あの青い空と/白い雲のように

「つまりね、」
 結論だけ済まそうとする始め方で、ソファに沈んでいた宇宙人がのたまった。
 透ける水色の髪に柔らかな日差しがきらきら光るような、うららかな午後の一幕。
 それまでの前振りも途中のあれこれも見事にすっ飛ばされ、仲良くお話でもしましょうかという談話室の役割は、遥か銀河の彼方まで。
 開いたばかりの入り口がシュンと閉まる音を背後に聞きながら投げた、あからさまに怪しむ眼差しの意図は、残念ながら届かなかったようだ。
 視線を正面から明らかに受け止めて、へにょっとした笑みまで浮かべ、彼――キイトという通り名の宇宙人は先を続けた。
「つまり俺はこの惑星で言うところの雲、のようなものだと思うんだけどどうかな。堅くて。動いたり話をしたりする愛嬌があって、そりゃあ―――」
「妙な雲だ」
 そりゃあナニナニなんだと言いかけたところに、わざとらしく口を挟んでやる。
 ひょいと肩をすくめてソファの向かいに回りこむと、一度止めた口を予想外にすぐに動かして、キイトは穏やかに微笑った。
「うんまああんたにしてみればそうかもしれないね、」
 相変わらずゆるい口調だ。
「でも大事なことだと思うんだけどどうかな」
 それにゆるい笑み。
 Ah... I get it,確かに。今目の前にいるのは、雲のように掴めない、そして妙なイキモノ。
 机上の飴の瓶詰めを手元に引き寄せ、元々俺のものではないものを俺のもののようにしてひと包み取り分けてやる。どうせわけが分からないという点において相似関係にあるのだから、地球に来て間もない宇宙人の扱いなんて、孤児院のちびどもと同列。
 安くはないだろう数人掛けのソファに遠慮なくどかっと腰を下ろして、俺は「それで?」と聞いてやった。
「雲らしく空にでも浮かびたいって?」
 はっきり言って相槌は適当だ。まあ、髪といい肌といい態度といい、いつ会っても消えそうに薄い男だ、飛ぶというより漂うといった方が似合うだろう、くらいのことは考えたが。
「それならクラゲがいいな俺は、浮かぶなら」
「空より海か」
 キイトの青いもの好きは有名だった。それも、海、空、絵の具の青の順で。
「つまり俺はこの惑星で言うところのクラゲ?」
「話を聞け」
「でももったいないよね、俺は青く見えないのはいやだなあ」
 …。そうだなあ、と俺は同意してやる。
 ぼんやりしたクラゲの視界ってどんなだろう、とキイトは言った。
「We'll see.」
 今に分かると返してもうひと包み飴を出してやる。
 本当に小さいちびにしてやるように袋の口まで開けて差し出すと、キイトは嬉々として手を伸ばしてきた。乳白色だからミルクだろう。彼はそれをためらい無く口に放り込む。
「味覚と同じかなと思うんだ。クラゲは味覚が無いかな、どう思う」
「I'll see.」
「でも俺は海の水が、塩辛いことはもう知ってるんだよ、快挙だよね。喉がひりひりして死ぬかと思ったけど死ななかった」
 始めの飴は手の中に、次の飴は口の中に転がして、キイトはソファに行儀悪くへたれた。元からへたれていたが、それがもっとへたれた。当社比。
 机の下で彼の膝を蹴って、「You see」、そら見たことかと言ってやる。
「いいか聞けよ、すぐガス欠起こす奴がこんな所に一人で居るな。自力で飴食う余力くらいは残しとけ。それとおまえ話の区切りがおかしい。ちゃんと息継ぎはしろ」
 キイトはあぁと笑って、「海?」と呟いた。seeとseaを聞き間違えたものらしい。
 エス、イー、イー、si:。アルファベットで区切って教えてやる。
「ああ発音は同じか…。You see.と言ったんだ」
 瓶に突っ込んだ指先に引っかかったもうひと包みを、取り出して剥いてホラと渡す。キイトはそれも大人しく食べた。
 あの不自然な赤さは甘さを調整されたイチゴ味だ。するとイチゴミルクか。
「あぁうん、アイ・シー」
「それも寄越せ、開けてやる。それとも持って帰るか?――くそ、青いやつは無えな、この瓶詰め」
 最初に出してやった飴玉だけが、かろうじて青っぽいといえる。
 手のひらにのせたそれをころりと転がし、キイトはやはりタンポポの綿毛よりふにゃりとした笑みを浮かべて土産にすると答えた。
「Mercier...?」
「そりゃフランス語だ」
 透明な袋に包まれた薄青さは彼に似ている。


