銀子である。
「由美子さん。作家になるには裸で街を歩くくらいの覚悟がなくてはならない。の精神を誰にも知られず、密室の中で実践できるまたとない好機じゃない?」
銀子の言葉にはいつまでもためらっている由美子を叱るような強い語気がこもっていた。由美子の決意は揺るぎ無く固まった。
「わ、分りました。やります」
由美子は勇気を振るって力強く言った。銀子は由美子の決断を祝福しているような目で微笑した。
「何も怖がることなんかないわ。裸になって木馬に乗るだけじゃない。私が先に裸になって乗りましょうか」
銀子は木馬の頭から手を離し、ブラウスのホックをはずし始めた。とたんに由美子はあわててそれを制した。いくらあか抜けて、おおらかな性格の銀子とはいえ、恩人にそのような事をさせてしまう原因が自分の怯懦な性格であると思うと良心がとがめた。
「ぎ、銀子さん。いいです。私が先に乗ります」
そう言って由美子はブラウスのホックをはずし始めた。ブラウスを脱ぎ、あわててスカートも脱いだ。だが気が動転しているため、手が震えて動作がぎこちなくなり、ギクシャクしてブラジャーの後ろのホックを外すのにてこずっている。
遊びを真剣に取り組もうとしている人間の滑稽な姿をみて、銀子はクスッと笑い、
「由美子さん。マジメ過ぎておかしいわ。おちついて、もっとゆっくり脱いだら。そうだわ。一度休んで深呼吸してみたら」
「は、はい」
言われて由美子はブラジャーのホックをとの格闘を一次中止して、銀子に言われたように何度か大きく深呼吸してみた。すると確かに気が落ち着いて、ブラジャーを外せた。
風呂に入るようなものだと自分に言い聞かせ、パンティーも勇気を出して「えい」と脱いだ。
だが、目を上げて銀子と視線があったとき、由美子は思わず赤面して顔をそむけた。その視線は猥雑な好奇心に満ちているように思われたからだ。
由美子はその視線から逃げるようにあわてて木馬に駆け寄った。
そっと木馬を跨ぐと、由美子は思わず反射的に、「ああっ」と声を洩らした。木馬の高さは爪先がギリギリ床につくだけで女の一番敏感な部分に気色の悪い感覚で木馬の背がめり込んできたからだ。
銀子はいきなり由美子の華奢な腕をグイと掴んで、後ろへ回し、カッチリと後ろ手に縛り上げた。
「あっ。ぎ、銀子さん。な、何をするの」
銀子は答えず、由美子の足元に屈み込み、木馬の背がめり込む気色の悪い感覚から逃れようと必死でつま先立ちしている由美子の右の足首をいきなり持ち上げて、はずれないようにしっかり足首を木馬の横木に縛りつけた。
そして、あまった縄尻を木馬の下を反対側に投げて、くぐらせ、左に廻って左の足首も、同様に木馬の横木に縛りつけた。縛り終えると銀子は立ちあがって、手をパンパンとたたいた。由美子は今にも泣きそうなような、すがるような視線を、質問しても答えてくれない銀子に向けている。銀子はクスッと笑って、
「こうすれば身動きとれないでしょ。木馬に乗るときは、こうやって手と足を縛るものなのよ」
そう言って銀子は木馬の前に腰を降ろした。由美子は全身をブルブル震わせながら、黙って俯いている。
「素晴らしいわ。由美子さんて理想的なプロポーションだわ。ウェストも見事に引き締まっていて。何かスポーツしているの?」
「テニスをす、すこし・・・」
由美子は赤面して答えた。
「やっぱりねー。私なんてスポーツなんて全くしないで、甘い物ばっかり食べていたんでブヨブヨに贅肉がついちゃって。うらやましいわ」
と言って銀子は自分の腰に目をやって、由美子と比較するように自分の脇腹の肉をつまんだ。
「由美子さん、恥ずかしがってるでしょ」
「い、いえ。」
「ふふ。ウソついても分るわよ。体がカチカチじゃない。それにずっと親指を隠すように、握りしめているでしょ。極度に恥ずかしがり屋の人は例外なくそうするわ」
由美子は真っ赤になって黙っている。
「由美子さん。夏、海には行くの?」
「い、いえ。行きません」
「どうして。由美子さんほどの人が水着姿を披露しないなんてもったいないわ」
銀子はさかんに由美子の肉体を賛辞する。木馬に乗れば最低限を隠せるという思いもあったが、まさか縛られて、じっくり鑑賞されることになろうとは。これなら木馬になど乗らないほうがずっとましだったと由美子はつくづく後悔した。スラリとした美しい脚を木馬の横木に固定され、体を保つため、量感ある臀部の割れ目を、割り裂くようにグロテスクにめり込んでくる木馬の背に身を委ねるしかすべはないのだ。
由美子の心は恐怖と不安でいっぱいだった。銀子が縄を解いてくれなくては、この惨めな状態から自由になることは出来ない。昨夜から、親切にしてくれる銀子。その銀子が嘘をついたり、人を裏切ったりするような人間なんかじゃない。約束通り、これは遊びで、すぐに自分は自由になれるのだ、と思っても、銀子に対する不信感を消そうとするには、苦しい努力が必要だった。自分の銀子に対する不信感は、銀子のような、あけすけな性格の人間は、自分には理解できないからだ、とも思おうと努力した。「人を疑うことほど卑しいことはない」という信念が由美子の良心を苦しめた。そんな由美子に頓着することなく、銀子は笑って、
「木馬の由美子さん、て、とっても素敵だわ。「美」ってこういうものをいうのね。女ながら惚れ惚れするわ」
「お尻も見事だわ。ボリュームがあって、張りがあって。ウェストの引き締まりも素晴らしいわ」
などと、自由の利かない裸の由美子の体をさかんに賛辞する。
「ああっ」
由美子は思わず悲鳴を上げた。無防備の尻にいきなり手が、張りつくようにあてがわれたからだ。銀子はクスッと笑い、
「ゴメンなさい。いきなり触ったりして。由美子さんの引き締まった形のいいお尻をみているうちに、どうしても触れて、その弾力を確かめてみたくなってしまったの」
触手はしばらく無動の状態を続けていたが、気づくといつの間にか尻から離れていた。由美子はほっとした。が、それも束の間だった。
「あっ」
突然の刺激に由美子は声を上げた。
「ぎ、銀子さん。な、何をするの?」
悲鳴に近い声だった。
いきなりピタッと乳房の下半部に、ブラジャーのように吸いつくような触手があてがわれたからだ。銀子はクスッと笑って、
「へへ。ゴメンなさい。由美子さん。由美子さんの形のいい、張りのある大きな乳房を見ているうちにどうしても触ってみたくなっちゃったの」
そう言って銀子はゆっくり乳房を揉みしだきだした。時々、いきなりキュッと乳首をつままれた時は思わず「あっ。」と悲鳴を上げた。胸といわず、引き締まったウェストや腹、スラリと伸びた大腿に銀子の触手が伸びてくる。
「ぎ、銀子さん」
「なあに」
「こ、こわいの」
「何がー」
由美子は憐れみを乞うような目で銀子を見た。
「ぎ、銀子さん。と、解いて下さるわね」
蚊の泣くような声で由美子は、すがるように言った。銀子は相変わらずの無邪気な笑顔で、由美子の肩に手をかけ、
「由美子さんてみかけによらず、すごく心配性なのね。これは同意しあった上での遊びじゃない」
銀子は、木馬に縛りつけられている由美子の背後に回った。
「ゆーびきーり、げーんまーん、うーそつーいたら針千本のーます」
銀子は背中で交差されている由美子の小指を自分の小指とからめて指きりゲンマンを子供のように歌った。が、それはひどく一方的な指きりゲンマンに見えた。
(これは遊びなんだ。すぐに自由になれるんだ。単なる遊びなのに、それを本気だと感じて、恐れてしまう自分の硬すぎる性格がいけないんだ)
由美子は鳥肌の立った体を震わせながら必死に拳を握り締めて、何度もそう自分に言い聞かせようとした。しかし、どう努力しても心の芯に根をはっている生理的な嫌悪感はガンとしてその無理な説得を拒否するだけだった

   ☆   ☆   ☆

その時チャイムが鳴った。銀子は愛撫の手を止めた。
「誰かしら。たいへん。たいへん。つまらない何かの勧誘だったらいいけれど、大事な用のお客さんだったらたいへんだわ。すぐに縄を解くわ。考えてみれば、昼間っからこんな変な事してるのバカみたいね。もう終わりにしましょう。万一、人に見られでもしたらたいへんだわ」
と言って銀子は木馬の横木に括り付けられた由美子の足首の縛めを解こうと手をかけた。うーんと腕に力を入れているが、なかなか解けない。
「困ったわ。しっかり縛っちゃったもんだからなかなか解けないわ。どうしたらいいかしら。由美子さん」
縄との格闘に困惑している銀子を見て、由美子の心に余裕が生まれ、クスッと笑って適切なアドバイスをした。
「解くのは後でも出来るじゃない。それより先に早く、ともかく訪問者を待たせちゃわるいわ。大切な用件かもしれないじゃない。留守かと思って帰っちゃうかもしれないじゃない。ともかく先にお客さんを見に行って、その後、解いてね。気持ちが動転していては解けるものも解けないわ」
由美子の口調は少し誇らしげだった。緊急時に動転する者に対して冷静沈着な者が感じる優越感だった。
「そ、そうね。由美子さんて冷静で頭がいいのね。私って何かバカみたい。こんなきれいで頭のいい人にヘンなことしちゃって。私、何かすごく恥ずかしいわ。これから由美子さんにあわす顔がないわ」
じゃ、すぐ行って来るわ、と言って銀子は急いで玄関に向かった。銀子がいなくなって大座敷の中にポツンと一人残された由美子は姿のみじめさとは正反対に、勝ち誇った心地よさの中にいた。これからは銀子と対等に、いや、むしろ自分のほうが上のような雰囲気でつきあえる。SMなんて気持ちの悪いものとは二度と関わらないですむ。そう思うと、時の氏神の来訪者に感謝したいように思った。

来訪者とのやりとりが終わったらしく、銀子が戻ってきた。何かソワソワしている。
「どうしたの。銀子さん」
「由美子さん。言いにくいんだけど・・・」
銀子は指をギュッと握りながら立ちすくんだまま言いためらっている。
「どうしたの。お客さん誰だったの」
落ち着き払った口調で問いただした。
「あ、あの。由美子さんの知人で、由美子さんに会いたいっていうの」
「な、何ですって」
思わず仰天して、悲鳴に近い大声をあげた。
「ま、待ってもらって。その間にすぐ縄を解いて」
由美子は大あわてに言った。
