an introduction of KI-T12974
この仕事しててよかったかも。
内側から開かれたドアの横に立っていた彼を見て、私はそう思った。
「私、××調査局のものです。今、少しお時間よろしいですか?」
お決まりの台詞を口にしながら、にっこり笑って相手の目を見る。
マニュアルどおりのことだけれど、他よりもじっくり見つめてしまった。
綺麗な菫色の瞳だった。
広めの額にかかる髪は半透明の薄水色で、これも見たことのない種類の綺麗さだ。
肌も白いし唇も薄いし、この星の人は色素が薄いと聞いてはいたけれど、本当に薄い。
「…どうぞ?」
じっと見つめすぎたのだろうか、不思議そうに首をかしげながら、それでも彼は一歩下がって中に入れてくれた。
船から降りて中に入るまで数十時間、それから取材の許可を取るのに小一時間。
さらに地下にある居住区に来るまで、エレベータにエレベータを乗り継いで…なんて、彼に会うまでは物凄く長かった。
おかげで何もしないうちからくたくたで、すすめられたソファに半分くらいうもれるようにして座り込んでしまった。
白い壁、白い天井、白い机に白いソファで、ついでに私の頭の中もしばらくは真っ白だった。
彼の方はあたりまえだが涼しい顔で私の向かいに座っている。
突然訪ねてきた私に用件を促すでもなく、ただゆったりと座っているから、待ってくれているのだと勝手に解釈してしばらく黙った。
―――168歳。トータルデザイナー。一人暮らし。超能力系の特殊能力。
ここに来るまでに仕入れることができた知識を再確認してから、私はゆっくりと姿勢を正した。
まずはこちらの自己紹介をして、今回の訪問の趣旨を伝える。
この星の住民の実際を調べるという目的には、彼はふーんと言ったきりだった。
彼にとって、調べて何に使うのかとか、なぜ自分なのかなどはさしたる問題ではないらしい。
参考資料として、ということで、何枚か写真も撮らせてもらう。
その間彼はずっと自然体で、写真を撮られなれているのかと聞いたら初めてだという答えが返ってきた。
バッグにカメラをしまってテープとメモの準備をすると、私は再びソファに腰掛けた。
今度は浅く座って、心持ち体を前に乗り出す。これもマニュアルどおりで、こちらのやる気を見せるためだと説明があった。
彼は写真を撮ったままの体勢でじっと座っている。
もう一度にっこり笑って、私はテープレコーダのスイッチを押した。
* * * * *
「それではインタビューを始めます。始めにあなたのお名前を教えていただけますか?」
「キイト」
それまで凄くくつろいだ様子でゆったりと座っていたから、彼がこんなに素早く答えを言うとは思わなかった。
それに、こんなにマトモな名前が口にされることも予想していなかった。
「失礼ですが、住民権をお持ちでない?」
この星では確か、アルファベットと数字の羅列で住民を認識しているから、個人に名前はないのだったと思ったけれど…。
「…ただの識別子だよ、KI−T12974なんて」
言いざまに、部屋に入れたことを凄く後悔した、みたいな顔をされたので、私は慌てた。
始めっから失敗してしまったようだ。でもここまで来るのにかかった手間ひまを考えると、このまま追い出されるわけにはいかない。
急いで気の利いた言葉を捜したけれど、どんなに見回したって白い室内には落ちていない。色といったら彼の服だとか耳の金色のプレート、瞳に髪くらい。
服といえば、さすがデザイナー…と言いたいところだけれど普通のシャツにジーンズだった。それとも洗練されたシンプルさと言うべきかしら?
