小児科医           もどる

岡田由美子さんの父親は、大阪市内で、内科医院を開業している。
彼女は、江戸時代から、代々、続いている、医者の家系である。
岡田さんは、物心ついた時から、岡田医院に来る患者を診て、そして白衣姿で、患者を診療する父親を見て、育った。
「由美子は、将来、何になりたい?」
と、小学校に入った時、父親に、聞かれたが、由美子は、即座に、
「私。お父さんと、同じ、お医者さん、になりたい」
と、苺ケーキを、頬張りながら答えた。
由美子は、性格が素直、で、優しかった。
そして、優しく、医者の仕事に、熱心な父親を尊敬していた。
なので、由美子が、そう思うのは、無理もないことだった。
小学校の時の、国語の授業で、「将来の夢」、と、題する作文を、書かされた時も、由美子は、「私は、将来、父と同じように、医者になりたいです」と、書いた。
由美子の父親も、将来は、由美子に、医者になって、岡田医院を継いで欲しいと思っていたので、父親にとっても、嬉しかった。
子供の時の、由美子の目には、医者、以外の、歌手とか、女優とか、スチュワーデスとか、は、全く、関心がなかった。
優しい父親で、親身に、病人を診療している、父親の姿を、身近に見れば、医者とは、素晴らしい仕事、と思うのは、無理もないかもしれない。
優しい、温かい、両親に、見守られて、由美子は、すくすくと、育っていった。
親に勧められて、塾にも通った。
医学部は偏差値が高く、医学部に入るには、しっかり、勉強しなれば、入れない。
なので、由美子は、真面目な性格から、精一杯、勉強した。
由美子は、記憶力が、並外れた、超秀才、というわけではなかったが、性格が真面目だったので、親に言われずとも、勉強し、成績は、クラスの中でも、上位だった。
しかし。
由美子は、ガリ便なだけではなく、明るく、友達も多く、友達とも、よく遊んだ。
こうして、由美子は、すくすくと、健全に育っていった。
由美子には、反抗期というものが、起こらなかった。
父親が、趣味で、テニスをしていたので、由美子も、幼い時から、父親と同じ、テニススクールに入って、テニスを、やった。
休日には、テニススクールの、コートを借りて、父親と、テニスをした。
学校でも、部活では、テニス部に入った。
県の大会でも、シングルスで、上位に入った。
母親と、ヨーロッパに海外旅行にも行った。
由美子は、ドイツの伝統的な家並みの美しさ、や、地中海の、美しさが、一目で、好きになった。
そうして、由美子は、小学校、中学校、と、上位の成績で、過ごした。
高校は、北野高校に入った。
北野高校は、関西では、進学校で、偏差値が高い。
由美子は、そこでも、成績優秀だった。
高校も、三年になると、由美子も、大学受験を意識して、本格的に、受験勉強に打ち込んだ。
駿台予備校の模擬試験の成績から、由美子は、十分、国立の医学部に、入れる偏差値に入っていた。
由美子は、大阪大学医学部を、第一志望として、頑張って勉強した。
由美子の父親が大阪大学医学部出だったからである。
由美子の父親も、由美子が、阪大医学部に入ってくれることを、希望していた。
父親は娘に、それを直接に言ったわけではないが、由美子は、父の希望を、感じとっていた。
大阪大学の医学部なら、家から、通うことも出来る。
それで、夜遅くまで、一生懸命に勉強した。
一日、13時間、は勉強した。
そして、由美子は、大学受験で、大阪大学医学部を受験した。
由美子は、両親が、好きだったので、自分のプライドの、ため、というより、父親の喜ぶ顔を見たいため、大阪大学の医学部、を受験したのである。
手ごたえはあった。
しかし、残念なことに、合格者の掲示板に、由美子の受験番号は、なかった。
駿台予備校の模擬試験での成績も、大阪大学医学部は、ギリギリ、合格の可能性アリ、の判定だった。
賭けだった。
それで、仕方なく、第二志望で、合格した、奈良県立医科大学に入学した。
そもそも、受験生は、浪人して、もう一度、第一志望の大学を受験したからといって、入学できる保証は、ないのである。
大体、受験勉強というものは、現役の時に、学力が、ピークに達して、もう一年間、浪人して、勉強したからといって、学力は、ほとんど、上がらないのである。
ましてや、由美子は、真面目なので、阪大医学部に入るため、毎日、夜遅くまで、精一杯、頑張って、勉強した、ので、自分の、学力の限界を感じていた。
奈良県立医科大学は、阪大医学部に比べると、偏差値的に、楽勝だった。
そもそも、日本の国立医学部では、東大医学部、京大医学部、阪大医学部、の順で、日本で、三番目の難関校である。
奈良県立医科大学は、公立大学である。
公立の医学部というのは、県の税金で、運営されているので、国立とは、ちょっと違う所がある。
大学としては、卒業したら、当然、奈良県内にある、大学の関連病院で、働いて欲しいと思っている。
大学の関連病院は、何も、奈良県の中だけに、あるのではなく、近畿地方、や、中国地方にもある。
これは、公立医学部に限らず、どこの大学医学部でも、そうであり、自分の大学医学部の、縄張り、というか、テリトリー、というか、勢力を広げたい、と思っているのである。
なので、公立医学部は、入試においても、住所が奈良県だと、住所が別の県の受験生より、有利であると、本にも、書かれてあり、医者同士の会話でも、そういう会話がなされていて、これは、半ば常識のように、思われている。
大学としては、そういう差は、決して、つけてはいない、とは、言っているものの、はたして、実際のところは、どうなのかは、わからない。
奈良県立医科大学の入試は、センター試験と、二次試験の、二つの、合計点で、決める。
面接や小論文は無い。
なので、得点が、ほとんど、同じ受験生なら、やはり、大学としては、住所が奈良県の受験生の方を、合格させたい、という感情が、働きかねないだろう。
誰しも、地元、故郷愛というものは、あるものであり、卒業したら、地元で、働きたい、という思いはあるものである。
公立大学医学部は、県の税金で成り立っているので、大学としては、その県に住所のある受験生が、有利と言われている。
そのため、どうしても、ある公立大学医学部に入りたい、と思っている受験生は、受験前に、住所をその県に移して、受験する人も、いるのである。
そして、その県に住所を移して、受験したら、合格した、という、ケースもあるのである。
しかし、由美子は、大阪大学医学部に、入れるほどの、学力があったので、奈良県立医科大学は、余裕で合格できた。
大学としては、優秀な人材が欲しいから、圧倒的に、学力の差が上であれば、住所が何処、などということは、意味がないのである。
ともかく、奈良県立医科大学に合格できたので、お祝い、というか、残念会、というかで、親子三人で、高級フランス・レストランに行った。
「由美子。阪大医学部に入れなくて残念だったな」
と、父親が言った。
「お父さん。ごめんなさい。阪大医学部に入れなくて」
と、由美子が言った。
「いや。試験は、水物だからな。オレだって、余裕で、阪大医学部に入れたわけじゃないんだ」
と、父親が言った。
「奈良県立医科大学を卒業したら、阪大医学部の医局に、入れば、いいじゃないの」
と、母親が言った。
「はい。そうしようと思います」
と、由美子は、小さく言った。
大学を卒業したら、その大学医学部の、医局に入らなくてはならない、という義務はないのである。
別の大学医学部の医局に入局することは、本人の自由なのである。
出身校と、医局が違う医者は、結構、いるものなのである。
出身校が、ダメと、引きとどめる権限はないし、入局を希望している、大学の医局、や教授が、認めれば、医局は、別の大学医学部に入っても構わないのである。
母校でない、別の大学医学部の医局に、入局を申し込んでも、まず、入れる。
断る理由がない。
どの科でも、入局者が、少なかったら、医局としても、困るので、他の大学からの、入局希望者は、大歓迎なのである。
「ともかく、阪大医学部に入れなかったから、といって、くさっちゃ駄目だぞ」
と、父親が言った。
「はい」
と、由美子は、返事したが、これは、不要な忠告だった。
由美子は、真面目で、どんな集団に入っても、一生懸命、精一杯、努力する性格だったからである。
こうして、由美子は、奈良県立医科大学のある近くにある、橿原市内の、マンションに引っ越すことになった。
家賃5万の、わりと広いマンションだった。
親と離れて、一人暮らし出来る、という点は、さびしくもあったが、初めて経験する一人暮らしの喜びもあった。
由美子は、今まで、一度も、一人暮らし、を、したことがなかった。
しかし、アパートの窓から、外を見ても、田んぼ、ばかりで、大阪のような、賑やかさはなく、少しさびしかった。
奈良県立医科大学は、終戦の昭和20年の4月に、軍医速成のために、奈良医専として設立された。
大学は、略して、奈良医大と呼ばれる。
近鉄八木駅を最寄駅とし、奈良盆地の南東部に位置し、畝傍山・天香具山・耳成山の大和三山に囲まれていて、藤原氏、蘇我氏、聖徳太子、などの活躍した、古の飛鳥時代の歴史の町である。
しかし、歴史の散策のため、観光として行くのなら、いいが、盆地特有の内陸性の気候であり、夏は暑く、冬は寒い。
ともかく、さびしい所である。
由美子は、入学式の前に、大学に行ってみた。
単科大学であるために、キャンパスもなく、大学の建物も、隣接する、附属病院も、大阪大学に比べると、規模が小さく、旧くて、さびしそうだった。
入学式の日になった。
父親も母親も、仕事が忙しく、入学式には、来なかった。
由美子は、初めて、グレーのスーツを着て、出席した。
今まで、学校の制服で、スーツなんて、着たことがなかったので、何だか、急に、大人になった、ような気がした。
講堂で、国歌を斉唱し、新入生の名前が、一人ずつ、読み上げられ、学長による式辞が行われ、あらかじめ配られたパンフレットを見ながら、校歌を斉唱した。
新入生は、100人で、女子は、30人だった。
その後、新入生は、二台のバスに乗って、石舞台古墳と、飛鳥寺を見てから、大きな広間で、昼食となった。
昼食の時、一人ずつ、名前が呼ばれて、簡単な自己紹介をした。
由美子は、
「岡田由美子と言います。北野高校から来ました」
とだけ、挨拶した。
大体、みんな、名前と、出身校を言うくらいだった。
奈良県の進学校である、東大寺学園とか、畝傍高校出身の生徒が多かった。
あとは、大阪の、進学校出身者が多かった。
北野高校出身は、由美子一人だけだった。
昼食と、自己紹介が終わると、また、バスに乗って、大学にもどった。
そして、学生・職員食堂に、一列に並んで、座らされた。
食堂には、100人くらい、上級生たちが、ズラリと並んでいた。
目の前には、食べ放題の、御馳走が並んでいた。
