タイトル song for...
作詞/作曲 Izumi Nakasone/Izumi Nakasone
リリース日 2003/07/09
HY


ふたりが出会った事に
もしも意味があるとするなら
こんなに苦しいのは今だけだよと自分に言い聞かせて

胸の傷みがアナタをどれだけ好きか伝えているよ
愛する事が怖くなってもアナタなら大丈夫だよね?

抑えきれない気持ちはドコヘ行く事もなく
戻る事なんて出来ない時計の様にホラッ
今アナタヘ アナタだけに向かって私は恋をしている

会えない日々が続く…
眠れない夜も続いてゆくよ
アナタと私の恋は難し事がたくさんあるから
いくらお互いが想っていたって決して繋がる事はない
だけど私はその日まで待つよアナタが大人になるまで

世界中でこんなにたくさんの人がいるのに
アナタと出会って恋に落ちて同じ気持ちになれたのに
会えない 会いたい 今アナタに会いたい ただアナタに会いたい

アナタの元に行きたいのに
行けない哀しさを越えて もっと強くならなきゃ 強くならなきゃ

どれだけ好きだと言ってくれても先は分からない
不安もこの先消える事は無いでしょう
会いたい 会いたい 今アナタに会いたい 会って強く抱きしめて

世界中でこんなにたくさんの人がいるのに
アナタと出会って恋に落ちて同じ気持ちになれたのに
会えない 会いたい 今アナタに会いたい

ただアナタに会いたい
ただアナタに会いたい
今アナタに逢いたい


 

ある日左腕が痺れるとか言い出した。
俺は「寝相が悪いからやろ〜」っていつもの焼き鳥屋で言った。

その焼き鳥屋が最後のデートになってしまった。
その次の日に入院して、意識失って、そのまま目を閉じちゃったね。

あの焼き鳥や今でのたまに一人で行くよ。
そしたらあの親父が、他の客がいてもどかしてくれて、俺らの定位置を空けてくれる。
座るのは俺一人やけどねw
でも、キャベツは二人前出してくれるw もう十年が経つかな。
色んな人に励まされてやっとここまで立ち直れた。

みんなありがとう。

 
高校2年の終わりに図書館で受験勉強してた時に、
偶然横に座ったショートカットの女の子に一目惚れして声掛けたよね。
君は、凄く笑顔が可愛くて本当に自分にはもったいない気がした。
学校が終わったら、すぐ図書館に行って会いたいって思ってた。

でも、君には彼氏がいて付き合う事は出来なかったけれど傍にいるだけで良かったんだ。
そうやって迎えた春休み俺みたいな奴の為に特別に弁当作ってくれたよね、あれ本当に美味かった。
今でも忘れられない。

その時君の異変に気が付いたんだよね。
会った時よりやつれた感じがして聞いたら食欲が無いって。
でも、笑って受験勉強のせいだよって君は言った。
そうかってお互いにその時は納得したけど、
図書館で会ってる時に急にめまいがしたりし始めて病院に行ったんだよね。
そこで、大きな病院を紹介されて検査入院する事になって、 俺はビックリしたけど大した事無いって思ってた。

そうやって会えない日が2,3ヶ月くらい続いたっけ?
久しぶりに図書館に来た君は普段帽子なんてかぶらないのに、
おかしいと思った俺は聞いちゃいけない質問を君に投げかけたよね。
でも、その時に君の病気を知らなかったんだ。
その時言いにくそうに

「私、急性骨髄性白血病なんだって」

俺は冗談だと思ったけど、君の髪の毛がないの見てやっと理解できたよ。
抗がん剤の投与受けながらの受験勉強に正直俺は頭が下がったよ。

そして、受験する学部こそ違え同じ大学受ける決心を俺はしたよ。
健常者の俺が頑張れないなんて君を見てたら考えられなかった。
そして、受験の結果君は受かって俺は落ちた。
君は自分の結果を喜ぶよりも俺を励ましてくれた。
だけど、君は大学に受かったけど病気が悪化して入退院繰り返す毎日だった。

