判決。被告人は深爪の刑に処す

 新都ルナリェストの端、フォーウンド区の敷地半分を占めるリェスト大学。
 今年開設されたばかりのこの大学には、将来有望な人材を育成することを目的とした様々な分野の学科が創設された。
 その中の一つに、魔法を専門として学ぶ魔法学科がある。

* * * * *

 ガヤット・キッドはその日、いたって静かに授業を聞き、黙ってノートをとっていた。
 元からの性格なのか最前列という絶妙の席のなせる業か、少しでも分からないことがあるとしつこく質問を繰り返す彼にしては、これはとても珍しいことである。
 …が、その原因はすぐに知れた。なぜならガヤットが、時折真っ赤な頭をひょいっと上げては隣に座る級友・シーユイの手元を覗き、またひょこっと伸び上がっては同じ動作を繰り返すからである。
 つまるところ彼は、教師に質問を投げるより手っ取り早い方法をやっとこさ身につけられたということだ。
(聞き逃しも書き逃しもこれでへっちゃらだもんな♪
 それに、質問があったらシーユイみたくまとめて聞きゃー一回で済むし♪)
 感謝の意をこめて満面の笑顔を向けても、シーユイにはおそらく通じていまい。

 授業の終了のチャイムと共にノートを閉じたガヤットは、「さんきゅーなっ」の挨拶もそこそこに立ち上がった。もちろん礼を言われた方にしてみれば何のことか分からないだろうが、ガヤットはそこまで考えてはいない。この時彼の頭が夕食のことで占められていたせいもあったかもしれない。
 リェスト大学では食事は昼以外自分で作る決まりなので、早く帰らないと早くご飯にありつけない。とてもお腹が減っている彼としてはこれは死活問題である。何しろ彼は育ち盛りなのだから。
(確かこの前買ってきたイモがまだあったはず…あとパンと…オレンジ…ミルク…)
 それにチーズとハムも、などと指折りぶつぶつ呟いていたところへ、
「ガヤット、ちょっといいか?」
「んあ?」
 近頃身近によく聞くようになった友達の声に、ガヤットは大して意識せずに、というより半ば無意識に振り返る。

 とある事情から魔法学科の学生は6人しかおらず、しかもそのうち男はガヤットを含めて3人…とくれば、その3人が仲良くなるのは当たり前であった。
 出会ったその日に互いの部屋に出入りする仲になり、今では連れだって街にくりだしたりもするその友は、一人はフェイトという名のミャウ、もう一人はラピスという…こちらは、キャウだった。
 特にラピスは同じ風雨魔法を専攻しようというくらいなのでとことん気が合うし、それは例えばガヤットが風雨魔法を希望する理由をラピスが知っていたり、ラピスが手袋をしている理由をガヤットが知っている程であった。

「……………」
 頬を伝う自分の血を感じながら、ガヤットは拭うことも考え付かないのか、振り向きかけた格好のままじっと立ちすくんでいた。
(…夕飯はレバー………。ええと、爪のばすのはどの栄養素だったっけか…)
 てん、てん、てん……。
 彼の基準においてはきちんと繋がりのある考えを巡らせながら、ガヤットは次第にピリピリしてきた左頬の痛みに眉を寄せた。オレの血はちゃんと赤いかな、などと、ふと思う。オレンジばっかり食べ続けていたから、もしかすると黄色がかってるんじゃなかろうか。