「ええ。応接室で待ってもらっているの。でもすごく熱心で、すぐにでも上がってきそうな様子なの」
「な、縄を解いて。すぐに縄を解いてちょうだい」
由美子は縛められた体をバタつかせながら叫ぶように言った。銀子は言われて木馬の前に屈みこんで、足首の縛めを解こうとしはじめた。
「はやく。はやく」
気が動転している由美子が、叱るように命じる。その時、大座敷の襖が開いて大柄の男が無遠慮にズカズカ入ってきた。男はあの、いやな元編集長の伸だった。
「やあ。由美子君。ひさしぶり。といっても二日ぶりだが。しかしすばらしい格好じゃないか。はっはは」
と、居丈高に笑った。気が動転しているため、どうして伸が何のためにやって来たのか考えるゆとりはなかった。だが、ムシズが走るほど嫌いな相手に、裸で縛められている奇矯な姿を見られることには耐えがたく、ブルブル体を震わせながら背をそむけようと苦しく体をよじろうとしている。一、二分たった。伸は何も言ってこない。顔をそむけていると、一糸まとわぬ裸を伸がニヤニヤ笑いながら、なめまわすような視線で眺めている姿が浮かんできて、激しい羞恥の念が起こってきた。
「み、みないで」
言っても無駄であると分っていてもつい言葉が出てしまう。だが言って後悔した。かくして、かくせるものではないし、相手は苦しい抗いを見せれば、それを一層楽しむアクドイ性格の持ち主である。由美子は観念して背をよじるのをやめた。見ると仁王のように立ちはだかっている伸の隣に、銀子が、仲良く並ぶように手を後ろに組んで立っている。
「しかし、銀子。よくここまで出来たな。よっぽど抵抗しただろう。それとも睡眠薬でも飲ませて、そのスキにやったのか」
「ううん。由美子さんの方が自分から木馬に乗りたいって言ったの」
「はっはは。そんなことあるまい。お前のワル賢さも相当なもんだ。まあ、ともかく約束しといた礼金二十万円だ」
と言って伸はジャケットの内ポケットから二十万の札束を銀子にわたした。
「いいの。こんなにもらっちゃって」
「夢のような事を現実にかなえてもらって二十万では少なくてすまないくらいだよ」
「ぎ、銀子さん。あ、あなたって人は・・・」
由美子は腹から搾り出したような激しい恨みの声でキッと銀子に恨みの目を向けた。
「ゴメンね。由美子さん。でも善悪って簡単に決められないことじゃないかしら。芥川龍之介も、善と悪は同じものだって言ってるわ」
罪悪感のザの字も感じられないあっけらかんとした態度である。
「ぎ、銀子さん。う、うらみます」
由美子は怒髪天を突くほどの怨念のこもった目を向けた。が、銀子は呑気そうな、あっけらかん顔である。銀子はパタパタと小走りに部屋を出て行き、籐椅子を持って戻って来た。そしてそれを裸の由美子が乗っている木馬の前にドンと置いた。
「じゃあ、伸さん。私はこれでおいとまするわ。水入らずの邪魔をしちゃわるいわ」
伸に、おう、お役目ご苦労、大儀だったな、と言われて銀子は部屋を出て行った。

部屋は伸と縛められた全裸の由美子の二人きりになった。
伸はしばし無言で由美子を眺めていたが、抜き足差し足でそっと襖を開けて部屋の外を見た。万一、銀子が外で聞き耳を立てていないか確かめるためだった。銀子がいないのを確かめると伸はほっとした表情になり、ホクホクした顔つきで木馬の前に戻ってきた。

(3)
「へっへ。とっぷり楽しませてもらうぜ」
と言って伸は由美子の前に用意されている椅子にドッカと座ると、芸術品を鑑賞するように淫靡な視線を由美子の体に投げかけるのだった。伸は、
「ふっふふ。いい体してやがる。腰もよくくびれてる」
とか、
「手を触れることもできなかった君の体を見れるとは男冥利につきる」
とかの野卑な言葉を投げかける。が、由美子の両方の足首は木馬の脚の横木に括り付けられ、両手は後ろに縛られているため、身動きが取れない。以前、由美子は伸に食事に誘われたこともあったが、キッパリ断った。いっつも絡み付くような態度で言い寄ってくる伸に、いいかげん腹を立て、上司とはいっても公私のけじめをきっちりつけ、公では従っても、私では決然とした態度をとっていた。それが今では覆うもの一枚ない丸裸で、木馬を跨がされるという惨めな格好を淫靡な視線の前に晒しているのである。由美子は、悔しさ、と、惨めさで口唇をキュッと閉じ、手をかたく握りしめていた。伸は椅子から身を起こし、由美子の間近に屈みこむと、スラリと伸びた由美子の大腿にスッと手を触れた。
「あっ」
と反射的におぞましい嫌悪が電撃のように全身を走り、
「や、やめて」
と言って、触れられることから避けようと自由のきかない脚をむなしくバタつかせる。伸は罵詈に頓着する様子も見せず、口元をゆがめて笑い、桃紅色のペディキュアの施された足の踵をつかんで、鑑賞するように、しばしじっと眺めていたが、いきなり足の股を開いて薬指を口に含んだ。おぞましさに、
「あっ」
と言って由美子は眉を寄せ、顔をしかめて首を振った。伸はついと立ちあがると彼女の真後ろで木馬に跨り、由美子の肩をつかんだ。
「や、やめて。変態!!」
「ふふ。その気性の激しさも好きなのさ。しかしどこまで持ちこたえられるかな」
「だ、誰があなたなんかに」
と言いつつも由美子の声はかすかに震えていた。伸は由美子の肉体をこころおきなく楽しむように、くまなく手を這わしてから無防備の胸をそっと手で覆った。粘っこく弄ばれる屈辱は、いきなり暴虐的に揉まれるより辛かった。
「ふふ。いつまでガマンできるかな」
と言って伸は由美子の胸を徐々に揉みしだきだし、時々、乳首をキュッと摘んでみたかとおもうとまた静かにピッタリ胸の上に手を載せた。
「こんなにやさしくしてやってるのになかなか立ってこないな」
伸は由美子の反応を調べるような野卑な揶揄のコトバを独り言のようにうそぶいている。
由美子はその都度「ううっ」とうめき声を洩らし、首を振った。
(いけない。感じてはいけない)
と自分に言い聞かせつつも、女のかなしい性がそれと反対の反応を起こしているのを由美子は気づき始めていた。伸は胸から手を離し、攻撃の矛先を女の最も敏感な茂みの部分へと右手を這わせていき、その部分に到達するとまたピタリと覆って、毛をつまんだり、肉をつまんだりした。
「どれ。湿り具合はどうかな」
と独り言のように言って、茂みの下へ手を伸ばそうとしたので由美子は「あっ」と言って、反射的に腰を引いた。当然、今まで木馬の背にペッタリ乗っかっていた尻がグイッと後ろに持ち上がり、閉じられていた割れ目が開いて、穴まであらわになった。
「ふふ。お尻の穴を見てほしいんだね」
と言うや、サッと左手の中指の先を、穴にあてがった。由美子は「ああー」と言ってすぐに尻を閉じ合わせて木馬の背に戻した。
が、穴にあてがわれた手はのけられない。どころか尻を閉めればよけい意地悪な手を力強く挟んでしまう。伸は穴にあてがわれた中指で尻をチロチロ刺激している。由美子は、「あっ。あっ」と言いながら、この苦しみと戦っている。由美子に穴をさわられた経験などなく、脳天まで突くような激しい刺激に全身をブルブル震わせている。何とかこの苦しみから逃げようと腰を前に出すと、伸は待ってましたとばかり、右手を秘裂にあてがい、中指を女の穴に刺し入れた。前後の穴を塞がれて、後ろの穴をチロチロと耐えられない刺激を加えられ、由美子は尻をギュッとしめ、油汗を流してブルブルと全身を震わせている。
「尻の力を抜きな。そうしたらチロチロ刺激するのはやめてやるよ」
由美子はそれに従って尻の力を抜いた。肛門を責められることは耐えられなかった。すると、言った通り肛門への刺激は止まった。が、指先は相変わらず穴にあてがわれている。抵抗すればまた耐えられない刺激で責められる。と思うと由美子は伸に身を任すよりしかたなかった。が、肛門に触れられている指の感触は今まで経験したことのない、つらくも甘美な官能の刺激を由美子に与えていた。いつしか由美子の前庭は、粘液が溢れていた。それを感じとった伸は、
「ふふふ。さっきの威勢はどうしたんだね。君は僕をこんなにまで愛してくれていたんだね」
などと揶揄する。由美子は口惜しかった。憎むべき編集長の伸に、言語に絶する責めを受け、女の恥を晒してしまった自分が死んでしまいたいほど惨めだった。
「く、口惜しい」
由美子は首をガックリ落としながら一言いった。
「ふふ。まだ素直になれねえか。よし」
と言って伸は部屋を出て銀子をつれて戻ってきた。
(ちなみに銀子の名の由来は、銀行だけは日本で唯一信頼できるもの、との親の信念から掛けられて、つけられたのだった)
銀子は何やら小物がいっぱい入った洗面器を持っている。タオルで覆われているので中に何が入っているかわからない。伸がうすら笑いで由美子に近づいて行くと由美子はキッとした目つきで伸をニラミ返つけ、
「こ、これ以上、一体、何をしようっていうの」
と怨嗟のこもった口調で言う。
「別にたいしたことじゃねえさ。もう木馬も疲れたろうから降ろしてやるだけさ。」
と言って屈み、木馬の横木に縛りつけられた由美子の左の足首の縛めを解きはじめた。
「おい。銀子。お前も手伝え」
と言われて銀子は、あいよ、と言って、伸と同じように由美子の右の縛めを解きはじめた。自由になったが由美子は木馬から降りなかった。何をされるかわからず、すくんでしまったのである。
「ほら。とっとと降りな」
伸にグイと、後ろ手の縄尻を引っ張られ、由美子は木馬を降りた。伸はピシャリと由美子の弾力のある尻を平手打ちし、
「ほれ。とっとと歩くんだ」
と言って縄尻を取りながらドンと肩を叩いた。由美子は引かれ者のようにおぼつかない足取りで歩いた。尻の二つの肉の房は、余りある量感によってムッチリ閉じ合わされ、歩くたびにもどかしそうに左右に揺れる。つい、それは、たたきたくなる衝動を起こさせる。銀子はその本能に忠実に、意味もなく、ピシャリと平手打ちした。
「ほれ。とっととそこに仰向けに寝るんだ」
と伸がグイと肩を押して言った。由美子は屈みこんで脚を寄り合わせ、うすら笑いで立っている伸と銀子に憤怒のこもった視線を向け、
「こ、これ以上、一体、何をしようというの」
と怒気のこもった言葉を投げつける。銀子は洗面器を覆っていたタオルをとると中身をバラバラと由美子の前に落とした。それを見た由美子は思わず、