現役は、18歳だから、まだ、酒は、法的に、飲めないはずなのに、酒も用意されていた。
ここでも、また、一人一人、皆の前で、自己紹介をさせられた。
ただ、司会の上級生の、「入りたい部活を言って下さい」、というのが、つけ加わった。
昼間の時の、自己紹介と、同じように、みな、名前と、出身高校と、そして、入りたい部活、を述べた。
「入りたい部活」を、述べると、先輩たちが、「おおー」と、大きな声を出した。
要するに、部活への、勧誘だった。
由美子は、
「部活は、何に入るかは、まだ決めていません」
と、穏当な発言をした。
由美子の前に、そういう発言をする生徒も、少なからず、いたからである。
「高校の時はテニス部でした」、などと、安易に、言ってしまうと、その後、テニス部の、先輩たちから、モルモン教への入信勧誘、以上の、しつこさで、勧誘される、というか、つきまとわれる、からである。
まあ、しかし、それも無理はない、といえば無理はない。
大学は、総合大学ではなく、単科大学で、医学部しかなく、一クラス、100人である。
その割には、クラブの数が多い。
体育会系では。
野球部。サッカー部。ラグビー部。硬式テニス部。軟式テニス部。スキー部。水泳部。相撲部。バスケットボール部。バレーボール部。卓球部。柔道部。剣道部。弓道部。空手部。合気道部。自動車部。バトミントン部。ヨット部。陸上部。ゴルフ部。二輪部。ハンドボール部。
文科系のクラブでは。
軽音楽部。アンサンブル部。ギター部。写真部。社会医学研究部。茶道部。聖書研究会。文学部。
である。
大学の部活の予算は限られている。
部員が少ないと、人数の少ない部活の、予算配分も、少なくなる。
たとえば、野球部で、部員が、一人になってしまったら、たった、一人の部員のために、ユニフォーム、から、グローブ、ボール、バット、まで、用意するわけには、いかない。
そもそも、一人では、野球の練習も試合も、出来ない。
部内で、試合をするためには、最低18人は、いてくれなくてはならない。
剣道部だったら、剣道の、面から、防具、袴、竹刀、を、用意しなければならない。
しかし、剣道は、部員が、二人いれば、二人で、練習も、試合も、出来る。
そこが、野球部と、違う所である。
ともかく、部活の入部者が、一人もいなくなったら、当然のこちながら、廃部となってしまう。
なので、部活の勧誘は、部活の死活問題なのである。
そういうことを、総合的に判断して、限られた予算が配分されるのである。
なので、ともかく、どの、クラブも、部員の獲得に必死なのである。
新入生は、受験勉強で、頭を酷使しつづけてきているので、そうなると、体を動かしたくなるのである。
また、医学部の勉強は、膨大な医学の知識の、詰め込み勉強なので、上級生も、やはり、体を動かしたくなり、体育会系の、クラブの方が、人数的に、圧倒的に多いのである。
部員が一人もいなくなってしまったら、廃部となってしまう運命となる。
そんなことで、上級生の、部活の勧誘は、すさまじいのである。
由美子は、いささか、騒々しさに、ついていけず、途中で、退席して、アパートに帰った。
そんなことで、入学式の一日は、終わった。
由美子は、いささか、疲れて、ベッドに、ゴロンと横になった。
教養課程の、授業が始まった。
大きな教室の中で、当然のごとく、男は、男で、まとまり、女は、女で、まとまって座った。
教養課程の、1年の授業は。
哲学。統計学。物理学。化学。生物学。数学。英語。ドイツ語。体育。人類学。美学。法学。心理学。歴史学。
だった。
大学の授業は、高校の授業と違って、アカデミッシェ・フィアテル、と言って、教授、や、講師、は、時間通りには、来なくても、よく、始業時間より、15分、遅れて来てもいいのらしい。
このことの、何が、アカデミック、なのか、由美子は、さっぱり、わからなかったが、日本は、明治維新で、ドイツから、文化、を、そっくり、そのまま、輸入して、真似したので、単に、ドイツの大学が、そうしていた、というだけのことである。
医学部の、一学年は、大体、100人で、教室は、100人、入れる、大きな教室だった。
日本人は、シャイなので、ほっておくと、男子は、男子同士、女子は、女子同士、と、まとまった。
大学は、高校と違って、自分の席というのが無い。
どこへ、座っても、いいのである。
しかし、教授から、質問されるのを、おそれてか、あるいは、内職をするためにか、あるいは、友達とお喋りするためか、で、生徒は、あまり、前には、座りたがらない。
しかし、英語、の授業、では、あいうえお順に、教室の、左前から、指定の席に、座らされた。
なぜか、大学は、英語に力を入れていて、あいうえお順に、4人が、1グループとなって、英語の、リーダーを、翻訳してきて、発表する、という、授業形態をとっていた。
しかし、大学生は、中学校3年間、と、高校3年間、合計、6年間、英語を勉強してきているので、英語の授業は、新鮮なものでは、なかった。
それに、大学の、英語の、リーダー、は、大学受験の、英文解釈の英文と、くらべて、より難解な文、というわけでは、全くなかった。
なので、退屈な授業だった。
どこの医学部でも、最初の、2年間の教養課程は、医学と関係の無い、学問である。
医師として、医学知識だけではなく、幅広い教養を身につけて、人間性を涵養する、という建て前、では、あるが、そもそも、多くの、科目の授業は、教授、や、講師、が、早口で、まくしたてるだけで、つまらないもの、が多かった。
4人の、英語の授業の、グループ、で、岡田由美子は、岡本恵子、という、女生徒と一緒になった。
彼女は、由美子に、聞いてきた。
「ねえ。岡田由美子さん。あなたは、どのクラブに入るの?」
「まだ、決まっていません」
「ふーん。そうなの。でも、どこかの部活には、入っておいた方が、絶対、いいわよ」
「それは、どうしてですか?」
「大学の試験なんて、教授は、毎年、同じ問題しか、出さないからよ。過去問題と、その答え、が、ないと、どんなに、勉強しても、授業にちゃんと出ても、単位は、取れないわよ。クラブに入っておけば、先輩から、過去問題を、もらえるし、進級に関する、色々な情報が、聞けるから、すごく、有利なのよ」
「そうなんですか」
「ええ。そうよ。私。テニス部に入ったの。あなたも、よかったら、入らない?」
由美子は、瞬時に、この人は、上級生から、頼まれて、部活の勧誘をしているのだと、思った。
その日の、放課後、由美子は、岡本恵子に誘われて、テニス部の部室に行った。
テニス部員は、男10人、女10人、くらいだった。
「こんにちはー」
由美子が、挨拶した。
「君。テニス部に入ってくれるの?」
上級生の部員が聞いた。
「い、いえ。まだ、決めていなくて」
由美子は、言葉を濁した。
「なんだ。岡田由美子じゃないか。何を迷う必要がある?」
一人が、言った。
彼は、二年生で、今宮高校卒で、五十嵐健二、といい、高校時代、県の高校のテニス対抗試合で、北野高校のテニス部で活躍していた、岡田由美子の試合を、何回か、見て、知っていた。
彼は、二年生だが、テニス部の主将だった。
もちろん、五十嵐健二、も、今宮高校の、テニス部員で、相当な腕前だった。
「由美子は、県の、高校テニス大会で、優勝したこともあるよ」
と、五十嵐健二、が言った。
「ええー。そうなの?」
みなが、驚いた。
「じゃあ、ちょっと、打ち合い、してみない?一度、君とテニスをしてみたかったんだ」
と、五十嵐健二、が誘った。
由美子は、「嫌です」、とは、言えず、仕方なく、コートに行った。
「じゃあ、いくよー」
と、言って、五十嵐健二、は、由美子と、ラリーを始めた。
初めは、ゆっくり、遊びの感覚だったが、由美子は、フォームが、きれいで、基本が、しっかり出来ているので、五十嵐健二の打つボールは、すべて、返した。
五十嵐健二は、だんだん、本気になっていって、全力で、速い、ショットを打つように、なっていった。
しかし、由美子は、それを、全て、返した。
由美子も、だんだん、本気になっていって、全力で、速い、ショットを打つように、なっていった。
五十嵐健二も、由美子も、強いドライブ回転が、かかっているので、ボールが、ワンバウンドした後、グーン、と、伸びるのである。
由美子は、両手打ち、の、バックハンド、だったが、五十嵐健二は、片手打ちの、バックハンドだった。
五十嵐健二と、由美子の、テニスの実力は、ほとんど、同じくらいだった。
ともに、上級者のレベルだった。
「由美子さん。すごーい。上手いね」
と、みなが、驚いた。
「い、いえ・・・」
とは、言いつつも、由美子は、褒められて、恥ずかしがっていた。
「西医体の時は、由美子に出てもらおう。今年は、結構、優勝できるかもしれない」
と、テニス部主将の五十嵐健二、が言った。
西医体、とは、医学部だけの、リーグ戦で、西日本の、医学部の運動部の部活、が、リーグ戦で、戦う、試合である。
関東では、東医体、と言って、東日本の、医学部の、部活、が、リーグ戦で、戦う、試合である。
由美子としては、テニスが、好きだったので、大学に入っても、テニスをしようとは、思っていた。
しかし、由美子は、色々と、拘束のある、大学のテニス部、ではなく、テニススクールに入って、やりたい、と、思っていたのである。
しかし、ともかく、こうなってしまった以上、由美子は、テニス部に、入らざるを得なくなってしまった。
その日、テニス部員、が、ファミリーレストラン、で、由美子の、入部歓迎会を行った。
歓迎会が終わって、帰りは、五十嵐健二が、車で、由美子を、家まで、送った。
「テニス部、に、強引に誘ってしまって、ゴメンね」
と、五十嵐健二が謝った。
「い、いえ」
と、由美子は、手を振った。
五十嵐健二は、ちゃんと、由美子の気持ち、を、わかっている、思いやりのある人だと、思った。
そんな、五十嵐健二に、由美子は、好感を持った。
「由美子さん。よろしかったら、つきあって頂けないでしょうか?」
五十嵐健二、は、真剣な口調で言った。
「ええ」
由美子は、頬を赤くして、答えた。
そういうわけで、五十嵐健二、と、由美子は、単に、同じ、テニス部の、部員、というだけでなく、時々、一緒に、喫茶店で、話したり、食事を一緒にするように、なった。
3回目の、デートの時。
「由美子さん。もしも、よろしかったら、将来、僕と結婚していただけないでしょうか?」
と、五十嵐健二、は、由美子に、告白した。
「え、ええ。でも、私たち、まだ、学生ですし、卒業して、医者になってから、にしませんか?」
と、由美子は、言った。
実を言うと、由美子も、将来は、五十嵐健二、との、結婚を考えていたのである。
「ええ。構いませんよ」
と、五十嵐健二、は、言った。
「では、それまでは、恋人、ということで、時たま、会ってくれませんか?」