「あの」
変なことを考えながら口を開いたら見事にひっくり返った声が出てしまって、一瞬しーんとなった。
次いで周りの空気というか雰囲気が柔らかくなって、見上げたら彼が肩を震わせて笑っていた。
それで、ぐっと声をかけやすくなった。
「素敵な髪の色ですね」
「ありがとう」
笑いの名残を唇の端に浮かべたまま、彼は答えた。
口ではなんでもない風にさらっと言ったけれど、褒められたことに対して、彼は見るからに嬉しそうである。
そして私の必殺営業スマイルと同じくらいにっこり笑って、こう言った。
「コーヒーでも入れよう」
―――褒めてなかったら入れてくれなかったかしら。
いそいそとコーヒーを入れに行く後ろ姿に、そんな感想を抱く。
とてものどが渇いていたので、私は出されたコーヒーをありがたくいただいた。
熱いのでゆっくり飲み下していると、その間、彼は珍しそうにテープレコーダを眺めている。
写真を撮るのも初めてだったというから、ひょっとするとこういった機器を見たことがないのかもしれない。
「コーヒー、飲まれないんですか?」
一人で飲んでいるのも気まずいので、聞いてみる。
彼は、「俺?」と言って顔を上げた。
「うん、必要ないかな」
だったら何で自分の分まで入れてきたのかと思ったけれど、彼が非常に複雑そうな顔をしたので、聞くのがためらわれた。
またさっきのように不機嫌になられてはたまらないと、黙ってコーヒーをすする。
すると彼は私の言いたいことがわかったらしく、少し考えてから、
「―――エネルギーの吸収効率の問題がね」
と言った。何か関係があるのだろうけれど、全然分からない。
「俺たちは口でも物を食べるけれど、ほとんど意味がなくてね。普段はエネルギーだけ食べるんだ…」
すると、持ち上げてもいないのに、彼の前にあるカップの中身が少し減った。
それが、彼の言う「食べる」ということだろう。
「結果は同じ、物量は減るけど」
言いながら今度は口をつけたが、しまったという顔をして、彼のカップは机に戻された。
飲まなかったのか、今度の量は減っていない。
今のは意味が分かった。
難しいことを言って誤魔化していたけれど、要するにただの猫舌なのね、と心の中でメモする。
* * * * *
「ええと、それでは次に、あなたの能力について教えてくださいますか?」
カップを机に戻して、仕事に戻ることにする。
「超能力系のをお持ちだと伺ったんですけれど、具体的にはどういったことができるんでしょう」
言いながら反応を伺うと、彼がピンと来ないような顔をしていたので、以前会った人の例を説明してみた。
「たとえば私を宙に浮かせるとか―――」
ああ、と彼がうなずく。あの時のように突然持ち上げられたらかなわないので慌てて居住まいを正したら、また笑われてしまった。
彼は手を振って違う違うと否定する。
「それはやったことないよ。でも、氷だったらここに移せる」
彼はコーヒーカップを指差すと、やってみせようかと言って席を立った。
「水の場合が一番簡単で分かりやすくて説明しやすいんだ」
冷蔵庫らしきものから大きめの氷のかけらを取り出して私に見せ、ガラスのコップに入れると、彼はそれを冷蔵庫の上に置いて戻ってきた。
「簡単に説明すると」
前置きはこうだった。
自分でやると言ったのに、話し始めが少し面倒くさそうだったのが笑えた。
「たとえばあの氷、構成はH
2Oで、分子の運動はゼロに近い。そこでまず運動を起こさせる。すると融けて水になる。融解だね。水の次が蒸気、気化。急激に運動量を上げれば、これは昇華というね。そして、H
2Oは目に見えなくなる」
彼の言う通りに氷は融け、気化した。コップの中が空になる。でもそれはなくなったわけではなく、見えなくなっただけだ。質量はそこにある。
「それからこっちでもう一度組み立てる。今度は逆だ。集めて、押し込めて、運動量を減らしていく。…ほら、これで移動完了」
空中にできた氷が、ぽちゃんと音を立ててコーヒーの中に落ちた。なるほど。
「じゃあ、たとえば私の財布をそちらへやるとしても、原理は同じわけですね?」
「いや、それは…一度分解して別の場所で組み立てるわけだから。そうだな…」
彼は再び席を立つと、今度は紙とボールペンを持って戻ってきた。
私の見ている前で、大きく「へめへめくつし」と書く。なかなかキュートだ。
それから紙を机の右端に伏せて置いて、何もない左の隅を指差す。そこに移すという意味だろう。
了解しました、さあどうぞ、という意味でうなずいてみせると、今度は何の解説もないままに右の紙が消え、左に現れた。移動が終わったのだ。
彼の手が伸びてきて、白い面を裏返す。へめへめくつし、そう思った。でも違った。
「この点々は……」
「余り」
余り?