「あっ。あっ」
と戦慄の叫び声を上げた。それは30ccのイチジク浣腸だった。20箱個くらいある。
「ふふ。わかったろ。お腹の中をきれいにしてやるっていうんだ。うれしいか」
こんな畳の部屋で縛られたまま浣腸される、そのおぞましい光景がとっさに頭に浮かび、縄尻を取られているのもかまわず無我夢中で駆け出した。
「おい。このアマをおさえるんだ」
と伸は銀子に呼びかけた。必死で逃げようとする由美子を伸がタックルして馬乗りにして、取り押さえるが、由美子は必死で脚をバタつかせている。
「おい。銀子。あれを持ってこい」
「あいよ」
と言って銀子が持ってきた物は長さ1mくらいの頑丈な太い樫の棒だった。両端には丸い輪の留金がついている。
「そいつを両方の足首に結び付けるんだ」
と言って伸は由美子が脚をバタつかせられないよう足首をしっかりつかんだ。後ろ手に縛められているので身をくねらせても起き上がることも、蹴ることも出来ない。銀子は片方の足首を留め金に、しっかり縛り付ける。木馬の時の足首の縛めがすでにあるので、両方の止め金に足首を縛り付けるのは造作もなかった。
「へっへっ。こうなりゃもうこっちのもんだ」
足の拘束が終わると伸は由美子の体から降りた。伸はさらに両方の止め金の輪に、一本ずつ縄を結びつけると、それを棒の真中のあたりでしっかり結んだ。伸と銀子は顔を見合わせて笑い、二人して由美子をズルズルと座敷の真ん中に引っ張って行った。由美子の目の真上には天井の梁があり、それには滑車が取り付けられている。おぞましい予感が背筋を走った。伸は棒につけた縄を滑車に通すと、
「ほーらよ」
と言ってヨイトマケのように引っ張った。
「ああー」
と言って由美子は激しく首を左右に振った。幅1mもある棒で足を開かされて縛られるというだけでも地獄の屈辱であるのに、棒が引き上げられるごとに、曲げていた脚がのばされていき、女の最も羞恥の部分がにっくき敵の前にあらわになっていく。ついに脚がピンと真一文字にまでのばされると由美子は一切を覚悟したように、きつくキュッと目をつぶって顔をそむけた。羞恥のため体がブルブル震えている。目をつぶっているので彼らの視腺がどこにあるのかわからない。
「ふふ。手を触れることもできなかった、憧れの君のこんなすばらしい姿を拝めるとは、長生きはするもんだな」
伸が嘲笑的な口調で揶揄する。
「く、くやしい」
口も必死で閉じていた由美子だったがつい言葉が出てしまう。
木馬に縛られていた時はまだ、それが隠すものとなれた。しかし今は脚を大きく開かされて、些少の抗いもできないほど高々と足を吊り上げられ、敵の前に胸も前後の羞恥の部分もすべてを晒しているのである。彼らは由美子の体に触ってこない。それがかえって由美子を苦しめた。彼らが自分の恥部をニヤニヤ顔で笑いながら、じっと、そこだけけに視線をとどめている姿が瞑目している由美子の脳裏に想像の映像として、明瞭に映し出されてくるからである。それを思うと意識がそこへ行って由美子の尻は自然とブルブル震えだすのであった。
「きれいなピンク色ね。でも毛がじゃまして今一ね。剃っちゃうなら剃るもの持ってくるわよ」
「いや。それはいい。鬼五先生の許可なく剃ったら先生にわるいからね」
と言い、さらに、
「もっとも剃りたい気持ちは山々だがね」
と言って二人はクスクス笑った。由美子の顔が真っ赤になる。
突然、足先から脳天まで突くような激しい刺激に由美子はビクッと体を震わせ、思わず「あっ」と言って、目を開いてみた。
伸が毛筆で由美子の膝の裏を撫でている。
「ふふ。毛筆の先が触れたくらいでそんなに反応するなんて君はよっぽど感受性が敏感なんだね。きっといい作家になれる」
由美子の全身は痙攣したようにカタカタ震え出した。由美子は「あっ。あっ」と言って激しく首を左右に振り、毛筆の刺激に必死に耐えようとしている。由美子は苦しみに顔をゆがめ、眉を寄せ、油汗を流している。が、伸は頓着することなく、ほこりを払って手入れする職人のように、黙々と筆先をスッ、スッ、と下肢の付け根の方へ這わせていく。目的地に近づいてくると、そこは後回しにするかのようにわざと避ける。
「そこは私が受け持つわ」
といって銀子が由美子の割り割かれた尻の前に座って伸と同じように毛筆で下腿部を刷いた。伸は立ち上がって由美子の顔の真横に居を移し、首や乳房、臍、わき腹、などの部分を丹念に刷いた。
無言で行う神聖な儀式のようなその行為は古の暴君が忠実な部下に行わせている拷問のようにも思え、人形のように弄ばれる屈辱に加えて、人間のもつ業の恐ろしさ、を、わが身で受けているような感覚も起こってきた。活発な由美子にとって物にされるような行為は耐えられなかった。毛筆責めは単なる苦痛とは違う魂の暗部にひそむ妖しい官能を刺激した。ギュッと目をつぶっている由美子の脳裏に、子供じみた悪戯を無言の真顔で黙々と行っている伸の顔が浮かび上がり、それは今まで経験したことのない未知の官能を誘起しはじめていた。少しでも気をゆるすと屈しそうになる自分自身を由美子は必死で叱咤した。由美子は眉をギューと閉め、歯をカチカチ鳴らしたり、食いしばったりしてこの業苦と戦った。が、官能は強靭な精神を裏切った。大きく割り裂かれてあらわになっている由美子の秘裂はいつしか潤いをおびはじめていた。銀子は手をたたいて笑い、
「わー。由美子さん。濡れてるわ。由美子さんてマゾだったのね」
言われても由美子はどうすることもできない。
「うっ。うっ」
と、うめきながらこの業苦に耐えるしかない。銀子は由美子の秘裂の粘液をティッシュで拭き取り、
「ねえ。伸さん。あんまり同じ所ばかりいじめちゃかわいそうよ。私と交代しましょ」
そう言って立ちあがって由美子の顔の傍らに座った。入れ替わるように伸は由美子のあられもなく開かれている双臀の前に戻って座った。責めが一時でも休止されたことに由美子は大きく一息した。が、それもつかの間。由美子の秘裂を筆先が掠めるように擦過したのである。「あっ」と由美子は反射的に声を洩らした。これからされるだろうことが瞬時に予測され、恐怖のあまりに双臀がブルブル震え始めた。再び筆先が秘裂にあてがわれると先端がゆっくりと秘裂に沿って下降してゆく。それが執拗に何度も続いた。
(いけない。負けてはいけない)
と自分に言いつづけながらも由美子は押し迫ってくる官能に口唇を噛み、目をかたくつぶって耐えていた。「あっ」と由美子は悲鳴をあげた。伸は矛先をかえて由美子の肛門をなぞりだしたのである。由美子は身も世もあらぬ態で首を激しく振り、ブルブルと全身を震わせている。伸は仙骨部から秘裂の上端の女の突起まで、女にとって最も敏感な双臀部の間の谷間をなぞり、それを執拗に繰り返した。いつしか由美子の女の窪地は粘稠な女の液でいっぱいとなり、ついにあふれ出てとまらないまでになった。
「わー。すごいわ。由美子さんてすごいマゾだったのね」
銀子がことさら驚いたような口調で大きな声で言う。銀子は由美子の髪を撫でながら、
「きれいな口」
と言って指で口唇をなぞったり、頚や胸にやさしそうな接吻をし、
「伸さん。あんまり由美子さんをいじめちゃかわいそうだわ」
などと真面目な口調で言う。伸は由美子の窪地を硯のように見立て、筆先に女の液をつけては、腿や尻などに塗り付けた。そしてただでさえ、割り裂かれている由美子の双の尻をムズと掴んでグイと開いた。
ずっと沈黙を通してきた伸がようやく口を開いて由美子に語りかけた。重いドスのきいた口調だった。
「由美子。お前も相当強情な女だな。私はマゾです。許してください。いとしの伸さん。と言いな。そうすりゃすぐにやめてやるぜ」
「だ、だれが」
由美子は目を開いてキッと伸をにらみつけた。
「そうかい。じゃあ、気長に続けるだけだ」
と言って伸は再び筆の責めをはじめた。だが由美子が根をあげないので伸はとうとう根負けして、
「お前がそうまで強情をはるのなら、しかたがねえ。本当はしたくなかったんだがな」
と言って、銀子に、
「おい。用意をしろ」
というと、銀子は、
「オーケー」
と言って、さっき持ってきた洗面器の中をゴソゴソあさりだした。
「い、一体、何をしようっていうの」
由美子がキッと銀子をにらみつけても銀子は聞き流しているかのように、ニコニコしながら由美子の目の前に無造作にバラバラと幾箱もの小箱を放り散した。それを見て由美子は「あっ」と叫んだ。さっき見たイチジク浣腸の箱だった。おぞましい恐怖が由美子を襲った。
「や、やめてー」
由美子は、張り裂けるような声で叫んだ。
「そうよ。浣腸責めよ。本当はこんなことしたくないのよ。でもあなたがどこどこまでも強情をはる以上仕方がないじゃない。かわいそうな人」
と、みえすいた揶揄を真面目な口調で言う。銀子は由美子の目の前で箱を一箱ずつ開け、ビニールを破って鼻歌まじりに中身の容器を並べはじめた。不気味な液体で満たされた名前の通りのグロテスクな容器を見せつけられ、由美子はおぞましさにおののいた。由美子は子供の頃から、快食、快眠、快便、の元気な子で便秘などめったにしたことがなかった。一度、便秘したことがあって、母親にイチジク浣腸を渡されたことがあったが、自分でするのであっても、その行為を想像するとみじめでとても出来なかった。代わりに下剤を飲んで通辞をつけた。そのとき以来、由美子は「浣腸」という言葉を聞くだけでおぞましさを感じた。それをこれから本来の目的とは別の意図で他人にされるのである。一体何本入れるつもりなのか。そして、それはどんな刺激を腸に起こすのか。自分は一体どうすればいいのか。彼らは入れた後どうするつもりなのか。そんな連想が次々と起こってきて由美子は体裁も外聞も忘れ、子供のように泣き出したい気持ちになるのだった。銀子は洗面器に浣腸を戻して伸に手渡し、
「はい。伸さん。由美子さんの浣腸は伸さんがするんでしょ」
と言うと伸はそれを押し返し、
「いや。銀子。お前がやれ。俺はとっくりとこいつが浣腸されるときの顔を見てみたい」
