zeroize 〜姫ノ木宝珠の場合

 ――ライブのあとはいつも、叫びだしたい衝動に駆られる。
 その衝動は、片付けをスタッフに任せて舞台裏でだらだら流れる汗をぬぐう時が一番強くて、それから順に、ショルキーを肩から降ろす時、衣装を着替える時、打ち上げ会場に向かう時と続く。
 だから今は4段階目の衝動。小さく
「あああああ、」
 くらいで押さえ込める程度。

「何また呟いちゃってんの、ヒメってば感動屋さん?」
 あっこんな所に穴が、なんて、見つけた壁の穴に嬉々としてつま先を突っ込みながら、奴が言った。
 公共物を破壊するんじゃない、などと注意しながら、俺は組んでいた腕をほどいてそれを引き戻した。
「………いや、それはお前の専売で、俺には手が出せない分野だな」
 ついでに答えも返してやる。
「てかソレ誰がいつどこで決めたわけ」
「今ここで俺がだ」
「――ヒメちゃんたらどこで即答なんて高等技術を覚えてきたのさー」
「…先祖代々続いてきた奥義だ」

 関係者以外立ち入り禁止の裏口ドアの前、俺たちはそんな風に熱を冷ます。
 俺たちというのはつまり、今日この会場でライブを終えたばかりの"mistakedolls"、姫ノ木宝珠と皇空だ。
 今は二人とも目立たない黒い服を着て、マイクもギターも持ってはいないけれど。
 ホールで浴びた光の欠片を、まだどこかに掴んでいる感じで。

「ていうか俺よりタモっちゃんだろー?
 車回してくるとか言ってどっかで泣いてんじゃねえの?『きょーもみんな無事だったー』ってさ。
 ヒー・イズ・ザ・キング・オブ・感動屋。略して”キンカン”。うっわ、さむいな俺。寒すぎ」
 ぶつぶつ呟く方に作戦を変更した空が、今度は傘立てにドガシと蹴りを入れた。
 ガコンガコンと通路に響く音が煩い。
(だから…)
 公共物に害を加えるなというんだ。
 俺はこれ見よがしにため息をひとつ、こぼしてやった。

  * * *

『mistakedollsのリョウコ、赤錆に散る!!』
 そんな記事が出たのは、彼女が逝ったのがライブ中で、”衝撃の”と称される映像が多く残ったためだったのだろう。
 当時俺は妙に静まった気持ちのまま、違う角度で、違う視点でリョウコを映していく映像を、眺めていた。
 ビデオにも撮った。巻き戻して見た。母が泣くから部屋で見て、義父が叫ぶから音を消した。
 義妹の崩れていく瞬間を何度も見た。
 彼女の最期の曲に詞を書くために。
 だからアンコールはいつもその歌と決めている。
 ――――『zeroise〜キミモイツカ』。
 ゼロにする、という意味の…コンピュータ用語だからclearよりもっと確実に『ゼロにする』という、そんな題名の歌。
 俺はマイクを握り空はアコースティックのギターを抱え、二人だけで歌う、どこかにいるキミに捧げる歌。

 俺が書いた歌詞のメモを見た空は言った。
「お前一人になんのすげぇ嫌いじゃん、変に覚悟とか決めんのやめとけよ」
 居合わせたサブマネの保(タモツ)さんは首をかしげていた。
「でもリョーコちゃんなら『悲しむくらいならゼロにしちゃえ』って言うと思うけど」
「ぶぶーっ、タモっちゃん不正解。読解力が足りません。ってことでカタヅケよろしく」
 出て行きかけたところで「ヒメはこっち」と腕を引かれて。
 その後歩いた廊下で空が言った言葉がたぶん正解。
 ――あの歌、お前自分のこと書いてんだろ。

 それから少し経ったある日の夜明け前、
「コンピュータじゃあるまいし0か1かなんて、俺には絶対ムリ」
 同じ曲の編集中にぽつりと空が言った。
「もし、仮にだ、お前が死んだとしても。今すぐ消そう。なんつって人の記憶いじるなよな」
 妙に諭すような声と顔だった。

