Dim=NoaAicIyZats―ディム・ナイツ―

   162年**の月**日
 年が明けてすぐ、中規模の地震が起こった。
 俺たちの村は元々の自然をそのまま使った建物ばかりだったので、あまり大きな被害は出なかった。
 石造りの建物が多いアムジア共和国などは結構な被害だったらしいが、ヴィーラントの協力もあって早く復興できたようだ。
 ミュニ村からも何人か手伝いに行ったようだったが、俺は他国のことよりも剣の鍛錬の方が大事な年頃だったから、それっきりアムジアのことは忘れた。
 一月後くらいに、今度はさらに大きな地震が起こった。
 この地震の辺りから、周りの国が妙なことを言い始めたのだという。
 父さんたち心配そうに話していたのを覚えている。
『アムジアの早期復興を見て、リーナイアを手に入れれば自分の国も、と考えた馬鹿がいるんだろうさ』
 なんて父さんがぼやく側で、母さんが鍋をかきまわす手を止めて言った。
『戦争に、ならなきゃいいけどねぇ……』

 父さんは村の警備やなんかをやっている人だったから、戦争があったら真っ先にかりだされるだろうことを、母さんは心配していたんだと思う。
 父さんは低い声で「そうだな」と言ったきりだった。
 前の年の夏、霜が降って農作物がやられた時、傲慢な態度で物をよこせと言ってきた人間たちに反感を持っている獣人は少なくなかったから、いずれどちらかが手を出すだろうことは明白だった。
 この時もう、父さんは戦争が確実に起こることを予期していたのだと思う。

      ■   ■   ■

   162年ユーリスの月**日
 戦争が始まった。東の方にあるニネアの村が初めの犠牲になった。
 ニネアは占領されただけだったけれど、父さんは武器や防具の用意を始めた。
 母さんは毎日悲しい顔で父さんを見ていた。
 泣くかと思ったけれど、結局父さんが村を出る日になっても泣かなかった。
 ニネア村が焼かれて、ヴィーラントの長老が戦うことを決めた翌日か翌々日だ。
 父さんはそれっきり帰ってこなかった。
 俺も成人したら戦いに行くよ、と告げた日、母さんが初めて泣いた。

      ■   ■   ■

   162年ラミュレイの月21日
 16歳の誕生日を迎えた幼馴染のイレイアが、舞姫(ナーナ)になった。
 舞姫になることは彼女が幼い頃からの夢だったし、彼女の家は昔から神官や巫女などを多く排出してきた、いわば神殿付きの家系で、彼女が神殿付きの舞姫を選んだのは当然だった。
 この時俺は14歳。一足先にマーヴィを脱した彼女を、ただ憧れの目で見ているだけだった。

『私、貴方のために神殿で舞うわ。
 貴方は戦に出ると言う、だから貴方の無事だけを願って一生懸命舞うわ』
 俺はまだ子供だったから、彼女がどうしてそんなことを言うのか分からなかった。
 彼女とは生まれた時からの付き合いだったから、それで特別に俺の無事を祈るということかと、俺は思った。

『だめだよイレイア。神殿付きの舞姫さまなんだから、ちゃんと神様のために舞わないと』
 イレイアは少し残念そうな顔をして、「そうね」とだけ答えた。

      ■   ■   ■

   163年**の月**日
 前年末にライネ村が落ち、今年になって砦が作られた。
 滅んでしまった村の人々の収容も兼ねる砦だそうだ。
 俺は剣の鍛錬に励んだ。
 教えてくれていた父さんや父さんの仲間は皆戦いに行ってしまったから、俺は一人で動かない木や森の獣を相手に、いままでの総ざらいをした。
 友達はいなかった。同じ年頃の子供といえばイレイアくらいしかいなかったからだ。
 イレイアは時々こっそり来て、母さんと同じ悲しそうな目で俺を見ていた。
 母さんはこの頃から寝たきりになってしまった。きっと父さんが帰ってこないからだ。
 一人だけいた薬師である村の神官、つまりイレイアの父親は心労だろうと言った。

      ■   ■   ■

   164年リーナイアの月**日
 とうとう誕生日が来月にまで迫った。
 俺は強かった父さんを越える腕前にまで、剣を扱うのがうまくなった。
 イレイアとはしばらく会っていなかったが、彼女も神殿での勤めが大変なんだろうと思っていた。
 久しぶりに見た彼女は、何だかとてもきれいになっていた。
 彼女は神殿を抜け出してきたのだと言って、ひらひらした裾の長い白い服で、くるりと回ってみせた。
 その日は剣の練習を休みにして、1日中イレイアの踊りを見ていた。
 日が暮れて心配した彼女の父親がイレイアを探しにくるまで、彼女は踊っていた。
 別れ際、イレイアは悲しそうに笑った。

