車輪の一歩       もどる

これは1970年代の話である。
1970年代にはまだ今のようなバリアフリーはなかった。
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「さあ。いよいよ第××回、××オリンピック、女子バレーボールの決勝戦です。日本対アメリカ。泣いても笑ってもこれが最後の試合です。日本は強敵アメリカに勝つことが出来るでしようか?」
アナウンサーの声は緊張していた。
「木村さんはこの試合をどう予測しますか?」
アナウンサーが解説者の元オリンピックの木村香織に聞いた。
「そうですねー。技術ではアメリカが有利ですが、日本は一心同体のチームワークの結束力が素晴らしいです。それによってここまで勝ち上がってきたといっても過言ではありません。それと佐藤京子選手の必殺、火の玉スパイクです。日本は佐藤京子選手の必殺火の玉スパイクで得点して勝ってきたというのも事実です。しかしセンターの佐藤京子選手が前の試合で足首を捻挫したと聞いています。それがどこまで回復しているか、それが心配ですね」
と木村香織は言った。
試合が始まった。
第一セット、アメリカ。
第二セット、日本。
第三セット、アメリカ。
第四セット、日本。
と試合は進んでいった。
「さあ、ファイナルセットです。優勝ははたして日本か、それともアメリカか」
アナウンサーの声も高まっていった。
ファイナルセットは日本24対アメリカ23となった。
アメリカチームのサービスした球が日本チームのコートに入った。
それをバックが受け止めた。そして、その球を日本選手が佐藤京子がスパイクをするようにトスした。
宙に浮いた球を佐藤京子が渾身の力を込めてスパイクした。
それがきれいに相手コートに決まった。
「日本優勝。日本優勝。決めたのは日本の佐藤京子の火の玉スパイクです」
観客席から、わーと歓声が起こった。
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その時、佐藤京子は目を覚ました。
はーいい夢だったな、という一瞬の思いは、すぐに、それが絶対に出来ないという現実によって失望に変わった。
さあ勉強しよう。
京子は気を取り直してベッドから這って車椅子に乗った。
そして勉強机に向かった。
佐藤京子は幼少の頃、急性散在性脳脊髄炎を発症して下半身不随の車椅子だった。
そのため佐藤京子は小学校から車椅子で通学した。
生来、内気で無口な京子は小学校で、散々いじめられた。
男子生徒にも女子生徒にも。
脊髄が障害されているので便や尿の排尿コントロールが出来ず、京子は、おむつをして学校に通っていた。
そのため、京子が朝、学校に行くと机にマジックで、「バーカ」「カタワ女」「おむつ女」などとマジックで書かれていることが、しょっちゅうだった。
京子の持ち物が無くなることも、しょっちゅうあった。
車椅子でトイレに入るとトイレの外に置いておいた車椅子が無くなっていることもあった。
京子は女子生徒とも話が出来なかった。
なぜなら女子生徒の話題は、他人の陰口、悪口ばかりで、京子は、そういう話題には加わりたくなかったからである。
そのため京子は友達は一人も出来なかった。
しかし佐藤京子は真面目でがんばり屋なので成績は全科目トップだった。
母親の勧めで京子は絵画を描きバイオリンを練習した。
小学校は主席で卒業したほどなので中学は偏差値の高い進学校に入れる学力があったが車椅子では遠い学校には通学できない。
なので京子は家に近い偏差値の低い中学校に入った。
しかし、ここでも京子はいじめられた。
内気で優しい性格の子はいじめられるのである。
なので京子は部活には入らず、学校が終わると、すぐに家に帰った。
そして勉強した。
京子は特に勉強が好きというわけではなかった。
しかし勉強できると先生に褒められるので、それが嬉しくて勉強に打ち込んでいたのに過ぎない。
京子は本当は、勉強なんか出来なくてもいい、友達が欲しいと思っていたのである。
友達とスポーツをやったり、旅行に言ったり、遊びに行ったり出来たら、どんなに楽しいことか。と京子は思っていた。
京子はスポーツ観戦が好きだった。