と、五十嵐健二、は、言った。
「ええ」
それ依頼、二人は、セックスレスの、清潔な、付き合い、を、学業に、差し障り、が、ない程度に、ほどほどに、した。
教養課程の授業は、概して、つまらなかった。
英語なんて、大学受験のために、勉強した、原仙作の、「英標」より、レベルが低かった。
1年で学ぶ科目は。
哲学。統計学。物理学。化学。生物学。数学。英語。ドイツ語。体育。人類学。美学。法学。心理学。歴史学。
である。
物理学。化学。数学。人類学。法学。統計学、などは、短い二年間で、大学というアカデミズムの権威の、もったいづけ、のために、レベルが高く、難解で、しかも、講師が、学生の理解など、どこ吹く風と、早口でまくしたてるだけで、さっぱり、わからなかった。
しかし、部活の友達から聞いた、過去問題の解答を、わからないまま、そのまま、書けばいいとのことなので、そうすることにした。
物理学。化学。数学、は、高校の、それの延長ではなかった。
高校の勉強は、中学の勉強の延長であり、中学の勉強は、小学校の勉強の延長である。
しかし、大学は、いやしくも、「学問」、なので、高校の勉強の延長ではなく、レベルが高かった。
わかって、面白いものといえば、ドイツ語、と、哲学、くらいだった。
中学生から、英語しか外国語を学んでいないので、新しく学ぶ、第二外国語は面白かった。
哲学は、カントとか、ヘーゲルとかの、いわゆる、西洋の、難解な、体系的哲学ではなく、奈良医大の哲学教授の書いた、「医の哲学」、という、本が教科書で、医学、医療に関する、様々な、考察であって、読んで、かなり、わかるもので、面白かった。
医学に対して真面目な、由美子にとっては、とても勉強になった。
初めの頃は、授業に出ていた、学生たちも、過去問題を丸暗記すれば、通って、単位が取れる、と、わかると、どんどん、授業に出なくなっていった。
授業に出席する人数は、最初は、100人だったのが、50人、から、20人、そして、ついに10人へと、どんどん、減っていった。
そこは、一般の大学と同じで、大学生は、授業に出ないで、アルバイトや部活の友達とのお喋りに励み、単位は、友達から借りたノートと、過去問題の、一夜漬けの勉強で、通る、という構造が、医学部でも、教養課程では、同じだった。
そして、みんな、自動車教習所に通って、運転免許を取得していった。
由美子は、本当に授業に出なくても、大丈夫なのだろうかと、思って、五十嵐健二、に聞いてみたが、五十嵐健二、は、「ははは」、と笑って、
「教授の心理を考えてみなよ。教授としては、生徒に、絶対に、理解しておいて欲しい、要点というものが、あるから、結局、それしか、出さないのさ。重要でない、枝葉末節な、ことを、試験問題として、出題する気にはなれないものさ」
と、軽くいなされた。
由美子は、そんなものか、と、思うと同時に、「なるほど」、とも、思った。
しかし、由美子は、真面目だったので、全ての授業に出た。
そして、由美子は、優しかったので、出席する生徒が、数人しかいなくて、教室が、ガランとしていると、講義している講師が、可哀想に思えて、そういう理由でも、出席した。
教養課程で一番、重要な科目は、生物学で、これを落としたら、基礎医学の三年に進級できない、らしかった。
医学部で、生物学が重要なのは、言われずとも、わかる。
あと、レベルは、低くて、つまらなかったが、英語も、学校側では、重要と考えているらしかった。
そういう、重要な科目や、出席を厳しくとる科目では、全員が出席した。
一年生から二年生へは、どんなに成績が悪くても、全員、進級できる。
一年の夏休みが、終わった後の、中間試験と、冬の期末試験は、あるが、一年の時、単位を落としても、二年の、中間試験と、冬の期末試験で、追試験をやるので、その時、単位を取れれば、三年には進級できるのである。
一年の時の、生物学の、中間試験は、TCA回路を、完璧に書いて説明する、というのが、教授が毎年、出している、問題で、今年もやはり、その通りの問題が出た。
「TCA回路について説明せよ」
という、問題だった。
なので、由美子は、過去問題の解答をそのまま、書いた。
数日後に、生物学の、成績が教室に貼り出された。
由美子は、100点だった。
なので、由美子は、テストは、過去問題と、その解答を、覚えれば、単位は取れる、ということを確信した。
教授が、定年退官して、別の教授に変われば、新しい教授は、自分の問題を作るから、過去問題では、通用しなくなる。
しかし、過去問題は、その科目の、重要な要点、の問題であることには、変わりはないので、過去問題を持っていると、何かと有利なのである。
いきなり、分厚い、医学書を、最初のページから、読んで、全部、覚えようとすると、大変な労力がかかってしまう。
そういう点、過去問題は、重要な要点なので、過去問題は、教授が、代わっても、持っていた方がいいのである。
由美子は、入学した時から、女子の中で、友達が出来ず、一人ぼっちでいる生徒を、前から気にかけていた。
彼女は、授業には、出ているけれど、クラブには、入っていない生徒だった。
いつも、教室で、ポツンと、人と離れて座っている、おとなしい生徒だった。
彼女は、生物学、や、その他の科目の単位を落としていた。
「こんにちは。私。岡田由美子っていうの。よろしくね」
「あっ。よろしく。私は、黒田輝子っていいます」
「地元は、どこですか?」
「和歌山県です」
「兄弟はいますか?」
「いえ。一人っ子です」
「お父さんは、お医者さんですか?」
「いえ。サラリーマンです」
「サラリーマンですか。どうして、医学部に入ろうと思ったのですか。よろしかったら、その理由を、教えて貰えないでしょうか?」
「はい。私は、本当は、医学部は、気乗りしなかったんです。私。性格が、おとなし過ぎて。医者って、精神的にも、肉体的にも、元気満々の人でないと、勤まらないと思うんです。でも、奈良医大に、入る学力があったもので、高校の進路指導の先生にも、また、両親にも強く勧められて、受験したんです」
「人の勧めを、断れないというのも、おとなしそうな性格の、あなたらしいですね」
「え、ええ」
「では、あなたは、本当は、どんな、学部に入りたかったんですか?」
「文学部です」
「そうですか。何となく、あなたらしいですね」
「文学部志望というと、文学書を読むのが好きなんですね?」
「ええ。クライですよね」
「そんなこと、ありませんわ。すごく、知的な人という感じがします」
「あのー。あんまり、立ち入ったことを聞くのは、失礼になるのじゃないかと、思うんですが、趣味は、どんなことでしょうか?」
「読書です。それと、少し、小説も書きます」
「小説を書くのですか。すごいですね。私にとっては、小説って、読む物であって、自分が、書こうなどと思ったことは、今までに、一度もありません」
「あっ。このことは、人には、言わないで下さいね。たいした小説じゃないので・・・」
「ええ。言いません。じゃあ、黒田輝子さんは、将来は、小説家志望なんですか?」
「小説家って、そんなに、簡単になれるものじゃないので。でも、出来たら、小説家になりたいと思っています。夢ですけれど・・・」
「では、どうして、文学部ではなく、医学部に入ったのですか?」
「それは。文学部を卒業したからって、小説家になれるわけではないし。その点、ともかく、医学部を卒業して、医師免許を取っておけば、収入には、困らないからって、言われたからなんです。私も、それには、同感しているんです。だから、医学部を受験しました」
「黒田輝子さん。よかったら、私と、お友達になってくれない?あなたとなら、相性が合いそうな気がするの」
「嬉しいわ。私も、岡田さんと、お友達になりたいわ」
「私なんか、親が医者だから、子供の頃から、自分が医者になって、父の後を継ぐ、ことが、私の人生だと、それ以外のことは、考えたことがないの。だから、あなたのように、夢を持って、自分で、考えて、生きている人って、すごく魅力的に見えるわ。自分にない、ものを持っている人だから、だと思うの。色々と、教えてね」
「ところで、あなた。クラブは?」
「入っていません」
「どうしてですか?」
「文芸部に入りたかったんですが、部員が一人もいなくなってしまって、廃部になってしまったので・・・・」
「クラブには、入っておいた方が、絶対、いいわよ。クラブに入っていないと、過去問題が手に入らないから、単位、取れないわよ」
「そうなんですか?」
「そうよ。あなた。よかったら、テニス部に入らない?」
「入れていただけるのですか?」
「もちろんよ」
「でも、私。運動、苦手だから・・・」
「部活なんて、全然、疲れないわよ。名目で、部活に入っているだけで、いいのよ。部活なんて、部活の活動なんて、しないで、お喋りしているだけの人も、いるわよ。よかったら、私が、テニスを教えてあげるわ」
「じゃあ、入れていただけますか?」
「ええ。大歓迎よ」
こうして、黒田輝子は、テニス部に入ることとなった。
由美子は、面倒見がいいのである。
二年になった。
二年の一学期は、生物学、化学、物理学、の実習、が、あった。
当然、実習には、全員が出席した。
化学や、物理学の実習は、はたして、これが、医学に、関係があるのか、と疑問を持つような、ものであったが、生物学の実習は、違った。
生物学の実習では、フナ(魚類)、カエル(両生類)、ネズミ(哺乳類)、の、解剖をした。
麻酔をかけて、それらを、解剖する。
そして、内臓を剖出する。
そして、それを、スケッチして提出する、というものだった。
医学生は、全員で、100人だったが、医学部の勉強というのは、実習が多く、すべて、名前の、あいうえお順に、並ばされ、4人、か、5人づつ、一つの班になって、勉強することになる。
なので、実習は、大学というより、ほとんど、小学校の、授業みたいなものである。
岡田さんの、前と、後ろ、は、男だった。
なので、これからの、実習は、すべて、彼らと、一緒にすることになる。
岡田さんの前後の男子生徒が、
「うわー。これから、卒業まで、クラス一の美女の、岡田由美子さんと、一緒に勉強、出来るなんて、最高に幸せだな」
と、言った。
後ろの、男も、
「オレもだよ」
と言った。
由美子は、照れて、顔を赤くした。
恥ずかしかったが、由美子は、そんなに、気にもしなかった。
しかし。
「由美子さん。ポーズをとってくれませんか?写真を撮りたいので」
と言われた時は、さすがに、恥ずかしかった。
「あんまり見ないでね」
と言って、由美子は、彼らの要求に応じて、ポーズをとって、被写体となった。
しかし、実習で、一緒の、机で、勉強するので、前後の生徒は、一生の友達になることもある。
こうして、由美子は、2年の単位を、追試を、一度も受けることなく、全部、取った。