ある時、図書館で勉強してた俺に嬉しそうな君の顔が見えた。
「ドナーの人が見つかったんだ」 って本当に嬉しくてたまらないって表情してた。

だけど、1ヶ月後そのドナーの人の都合で骨髄移植できなくなった君を見舞いに行った時、俺は君に声さえ掛けれなかった。
今でも思うよ、どうしてあの時何か優しい言葉くらい掛けられなかったんだろうって。
その日、君は俺に言ったよね。
「彼氏にも逃げられて、ドナーにも逃げられて」って言ったよね。

俺が1週間後君に告白した時「私でいいの?」って聞いてくれた。
俺は「勿論だよ」って言ったんだよね。
その時、君の手を初めて握った。
骨と皮だけになってたけど凄く温かった。
それから毎日はお見舞いに行けなかったけど、病室に行く度に受験の心配してくれたよね。
俺の誕生日に一緒にケーキも少しだけど食べたよね。

それから丁度1週間後、君は俺に手紙だけ残して旅立ったよね。
「あなたと付き合えた1ヶ月とても楽しかった」 って凄く苦労して書いただろう字がそこにあった。

お通夜もお葬式も行ったけど、悲しすぎて外で泣く事しかできなかった。
お葬式終わった後、おばさんに言われたよ。「俺と大学に行きたい」って言ってた事。
本当に願いをかなえてあげられなくて、ごめん。

君がいなくなって8年が経ちます。君と同じ大学に受かり卒業して3年、来月君と同じ境遇の人に俺の骨髄を提供することになりました。
これが、君への罪滅ぼしだと思っています。

最後に、本当にお願いをかなえてあげられなくて、ごめんね。
 
高校3年のときだった。
僕には当時、2年付き合っていた彼女がいた。
5月の終わりくらいだったかな、お茶してたら、背中のほうが痛いって言うんだよね。
医者に行って診てもらったほうがいいよ、と言って彼女を抱えて家まで送った。
そしたら、翌日から何の連絡も無く、学校休んだんだよね。
携帯なんてまだ高い頃で、ポケベルしか連絡手段が無くて。
彼女の家に電話を掛けてみたら、母親が出て、入院したっていった。

お見舞いにいったら、真っ青な顔をした彼女が寝てて。
病室の外で母親の話を聞いたら、すい臓ガンで、あと1ヵ月だって言うじゃない。
冗談でしょう?
一昨日にはあんな笑顔で楽しそうにしてたんだぜ?
病室に戻ったら、彼女の顔をまともに見れなかった。
あんなにも1秒が惜しいって思ったことは無かった。

学校の帰り、毎日病院へ行った。
一日一日と目に見えて痩せていく彼女に対して何にもできない自分が本当に情けなく。
悲しい雰囲気を出すと、心配までしてくれて。苦しいのは自分なのに。
だから、笑顔で接して、彼女に出会えて良かったっていう気持ちが精一杯伝わるようにしようと。
亡くなる2日前、もう冷たくなってしまった手で、ありったけの力で、僕の手を握りしめて、

「ありがとう、本当にありがとう。」って何回も言ってくれた。

ぼくは彼女の手を握り返し、声を上げて泣いてしまった。
ありがとう、っていう言葉がこんなにも重いものだとは思わなかった。
今にして思えば、彼女からは人を思いやることの大切さを教えてもらったように思う。
自分にとって、大切な人の笑顔ほど大事なものは無くて、 一分一秒でも多く笑っていてもらえるようにあれこれ考えてやってしまう。
人から何と言われようとこれが自分なんでしょうね。
 