なのでテレビで女子アスリートの試合は、ほとんど観ていた。
京子も体操の授業に出なくてはならなかったが車椅子なので体育の授業は見学だった。
学校でも部活で元気に駆け回っている生徒たちを見ると、うらやましさ、と、それが出来ない、さびしさに悲しくなるのだった。
京子は学校が終わると、すぐに家に帰った。
「お帰り。京子」
「ただいま。お母さん」
そして、テレビでスポーツ観戦をしたり、マンガを読んだり、勉強したりした。
車椅子の子でも友達と仲良く出来る子もいる。
そういう子は、性格がおおらかで劣等感を感じない性格の子である。
しかし京子はデリケートな性格なので一人、車椅子だと、みなに気を使わせてしまい、それが、みなに迷惑をかけてしまう、みなは、同情して、表向きには、そのことは言わないがデリケートな京子には、それが受け入れられなかった。
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ある時、山野哲也という男子生徒が転校してきた。
彼はハンサムで、子供の頃から野球をやっていたらしく、150km/hの剛速球を投げられ、バッティングも打率8割の強打者だった。
当然、彼は野球部に入りキャプテンになった。
そんな彼が休み時間に京子に話しかけてきた。
「あ、あの。佐藤京子さん。授業でわからない所があるんですが教えてもらえないでしょうか?」
京子は人の心を察知する能力が優れていたので彼が優しい人間であることは、すぐに感じとった。
京子は丁寧に勉強を教えてあげた。
「ありがとう。佐藤さん」
と言って彼は笑顔でお辞儀して去って行った。
哲也は色々と京子に親切にしてあげた。
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ある日曜日。
山野哲也が京子の家にやって来た。
ピンポーン。
「はーい」
カチャリ。
玄関が開いて京子の母親が出てきた。
「こんにちは。山野哲也と言います」
「ああ。こんにちは。山野哲也さんですね。あなたのことは娘から聞いて知っています。どうぞ、お入り下さい」
母親は嬉しそうに言った。
「失礼します」
哲也は居間に通された。
母親は哲也にクッキーと紅茶を持ってきた。
「山野さん。娘から聞きましたが娘にとても親切にして下さっている方とのこと。感謝の言葉もありません。有難うごさいます」
「いえ。そんなこと、どうでもいいんです。ところで京子さんは?」
「二階の自室に居ます」
「そうですか。彼女と会いたいのですが・・・」
「そうですか。わかりました」
母親は山野哲也を連れて二階に上がり京子の部屋をノックした。
トントン。
「京子。ちょっと開けて」
「なあに。お母さん」
「京子。山野哲也さんが来て下さったわよ。あなたと話がしたいと言って」
すると京子の部屋の戸が開いた。
京子が心を開けるのは母親だけだった。
車椅子に乗った京子が顔を出した。
「こんにちは。佐藤京子さん」
「こんにちは。山野哲也さん」
京子は哲也を見ると身構えてしまった。
優しい哲也のこと。
きっと慰めに来てくれたのだろう。
しかし彼も休日は野球の練習をしていて、それをやりたいだろうに、それを犠牲にして、自分のことを慰めてくれることが、心の優しい京子にはつらかった。
優しい人間というのは自分より相手のことを考えてしまうのである。
「あ、あの。山野さん。こんにちは」
「こんにちは。京子さん」
「哲也さん。今日は野球部の練習があるんではないですか?」
「いや。今日は、ちょっと事情があって練習はないんだ」
「そうですか」
そうは言ったものの、京子は、哲也が気を使わせないようウソを言っていることはわかった。
「京子さん。こんな晴れた日に部屋に閉じこもっているのはよくない。外へ出るべきです」
哲也は強気の口調で言った。
「・・・で、でも・・・」
それ以上、京子は言えなかった。
「近くの公園へ行きましょう」
「・・・で、でも・・・」
「京子さんが前、教えてくれたじゃないですか。日光を浴びないと、ビタミンDが作られないと。その結果、骨が弱くなると。それと日光を浴びないとセロトニンという物質が分泌されなくなって、うつ病になると。さあ、公園に行きましょう」
