Ereia=EiaDiksErenNuna―イレイア・エデン―

   148年ラムジスの月18日
 近所のノア家に子供が生まれた。
 私より2歳下だけれど、私はラミュレイの月の生まれだから、実質的には1歳しか違わないようなものだ。
 ミュニ村では最近あまり子供が生まれていなかったので、大人たちは随分ほっとしたらしい。
 私は覚えていないけれど、とても喜んでいたそうだ。
 赤ちゃんの頃だったけれど、弟分ができたのが分かって嬉しかったのかしら?

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   161年ゼレートの月**日
 夏の真っ只中だというのに、東の地方で雹が降ったそうだ。
 私の村には被害が出なかったけれど、農作物をやられてしまって、東の方の国から物資要求があったと、大人たちが怒っていた。
 どうして怒るのか私にはわからなかった。
 親切にしてあげればいいのにと思ったけれど、お父様が、村のみんなにはそれを言ってはいけないよ、と言うので誰にも言わなかった。

『それよりもう舞の勉強はいいのかい?』
 からかうみたいな口調でお父様が言うから、「よくない」って言って急いで準備を始めたっけ…。
 お父様は私が村の外のことに興味を持つのを嫌ってらしたから、私はうまくはぐらかされてあげた。
 もちろん、舞の勉強が大事だったこともあるけれど。

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   162年ラムジスの月**日
 よくない噂を耳にした。
 東の国で、私たち獣人の地を占拠しようという声が上がっているそうだ。
 先月おきた地震で、私たちの住む住居が無事だったからだろうか。それともその後、獣人が手を貸したアムジア共和国の復興が、早かったせい……?

『母さんが毎日毎日ぼやくんだ、戦争にならなきゃいいけど、って。
 父さんが戦争にもっていかれるんじゃないかって心配してるんだ』
 数日前に14歳になったばかりの幼馴染のディムが、もうすっかり大人の顔でそう言った。
『父さんは戦争で死ぬかもしれない』
 私はそんな言葉は言ってはいけない、それは禍言だと言ってディムを責めたけれど、彼は結局撤回しなかった。

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   162年ユーリスの月**日
 おじさまが従軍を決めてからずっと、おばさまは悲しい顔でおじさまの支度をしていらした。
 おばさまは夜中こっそり神殿に来ては、おじさまの無事を祈っていた。
 私のお母様は早くに亡くなっていらしたから、おばさまが私を育ててくれたと言っても過言ではない。
 そのおばさまがリーナイアの像の前で跪いて一心に祈る姿は、何だかとても悲しかった。
 …あの日ディムが言った通り、ノア家のおじさまはその後二度と帰らなかった。

『俺は、成人したら戦いに行く。
 戦場で父さんに会えるかもしれない。会えなくても探すんだ。
 それで、母さんに知らせてやって、会わせてやって、無事でよかったねって泣いてもらうんだ』
 ディムが言った。もう決心した目だった。
 できるなら「やめて!」と叫びたかったけれど、何も言えなかった。
 理由を聞かれたら困るからだ。私もディムみたいに禍言を言ってしまうかもしれない。
 ディムまで帰ってこなかったらと思うと、とにかく泣きたくなって、その日はすぐに別れた。
 おばさまも、ディムの決意を聞いて泣いた。
 いつだって悲しむのはおいていかれる私たちだ。

      ■   ■   ■

   162年ラミュレイの月21日
 16歳の誕生日、私は正式に舞姫になった。
 もちろん、お父様の神殿で神に舞いを奉納する、神殿付きの舞姫だ。
 これでディムの無事を願って毎日でも踊ることができる。
 私は他の誰に知らせるより先に、ディムの元に行った。

『神殿付きの舞姫さまなんだから、ちゃんと神様のために舞わないとだめだよ、イレイア』
 私はディムのためだけに踊りたいのに、ディムはちっとも私の気持ちをわかってくれない。
 困ったように諭されて、私は「そうね」としか言えなかった。
 私はこんなにディムのことが好きなのに、彼は私のことなんて気にもとめていないのだ。
 私は無性に泣きたくなって、いつかのようにすぐに彼に背を向けた。

      ■   ■   ■

   163年**の月**日
 ノアのおばさまが心労で寝込んでしまわれた。
 ライネをはじめとする獣人の村が次々に戦火にやかれて、砦の建築が始まった頃だった。
 おじさまが帰ってこないせいだとディムは言ったけれど、本当はディムまで戦争で失ってしまうんじゃないかと心配しているのだ。
 ディムは全然分かっていない。
 剣の練習に出てしまうディムのかわりに、私がおばさまの側についた。
 おばさまがしきりにディムのことを気にするので、私は時々彼の様子を見に行く。
 戦争に出るために鍛錬に励む彼を、なるべくなら見たくなかったけれど、私は頼まれるたびに見に行った。
 とても悲しかった。おばさまがおじさまを送り出した時の気持ちがよくわかった。