由美子は、3年に進級した。
3年からは、教養課程の校舎から、少し離れた、基礎医学の校舎に移った。
3年は、解剖学と、生化学と、生理学、の、三つの授業だった。
生化学と、生理学は、講義だけだったが、解剖学は、講義と、実習があった。
いよいよ、本格的に、医学の勉強、となった。
生化学は、人間の体は、一時たりとも、休むことなく、化学反応を起こしていて、その学問だが、それ以外にも、遺伝子やら、何やらで、量が多かった。
生理学は、生理学Tと、生理学U、の二つがあって、生理学Tは、神経生理学で、生理学Uは、赤血球は、どうだの、呼吸の原理は、どうだの、と、いう学問だった。
生理学Uは、ともかく、やたら、覚える量が多かった。
解剖学は、系統解剖学と、部分解剖学と、に、別れていて、系統解剖学は、骨、血管、神経、などの、学問で、部分解剖学は、内臓の臓器、の学問だった。
それと、解剖学の中に、組織学、というのが、あって、これは、人体の各臓器を、1mm以下の薄さに、切り取って、染色して、プレパラートに固定されているものだった。
人体のほとんどの、臓器は、HE染色、といって、ピンク色に染められている。細胞の、核だけが、紫色に染まる。神経細胞は、鍍銀染色といって、特殊な染色液を使うのだが、ほとんどは、HE染色である。
実習は、まず、組織学と、骨学、から始まった。
組織学では、人体の、臓器のプレパラート、を顕微鏡で、見ながら、スケッチした。
骨学では、死んだ人の、骨を、見て、これを、全部、スケッチするものだった。
骨の、色々な名称は、ラテン語で、書いて覚えなくてはならなかった。
日本語の名称もあって、日本語の名称を書いても、いいのだが、ラテン語での、名称も書かなければ、ならない、ところが、アカデミックな感じだった。
骨学では、何と、人間の体が、無駄なく、合理的に、出来ているものだと、由美子は、感心させられた。
三年の二学期からは、解剖実習が始まった。
午前中は、基礎医学の講義だが、午後は、全て、解剖実習だった。
解剖実習の手引書、があって、それに従って、解剖していった。
人体の全ての、神経、血管、筋肉、内臓の臓器を、半年かけて、剖出していく。
由美子の班の、遺体は、おばあさんで、幸いなことに、痩せていて、神経や、血管が、出しやすかった。
太っている遺体だと、脂肪をとるのに、一苦労なのである。
ある班の遺体は、内臓逆転症の遺体だった。
「症」といっても、病気ではない。
内臓が、全て、正反対になっている人である。
1000人に一人もいない。
つまり、完全な、鏡面構造で、心臓が右にあり、肝臓が、左にあり、内臓が全て逆転しているのである。
教授は、
「極めて珍しい症例だ」
と言って、喜んでいたが、生徒にとっては、迷惑な話である。
通常の人体の構造と、逆なのだから。
解剖実習というと、死体を解剖するのだから、怖い、と、一般の人は、思っているのかも、しれないが、ホルマリン漬けにされて、カラカラに乾いていて、死んだ直後の人間とは、全く違う。
ミイラのような、感じなので、全然、怖さなどはない。
ただ、解剖実習は、結構、疲れた。
どこの班でも、頭のいい、ブレーンの生徒がいて、その生徒が、一人で、テキパキと、やってくれるので、残りの、生徒は、見学的な学習となる。
由美子の班の、ブレーンは、もちろん、由美子だった。
「いやー。岡田さんが、いるから助かるよ」
と、由美子の班の、男子生徒は言った。
由美子としては、解剖学は、しっかり、勉強しておけ、と、父親に言われていたので、また、由美子も、解剖学は、大切だと思っていたので、解剖実習の手引書を、前の日に、しっかり読んでいた。
腕、足、内臓、と、剖出していって、人体の、ほとんどの、主要な、血管、神経、筋肉、臓器、などを、剖出していった。
最期に、頭蓋骨を開けた。
脳は、硬い頭蓋骨に覆われているので、内臓と違って、非常に、きれいな、形をとどめていた。
その、脳の中も、詳しく、解剖していった。
こうして、半年の、解剖実習も、無事、終わった。
三年では、組織学、骨学、血管、生理学T、生理学U、生化学の、単位の試験があったが、岡田さんは、追試を受けることなく、最初の試験で、みな、通った。
「いいなあ。岡田さんは、頭よくて」
と、何度も追試を受けても、通らない、生徒たちから、うらやましがられた。
4年になった。
3年も、忙しかったが、4年は、もっと、忙しくなった。
4年では、基礎医学、で、さらに、病理学、細菌学、薬理学、免疫学、寄生虫学、公衆衛生学、などの講義が加わり、それらの実習も、加わった。
3年では、人体の構造を学ぶ、といっても、人体の正常な構造を学んだが、4年では、異常、つまり、病気の原理を学ぶこととなった。
また、生化学や、生理学の、実習も、やらなくては、ならなかった。
病理学では、講義と並行して、病理組織を顕微鏡で見て、それをスケッチした。
薬理学では、実験用の犬を仰向けに固定して、頸静脈から、色々な薬物を入れて、血圧の変動を観察したりした。
実験に使われた犬は、実験が終わった後は、殺されて、心優しい岡田さんは、犬を可哀想に思った。
細菌学では、アイスクリームや、市販の生の肉、などの、大腸菌を調べたりした。
生理学の実習も、忙しく、脳波を調べたり、神経の伝導速度を調べたり、人間の感覚、触覚、や、嗅覚、などの、実習をした。
実習は、しっぱなしで、いいものではなく、当然、実習のレポートを書かされた。
4年では、講義を聞いて、理解して、覚える勉強と、実習での、レポートの提出とで、ものすごく忙しかった。
しかし、岡田さんは、四年の、期末試験でも、単位を全部、無事にとった。
こうして、岡田さんは、5年に進級した。
5年からは、臨床医学である。
教室も、臨床の教室に変わった。
臨床医学とは、まさに、病気の患者の診断、や、治療を学ぶ学問だった。
由美子は、やっと、病人を診る医学を勉強できるようになった、ことを実感した。
医学部に入ってから、教養課程、基礎医学、と、長い四年間だったと、感じた。
臨床医学は、医学の、全科目を学ぶ。
内科学第一(心臓・腎臓)。内科学第二(呼吸器)。内科学第三(内分泌疾患・代謝性疾患)。神経内科学。外科学第一(消化器)。外科学第二(脳外科)。外科学第三(心臓)、整形外科学。産婦人科学。眼科学。小児科学。精神医学。皮膚科学。泌尿器科学。耳鼻咽頭科学。放射線医学。麻酔科学。病態検査学。口腔外科学。腫瘍放射線学。救急医学。
である。
それと、法医学、である。
科目は、多いが、臨床医学は、勉強しやすかった。
それは、基礎医学では、分厚い医学書を、買って、それを教科書として、勉強しなければならなかったが、臨床医学では、卒業前に、医師国家試験があり、医師国家試験のための、教科書や、問題集で、勉強できたからだ。
医師国家試験は、大きく、内科、外科、産婦人科、小児科、公衆衛生、が、主要科目と呼ばれていて、あとの、整形外科学。眼科学。精神科学。皮膚科学。泌尿器科学。耳鼻咽頭科学。口腔外科学、などは、マイナー科目、と、呼ばれていた。
内科と、外科は、イヤーノート、という、一冊の、分厚いが、小さく、持ち運びできる、コンパクトな、教科書で、勉強する、ということを、由美子は、先輩から聞いていた。
別に、イヤーノート、以外の教科書で、勉強してもよく、イヤーノート、で、勉強しなければならない義務は、ないのだが、イヤーノート、が、一番、よく、まとまっており、医学生は、全員、イヤーノート、で、臨床医学を勉強した。
ただ、イヤーノートだけ、読んでいても、理解できるものではなく、医師国家試験の、過去問題集を、解きながら、白血病なら、イヤーノートの、白血病、の項目を見て、イヤーノートに、印をつけていく、というのが、医師国家試験の勉強方法だった。
イヤーノートは、いわば、内科、外科、の、要点を、まとめた、ものだった。
由美子は、5年になるなり、すぐに、イヤーノートを教科書にして、医師国家試験の過去問題をやり、医師国家試験対策の勉強を始めた。
5年の1学期は、臨床医学の講義を聞くだけの授業で、割と楽だった。
5年からは、臨床医学の勉強だが、医学部の教授が、教える臨床医学は、医師国家試験の勉強とは、違うのである。
医学部の教授は、たとえば、眼科学なら、眼科学の、最先端の事を教える。
そして、教授の、教えたい事を教える。
しかし、医師国家試験の勉強は、イヤーノート、という教科書を使って、過去問題を解く、というものであり、医学の基本、を理解する、という勉強なのである。
なので、大学で、臨床医学の講義を聞いて、勉強していても、医師国家試験には、通らない。
医師国家試験に通るには、医師国家試験対策の勉強をしなくては、ならない。
なので、大学の、臨床医学の講義を、サボって、医師国家試験の勉強をする生徒も出てくる。
それは、ちょうど、法学部に入れば、法学というものを、学んで、法学を理解していくが、それだけでは、決して、司法試験には、通れない、のと同じである。
司法試験に、通るには、司法試験対策の勉強をしなくては、通れない。
それと、同じようなものである。
5年の1学期が、終わって、2学期になった。
2学期から、大学病院での、臨床実習が始まった。
臨床実習は、ポリクリ、とも、言われている。
あいうえお順、に、5人ずつ、1グループとなって、内科、外科、産婦人科、など、全ての、診療科を、大学病院で勉強するのである。
一つの科を、二週間やる。
二週間、つづけて、やる科もあるが、一週間やって、のちに、もう、一度、一週間、やって、合計で、2週間やる、という科もある。
これを、6年の、2学期まで、1年間、やるのである。
臨床実習で、やる勉強は。
入院患者、と、外来患者の、教授回診の見学。
手術見学。
ミニレクチャー。
そして、大体、どの科も、入院患者の一人、を、あてがわれて、その患者の、レポートを書いて、提出するのである。
これを、朝9時から、午後5時までやる。
その後は、皆、医師国家試験の勉強、である。
5人1グループなので、グループの中に、女生徒がいると、男子生徒は、喜んだ。
しかも、その女生徒が、可愛ければ、なおさら、である。
女生徒がいなくて、男だけの、グループは、さびしいものである。
しかし、グループの中に、女生徒が、2人、いると、少し、困るのである。
なぜかと言うと、1つのグループに、女生徒が、2人、いると、2人は、女同士で、くっついてしまうからである。
1つのグループに、女生徒が、一人の、紅一点、だと、女生徒は、嫌でも、グループの、の男子生徒と、話さなくてはならない、からである。
臨床実習では、大学病院は、個人クリニックでは、対応できない、難治性疾患を、クリニックの院長が、大学病院に紹介するため、個人医院では、医者が一生、お目にかかれないような、1万人の一人、の、難治性疾患が、多く入院していた。