そう言って哲也は京子を車椅子から降ろして床の上に座らせた。
そして哲也は車椅子を二階の京子の部屋から玄関に持って行った。
そして京子を抱き抱えて階段を降り玄関の前に置いた車椅子に乗せた。
雲一つない青空の中で太陽が照りつけた。
ああ。何て気持ちいいんだろう。
部屋に閉じこもりの京子は嬉しくなった。
セロトニンが分泌されたのだろう。
「さあ。公園に行きましょう」
そう言って哲也は車椅子を押して京子を近くの公園に連れて行った。
「じゃあ、バレーボールをしましょう」
そう言って哲也はバックからバレーボールの球を取り出した。
そして京子に向かって、やさしく投げた。
京子はトスやレシーブでそれを哲也に返した。
ポーンポーンと哲也と京子の二人のバレーボールのやり取りが続いた。
京子にとって人とこんな体を使った遊びをするは生まれて初めてのことだった。
しかし、体を動かしたい、人と遊びたい、と思っていた京子は、だんだん嬉しくなっていった。
(ああ。人と遊ぶって何て楽しいんだろう)
京子は最高の幸福を感じていた。
その日から日曜日になると哲也は京子の家に来て色々な所に連れて行った。
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哲也は、早くもプロ野球の全ての球団に目をつけられていた。
いくつもの球団のスカウトが哲也の家に来て、将来、入団して欲しい旨を伝えた。
そのことは学校中に知れ渡った。
当然ではあるが。
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ある日曜日。
いつものように哲也は京子の家に行った。
「哲也さん。プロ野球の全球団がスカウトしているんですってね。おめでとうございます。哲也さんなら、きっと素晴らしい選手になれると思います。頑張って下さい。応援します」
京子が言った。
「京子さん。そんな、よそよそしいことは言わないで下さい。今日はもっと重要な要件で来たんです」
哲也は真顔で京子を見た。
「・・・な、何でしょうか。重要な要件って?」
「もし僕がプロ野球選手になったら・・・・その時は僕と結婚して下さい」
京子は面食らった。
突然のプロポーズに。
しばし言葉が出なかった。
京子はしばし迷った後、
「哲也さん。私を同情してくれるのは嬉しいのですが・・・」
と言った。
「同情なんかじゃありません」
哲也は大きな声で言った。
「いいんです。哲也さんには五体満足な奇麗な女子アナか女優がふさわしいんです」
京子が言った。
「あなたは自分が素晴らしい物を持っていることに気づいていない」
「何ですか。私の持っている素晴らしい物って」
「誰よりも優しい心と人を思いやる心です」
哲也は京子を直視して言った。
京子は涙を流した。
「う、嬉しいです」
「ただし条件があります」
「何でしょうか。その条件というのは?」
「・・・それは、京子さんにとって、つらいことだろうと思います。しかしその条件を聞いてくれないのなら僕はあなたとは結婚したくはありません」
哲也はキッパリと言った。
「な、何でしょうか。その条件というのは?」
「プロ野球選手になれば遠征も多くなります。そういう時には僕は居ませんから、あなたは一人で生活しなければなりません」
京子は黙って聞いていた。
「だから僕が居ない時でも車椅子で外へ出て、勇気を出して、恥ずかしがらずに人に物を頼むということを身につけて欲しいのです。この条件を聞いてくれるのなら僕はあなたと結婚したい。しかし、この条件を聞いてくれないのなら僕はあなたとは結婚したくはありません」
哲也はキッパリと言った。
うっ。うっ。
京子は泣いていた。哲也の優しさに。
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次の日曜日。
哲也は最寄りの駅である豪徳寺駅に京子を連れて行った。
豪徳寺駅は10段も階段があるので、車椅子の人は一人で、その階段を昇るのは不可能だった。
どうしても車椅子を両側から持ち上げてくれる男二人の協力が必要だった。
「さあ。僕が見ているから勇気を出して人に物を頼んでごらん。世の中は決して冷たい人ばかりじゃない。優しい人だっているんだ」