      ■   ■   ■

   164年リーナイアの月末日
 おばさまが逝ってしまわれた。
 来月にはディムの16歳の誕生日がある。彼が戦に行くと決めた日だ。
 おばさまは、もう二度と戦争に出ていく背中は見たくないと呟いた。
 私だって見たくなかった。
 おばさまはディムを見送ることを拒んで、こんなに早くに逝ってしまわれたのだ、そう思った。

      ■   ■   ■

   164年ラムジスの月18日
 とうとうディムの誕生日がきた。彼は宣言通りナイツになってしまった。
 見送るのが嫌で家にこもっていたら、ディムが迎えにきてしまった。

『俺は絶対に帰ってくる、帰ってきてお前を幸せにしてやる』
 信じられなかった。
 それならどうして、村に残ると言ってくれないのだろう。
 どうして彼は私をおいて、戦争になど行ってしまうのだろう。
 たくさんの「どうして」が頭の中を巡って、結局私は何も言えなくなってしまった。

『証拠が欲しいの。1ヶ月だけ村を出るのを待ってちょうだい――――』
 結局最期にそれだけ言って、私は彼から1ヶ月の猶予をもらった。
 でもどれだけ時間があったって、彼を笑って送り出せるような気持ちなんて作れない。

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   164年ウィリアの月13日
 お父様は狂ってしまわれた。
 はじめはそう思った。でも違った。
 お父様は神殿で祈りを捧げる時と同じ目で私を見て「ずっとお前が欲しかったのだよ」と言った。
 恐かった。お父様ではないような気がしたけれど、やっぱりそれはお父様でしかなかった。
 3日前にディムと式をあげたばかりで、昨日までディムの腕の中にいて、そして今朝彼を送り出した。
 私は花嫁で、お父様はその父親で、ああディム、やっぱりあなたを送り出すんじゃなかった…!
 私は成すすべもなく、涙でぼやける天井をじっと見つめるしかできなかった。

      ■   ■   ■

   165年リーナイアの月24日
 子供が生まれた。
 お父様が子供を見たいと言って何度か部屋の前に来たけれど、会いたくないと言って拒んだ。
 私は喜ぶべきか悲しむべきか、わからずにいた。
 年の初めにお父様がどこぞから身請けしてきた娼婦が、親身になって世話をしてくれた。
 シティカライズさんはとても強い人だ。私は何度彼女に救われたろう。
 お父様が夜中寝所に来るたびに、彼女が出ていって遠ざけてくれた。

      ■   ■   ■

   175年ユーリスの月**日・夜
 ディムが帰ってきてくれた。
 私はどうしていいかわからなくて、とにかく泣いた。
 辺りに散らばっている私の服とお父様の服とを、隠すことなんて考えつかなかった。
 ディムは何も聞かなかった。
 ただ、「嵐が来る」と言って私を立たせた。
 私は彼に言われるままに支度をして、シエルを起こして、そして神殿に向かった。
 恐かった。

『嵐がくるの?』
 繋いだ手から震えが伝わったのか、シエルが不思議そうな顔で私を見上げて言った。
『母さん、嵐がくるの?』
 私は死ぬんだと思った。
 でもこの子は生き残るだろうと思った。
 なぜだかわからない、でも確信があった。
 私はシエルの青と琥珀の瞳を見つめて、「そうよ」と答えた。

      ■   ■   ■

   175年ユーリスの月**日・翌朝
 神殿につくと、私はシエルと共にリーナイアの像の前まで行き、そこでディムを待った。
 村人たちを思う。きっと彼らはもう、この世にはいない。

『シエル。愛しい子。
 あなたは私の子よ、私とあの人の子供。
 その瞳に誇りを持って。あなたはきっと、幸せになれる』

 神殿の扉が鳴る。
 彼が、ディムが来たのだ。
 …愛しているわ、ディム。
 私はシエルに扉を開けるように言った。

『父さまを助けてあげてね、シエル…。ディムを、あの人を救ってあげてね…』
 何も疑うことなく扉を開けに行くシエルの背中に、呟く。

      ■   ■   ■

 ―――――――――愛しているわ、ディム。
 だから貴方の子を連れていかないで。
 ―――――愛してる。
 シエルは、これからを生きる子よ。

      ■   ■   ■

   175年ユーリスの月**日 ――嵐のあと
 嵐は去った。
 村じゅうを蹂躙した自然界の嵐も、あの人の心の中でおこった嵐も。

『シエル』
 あの人が呼んでいる。
『シエル』
 あの子の腕をつかんでいる。
 …………連れていっては駄目よ。
 ………連れていってはだめ。
 私にはもう目も耳も口も腕も足も翼だってないけれど、あなたを止めることくらいわけはないのよ、ディム。
 私は幸せだったわ、貴方と出会えて。貴方を愛することができて。
 だからあの子にも幸せをあげて。連れていかないで。
 シエルなんていない。見てはだめ。連れていってはだめ。お願い。
『イレイア…?』
 そう、ここにいるのは私だけ――――――。

    fin.