と言って二人は再び場所をかえた。銀子は由美子の尻の前に座り、伸は由美子の顔の真横にドッカと腰を下ろした。憎みてもあまりある伸。それがこれから銀子に、想像するだにおそろしい責めを命じ、それによっておこる醜態を、感情の混じらない、冷ややかな目で観察しようというのだ。そう思うと由美子は耐えられなくなり、目をギュッと閉じて顔をそむけた。銀子を執行人にして自分は冷静で仔細に観察する検分役になる。そんな風にして、徹底的におとしめようとする伸の嗜虐性に由美子は背筋がゾッとする思いだった。由美子は気丈夫ではあるが、いたって明快、明朗、であり、世の中のあらゆる不気味なもの、恐ろしいもの、理解できないもの、には、生理的嫌悪感を感じてしまうのだった。花を愛し、ハッピーエンドの映画を愛し、そして、蛇をおそれ、ホラー映画をおそれた。ホラー映画を見て気絶してしまったこともある。
「か、覚悟はできています。そんなに私をみじめにしたいんなら、すればいいではないですか」
由美子は自分の中にある恐怖心に耐えきれなくなって言った。
「ふっふ。かっこいい啖呵きって、あとで吠え面かくな」
銀子は由美子の臀部の前で伸の開始の指示を待っている。伸は思いついたように銀子に来るよう手招きした。銀子が伸の傍らに座ると伸は銀子にヒソヒソと何かを耳打ちした。由美子には聞こえない。伝令がおわると銀子は、
「オッケー」
と軽快な返事をして元の臀部の前に戻った。銀子は大きなビニールを由美子の尻の下にくぐらせた。由美子はいつ来るかわからない恐怖に歯をカチカチ噛みならし、尻をブルブル震わせている。銀子が由美子の尻の穴に浣腸器の先をそっとつけた。電撃のような衝撃が由美子の全身を走り、思わず、「あっ」と言って顔をのけぞらせた。足指がギュッと閉め合わされたり、ピンとのびたりしている。管はすぐには入ってこない。筆先の責め、のように穴の周りをかすかな接触で這っている。由美子は錯乱しそうな感覚の中で伸が銀子に伝言したであろうことを理解した。
(いきなり入れずに先っぽでうんとくすぐってから入れろ)
ニヤついた顔で銀子にそう耳打ちした伸の顔が明瞭にイメージされた。
いいようのない激しいもどかしさ、の刺激に由美子は激しくうめき、首を振りながら髪を振り乱して何とか、責め、から逃げようと尻をゆする。が、シカンの先はピタリとついてまわって離れない。時たま離れることもあるが、いきなり遊撃的にスッと触れてくる。
銀子がふざけた顔で浣腸器でイタズラしている様子が浮かんでくる。いつ触れてくるかわからない恐怖感。銀子の気まぐれなイタズラにおびえつづけなくてはならない、と思うと由美子は耐えられないほどつらい気持ちになり、いっそ泣き出してしまいたくもなる。だがそれが彼らの、ねらい、でもあると思うと由美子はどんなにつらくても耐えなくては、と思い、後ろ手に縛られた指をギュッと握りしめ、奥歯もギュッと噛み締めた。
人間の苦痛はすべて精神の苦痛に帰着する。肉体が苦痛を感じることはない。死刑囚を最も脅かす苦痛とは、いつ死刑が来るかわからない、待つ苦しみであり、それは死刑そのものの苦しみをはるかに凌駕する。
だが銀子が加えつづける気まぐれな責めに、肉体も精神もまいりきり、由美子は声を震わせながら、
「ぎ、銀子さん。浣腸したいのならすればいいではないですか。わ、私はもう覚悟はできています」
と言うのだった。由美子の尻の震えは止まったが、閉じられた目の睫毛はフルフル震えていた。銀子はクスッと笑って、
「あら。そうなの。浣腸なんてむごい責め、あまりにもかわいそうだから私ずっとためらっていたの。でも由美子さんがそうまで望むのなら仕方がないわ」
と、いかにも真面目そうな口調で言う。そう言いながらも銀子はシカンの先で肛門の周囲をふいに触れる悪戯をつづけている。
だが由美子はもう抵抗しようとしなかった。自分が狂態を示せば示すほど彼らは喜ぶのだ。閉じられた目尻が少し潤んでいた。いつの間にか秘裂が粘液で潤んでいる、のを見つけた銀子はことさら驚いたように、
「まあ。由美子さん、感じちゃってるのね。由美子さんてやっぱりマゾだったのね。マゾならいじめてあげるのが思いやりだわ」
由美子は銀子の揶揄をうけてももう動じなかった。由美子は女だが男以上に負けず嫌いの気性だった。運動会でも、学生時代の部活のテニスの試合でも負けると地面をたたいてくやしがった。「ネバーギブアップ」が人間として最も大切な信条だと思っていた。由美子は自分の精神の、大切にしていたものの一つが折れたのを感じた。銀子はイタズラをやめてイチジクの茎をゆっくり挿入しはじめた。
だが銀子はそのまま押し入れようとはせず、ゆっくり入れては戻し、と、何度も往復させ、ついに根元まで入れてしまってもクリクリと容器を指でゆする。おぞましい感覚が由美子の全身を震わせた。だが、由美子が抗いの反応を見せないので、銀子の稚気は少し萎え、素直にゆっくり容器をへこました。パスカルの法則に従って容器の中の液体は由美子の体内へ入っていく。冷たい異物がじわっと体内に広がる感覚に、由美子は「うっ」と声を洩らした。
「はい。一本」
と言って、ゆっくり銀子は抜き取った。そうして、
「はい。二本目」
「はい。三本目」
と、数えながら、銀子はゆっくりと時間をかけて、液を挿入していくのだった。
銀子はイチジク浣腸を合計4本、由美子の体内に入れた。
「はい。由美子さん。4本入ったわ。どう。気持ちよかった?」
便意を促す激しい苦痛が、起こり始めた。
「お、お願い。ト、トイレへいかせて」
と言って由美子は眉をギュッとしめ、奥歯を噛み締めて苦痛に耐えている。
「おい。銀子」
と伸は待ち構えていたように合図した。伸に命令された銀子は由美子の尻の下に敷いてあったビニールをサッと抜き取ってしまった。
「な、何をするの?」
由美子は驚きと恐怖で大声を出した。恥も忘れ、目をパッと開き、傍らの伸を見た。伸は白いブリキの便器を指ではじいて、コンコンと音をさせ、口元をニヤつかせて、
「ふふ。出したくなったらビニールを敷いて、便器をあてがって下さい、とお願いするんだ。そうすりゃそうしてやるぜ。もっともその必要がないんならかまわないがね」
なんとひどいことだ、と由美子は思った。無理矢理いうにもおそろしい責めをして、おとしめぬいた相手に哀願の言葉を言わせようというのだ。
「だ、たれが」
由美子は思わず強い口調で反抗の言葉を投げつけた。あまりの執拗さ、に対する嫌悪感でつい口から出てしまったのだ。
「ほー。そうかい。オレ達は必要ないってことかい」
と言って伸は銀子に向かって、
「おい。銀子。オレ達は必要ないとよ。じゃあ引き上げるとするか」
と言う。
「そうね。由美子さんがいやがるなら仕方がないわ」
と言って明るい口調で、
「じゃあ、私達、お昼御飯にしましょうよ。用意は出来ているからレンジであたためるだけよ。そうそう。今から民放で二時間の面白い映画があったわ」
「由美子君。君が何を考えているのかわからないが、鬼五先生の家のきれいな畳に汚いものをぶちまけるってのはちょっと弟子として失礼じゃないかね。いくら鬼五先生が、寛大で、心が広いからといっても気を悪くするかもしれないぜ」
二人は立ち上がって仲のいい友達のように寄り添って踵を返して歩き出した。伸は、
「また会う日までー。会える時までー」
などと歌っている。
その時、陣痛のような激しい痛みのような苦痛が押し寄せてきた。由美子は顔をゆがませ、「うっ」
と言って、括約筋に力を入れた。
「ま、待って」
二人が障子戸を開けた時、由美子は思わず叫んだ。二人はふてくされたような顔で由美子の顔を病人を見舞うように挟んで両脇に座った。
由美子は油汗を流しながら、眉を寄せ、歯をカチカチ噛み鳴らしている。
由美子がだまっているので銀子が、
「由美子さん。何の用なの。言ってくれなければわからないわ。あなたもお腹が減ったから何か食べたいの?」
「お、お願い。お願い」
由美子は激しく首を左右に振って言った。
「お願い。お願い。だけじゃ、何のおねがいかわからないわ。それじゃ子供と同じよ。何のお願いかはっきり言って」
再びおそってきた陣痛に由美子は限界を感じ、口唇を震わせながらコトバを出した。
「お、お願い。ビ、ビニールを敷いて、ベ、便器を・・・お、お尻の前に当てて」
言いきることが出来ず、由美子は目尻から涙を流した。
「ふふ。いいぜ。ただし条件がある」
と言って伸はピンと由美子の乳房をはじいた。
「こう言ってそれをコトバだけじゃなく、ちゃんと実行するんだ」
伸は苦痛に眉を寄せ、恨めしそうに自分を見ている由美子を冷ややかな目で見ながら語を次いだ。
「私、伊藤由美子は素敵な伸さんを邪険にふった悪い女でした。これからは伸様の奴隷として何を言われても従う素直でかわいい女の子になります。とな」
「そ、そんな」
「いいぜ。言わないならそれで」
由美子は弱々しい一瞥を伸に投げた。誠実な人間は自分を誠実さで縛ってしまう。約束したことは守らなくてはならないという定理は、誠実な人間にとって定言格率であり、やぶれば罪悪感が起こってしまうのだ。寄せては引く陣痛の、ひときわ大きな波が由美子を襲った。それに耐えかねて由美子はついに決断した。
「わ、わかりました。言います」
「よーし。証拠にテープレコーダーにとっておこう」
由美子が話し出したらすぐに録音ボタンを押そうとして伸はテープレコーダーの集音部を由美子の口の間近に用意して面白そうに由美子の口唇が動く瞬間を待ちうけている。由美子はもう一切を観念していた。目尻から涙が一滴こぼれた。
「わ、私、伊藤由美子は素敵な伸さんを邪険にふった悪い女でした。これからは伸様の奴隷として何を言われても従う素直でかわいい女の子になります」
命じられたコトバを言い終わると由美子はポロポロ大粒の涙を流しながら咽び泣いた。
ひときわ大きな陣痛がおそってきて由美子は銀子に涙に濡れた目を向けて、
「お、お願いです。は、はやく」
と言った。銀子はいそいでビニールを由美子の尻の下に敷き、尻に便器をあてがった。
「はいよ。用意はできたわよ」
と言って便器でポンポンと由美子の尻をたたいて用意されている事をわからせた。
「ああっ」
由美子は断末魔の悲鳴を上げ、今までずっと力を入れていた括約筋の力を抜いた。激しい軋音とともに由美子の体内にたまっていたものがいっせいに噴射し、それは豪雨が屋根を打つような音でブリキの便器にたたきつけられた。
すべての日本女性はこの音を同性にも聞かれたくないのでトイレで用をたす時は必ず水洗の音でこの音を修飾する。