大体、みな、臨床実習を半年くらい、やった頃に、自分が、何科の医者になるか、を、決めるようになる。
岡田さんは、小児科医に、なろうと思った。
彼女は、一人っ子で、弟が欲しい、と、子供の頃から、思っていたからである。
なので、小児科を回った時、可愛い子供たちの、患者を、見て、即、小児科医になろうと、決めたのである。
子供が可愛い、という、単純な理由で、小児科を選ぶ、女子医学生は、結構、多いのである。
だが、内科系の科は、診断が、難しく、勉強が好きで、なければ、ならない。
それに対して、外科系の科は、内科系の科と、比べて、診断は、そう難しくない。
頭を使うより、手術を、たくさん、こなして、手術の腕を上げることの方が、重要なのである。
しかし、岡田さんは、勉強が好きだったので、小児科を選ぶ、ことに、何の抵抗も感じなかった。
しかし、男の医者よりも、女医の方が、メリットもあるのである。
というのは、小児科、特に、幼い、まだ、言葉を話せない幼児は、大人の患者のように、患者から、症状を聞くことが出来ない。
なので、言葉が話せない、幼児の場合、母親から、子供の症状を聞くことになる。
小児科では、子供の体を診察し、母親から病状を聞いて、診断しなければ、ならない。
幼児は、痛い注射は、もちろん、体を、色々、調べられる、病院という所や、大人の医者の診察を、こわがって、泣く子供も多い。
この時。
男は、武骨なので、子供を、あやすことが、苦手だが、女は、子供と一体になって、子供と遊ぶことが出来るので、子供に、優しい言葉をかけて、子供をあやしながら、診察することが出来るのである。
子供にしても、不愛想な男の医者より、女の医者の方が、良いだろう。
やがて、6年も、秋になって、1年間の、臨床実習も、終わった。
あとは、医師国家試験の勉強だけである。
岡田さんは、医師国家試験の模擬試験の結果から、十分、ゆとりで、合格の判定が、出ていた。
なので、医師国家試験に、おびえることは、なかった。
それでも、一日、13時間は、医師国家試験の勉強をした。
やがて、冬になり、期末試験が、行われた。
岡田さんは、全科目で、上位の成績で、最初のテストで、全科目、通った。
追試を、受けることは、なかった。
やがて、年が明けた。
皆、医師国家試験の勉強の、ラストスパートをかけていた。
やがて、2月となり、医師国家試験が、行われた。
医師国家試験は、二日がかりで、試験会場は、近畿大学だった。
岡田さんは、近畿大学に、近いホテルに、泊まった。
医師国家試験は、A問題(100問)、B問題(100問)、C問題(25問)、D問題(50問)、E問題(50問)、の五つである。
一日目、が、A問題、B問題、C問題、で、A問題、と、B問題、は、一般問題で、C問題は、臨床問題、である。
二日目は、D問題、E問題、で、ともに、臨床問題である。
岡田さんは、二日の試験が終わった時、十分、手ごたえを、感じた。
ので、試験が終わったら、もう、合格した感覚だった。
試験が、終わった帰り道で、国家試験予備校の人が、試験の解答を配っていた。
岡田さんも、それを、受け取り、自己採点してみた。
岡田さんは、8割、以上、正解で、もう、合格は、間違いなかった。
やがて、3月になり、卒業式が行われた。
女子医学生の皆が、そうであるように、岡田さんも、振袖を着て、卒業式に出た。
そして、学長から、卒業証書を受け取った。
そして、卒業式の後、クラス全員、と教授たちが、大阪の、ミナミに、繰り出して、大きなホテル、で、食べ放題の、立食パーティーの謝恩会が行われた。
その数日後、医師国家試験の合否判定が発表された。
もちろん、岡田さんは、合格だった。
試験は、十分、合格できる、自信はあったが、やはり、はっきりと、「合格」、の、事実を知ると、肩の荷が降りて、ほっとした。
もちろん、医者は、一生、勉強の人生だが、それは、自発的な努力の勉強であって、国家試験のように、振るい落とされる、ということは、もう、無いのである。
医師国家試験、と、卒業式、が、終わって、4月からの、研修開始までの、一カ月が、医者にとって、唯一、休める時だった。
岡田さんは、黒田輝子と一緒に、ヨーロッパ旅行に行った。
黒田輝子は、眼科に入局が決まっていた。
岡田さんは、奈良県立医科大学を卒業したら、大阪大学医学部の医局に、入学当初は、入ろうと思っていたが、奈良県立医科大学で、6年間、勉強しているうちに、奈良県立医科大学の、小児科の医局に入ることにした。
6年間の医学部生活で、親しい友達も、たくさん、出来たし、居心地もいい。
小児科の教授も、やさしい。
医学生は、卒業すると、8割、は、母校の、どこかの科の医局に入る。
2割くらい、の生徒は、特別な理由があって、他の大学医学部の医局に行く。
理由は、人によるが、どうしても、他大学の、ある科で、学びたい、という理由、たとえば、九州大学医学部は、心療内科が、日本一で、どうしても、心療内科を専攻したい、と思っている生徒は、九州大学医学部の心療内科に、入局する。
あるいは、地元の医学部に入りたかったのだが、入れず、第二志望で、地方の医学部に、入った人は、やはり、地元に戻りたい、という、願望が強い人が、非常に多いから、大学卒業と、同時に、Uターンして、第一志望で、入りたかった、医学部の医局に、入る、ということも、よくあることである。
しかし、岡田さんの、地元は、大阪で、奈良は、隣の県で近いので、Uターンという思いもない。
ともかく、こうして、岡田さんは、奈良県立医科大学の小児科に、入局した。
朝、の、カンファレンス、午前中の、外来診療、午後の入院患者の診療、受け持ち患者の疾患の、論文検索、など、それなりに、忙しい、研修生活が、始まった。
しかし、研修医は、まだ、診断、も、治療、も、出来ない。
医師国家試験は、やはり、ペーパーテスト、であり、医師国家試験に通ったからといって、即、実地の医療が、出来るわけではない。
第一、静脈注射が出来ない。
静脈注射、というより、皮下静脈に、針を入れる、ルート確保である。
これが、出来ないと、話にならない。
気管挿管も出来ない。
傷口を縫う、縫合も出来ない。
なので、研修医は、指導医のもとで、実地の医療を学ぶのである。
研修医と指導医の関係は、徒弟制度的なのである。
特に、外科は、その傾向が、強い。
脳外科、や、心臓外科、で、一人前になるには、指導医に、手取り足取り、教えてもらわなければ、一人前には、ならない。
それは、外科だけでなく、内科、でも、そうなのである。
岡田さん、の指導医は、五十嵐健二だった。
「いやー。岡田さんの、指導医になれて、嬉しいよ」
五十嵐健二は、照れることなく、本心を言った。
「私も、五十嵐さんに、指導してもらえるなんて、嬉しいです」
と、由美子も、本心を言った。
岡田さんは、指導医である、五十嵐健二、の指導のもとで毎日、採血、点滴、注射、患者の病状把握、薬の選択、カルテへの患者の病状記載、患者、や、家族への、病状の説明の仕方、ナースへの指示の仕方、など実地の医療をおぼえていった。
研修医と指導医の関係は、徒弟制度的なのである。
なので、研修医は、すべての事を、指導医の、真似をして、実地の医療を覚えるのである。
指導医の研修医を指導する気持ちといったら。
研修医を育てることは、楽しいのである。
指導医は、自分は、一人前で、何でも知っている。
研修医は、医者の卵であり、実地の医療は、まだ知らない。
なので、研修医は、すべて、指導医の、言う事を真剣になって、聞き、指導医の真似をする。
指導医の喜びは、幼い雛鳥を、一人前の、成鳥に、育て上げる喜び、と同じであり、自分が、一人の医者の卵を、一人前の、医者に育て上げた、という、満足感の喜びなのである。
岡田さん、は、五十嵐健二の指導で、どんどん、小児科医としての、実力を身につけていった。
二人は、指導医と研修医、という関係だけではなく、仕事が終わった後でも、二人で、喫茶店に寄って、話をした。
「いやー。由美子さんは、真面目だから、教えがいがあるよ」
五十嵐健二が言った。
「いえ。五十嵐先生の指導のおかげです」
と由美子は、言った。
「今度の、日曜、若草山に、ドライブに行かない?」
五十嵐健二が聞いた。
「ええ。行きます」
と、由美子は答えた。
「あの。由美子さん」
五十嵐健二は、あらたまった口調で、真剣な顔になった。
「はい。何でしょうか?」
「僕と、結婚してもらえないでしょうか?」
初めて、五十嵐健二は、正式に、由美子に、プロポーズした。
医学部に入った最初の頃にも、五十嵐健二、は、由美子に、プロポーズしたことがあって、由美子も、それを、受け入れたが、その時は、まだ、ずっと先の事という感覚だったので、今回が、正式のプロポーズだった。
「はい。喜んで」
由美子も、即、承諾の返事を返した。
「由美子さん、の、御両親に、会いに行かなくてはなりませんね。いつにしましょうか?」
五十嵐健二が、聞いた。
由美子は、学生時代中に、五十嵐健二、を、数回、家に招いたことがあった。
「五十嵐さんの、ことは、以前から、両親に話してあります。両親は、五十嵐さんを、私の、またとない、結婚相手、と、気に入ってくれています。ですから、いつでも、構いません」
と、由美子が言った。
「それを聞いて安心しました」
五十嵐健二の顔が、ほころんだ。
「では。結婚式は、いつにしましょうか?」
五十嵐健二が聞いた。
「そうですね。私としては、小児科医として、もっと、実力を身につけて、一人前になってから、結婚したいと思っています」
と、由美子が言った。
「そうですか。それでは、いつ、結婚するかは、由美子さんが、決めて下さい。そして、由美子さんの方から言って下さい。僕も、別に焦っているわけでは、ありませんから。今は、勉強を優先したい、というのなら、僕は、それを、尊重します」
「有難うございます
こうして、二人は、その週の日曜日に、若草山に、五十嵐の運転で、ドライブに行った。
小児科、には、色々な、疾患の子が入院してくる。
先天性心疾患、とか、口唇裂、とか、先天性内翻足、とか、外科手術をするために、入院してくる子は、先天性心疾患、なら、心臓外科、が、手術し、口唇裂、なら、口腔外科、が、手術し、先天性内翻足、なら、整形外科が手術する。
つまり、手術の目的で、入って来る子は、その疾患の外科で、手術する。
小児科の病棟は、術前、術後の、患者の管理である。
小児科医が、治療するのは、白血病とか、若年性関節リウマチ、とか、SLE(全身性エリテマトーデス)、とかの、服薬治療、や、放射線治療、で、治療する、内科的疾患の患者である。
外科手術目的で入院する子は、手術が済むと、大体、治って、退院していく。
しかし。
内科的疾患では、治っていく子もいれば、なかなか、治らない子もいる。