「ああああ、ご、ごめんっ!大丈夫か、ガヤット!?」
 不気味に沈黙に落ちたガヤットに不安になったのか、共に固まったままだったラピスは慌てて肩にかけていた手を引き、確認するようにガヤットを覗き込んだ。
 その右手、正確に言うならば右手の人差し指の爪には、今出てきたばかりのガヤットの赤い血液がちょびっとだけれど付着している。ガヤットの頬に傷をつけたのは、つまり、ソレだ。
 ――――とんとん、プス。…とやる例の無駄なひっかけを、あなたは知っているだろうか?
 今起こったことこそ、まさにそれである。しかも忘れてはならない、キャウの爪は鋭いのだ。
(やっぱりレバーだ、レバー…!)
 やっとのことで失った分の血の補給を決定したガヤットは、凶器の手を右手でぐわしっと掴み、下からじとーっと、それはもう恨めしげにラピスを見上げた。
「ら・ぴ・すうぅぅぅぅ〜?」
 もちろん、恨みの深さを倍増させる低い声も忘れない。
「お前、手袋してたんじゃなかったのかよ?」
「あ、きょ、今日はちょっと…vv」
 ややつり気味の大きな紫の瞳でじっとり見られては、たまったものではない。しかも自分に非があるのを十分承知しているラピスとしては、怒鳴るなり何なりの行動を起こしてもらえなければ動くに動けないのだ。
 ガヤットは一瞬悲しそうな、何かを考えるような表情をして顔を逸らすと、空けておいた左手を素早く動かした。とたん、

 バッチン!

「ちくしょー、お前なんか『深爪の刑』だ!」
 復讐の復讐を受ける前にずばばっとラピスから飛び離れたガヤットは、既に執行し終えた刑の名前を叫んでラピスを指差した。そのラピスはあまりのことに言葉を飲んで茫然としている。
 ガヤットは構わず続けて、
「ああもう、あぁもう、
 今夜の晩飯、ハムがレバーに変更になっちゃったじゃないか、覚えてろよ!」
 と言うがはやいか、身を翻して逃げて行った。
 あとには深く悶絶するラピスがのこるばかりである………。

* * * * *

 そして翌日―――――。

 ラピスが登校すると既に他のメンバーは揃っていて、それぞれが思い思いのことをしていた。
 そして、挨拶は交わすがそこまででまた自分の作業に戻る級友の内、ガヤットだけは文字通りすっ飛ぶような早さで近寄ってきて、開口一番に
「ごめんなラピス、昨日はオレ、突然爪とかきっちゃって!」
 と叫んだ。
 もう一人の友達であるフェイトは、教室の奥の方でそんな二人をニヤニヤと見守っている。ガヤットから昨日の出来事を聞いて面白がっているのが丸分かりだ。
「夕べの内に謝ろうかとも思ったんだけどさ、ラピスドアの鍵閉めてたろ?やっぱ怒ってたよな?
 ほんっとさ、オレ馬鹿でごめんな、反省した。なー、許してくれるだろー?」
 こぼれおちそうなくらいつぶらな目で見上げながらそんなことを聞かれては、「許さない」などとは言えない。
 ラピスは、昨日までは爪に覆われていた柔らかな指の肉がもたらすじくじくした痛みに耐えつつ、「ああ」と答えてやった。悪かったと思って反省してくれたのなら再発の恐れはないだろうし、と一つ頷く。
「元はと言えば手袋を忘れた俺が悪いんだし、お互いさまってことでさ――」
「じゃ、これ、お詫びのシルシ! エンリョせず使ってくれよな♪」
 ばさっ。
 満面の笑顔で何かの紙の束を押しつけるように渡し、昨日の逃げ足もかくやという素早さでガヤットは自分の席に戻っていった。これでこの件は終わり、といった妙に潔い切り方がガヤットらしい。
 と、同時に教室の奥でフェイトが吹き出す。
 何となく嫌な予感がして、ラピスは手にしたものをそっと見下ろした。

『爪きり券、ラピスだけムリョウ。
 こうか:この券を使うと、いつでもオレが爪をきってやる。
 きげん:ラピスがオレのトモダチでいる限り、ずっと。    ガヤット』

 がっくりとうなだれるラピスに、フェイトが益々笑いをつのらせたのは、言うまでもない。


 細心の注意を払いながらラピスの爪を切りそろえるガヤットと当のラピス両名を指して「新婚夫婦」と称したのは誰だったか――ともかく嫌とは言えない性格のラピスは、「次はいつ使うんだ?」なんて瞳を期待に輝かせて聞いてくるガヤットに抗えずに、今日も周囲に半ばあきれられつつそっと手を差し出すのであった。

    fin.