激しく嗚咽している由美子に伸は、
「さあ。もうお前はおれの女だ」
と言ってチュッ、チュッ、といたる所にキスの雨を降らした。

(4)
二人は相変わらず、人形のように由美子の体を執拗に弄んでいる。だが、うつろな表情の
由美子は、もはや逆らおうとはしなかった。
卑劣なだまし討ちで自分をこんな地獄に落とした憎んでも余りある伸と銀子。しかしそんな伸と銀子に自分は敗北を認めてしまったのだ。どう言い訳しようと拷責に負けて自分の意志で負けを認めてしまったのである。そう思うと由美子は激しい自己嫌悪に襲われた。一度負けを認めてしまった以上、抵抗しつづけるのは醜態でしかない。むしろ彼らがそんなに自分をいたぶる事を望むなら、彼らに全面服従すれば、せめても、いさぎよさ、を示せる。
虚ろだった由美子の心はいつしか自責の念でいっぱいになり、涙の中に微笑しつつ、警策を求める修行僧のように、自分の怯懦をとことん打ち据えてほしい、という被虐の気持ちでいっぱいになっていた。
幸い自分を罰する準備は整いすぎるほど整のっている。
銀子は、相変わらず熱心に由美子の秘部を綿棒で弄っている。
「はい。由美子さんのまんカス」
と言って銀子は、取り出した垢をティッシュの上に大事そうにのせて、由美子の傍らに置いた。
「この機会に由美子さんの体をくまなく、隅々まできれいにしてあげるわ」
銀子はそう言って耳掻きで耳垢を取り出した。左右の耳掃除がおわると、銀子は濡れタオルで由美子の体を拭き始めた。銀子は、由美子が抵抗の力を抜いたので、いささか、責めがいを失ったのであろう。
「銀子さん」
「なあに?」
「責めて。責め抜いて」
由美子は叫ぶような大声で言った。由美子は観念した硬い顔つきで黙ったまま目をつぶっている。
「わー。由美子さん。どうしてそういう心境になったの。教えて。教えて」
銀子は拭く手を休めて、目をパチクリさせ、膝組みして、煙草をくゆらせている伸の方を見上げた。銀子はイタズラの手を休めて、額に青筋が出来るまでその理由を考えてみた。だがどう考えてもわからない。銀子は子供のような探求心に満ちた目を伸に向けた。
「ねえ。伸さん。どうして由美子さん、こんなに素直になっちゃったのかしら。何故だかわかる?」
「ふふ。銀子。簡単なことじゃねえか。俺達の愛撫があまりにも優しくて気持ちよかったからマゾの喜びに開眼しただけのことよ」
「うーん。そうかなー」
伸の説明があまりにも単純明快過ぎるので銀子は、ロダンの考える人のように拳を顎に当てて、考え込んだ。伸はタバコの煙をくゆらせながら、何かを分っているようなしたり顔でいる。
「まあ、ともかく虐めてくれっていうんだから虐めてやろうじゃないか。銀子。うんと虐めてやれ」
銀子は何か釈然としない心地悪さが気にかかったが元々耳から口へ、脳を介さず直結する反射機能しか備わっていない。物事を考え出すと頭がオーバーヒートしてきて頭痛が起こってくる。銀子は思考を放擲した。銀子にとって、考えるということは体調を悪化させる悪徳だった。人間は、思うがままに生きればいいという、いつもの信条に宗旨変えした。すると途端に、軽やかな気持ちになり、銀子はどうやって虐めてやろうかと思いながら、とりあえず由美子の足の裏を擽った。が、あまり反応がないので、ティッシュで紙縒りをつくって、すぼまった由美子の尻の穴を押し広げ、紙縒りを深く刺し入れた。括約筋の収縮により、紙縒りはキュッと閉めつけられた。銀子は締め付ける強さを調べるように綱引きした。
抵抗の力を抜いて銀子の玩弄に身を任せているうちに、由美子の心に今まで経験したことのない不思議な官能の火が灯り始めていた。それは銀子の巧みな誘導によって徐々に激しさを増していった。由美子の心は、自暴自棄とあいまって、いつしかこの官能を自ら求めることにためらいを感じないまでに至っていた。
「銀子さん」
「なあに?」
「そんな手ぬるくじゃなく、もっと徹底的に責めて下さらない」
彼らが求めてきた従順さを自らの意志で示すことで自分の自暴自棄な、無条件降伏の気持ちを彼らに示してやろうという気持ちが由美子にこんな態度をとらせるのだった。だが由美子は言って抵抗を感じなかった。
伸は耐えきれなくなったように無遠慮に由美子の顔に足をのせて、息を荒くしながら、タバコを揉み消すように力いっぱい由美子の顔を踏みにじった。
「ああっ。いいっ」
由美子は被虐の喜悦の叫びを上げた。由美子は伸を愛してなどいない。それどころか今でも毛虫のように嫌っている。その相手に、この様に惨めのどん底に、嬲られ、落とされることに、こんな不思議な悪魔的官能があるとは。驚き、であり、発見、であった。タナトスの誘いかもしれない。悲劇のヒロイン願望の喜びかもしれない。由美子の被虐の官能は、自己の魂の暗部へ内向するナルシズムであって伸に対する服従の欲求の思いなどない。伸は道具に過ぎない。そのことは伸も分っている。由美子は決して人に服従するような人間ではない。しかし、そんなことは伸にとって問題ではない。積年の想いを晴らした法悦境だった。床について自涜する時、いつも想い描き出されてやまないシチュエーションがまさに現実となっているのである。
「どうしたの。伸さん。そんなに興奮して」
腰を下ろして一休みしている銀子が疑問を問う目を向けた。伸は、はちきれんばかりに隆起したものを時々ズボンの上からしごきながら、相変わらず由美子の顔を力の限り踏みにじっている。伸は肩で息をしながら、
「この高慢ちきな女をいつかこうしていたぶり抜いてやりたいと思っていたんだ」
激しい興奮のため、伸の声はうわずっていた。
「おい。由美子。今の気持ちを言ってみろ」
怒鳴りつけるように言った。
「ああっ。いいっ。みじめになるのがこんなに気持ちがいいなんて知らなかったわ。もっと虐めて」
激しい興奮のため、荒くなった呼吸の中から、押しつぶされた顔の中から叫んだ。
「ふふ。男勝りの美人OLレディーもこうなっちゃなれの果てだな」
なじりのコトバを勝ち誇った王者のゆとりの口調で、投げかけた。
「ああっ。いいっ。もっと言って。みじめのどん底にして」
伸は、ふふ、と不敵に笑いながら続けた。
「いつか君は僕が食事に誘った時、ことさら皆に聞こえるほどの大声で断わったね。覚えているかね?」
「ええ」
由美子の脳裏にその時の情景が映し出されて由美子は赤面した。言いたくても言えない、皆の不満を代弁し、悪を懲らしめる正義感から、ゆるぎない勇気で堂々と断わった。それ以来、由美子は男勝りの勇気を持った社員として畏敬の目でみられるようになった。
「あの時なんて言った。あの時と同じ感情を入れて、あの時と同じセリフを今もう一度、ここで言ってみな」
伸は由美子が言いやすいようにするため、踏みつけていた足をわきへのけた。
「あなたのようなしつこい、未練たらしい男は最低よ」
由美子は勇気を振り絞って言った。が、声は羞恥のため震えていた。伸は再び、ネコをじゃらすように素足をのせて、足指で由美子の顔をもてあそびながら、
「そう。そう言ったね。みんなは驚いて一斉に振り向いたね。君は啖呵を切ってスッと立ち去った。あの時はカッコよかった」
落ちぶれた落差の現実の自覚が、被虐の官能を燃え立たせ、由美子は思わず、
「ああー」
と叫んだ。
「もっと言って。もっと惨めにして」
由美子は、恥も外聞も忘れ、被虐の官能を貪り尽くすように叫んだ。伸はそれを受けて淡々と語を次いだ。
「それが今では、素っ裸で、見てくれといわんばかりに大きく脚を、割り開いている。みんなは君と違い、私の言う事にグチを言わず真面目に仕事している。みなが今の君を見たらいやはや何と思うやら」
「ああっ。いいっ。もっと言って」
由美子は喜悦の涙を洩らした。
「今の気持ちを正直に言いな」
「こんな快美な世界があるなんて知りませんでした。私は正真正銘のマゾです。みじめになればなるほど幸せなんです。もっともっと嬲って虐め抜いて下さい」
伸と由美子の競演をしばしボーゼンとしてあっけにとられてい見ていた銀子だったが、伸がふと責めの足を止めると、銀子の様子が変である。ペタリと床に座り込み、眉を寄せて自分の胸と秘所をゆっくりと揉みながら切なそうな喘ぎ声を出している。
「どうしたんだ。銀子」
伸が聞くと銀子は切なげな口調で言った。
「な、何だか由美子さんを見ているうちに興奮してきちゃった。私も由美子さんみたいにいじめられたい。ゆ、由美子さんがうらやましいわ」
そう言って銀子は、
「ああー。由美子さんになりたい」
と叫んで自涜の蠕動をいっそう加速した。
「ふふ。銀子。お前もMが強いな。いつか素っ裸で由美子と背中合わせに縛ってたっぷりいじめ抜いてやる。お前だけ晒し者にして由美子にお前を鞭打たせるってのも面白いな。ともかく由美子はもうSMの世界の人間になったんだからあせることはねえ。これからは色々なバリエーションで楽しむことが出来る。ともかく今は由美子を徹底的に責める事が先決だ。お前も一人でオナニーしてないで手伝え」
伸に言われて銀子は自涜の手をやめて、
「わかったわ。じゃ、ちょっと待ってて」
と言って部屋を出て行った。しばしして戻ってきた銀子を見て伸は口元を歪めて笑った。「ふふ。似合うじゃねえか」
銀子は黒の皮のボンデージルックを身につけていた。極度に露出度の激しいハイレグのTバックで乳房を露出させるために、その部分だけをくりぬいた黒い皮の縁取りだけのブラを取り付けていた。M女をみじめにするために着せるボンデージルックであるが、責め手が身に付ければ極めてセクシーな女王様ルックとなる。皮のTバックが激しく尻の割れ目に食い込み、歩くたびにつらい刺激を加え、銀子はよろよろとよろめきながら伸の方に近づいてきた。尻も胸も丸見えという露出度の刺激も銀子を陶酔させた。銀子は伸に裸同然の姿を見られることに陶酔するようにクナクナと座り込んだ。伸は銀子の肩をつかんで立たせた。
「銀子。お前がMの快感を味わいたい気持ちはわかる。出来たら由美子と入れ替わってオレと由美子に責め抜かれたいくらいだろう。だが今は我慢して二人して由美子をいたぶるんだ。今はお前が女王様となって由美子いたぶり抜くんだ。オレがお前の恥ずかしい姿をとっくり観賞してやるから」