首をかしげてもう一度、「へめへめくつし」だった「へめへめくつじ」を眺める。全体的に、さっきよりもずいぶん小ぶりになった気がする。
「わざとじゃないよ」
「つまり…、ええと…、小さくなってしまったから、その分の線が余ったってことですか? 移動はできても、元のままにはいかない…?」
我が意を得たり、という顔で彼はうなずいた。
「もしかすると、財布の中身が変わってしまったりするわけですね?」
もう一度うなずく。
「要は観察力と想像力。と、少しの知識に経験。それから大人しく分解されてくれる物質だね。失敗しても文句を言われないような」
「さっきの氷は…」
「あれは平気。この部屋の中のものはみんな、組み立て方の手順が分かってるから」
なんだか分かったようで分からない。
「実験の成果ってことだよ」
少し首を傾けて、彼は笑った。カブトムシがよく取れる場所を見つけたと報告する少年のようだった。
そうこうしている間に先程の氷はすっかり融けたようで、コーヒーから立ち上る湯気も消えた。
彼はどうやらやっと飲み頃になったらしきそれを口に運ぶ。
薄くないのかしら?と思ったけれど、案外美味しそうに飲み干した。
* * * * *
「キイトさんのお仕事はトータルデザイナーということでしたが」
二杯目のコーヒーを前に、私は次の質問をはじめた。
「具体的にはどんなお仕事なんでしょう。確か、服飾と建築と…まあ、その他にもいろいろやってらっしゃるんでしたね」
「欲張りなんだ」
口元にゆるく笑みが浮かぶ。
「やっぱりさっきの能力を使って縫製とかなさるんですか? 彫金をしたりとか。それと、設計図はコンピュータで? 見当たりませんけど…」
「手動だよ全部。手で書いて、手で切って、手で縫って。ダイヤに限っては炭素の方が安いから手を抜くこともあるけど。そこの熊も俺の手製、ああ注文品だからさわらないで」
白いリボンの羽を生やしたテディに伸ばしかけた手を、慌てて引く。
実はちょっと前から気になっていたのだが、バレバレだったようだ。
「建築になると、俺は線を引いて飾り付けるだけ、あとは発注かな。限られた居住区をいかに広く見せるか考えるのが好きなんだ、建てるのは範疇外」
それから彼は急に身を引いてソファに背をもたれかけさせ、ふうと息をついた。いかにも、疲れたぞ、という感じだ。
それを見て、本当になんて分かりやすい人なのだろうと思う。
誉めれば喜んでコーヒーを入れてくれるし、嫌なことを聞かれると不機嫌になるし、とにかく観察を怠らなければはっきりと分かるのだ。
「代金なんかはどうなんですか?この星の金銭感覚はまだ調査中なんですけれど」
「なんのために?」
「は?」
「いや…。ええと半分趣味だからくれる人からは貰うし、払ってもらわなくてもいいし。材料代くらいは稼がないといけないけど、食うには困らないし」
それはまあ、エネルギーの吸収だけで生きていけるのだったら、食物の心配なんていらないだろうから納得できる。
「きれいな手をしてますよね。ペンだことかはできないんですか?」
「できる人はいるだろうね」
私は、はあ…、としか答えられなかった。
彼のやる気がなくなってきたようだったから特別誉められる個所を探して言ってみただけで、答えは期待していなかったのだけれど。
* * * * *
あんたもタバコを吸うか、と聞かれたので私は首を振って断った。
彼は自分が吸うことを前提にして聞いていたようで、普通なら吸ってもいいかと聞くところを、あんた「も」吸うか、なんて言ったのだ。
その証拠に、彼の口にはしっかりタバコが銜えられていて、今はもう火をつけようとしているところだ。
「ええと…それじゃあ、ちょっと普段の生活のことなんかを教えていただけますか? 睡眠時間だとか、起きている間は何をするか、これは仕事以外でですね、それから、趣味や…ああ、一人暮らしなさってるんでしたよね、料理や掃除なんかはどうなんです?」
「ううーん…」
彼は深く煙を吸い込んで、それを吐き出すとともに唸り声を発した。
身を起こして始めの格好に戻りながら、「ケース・バイ・ケースで…」と考え込む。
答えを待つ間にすることもないのでその顔を見ていたら、奇妙なことに、彼はとても不味そうな顔をしてタバコを吸っていた。
それはもう、親の仇か何かのように煙の行方を追っている……などと言ったら少し言いすぎだけれど、それに近い感じがあった。
「あの…、タバコ、美味しくないんですか?」
あまりに違和感があったので、思わず聞いてしまった。
「ああ、うん。特別うまいものではないよね、というか」
煙を追うのをやめた目がこちらを向いた。私は黙って先を待つ。
「百害あって一利なしだ」
彼は言って、何事もなかったようにまた、タバコを銜えなおした。
我ながら変な質問をしてしまったものだと思ったけれど、それ以上に彼の方が変である。
これもこの星の特色なのかしらと思ったが、まさか本人に「みなさん、そんな風に変なんですか?」とは聞けない。
しばらく待つと、彼は普段の生活について分析し終わったらしく、タバコを口から放した。
「寝てるのは5、6時間程度かな。起きたら仕事…言わなかったかな、趣味なんだ。料理はからっきしで、掃除は…まあ、この部屋を見てあんたが判断してくれないか、俺には基準が分からない」
言われたとおり見回してみると、まあまあ整理されているし、ゴミなどは落ちていないからちゃんと掃除できているのだと思う。
思ったとおりを告げると、彼はそうかとうなずいた。
「炊事に掃除ときたらあとは裁縫? 自慢じゃないけど俺、繕い物なんてしたことないよ。一から全部作るのなら…そこの壁のとか」
つまり、彼の家事能力は大部分が仕事のためにしか使われていないということになるのだろうか。
私は、繕い物をしないなら、引っかけて穴をあけてしまった服なんかはどうなってしまうのだろうと余計なことを考えた。
「あのう…、穴があいたら捨ててしまわれるんですか?」
だとしたら勿体ない、と思いながら尋ねると、彼はビックリした顔をして正面から私を見返した。
「え。どうして、もったいないよ」
ああよかった、そういう感覚は普通なんだわ…!