俺も彼女と死別した。
なんか気づいたらもう3年も前の話だわ。
彼女の誕生日の前日、プロポーズした。

「誕生日のプレゼントと婚約指輪一緒にしちゃっていい?」とか笑って話してたのに。

その日の夕方、俺んちに一緒に帰る途中だった。
後ろからすごい音がして、同時に右側にいた彼女がいなくなった。
わき見運転の車にはねられて彼女だけが飛ばされた。
腕組んで歩いてたのに彼女だけがはねられた。

抱きかかえたら、「ごめんね」だって。
意識だってあるかないかってぐらいなのに必死で首にしがみついてくるんだよ。
息があるうちに最後にキスしてあげられたのがせめてものってやつだった。

立ち直れる人はすごいとおもう。
おれはだめだ。
この先も一生彼女の思い出と生きていく。
今でも渡せなかった婚約指輪見るたびに涙が出るよ。
 
来月で彼女の1周忌になる。
付き合って2年とちょっとになったある日、 喧嘩なんてしたことなかった同棲までしている仲だったのに
夏のある日、一緒に野球を観戦しに行ったときに何故か喧嘩してしまって別れることになった。

でも気づくと自分はどうしても彼女のこと好きだし、彼女には両親がいないというのもあって
誰が支えてやらなきゃいけないんだ? と我に返り2週間くらいして仲直りしてヨリを戻すことになった。

仲直りしてからは、お互いもう一度考えを改見直したいって事で同棲はしなくなった。
それから数週間、彼女との将来を考えた。このまま付き合っていると多分そのうち結婚するのかなぁって。
で、今は大学に通っているっていうのもあってそんな資格ないけど
ちゃんと就職して収入や環境も安定してきたら結婚の約束をしようって伝えようと心に決めていた。

若造の青二才のくせに、ガキの恋愛のくせにって思うかもしれないけどそのくらい真剣だった。
年末年始はテストだなんだで忙しいから春休みになったら久しぶりに旅行に行こうって電話で約束した。
その旅行の時に例のことを打ち明けて約束しようと思ってた。

それから2週間くらいたった12月のある日、彼女から電話がかかってきた。
しかし電話にでたのは涙声で話す彼女の妹だった。

「ねぇ、落ち着いて聞いてね。 今朝ね、お姉ちゃん、死んじゃったの」。

それを聞いたときは全然話が通じなかった。
死んだっていうことさえ何か悪いジョークか何かだろって 言われた病院に行くまでずっとそう思っていた。
でも、病院で見たのは冷たくなった彼女だった。
綺麗な顔して寝ているようだけど、呼吸してないし、手を握っても冷たくて硬くて。
今にも動きそうな感じだけど、呼んでも揺さぶっても起きない。

結局、旅行の約束をした電話が彼女との最後の会話になった。
仕事中倒れてそのまま病院へ運ばれたらしく、その頃には病気が発見されるのが遅すぎたそうだ。
で、手を施す余裕もなく、そのまま1週間後に息を引き取った。
彼女が亡くなってから葬式だのなんだのやってから夜は眠れないし、飯なんてとても食えない日々が続いた。
テストが近いのに勉強なんて手につかなくて頭の中が空っぽになった。
で、大学から家に帰って一人になると毎日のように泣いた。
何故か涙がでてきて止まらなかった。

そんな時、たまたま従兄弟から電話があり声を聞いて察知したのか「何かあったのか?」と聞かれた。
いてもたってもいられなくって、藁をもすがる思いで全て打ち明けた。
従兄弟は「とにかくバイトでもして忙しくしろ。何も考えるな」とだけ言われた。
従兄弟は自分にとってもっとも信頼できる兄のような存在だから騙されたと思って言われた通りにした。

今思えば、言われたとおりにして正解だったと思う。
無心でバイトや学校に時間を費やした。
とにかく気持ちが治まるのには時間が必要だった。
自分に納得させるのは大変だった。
夢に出てきたこともあった。
でも、俺は夢は信じない。
天国とかも信じない。
人間の心理が出てるだけかもしれないから、多分自分を納得する内容が出るんだと思う。