「わ、わかったわ」
と言って銀子は由美子の傍らに置いてある籐椅子に座り、由美子の顔に足をのせて顔を踏んだり、足指で鼻を挟んだりしていたが、耐え切れなくなったようにバッと椅子から飛び降りて、縛められて仰臥位に寝ている由美子に覆いかぶさり、強く抱きしめて、
「ああっ。由美子さん。好き」
と叫びながら口唇をあわせて貪るような激しい接吻をした。銀子は由美子の首筋から胸へと全身に接吻した後、さかんに胸を擦りつけ、乳首を擦り合わせて、
「ああっ。いいっ」
と喜悦の声を漏らした。最も敏感な所が触れ合うもどかしい官能の刺激から、乳首はみるみる屹立していった。乳首が触れ合うことによって由美子の乳首も自然と屹立していき、由美子は恥ずかしさから、
「ああっ。銀子さん。やめて」
と叫んだ。銀子はほてった顔で由美子を見詰めながら、
「好きなの。由美子さん」
と言って、口を閉じさせるように無理矢理口を重ね合わせた。Tバックのハイレグが開いて、銀子はそれをことさら伸に見せつける様にしている。そうすることによって伸から見られる屈辱の被虐感を求めようとしている。伸は銀子の被虐願望を満たしてやろうと思って、
「ふふ。銀子。尻も胸も丸見えだぜ。由美子とたいして変わりないぜ」
と揶揄した。銀子は、
「ああっ。伸さん。いいっ。もっと言って」
と侮蔑のコトバを求めた。
「お前も素っ裸にして由美子の隣に吊るしてやろうか」
「お願い。そうして」
「ふふ。二人仲良く並べてたっぷりいじめてやるぜ」
「お願い。そうして。伸さん」
「それがお前にとって一番望むことだろう」
「そ、そうよ」
しばし銀子の被虐のまじったレズ行為を見ていた伸だったが、何か思いつたらしく、吸っていたタバコを揉み消して、
「仕方ないな。銀子。よし。いい事を思いついたからちょっとこっちへ来い」
と言った。銀子は陶酔の余韻で顔を火照らせながら、一時、由美子の愛撫を中止して立ち上がって、酩酊者のように千鳥足でふらふら伸の方に歩いていってペタリと座り込んだ。伸は銀子をつかみ寄せてしばらくヒソヒソと耳打ちした。銀子は聞きながら、
「ウンウン。なるほど。なるほど」
と相槌を打った。そしてソロソロとまた由美子のところに戻ると、不安げにおびえている由美子に優しい眼差しを向けた。
「由美子さん。すばらしい吉報よ。今、伸さんと相談したんだけど、由美子さん、自由になれるわ」
「ど、どういうことですの?」
由美子は不安げにおそるおそる聞いた。
「私が由美子さんの身代わりになるの。そして由美子さんにいじめられるの」
「な、なぜ、そんなことをするのですか?」
由美子は強い疑問から激しく聞き返した。
「由美子さんもMの快感はわかったでしょう。今まで上の立場だった人が逆転して相手にいじめ返されてみじめのどん底になる事がMの最高の快感なの。私も今、Mの気分が最高に盛り上がっているから、今までいじめていた由美子さんに徹底的にいじめ返されて、Mの快感を味わいたいの。由美子さんが伸さんと二人がかりで私をいじめるの。伸さんも今まで味方だったから、裏切られて二人がかりでいじめ抜かれると思うとゾクゾクしちゃうわ」
銀子は目を輝かせながら語を次いだ。
「でもひとつ条件があるわ。それは由美子さんがSになりきって情け容赦なく徹底的に私をいじめてくれるってこと。由美子さんはMは身につけたけどSはまだ経験がないでしょ。由美子さんの優しい性格ではSになりきるにはきっと強い抵抗を感じると思うの。でも由美子さんは元々、気性が強いし、感性が深いからきっと決断できると思うわ。鬼五先生に気に入られるにはSMが完全にわかってなくちゃダメだわ。由美子さんはMは身につけたけどSはまだ知らないでしょ。それじゃあ片手落ちだわ。これはSMを理解するための煉獄よ。どう? Sになりきって私を伸さんと一緒に徹底的にいじめてくれる? それが条件よ」
ねえ、伸さん、と伸に目を向けると伸はおもむろに肯きながら、
「ああ。そうだとも。SMの面白さってのは逆転の面白さなんだ。伊藤君。君はMの喜びは味得した。しかしそれではまだ半分だ。今度はSの喜びもうんと味わうがいい。今まで銀子にさんざんいじめられてきた仕返しをするいい機会じゃないか。Sになりきるのも勇気の要ることだぞ」
と説教的な口調で言った。由美子は突然の突拍子もない申し出にどう対応したらいいか分からず、ためらいの目を銀子に向けている。銀子もしばし黙って由美子を見詰めていたが、少し弱気な口調で、
「でも」
と言って切り出した。
「でも、由美子さん。私、一抹の不安があるの。由美子さんを自由にしたら逃げちゃうんじゃないかって。由美子さんは体格もいいし、スポーツもしてるから本気になって逃げようとしたら私たちが二人がかりになっても止められないと思うの。それで、由美子さんが自由になっても逃げないでSになってくれるという確証がほしいの」
「確証ってどうすればいいのですか」
「由美子さんの意志でSになって、私をいじめることを誓って。由美子さんは誠実な人だから自分の意志で言ったことは誠実に守る人だわ」
ためらっている由美子の決断を促すように銀子は強い口調で畳み掛けた。
「由美子さん。道は二つに一つよ。Sになって自由の身になって私をいじめ抜くか。それともこのままいじめられつづけるかよ」
銀子は決断を迫る真剣な眼差しを由美子に向けている。しかし銀子の言う事は信用しきることが出来ず、何と言っていいか分からず、眉を寄せて当惑している。銀子は由美子の返事を黙って待っていたがいつまで待っても答えが来ないので由美子の肩をポンと叩いて笑った。
「やーだ。由美子さん。カンタンなことじゃない。何も悩む事なんかないじゃない。自由になれるのよ」
銀子の屈託ない笑顔を見ていると、これが夢ではない現実だという実感が徐々に起こってきた。銀子の言うことも筋が通っている。何度もだまされつづけて猜疑心に凝り固まっていた由美子だったが、地獄の責めから解放されて、自由になれるという夢に、もう一度だけ賭けてみようという気持ちがだんだん強まっていった。由美子は決断した。
「わ、わかったわ」
「じゃ、言って。女王様らしく、堂々と強気の口調で。それと私に対するいじめの脅しと、何か命令することがあったら言って」
銀子は目を輝かせて催促する。
由美子は何か違和感のおかしさを感じて内心で笑いを漏らした。普通、人にものを頼むときには謙虚に恭しく頼むのが当然の礼儀である。しかしSMでは不遜な態度で命じることが相手に対する礼儀なのである。由美子はこれはいよいよ本物だと確信して、ほっと一安心すると同時に今までだまされ続けてきた銀子に対する憎しみが沸々と湧いてきて、どうしようもないワルガキを叱るような口調で落ち着き払って堂々と言った。
「ぎ、銀子さん。よくもだまし討ちにして散々もてあそんでくれたわね。でももうおしまいよ。これからは私が女王様よ。今までいじめられた分、徹底的にいじめ抜くから覚悟おしなさい」
銀子は子供のように舞い上がって喜び、パチパチ拍手した。
「わー。ステキ。上出来だわ。ねえ。伸さんにも何か命令して。由美子さんが女王様で、伸さんはそれに従うしもべになるのよ」
ねえ、伸さん、と言って伸の方に振り向くと、伸は、
「あー。そうだった。由美子女王様。何か命令して下さい」
と言って正座して丁寧にお辞儀した。由美子はもはや安心しきっていた。何かヘンテコな感覚におかしさを感じつつも、女王様の喜びを感じ始めていた。元々、気性の強い由美子である。縛めが解かれて、女王様の立場になったら、今までさんざん自分をいたぶり抜いた銀子を徹底的に懲らしめてやろうと思った。由美子はスポーツで鍛えられた丈夫な体格と体力を持っている。一方、伸は男とはいえ、だらけた生活で、貧弱で腹だけ脂肪のついたふやけた体格である。自由の身になれば逃げることも出来るし、伸を取り押さえることも出来る。そう思うと由美子は伸に対しても女王の優越を感じて、得意な気持ちになってあしらうような口調で伸に命じた。
「伸。さあ。このどうしようもない不良少女を平手打ちしなさい」
言われて伸は、
「はい。由美子女王様」
と恭しく返事して、
「おい。銀子。こっちへ来い。」
と怒鳴るように命じて銀子を呼び寄せ、
「この不良少女め」
と言って、銀子の頬を二、三発ピシャリと平手打ちした。銀子は、
「ああー」
と叫んで床に倒れ、
「ああっ。いいわ。由美子さん。私にも何か命令して」
と叫んだ。由美子はもはや女王様になった喜びで有頂天になっていた。
「銀子さん。私の拘束を解きなさい。奴隷の分際で何て事をするんです。さっさと早く解きなさい」
由美子は銀子に高圧的な口調で命令した。由美子は銀子が当然あわてて駆け寄ってきてペコペコ頭を下げながら、縛めを解く姿を想像して余裕で待っていたが、時間が経ってもその気配がない。由美子はだんだんイライラしてきて、
「さあ。早く解きなさい。のろのろしているとお仕置きが重くなるわよ」
と言った。だが、お通夜のようにシーンとして動きがない。
「ど、どうしたの。どうして解かないの」
起きるべき事が起こらない疑問から由美子はあわてて声を大に聞いた。銀子は無言で立ち上がって由美子の傍らに座ると、悄然とした表情で由美子の顔をまじまじと見詰めた。
「由美子さん。正直に言うわ。これはあなたの人間性を試すテストだったのよ。由美子さんは自分が助かるためなら人を犠牲にしても何とも思わない人間なのね」
「な、なんですって」
由美子は真っ青になって大声を張り上げた。
「私達、あらかじめ相談しておいたの。もし由美子さんが人をいじめる事など出来ないと、きっぱり断ったら自由にしてあげようって」
ねえ、伸さん、と言って伸の方に視線を向けると、腕組して黙視していた伸は重たげに口を開いた。
「ああ。そうだ。君は自分が助かりたいためなら人などかまわない人間なんだ。君の正体がわかったよ。そういう人間にはお仕置きが必要だな。こんな事になってしまったのも君のそういう業の深さに対する因果応報の結果なんだよ」
伸はしみじみとした口調で語った。
「由美子さん。残念だわ。私、心の中では、由美子さんが断ることを祈るような気持ちで望んでいたのよ。由美子さんは仏様のようにやさしい心を持っていると思っていたの。人の苦しみを自分が引き受けるような。でも、そんな自分だけよければいい、ずるい人間だったなんて。ゲンメツだわ。少しお仕置きが必要なようね」