 ――その十数分前。

 恐ろしいイキモノだなあんた、そう言われた昔を思い出して、キイトは薄く笑った。いつだったか、彼の住む惑星を視察に来た異星人が漏らしていったものだ。地下深くに隠れるようにして住む同胞の中でも、比較的上層に部屋を持っていたキイトは、よくそういった異星の客人の相手を任されていた。
 どんな話の流れだったのか思い出そうとして、しかし早々にその努力を止める。なぜなら、いつどこからの訪問者でも変わらず、必ず3つは質問をすることを彼は経験上知っていたからだ。つまり、名前は何か、能力は何か、夢や希望は何か。先の発言が出たのは、おそらく能力についての話だったに違いない。能力、細分類するなら、食事に関するそれ。
 霞を食べて生きるという地球の喩えを、キイトは案外気に入っていた。「この辺りの…」と少し手を伸ばした辺りを撫ぜ、「エネルギーを、摂りいれる」のだと説明する手間が、その喩えによって大幅に削減できるからである。だからたいていそのように説明する。分かったような顔をして頷く者や、興味の無さそうにする者、逆にそれはつまりとさらなる説明を求める者など、反応はまちまちだ。彼は求められれば説明を続けたし、問われれば素直に答えた。元来話嫌いでもない。分子だとか元素だとか物質を構成する粒について説明するのは一苦労だが、繰り返すうちにだいぶ慣れて楽になった。
 ああそうだ科学者だったとキイトは思い出す。あの異星人はコーヒーカップを持ち上げて、じゃあ食べてみせろよと言ったのだ。カップは熱いコーヒーで満たされていて、キイトは「うん?」と首をかしげて、立ち上る湯気を眺めた。一緒についてきた秘書らしき異星人が、笑顔を浮かべたまま動こうともしない部屋の主に代わって、勝手に淹れたものだった。
 たいていの科学者は、常に知的好奇心を満たすべく邁進している…――よしよしいい調子だぞとキイトは思った。思い出そうとしなくても思い出されてくるというのは、今この時においては都合の良いことだった。思考はエネルギーを消費する。無駄遣いはいけない。
 机の上に乗った飴の瓶詰めのカラフルさを、裸眼で眺める。彼はそうしてものを食すこともできた。粒にばらして摂りこむのだ。ものというのは存在する全てのことで、彼は人を食す、つまり殺すことができる自分を知っていた。だからなに、というのが正直な感想ではあるが、科学者が「恐ろしい」と評したのはその部分に違いなかった。
 眦の方からじわりと始まった痛みが全体に及ぶ前に、キイトは目を閉じた。色に乏しい星で育った彼の目は、光のもたらす刺激に弱い。いや、光だけではない、熱にも、圧力にも、騒音にも…。それで結局あの時はどうしたのだったか、そうだ、言われた通り食べたのだった。湯気が目に見えるほど熱いコーヒーは願い下げなので、ポーションミルクをうんと入れてすすった、そのはずだ――記憶は労せずして次々蘇る。
 あの異星の科学者はそれはもう酷かったと、彼は珍しく重いため息をついて、また薄く笑った。彼の星では食べるという概念があまり浸透していない。口から摂取しようと直接肌に摂りいれようと、結果としてエネルギーになることに違いはなく、そしてそれは多くの場合、呼吸と同じく無意識に行われることが多いからである。科学者が持ち上げたカップに直接口をつけたやり方は、キイトにしては満点の万人に見える形での「食べる」行為であったのに、科学者はそれを気に入らないといって喚いた。まったく酷いことである。キイトには、異星人と話す権利はあっても、その異星人の好奇心の糧を提供する義務までは無い。
 あの時みる間にやる気が萎んでいったのと同様、身奥から急速にエネルギーが失われていくのを感じて、キイトは座っていたソファにずぶずぶと沈み込んだ。彼にとって、やる気は精気に等しい。気鬱は彼の存在を揺るがす大病であった。彼の体は、元々が、惑星の抱えていた有象無象、物質を構成する極小の粒が群れ集まり結晶したものである。結束力とでもいうべき内に向かう力を無くせば、たちまち霧散してしまう危ういものなのだ。
 自分の研究室に来るにはいくらかねと尋ねた猫なで声、取り澄ました顔の秘書の赤い爪の先。思い出さなくてもいいことまで思い出したぞと、キイトはさらに脱力する自分を意識する。機嫌を取ろうとしてか、科学者はどんな物質でも簡単に分解できるキイトこそ最強のイキモノであると嘯いた。彼の体もそこに存在する限り、彼自身の手によって簡単に分解・摂取されてしまうものであるにも関わらず。実験動物扱いよりも最強と謳うことの方が存外で、あの時彼は本当に死を覚悟したのだった。だがおかげさまでまだ生きている。
 おそろしいイキモノだなあんた。思い出したことがそのままそっくり正しければ、それは去り際の科学者の言葉だった。納得できない。まったくですと、同じく去り際の秘書。いや、そんなことはもう考えなくていい。目を閉じたままそろそろとソファの表面を撫ぜ、このソファを分解したらいくつの粒になるだろうとキイトは想像してみた。それから、この部屋を覆う壁をそっくり食べてしまったら怒られるかな。分解すればすべてのものが一度目に見えない空気のようなものに変わる。彼は昔は水だった。集めて、押し込めて、運動量を減らせば、氷のように結晶する。群れ集まり浮遊する結晶体、それはそう、つまり――、


