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伊豆半島、ちょっと寄り道

2010.06.13

二日前から静岡県東部まで来ておりました。
あちこち走り回ってましたが、頭の中は「お仕事」に満たされての移動だったので、デジカメに記録された画像も九割方は仕事関連一色。
残りの一割は、私の事ですから、美味しいものを食べた時の記録写真しかない (^_^;)


ちなみにこれは、安部川の天然鮎。
静岡の特産の一つです。

そしてこの日、午前中に仕事を済ませ、せっかく静岡の東部まで来ているのだからと、帰阪する前に伊豆まで足を延ばすことになりました。

まずは沼津まで南下し、そこからはずっと海岸線を走りました。
海岸沿いの景色が好き、という理由も少しはありましたが、前日にお会いした方から
「静岡では乗合船に乗らなくても、そこらの波止でも普通に大物が釣れる。」
と教えられたんですよね。
それで、「再び静岡に来る事があったら、今度は釣り道具一式を持って来よう!!」 なーんて。
つまり、釣行する時に備えた、下見検分に他ならない。

まずは沼津港で、その方がおっしゃった言葉が目の前で立証されてました。
大阪湾の波止釣りでは、大物を釣ったと自慢できても、一日かかって一匹釣れるかどうかのスズキかクロダイくらい。
沼津では、30センチ以上もあるピカピカのサバが、目の前でバンバンと釣り上げられていました。

これを見て、釣り好きの我々二人に気合の入らない筈がない。
殊にハンドルを握る相方は、断然燃えまくっておりました。
淡島マリンパークで小休憩を採るも、相方の目は、釣り場探索に余念がない。



海岸線を走るのは淡島までが限度。
何故なら、私が連れて行ってもらいたかった所は山手付近でしたから。

淡島から龍泉寺を越えて、国道136号線に入りました。
そのまま狩野川にそって上流を目指すと、修善寺温泉郷。

私にとっては懐かしい所で、中学の修学旅行での宿泊先がここだったんですが、これといって見たいものは何もないので簡単にスルー。

次の休憩地点は、「浄蓮の滝」。
「ここは女郎蜘蛛伝説で有名な所です」と、中学生時代にガイドさんから教えられて見学したはずなんだけど、当時の記憶は全体の景色までは及んでいなかった。

相方の「車の中で休んでるから、ゆっくりと見ておいで。」との言葉に甘え、谷川になってる狩野川縁にまで降りていくと、滝より先に山葵田が目に入ってしまった。
その時点で、私の中のスイッチは仕事モード「ON」。
あの頃に山葵田があったかどうか、全く思い出せないけど、「この地域での山葵栽培は、このような形式になっているんだね。」と、山葵田の写真ばっかり撮りまくり、あとで思い出したように浄蓮の滝の写真をほんの少し、パチパチ。



女郎蜘蛛伝説とは・・・・・
 「昔きこりが、落としたナタを探しに滝つぼの中に入ると美しい女性と出会いました。
  その女性の姿を見た事は絶対に言わない、言えば命が無くなるとの約束をしましたが、
  『滝の主は女郎蜘蛛らしい』と村人から聞き、自分に起こった出来事を話すと、
  女性との約束通り、きこりはその場で死んでしまいました。」


昔、この近所に「浄蓮寺」という寺があったので、滝の名にも「浄蓮の滝」という名がついたと言われています。
25メートルの落差があるそうですが、滝のそばまで行くと涼しさもさることながら、音響効果も迫力満点でした。
滝つぼのすぐ脇には、沢山の柱が束になったように見える柱状玄武岩。
大昔、この近くの山で大きな噴火があったんでしょうね。

演歌苦手の私ですが、石川さゆりさんの歌だけは別格で、彼女の謡う曲はかなり好きです。
特に好きなのが「天城越え」。
実は今回、彼女の謡う「天城越え」の歌枕を巡る旅を、相方に付き合ってもらったんです。

ずっと国道を走っていましたが、天城隧道へ向かうために入り込んだ旧街道は、勾配が急でクネクネと曲がった文字通りの山道でした。
きっとその辺りが「つづら折れ」なんでしょう。
多分、川端康成が「伊豆の踊子」を発表し、松本清張が「天城越え」を考察していた頃は、もっと悪路であったに違いない。