      ■   ■   ■

   164年ラムジスの月18日
 16歳の誕生日、俺は軍人(ザッツ)になった。
 母さんは俺の成人を待つことなく、数日前にひっそりと息を引き取った。
 俺は絶対に帰ってくるとイレイアに約束した。
 俺はイレイアのことを好きになっていた。だから必ず帰ってきて幸せにしてやると約束した。
 イレイアは「信じられない」と呟いて、「どうして」と続けた。
 俺は告白の訳を聞かれたのだと思って、イレイアに率直な気持ちを打ち明けた。
 けれどイレイアは「違うわ」と言って泣き出してしまった。
 何を違うと言って彼女が泣くのか分からなかった。
 ただ、戦に出る前にもう一度彼女に笑って欲しかったから、俺は彼女を泣き止ませようと懸命になって言った。
『泣くなよ、イレイア。
 俺にできることなら何でもしてやるから、頼むから泣かないでくれよ』

 泣き止んでから少しして、イレイアがぽつりと言った。証拠が欲しいの、と。
 彼女が本当に言いたいのは別のことじゃないかと思ったけれど、俺は黙って続きを促した。
『貴方が帰ってくるっていう証拠が欲しいの、私が待てるっていう証拠が欲しいの。
 私だってずっと貴方が好きだったわ。だけど貴方は戦争に行ってしまう。
 せめて1ヶ月だけ待ってちょうだい、私に愛を確かめさせて―――』
 また泣き出してしまったイレイアの隣で、俺は頷くしかできなかった。

      ■   ■   ■

   164年ウィリアの月13日
 3日前、俺とイレイアは式をあげた。
 戦争中で物も不足していたし、祝福してくれる親も親戚も友達もほとんどいない寂しい式だった。
 イレイアはそれでもいいのだと言って、また例の少し悲しそうな目で笑った。
 2日間ずっと2人で過ごして、俺もイレイアも大人になった。
 式から3日目の朝、イレイアと義理の父となった彼女の父親に送り出されて、俺は戦場へと向かった。
 イレイアは父さんをおくりだした時の母さんと同じように俺を見送っていた。

      ■   ■   ■

   165年リーナイアの月**日
 子供が生まれるという知らせを受けて、許可を貰ってミュニ村に帰った。
 子供は24日に生まれたという。
 第一子なので、舞姫になる前のイレイアと同じイデムを名乗ることになる。
 イレイアと共に考えて、シエルと名付けた。
 義父は「これでイア家の血は安泰だ」と言ってとても喜んでいたが、イレイアは少し疲れた顔でシエルを見下ろしていた。
 俺が17の誕生日が過ぎるまで村にいられることを告げると、やっと微笑んでくれた。

      ■   ■   ■

   175年ユーリスの月**日・夜
 季節はずれの嵐が接近しているという。
 心配になった俺は、一時帰郷の許可を貰って再び戦場を離れた。
 子供が生まれてからは戦況が好転するたびに許可を貰って帰っていたので、少し後ろめたかった。
 しかし村に残るのは戦争に参加できないような年寄りや子供ばかりだ。
 物も人出も不足しているあの村が、嵐に耐えられるわけがない。
 せめてもっと大きな村へ誘導することができれば、村は駄目でも人は生き残れる。
 イレイアとシエルの顔を思い浮かべながら、俺は道を急いだ。
 村についたのは真夜中だった。
 ―――――イレイアは、泣いていた。
 原因はすぐに分かった。義父だ。義父が、イレイアを汚したのだ。

『イレイア、嵐がくる。
 俺は義父さんと一緒に皆を誘導してくるから、お前は神殿で待っていてくれ』
 その時俺はどんな顔をしていただろう。
 イレイアが安心できるように、微笑んでいられただろうか。

 俺はその時既に、狂っていたのかもしれない。
 イレイアがシエルを連れて神殿へ向かったのを見届けて、まず義父の両手を切り落とした。
 イレイアを汚した手…これでもう、義父は俺のイレイアに触れることができなくなった。
 意識は妙に落ちついていた。
 苦しんでいる義父をひきずって、俺は村の家という家を尋ねてまわった。
 もちろん、イレイアに告げたように安全な町まで誘導するためではない。
 老人から子供まで、男も女もみんな一太刀でなぎ払った。
 彼らの流す赤い血液が、イレイアの流す涙のように思えた。
 顔に新しい血が降りかかるたび、義父はひきつった悲鳴をあげた。
 イレイアを慰めるために、俺は懸命になってすべての村人を殺した。

『俺も死ぬ。イレイアも連れていく。村の皆も。
 お前だけは別だ。
 お前だけは一人きり――――ねえ、義父さん』
 俺は笑って、義父に火を点けた。
 年老いて干からびかかったその体は、生きたままでもよく燃えた。
 …雨が降り始めた頃には、義父の存在は欠片も遺さず完全に無くなっていた。