「・・・は、はい」
京子はおびえながら車椅子を押して豪徳寺駅の階段の前まで行った。
しかし、なかなか見ず知らずの赤の他人を直視することは出来なかった。
今まで、そんなこと一度もしたことがなかったからだ。
しばし迷っていたが京子は勇気を出して小さな声でボソッとつぶやいた。
「誰か私を上まで上げて下さい」
京子が人に物を頼むのは、これが生まれて初めてだった。
しかしその声は蚊の鳴くような、あまりにも小さい声だったので人には聞こえなかった。
京子はもう一度言った。
「誰か私を上まで上げて下さい。どなたか私を上まで上げて下さい」
少し声が大きくなった。
しかし誰も足を止めなかった。
思った通りだった。
どうせ私が頼んだからといって10段もある階段をあげてくれる人なんていないんだわ。
京子は捨て鉢な気持ちになっていた。
京子はもう一度言った。
「誰か私を上まで上げて下さい。どなたか私を上まで上げて下さい」
京子は、かなり大きな声で言った。
その時。
一人の男が立ち止まった。
「おーい。誰か手伝ってくれないか。この子は階段の上に昇りたがっているんだ。しかし私一人じゃ無理だ。誰か手伝ってくれないか」
男は大きな声で言った。
別の一人の男が立ち止まった。
男は言った。
「オレも手伝うよ」
二人の男は京子の乗った車椅子を両側から持って、よいしょ、よいしょ、と京子を豪徳寺駅の階段の上に運んだ。
こっそりついてきて、その光景を見ていた母親は、うううっ、と泣き崩れた。
「あ、ありがとうございます」
京子はお礼を言った。
世の中には優しい人だっている。
京子はそれを実感した。
私も勇気を出して、もっと強くならなければ、と京子は思った。
商店街ではゴダイゴの「The Sun Is Setting On The West」が流れていた。
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哲也は近くの青葉台高校に進学した。
京子は成績は良かったが、いじめられるのが怖くて高校には進学しなかった。
哲也は青葉台高校の野球部で大活躍した。
哲也の進学した青葉台高校は野球の強豪校ではなかった。
むしろ甲子園に一度も出場したことのない無名校だった。
しかし哲也は一年の時から150km/hのストレートを投げられ、バッティングもバットコントロールが素晴らしく長打力があったので対抗試合では、いつもノーヒットノーランで勝てた。
高校の三回の夏の甲子園大会には、青葉台高校は全部、出場して三回とも優勝した。
哲也の素晴らしいピッチングとバッティングのおかげで。
三年の甲子園大会が終わると哲也は全てのプロ野球の球団にドラフト1位で指名された。
くじ引きの結果、哲也は横浜DeNAベイスターズに入団した。
そして京子と結婚した。
哲也は大きな教会で、友人、知人を大勢呼んで盛大な結婚式をした。
白髪の牧師が聖書を開いて哲也に向かって厳かに言った。
「山野哲也。汝、この女を妻として娶り、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
哲也は力強く言った。
次に牧師は車椅子に乗っている佐藤京子の方へ視線を向けた。
「佐藤京子。汝、この男を夫とし、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
京子は厳かに言った。
二人はエンゲージリングを交換し合った。
パチパチパチと盛大な拍手が起こった。
オープン戦の日。
巨人VS横浜DeNAベイスターズの試合。
京子は車椅子で始球式をした。
パチパチパチと球場から盛大な拍手が起こった。
この話はテレビ、新聞、週刊誌、あらゆるメディアで日本全国に報道された。
山田太一という脚本家が、これはドラマになる、と感動し、脚本を書き、女優の斎藤とも子を京子役にし、京本政樹を哲也役にし、そして鶴田浩二、清水健太郎、岸本佳代子、赤木春恵、柴俊夫、などの豪華キャストをそろえて、「車輪の一歩」というタイトルでドラマを作った。
それは1979年に放送され日本中で大ヒットした。
それがキッカケで日本のバリアフリーは一気にすすんでいった。


2024年1月27日(土)擱筆