「だ、だましたのね。あなた達の言っている事は全部ウソだわ。あなたたちはわたしを辱めて、いたぶりたいだけだわ」
由美子は柳眉を逆立てて、全身をブルブル震わせながら大声を張り上げた。
銀子はそんな由美子の訴えなど、聞く耳など全く持たない、といった様子で籐椅子に腰掛けて、由美子の顔を遠慮なく踏みつけて、タバコを揉み消すようにギューギュー踏みにじった。
「どう。由美子さん。今の気持ちは?」
と、冷ややかな口調で聞くと、由美子は眉根を寄せて、
「ああー」
と叫び、
「く、くやしい」
と言った。
「全然反省の気持ちが無いようね。それじゃあ仕方がないわ。お仕置きね」
そう言って銀子は蝋燭を取り出すとライターで火をつけた。ゆらめくことなく不動のまま点りつづける紡錘形の炎は不気味な様相を呈している。
「な、何をするの?」
一心に炎を見ていた由美子は恐怖感に耐え切れなくなって声を震わせて聞いた。銀子は答えず、無言のまま由美子の胸の上で、ゆっくりと蝋燭をかたむけた。炎に熱せられた蝋涙がポタリと由美子の胸に滴り落ちた。蝋涙は肌に当たると、持っていた熱を一気に体に移した後、鳥の糞のように体にこわばり付いた。
「熱いー」
由美子は反射的に声を張り上げて体をブルブル震わせた。
「ぎ、銀子さん。やめて。お願い」
由美子は叫ぶように哀願した。が、銀子は聞く耳を持たないかのごとく、由美子の体のあちこちにポタリ、ポタリと蝋涙をたらしていった。由美子は蝋涙が当たるたび、
「あっ。あっ」
と叫び声を上げながら後ろ手に縛められた不自由な体を右へ捩ったり左へ捩ったりしている。由美子の体はみるみるうちに蝋粒で埋まっていった。蝋の熱さに加えて、いつ終わりになるか分からない不安感から由美子は弱々しい目を銀子に向けた。目は涙で潤んでいた。銀子はしてやったりといった得意顔になり、ニヤリと笑い、
「ここを焦がすのもいいわね」
と言って、内太腿にポタリと一滴たらした。蝋は雨雫のように女の一番敏感な所へとソロソロ伝わっていった。由美子は「ここ」の意味がわかって、恐怖で真っ青になった。由美子はもう恥も外聞も忘れ、
「ぎ、銀子さん。許して。銀子さんにとってしまった失礼な態度は心よりお詫びします。何を命じられても素直に従う奴隷になります。で、ですから、ど、どうか、もうこれ以上は許して下さい」
と言ってわっと泣き出した。銀子はニヤリと笑い、
「じゃ、ちゃんと奴隷の宣言をして」
と言って蝋責めを一時中止して、由美子の顔を見つめた。手には炎のともった蝋燭をしっかり握っている。言わなければその炎で熱せられた蝋が再び降りかかってくるだけである。そう思うと由美子はもはや逃げ場のない絶望感に襲われて、咽び泣きながら、銀子が満足するような誓いのコトバを述べた。
「私、伊藤由美子は奴隷の分際で銀子女王様に、この上ない失礼な事をしてしまいました。これからは銀子女王様の忠実な奴隷として、銀子様の命じる事にはすべて従います。私のしてしまった失礼な言動に対してうんとお仕置きして下さい」
銀子は蝋燭の火をフッと吹き消して床に置き、
「上出来。上出来」
と言ってパチパチ手をたたいた。由美子は蝋燭責めが中止されたことにほっと一安心するとともに、元のMの立場に戻ってしまったみじめさに打ちひしがれて、顔を横に向けた。銀子は由美子を元気づけようと笑顔でやさしく語りかけた。
「ふふ。由美子さん。奴隷になっても少しは反抗してもいいのよ。そうした方がいじめがいがあるわ。今の気持ちを正直に言って」
このコトバは少なからず由美子を元気づける効果があった。由美子は今の思いを正直に感情を込めて言った。
「く、くやしいわ。銀子さんの罠にはまって、こんなみじめな目になるなんて。くやしくて、くやしくて、仕方がないわ」
「そうそう。それでいいのよ。ふふ。由美子さん。同性にいじめられる気持ちはどう?」と言って由美子の顔を遠慮なくグイと踏み付けた。
「ああっ。みじめだわ。男の人より同性にいじめられる方がずっとみじめだわ。く、くやしい」
銀子は、ふふふ、と笑い、どっこいしょ、と言って、由美子の顔にドンと尻をのせた。顔に尻をのせられるというこの上ない屈辱と、のしかかる銀子の体重の辛さに由美子は、
「ああー」
と叫んだ。銀子は、
「あーあ。一休み」
と言ってタバコを取り出して一服した。時間がたっても銀子は降りないので、由美子は耐え切れなくなって、
「ぎ、銀子女王様。お許しください」
と心を込めて哀願した。何度もだまされつづけて、憎みても余りある銀子。その銀子に顔を椅子の様にされて尻をのせられるという屈辱をうけても、その苦しみからのがれるには銀子に心を込めて哀願して、銀子の気まぐれにすがるしか道は無いのである。人間的なプライドにしがみつこうとすればするほど余計みじめになるだけだと思うと、由美子はもうみじめのどん底に落ちてやろうという開き直りの気持ちになった。そして何度も許しを乞うているうちに再び由美子に被虐の官能が芽生え始め出した。心を込めた由美子の哀願に心を動かされたのか、銀子は立ち上がって籐椅子に腰掛けた。
「お、お許し下さって有難うございます。銀子女王様」
言って由美子は抵抗を感じなかった。むしろ許されたことに心からの感謝を感じた。銀子は余裕の笑顔で由美子を見ていたがヌッと足を突き出して由美子の口に押し当てた。
「さあ。足の指を一本、一本ていねいに舐めて、きれいにするのよ」
「はい。銀子女王様」
由美子は恭しく答えると言われたように銀子の足指を小指から一本ずつ口に含み、丁寧に舐めた。人間の足を舐めてきれいにするという最悪の屈辱にも由美子は抵抗を感じなかった。むしろ被虐の官能を求めるように、貪るように一心に足指をしゃぶった。
「ふふ。由美子さん。マゾの喜びを感じてるでしょ」
由美子は答えられなかったが、顔は赤面していた。銀子はグイと由美子の顔を力いっぱい踏みつけた。
「ああっ。いいっ。銀子女王様。もっと強く踏んで下さい」
「ふふ。男勝りの由美子さんもこうなっちゃ成れの果てね」
「ああっ。いいわっ。銀子女王様。もっと言って。みじめにして」
由美子は何もかも忘れ被虐の喜悦の頂点に登りつめていた。伸は少し離れた所でタバコを吹かしながら胡坐をかいて二人の様子をSMショーを見物するように眺めていたが、銀子に、
「伸さんも来なよ。今、由美子はマゾの法悦境にいるんだから」
と促されて、
「おう。そうだったな」
と言ってスッと立ち上がると銀子と向かい合わせになって由美子の顔を見下ろした。顔は銀子に踏まれて歪み、眉根が苦しそうに寄っている。伸も遠慮なく由美子の顔を踏みつけた。二人は被虐の陶酔にひたっている由美子を、顔を踏んだり、足で乳房を揉んだり、鼻をつまんだりと、散々いたぶり抜いた。

(5)
外はもう夕闇が迫っていた。
「このくらいしておけばもう逃げる気も起こらんだろう。今日は俺の人生で最高の一日だったよ。じゃ、おれは帰るから」
と銀子に言って伸は帰っていった。
銀子は由美子の下肢を吊り上げていた縄を下ろし、由美子の足首に取り付けられていた樫の棒も取り外した。全裸で後ろ手の縛めだけとなった由美子の足首を、
「痛かったでしょう」
などと同情的な口調で言いながら、銀子はぬれタオルで丁寧に拭いた。由美子の両足首は長時間の拘束のため、くっきりと縄の跡がついていた。由美子は長時間におよぶ言語に絶する拷責の疲れから、もう何をする気力も持てないといった様子で畳の上に体を横たえている。足の拘束が無くなったのだから、銀子のスキをうかがって、屋敷から逃亡しようと駆け出すことは出来る状況である。しかし由美子に、もはやそんな気力はなかった。仮に逃亡できたからといって何になろう。もう元の職場に戻ることも出来ないし、「鬼五の弟子入り」もおしまいである。一人でコツコツ小説を書いて新人賞に応募して入選する、などして、作家と認められるようになったとしても、伸や銀子は今日のスキャンダルのことを世間に公表するぞ、などと言って由美子を脅迫してくるだろう。もう自分は、恥ずかしい思いをしながら、鬼五の弟子として作家を目指すしか道はないのだと、畳にうち伏しながら思っていた。言語に絶する辱めを受けても由美子の作家を志す情熱は少しも衰えていなかった。伸や鬼五の計略にまんまとはまった悔しさはあったが、あれだけの辱めを受けて、それを受け入れてしまった以上、もはや失うものは何もなくなった。むしろ、全てを晒し、全てを受け入れてしまったことは由美子に作家としての成長を皮肉にも起こしていた。鬼五の罠にはまった事は悔しくはあったが、実際、鬼五の言った通りだったのだ。そう思うと鬼五の作家としての巨匠、巨魁、巨根さにあらためて畏敬、畏怖の念を感じるとともに、もう毒食らわば皿まで、といった心境になって、何としても鬼五について作家になりおおせてみせる、という負けじ魂が沸き起こってくるのだった。
由美子が逃げる気配を見せないので、銀子はクスッと笑い、
「とうとう由美子さんも決断がついたようね。よかったわ」
と言って部屋を出て行った。由美子は神経を休めようと、目を閉じた。由美子は拷責の疲れから、いつしか眠り込んでいた。

   ☆   ☆   ☆

 四方からの騒々しい声で由美子は目を覚ました。周りを見て、由美子は驚きと恥ずかしさから、すぐさま身を起こして立て膝でピッタリと脚を閉じ合わせた。何と昨日とまったく同じ顔ぶれのヤクザっぽい男女が三人ずつ、合計六人、夜になって電灯のついた座敷の中央の由美子を取り囲むようにドッカと胡坐をかき、酒席の余興を楽しむような視線を由美子に向けている。彼らの前には膳が置かれ、ビールが配られている。その中に銀子を見つけると、由美子はもうどんな覚悟をしたとはいえ、思わず、銀子の意地悪さを怨みたく思った。覆うもの一枚ない丸裸で後ろ手に縛められている自分の困惑する姿を酒席の余興にしようというのだ。銀子と目が合うと、銀子はクスッと笑って、
「ふふ。由美子さん。やっとお目覚めね。あまり気持ちよさそうにスヤスヤと寝ていたものだから、起こしちゃ悪いと思ったの」