自己免疫疾患の患者の場合は、ステロイド、の内服の治療なのだが、ステロイドは、副作用が、強く、顔も、ステロイド顔貌に、変わってしまい、骨も、脆くなり、視力も低下する。
しかし、ステロイドを使わないと、腎不全を起こして、死んでしまうので、ステロイドの副作用が、どんなに強くても、ステロイド治療をするしか、ないのである。
そんな子を、見ていると、岡田さんは、どうにも、やりきれない気持ちになった。
「この子は、どうして、苦しい人生を送らなくてはならないんだろう?」
という、根本的な疑問である。
岡田さん、は、きれいで、優しいので、子供の入院患者には、人気があった。
岡田さん、は、病気の治療だけでなく、受け持ち患者の、子供と、トランプをしたり、絵本を読み聞かせてやったりした。
そうすると、子供は、喜んでくれる。
笑顔も見せてくれる。
しかし、病気の子供の、本当の気持ちまでは、わからなかった。
子供が、本当の自分の本心を打ち明けられるのは、やはり、親だけである。
嬉しい感情、は、本心を医者に見せることは出来るが、つらい事、弱音、泣き言、を、遠慮なく言えるのは、やはり、親(特に、母親)、にだけである。
岡田さんは、勉強熱心であり、半年もすると、かなり、自分で、診療することが出来るように、なった。
ある日の、仕事が終わった後、五十嵐健二、、と、岡田由美子は、いつもの喫茶店に入った。
「あの。五十嵐健二、さん。私も、小児科医として、自信がついてきました。これも、すべて、五十嵐さんの、おかげです」
「いやー。そんなことは、ないよ。岡田さんが、真面目で、勉強熱心だから、習得が早いだけだよ」
「ところで、五十嵐さん」
「はい」
「よろしかったら、今週の日曜日、私の家に来て、両親に会ってもらえないでしょうか?結婚式の日にち、を決めたいので」
「やっと、決断してくれましたね。有難うございます。喜んで行きます」
「父も母も、五十嵐さんに、会いたくて、以前から、来るのを、待っています」
「そう聞くと、嬉しいです」
その週の日曜日、五十嵐、は、岡田由美子の家に行った。
「いらっしゃいませ」
由美子の両親は、温かく、五十嵐健二、を迎えた。
五十嵐健二、は、ソファーに座って、由美子の両親と対面した。
母親が、紅茶を出した。
「お父様。お母様。どうか、由美子さんを、下さい」
と、五十嵐、は、昔ながらの、古風なセリフを言った。
両親は、一も二もなく、
「ええ。喜んで」
と、言って、五十嵐の、申し出を快諾した。
結婚式は、一カ月後にすることに、決まった。
そんな、ある日のことである。
町の、内科医院から、一人の子供が、大学病院に、紹介されて、送られてきた。
医局長に、言われて、担当は、岡田さん、になった。
紹介状から、その子は、腎芽腫(ウイルムス腫瘍)、で、発見が、遅れて、両側の肺にも転移していて、余命、半年、と、診断されていた。
治る見込みが、無いので、大学病院の方針として、放射線治療は、行わず、飲み薬、アクチノマイシンD、の抗がん剤の、治療をするだけに、とどめることになった。
岡田さんは、「はあ」、と、ため息をついて回診に行った。
「はじめまして。山野哲也くん。私が、担当になった、岡田由美子、と言います」
「こんにちは」
と、山野哲也は、挨拶した。
山野哲也は、岡田先生、と、すぐに、仲良くなった。
岡田先生は、山野哲也と、トランプをしたり、児童書を読み聞かせてやったりした。
山野哲也も、岡田さんに、笑顔で接するようになった。
そんな、ある時。
「先生。僕、もうすぐ、死ぬんでしょ?」
と、山野哲也が聞いてきた。
岡田先生は、顔が、真っ青になった。
「そんなこと誰から聞いたの?」
咄嗟に、大声で反応的に、言ってしまった。
言って、岡田さんは、後悔した。
その発言自体が、答えを、示しているからだ。
「それは、誰も言ってくれないよ。でも、ある時、僕、お父さん、と、お母さん、が、話しているのを、聞いてしまったんだ。僕の病気は、腎臓のガンで、肺にも、転移している、って。放射線治療など、積極的な治療をしても、治療の副作用の、つらさ、の方が、大きいだけだから、積極的な治療は、しない、って」
「・・・・・」
岡田先生は、何も言えなかった。
人間の、「死」、に対しては、どう、なぐさめることも、出来なかった。
「哲也くん。何か、私に出来ることがある?」
岡田先生が、憔悴した顔で聞いた。
「個室に入りたい。お父さんも、お母さん、も、きっと許可してくれると思う」
「わかったわ」
哲也の両親は、哲也を個室に移すことに、賛成した。
こうして、哲也は、個室に移された。
岡田さんは、特に、哲也に、入れ込むように、なった。
まだ、小学6年生の子供なのに、余命、半年、なんて、可哀想すぎる。
仏教聖典に、「仏は、どんな子供でも平等に愛するが、その中に、病気の子供がいると、仏の心は、ひときわ、その子にひかれていく」、という言葉が、あるが、岡田さんも、その例外では、なかった。
岡田さんの心にも、仏性が宿っていた。
山野哲也は、明るく振る舞っているが、哲也の笑顔を見る度に、岡田さんは、「この子は、何で、死ななくてはならないのだろう」、という思いが起こってきて、余計、やりきれなくなった。
ある日の、回診の時である。
岡田さんは、山野哲也の、個室に入った。
「先生。この前、MRI撮ったでしょ」
「え、ええ」
「転移はあったの?」
「は、肺に二ヵ所・・・」
「僕。あと、どのくらい、生きられるの?」
「半年くらいです」
「そう。あと半年か」
哲也は、ため息をついた。
「死んだら、どうなるの?」
哲也が聞いた。
「もちろん。哲也君は、天国に行くわよ」
「どうして、そんな事がわかるの?」
「そ、それは・・・・」
岡田さんは、答えられなかった。
「天国って、どういう所なの?」
「そ、それは・・・・」
由美子は、答えられなかった。
軽はずみに、きれい事を言ってしまったが、由美子は、人間は、死んだら、精神は無くなると思っていた。
子供の頃は、親の教えによって、死んだ後は、天国、か、地獄、の、どっちかに行くものと思っている子供もいる。
由美子も、小学生の時は、そう思っていた。
しかし、高校生くらいになる頃に、人間は、死んだら、土に還る、と思うように、なった。
天国とか地獄とかは、人間の想像力が、産み出した、ウソだと確信するようになった。
「哲也くん。何が欲しい。欲しい物を言って。何でも、買ってあげるわ」
「じゃあ。百億円、欲しい」
「そんな大金、何に使うの?」
「世界の、貧しい子供たちに寄付したいの。だって、生きている間に、何か良い事したいよ」
「・・・」
由美子は、答えられなかった。
「ははは。先生。冗談だよ。自分の力で、働き出した、お金なら、そういう慈善事業もいいだろうけど、人にタダで貰った、お金で、そんなことしたって、意味ないもんね」
と、言って哲也は、笑った。
「それに、研修医である、先生の、給料じゃあ、年収300万円くらいでしょ」
由美子は、黙っていた。
「じゃあ、別のお願い、聞いてくれる?」
哲也が言った。
「何。何でも聞くわ」
「先生の裸、見たい」
突然の発言に由美子は、驚いた。
「僕。本物の女の人の、裸、見たこと。一度も無いんだ。写真でしか、女の人の裸、見たことが無いんだ。だから、一度、本物の女の人の、裸、見てみたいんだ」
「わ、わかったわ」
そう言って、由美子は、部屋のカギをロックした。
そして、山野哲也の前に立った。
由美子は、白衣を脱いだ。
白衣の下は、ブラウス、と、スカートだった。
由美子は、ブラウスと、スカートを脱いだ。
由美子は、白いブラジャーと、白いパンティーだけの姿になった。
豊満な乳房を納めている、ブラジャー、と、大きな尻と恥肉を、納めて、モッコリ、盛り上がっている、パンティー、が、露わになった。
「うわー。セクシーだ。こんな、きれいな、女の人の、下着姿、初めて見た」
哲也は、感動した口調で言った。
「私の体なんか、そんな、たいしたものじゃないわよ。モデルさんの体のプロポーションの方が、すごく奇麗よ」
と、由美子は、謙遜したが、由美子は、テニスで鍛えた、引き締まった、理想的な、プロポーションだった。
「先生。もっと、近くに来て、くれない?」
哲也が言った。
「ええ」
由美子は、哲也のベッドに膝か触れるほど、近づいた。
哲也の目と鼻の先に、由美子の、モッコリ盛り上がった、パンティーがあった。
「先生。触ってもいい?」
哲也が聞いた。
「いいわよ」
由美子が言った。
哲也は、自分の顔の前にある、由美子の、パンティーを触った。
「ああっ。すごく良い感触だ」
そう言って、哲也は、由美子のパンティーの上から、恥肉をつまんだ。
由美子は、恥ずかしさも、ためらいも、無かった。
なぜなら、目の前の、この子は、余命半年なのだから。
由美子は、出来る限り、この子の、喜ぶことを、してやることにのみ、意識が行っていた。
「哲也君。お尻も、触る?」
由美子が聞いた。
「うん」
哲也は、二つ返事で、答えた。
由美子は、クルリと、体の向きを変えた。
パンティーに納められた、大きな尻が、哲也の前に現れた。
「うわー。すごく、大きな、お尻。先生。触ってもいい?」
哲也が聞いた。
「いいわよ。思う存分、触って」
由美子が言った。
哲也は、パンティーで覆われた、由美子の、大きな尻を、思う存分、触った。
「幸せだ。こんな、きれいな、女の人の、お尻を触れるなんて。生まれて初めてだ」
哲也が、興奮しながら言った。
「哲也君。でも、私を触った、ということは、言わないでね。本当は、こういうことは、してはならないことなの」
由美子が諭すように言った。
「わかっているよ。この事は秘密にするよ。だって、こんなことが、病院の人や、僕の両親に知られたら、先生と、プライベートな付き合いが、出来なくなっちゃうもん」
と、哲也は言った。
「哲也君。よくわかっているのね」
由美子は、哲也に尻を触られながら、言った。
「先生。先生の、大きな胸も触りたいなあ」
哲也が言った。
「いいわよ」
そう言って、由美子は、また、クルリと、体を反転させ、哲也の方を向いた。
そして、膝を床につけて、膝立ちして、胸が、哲也の目の前に来るようにした。
「うわあ。大きな、胸だ」
哲也は、手で、由美子のブラジャーの上から、由美子の、胸を触った。
子供の哲也には、それは、刺激が強すぎた。
山野哲也は、ハアハア息を荒くしながら、由美子のブラジャーの上から、由美子の、乳房を揉んだ。
「うわあ。柔らかい。温かい。最高の感触だ」
哲也は、歓喜の声を上げた。
由美子は、哲也に、触られるがままに、身を任せた。
「ねえ。哲也君」
「なあに。先生?」
「よかったら、私、哲也君のベッドに乗ってもいい?そうした方が、哲也君も、触りやすいでしょ」
由美子が聞いた。
「ええ。いいですよ」