* * * * *
「ええと、それでは最後になりますけれども、将来の、夢ですとか、こうしたいという希望などありましたら聞かせてください」
「地球に行きたいね」
言葉少なに、でもきっぱりと、彼は答えた。
名前の時と同じに、ゆっくりした動作とは対照的な素早さだった。
「地球…? 理由を教えていただけますか?」
「ノーコメント…。さあ、そろそろ俺は届け物に行かないと」
地球に行きたいと言ったことがそんなに照れくさかったのか、彼は立ち上がって、手で出口を示した。
「あの」
「ノーコメント」
ユルそうな顔をしているのに、こういう時だけ頑固になるなんて、まったく分からない人だと思う。
……まあ、ここまでいろいろと答えてくれたのだから、……気になるけれど…良しとするしかないかもしれない。
それに、そんなに時間は経っていないように感じられるけれど、私の手元のカップの底に残ったコーヒーは、乾いて固まっていた。
それだけ長くつきあってくれていたのだ。
楽しい時間は過ぎるのが早いというのは本当だった。
この仕事しててよかった、と思った。彼みたいな人に会えるなんて、ホント、ついてる。
調査に協力してくれた礼を言って握手を求めると、彼はこれには快く応じてくれた。
一見しただけではヤワな感じの手だったけれど、実際に触れてみるとちゃんと男の人の手だったので驚いた。
ペンだこは、どうやらできていないようだ。
「それでは、ご協力、本当にありがとうございました」
テープとメモ帳を元通りバッグにしまって、私は彼の部屋を出た。
それでも名残惜しくて振り返ると、羽の生えたテディを無造作につかみあげながら、彼は最後の最後でこう言った。
「青くて広くてきれいだからさ」
「え?」
閉まりかけの扉の隙間から見えた彼は、テディの手を持って、私にバイバイさせていた。
言葉の意味を詳しく聞こうと思ったけれど、扉は無情にも閉じてしまった。
でもまあ、彼のとても嬉しそうな、楽しそうな顔を思い浮かべたら、それでいいような気がした。
■ おまけ ■
ナントカ調査員が出て行った後、キイトはテディベアをソファ横に戻し、新たなタバコを口に銜えると、先ほどの説明で使用した「へめへめ…」を手に取った。
何を思ったかにっこり笑って、裏側に「へのへのもへじ」と書き記す。
それからまたさっきのように伏せて置いて、つまり「へめへめ…」を視界に入れながら、右から左に移動させた。今度ももちろん手を使わずにだ。
左隅に移った紙には、そっくりそのままの「へめへめくつじ」がぬぼーっとした表情で描かれている。見ながらやれば、そっくり再現するのはそんなに難しくはない。
しかし彼は何か納得がいかないことがあったのか、タバコに火をつけるのをやめ、難しい顔をして少しの間考え込んだ。
「…ちょっと線が足りない、かな」
呟いて見下ろせば、見えていた「へめへめ…」の余計な点々がスっと消える。
ぺらり。
裏返した結果が彼に何をもたらしたのか、キイトは一瞬息を呑んで動きを止めた。
火のついていないタバコが、唇の端からぽろりと落ちる。
「は…、……」
酸欠になる少し手前で、思い出したように急いで息が吸い込まれた。
次いで、痙攣を起こしたかのように肩が小刻みに震え始め………、
「―――よし今度はこっちで説明しよう」
のどの奥で笑いながら、彼だか彼女だか分からないソレを見下ろして、キイトはこくこくと頷いた。
大きさは「へめへめくつし」の時と同じく、やや縮んでいる。
眉毛が短くなっている。
輪郭も短くなっている。
目に睫毛が生えて、視線の行方が分かりやすくなっている。
口は他の部分と比べればいっそう小ぶりになって、口元に米粒でもつけたような丸ができた。
盗み食いがばればれなのにも気づかず、「しりませーん」と白々しい嘘をついて目をそらしている、そんな感じ―――というかもう、全体的にふてぶてしい顔だ!
強いて説明するなら、べめべめまぺじ、そう読める。
何もかも今さっき彼が想像し創造した通りのちんまりとした文字顔だった。
幸せな調査員が扉の前からずっと遠く離れたころ、彼女が出て行った扉の中で始まった笑いは、長く長く続いたという…。
fin.