 完成した日のコメントはそんなに長くはなくて、
「お前は消えんな」
 自信のなさげな呟きで。

 それから毎回、アンコールがかかるたびに空は言う。
 ――記憶なんてそんな簡単に消せるモンじゃねぇよ。
 ――今日の合言葉は希望。希望だ。あーオマエ眉間に皺寄せんな、んなあからさまにっ。
 ――俺の今日の記憶は完全俺のモンってことでひとつヨロシク。
 ――オマエそれで本当に納得しちゃえるわけ?
 今日のは何だったか……、そう、やけに直球だったからよく覚えている。

「神様には悪いが抵抗するよーに。んで俺を呼べ。てか錆びるな」

  * * *

 パパーッ
 …と、合図のクラクションが聞こえて、しゃがみ込んでいた空が勢い良く立ち上がった。
「あーもう、おっせーよタモっちゃ〜ん」
 奴が、待ってましたとばかりにすぐ側の扉を開けた、その時を狙っていたように。
 長く続いた通路の向こうから、押し出されてきた果ての空気の塊が吹き付けてきた。
 ひゃー、だか、わー、だか不明瞭な声を上げて空が扉をくぐるのを、俺はそのまま見守るしかできなくて。

 風が、いく、から。
 内から外へ。

 巻き上げられた髪の先が見えた。
(あと4秒)
 顔のすぐ横で音がする。映すもののなくなったTVが紡ぎだすあのノイズ。
 この音を間近で聞いたのはこれで三度目だ。
 一度目は実父。二度目は義妹。
 だから何が起きたのか、俺にはすぐに理解できた。
 急がないといけないことも。

 それは体が錆びる音。しずかに崩れて落ちる音。
 一気に跳ね上がった心拍数、カウント5で持っていかれる。
 圧縮された濃密度の酸素。
 結合して。
 鉄にできるアレと同じ色。酸化水酸化鉄。ニンゲンなのに、錆びるなんて…。

(イツカ『俺』モ)
 歌詞の中に埋め込んだ思い。
(イナクナル…キエテシマウ)
 正しい言葉は、きっと空には伝わっている。
 黙って受け入れてはくれないだろうけれど。
(ソレデモ)
 …それでも――――。

「うつほ」
 呼びかけた先、開けっ放しの扉の向こうで、空の背中がひらひらと手を振る。
 何だよ早く行かねーと姐さんたちに取り巻かれっぞ。
 たぶん言いながら呼んでいる、けれど。
 いつもなら「ああ」と頷いて踏み出す足が今はもうなくて。
「うつ……」
 伸ばした指の先は、彼の元まで届く前に―――解けた。

 俺は静かに目を閉じる。考える。

「っだよソレ!」

 最後の最後で俺のために神かもしれない見えない何者かに向かって怒りをぶつけてくれるお前だから。

 次に連れて行かれるのは、

 俺。

  『 zeroize〜キミモイツカ 』

 幾つもの時が 僕の横をかすめ行き
 連なる想いの中で 祈るようにまどろむ君
 叶わない願いを抱き続けるよりも
 I'll zeroize all now...

 いつか夢に見たような
 懐かしさの果てに消える
 曇りないあの青空も 幻のように揺らぐだろう…

 So, zeroize all 行く当てのないこの場所で
 lace編みの儚さにうつむいたとしても

 一度だけ僕は 小さな溜息をつき
 束の間のトキの中で二人 出会ったことの意味
 かみしめて夜をやり過ごすよりも
 I'll zeroize all now...

 記憶の中の幻
 選ぶこともできないまま
 手にしかけてた温もりも 朝陽の向こうに消えるだろう

 So, zeroize all 冷たく冷めたこの腕で
 reliefの鋭角度で抱きしめたとしても


 あの日なくしたサヨナラの涙
 置いてきた君のコエ
 さがしていたこともあったけれど 今は
 からめていた指先は遠く離れて
 ここにいるのは僕ひとり

 So, zeroize all...
 行く当てのないこの場所で
 I'll zeroize all...
 lace編みの儚さにうつむいても
 So, zeroise all now...
 封じ込めたサヨナラの代わりに
 I'll zeroize right now...
 月が覚えている他は


作曲/リョウコ   
作詞/ヒメ&オウジ 
編曲/ヒメ&オウジ 

..song by "mistakedolls"


 ……。
 ………。
 …………。
 泣き声…―――。
 ああ、泣かないでくれ。

 ―――So, zeroize right now...

 今すぐ俺が行くから……。