ラピスバージョン by アサギ@ラピスPL


 ルナリェストの街の端にあるリェスト大学。
 今年開設されたばかりのこの大学は、将来有望な人材を育成することを目的として、様々な分野の学科が創立された。その中の一つに魔法学科がある。
 この魔法学科は史上初の魔法を専門に勉強できる学科として注目されていた。
 しかし、この学科の長・イシの弟子の魔術師二人が問題を起こしたことにより、魔法学科の評判は途端に悪くなってしまった。
 生徒の入学も絶望視されていたが、何とか6人の生徒が入学した。
 学校生活の始まりである入学式も無事(?)に終わり、前途多難な学校生活が始まった。
 最初のうちは初めてのことばかりで緊張していた生徒達だったが、最近は授業にも慣れてきたせいか積極的に質問なのどもしてくるようになった。
 そんなある日のこと。
 生徒の一人、ラピス・クレストは今日もまじめに授業を…受けていなかった ←(==;)。
 教壇で一生懸命説明している担任の話を半分も聞かずにボーっとしている。
(あ〜、眠い…)
 あくびをかみ殺しながらノートにメモを取っていく。
 ちらっと周りを見渡すと、みんな差はあれど、きちんと授業を聞いているようだ。
 中にはノートいっぱいに細かい字でビッシリと板書している者もいる。
 ページの半分も埋まっていないラピスは小さくため息をついた。
(仕方ない…後で誰かに写させてもらうか)
 結局ろくにノートを取ることもなく授業は終了してしまった。

「さて、誰に写させてもらお?」
 寮に戻る廊下を歩いていると、前方に見慣れた赤い頭が見えた。
(…あいつに頼むか)
 あいつ=ガヤット・キッドはラピスと同じ魔法学科の第一期生として入学した生徒の一人だ。
 入学してすぐ仲良くなったため何かある度に世話になっている。
 窓の前で立ち止まっているガヤットにスタスタと近づいていって肩をたたいた。
「ガヤット、ちょっといいか?」
「ん?」
 と、ガヤットが振り返った瞬間…!
 プスッ
 なんと、ガヤットのほおにラピスの爪が刺さってしまった!!
(煤i○□○)やっべ!)
 キャウであるラピスは手の爪が他の種族に比べ長く鋭い。爪を武器に戦う武術もあるくらいだ。
 下手をすると、自分の爪で自分の手を傷つけてしまうこともある。
 なのでラピスも爪の扱いには十分注意を払っていた。
 いつもは爪を隠すために手袋をはめているのだが、今日は運悪く手袋をしていなかった。
 ガヤットの左のほおをツゥーと赤い血がつたっていく。
「ああああ、ご、ごめん!!」
 あわてて手を引っ込めたが時すでに遅し。
 見る見るうちにガヤットの顔が険しくなっていくのが解った。
(うわ〜、どうしよう… ○×○;)
 普段のラピスならすぐに次の行動に出るだろうが、
 いつもと違う雰囲気のガヤットを見て動揺したのかその場に凍りついたまま動けなかった。
「………」
 気まずい沈黙が流れる……。
 ラピスは意を決して声を掛けてみた。
「ガ、ガヤット?」
 ラピスが顔をのぞき込んだ瞬間、いきなりガヤットがラピスの手首を掴んだ。
「ラピス〜…」
「は、はい!?」
 ゆっくりと顔を上げたガヤットの手には、どこから出したのかいつの間にか爪切りが握られている。
「あ、あの…その爪切りは何?」
「お仕置き。深爪の刑じゃ!!」
「煤i〇◇〇)ギャーーー!!」
 普段おとなしい奴に限って、キレると何をしでかすか分からないものです。
 結局ラピス君、右手の爪を一本残らず深爪にされてしまいましたとさ。

    (チャンチャン)