古き佳き時代の・・・・・(こころ少年、の大人たちの疾走) ラ・フェスタ・ミッレ・ミリア

イタリアに、1927年から誕生したMille Miglia (ミッレ・ミリア)というラリーがあります。その大会の70周年を記念して、日本で、ただひとつ、国際クラシックカー連盟から公認された、国際ラリー<<La Festa Mille Miglia>>というラリーが誕生しました。
今年は、その<La Festa Mille Miglia>第8回目の大会が、10月3日から7日までの4日間で開催されました。
六本木ヒルズから出発し、1都9県94市区町村を経由し、その名の由来の通り、1600キロ=1000マイル(Mille=1000)を走破し、横浜でゴールするコースです。
大会の基本精神にも謳われている通り、まさに、「いくつになっても、こころ少年」の大の大人たちの、3泊4日の(しかも今年はそのうち、3日間が本降りの雨の中)懸命なる、レースが展開されたのです・・・・・


「ミッレ・ミリア」とはつまり、「1000マイル」という意味であります。
ので、キロ換算にして、1600キロを、3泊4日で走るわけですね。

速いことを競う大会ではなく、「古いものに敬意を」という基本精神にのっとり、個性の豊かな古い車達、大切に使えば、今でも立派に通用すること、また、大会が訪れる各地で、そのシンボルマークとともに、友好の輪をひろげ、参加者のみならず、関係者、観衆などすべての人々との笑顔の輪をひろげること、そして、いつまでも少年の日の瞳の輝きを失わない大人たちの存在を示すこと等がこの大会の主旨です。

古い車で1600キロという行程を走破するのは、簡単なことではありません。天候もそうですが、様々なアクシデントなどもあります。
その中で「走ってこそ車」という信念を持ち続け、スポーツマン精神にのっとり、ゴールまでの完走に努力し続ける、過酷なレースでもあるのです。
このため、レースへの参加資格は次の通りです・・・・・
なんと、1920年の車から・・・・ということは、今から84年前、あら!?ちょうど、この前、イチローが、その記録を破った、257本安打の残された年ですね・・・・・!


オリジナル クラシック スポーツカー 100台
   
  参加資格車:Aクラス:1920年1月1日〜1929年12月31日までに製造されたスポーツカー
  参加資格車:Bクラス:1930年1月1日〜1939年12月31日までに製造されたスポーツカー
  参加資格車:Cクラス:1940年1月1日〜1949年12月31日までに製造されたスポーツカー
  参加資格車:Dクラス:1950年1月1日〜1957年12月31日までに製造されたスポーツカー
  参加資格車:Eクラス:1958年1月1日〜1967年12月31日までに製造されたスポーツカー
さて、そんな La Festa Mille Miglia 2005 の3日目、雨の中、疾走するクラシックカー達を観戦した写真をここに載せてみました・・・・・
車達も、参加者も、そして私達も雨の中・・・・・・・・・(なんか歌の歌詞にあった・・・?)
名も無い道端の、たったふたりの応援者にも、皆、ずぶぬれになりながら、うれしそうに手を振って、走り去っていってくれました・・・・・あっというまの1時間45分だったなぁ・・・・・
 1924年型
   BENTLEY  SPORTS
   つまりは、今から80年前の車
・・・
道端の、パーキングスポットを見つけて、そこに車をいれての、観戦(?)でした。
ちょうど、この先で、街をよけて迂回するコースと市街地を通るコース、二通り考えられ、どちらから来るか?微妙だったので、どちらから来てもOKな場所に陣取ったわけです。

フードをかぶって、道端でカーブの先から現れる車の姿をじ〜〜〜〜っと待ったのでした・・・・・

オープンカーの多いこのレース
もちろん、ホロを付けている車もいましたが、
ホロ無しで、ヘルメットにゴーグル、雨合羽と
いういでたちも多かったんですよ。
シートも革張りのものも多いので、シートごと
ビニールですっかり包んで・・・・なんて感じ。
それでも、こうやって、手を振って、通り過ぎて行ってくれるんです・・・・・すごい根性だ!
 
         1930年型  RALLY ABC

1938年型
BMW 328S



      1947年型
       FIAT Farina MM 
 

芸能人チームも・・・・・

西田ひかるの旦那チーム!
手前側、ナビがひかるちゃん!?
     