一番最後に見た夢は鮮明に覚えてる。「きっといいことあるよ」と言ってた。
最近はめっきり見なくなった。
だから、自分の真理下でも気持ちが落ち着いたのかもしれない。
今でも家に帰って独りになったり、墓参りに行くと寂しくなることはある。
もしあの頃、昔みたいに同棲してれば彼女の病気にも早く気が付いたかもしれない。
今でも後悔することは沢山ある。後悔すればするほど辛くなるのも分かっている。
でも、彼女といた日々、彼女と過ごした経験は無駄にはしない。
彼女からは色々と教わった気がする。
だからその気持ちは絶対忘れたくない。

つい最近、彼女の墓参りに行ったときに彼女の妹と話をした。
今さらながら亡くなった彼女と結婚したかった事とか話した。
「義理兄になれなくてごめん」なんて冗談混じりで。
妹は

「べつに、他の女の人を好きになってもいいんだよ。 お姉ちゃん一人じゃないし、もういないんだし、
一生独りでいなきゃいけないわけじゃないし ○○君(←自分)だったら絶対これから幸せになれるって。」


なんて言ってくれた。
男なのに女の子に励まされちゃって、つくづく頼りないよな、俺は。
でも、それを聞いてからなんか肩に背負っていた重い荷物がなくなった気がした。
この先どうなるか分からないけどなんとか乗り越えていけそうだ。

またいつか好きな人が出来たらめいいっぱい幸せにしてやりたいと思う。
だから1周忌のは明るい顔で墓参り行こうと思う。彼女に「もう大丈夫だ」って報告しに行きたい。
 
3ヶ月前に5年間付き合った彼が交通事故で亡くなりました。
それ以来毎日泣き続け、死んで彼の傍にいくことも考えました。
でも、私が泣いたり悔やんだりする姿は、彼をよけいに苦しめている気がします。
多くの事をやり残して亡くなった彼は、私なんかよりずっとずっとつらいはず。
もうこれ以上彼を苦しめたくないです。

きっと今私に出来ることは、精一杯生きて彼を支えてあげることだと思います。
今まであなたにずっと支えてもらっていたから、今度は私の番だね。
二人分生きるなんて、そんな大それた事は言えないけど、 思い出を大切にしながら前に進むように努力するね。

あなたに会えて本当に幸せだよ。
ありがとね。

愛してるよ。
 
3年前の6月 あなたは23歳でしたね
6月17日今日は誕生日ですね
26歳の誕生日おめでとうございます

俺も3月であなたと同い年になっちゃったぞ
あなたが一瞬でいなくなって3年 色々な事がありました
俺は大人になったかと思ってたけど
年下の子達にあなたが俺の事を呼んでたのと一緒でようちゃんようちゃんと呼ばれてます

俺が言った言葉覚えてますか?
「俺だって25超えればめっちゃ大人になるって!」
それを聞いてあなたはにこにことしながら
「ようちゃんには絶対無理」と言ってたよね

俺の事を見抜かれてたんでしょうね
俺はあなたがいなくなった3年前から一人です
何故か誰かと付き合いたいと思いません そんな姿をあなたはどう思って見てるのか
俺的には別に寂しくないもん!と強がりを言ってみたりして

今年もあなたが苦手な梅雨の季節がきました
あちらでもエアコンのかけすぎで夏風邪ひいてたりしませんか?
何年後に会えるかわからないけどいつかまた焼酎を二人で3本空けましょう
それまでは一人でここで空け続けます
では今年の夏またそちらへ行きます

報告する事がいっぱいあるし
 
結婚して3年後、白血病で夫を失いました。
そのとき私は妊娠8ヶ月。

夫の死後、息子が誕生し、夫の名前の一文字をもらって名前を付けました。
その息子も、もう1歳。
パパがカラオケで歌うビデオを見ながら、「パパ」と言い 体をゆすって踊るようになりましたよ・・・。