そして、最終目的地である「天城隧道」に到着しました。
中学の修学旅行では、この地への訪問は省略されてしまっていて、少々ムカッとした記憶が残ってます。
あの時、担任の先生から「修学旅行に備えて『伊豆の踊子』をしっかりと読んでおくように。」という課題が課せられてましたもん。



生まれて初めて訪れた「天城隧道」。
トンネルは切り石を組み合わせて作られており、今現在に残る石造りトンネルとしては明治37年(1904年)に完成した日本最古のトンネルで、国の重要文化財に指定されています。
トンネルの脇には、石造りの上り階段。
この階段こそが「天城隧道」開通以前には、天城道の難所と知られた「天城峠」へ向かう道のように見受けられました。

この日はどんよりと曇っていて湿度が高かったせいか、トンネルの前に立つと何となく陰気な雰囲気に感じました。
組み合わされた切石で形作られた曲線は、女性的で柔らかく均整のとれた美しさも感じましたが、最初に陰気に感じた印象のせいか、「伊豆の踊子」に登場する「薫」より、「天城越え」の「ハナ」の姿を想像してしまいました。

トンネルを抜けて南側に出たすぐそばには「寒天橋」。
幅6メートル前後、長さは20メートルくらいの小さな石橋でしたが、橋の上から見える清流は、また格別なる雰囲気でした。
この街道は「寒天車道」とも呼ばれ、、伊豆で収穫されたテングサを、寒天の一大生産地である信州まで運ぶ人が数多く通ったそうです。





この近辺、ちょっと見た目には分かりにくいのですが、「天城越え」の歌詞にあるとおりにワサビ沢があちこちにありました。
道路際にポンと置かれた収穫物。


ワサビの茎です。

あらあら!
これがうちの近所なら、あっという間に誰かに持って行かれまっせ。

カゴのそばから険しい坂を上に伸びていく、小さなモノレール。
紀州のミカン畑でも見たことがありますが、収穫物を満載したカゴなどを、このモノレールを使って降ろしているんでしょうね。
そういう物が無いと、そこにワサビ沢などがあるとは思えないくらい、周りは緑一色の深い林が続いてました。

興味があったので、モノレールに沿って山を登っていくと・・・。
「見つけた!」

ケモノ除けのネットが厳重に張られたその向こうに、ワサビ沢。
規模は小さいものですが、こんな沢がそこらじゅうにいっぱいあるんです。

以前に長野の安曇野を旅した時、ワサビ作りは大変に辛い仕事だと聞いた事があります。
そこは平地で、川の一部を使ってのワサビ作りをする地方でしたが、伊豆は山の奥深くがワサビ沢。
伊豆でのワサビ作りがいかに大変な重労働であるかは、想像に難くない。
こんどから、伊豆産のワサビを頂くときは、心して頂かなければと思いました。


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ワサビ沢からUターンすると、国道414の「新天城トンネル」を抜け、そこからは大阪目指して一路爆走。
と、なりたい所ですが、我々の足となったは、少々ご老体のあずき色ムーブちゃん。

ムーブちゃんは、「爆走など無理で、普通に走るのがやっと」というスペックにて、スピード感恐怖症気味の私にとっては、お友達的要素大の車なのです。
そのような車ですが、長時間走行の間は一度もエンストなどせず、一生懸命頑張ってくれました。

帰宅したのは、日付が変わって間も無くの時刻でした。

今回の出張旅行は、出発は前々日の22時。
明け方前に目的地の近くで仮眠という、かなりハードなスタート。

往路の東名高速を走行中には、制限時速を少し超(警察に見つかったら絶対に罰金を取られる程度)のスピードで走っていたにもかかわらず、後ろを走っていた高速バスから執拗な煽りを受けたりと、その後も色々あって、結構大変な旅になりました。



それを払拭してくれたのが、伊豆で見た大自然。
「旅をするなら、絶対に一人旅」と力説する私ですが、一生懸命お仕事をした合間の、ちょっとした「道草」も案外良いかも知れないと思い始めた今日この頃です。

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