   堺 正章&東儀秀樹チーム
    1952年型ALFA ROMEO


近藤真彦チーム
1956年型
ALFA ROMEO


          
1956年型
            MG A
ご覧の通り、オープンカーが、ぞろぞろ・・・・・  皆、雨の装備をしての運転ですが、思うに、大変なのはドライバーより、ナビの人?????
ラリーだと、ナビの人は、コースはもちろん、タイムも管理しなければいけないし、なかなか大変。
このラリーのように、親子、夫婦などで、参加しているチームは、よく、このミスコースなどのトラブルになると、喧嘩になるそうですし・・・・・(わかる気がしますよね・・・・・普段、家族でドライブしていても、近頃はカーナビに頼るけれど、地図をみたりしての、ナビをしていると、道を間違えようものなら、絶対喧嘩になっちゃったりしますもん・・・・・!)
で、ラリーでのナビは、コマ図という、コースを示す簡単な地図をたっくさん見て、どこをどう走っていくか、見極めないといけないわけで・・・・・
それをこの雨の中(しかも、屋根が無いから雨はかまわず地図の上にも降ってくる・・・・・)、ガイドしないといけないのですから、大変だと思いますぅ・・・・・結論! ナビの方が大変!?
両サイドから、手を振ってくれていますぅ!!!
時間制限がある中、約1時間40分ほどの間に、何十台の車が通り過ぎたでしょう・・・・・(ちゃんとカウントしておけばよかったんだけど・・・・・)

公式発表によれば、109台中、14台がリタイヤとか・・・・・でも、すごい成績だと思います・・・・・
急に温度もさがり、なにしろ、スタートから、3日目まで、全工程ほとんどが、雨の中ですから・・・・・
さぞや、大変だったと思います。車のサポートももちろんですが、乗組員の健康管理もかなりなものではないかなぁ・・・・と思うんですよね。ちなみに、近藤真彦さんは事前の登録は奥様がナビの予定だったようですが、先ほどご覧いただいたように、男性の方に代わっていました・・・・・やはり、この天候の中、3日間、オープンの状態で、のり続けるだけでも、かなりの体力が必要???と感じました・・・・・

1957年型
TRIUNPH TR3A

とてもきれいなブルー


   1955年型
   PORSCHE 356
    SPEEDSTER

   私の憧れの一台!
残念ながら、ロードローダーの上に載って、通過していった車もいました・・・・・
後ろ髪を引かれながら、この場を後にし、走っていたとき、多分、ミスコースしちゃったんだな???と思われる車も見つけたりしました。
この日、参加者はツインリンク茂木まで走り、そこで、サーキット走行をして、第3日目を終わったはずです。

そして、最終日、10月6日は、やっと青空の下を、気持ちよく走れたのではないかなぁ・・・・・・?
まあ、「終わりよければ全て佳し!」というか、これほどの悪条件の中の大会(走行)は、あまりにも、思い出にしっかりと刻まれるでしょうし、完走した人たちの、達成感、満足感もひとしおではなかったかと思います。

と、まあ、「こころはいつまでも少年」の方達の、「ちょっと贅沢な、大人の遊び」、と一言ではいえない、真剣な戦いを、その辺の道端に、じっとたたずみ、雨の中、応援し、楽しんだひと時でした。

今年は初めてWRCのラリーが日本に上陸した年でもありました。北海道を舞台にした、この熱戦、おとんは、かなり観に飛んでいきたかったようでした・・・・・(本当はスタッフに応募したかったみたい・・・アキレス腱を切っていなかったら、行っていたかも・・・・・?入院中に申し込みが終わっちゃったのだ!)
あのラリーはあれでまた、すごい!!!目の前をぶっ飛んでいくのを、ちょっと観たい気は、します!
でも、この、のどかな、走りを楽しむラリーも(今回は楽しみより、苦しみも多かったかも?)いい味でてるなぁ・・・・と思いながら、おとんに引っ張られていった、私の方が、必死に手を振って応援しちゃいました!

 * 車の画像のみを、近日中に「写真館」にもアップしたいと思っています・・・・・
 * La Festa Mille Migliaの公式HPはこちらへ・・・http://www.lafestamm.com/2004/top.html