夫との日々は短かったけど、大事なものを私に残してくれてありがとう。
大切に育てます・・・。
本記事より
私の彼は2年前の冬に亡くなりました。
交通事故でした。
彼は、休みの日に買い物に行こうとしてたらしいのですが、 その帰りに事故に遭いました。
全て、警察官の方や関係者 の方から聞いた話です。 

彼は買い物帰りで車を運転していたところ、反対車線側から
幼児園児の女の子が飛び出してきたそうです、反対車線からは トラックが走ってきたそうです。
トラックは何とかよけようとして彼が 走っていた、車線にはみ出してきました。

トラックは女の子を避けた のですが、接触してしまいました。そして、彼の車にトラックは激突 しました。
腹が立つのは、トラックはそのまま逃走してしまったことです。
彼は、最後の力を振り絞り接触した女の子を自分の車に乗せ、病院に 向かったそうです。(向かったと思われる)
しかし、途中で意識を失ってしまいました。
そこを通りかかった方が救急車を呼んでくれて病院に搬送されました。

彼は、重体で口が聞けない状態でした。
警察の方は、比較的怪我の軽かった女の子 から事情を聞いて、事の真意を知ったそうです。
彼は、何とか意識を取り戻し、少しだけ しゃべれるようになりました。

しかし、延命の可能性は無いと知らされました。彼には家族 がいないので、私が最後を看取ることになりました。
集中治療室に入ると、彼は変わり果てた 姿でベットに横たわっていました。
頭には包帯を巻かれ、口と左側の顔だけが見えるだけでした。

後から知ったのですが、直接の死因は内臓破裂と出血多量とのことでした。
私は、何を話していいのか分らず彼にしがみついて泣きじゃくるだけでした。
彼は、血と埃に まみれた手を私の背中に回してきて、かすれた声で「悪かったな・・・。ごめんね。」と、私に 言ってくれました。
「女の子ね、無事だったよ。○○が助けたんだよ、○○が助けたから生きてるんだよ」
と、言うと彼は精一杯の笑顔を作り
「あぁ、よかった・・・。よかった、ほんとうに良かった」と涙を 流しました。

彼は段々と目を細めていきました。
最後の時が来たようでした。
「俺は、いいから、お前 は元気に暮らすんだよ・・・。ありがとな。ありがと、ありがと、ありがと」
と何度もありがとう、と呟きながら絶命しました。
顔はとても穏やかで、私を見たときに見せる笑顔そのままでした。

私がこの事実を知ったのは病院に駆けつけてから7時間後のことでした。
その時点ではまだ トラックの運転手は逮捕されていませんでしたが、彼が亡くなった2日後に逮捕されました。
逃走した理由が、女の子も彼も無事そうだったのでついつい逃げたそうです。

私はこれを聞いて 言いようのない怒りが体を走るのを感じました。
彼は次の年に、プロの山岳写真家を目指してネパールに渡る予定でした。
彼は小さな頃から、教会に預けられて育ってきたため教会に遺体を運びそこでお葬式を行い ました。
彼の棺には彼が生涯使っていたカメラとフィルム100本をいれました。
火葬されている 間に、彼の父代わりであった教会の神父様から衝撃的な事を聞きました。

「○○はね、ネパール に行く前に、あなたに結婚を申し込もうとしていたんです。
そして、ネパールから帰ってきたら あなたと結婚するつもりだったんです。つい、4日前にその相談をしてあげたんです」


私は嬉しさ と悲しさでただ泣くだけでした。
もう、こんな思いはしたくありません。
交通事故だけは絶対に嫌です。

私は、自分の最後の力を振り絞って女の子を助けた彼を一生尊敬して生きていきたいと思います。 

※こちらのFlashは現在作者のHPでは公開されていません。
ただ、とても良いFlashのため保管という形で公開させていただきました。


戻る