 家に戻った俺は、最後にイレイアの唯一の友であった女を柱に張り付けにした。
 義父が身請けてきた娼婦だったが、イレイアが彼女を好いていたので、なるべくきれいに殺せるようにと心がけた。
 抵抗はなかった。剣で喉を一突き、それであっけなく彼女は逝った。

      ■   ■   ■

   175年ユーリスの月**日・翌朝
 嵐が来た。激しい風雨の中、俺はイレイアの待つ神殿へと向かった。
 もう誰にも触れさせない―――それは独占欲だ。
 シエルはどうしよう。
 赤子のシエルを見下ろす義父のあの喜びようが浮かんだ。
 次の瞬間にはシエルの存在も義父の存在も、俺の中から消えていた。
 イレイア、お前に会いたい。
 ただそれだけを思って、神殿の扉を叩く。

『ディムを…、彼を助けて――――、シエル…』
 イレイアが最期まで繰り返し言っていたのはそれだった。
 いつかの、あの悲しそうな笑顔。
『愛しているわ、ディム……』
 そう言ったまま、イレイアは冷たくなった。
『ああ、俺も愛している、イレイア』
 俺も笑いかえして、手にしたイレイアを貪り食らった。
『イレイア、俺の舞姫。俺がお前を永遠にしてやる。俺は永遠にお前を愛そう。
 俺がお前を傷つける全てのものから守ってやる。
 俺が傷つける以外にお前を傷つける者は、もういない……』

 外に出ると、嵐はいつのまにか止んでいた。
 思ったとおり村の家屋はやられていた。強固に作ってあるはずの神殿も、無傷ではなかった。
 俺も早くイレイアの側に行ってやらなければ。
 そう思って、剣を探した。あれには村人たちの血がこもっている。
 あれでなければ、寂しがりやのイレイアの元に村人たちを連れて行けない。
 剣を求めて振り返った視界に、白い翼が見えた。
 何だったかと思って一瞬躊躇したが、ソレの名前はすぐにわかった。

『シエル』

 シエル…?
 違う、イレイアだ。
 イレイアはまだ、けがれきったこの世界にいるのだ。

『イレイア…?
 どこにいる、イレイア………?』

 剣を拾うと、俺は神殿を出た。
 イレイアが見つからない。
 恐がりなのに、泣き虫なのに、寂しがってよく泣くのに、悲しそうな顔、涙、白い翼と銀色の髪、ひらひらした裾の長い白い服。腕。銀の髪。青い瞳。舞姫。くるくる回る――――――。
 早く探し出して、そばに行って、抱きしめて……。
『イレイア…?』

      ■   ■   ■

   164年ユーリスの月**日  ※下旬
 イレイアがいなくなった日から数日が過ぎた。
 俺は比較的近くにあったクリュナの村にたどりついた。
 数日前の嵐のことはこの村にも伝わっていたらしく、村人たちはねぎらいの言葉と共に俺を迎え入れてくれた。
 俺は嵐から避難させた村人や共に行ったはずのイレイアのことを説明して、見かけなかったかと尋ねたが、クリュナ村の人々は皆、知らないと言って首を振った。
 残念だが、ここにイレイアはいないらしい。

 疲れきっていた俺は、2、3日クリュナ村で世話になることにした。
 クリュナ村は傭兵や護衛を生業とする者が多いのだそうだ。
 村に残っていた子供たちに請われて、俺は剣術を教えてやった。
 父さんのようにはうまくいかない。
 俺の持っている剣を見せて欲しいと言われたが、俺は丁重に断わった。
 抜いてはいけない気がしたのだ。

 ―――嵐の気配がする。
 俺の何気ない呟きを聞いた者がいただろうか。
 イレイアは嵐の夜にいなくなってしまった。
 探さなければいけない。寂しがっている。
 …違う、イレイアの元に行く前に、村人たちを連れていかなければならない。
 でないとイレイアがきっと寂しがるだろう。
 俺はこの村に来て初めて、剣を鞘から抜いた。

      ■   ■   ■

   164年ユーリスの月**日・翌朝  ※下旬
 俺は、この村が違うことに気付いた。
 ミュニ村ではない。クリュナ村だ。
 イレイアの知らない者ばかりいる村だ。

『すまないイレイア、間違ってしまった…』
 間違った者たちは連れてはいけない。
 そうだ、ミュニでそうしたように、連れていけない者は消さなければいけない。

 俺は無人の村に火を放って、そこを出た。

『――――ああ、嵐が来る。
 すまないイレイア、すぐにお前を見つけ出してやるからな……』

 俺は再び、歩き出した。

    fin.