 ――それから十数分と少し後。

 それで何でお前はここにいるんだと聞いてみた。
「ああうん、たぶんあんたと同じ理由なんじゃないかな」
 というのが、ソファに埋もれた水色の髪の宇宙人の返事だ。肘を突いて沈んだ体を起き上がらせ、彼は薄く笑う。
「つまり…、そう。出会いを求めて?」
「談話室だからな」
 俺はというと、ただの暇つぶしに回り道をしてみただけだった。まあ誰か地球外生命体に会って話をしてみてもいいかと思ったのも、まるっきりの嘘じゃない。それが何故か、子供向けの飴の瓶詰めをごちゃごちゃ探り回すはめになっている。エネルギー切れでへたっている宇宙人――キイトのために。
 孤児院に行こうとここに来ようと、結局俺のすることはヒトツというわけだ。
 狭い瓶の口に指先だけ突っ込んでいるのは効率が良くなく、ありていに言えば青い飴探しに飽きて、俺はいっそザバッとひっくり返した。机に跳ねる硬質な音がぱらぱらと広がり、そして派手な極彩色で落ち着く。と、一拍遅れて「わ、あ」とへたれた悲鳴があがった。
 彼の目はあらゆる刺激に弱い、それを忘れていた自分にチッと舌打ちがもれる。
「悪い。そういやお前いつものどうした、サングラス」
 端の方まで広がった飴を、両手で集めながら聞く。目を瞑るか逸らすかしていればいいものを、しっかり開いたまま俺の動作を見守って、キイトはへたれ声で「ああうん、」と言った。そしてそれきり黙った。顔を見ればおそらく、彼は変わらずぬるい笑顔で、点数の悪いテスト結果を前にした子供のように居心地悪げに座っているに違いない。その沈黙には覚えがあった。
 元の瓶の中に手早く片付けながら、やっと見つけた目的の飴を指先で弾く。青い輪郭にぽつぽつと砂糖の白い粒がついたそれは、透明な包みにきらりと光をうかべて、あやまたず彼の手の中に落ちた。先にひとつだけ見つけてやっていた水色の横にころりと並ぶ。
「忘れてんじゃねえよ、自衛しろ」
 「じえい」と鸚鵡返しに言って、彼はまた「ああうん」と頷いた。
 まったくどこに防護壁を置いてきたのだか、痛みに涙をにじませた目が、照れたように笑う。
「あんたは空のようだと俺は思うよ、時々」
「What?」
 彼の話が唐突なのは毎度のことで、その脈絡の無さに慣らされた近頃では、反射的な疑問符が、即座に口からこぼれ出る。
 ははと笑って、キイトは目を閉じた。にじんだ涙は雫を結ばず、その目じりにとどまっていた。地球人と変わることのない透明色に、光を添える薄い笑み。水色の髪がそよそよと風にたゆたう様は、水流めいて、金魚の尾びれや蛙の水掻き、窓際でゆらぐ薄いカーテン、そういったものに共通の何かを秘めていた。
「ロウは空、海はファルディアス、すごいよね俺は大自然に囲まれて」
 嬉しそうに言う彼の声を聞きながら、たとえば金魚が水色をしていたならと俺は考える。商売に使おうなんてきっと誰も考えなかったろう。
 手を伸ばせばそっと絡みつくくせに、いつの間にかするりとほどけてしまう流動体。
「詐欺っぽいよな」
 思いついたままの正直な感想を述べてみる。彼は思案するようにゆっくり首をかしげた。薄く目を開けて笑う。すぐに閉じて首を振る。
「空だよロウ、俺があんたの傍にいて思うのは空」
 もしかして、自分は雲やクラゲ、あんたは空、と、そういう話の流れに沿っているのか。キイトに対してかなり甘くみつもれば、そう考えてやれないこともない。しかしどちらにしろ存在する宇宙規模の隔たりをどうにかする親切心に持ち合わせがなく、俺は単に「へえ」と返した。
「それでお前が浮かぶのか」
「時々からだを揺らしてみるのも楽しいかもしれないね」
「クラゲのように?」
 どこまで本気で言っているのか、冗談との境目が分からないのが彼といういきものだった。だから、からかうでなく、少々あきれた口調を前面に押し出して聞いてやる。ひょっとすると俺はとてつもなく親切なのかもしれなかった。
 キイトは微かに肩を揺らして「あんたが空なら」と呟いた。ぱちりと開いた両目は、どこまでも澄みきったすみれ色で。
 そして空色に透ける髪が揺れた。
「雲のようにだよ」