などとうそぶいている。由美子は恥ずかしさから膝をピッタリ閉じ、視線のやり場に困りながら全身を小刻みに震わせている。
伸と銀子の二人がかりのいたぶりは、一過性の暴虐的な嵐のようなものとして、かろうじて耐え抜けた。いかに屈辱的とはいえ、密室での、人には知られない屈辱という救いがあった。しかし今は、見ず知らずの人間達の前で覆うもの一枚ない丸裸の姿をフザケ半分のニヤついた視線を受けている晒し者となっているのである。
 伸と銀子の時は、責め手も受刑者もそれなりに真剣さがあった。真剣な戦いだった。しかしこれは、一方的に面白半分で見下されている惨めさだけである。
その時、戸が開いて鬼五がヌッと入ってきた。以前と同じように浴衣姿で黒ぶちの眼鏡をかけている。鬼五は床柱を背にドッカと座ると、もう酒が入っているのであろう、上気した顔を由美子に向け、
「伊藤君。今日のことは銀子から聞いた。どうだ。いい人生勉強になっただろう」
などと言いながら、今日とられた屈辱のテープレコーダーを部屋に鳴り響くほど、ボリュームいっぱいに再生した。由美子は思わず赤面した。由美子は哀しげな目を鬼五に向けて、
「せ、先生。私もこんな生き恥を晒して先生のいうことには全て従っているんです。先生のいうことには何でも従う忠実な弟子になります。ですから、どうか、どうか・・・」
もうこれ以上みじめにしないで下さい、と言ってわっと泣き出した。鬼五は、いじっていた由美子の下着を脇におくと、
「いいだろう。君は作家になるための試練を見事に耐え抜いた。君には可能な限り、大手の雑誌に文章を書かせてやろう」
銀子は鬼五の隣で鬼五に酌をしていたが、鬼五に何かを耳打ちされて、クスッと笑って立ち上がって部屋を出て行った。
しばしして戻ってきた銀子を見て、由美子は思わず「ああっ」と大声をはり上げた。何と銀子は、裸で後ろ手に縛られた彩子の縄尻を取って座敷に入ってきたからだ。彩子は全裸ではなく、腰にはピンクの色褌が取り付けられていた。それは確かに全裸を隠す覆いとはなっていたが、その覆いは救いの覆いではなく、逆説的に男の劣情をかきたてる効果を出す惨めな物でしかなかった。昨日、家に帰らせたはずの彩子がどうしてこのような辱めの姿で今ここにいるのか、由美子には全くわからなかった。
「ぎ、銀子さん。どうして彩子さんがそのような姿でここにいるのですか」
と聞くと、銀子はクスッと笑って、
「ふふ。彩子さんにも泊まっていくようすすめたら肯いたから泊めてあげたのよ。でも聞き分けが悪くて、由美子さんのキャッシュカードの暗証番号を聞いても、由美子さんを裸にして縛るのを協力するよう言ってもガンとして言うことを聞かないの。だから少しお灸をすえたの。あなたは客間で休めたけど、彩子さんは裸で縛られて正座させられたままだったから可哀相だったわ。それに今まで何も食べていないのよ」
「ぎ、銀子さん。あ、あなたって人はなんという酷いことをするのです。彩子さんに何の罪があるというのです」
由美子は柳眉を逆立てて銀子をキッとにらみつけて大声で怒鳴った。
彩子は孤児院出で、ある町工場で働いていたところを不況で解雇され、一人ポツンとたたずんでいたところを由美子が、「どうしたの」と声をかけたのが二人の出会いのきっかけだった。近くの喫茶店で身の上話を聞くと、アパートの家賃も滞りがちで、あわやホームレスになるところだと知った。同情した由美子はそれ以来、彩子を本当の妹のようにかわいがって面倒をみてきた。保証人となって居を確保し、上司に頼み込んで自分の勤めている会社に就職させた。さらにはクレジットカードを渡して暗証番号まで教えた。そうしても全く不安を感じないほど、彩子は真面目で純粋な性格だった。内気で無口な性格のため、会社でも一人でポツンとしていることが多かったが、由美子と二人になると満面の笑顔に変わり、心に秘めている想いを包み隠さず楽しそうに話した。由美子にとっても、自分だけは信頼してくれているという彩子の思いは無上の喜びだった。由美子にとって彩子は目の中に入れても痛くないほどの実の妹のような存在だった。孤独で友達がいない寂しさをまぎらわすため、コツコツ一人で小説を書くことが彩子の唯一の趣味だった。その作品を見せてもらい読んだ時、小説の構成や細部に至るまで、美しく隙なく整った文章の完全さに由美子はびっくりした。これならきっと作家になれると、今回の作家弟子入りに、ぜひ一緒に、と強く誘ったのである。彩子に大きな野心は無かったが、由美子の思いやりが嬉しくて、一も二も無く承諾してついて来たのである。
そんな彩子を玩具のように扱って、褌一枚という奇矯な姿で、何も食べさせずに今までずっと正座させていた、と思うと由美子は銀子に対して言いようの無い憤りの気持ちがフツフツと沸き上がってくるのだった。だが銀子はそんな由美子の気持ちを知る由は無い。褌一枚で後ろ手に縛められた彩子の縄尻を官憲のように取りながら円座の中央に引き出した。彩子の頭の上には昼間、さんざん由美子を嬲った、梁に取り付けられた滑車が垂れ下がっている。銀子は彩子の縄尻を滑車に通して固定して、彩子を立ち縛りにした。彩子はまだなだらかな隆起の乳房の、成熟しきっていない幼さをのこした体つきである。体同様心もまだ幼さを残しているのか、円座の中央で晒し者になっても、恥ずかしがる様子も見せず、うつむいて寂しそうな視線を床に落としている。
「ぎ、銀子さん。彩子さんに何をしようというのです」
「彩子さんはいうことを聞かなかった罰としてこれからお仕置きを受けるのよ。それに彩子さんも、今、由美子さんが裸の晒し者になっている、と聞いたら、自分が身代わりになる、と言ったのよ」
由美子は鬼五に振り向いて、
「鬼五先生。どうか彩子さんの責めだけは許してやって下さい。代わりに私がどんな責めでも受けます」
「いや。彩子はまだ作家になるための覚悟が出来ていない。非情なようだが、わしは心を鬼にして彩子の精神を鍛えねばならん」
「お、鬼五先生。どうか彩子さんだけは許してやって下さい。彩子さんは文壇で認められるほどの作家になりたいとは思っていないんです。趣味で同人誌にファンタジー小説をコツコツ書いているだけで十分満足しているのです。それを私が無理に誘って連れて来てしまったのです」
「そうか。じゃあ、彩子は檻に飼って秘密ショーのスターとして働いてもらおう。その代わり、由美子君。君はわしが責任を持って立派な一人前の作家にしてやろう」
鬼五は男二人に目配せすると、された二人の男は鞭を持って彩子の後ろに立ち、交互に彩子を鞭打ちだした。鞭はりゅうりゅうと風を切って、尻といい、背中といい、ところ嫌わずピシリ、ピシリと激しい音を立てて振り下ろされ、彩子の体はみるみる赤く蚯蚓腫れしていった。鞭が当たると彩子は一瞬、苦しげな表情になり、「うっ」と声を漏らしそうになったが、黙ってじっと耐えている。
由美子は耐えられなくなり、
「せ、先生。どうか止めさせて下さい」
と声を大に言った。鬼五はコップ酒をあおりながら、
「いや。由美子君。作家は人情家とは違う。どのような惨いものを見ても、冷静に静観して、それを力強い文章力によって迫真の作品に仕立て上げるのが作家の仕事なのだ。作家になるためには人を踏み倒して、のし上がるくらいの非情な精神力も必要なのだ」
と言って残っていたコップ酒をぐいと飲み干した。
そう言われても由美子は何度も責めを止めさせることを訴える。が、鬼五は、
「いや。それは出来んな。そんな感傷的な根性では作家にはなれん」
と突っぱねる。
彩子を鞭打っていた二人の男は一休みするために、鞭打ちの手を休めた。その時である。怨みも憎しみも感じられない表情で、視線を床に落としていた彩子がおとなしい口調でポソリとつぶやいた。
「おねーちゃん。いいよ。彩子、おねーちゃんが幸せになってくれればどうなったっていいもん。おねーちゃんが幸せになることが彩子の幸せだもん。彩子、おねーちゃんが世界一好きだもん。おねーちゃんの捨てた物、みんな家にあるもん。おねーちゃんから借りたパンティー、宝物にして握って寝てたもん。おねーちゃんの写真、彩子の一番の宝物だもん」
ああ、何という有り難い心でしょう。金がある時は世辞をいってたかり、金が無くなるとしらんぷりする世間の人間とは如何にかけ離れた心でしょう。
由美子にはもう小説家への夢も、自分の命さえも念頭に有りませんでした。
由美子は、今の自分の境遇が、芥川龍之介の短編小説、「杜子春」のラストに極めて似ていることを、錯乱した頭の中で確固として感じ取った。
由美子は目から溢れ出る涙を迸らせながら、まろぶように彩子に向かって駆け出し、彩子を鞭打っていた二人の男にあわてて取り押さえられながらも、激しい抵抗をしながら、泣き濡れた顔を鬼五に向け、
「もうやめさせて下さい。私が一生、秘密ショーのスターとして仕えます。その代わり、彩子だけは手をかけないで、自由にしてやってください」
と泣きじゃくりながら叫んだ。
鬼五は顎を撫でながら、しばし黙ってじっと由美子を見つめていたが、おもむろに口を開き、
「ふむ。お前達にはどうやら俺の弟子は無理のようだな。で、これからどうする」
と厳かな口調で聞いた。
「はい。貧乏でも名が売れなくても、彩子とささやかに正直に生きようと思います」
由美子の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていた。
「よし。その言葉を忘れるな。俺はそれが聞きたかったんだ。今日のことは絶対誰にも言わないよう、伸にかたく口止めしてやろう。もうお前たちを辱めたりは二度としない。オレは本当は女にはやさしいんだ。どうだ。もう一度考えてみてオレの弟子になる気はないか」
由美子はしばし迷った後、
「はい」
と答えた。
「よしわかった。」
鬼五はそう言う内に、もう立ち上がって踵を返して座敷を去ろうとしたが、急に足を止めて、由美子の方を振り返ると、
「おお。幸い、今思い出したが俺はあるアマの将棋雑誌のオーナーになったところだ。お前たちはすぐれた作家だと紹介してやるから、名人戦の対局記など、何でもお前たちの好きなように書かせてやる。世間に名を売れるし、文章の修行にもなる。どうだ。やってみるか」
と聞くと、由美子は笑顔で元気よく、
「はい」
と答えた。