哲也が答えた。
「それじゃあ、失礼するわ」
そう言って、由美子は、ブラジャーとパンティーという、下着姿のままで、哲也のベッドに、仰向けに、横たわった。
由美子は、人形のように、手足をダランと脱力した。
それは、自分が、生きた人形になって、哲也に、自分を弄ばせるためだった。
「うわあ。幸せだ」
そう言って、哲也は、由美子の体の、あちこちを触った。
哲也は、ブラジャーで、覆われた、由美子の、乳房を、ブラジャーの上から、触った。
「わあ。柔らかい。温かい。最高の感触だ」
哲也は、感動をあらわして、由美子の、大きな胸を揉んだ。
「先生。先生の、おっぱい、吸いたいです。ダメですか?」
哲也が聞いた。
「いいわよ。全然」
そう言って、由美子は、ブラジャーのフロントホックを外した。
ブラジャーの中に、収まっていた、由美子の、大きな、乳房が、プルンと弾け出た。
「うわあ。すごい」
哲也が嬌声をあげた。
由美子の、大きな、乳房の真ん中には、二つの、乳首が、尖って立っていた。
哲也は、由美子の片方の乳首に顔を近づけて、チュッと吸った。
それは、大人の男が、ペッティングで、女の乳首を、巧みに、舌で転がして、女を興奮させようとするのとは、違って、赤ん坊が、母親の、母乳を、一心に吸おうとする行為だった。
「あはっ。くすぐったいわ。哲也君」
由美子は、微笑して、言った。
「ねえ。先生。おっぱい、は、出ないの?」
哲也が聞いた。
「出ないわ。女は、子供を産むと、母乳が出るようになるけれど、子供を産まないと、母乳は出ないの」
由美子は、そんな説明をした。
「ふーん。そうなんだ。知らなかった」
哲也は、感心したように言った。
「先生。おちんちん、が、硬くなってきちゃいました」
哲也が言った。
「じゃあ、いいこと、してあげるわ」
そう言って、由美子は、寝ていた体を起こした。
「哲也君。パジャマを脱いで。そして、パンツも脱いで」
由美子が言った。
「えっ?」
と、哲也は、とまどった。
「どうして、ですか?恥ずかしいです」
哲也が聞いた。
哲也は、まだ、セックスというものを、知らない。
子供は、セックスというものを、知る前から、女に対して、性欲は、起こるが、それは、男が、女の裸を見ることなのである。
「あのね。哲也君。人間は、大人になって、恋人になったり、結婚したりすると、女の裸を、見るだけじゃなくて、男も女も、裸になって、抱き合う行為をするの。それを、セックスというの」
由美子は、そう説明をした。
「ふーん。そうなんですか。じゃあ、恥ずかしいですけど、脱ぎます」
そう言って、哲也は、パジャマを脱ぎ、パンツも脱いだ。
「は、恥ずかしいです」
哲也が言った。
「さあ。哲也君。今度は、哲也君が、仰向けに寝て」
由美子が言った。
「はい」
言われて、哲也は、ベッドの上で、仰向けになった。
下半身が裸なので、哲也は、恥ずかしそうに、両手で、おちんちん、を、隠している。
由美子は、哲也の股間の前に、座った。
「さあ。哲也君。おちんちんを、隠している手をどけて」
由美子が言った。
「えっ。恥ずかしいです。何をするんですか?」
哲也が顔を赤くして聞いた。
「気持ちいいことよ」
そう言って、由美子は、哲也の手をどけた。
哲也は、さからおうとしなかった。
しかし、女に、おちんちん、を、見られていることに、羞恥心を感じて、顔を赤くしていた。
由美子は、そっと、哲也の、おちんちん、を、口に含んだ。
「あっ」
と、山野哲也は、声をあげた。
「せ、先生。何をするんですか?」
哲也は、あせって聞いた。
「これは、フェラチオっていうの。男の人の、おちんちん、を、女が、舐めるのよ。大人の仲のいい男女は、みんな、これをしているのよ」
由美子は、そう説明をした。
哲也は、まだ、包茎だった。
由美子は、山野哲也の、おちんちん、を、丁寧に舐めた。
「ああっ。先生。恥ずかしいですけど、何だか、気持ちよくなってきました」
哲也は、喘ぎながら言った。
「哲也君は、まだオナニーして精液、を出したことがないでしょ?」
由美子が聞いた。
「精液って、何ですか?」
山野哲也が聞いた。
「子供を産む時に、男の人が出す物なの」
由美子は、そう説明をした。
「哲也君の年齢なら、そろそろ、精液が出るはずよ。出してあげるわ」
由美子が言った。
「出すと、どうなるんですか?」
哲也が聞いた。
「別に、どうも、ならないわ。だけど、精液を出す時、すごく、気持ちよくなるの」
由美子は、哲也に、射精の快感を、感じさせてあげようと思った。
由美子は、哲也の、おちんちん、を、口から離した。
哲也の、おちんちん、は、激しく勃起していた。
由美子は、哲也の、おちんちん、を、ゆっくりと、しごき出した。
「あっ。先生。何をするんですか?」
「哲也君を気持ちよくさせてあげるわ」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、激しく、しごき続けた。
「あっ。せ、先生。何だか、おちんちん、から、何かが、出そうです」
山野哲也が言った。
「頑張って。気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、しごく速度を速めた。
クチャクチャと、山野哲也の、おちんちん、が音をたて出した。
「ああー。先生。何かが出そうです」
哲也は、悲鳴に近い口調で言った。
「頑張って。気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、おちんちん、を、しごく速度を速めた。
「ああー。出るー」
哲也が叫んだ。
哲也の亀頭の先から、精液が、ほとばしり出た。
「ああー」
哲也は、生まれて初めて、射精した。
射精した後、しばし、哲也は、放心状態になった。
由美子は、ティッシュペーパーで、哲也の、精液をふいた。
「どう。哲也君。気持ちよかった?」
由美子が聞いた。
「はい。すごく、気持ちよかったです。でも、先生が、僕の、おちんちん、を、舐めたりして、先生が、可哀想です。こんな、汚いものを舐めるなんて・・・」
哲也は、申し訳なさそうに言った。
「そんなこと、ないのよ。大人の男女は、みんな、こういうことを、しているの」
由美子は、そう説明した。
「そうなんですか。信じられません」
哲也が言った。
由美子は、山野哲也に、フェラチオしてあげようか、どうしようか、迷った。
あまり、子供から見れば、汚いことを、して、大人というものを幻滅させたくなかった。
しかし、それとは、反対に、子供のまま、何も知らないで、死んでいくのは、あまりにも、可哀想に思った。
由美子は、また、ベッドに仰向けに寝た。
そして、哲也を自分の体の上に倒した。
由美子は、山野哲也を、ギュッ、と、抱きしめた。
山野哲也の、おちんちん、は、また、すぐに、勃起し出した。
なにせ、子供で、性欲、旺盛な年頃である。
「先生。好きです。愛しています」
哲也が言った。
「私も山野哲也くんを、愛しているわ」
由美子が言った。
「先生。僕と、結婚してくれますか?」
「いいわよ」
「哲也くん。男と女が、結婚すると、何をするか、知っている?」
「よく、わかりません」
「男と女が、結婚すると、毎晩、寝る時に、裸になって、抱き合うの。そして、色々なことをするの。女の、マンコに、男の、おちんちん、を入れるの」
「ふーん。そんなこと、するんですか?」
ベッドに仰向けに寝ている由美子は、パンティーを脱いだ。
そして、股を大きく開いた。
哲也は、女のマンコの実物を生まれて初めて見て、ドギマギと驚いていた。
「哲也くん」
「はい」
「哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに、入れて」
「はい」
「さあ。ここよ」
そう言って、由美子は、哲也の、片手をつかんで、哲也の指を、自分のマンコ、の、穴に、くっつけた。
「先生。マンコが濡れています」
「女は、興奮すると、マンコが、濡れてくるの。男の、おちんちん、を迎えやすいようにするために」
そう、由美子は、説明した。
哲也は、初めて、触る、女の、マンコの感触に、驚いていた。
「さあ。指を入れて」
言われて、哲也は、由美子の、マンコの穴に、指を入れた。
それは、スポッ、と、入った。
「濡れています。先生」
哲也が言った。
「マンコの穴の場所が、わかったでしょ。今度は、哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに入れて」
由美子が言った。
「はい」
そう言って、哲也は、自分の、おちんちん、を、由美子の、マンコの穴、に、くっつけた。
「さあ。哲也くんの、おちんちん、を、私の、マンコに入れて」
由美子に、言われて、哲也は、おちんちん、を、由美子の、マンコの穴に、入れようとした。
京子も、腰を動かして、哲也が、おちんちん、を、マンコに入れるのを手伝った。
哲也の、おちんちん、は、スポッ、と、由美子の、マンコに、入った。
「どう。おちんちん、を、マンコに入れた感じは?」
由美子が聞いた。
「マンコが、おちんちん、を、しめつけています」
哲也が言った。
「それは、男のおちんちん、を、放さないために、そうなるのよ」
由美子が説明した。
哲也にとっては、すべてが、生まれて、初めての事ばかり、だった。
「ふふふ。これで、私の体と、哲也くんの、体が、合体したわね」
由美子が言った。
由美子は、山野哲也の、脇腹や、脇の下、などの体を、コチョコチョと、くすぐった。
「ああっ。くすぐったいです。先生」
「我慢して。くすぐったさ、が、気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、尻の割れ目、を、指先で、スー、と、なぞった。
「ああー。くすぐったいです」
「我慢して。くすぐったさ、が、気持ちよくなるから」
そう言って、由美子は、哲也の、尻の割れ目、を、指先で、スー、と、なぞったり、脇腹や、脇の下、などの体のあちこちを、コチョコチョと、くすぐった。
しばしして。
「あっ。先生。また、おちんちん、から、何かが、出そうです」
山野哲也が言った。
「それは、哲也くんの、金玉に溜まっている、精液よ。哲也くんの、精子と、私の卵子、が、くっついて、子供が出来るの」
そう、由美子は、説明した。
「ああー。出るー」
そう、叫んで、哲也は、由美子の体内に、精液を射精した。
「ふふ。哲也くん。気持ち良かった?」
「はい」
「それは、よかったわね。これで、私と、哲也くん、は、結婚して、夫婦になったのよ」
と、由美子が言った。
由美子は、マンコから、哲也の、おちんちん、を、抜いた。
そして、ティッシュペーパー、で、濡れた哲也の、おちんちん、を、ふいた。
由美子は、再び、ベッドに、仰向けに寝て、哲也の体を、自分の体の上に倒して、自分と、重ね合わせ、ギュッ、と、抱きしめた。
「哲也くん。キスして」
「はい」
哲也は、由美子の唇に、そっと、自分の唇を重ねた。
由美子は、哲也の口の中に、舌を入れた。
哲也は、驚いている。
「哲也くん。大人のキスって、唇と唇を、くっつけるだけじゃないの。舌を、絡め合わせて、お互いの唾液を吸い合うの。さあ、哲也くん。私の舌と哲也くんの舌を絡め合いましょう」
由美子が言った。
哲也は、おそるおそる、自分の舌を、伸ばして、由美子の舌にくっつけた。
哲也は、興奮してきて、粘っこい唾液が出始めた。
由美子は、哲也の、唾液を吸った。
「さあ。今度は、哲也くんが、私の唾液を吸って」
由美子に言われて、哲也は、由美子の、唾液を吸った。
由美子は、哲也を、ギュッ、と、抱きしめた。
かなりの時間、二人は、抱き合って、キスした。
「もう、今日は、このくらいにしておきましょう」
由美子が言った。
「はい」
由美子は、起き上がって、哲也に、パンツを履かせ、パジャマを着せた。
そして、自分も、パンティーを履き、ブラジャーを着け、スカートを履いて、ブラウスを着た。
そして、白衣を着た。
「どう。気持ち良かった?」
「うん。とても気持ち良かったです。先生。ありがとう」
「また、明日も、私を、うんと、好きなように、触って」
「ありがとう。先生」
そう言って、由美子は、去って行った。
由美子は、自分が、山野哲也に、してやれる、治療は、これしかない、と思った。
その日、以来、由美子は、山野哲也の部屋に、回診に行くと、哲也と、エッチな事をするようになった。
しかし、山野哲也の病状は、日に日に、悪化していった。
セックスのような、激しいことを、する体力も無くなっていった。
激しい運動をすると、体に悪い。
なので、哲也は、由美子と、手をつなぐ、ことくらいになった。
元々、哲也は、性欲の対象として、岡田さん、を見ていたわけではなく、岡田由美子という、優しい女性に、対する、「愛」、という思いだったので、別に、セックスが出来なくなっても、哲也は、不満では、なかった。
むしろ、山野哲也が、由美子と、セックスしたのは、「何も知らないで死んでしまう山野哲也」、が、可哀想で、由美子が、大人の男女の関係を、体験させて、やりたい、という理由で、したのである。
ある日の仕事の帰り。
五十嵐健二、と、岡田由美子、は、いつもの喫茶店に寄った。
「あの。五十嵐さん」
「はい。何ですか?」
「小児科の仕事、って、つらいですね」
「どんな所がですか?」
「病気が治らない子を診ていると、つらくなってしまうんです」
五十嵐健二、は、何も言わなかったので、由美子は、続けて言った。
「私。どうして、この子は、病気に生まれついたのか、って、悩んでしまうんです。この子に罪があるわけでは無いのに・・・」
そう言って、由美子は、ため息をついた。
「五十嵐さんは、どう思いますか?」
「そうだねー。そんな事、考えたことは無いよ。そんな、根本的なこと。僕は、仕事と、割り切っているからね。誰でも、初めの頃は、そういう悩みを持つものだよ。でも、慣れてくるうちに、だんだん、仕事慣れしてくるよ。医者は、人の死に対して、不感症になっていくものだよ」
「そうですか。私も、そうなるのでしょうか?」
「それは、わからないな。でも、中には、医者の仕事に慣れても、デリケートな人で、人の死に対して、不感症にならない人もいるよ」
「そうですか」
由美子は、自分は、どっちの医者なのだろうか?と思った。
「あのね。聖書に、書いてあるんだけど。病人は、どうして、病気を持って生まれついたか、という、理由が書いてあるんだ」
「それには、何と書いてあるんですか?」
京子は、目を見開いて聞いた。
「それは、神の御業が実現するため、なんだそうだ」
由美子は、一瞬、まさか、それって、私のこと?、と思った。
しかし、キリストは、実際、数多くの、死人を蘇らせたり、不治の病の患者を、治したりしている。
しかし自分には、そんな奇跡など起こせない。
自分が、死人を蘇らせたり、不治の病の病人を、癒したりすることなど、出来っこない。
自分は、現代の最先端の治療を、するだけである。
でも、精一杯、誠心誠意、患者に尽くそうと、あらためて思った。
「あの。五十嵐さん」
「はい。何でしょうか?」
「結婚式は、もう少し、待ってくれませんか?」
由美子が言った。
「構いません。でも、その理由は何ですか?」
「それは、ちょっと・・・」
と、言って、由美子は、言いためらった。
「何か、言いたくない事情があれば、構いませんよ」
五十嵐が言った。
由美子は、心の中で思った。
私は、山野哲也くんと、結婚したんだ。
遊び、なんかじゃない。
哲也くんは、本気だし、私も、本気で、山野哲也くんの、プロポーズを快諾した。
夫婦の契りも結んだ。
それを、「子供との、遊び」、なんて思って、いい加減にして、陰で、他の人と、結婚するなんて、哲也くんが、可哀想だ。
子供だって、「一人の人間」、であって、「大人の一人の人間」、と、何ら変わりはない。
何が違う、というのだろうか?
由美子は、哲也と、夫婦の契り、を、結んだ時は、意識していなかったが、「これは、遊びであり、本気ではない」、と、軽い気持ちがあったことを、今、気がついた。
そして、自分を欺いていたことを、心から後悔した。
「医者として、そして、人間として、真剣に生きねば」
由美子は、そう思った。
ある土曜日のことである。
その日も、由美子は、山野哲也の個室に、回診に行った。
山野哲也は、抗がん剤の副作用で、吐き気が、起こるので、口から食事が摂れず、点滴で、栄養補給を行うように、なっていた。
体重も落ち、げっそり、やつれていた。
由美子は、黙って、山野哲也の手を握った。
それしか、出来ることがなかった。
哲也も、由美子の手を、握った。
しかし、哲也の握力は、弱かった。
由美子は、心の中で、「神様。どうか、この子を救って下さい」、と祈った。
勤務時間が終わったので、由美子は、大阪の実家へ帰った。
その日は、天気予報で、昼頃から、大型の激しい台風が、日本列島に、接近してきて、豪雨と、強風が激しくなっていた。
台風による、大きな被害が出たら、自分も、両親と一緒に居て、防災を手伝いたかったからである。
出来ることなら、一日中、山野哲也の傍に居て、手を握っていたかったのだが、他の患者の治療もあるし、患者が、いつ、危篤状態になるかは、わからないのである。
当直の医者を信用することも、大切である。
大阪の実家へ帰っても、由美子は、哲也の事が、気が気でなかった。
台風は、強風をともなった、暴風雨となり、電車も、車も、運転を、見合わせた。
その夜のことである。
大学病院から、由美子の、携帯に、連絡が来た。
「岡田由美子先生。先生の、受け持ち患者の、山野哲也くん、が、危篤です。血圧が、下がってきました。不整脈も、起こり出して、きました。昇圧薬、と、抗不整脈薬、で、対応しています」
と当直医が言った。
「宜しくお願い致します。また、何か変化が起こったら、すぐに連絡して下さい」
と、由美子は言った。
由美子は、出来ることとなら、今すぐ、大学病院に行きたかった。
しかし、暴風雨で、交通機関が動かないので、病院に行くことが、出来ない。
由美子は、心の中で、「神様。どうか、山野くんを救って下さい」、と祈った。
その数時間後。
また、大学病院から、由美子の、携帯に、連絡が来た。
「由美子先生。山野哲也くんの、SpO2が、下がってきました。気管挿管しました。血圧も上がりません。心電図でも、心室細動が、出てきました。心臓マッサージを開始しました。電気ショックによる除細動も開始しました」
と当直医が言った。
「よ、よろしくお願い致します」
由美子は、それ以上、何も言うことが出来なかった。
ただ、「神様。神様」、と、祈るだけだった。
その、数時間後、病院から、山野哲也が、死んだ、知らせ、が、大学病院から来た。
由美子は、号泣した。
由美子は、山野哲也の臨終だけは、絶対に、自分が看取りたいと思っていたのである。
翌日。
台風は、速度が、速かったので、近畿地方を、抜けて、東北へ移っていた。
幸い、交通機関に、大きな被害は、出なかったので、電車は、昼頃から動き出した。
由美子は、すぐに、近鉄大阪線で、橿原市へ向かった。
由美子は、近鉄八木駅で降りて、タクシーに乗って、大学病院に向かった。
そして、小児科病棟へ行った。
山野哲也は、死体安置所に移されていた。
微動だにしない、山野哲也が、安置されていた。
由美子が、人間の死、を見るのは、これが、初めてだった。
「この子は、もう、この世の中にいないのだ。もう、言葉を話すこともなければ、体を動かすことも、永遠に、ないのだ」
由美子は、それを、実感した。
由美子は、死後硬直の始まった、山野哲也の前で、茫然と、立ちつくしていた。
「先生。山野哲也くんの、ベッドの下に、封筒が、ありました。先生宛の手紙です」
そう言って、医師は、封筒を、由美子に渡した。
封筒には、「岡田由美子先生へ」、と、書かれてあった。
由美子は、おそるおそる、封筒を開けてみた。
中には、山野哲也の書いた、手紙があった。
それには、こう、書かれてあった。
「由美子先生。無茶なお願いしちゃって、ごめんなさい。由美子先生が、僕の頼みを聞いてくれるかどうか、すごく関心が起こっちゃって。試してみたかったんです。聖書には、人を試してはいけない、と書いてありますよね。きっと僕は悪い子なんですね。でも、女の友達が一人も出来ないで、死ぬのって、すごくさびしかったんです。僕はしょせん、先生の受け持つ、たくさんの患者の一人に過ぎないと思うと・・・。先生が、きれいで、優しいだけ、余計、つらくて、さびしかったんです。死んだらどうなるのかな。僕、きっと、地獄に落ちるよね。だって、働いてなくて、世の中のために何もしてないもん。これから真っ暗闇の世界になるんだね。こわい。こわい。でも、そういう辛い時、先生のことを、思い出します。そうすれば、きっと、真っ暗闇の世界でも、地獄でも、耐えられそうな気がします。先生にとっては、僕は、一人の受け持ち患者でも、僕にとっては、たとえ真似事であっても、一生の愛を誓い合った、妻だもの。生きている間に、最愛の先生と結婚できて、僕は幸せです。でも、先生。本当は、僕は嫉妬していました。先生が将来、結婚するであろう素敵な男の人に。僕は、悪い子ですね。でも、あれは、冗談で遊びです。ですから、先生は素敵な人と結婚して幸せになって下さい。楽しい思い出をありがとう。僕、生まれてきてよかったよ。だって、先生と出会えたんだもの。山野哲也」
由美子の目から、涙が、ポロポロ流れた。
「うわーん」
由美子は、号泣し続けた。
いつまで、経っても、涙が流れつづけた。



令和2年3月15日(日)擱筆